趣味の鉄道

西鹿児島駅 土佐山田駅ホームで記念写真 稚内駅ホームで記念写真 根室駅ホームで記念写真 根室標津駅ホームで記念写真
1992.9.3
1984.11.21
1987.6
1986.8.2
1984.7.31
プロフィール

最近の話題

2016.7.14(木) このページのアドレス引越ししました。これからもどうぞよろしく。いろいろ、分かったこともあるので、いくつか更新予定です。日暮里の地下通路への階段とか、常磐線亀有のこととか。
2016.7.30(土) いくつか更新しました。飯田線の1983年の動画を追加しました。肩掛けのベータ(バッテリー駆動)とビデオカメラで撮影、オリジナルはベータ1なのですが、ここでは再生できないのでVHSにダビングしたのをDVDにダビングして取り込みです。
2016.11.28(月) レイアウトを作れそうな状況になってきたので、少し本気で配線を考え出しました。条件は、1、エンドレス上にはホームを通らない。2、リバースは不要(通常の運用でエンド交換は嫌われる)。3、ということで中間駅兼終着駅を機廻し可能に。4、本線は分岐器分岐側にはしない。これでやっと914Rのベニヤ道床も日の目を見る。そんなことを考えているうちに、今度は車両も気になってきて、古いので、遠距離の引越しで殆どの車両が損傷。特に接着部分が、カプラーや台車が外れて走行不能。大破して引越し前からずっと再生しようと考えていたクモヤ22酷似のコンテナ気動車。これを最新のハイブリッド化したいという気になってきて、エンジンを調べたりしています。新製時は電気式ディーゼルで、発電用にDMH-17HGを二基。17m車なのでラジエターは床下に配置できず、やむなく荷台に床置き(泣)。機器室に電気制御機器。そして片運転台のクヤと2連でも、というものでした(相棒のクヤ)。今考えると、1エンジンで放熱器は床下で、これを2両で運用すればそれでも良かったのではと思うのですが、当時は小学生だったから。再生案でコンテナの重量とエンジンの重量で側板の無い床の強度が心配になって、コキみたいな側梁を追加しようと半分作ってしまったのですが、エンジンなどの点検やラジエターの放熱に不都合に思え、思案中です。リチウムバッテリーを床下、エンジンは機器室も有りかもしれないですが、せっかくの手持ちのエンジンが使えなくなるし、とは言ってもいまさらDMH-17Hは使わないですよね(笑)。でも遊休品は活用したいし、予熱プラグを並列結線にすれば、バッテリー容量は主回路の使えば充分だし、冬でも起動するんじゃないかな。(キヤ改造)
2016.12.11(日) レイアウトは久しぶりの工作復帰には重過ぎる感じがしてきたので、コンテナを手始めにフルスクラッチでと。(コンテナ19D)
2017.2.22(水) レイアウトのたたき台の図ができてしまいました。手ごろな角材が見つかったからね。でもベニヤ板などは引越しで捨てちゃったので、得意の廃物利用ができないな。(屋根裏レイアウト)
2017.10.24(火) キヤのハイブリッド化改造修理や、緩和曲線の検討など、このところいろいろ進捗しています。体調がかなり戻ってきたようでよかったですー。
2017.11.27(月) 緩和曲線の検討、だいたい落ち着いてきました緩和曲線考。キヤのハイブリッド化改造修理は、機関車兼用タイプでかなり進捗、安定点灯も検討中(キヤ改造)
2018.5.14(月) おかげさまで体調はかなり回復。それは良かったのですが、家族の受験や入院、さらにLinuxパソコンの立ち上げやキウイフルーツを発芽させるとか、自分も寄り道ばかりで、半年経過してしまいました。キヤのハイブリッド化は前面警戒帯の巾を千代田線というかクモヤ並みに広げ塗装がほぼ完成、安定点灯は増え続ける回路が入りそうもないので室内灯だけでやってみようかなとそろそろLEDを取りつける段階。レイアウトは屋根裏を片付けていたら、始発駅の用地収用が先に進みそうなので、駅とヤードの配線を考えだしたら、場内や出発信号機の位置が気になりだし、プロトタイプの構内配線図を眺める日々。おかげさまで今までちんぷんかんぷんだった配線略図記号や連動や鎖錠も少し分ってきました。構内配線図を書いてみようかなという気になってきました。
2018.10.23(火) キヤのハイブリッド化は、仮組み立てしたのですが古いモーターが動かないのでカンモータに置き換えるか悩み中。レイアウトは貨物駅の台を拡張中。広さを確認したくて、荷受設備や灯油タンクを検索していたら、古い写真を見つけてしまって、いつものように横道に。生家の板壁は鎧張り格子押さえなのかとか、テコ扱い所の写真もあって「懐かしい駅の風景」というすばらしいページを思い出しちょっとまねしてみることに1984根室標津
2019.3.30(土) 3月15日のダイヤ改正で、松本と辰野、岡谷を小野経由で直通する定期列車が無くなった。と、思ったら新聞社が配布している壁貼り時刻表の小野経由の記載抜けだった。塩嶺トンネル開通までは特急「あずさ」など全列車が走っていて、その後も辰野経由の急行アルプスなど設定されていたが、徐々に削減されていて、ついにと思ったが無事で良かった。飯田線から東京への帰りに、良く利用した急行「こまがね」が、辰野で飯田線ホーム到着後に、転線して急行「アルプス」に併結していた長閑な頃が懐かしい。
2019.10.5(土) 用事が多くてレイアウトの地鎮祭もどき辺りで滞っていたけど少し再開、神主さん作りなど。違う話ですが、山手線で使われていて不要になった6扉車を再利用したくて、簡易個室寝台車とか、オープンデッキ付き個室寝台とか、以前より想像していた。今日、ビュッフェを思いついた。ビュッフェといってもコンビニみたいなもので、セルフサービスで売店からお弁当など買って、必要なら電子レンジで加熱して、半個室の席で食べる。席は改造で埋めるドアの部分を二階構造にして、上は展望席、下はカーペットにすれば高さを抑えられ、のんびり足を伸ばしたい人にも良いかも。営業時間以外は簡易寝台にもできるか(笑)。車端部は、授乳室、喫煙室、シャワールームやシャンプーくらいできる個室洗面室。販売員ひとりで良いのでなんとかなるのではないかな。書いてみました6扉サハ活用
2020.5.8(金) やっと地鎮祭やりました。地表の試作も。貨物引込み線の検討
2020.5.30(土) 貨物引込み線、駅の配線図を書いてみました。
2020.6.14(日) 高山本線1992、猪谷、速星の貨物と橋のページ作りました。
2020.11.13(金) 今夏はパソコン関係ばかりやっていて鉄道はあまり進捗しませんでしたが、マイコンでポイント制御少し進捗。あと旅の記録、初めて友人同士で宿に泊まった 1972初めての泊りで新津、加治、会津若松機関区をアップしました。
2021.3.16(火) 時間と気力があったので懐かしの旅の記録を追加しました。1992西鹿児島、肥薩線(矢岳越え) 昨年の豪雨災害のあった人吉のあたりです、1983.12 小浜線、城端線、富山港線 オハユニ61
2021.10.9(土) ずっと悪いままだった歯をひと通り治したので体調やや復活、今年の夏もコロナで外出が少なかったので旅の記録や模型など更新が進捗しました。南大夕張鉄道、名寄本線1986南大夕張、朱鞠内、塩狩峠補機付きとか、福知山とか、大船渡線とか、土讃線とか、根室本線の石炭関係とか、模型では6扉サハ活用の検討(二階建て寝台)

2015年までのメモ

2004
2005
2006〜2015

(以下、ネガがカビている写真がありますが、そのまま使っています。)

2006年〜2007年の東京で

2007ちょっと行った鶴見線浜川崎-扇町あたり
2006の晴海線跡と10年前の越中島線
閉館前の交通博物館と想い出

1970年ころ以前の東京で

常磐線江戸川橋梁1957…単線トラス2本
松戸電車区1971…2扉サロ改造のサハ78、DT17型台車
立川駅…青梅線ホームの73系(1971.11)
夜行長岡行…先頭車クモユニの前で記念写真
上野駅…EF15、キハ28系ときわ
首都圏1971…上野駅スハ32、キハ28系犬吠通過、千葉駅キハ35、京浜東北線73系など

ローカル線

倉吉線…1984鉄橋を渡る混合列車
山陰本線の貨物…小雨の中の貨物
城端、富山港線、氷見、福知山(その1)…1983.11 オハユニ61、スエ71、73系
城端、富山港線、氷見、福知山(その2)…1983.11 オハニ36、スエ71、10系 new
小浜線、城端線、富山港線…1983.12 オハユニ61
土讃線…鉄橋を渡るローカル貨物列車
高山本線…猪谷、速星、鉄橋3種(1992.8.5〜)
石巻線、大船渡線…湧谷、真滝、陸中松川(1990.7.23〜)
只見線…会津坂下でオハフ61切離し、会津若松駅など
磐越西線…紅葉の中のローカル列車
根室本線…紅葉の中の砕石貨物列車(幾寅)、釧網本線川湯も
釧網本線…春の釧路湿原を俯瞰
南大夕張鉄道、名寄本線…1986南大夕張、朱鞠内、塩狩峠補機付き new
留萌本線、根室本線…1987留萌、芦別、赤平、幌内 new
夕張線…1987清水沢(南大夕張鉄道)
飯田線…貨物
土讃線…1990大歩危、新改、角茂谷、祖谷口、大杉、吾桑、小歩危 new
久大本線…50系俯瞰
日田彦山線…石原町の貨物1991(専用線も)
青春18で九州その2…1992西鹿児島、肥薩線(矢岳越え)

そのほかいろいろ

小海線…マザーグーストレイン(1978ころ)
高島貨物線…SL横浜開港120周年号1980
水郡線…SL奥久慈号1985
富士山一周…1971御殿場線と身延線を旅
中央西線の蒸機…1972初めての往復夜行で塩尻、贄川、木曽福島 new
上越線、羽越本線、磐越西線、只見線…1972初めての泊りで新津、加治、会津若松機関区
中央西線…1973蒸機の音撮りしながら、薮原 new
東塩尻駅…1980友人とのドライブで寄り道
山形駅…1983初めてのひとりで夜行、急行津軽、福島駅 new
奥羽本線峠駅…1985青春18きっぷで峠駅 new
秋田、弘前…1983ひとりで夜行、急行津軽往復
関西本線…1988名古屋出張の合間に加太越え new
越美北線…1988金沢出張の合間に九頭竜湖 new
1985三陸
1985山田線(浅岸、腹帯、宮古)
1985釜石線陸中大橋
1985山田線(釜石、岩手船越)
懐かしい駅の風景風…1984根室標津
懐かしい駅の風景風その2…1986田川線油須原
懐かしい駅の風景風その3…1984士幌線糠平
懐かしい駅の風景風その4…1984倉吉線西倉吉
懐かしい駅の風景風その5…1990土讃線斗賀野

動画-飯田線伊那大島辺り荷物と乗客が一両半づつ、辰野に朝いた83103+56001-54112 [95]かも
動画-貨物列車タブレット交換七久保駅のようです
動画-田切駅着発鉄橋クモハ54110車内から前面展望
動画の撮影日は1983.2.12です。この時期、前日の夜行アルプス13号はガラガラでした

旅の記録

北海道1991
九州1992
四国1990(前半)

編成の記録など

成田線(我孫子方)の10系DC…おまけで初詣臨写真など
常磐線に最後まで残っていた73系
大垣夜行153系
首都圏国電'96

模型(HOゲージ)

とりあえず
キヤ改造
コンテナ19D
屋根裏レイアウト
緩和曲線考
貨物引込み線の検討 new
マイコンでポイント制御
6扉サハ活用の検討(二階建て寝台) new

3Dお試し(両眼視差)

とりあえず

60年代の疑問

上野駅から常磐線の国電で金町まで母について帰る時に、途中駅止まりで次の電車を待って乗換えた記憶があります。乗換え客の多い北千住までの乗客の利便をはかっての区間運転だのだろうと思っていました。さらに上野駅の留置線代わりに短区間往復させているようにも思えます。常磐線が複々線になる前の配線図を見ると綾瀬は相対式ホームだけなので亀有止まりと推測できます。亀有には工場の引込み線も有りました。今でもいかにも引込み線的なカーブで家が建っているところが車窓から見られます。下り方に折返し用の留置線(引き上げ線)があったような気がしますが、記憶の定かな方いらっしゃいますか? アップしてくださった配線図を発見、(KASAさんHP)ありがたいです。昭和36年で時期もちょうど合っています。引き上げ線は無いですが、中線がありました。下りホームが両側使用です。しかし、中線では折り返しまで追越通過できないですし、記憶に残る遠ざかる電車にはなりません(中線が塞がっていると不便なので、直ちに回送で折り返し、それを見て引き上げ線に入れたと思った可能性も)。そこで違う考えが思い浮かびました、中距離や成田行きで残っていた蒸気機関車牽引の列車に上野駅で乗ってみようということにして、でも快速か、中距離なので金町駅には停車しない、そこで北千住で下車して、後続の電車を待っていた。その電車が暗い中なら近づいてくるのが、引き上げ線への回送電車のイメージと似ていてというのかなとも。そもそも亀有までの区間運転というのは無さそうだし、回送電車はヘッドライトが点いていたようにも思えてきました。ううむ。当時前面には行き先表示板がささっていましたね、松戸はひし形のバックだったと思います。もし亀有行きがあったとしたら、行き先板無し、白墨書きだったかな。

京浜東北線の王子に親戚があり時々出掛けました。日暮里で常磐線と京浜東北線を乗換えたのですが、ホームの乗換えに地下通路がありました。跨線橋より階段が少ないので良く使いましたが、狭くて古そうな感じだったと思います。ホームへと階段を上っていくとコンクリートの囲いの上から徐々に周りが見えてくる感じを覚えています。そのころの日暮里駅は、現在は新幹線用に撤去されてしまった5番線〜8番線までの東北本線高崎線の臨時ホーム2面がまだ使えそうな状態で、跨線橋からの階段もあってホームに降りられそうな感じだったと思います。地下通路がどの辺りにあったのか思い出せませんし、ホームもきれいになってしまってよく分かりません。常磐線ホームは電車用に嵩上げされてしまったと思いますし。
(2014年追記)11、12番線ホームの南端はホーム下が空間でなく何かある。しかしこの場所に対応する9、10番線部分はホームが無く(ホームが北側にずれている)これが通路の遺構かは疑問。ではなかった、よく考えたら山手線11両化で延長した部分だった(苦笑)。3、4番線常磐線ホームは当然さらに南まである。さらに調べると南側の跨線橋は2本とも新幹線工事の後に架けられたもので、地下通路があったころはその中間に南階段という跨線橋があったようです。なので地下通路のあった位置は、旧南階段(現南側の跨線橋2本の中間)辺りではないということになります。
(2015.4追記)山手線ホームのホームドア工事でホームの下が方々で掘られているので、もしかして地下通路の跡が無いかなと、のぞき込んでいるのだが残念ながら痕跡見つからず。
記述発見しました。1979年(昭和54年)12月 - 南側に各ホームを連絡する狭隘な地下通路があったが廃止された。
ついにそれらしい写真発見しました。常磐線ホームからの撮影のようです。ホーム屋根のぎりぎりのところに下り階段がありそうです。山手線ホームの対応する位置にもある感じです。記憶ではコンクリート地のグレーのイメージでしたが、写真がそうだとすると明るい感じです。これです

房総の上総一宮に泊まり掛けで海水浴に行った時、千葉駅での乗換えは外房線(房総東線の時代らしいですが)は01番線02番線だったか少し離れたホームに跨線橋でない通路で乗換えた気がします。どんなホーム配置だったのでしょう?1963年4月に新駅に変わる前の旧駅はスイッチバックだったそうなのですが、きっとその旧駅なのでしょうね。なおその列車(たぶん10系DC)は夏休み期間で増結したのかキハユニかキハニが編成中に入っていて、合造車にはさまれた半室の客室はとなりの車両に移れなくて、ホームでドアが開いた時に移動していました。

ロングシートの電車で、左右の客ドアが同じ位置でなく千鳥配列になっているのに乗った記憶があります。ドアから乗ろうとすると正面に人が座っているのです。ホームが左右にある路線での車内混雑の平均化を狙ったのだろうと思います。京成電鉄3扉車だったような気がします。いろいろな方のホームページを眺めていると京成の鋼体化初期はこのようなドア配置だったようで記憶通りでした。

京成の金町駅は今はホーム片面使用1線ですが、1970年ころの地図を見ていたら2線だったことが判りました。こっちも子供の記憶で相対ホームの駅舎と反対側で下車して電車の前を回ってホームを歩き改札に行った記憶があったので、記憶どおりだったようです。と 、思っていたのですが金町駅ホームを2面使うことなどお正月の柴又帝釈天初詣増発くらいしか考えられないですね。ホーム延伸工事のときに工事中の改札側ホームと反対側のホームを一時的に使っていた時に乗ったのかもしれないとも思います。短い櫛型ホームだったのですが、上野や押上に直通する4両を入れたい、だけどホーム端に踏切があって延伸しにくい。現在のホーム下の階段の地下歩道がこの踏切を地下道にしたところですね。この踏切の地下歩道化とホーム延伸1面化の工事があったはずです。【続報】昭和22年の航空写真を見ると、電車の西側にホームがあるようにも見えます。踏切の地下化ホーム延伸の前の旧ホームは東北の駅舎とは線路をはさんで西側にあって、利用者は終端ホームの頭の部分を通って改札口に行っていたのかもしれません。

実は特に疑問ではないのですが(笑)、常磐線から逗子行きの臨時海水浴電車が休日に1本だけ運転されていた時があります。子供の頃から電車好きだった私を喜ばせようと夏休みに時々父が連れて行ってくれました。休日の朝なら余裕のある松戸区の73系での運用だったようです。ロングシートですがあまり宣伝しなかったのか車内は空いていて楽チンでした。上野からは今は運用廃止になってしまった御徒町のあたりは東北線(回送線)経由で、留置中の電車の合間を縫って走っていました。なかなか楽しかったです。
逗子海岸直通電車の話、大先輩のM3氏から東京駅で撮影した電車を教えていただいたのをきっかけに、父の日記などを調べてみたところ、1961.8.10(木) 金町発8:10 「しらほ」号 9:44着ということが分りました。休日の運転だと思っていたら夏休み中だからか木曜日でした。教えていただいた写真は前年の1960年ですが、ヘッドマークつきで、切り妻ではないので先頭車両はクモハ40かな。


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