戦時の石油状況






1938 アメリカの”高級揮発油(100オクタンガソリン)”の生産量 2億7千万ガロン(108万kL(15p欄外)我が国は航空機燃料の100オクタンガソリンは徳山燃料工廠のみで少量生産していただけ
1939 アメリカでは生産過剰の航空ガソリン(100オクタン)を自動車用ガソリンに混合させたので自動車用ガソリン価格低下して社会問題になる


1940 対中国戦争で油の消費が増して在庫量は差引42万kLのマイナス これは年間精油量の10%相当
1941 国内の原油生産量 4,000bre/日(64kL/日)でアメリカは400万bre/日(64万kL/日)の1/1,000 アメリカの生産量の0.1%
  国内1bre/本dayが4,000本 アメリカ10bre/本dayが40万本  『不適切な原油採取で最大回収量を妨げた』 (23p)

6月 オランダ領東インド(現インドネシア)からの原油輸入のオランダ政府との交渉決裂 (15p欄外)
夏 アメリカとの通商交渉決裂
11月 アメリカとの通商交渉決裂
自動車ガソリンの民需用は前年の632万bre(101万kL)から1/4の158万bre(25万kL)に削減 (37p)
 民間の交通機関廃止 『木炭自動車』

12:月 ハワイ真珠湾攻撃 日米開戦
1942 4月 ドーリットル空襲
6:月 ミッドウェー海戦 大和以下戦艦7艦は後方待機、攻撃主力の正規空赤城、加賀、飛龍、蒼龍 沈没     

1943 1月 航空燃料不足のためテスト飛行は元来の2時間から1時間に削減された 
    1時間のテスト飛行の必要が無い時は直ちに着陸させた (各務原飛行場司令官油井陸軍少将) (67p)
この年から海軍の戦闘行動は原油備蓄量を割り込まない範囲とした⇒原油が輸入できたら戦闘をする。(web)
年末 航空燃料不足のための教育を開始した (第47航空部隊兵器将校 千葉少佐) (67p)
1944 初期 燃料供給の制限のためパイロット訓練時間の削減が深刻化した (第51航空部隊林参謀長)
 本来は100時間の基礎訓練が40時間になり作戦訓練は30時間に短縮された (第51航空部隊林参謀長) (67p)

6月 マリアナ海戦(会戦の書籍あり) 正式空母大鳳、翔鶴、飛鷹 沈没 戦艦は後方支援
 空母護衛役の第2艦隊(栗田健男司令長官)は燃料不足のため後方待機せざるを得なかった
 主力北方空母艦隊(小沢治三郎長官)は燃料節約のためサイパン直行せざるを得なかった
  艦隊の巡行は18ノット(2,500マイル)、敵軍と接触時は20ノットで24時間、決戦時は全速力で12時間、追跡は24ノット12時間の制限
夏 重油不足のため北方艦隊は本土近海、第2艦隊は南方へと分離せざるを得ない
10月 フィリピン沖海戦 (レイテ沖海戦)
 レイテ湾の栗田艦隊の敵前退避は燃料不足のためであった(田中海軍少将、栗田長官)  (65p)
 巡洋艦隊のスリガオ湾に遅れたのは燃料節約するため最高燃費の速度で航海してきたので数時間遅刻した
 戦艦空母伊勢と日向は3隻の駆逐艦を伴い本土から出撃したが燃料不足から戦闘に参加せずシンガポールへ避難した (65p)
航空燃料の質が悪くなる
 訓練部隊はガソリン50%、アルコール50%となる (大阪補給廠指揮官 田中陸軍大佐)
 更にガソリン20%、アルコール80%となる (大阪補給廠指揮官 田中陸軍大佐) (68p)

満州国も燃料を本土に移送したので厳しい燃料不足になった (第3空軍参謀長(在中国)中西陸軍中将) (68p)
 キ9(立川95式練習機 通称赤トンボ)きアルコールを混合させた。
 キ27(中島97式戦闘機) にアルコール混合以後全機アルコールを混合させた。(第3空軍参謀長(在中国)中西陸軍中将) (68p)
 燃料の質低下により航空機の損失が増した。近距離移送で10%、海上飛行で30%喪失した。
1945 初期 パイロットの戦闘訓練は中止して教官機を追随させるだけになった (第51航空部隊林参謀長)
 飛行機は燃料不足で飛行時間は月2時間いなすと制限された。よって3週間で1回の飛行となった(第13海軍航空部隊参謀将校大野少佐)
 飛行機の整備も毎日飛行できる状態にする試みは無くなった
 基地から戦闘基地まで空輸できたのは20%、70%は敵に撃墜、のこり10%は期待の故障とパイロットの操縦ミス。
  (第13海軍航空部隊参謀将校大野少佐) (67p)
パイロット数は確保できたが燃料不足で活用できなかった (第10航空部隊参謀将校 トガ少佐)
2月 燃料不足のため12,000トン/月以上使う戦闘艦は全て休航することにした 戦艦榛名、空母葛城、空母天城など
 要員と燃料が極度に不足して艦船を使用する意図き全く無かった。 (田中海軍少将) (67p)
4月 航空燃料不足のためパイロットの訓練時間は月8時間に制限  (第51航空部隊林参謀長) (67p)
   戦闘基地はB-29の攻撃以外はどのような攻撃を受けても反撃は禁止となった。(第51航空部隊林参謀長) (67p)
   訓練基地の航空燃料は全てアルコールとなった (大阪補給廠指揮官 田中陸軍大佐) (68p) 
 キ9とキ86は始動時はガソリン以後アルコールで可、キ43は80%ガソリン要
燃料の質低下により航空機の損失が増した。
沖縄会戦 (戦艦大和の満載燃料は6,300トン) (昭和二十年四月六日)燃料廠の日誌には残量(重油)は、1万5,000 トンと記録されており、日本に
残っている重油の三分の一を超えている。どのカラのタンクにも普通のポンプで届かない底の方に、約200トン残っている。これを手押しポンプで
汲み出した。(web)
 沖縄会戦のため戦闘艦を終結させる2,500トンの重油確保も困難を極めた (66p)
 戦艦出撃のため国内のタンクに残っていた重油を回収して7,000トン集めた (66p)
 出撃戦艦を切り詰めて20ノットで沖縄往復プラス戦闘4時間分。 (66p)
 沖縄決戦の後はB-29の攻撃を含み全ての反撃は禁止された。
松代大本営と皇居
 松代大本営に陸軍19万bre(3万kL)、海軍12.6万bre(2万kL)の航空ガソリンを確保
5月上旬 米内首相 我が国は滅亡寸前であった