『日本における戦争と石油』 巨ホ油評論社発行 1986年刊
本項目の原本は終戦直後米軍の調査団の作成したものです。通訳、説明人として専門家も同行しています。 |
戦勝国の調査団なので偏向している解説もありますがアメリカ式合理的な調査結果です。
1 精油施設爆撃に使った500ポンド爆弾は大きすぎて無駄であり100ポンドないし200ポンド爆弾で充分だったと結論付けています。
2 枢軸国ドイツとも比較していますが総じて日本の戦争に対する姿勢には批判的です。ドイツは精油施設は良く訓練された消火、修理、救護班かあり重大な被害を受けてもすみやかに復旧した反面、日本は試験的な爆撃の被害でも修理は放棄していたとのこと。
これは行政の妨害ともいえる非協力も原因ではあったがなにより原油が枯渇していて施設の再稼動をする気は官民ともなかったのです。
行政機関の被災後の復旧、再稼動の検査も平時と同じで些細な不備も黙認せず製油所の稼動を許しませんでした。
調査報告書としての本分をわきまえ主観を排してあくまで客観的に石油の供給と需要、製油所施設の稼動状況
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無知・無能・無責任な戦争指導者 のページ
原油備蓄量、国内生産量、輸入量 のページ
空母や戦闘機の燃料消費量 のページ
戦時の石油情報 のページ
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【参考資料 1-1】 |
1 JOGMEC特別参与 岩間敏 戦争と石油(1) 太平洋戦 http://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/0/652/200601_045a.pdf
2 当時は40隻保有 戦前の日本の大型主力タンカーは15,000トン級
サンペドル丸、さんちえご丸(戦後まで生き残った唯一の大型タンカー)、さんるいす丸第一小倉丸、第ニ小倉丸、さんらもん丸(メートル法で設計し
た最初のタンカー)、川崎型輸送船として東亜丸、極東丸、東邦丸、日本丸、日榮丸など12隻
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【参考資料 1-2】 日本の軍事費率、GNP
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対GNP比 |
対国家予算 |
GNP |
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昭和9年 |
- |
43.5% |
- |
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昭和11年 |
- |
- |
100とする |
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昭和12年 |
- |
68.9% |
123.3 |
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昭和13年 |
- |
- |
127.3 |
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昭和14年 |
- |
- |
128.5 |
GNPがピークで以下鈍化する |
昭和15年 |
17% |
- |
120.9 |
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昭和16年 |
23.1% |
70.9% |
122.7 |
4月からコメ、日用品の配給制始まる |
昭和17年 |
30.2% |
- |
124.4 |
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昭和18年 |
46.2% |
- |
124.4 |
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昭和19年 |
63.8% |
78.7% |
119.8 |
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昭和20年 |
- |
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