C 三種の土
鉄分 染屋土(12%) ≫ 備前平池土(4%) ≫ 本城土(1%)
収縮率 染屋土(24%) ≫ 備前平池土(15%) > 本城土(21%)
耐火度 本城土(1300℃) > 備前平池土(1280℃) ≫ 染屋土(1200℃)
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染屋土 本城土 備前平池土
これらの特性を考慮し、焼き上がりの肌合いを念頭に置いた形作りを心がけています。焼き物づくりを初めて、大内、寒風、平池などの備前土を用いてきましたが、その土の良さは誰しもが認めるところ、産地として長い間興隆していたことからもわかります。今挑戦している染屋土、本城土は扱いにくいけれども、その性質はきわめて個性の強いもの。これからも大切に育てていきたいと思っています。
巡り合った上田市染屋土、戦国の武将が用いた、時代を感じさせる土。降りかかった灰と1300℃で溶け始める土との融合、またそれが、あぶりの時に、切れた隙間を埋めてくれます。染屋土の作品は、実際に使えば使うほど味が出て、化けます。鉄分が極めて多いせいではと、勝手に思っています。
本城土も、ものになるまで10年くらいかかりました。染屋土もまだまだこれからと思っています。
「染屋土」は親の導きが悪いのか、なかなか言うことを聞いてくれません。長い目で見守るという、寛容な気持ちが必要なのかもしれません。「本城土」は
地表に初めて抱き上げた親の思いが伝わったのか、最近はよく懐いてくれています。「備前土」は、多くの親たちが育て上げただであって、ちょっことのことではびくともしない、その堂々たる性格はさすがです。
江間 廣の焼締め陶
D 花生
山野草の似合う花入れが好きです。手び練り成形、たたら成形、刳り抜きなど作り方、かたちも自由です。刳り抜きの花入れや注器は、自分のイメージした土の塊をまず作り、それを二分割、三分割して、その中を刳り抜き、またくっつけて、作ります。
最初から、最終形を目にすることができるので、土をペンペンしながら、好きな形、塊にするときは、とても楽しい行為です。これはダメ、これもダメと何回も壊しては、土を練り直します。その繰り返しの中で 自分の感性が試されている気がします。
C 茶碗
染屋土主体の土を用い、火前の正面、一番灰がかかり、温度帯が高いところで焼いています。窯焚き最終段階の3〜4日、高温をキープすることによって、 ゆっくり融かすので、降りかかった灰の溶ける様子が、器によってはチジレの跡として残ります。耐火度がそれほど高くなく、生地自体が溶けて灰と融合していく過程が映し出された器肌は、私のお気に入りです。自然釉が浮く備前の土とは、
また一味違ったものとなります。
お茶を立てる方から、使いやすい、お茶が映え、喜ばれるとのお言葉をいただき、やっと茶碗らしくなってきたのかと、最近うれしく思っています。
B 皿
削ぎ皿、たたいた陶板を赤貝などの二枚貝を使い、削いでいきます。
貝の種類や大きさ、削ぐ量、強弱、直線・曲線により、その表情は
大きく変わります。板に顔を寄せて、削ぐ、その感触は気持ちのいいものです。
@ 染屋土
染屋焼は、27年前、現在地に移住することを決めたとき、その存在を初めて知りました。上田市立博物館の館長さんにお願いして、染屋台地の土を
掘らせてもらい、窯で焼くことができました。そうこうしているうちに地元本城村からも焼き物になりそうな土が見つかりました。ここに住んでいるのだから、
まずは本城の土を何とかしようと、その後二十数年取り組んできました。12年ほど前、染屋焼を再興したいと上田市から依頼を受け、その際に大量の土を入手することができました。旗振り役の助役さんが退任になってしまったため、そのプロジェクトは休眠状態になってしまいましたが、以前から惚れこんでいた土に再度で会え、本格的、精力的に取り組んでいます。
「染屋焼」は、昭和8年まで西澤家が上田染屋台地の土を使い、穴窯や登り窯で、大きな瓶などを焼いていました。その後、途絶えて現在に至っています。その土に惚れ込み、一大決心して焚いた12年前の窯は、ほとんどすべてを染屋土で焼いたのですが、作品の7割ほどが割れてしまいました。
徳利などは、100本作ったのですが、残ったのは3本だけ。陶板などの板物、また壺類は全滅と散々な結果に終わりました。現存している染屋焼は、
きわめて肉厚、そのほとんどが瓶類で、袋物や陶板、そして薄手の物はありません。収縮率が極めて高いため、そのようなものしか恐らくできなかったのでしょう。
染屋土の特徴は、鉄分が極めて多く(12%)、また収縮率が著しく高い(24%)。一般的な常識では、焼き物にはあまり適さない土です。しかし、試掘して、
試験焼きしたとき、偶然にも焼けた徳利、その器肌に惚れ込んでしまいました。収縮が大きいため、石がはぜやすく、鉄粉の固まりが浮き出てきます。
さらに鉄分のおかげで、枯れた赤褐色が器面を覆います。使い込むと、変化の度合いが早く、とても色気のある土です。
まだ地表の環境に馴染んでいないのか、さらす時間がもっと必要なのかもしれません。収縮の大きさを補うため、なるべく高台の小さいもの、逃げ場を
作るために口がひろがったものを作るなど、工夫をしています。
以前は歩留まりが3割程度の染屋土、それを克服する中で、7年ほど前、水分、湿気に極めて敏感であぶりの時期にその多くが割れてしまうことがわかりました。従来のあぶりの時間を倍に、3日程かけて極めてゆっくりと100℃までもっていきます。さらに、本当はしたくなかったのですが、性質(収縮率、
鉄分、耐火度)が全く正反対の地元本城土を加えることによって、歩留まりが7割程度と改善されました。焼き物づくりを初めて、今まですべての作品を
単身で作っていた私の思いに、反することになりますが、現時点ではやむなしと自分に言い聞かせています。とはいえ、純な染屋土単身で焼く模索は
捨てきれず、これからも挑戦が続きます。
土・窯・成形
土は自然からのさずかりもの、自分の子供を育てるように、大事に育みたい。それぞれ持って生まれた個性、その良さを発見し、
最大限発揮させてあげたい。「どんな土でも焼き物になる」「省力化、簡略化しないほうがいいい部分は、できるだけ古来の方法で
取り組む」、この二つを信条にしています。
どんな土でも焼いてみなければわからない。焼けなかったら焚き方を変えてみる。それでもだめなら、その土にあった窯をつくればいい。なるべく原始的なやり方のほうがいいのではないかと思い込み、時間と体力の許す限り、そのような方法で取り組んでいます。
土は、市販の陶土は一切使わず、採掘した土をすべて手作業で粘土化し、また、土錬機を使わず、手で練って仕上げています。
現在使っているのは、上田市染屋台地で採掘した「染屋土」、私の住む筑北村本城地域の「本城土」、備前「平池土」の3種類が
主です。他に備前にいた時に取得した「備前寒風土」・「備前大内土」も残っており、老後の楽しみにとってあります。
2. 道具
道具は 、いつの間にか、ほとん自作自前の物になりました。道具を作ることも、とても楽しい作業です。線刻する道具について、ツゲの櫛と貝の波紋、どちらを使うかと問われれば、貝の波紋jを選びます。人の手によって均等に作られた櫛目より、不均衡な貝の紋に自然の力を感じます。弥生や須恵器の線紋も貝などを使っていてのではと、思っています。金属の道具は、できるだけ使わないように、木や竹で作ったへらなどを主に用いています。土離れがいいのと、削り後の器肌の自然感が好きです。
1. 形
@ 貝形の器
ホッキ貝、平貝、白貝、ホタテ貝などを用いて、小鉢や皿を作る。赤貝を押し当てて作った豆皿や、
赤貝のひだで線刻した作品を作っていましたが、最近は、気に入った貝の輪郭、波紋を生かすため、
貝の形状そのものを土に押し当てて、作品化しています。海の中、波と砂と戯れた貝たちの自然美、
大好きです。これらの貝は、個展で知り合った、貝専門割烹の料理人の方から、大量にいただきました。
感謝です。
A 注口器
お酒を注ぐ器を毎年2,3点作成しています。
我が家では、毎晩登場するものなので、楽しく、機能的な形を考えています。.
母体に似合う、口、蓋などあれやこれやと付けては思考しています。
また、香炉や蓋物を含め、遊べる作品を作ることは、楽しみです。
二号窯
1998年に地元本城土を焼くために、還元用の窯を築きました。2基目ということもあり、3週間ぐらいで完成しました。天日干し煉瓦を使いたかったのですが、手に入ず、一般に普及している耐火煉瓦のB級品を用いました。全体的には一号窯と基本構造は同じですが、傾斜を10度ほどに抑えたり、窯後部を絞り込むなどの工夫jをして、還元焼に、より適したものとしました。窯本体の長さ6m・煙道部分6m。主に本城土を用い、須恵器風の焼きを求めて、一週間かけて焼成しています。最近は、染屋土の作品も多く入れています
一号窯
1994年、3か月かけて、古い窯の廃材(日干し煉瓦)で、12mの穴窯を築きました。構造は、半地下式穴窯で、窯本体が12m・煙道部分6m、
全長は18mになります。焼成部分は高さ1,7m・幅2.0m、作品を入れる部分、高さ1.5m・幅1,5mです傾斜は18度、煙道はそれより多少きつくなっています。酸化焼成をねらって、傾斜度・煙道の工夫や窯底を無段にするなどして、なるべく明るい色が取れるように心がけ、築きました。
以前は、備前の土を用いていましたが、最近は、主に染屋土を用て11日間、最初から最後まで、松割木のみで焼成しています。また、火盾に使うサヤの中には、白い器肌に緋襷がかかることをねらって、耐火度の強い本城土を使うこともよくあります。
A 本城土
25年ほど前から、本城土に挑戦しています。村に移り住んだときは、「ここの土で焼き物なんかできないよ」と言われましたが、何とか作品らしくなったきた気がしています。
備前の土と比べると、鉄分は少なく、砂分は多く、耐火度はかなり高いです。また成形も比較的しやすく、泥ショウを用いる細工物などにも適しています。
土の特性を生かすため、還元専用の窯を作り、須恵器風な仕上がりを期待して取り組んでいます。
本城土と染屋土、私に与えられたこれらの土の良さを最大限に引き出し、またそれぞれの土に合った形を生み出して、使っていただく方々と共に
喜べるよう、研鑽していく覚悟です。
それぞれの土の特性について
U・ 窯
初めての窯作り、文献とか、窯作りの現場を見た経験などから、簡単な設計図を作り、見よう見まねで築窯しました。竹を組んで枠組みを作り、その上にむしろを敷き、その上に煉瓦を載せます。当時、長男が中学生、娘二人が小学生、竹籠の紐を結んだり,煉瓦を運ぶなど、貴重な戦力でした。今でも土壁の上に三人の手形が、記念にと押されたまま残っています。
V. 成形
茅葺の家に行くと気持ちが落ち着くように、昔の農具、馬具、織具、楽器、仏具など、用と美を兼ね備えたものに魅力を感じます。
また、中近東の造形物も好きです。
江間さんの焼き物には古びた肌合いを感じると言ってくれる人がいます。備前の陶芸センターで2年間勉強しただけで、すぐ独立。師を持たなかったために、土の作り方、窯の作り方、焼き方、成形の仕方など、自分なりに考えてきました。古い産地などでは、焼成方法などほぼ確立されてものがあるのでしょうが、本城土そのもの、またその焼き方は未知の世界。古の人が土から焼き物に仕上げたと同様の試行錯誤を、私も多少なりともしてきたのかもしれません。
日常生活に欠かすことのできない食べるということ、どうせなら料理をおいしく食べたい、酒をうまく呑みたい。自分が使いたいと思う器を作りたい。七輪で焼いた秋刀魚を、丸ごと一尾盛りたい。茶碗蒸し、冷ややっこを美味しく食べたい。盛るものを考え、かたちを作る。逆にかたちが浮かび、盛るものを考える。両方のような気がします。
あたりまえのことですが、重さのバランス、おさまり、触れた感じなど、用途に応じ考えます。それに合わせ土を作り、かたちを作り、削り、そして窯内のその器に合った場所で焼きます。奇をてらわないシンプルなものが好きです。家内があったらいいなあ、作ってほしいなという器も結構多いです。