1957常磐線江戸川橋梁

1957.9〜1958.3の間の撮影だと思います。江戸川の川原で遊んでいるところを親が撮ってくれた写真のバックに写っていました。長袖のシャツに、袖なしのベストみたいな服装なので冬ではなさそうです。お祭りの写真もあるので秋だと思います。他のカットでは橋の上に蒸気機関車のと思われる黒い煙が写っているものもありましたが、橋が遠くて煙しか見えませんでした。
江戸川橋梁 下に少し出ている頭が帽子をかぶった私です。場所は鉄橋の南の東京側でカメラの方向は北です。単線だった常磐線を複線にする時に単線のトラス橋を増設したそうで、上下でトラスの形が違います。この頃は手動の蛇腹カメラでした。自分で撮るようになった頃には複々線になっていて、複線のトラス橋2本に架け替えられています。
江戸川橋梁 頭が私です。先ほどより少し千葉県(松戸)方向です。千葉県の岸に近い方は両線ともポニートラスですね。蛇行の内側で川原が広いからでしょうか。遠くに見えるトラス橋は旧水戸街道(旧国道6号線)の葛飾橋です。国道は現在は金町バイパスができて、常磐線江戸川橋梁のすぐ横の新葛飾橋が水戸街道ですが、撮影時は無かったので国道はかなり北の葛飾橋を通っていました。この辺りは橋で江戸川を渡れるのは、北は葛飾橋、南は小岩の市川橋で、どちらも遠かったので、ちょうど中間の柴又の矢切の渡しが実用的な交通手段として使われていました。自転車も乗れました。

| TOPページ | TOP |