地図から消えた村消える町 


地図から消える街 夕張市 鹿島町

 ここの写真にある建物は全て解体されて原野になっています。
 最盛期は今から40年ほど昔、1970年(昭和45)頃です。場所は我が家から1,000kmほど離れた街です。
  でも・・・ 状況がだんだん鮮明になってきました。私が住んでいた夢もみます。
   企業の撤退、住民の転出そしてダムの付替え道路に切替られたので立入禁止になってしまいました。
 

 【関係サイトから画像と説明文をお借りしています。多謝。不都合があればご連絡ください】
 参考文献 『夕張働く者の歴史を記録する会 山影静子』 『三菱鉱業 大夕張鉄道 奥山道紀・赤城英昭』 
鹿島町の歴史
1928(S3) 官行(北栄町)、富士見、栄、千年町ができました。 その後緑町、代々木町少し遅れて弥生町、宝町、錦町ができま
す。
1948(S23) 春日町、常磐町できます。翌年明石町ができます。
1951(S26) 大夕張地区人口 20,374人 17,910(鹿島) 2,464(南部)
1952(S27)10月 明石橋竣工。明石町と千年町が陸路で結ばれました。
1955(S30) 大夕張地区(鹿島と南大夕張を合わせて)人口 22,594人
1962(S37) シュウパロダム(完成当時は大夕張ダム)完成
1970(S45)年ころ 最盛期です。人口は18,000人を超えていました。鉄道、映画館、スーパー全てありました。
1973(S48)年 大夕張炭鉱閉山。夏休み中に転出したので学校の生徒激減、学級再編成しました。
1998(H10)年 人口は100人未満となりました、そして公共サービスは全て停止されました。
2000(H12)年 無人になりました。
2011(H23)年12月 国道452号線がダムによる水没するので新線に切り替えられました。立入も禁止されました。
今ある建造物は新シュウパロダムの建設工事関係だけです。



 この明るくて快活な街が今から10年前に消えました。今は雑木林ですがダムの水底に沈みます。山の形だけ変わりません。
 
大夕張全景と地図

大夕張駅前通
栄町商店街
栄町、官行町
富士見町、弥生町、代々木町、春日町
緑町、錦町、常磐町
宝町(岳富町)、千年町、明石町

国道、シューパロ川に架かる橋

シューパロダムの湛水試験
                      上の写真は国道(452号線)に架かる歩道橋からの撮影したものです。30年でこうなりました
                      この国道452号線は写真左奥の高台に付替道路もできて今は通行止めです。
                    歩道橋も撤去されました、2014年秋、右側の街は水没しました。


2014(H26)4月 シューパロダムの湛水試験が始まり水位が上がってきました。11月にほぼ満水になりました。
【写真 下左】 千年町から常盤町に渡る鹿島橋まで水位が上がってきました。
【写真 下中】 旧道の明石橋。橋の左側にある旭沢橋梁は既に水没しています。
【写真 下右】 千年町のキリ助は胴体まで水没しました。301.5mのサーチャージ満水位です。
鹿島橋 2014(H26)年4月 水位267m 明石橋 2014(H26)年8月 水位290m キリ助 2014(H26)年11月 水位301.5m



学校 写真の学校はもちろん1軒の家もありません。

 私は独身時代ダム式の水力発電所に勤務していました。季節により上流からの流木が溜まり除去作業は危険でした。
  たしかに木造住宅の廃材はダムにとってはこまり物ですがコンクリートの建物まで解体することはありません。
 ダム建設には反対した村もありました。地元役場は渇水時ダムから見える所に鉄筋コンクリート3階建ての役場を作りました。
  (抗議の意志を込めて水没する場所ではあっても渇水期には水上に顔を出します。新聞写真ても有名です)
 また、ダムに沈む鉄筋コンクリートの小学校の解体をこばみ残した村もありました。


     『私たちが この学校のさいごの生とです おもいでありがと  思い出いっぱい、そして永遠に・・・

 水没しない廃校は荒れさせられますが水没するなら思い出を消し去る解体をしなくてもよかったでしょう。
毎日の生活をしていた家が無くなっても寂しいのに、思い出の詰まった鉄筋コンクリート造りの小学校校舎を解体したんでしょう。
 

鹿島小学校
鹿島東小学校  我が国有数のマンモス校になった鹿島小学
校を分割するために新設されました。
 

 幾多の変節を経てまた鹿島小に統合しまし
た。
鹿島中学校
夕張東高校 明石町駅の上の高台にあった高校です。

校舎の奥の山際に付替の新国道ができました。


大夕張鉄道の駅、三菱バス
大夕張鉄道
大夕張鉄道の駅


夕張炭山駅
大夕張駅


炭山駅から1.4km
千年町駅


炭山駅から2.2km

明石町駅


炭山駅から3.6km

シューパロ駅


炭山駅から7.0km

南大夕張駅


炭山駅から9.6km

遠幌駅


炭山駅から13.1km

清水沢駅


炭山駅から17.2km
1987(S62)年の清水沢駅



三菱バス 1959(S34) 三菱バス車庫

 前方は鉱山病院です。国道はまだ未舗装です

大夕張炭鉱 大夕張鉱山
炭鉱病院





南大夕張
南大夕張炭鉱 シューパロダム方向から清水沢方面を見ていま
町並み 正面がシューパロダムとシューパロ湖

大夕張(北部)はシュウパロ湖畔左の10km先





松尾鉱山 「雲上の楽園」、「雲の上の都市」

 最盛期の昭和30年頃には約4,500人、家族などを含めた鉱山の人口は約15,000人まで増えました。
 会社用度部の売店、学校、総合病院はもちろん会館など施設がありました。

昭和44年11月には採掘と精錬を中止し、事実上閉山しました。この時の従業員は約1000人でした。
松尾鉱山鉄道(1972(S47)年廃線)




松尾鉱山 天空の街





地図から消えた村
岐阜県 徳山村
 徳山村は福井県に接する揖斐川(いびがわ)上流の村でした。数年前巨大な徳山ダムで1集落を残して水没しました。





旧徳山小学校 既に徳山ダムは貯水を始めています。

高台の小学校まで水が迫ってきました・・・

















2015-11-01