原油備蓄量、国内生産量、輸入量





【資料 1】『単位換算値 1ber(バーレル)=160L(リットル) 1万ber=1,600kリットル=0.16万kL(kリットル) 
                  1万kリットル=6.3万bre
                  1ガロン=3.8L=4リットル 1万ガロン=4万L=40kリットル
 
【資料 2】 1965(S40)年の原油輸入量 150万ber/日=55,000万ber/年 (資源エネ庁年次報告書)
       1973(S48)年(ピーク年)    500万ber/日=182,000万ber/年 (〃)
【資料 3】 日米国力差 1941(S16)年

日本 アメリカ 対米比 備考
原油生産量 (万ber/日)
0.5
383.6
1:760

人造石油生産量 (万ber/日)
0.3
0
-
アメリカは人造石油を必要でなかった
原油精製設備能力 (万ber/日)
9.1
465.8
1:510

原油精製量 (万ber/日)
4.9
389
1:80

油製品在庫量 (万ber)
4,300
33,500
1:7

職員一人当精油能力 (ber/日)
4
53
1:13



【資料 4】 陸軍のアメリカ現地調査結果 1941(S16)年3月

開戦前に『日米の工業力の差は1:20、化学工業力の差は1:3』、さらに対米英との経済戦力の差は1:20と把握していた。
 軍の戦闘力を開戦当初を維持するためには工業力の比率が1/20なのでアメリカ軍には日本軍の20倍の損失を与え続けることになる。
 


アメリカ
日本の対米比
備考
鉄工生産量 (万t)
9,500
1:24

原油精製量 (万ber)
*11,000
1:80
*印 誤記と思われる。上記の表だと142,000万ber
石炭生産量 (万t)
50,000
1:12

電力 (万kW)
1,800
1:4.5

アルミ生産量 (万t)
85
1:8

航空機生産機数 (万機)
12
1:8

自動車生産台数 (万台)
620
1:50

船舶保有量 (万トン)
1,000
1:1.5

工場労働者数 (万人)
3,400
1:5


上表のように子供でも分かる国力差が判明したのに海戦に突き進んだのは、
 1 戦争が長引けばアメリカ国民には厭戦気分が蔓延し停戦和平を望むだろう。
    (厭戦気分は自国が侵略に向かう戦争なら起きるだろうが自国を守る戦いなら必死で戦うのが自明)
 2 ヨーロッパではドイツが処理するだろう。
 3 南方の資源地帯を占領すれば資源の無いわが国は戦いつづけられるだろう。など
【資料 5】 航空機用ハイオクタンガソリン
 米国は全てオクタン価100。余裕があったので自動車用にと民間に放出したら値崩れして社会問題になったほど。
 国内ではオクタン価100ガソリンは海軍燃料廠で試験的に成功したが実用化できず(S11)。
 米国から輸入した100オクタンガソリンの備蓄は2.7億ガロン(108万kリットル)
 国内では航空機用がオクタン価86.。自動車用はオクタン価71ないし76.

西暦 昭和   





         
1910 M43 朝鮮併合



1932 7 満州国建国
1933 8 国内の民間精油能力 3.28万bre(5,200kL)
1934
石油業法、石油独占販売法公布
1936 11 オクタン価86のガソリン製造開始 (アメリカの航空機用ガソリンは100オクタン) (戦争と石油)
1937 12 日中戦争(シナ事変)開戦
この年国内原油生産量のピーク 247万bre(40万kL) (24p 25pに年毎の表)
 『247万berは1968(S43)年の1日分の輸入量()250万ber/日に相当する量』
1938 13 4月1日 国家総動員法公布 
アメリカの”高級揮発油(100オクタンガソリン)”の生産量 2億7千万ガロン(108万kL(15p欄外)。(戦争と石油に同文有)
 






1939 14 我が国政府は日中戦争のため石油は国内生産量の40%を消費していることが判明。在庫の激減に驚愕
アメリカの”高級揮発油(100オクタンガソリン)”の生産量 3億3千万ガロン(132万kL)で生産過剰ぎみ(15p欄外) 
国内の原油を含む備蓄量5,500万bre(880万kL)(17p)
1940 15 国内原油の在庫量1,990万bre(318万kL) 油製品の在庫量 2,968万bre(475万kL) (19p)
液体燃料と潤滑油 前年残 2,968万bre(475万kL) 本年生産量2,592万bre(415万KL) 消費量2,858万bre(457万kL) (55p)
 【差引42万kL(年間精油量の10%にあたる)のマイナス】
原油と石油製品の合計輸入量 3,716万bre(595万KL) (17p.19p) 
潤滑油100万bre(16万KL)輸入 (19p)
自動車ガソリンの民需用632万bre(101万kL) (37p)
製油所職員一人当たりの製油量 8.18bre/日人 (56p)
1941 16 国内の石油(原油を含む)備蓄量4,300万bre(688万kリットル)(17p)
6月 オランダ領東インド(現インドネシア)からの原油輸入のオランダ政府との交渉決裂 (15p欄外)
夏 アメリカとの通商交渉決裂
11月 アメリカとの通商交渉決裂
国内の民間精油能力 6.68万bre(1万kリットル)(1933(S8)の2倍) (23p)
国内の原油生産量 4,000bre/日(64kL/日) アメリカは1,000倍の400万bre/日(64万kL/日) (23p)
 油田油井の産出量 国内1bre/本day アメリカ10bre/本day (23p)
国内人造石油の年間生産量のピーク 122万bre(20万kL) ほぼ半数は満州内 (27p表)
自動車ガソリンの民需用158万bre(25万kリットル)に削減 (37p)
1941年この年の原油精製能力8.8万bre/日(1.4万kリツトル)、実原油精製量4.2万bre/日(7千kリツトル) 稼働率50% (60p表)



1942 17 1月の備蓄量 航空ガソリン 425万bre(68万kリットル)、自動車用ガソリン 104万bre(16.7万kリットル)、
         重油2,175万bre(348万kリットル)、軽油 62万bre(10万kリットル)、潤滑油 53万bre(8万kリットル) (19p)
6月のミッドウェー海戦で海軍だけで30万t(33万kリットル)の重油消費した
精油量は9万bre/日(1.5万kリットル/日)これは国内原油生産量(4,000bre(600kリットル))の17倍 
 1製油所平均精油量は3,000bre/日(480kリットル/日)、日本の総精油能力はアメリカの精油所の20位以下の製油所並 (20p)
国内製油所技術者4,000名南方に派遣したので国内の精油所の機能低下した (53p)
1942年この年の原油精製能力9.4万bre/日(1.5万kリットル)、実原油精製量3.7万bre/日(6千kリットル) 稼働率40% (60p表)
1943 18 戦時中の国内産油量 189万bre(30万kL) 
1943年この年の原油精製能力11.2万bre/日(1.8万kリットル)、実原油精製量3.9万bre/日(6.2千kリットル) 稼働率34% (60p表)
国内のドラム缶不足(15万個)解消のため精油所の貯蔵タンクの分解を始めた (55p)

製油所職員一人当たりの製油量 3.25bre/日人に低下 1940年の40% (56p)
1944 19
1944年この年の原油精製能力11.6万bre/日(1.9万kリットル)、実原油精製量2.4万bre/日(3.8千kリットル) 稼働率20% (60p表)

20 年頭 サツマイモからアルコール、アルコール製造のため砂糖の配給停止 植物油を潤滑油に 酒店から酒を没収 (56p)

3月 松根油の製造 3.7万個の蒸留釜 16リットル/日の粗油 『200本の松の木で飛行機が1時間飛ぶ』
    1ガロン(4L)の粗油をつくるのに2.5人日 目標は1.2万bre(19,000kリットル)を作るには125万人必要


1945 4月下旬 アメリカ軍の精油施設。貯蔵施設の爆撃開始 
5月 南方からの原油輸送は完全に途絶し国内原油備蓄量は皆無に近くなった
6月 松根油の生産 7万bre/月(1.1万kリットル)ドラム缶5万5000本に達した (57p)
8月 1945年8月 原油精製能力1.7万bre/日(3千kリットル)、実原油精製量4千bre/日(64kリットル) 稼働率3% (60p表)