1986油須原(崎山、金田)

1986.12.27-31、「懐かしい駅の風景」というすばらしいページに啓発されて書いた根室標津に続き第二段、田川線油須原駅の信号テコ扱い所の写真があったので油須原。年末休みに九州へ、九州は初めてか二度目。青春18きっぷで大垣夜行、関門で銀色のEF30が見られるかなと期待していたのだが車窓に発見できず。帰りは、厚狭から福山を寝台特急のロザを奮発(笑)し、大晦日は紅白の終わる前に家に帰って家族とゆく年くる年。
油須原駅テコ扱い所 油須原駅のホーム上のテコ扱い所を、反対側のホームから(30日)。テコ番号は向かって左から1、2(通過下一)、6 少し空いて 4、9(通過上三)、8、7。左の柱には「(サンカク)内田方面通標仮置場」。ホーム下からワイヤーが出て、ホーム側面を通っています。古いメモと怪しい記憶が頼りなので不安ですが、本屋が二段屋根(この写真ではトリミングして画角外)なので油須原駅で合っているでしょう。たいへん古い駅舎だそうです、もし開業時なら明治28年。ちなみに内田(信)のとなりの駅はもうひとつは勾金駅です。写真をクリックすると大きくなります、少しかびていますがガマンしてください。
本屋前を通過する上り貨物 その本屋前を通過する上り貨物を、同じホームもう少し内田(信)側から(30日)。本屋の二段屋根が写っています。崎山からのタブレットを投げようとしているところを、駅長が見守っています。起こしたタブレットキャッチャーでこれから駅端に立っている内田(信)へのタブレットを引っ掛けようというところです。DLでATS設置していても、タブレット閉塞で通過駅がある場合は機関助手の乗務が必要ってことなんでしょうね。SL時代だったら機関助手は忙しいですね。文化財的な駅舎だと知っていたら、ちゃんと撮影したんですけど。
内田信号所方面を見る 内田(信)方面を、位置を変えて扱い所のある本屋側のホームから(30日)。出発信号機2基、手前の線路横にワイヤーがあります。踏切の先に場内信号機(進行)、通過信号機。本線ポイントはスプリングポイントみたいに見えます。出発信号機が、背の高い本線用を外側に配置し、本線外側にある貨物側線用を内側に配置してあり、線路の位置と設置位置が左右逆なのが気になります。まさか、低いほうは反対側本線の折返し用ということはないでしょうし。
崎山方面を見る 崎山方面を、右に向いて反対方面(30日)。列車が発車したところで、出発信号機が進行現示。中線の名残でカーブしている上下線が離れています。
崎山方面から駅を見る 駅を出てその先から駅方向を見たところです(29日)。列車が駅に進入中。場内信号機、通過信号機。列車先頭の上方に出発信号機が、左側に本屋側のホームも見えます。線路横の信号機側にワイヤーの滑車が見えます。蒸機時代の写真を見ると、離れてカーブしている上下本線の間にちゃんと中線があります。中線に入る列車があるときはポイント操作で駅の端まで行くわけですね。
駅手前から崎山駅方向 崎山駅の手前から駅方向を、場内信号機と通過信号機がある辺りから(29日)。油須原駅から有名な第二今川橋梁で列車を撮った帰り、崎山駅まで歩いてみました。その途中です。遠くには、出発信号機も見えています。昔は長い距離でもよく歩いたものです。油須原駅近くの畑には野菜の無人販売所があったりして、良い風景でした。
構内配線図 構内配線図 写真を見ながら構内配線図を想像してみました。書いてみると標準的な駅の配線のようですね。腕木式信号機の図記号ですが、先が黒く塗ってある(出発信号機か?)、二本線が入っている(ワイヤー双線か?)、いろいろあるようですが勉強不足でよく分かりません。
金田駅の側線の入換合図器 おまけで金田駅の側線です。田川線に行く前日に金田駅の貨物はどんな塩梅かなと行ってみました(28日)。機関車は居ませんでしたが、側線の13,14,15番線に貨物がいました。14番線のこちらから2両は黄色い線のセキです。で、入換え合図器が立っていました。ハンプ用の大きいのですね。カーブしていて見難(にく)いからなのでしょうか、それとも国鉄の側線じゃないのかな。帰りの30日に列車内から眺めたときは入換えしていました、その日は田川伊田、日田、北山田では下車して撮影、大分、厚狭という行程でした。帰りも門司でEF30は見なかったような記憶で、時刻的にもう暗かったと思いますが。けっきょく現在までEF30は実車を見ないまま。

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