◆ 岡田冠者親義を讃える会 (H20.9.29記載)
岡田地区でもあまり知っている人が少ないようですが、岡田の地名を冠した「岡田冠者親義」を顕彰する会を地域の有志で立ち上げました。
公表されている「尊卑分脉」などの系図本によると親義は清和天皇を祖とする甲斐源氏の支流で、正式名は「岡田冠者左衛門五郎源親義」です。詳しい事は分かっていませんが、ここ岡田郷、浅間郷は平安時代中頃から京都平野神社の社領(荘園)だった事から、領内の行政や徴税などを担った庄司だったものと思われます。
岡田冠者親義の名前は平家物語・源平盛衰記などにも登場し、当時は名の知れた有力な武将だった事が伺えます。治承四年(1180)木曾義中と共に平家追悼のため挙兵して、越後、越中の平家方と奮戦しながら京都へ向かう途中、木曾義仲が都に旗を立てる基礎となった、有名な倶梨伽羅峠の戦いで平家の武将平知度と組討して戦死をしています。
親義は岡田神社の近く、堀を巡らした館に居を構えていた事が解っていますが、現在は一般住宅などが建って史跡は分からなくなっています。最近岡田伊深に整備された慶弘寺公園の近くに親義の墓(と言われている)があり近くの人が代々守ってきています。
木曾義仲が最終的に敗北したため、敗者となった親義も歴史の中に埋没してしまい、詳しい歴史的経緯は分かっていませんが、歴史のロマンを感じさせる事として地域興しの一端にでもなればと思っています。当面は歴史的側面の掘り起こしや、こうした人物が岡田地域にいたことを地域の人たちに知って貰う活動から始めようと考えています。

◆ 定例会最終日 (H20.9.27記載)
九月定例会が終わりました。最終日に審議してきた議案が本会議で採決されましたが、今回は全ての議案について反対者が無く簡易採決(議長から「意義ありませんか」の発言があり「異議なし」の声で採決される)によって決まりました。一人でも反対者がいる場合は起立採決となりますが、記録をとっている訳ではありませんが今回のように全案件が簡易採決になることは珍しいような気がします。
一般質問では興味を引く問題が夫々の議員から発言されていました。
そのひとつに、何人かの議員が取り上げていましたが、副市長二人制の問題です。現在の坪田副市長の能力は充分認めながらも多少仕事を分散したほうが良いのではないかとの提案でした。市長は当面二人制を採用する考えはないようですが、場合によっては任期付き職員で対応したいとの含みを持った答弁がされました。
現在の副市長がどうと言う訳ではありませんが、一般論として二人制は検討に値する案だと思っています。副市長の役割は、私が担っている副議長職のように議長に何かあった時のスペア役だけではなく、現実には行政職員と市長との橋渡しの役目もあります。あまり大きくない組織ですから心配は無いかもしれませんし、費用の心配もありますが、そうした場合行政職員から市長への情報ルートが制度として一本に絞られる事はあまり好ましくないような気がしています。
市民からの請願も数多く出され、7本の意見書を関係機関に提出する事になりました。中でも、なんと言っても波田町民からの合併推進を求める請願が注目を集めました。これは結果的には継続審査となりましたので、議会閉会中も継続して審査していく事になります。行政では現在市民への情報提供をしている段階で、今後直接市民の意見を聞く事になっています。議会としてはもう少し後になるかも知れませんが、合併に対する議員夫々の賛否など考え方を明確にしなければならない時期が近々来るとは考えています。
閉会にあたっての市長の挨拶の中で、発足したばかりの麻生内閣の事を取り上げていました。前日の記者会見では小子化担当大臣や農水大臣の例を引き合いに出して批判していましたので、議会でどんな話をするのか聞き耳を立てていましたが、ここでは一般的な新しい内閣への期待感を表明しただけでした。まぁ、場所柄を考えたのだと思います。

◆ 市民の足確保 (H20.9.24記載)
総務委員協議会で理事者から市民の足の確保について協議と報告がありました。協議項目は「松本電鉄からのバス路線見直し協議へのへの対応について」で、報告事項は「西部地区での新交通システムの取り組みについて」です。
どちらも市民の足の確保に関する内容です。松電のバス路線見直しは路線廃止や大幅減便となるもので、減便はともかく廃線地域ではすぐにでも足に困ってしまいますので、市としては今後地域と相談しながらですが、最低限は市の負担で現行線を維持する方針です。西部地区で試行する新交通システムは住民アンケートをしてからコミュニティバスを1ヶ月間4路線を試行的に走らせるとの事です。
どちらも当面の緊急対応としては止むを得ないかも知れませんが、どちらも定時、定路線運行方式で根本的な解決にはならないと考えています。市ではバスに乗ってもらう事を前提に走らせるとは言っていますが、徐々に路線が減り、便数が減り、不便になるのにバスに乗る人が増えるとも思えません。PR次第で一時的には増えるかもしれませんが、基調は減少でジリ貧になるのは目に見えています。
そうであれば、新交通システムは定時、定路線運行にはこだわらず、需要の有る時だけ走らせるデマンド交通のほうが生き残る可能性が高いような気がします。最後まで自動車が使用できず公共交通が必要な人は必ずいますので、最小限そうした人の足の確保は行政が考えるべきです。
協議会でもそうした観点から意見を申し上げましたが、明確な答弁はありませんでした。まあ、西部地域での試行後そうした事も含めて検討するでしょうからしばらくは様子を見たいと考えます。デマンドは隣りの安曇野市が全国的にも先行していますので大いに参考にさせてもらったら良いでしょう。

◆ 合併推進の請願書審査 (H20.9.21記載)
先日のHPに掲載した波田町町民から提出された合併推進を求める請願書の審査が12日の松本市議会総務委員会で行なわれました。波田町との合併問題に議会がどのような結論を出すのか注目を集め、多くのマスコミや傍聴者が入り、それでなくても狭い委員会室が通路を歩けないほどの混雑の中で開催されました。しばらくなかったような活況を呈した委員会となりました。
ただ、議論は請願の提出に理事者側のとっているスタンスを巡って議会側から疑問が出され、その事への応答が主で請願の主旨である合併推進の是非にまで深く入る事はありませんでした。
委員から出された疑問は先に掲載した私のHPに掲載した内容とほぼ同じような内容ですが、請願権は国民に広く認められた権利であり、例え不満とする内容であっても市長といえども抑制すべきものではないとの主張です。理事者側は請願を持ってくるのに公用車を使用した事を捉え、請願は町民名義でも波田町行政は町民支援と言っているが、実はやらせではないかとの疑いから、議論はすれ違いとなっています。
私も総務委員会へ所属していて、請願本題とは少しはなれて、少し強めの理事者批判をしましたが、今回の理事者の行為は、多少市長権力からの市民の権利や議会への介入ではないかと感じ、副議長との立場からも市民の権利や議会を守る必要を感じたためです。
合併の是非についての議論は、現状理事者が市民の直接意向調査を検討している最中であることや、議会も特別委員会を作って調査研究を始めたばかりであり、結論を出すのは時期尚早との全委員の意見で「継続審査」に集約されました。議会としては妥当な結論だと思います。
議論の中では特別委員会と総務委員会との合同会議や請願紹介議員の意見を聞いてみたい、議員協議会を開催して全議員の意見を聞く事も必要などの意見が出され、議会として集約の通り継続して審査して行く事になります。
今回の一連のどたばたなど、大局を見ないで子どもっぽいとも思えるような騒ぎを見ていると松本市と波田町の行政間になんとなくお互いの不信感があるように思えてなりません。合併がなるにしても、破談に終わるにしても行政や市民・町民の間に深いしこりが残ってしまう事の無いようにしなければならないと考えています。もう少し行政としても風通しよく連絡を取り合って進めたほうが良いだろうと、任意合併協議会の設置を提案しましたが、理事者側には全くその気がないようですし、委員の賛同もあまり得られませんでした。思いつきで提案したので任意合併協議会と言いましたが、名前にこだわらず研究会でも協議会でも定常的にオープンの場で話し合える機会を持ったほうが良いとは今でも思っています。
まぁ、今回のことも新聞報道がなされ、多少合併に対する市民の関心が盛り上がったのではないかと肯定的に捉えています。最も悪いのは市民から見て誰が、何時、何処で、分からない内に結論が出てしまったと感じることです。議会としても、賛成・反対の議員間の議論を見え易くしながら、賛成・反対の立場を超えて、こうした事を積み上げる事で市民の関心を盛り上げていかなければなりません。

◆ 敬老会 (H20.9.16記載)
15日には地域で敬老会が開催され何箇所か招待を受けて出席しました。数が多いので出席と言っても、ほんのお祝いの挨拶をするだけで、慌ただしく次の会場に駆けつけるだけですが、中々お行き合いする機会のない方々の顔も見えて忙しいながらも良かったと思っています。
ただ以前と比べ松本市からの敬老会補助の対象が後期高齢者、75歳以上となってしまいましたので大分数が少なくなってしまったのは残念です。町会によっては町会費から費用を捻出して従来のままで敬老会を開催しているところもありましたが、殆どは75歳からになっていました。
挨拶の話の種にと出かける前に「敬老の日」のいわれを調べてみました。それによると
兵庫県多可郡野間谷村(後の八千代町を経て現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長と山本明助役が1947年(昭和22年)に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いた。これが1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がった。その後「としより」という表現は良くないということで1964年(昭和39年)に「老人の日」と改称され、1966年(昭和41年)に国民の祝日「敬老の日」となった。このため、「母の日」のように外国から輸入されたような記念日と違い、日本以外の諸外国にはない。
高齢者の記念日は諸外国にはあまり無いようですが、これもわが国の文化のひとつかも知れません。お年寄りを敬い大切にする。儒教の考え方が強いのかもしれませんが、こうした考え方はこれからも残していかなければならないものだと思います。
年金、医療、介護と最近は高齢者福祉が少し後退気味なのが気になります。少子高齢化が進んで、従来のままでは若い人の負担が大きくなりすぎる事は理解できますが、安心してリタイア後の生活ができるような仕組みを考えなければなりません。

◆ 波田町民からの請願 (H20.9.13記載)
新聞報道によると、今松本市との合併を希望している波田町の町民(合併を進める会)から現在開催中の松本市9月定例会に合併推進の請願書が提出されたそうです。請願書の内容を見てありませんので内容についてはまだ分かりませんが、今後議会の中で審議がされるものと思っています。
この事について報道では菅谷市長が不快感を記者会見の中で発言したようです。理由としては波田町が、松本市議会を通して圧力をかけようとしているのではないかと捉え、信義にもとるとの事です。
しかし、請願権は国民に等しく与えられている権利で、一般的に市民が自らの希望を行政に反映しようとする行為であって、合併を進める団体としては当然の権利であり、行為です。例え意に沿わないものであっても市長がそれを公式な場で抑えるような発言をする事には疑問があります。むしろこの機会に市民代表である議会の意見が聞けるチャンスくらいに考えたほうが良いのではないかと思います。
合併については議会の中にも様々な意見があって、今回の請願がどのような議論の展開になるのかは分かりませんが、様々な議論をするからこそ議会の良さです。市長として自分が決断するまで議会が議論する必要は無いと考えているとは思いたくありませんが、たとえそうであっても議会は議会として、必要な事を調査したり、議論を深めていく必要があると思っています。

◆ 9月定例会始まる (H20.9.11記載)
9月定例会が始まり冒頭菅谷市長の挨拶の中で注目をひいた項目が何件かありました。
ひとつは
福田首相の突然の辞任を「トップとしての責任のとり方として首を傾げざるを得ず残念」と批判とも取れる発言があったことです。内容については夫々の受けとめ方がありますが、おや!と思ったのは従来菅谷市長は中央の政治情勢については慎重に発言するほうで、一般質問で市長の考え方を聞かれてもあまり自分の思いを明確に発言することは少なかったような気がしています。今回は議員の質問に答えての発言ではなく、冒頭あいさつでの自らの意思による発言だったことです。
自民党総裁選挙が賑やかに行われていて、近いうちに衆議院選挙が行われるとの報道もあります。内容はともかく、こうした時期に中央の政治情勢について進んで発言するのは菅谷市長としては今までになかった姿勢のように感じられました。市長が自らの考えを明らかにするのは悪い事ではありませんが、何か心境の変化があったのかもしれません。
もうひとつは
バス路線について、従来慎重だった一部公費負担で路線を維持する事に踏み込んだことです。
アルピコグループの事業再生計画が進められていて、何路線かの廃止が発表されています。その中でも比較的需要の多い路線を公費を投入してでも維持する方針が示されました。
確かに該当の市民にとっては路線廃止は重大問題です。ただ、当面緊急の対応としては止むを得ないかも知れませんが、困っている市民は今回廃線が取りざたされている地域の市民だけではありません。今回の一部の廃線を踏ん張って維持してもそれで解決する問題ではありません。地域全体の公共交通をどのように考えていくのか、地域全体としてのシステムを作る必要があります。あまり小手先の対応だけに捕らわれて、全体が遅れてしまうことのないようにしなければなりません。

◆ 女鳥羽川の由来−その2 (H20.9.7記載)
以前のHPに女鳥羽川命名の由来について記事を掲載しましたが、それを補完する資料がありましたので再度掲載します。

この図面は岡田地区の研究者が他の資料を調査していて偶然に発見したもので、東京学芸大学 大河内障逸氏からの資料です。
承和9年(842)小野 篁が陸奥 守に任じられ赴任の途次、井更=現在の伊深)を通り、この地域を襲った大地震被害の様子を書いたものです。
小野 篁
承和9年3月10日
前堂田川の涸れた河原を歩み、塩辛子方に至ると深い侵食谷と山の如き瓦礫の瀬棚ができておりその卯方を前堂田川が曲流し、河谷状に深い侵食崖が於加田瀬棚の卯方を国府に向かって流れ下っていた。国府子方束間温湯は井抜井の湯そのもので央路は泥路沢と化け周囲の山塊は悉く崩れ地肌諸に現れ国府泥田に埋もれて屋根のみ伺える有様である。金伴氏の館へ未の刻に入る。館岡田神社本宮大烏居に潰されし、個所除き、しっかりしている。
承和9年3月11日
井更八幡宮を参拝するに広大な社地の大木なぎ倒され、社殿 拝殿 社務所 摂社 等殆どが崩壊した井更山の岩砕に埋まり、前堂田川畔まで土砂の山であった。山間沢に在りし釈迦堂、慶弘明寺ともその姿全く見えぬ如き有様である。錦服駅も塩辛子方五町あまりに在りしがその亥子方大方丸裸の如き岩砕に埋まり東山道本路支路とも、状況掴み難し。見聞の結果描画に纏め、伝令使に書筒とともに申・・・
これによると、841年頃この地を襲った大地震のよって伊深塩辛(場所は不明)地籍で押し出した土砂によって前堂田川の流路が大きく南に向きを変え、現在の女鳥羽川に近くなったと思われます。以前は図にもある元前堂田川で、岡田の西側を流れる、現在の大門沢川近くを流れていたものと思われます。
このときの松本地域を襲った大地震の被害が生々しく記録されています。

◆ 新工業団地と工業振興 (H20.9.2記載)
松本市では製造業、主に工業関係の振興を図るため、「新工業団地」の建設と昨年度取りまとめた「工業ビジョン」の具体化に向けての取り組みをスタートさせています。市からの説明によると新工業団地は、現在の新臨空工業団地の隣接地に、平成23年の秋に分譲開始の予定で進めているとの事です。進行状況が少し遅いのではないかと心配していましたがこの所、景気リセッションが始まり結果的として平成23年頃には次の回復期となる可能性が高く、タイミング的には良かったかも知れません。
現状での松本市内の企業が規模拡大のため用地を求めようとしても、市外の業者が松本市進出のため用地を求めようとしても「工業用地はありません、他の市町村へどうぞ」では問題があります。需要は景気動向に大きく左右されますが、資本主義社会では景気のうねりがなければ次のステップに進めないとも言われるように、景気の下降上昇はある程度容認しながら次のステップに備える事が必要です。
ただ、多額の投資をしますから、できるだけ早期に資金の回収を図る事も必要にはなります。しかし、、近年はその為の企業誘致が難しくなっているのも事実です。工業団地も一気に建設するのではなく、売れる見込みのついたものから建設するような工夫も必要かもしれませんが、何より難しくなった企業誘致に更に力を入れることが重要だと思っています。
企業が進出するためには土地や補助金などの支援策だけでなく豊富な人材供給力も必要でしょうし、従業員が暮らしていくのに魅力的な都市であることも重要なポイントになります。幸い松本市は自然も豊富ですし、暮らしてみたい都市では上位にランキングされています。ただ工業系人材に限っては人材供給力が高いとはいえませんし、内陸地である事からアクセスが余り良い方でもありません。
一気には行きませんが、こうしたメリットを更に磨きながらデメリットへの対応も図っていく必要があります。中でも企業の受け入れを行政や地域がどのくらい重要に考えているのか知って貰うのも企業進出のための決断の重要ファクターで、縁故に絡んだ進出例が多いのもそのためです。そうした意味ではトップセールスが効果を上げると言うこともできます。
最近企業誘致に関して、菅谷市長の記者会見などを聞いていると、企業誘致に対してかなり悲観的な考え方に傾いてきたのではないかと心配しています。社会の流れとしては企業が規模拡大したり、生産基地を新たに建設する事は少なくなってきていますが、それは国全体の平均的な流れであって松本市がその通りになって良い訳ではありません。地域間競争とも言われます。言い方は悪いですが、他地域を出し抜いてでも松本市の発展と市民生活の豊かさを勝ち取っていくほどの気迫も必要です。

◆ 美ヶ原ニホンジカ個体数調整広域行政連絡協議会 (H20.8.30記載)
美ヶ原高原のニホンジカの被害が深刻になり始め、松本市も含め夫々の地域ではニホンジカの駆除に取り組んでいますが、行政区に関係なく移動する野生動物には広域での対応が必要と、昨年の11月、長野県が主体となって関係行政機関で「美ヶ原ニホンジカ個体数調整広域行政連絡協議会」を立ち上げました。
第3回の会合ですが、行政関係だけでは中々実効が上がりませんので今回は美ヶ原牧畜組合と猟友会の関係者も参加する事になり、猟友会関係者として出席しました。
昨年までの捕獲実績の説明の後、今年の11月頃広域捕獲を実施する事が決定されました。夏場は牛が放牧されていますし、観光客も大勢来ていますので、危険があって駆除作業と言うわけにも行きませんので、牛を牧場から下ろし、観光客も少なくなる11月頃となったものです。
捕獲作業は猟友会が請け負う事になりますが、難しい仕事になりそうです。今の時期は新聞にも鹿の群れの写真が掲載されるように美ヶ原台上付近に多くの鹿が生息していますが、駆除を実施する11月には台上の牧草もなくなっていますので現在の場所にそのまま居るとも思えません。10月頃鹿がどのように移動するのか調査を充分にしないと有効な駆除はできません。行政には調査のお願いをしましたが、野生動物の生息調査ですからそう簡単にできるとも思えません。
有害鳥獣駆除は猟友会の社会的責任ですから依頼された以上は最大限の協力はしますが、始めての事でもあり、1年目から大きな効果は難しいと思っています。1年、2年掛けながら鹿の生息実態を調査し、理解しながら駆除作業を進めていこうと考えています。
ただ、この問題の対応を猟友会だけに任されても荷が重過ぎます。南信では囲い檻による大量捕獲も試行されていますが、牧場への柵の検討など様々な対策をとりながら対応をして行かなければ解決の難しい問題です。
猟友会としてどのように取り組んだら良いかこれから考えますが、11月の捕獲作業後には結果を報告します。

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松本市のこと

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