芦田勝弘の議会レポート

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◆ 防犯条例(案)の協議
(H18.2.8記載)

この条例案は昨年11月の協議会では様々な意見があり委員会での了承が受けられませんでしたので、市民からの意見を直接聞く作業をして、一部修正の上再度委員会で協議が成されたものです。

パブリックコメントの募集は市のホームページなどを通じて2週間ほど実施され、41件が寄せられました。様々な意見がありましたが、意見の多くは「監視社会や人権侵害につながるのではないか」との懸念と「条例では効果が無いのではないか」との疑問です。

11月の協議会では「人権問題」への懸念と立場は反対ですが「この程度の条例では効果に疑問」との意見で再度の検討が求められていました。

市が提出した再検討の案では設置する防犯推進会議の構成に「防犯に関係する機関又は団体」とあったものに「警察署をはじめとする防犯に関係する・・・・・」と、警察署を明記したことと、原案には無かった「公募者」を入れたことです。

長時間の議論となりましたが、最終的に委員長から全委員の意見を聞き、取りまとめを行いました。人権問題への懸念と更に慎重な議論を求めて反対したのは共産党所属の2人の委員だけで、他の8人の委員は多少不充分との思いはあっても、防犯運動の第一歩を踏み出す必要がある等から、本条例案に賛成がされました。これによってこの防犯条例は2月議会に提案されることになると思われます。

元々松本駅前の行き過ぎた客引きや暴走族行為などを心配する市民の声から検討が成されていた防犯条例ですが、この条例だけで全てが解決するとは考えられません。国でも改正が行われた「風営法」の行方なども見極めながら、必要であれば客引きなど個別の対策も今後検討が必要になると思っています。
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◆ 懲罰特別委員会が処分を決定
(H18.2.7記載)

以前の記事で紹介しましたが、吉江健太朗議員が他の議員を本会議の席で侮辱したとして、昨年12月に設置されていた懲罰特別委員会が2月6日に委員会としての結論を出しました。

それによりますと、本会議で吉江議員からの「他の議員から襲われた」との発言は事実無根で、懲罰に値するとの内容で、懲罰のランクは「陳謝」とすることに決まりました。今後委員会から議会に処分が提案され、議決を経て正式処分が決定することになります。

委員会での審議ポイントは@襲われた事実があったのか(これについては全会一致で事実は無かったことが確認されました)A処分の程度はどのランクにするか(規定の上では重い順に除名・本会議出場停止・陳謝・戒告の4ランクです)が審議されました。

@については全議員からの目撃情報を聴取しての事実確認が成されました。本会議退席時の事件で、目撃した議員は1/3程でしたが、そのような事実は無かったようです。そうであれば吉江議員がなぜあのような発言をしたのか意図は分かりませんが。

Aについては、私の会派では懲罰特別委員会の委員が会派へ持ち帰り意見を集約しましたが、その時の意見では「以前受けた問責決議のこともあり、本人が反省し、侮辱を受けた議員へ陳謝することが重要で、そのためには陳謝が妥当」との集約になりました。委員会でも一部に除名などとの強硬意見もあったようですが、概ね妥当なところになったと思っています。

これから委員会で吉江議員が朗読する陳謝文の検討に入り、2月議会で吉江議員への懲罰の議決がされれば本会議の場での陳謝が行われることになります。
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◆ 花いっぱい表彰式
(H18.2.5記載)

街を花いっぱいにする会が主催して、「花いっぱいコンクール」と「花時計公園花いっぱいフラワーコンテスト」の表彰式典が開催されました。
花いっぱいコンクールは地域や個人の庭園などでのガーデニングを審査するもので、団体・個人各15件の応募からの審査されましたし、フラワーコンテストはガーデニング愛好家が出品して花時計公園で開催したフラワーバスケットの優秀作品が表彰されました。

審査員の講評に寄ればガーデニングやフラワーバスケットのデザインも年々レベルが上がっているとの事です。こうしたコンテストは愛好家の励みにもなりますし、技術の向上は愛好家の裾野を広げることにもつながります。近年はガーデニングの愛好家が大分増えてきたように感じますが、花いっぱい運動発祥の街として益々花作りが盛んになり、街が花でいっぱいになることを願っています。

先日テレビの紹介でしたが、四国地域は全国でも飛びぬけてボランティアが多いそうです。その一つに花作りボランティアがあります。道路や公園など公共の場所を花で飾るためのボランティアです。元々この地域はお遍路さんを手厚く歓待する文化が息づいていて、そうした事もボランティアにつながっているのではないかとの事です。
行政でもただボランティアに頼るだけではなく、積極的に支援するための「ボランティア支援プログラム」等を持っていて、公共の場所の花作りも苗や資材を行政が提供することもあるようですし、道路作りの時から市民と一緒に検討する姿勢もあります。

近年はパブリックなことは何でも行政で、との考え方に慣らされてしまいましたが、行政に頼るのではなく、主導するのは市民との基本だけは忘れないようにしなければなりません。
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◆ 庚申祭り (H18.2.1記載)

今年は1月31日が今年始めての庚申(かのえさる)の日にあたり、浅間温泉の庚申(こうしん)祭りが行われました。私の地域でも庚申講の組織が残っていて、庚申仲間が集まって、初庚申の日にあわせて「庚申待ち」の行事を行いました。

最近は「庚申待ち」といっても親睦会の様相がほとんどで、昔のように仲間が集まって夜明けを待つようなことはありません。私の講でも浅間温泉で一日親交を深める程度ですが、庚申仲間としての絆のようなものは今でも残っていて、葬儀の時には手伝いを行うのが慣例になっています。

元々、庚申信仰が起こったのは、体内の虫が庚申の日に抜け出して、本人の悪事を天帝に告げ口するとの道教の信仰が平安貴族に広まったことが始めといわれています。(以前の記事参照)

浅間温泉でも毎年、だるまなどの露店が沢山出て、温泉街上げての庚申祭りを行っていますし、昨年から合併で松本市の仲間入りした梓川上野地区の真光寺でも庚申祭りが盛んなことで有名です。こうした信仰は他にも稲荷神社講や戸隠神社講など、様々な形で今に続いているものが数多く残っています。謂れや仲間の意味などだんだん分からなくなってしまいますが、できればそうした事を記録しながら残しておきたいものです。
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◆ 信州松本物産展
(H18.1.29記載)

松本特産品振興協会が主催して、松本地域の生産組合、販売協会などが協同しての物産展が井上百貨店の催事場で開催されました。ここでは北海道物産展、京都物産展など毎年他都市の物産展は良く開かれていましたが、地元の物産展は私の記憶では初めてです。

会場で担当者に聞いたところによれば以前にも開催した事は有ったそうですが、その時は入場者が少なくさんざんだったようです。しかし、今回は市民の関心も高く、連日大勢の入場者があるとの事です。私が訪れた時も、最盛期の時間帯は外れていましたが沢山の人でにぎわっていました。

こうした地元産品の物産展に大勢の人が集まるのは、一昔前と比べて生活環境も変わって来たのかも知れませんが、考えてみれば当然のような気もします。地元ではどんな物が作られていて、どんなものが名物になっているのか、分かっているようでなかなか知識には乏しいものです。特に近年のグルメ志向で地元の美味いものにはどんな物があるかと言うような情報には敏感な反応が有ります。

民間だけでなく、松本市や、新たに合併した4地区の商工会なども後援団体の入っていますから、行政の後押しも大きかったと思っています。こうした民官一体になっての地域活性化策は大いに期待したいものです。第一回と銘打って有りましたから今後も継続していくことと思いますが、大勢の市民に期待されるイベントの育って欲しいと願っています。
松本には観光客に薦める名物が見当たらないなどとの話も聞きますが、こうした中から松本産品の見直しが進むことも期待しています。

物産展のブースの中でも、私個人として最も興味を引いたのは、小池町が所有している舞台の修復を地元の漆器組合が請け負っている展示が有ったことです。漆塗りの復元といえば本場木曾へ持っていくのが普通でしたが、地元でもその技術を持っており、地元のためにやって見ようとの職人さんたちの心意気に感動しました。勿論困難な仕事もあり、技術的な指導も受けただろうとは思いますが、ただお金だけで解決するのではなく、自分達の力で作り上げるとの気持ちに、ものづくりの原点を見た思いがしました。こうした気持ちが残っている限り、我が国のものづくりには期待がもてます。

最近は金儲けだけが目的のマネーゲームがもてはやされ、人の価値がお金の軽重だけで計られるような風潮も有りますが、もっと別な物差しが有りますし、そうした考え方を取り戻す努力もしなければなりません。
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◆ 岡田地区の埋蔵遺跡 (H18.1.27記載)

岡田地区の歴史研究会と公民館が共催で開催した地域の埋葬遺跡についての学習会があり、興味がありましたので参加しました。講師には松本市の文化財課で埋蔵文化財の発掘調査などを担当している職員を招いて説明を受けました。

この地域は古くから人が住み着いた地域のようで、開発などで発掘調査が行われると、かなりの所から様々な遺跡が出土します。今回の学習会の対象は原始・古代で縄文・弥生・古墳・奈良・平安の時代です。

中でも興味を引いたのは、この地域の灌漑用水地に田溝池がありますが、その周辺で奈良時代から平安時代にかけての須恵器を焼いた登り窯の古窯跡が大量に発掘されていたことです。豊科カントリーの開発にあわせた発掘では17基の窯跡が発見されています。

またその窯跡から平地へ出る辺りからは当時としては超大型の掘建て柱建物跡や硯、住居跡なども発掘され、この地域が奈良時代には須恵器の一大生産地で大型建物はそれを管理する役所的な施設ではなかったかとの事です。

私の子どもの頃には、裏の畑でも土器のかけらや矢じりなどが沢山落ちていて、そうしたものを拾い集めるのも子ども達の遊びの一つになっていました。
縄文の時代には、どんな人達が、どんな生活をしていたのかなどに思いを馳せる事も楽しいものです。
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◆ 岡田財産区「山の神」の神事
(H18.1.23記載)

この地域では、17日は「山の神」の日とされ、山仕事をする者は何があっても山には入れない日とされています。もし禁を犯すと山の神の怒りに触れて事故の発生を招くと言われています。
謂れ等はよく承知していませんが、インターネットで調べてみると、日にちなどは地域によってまちまちですが、山の神様が山の木を数える日だから入ってはいけないなどと説明している地域もあります。これは高い山に神を見る山岳信仰とは少し違う、山での仕事を生業としてきた人々が山の持つ危険性や神秘性などから育んできた信仰で全国各地に見られるようです。

当財産区では毎年1月17日に神官を招いて安全祈願祭を催行しています。一年の山仕事の安全を祈願する神事ですが、招待を受けて参列をいたしました。

神事の後は新年会に入りましたが、話題はいつも山林経営の難しさになります。近年の輸入木材の低価格には国内産木材は太刀打ちできず、ほとんどどこの山林も経営的上は成り立っていないのが実情のようです。
当財産区でも過去の遺産を食いつぶしながら細々と山を守っています。行政からの補助を受け、森林以外の収入を模索しながら、なんとか山を守ろうと努力していますが、こうした地域の心意気だけで国土保全とも言える山を守っていく事には限度があります。全国どこでも同じような状況だと思われますが、国土保全や、温暖化防止でのCO2吸収の役目、水源の確保など総合的な視点での山林の役目を国民全体で考える時期に来ていると思っています。

もう一つの大きな問題は当地区でも松食い虫の被害木が発見されたことです。まだ一本だけ、それも庭木の松ですが、隣の上田地域で猛威を振るっていることを考えれば、松本市へ侵入してくることも時間の問題のように思えます。当面は早期発見で、すばやく処理をする事位しか対策の方法はありません。
松本市には市域全体で4人の監視員を委託してありますが、どうも手薄ではないかと感じています。合併により山林面積も増えていますし、もう少し監視体制の強化が必要です。

松食い虫は一度広まってしまえば対策の方法がありません。以前にも監視体制の強化を提案してきましたがそのままになっていますので再度の提言を行って行きたいとは考えています。それも早くしないと松食い虫のほうは待ってくれませんから。
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◆ 長野県内の今年の経済動向 (H18.1.18記載)

松本市議会では毎年新春のこの時期に有識者を招いて長野県経済の動向などについて講演と懇談会を開催しています。
今年は日本銀行松本市店長の松永哲也 氏から「長野県内の今年の経済動向」との内容で講演と引き続いて意見交換をしました。

長野県の景気動向は、ごく大雑把に捉えると、様々な指標の分析から長野県経済は「足踏み状態から脱し、緩やかに回復している。また、製造業の業況改善が徐々に非製造業に波及していく流れの中で、景気は緩やかながら息の長い拡大を続けることが予想される」とのことです。
このことは全国の傾向とほぼ同様の流れですが、県内の製造業の特徴であるIT関係はバブル期ほどの勢いはなく、バブル期には県内製造業の業況判断IDが全国でも1、2だったものが18位程度まで下がっています。

日銀総裁の国会答弁では今回の景気回復の特徴はかなりの地域格差を伴いながらの回復となっているとの事で、改めて地域間競争の厳しさも感じられ、我が国全体の景気回復からこの地域が取り残される心配も十分配慮しなければならないと思われました。

また支店長からは観光について様々な提案があり、新しく県外から来た人にとって、松本市は観光資源の宝庫のような印象をもっているのではないかと感じました。地元の人間は気がつかない視点もあり、こうした資源に磨きをかける必要性を痛感しました。
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◆ 松本市消防初出式
(H18.1.16記載)

毎年恒例ですが、年頭の消防初出式が5日の行なわれました。
観閲式に続いて表彰式典がまつもと市民芸術館で開催され、防火活動などに功績の有った個人、団体が表彰を受けました。
5日の初出式は毎年勤め人の消防団員には仕事始めの出勤日と重なって負担のようで、毎年話題にはなりますが、広域消防で夫々の市町村の初出式の日程もあり、簡単に変更は出来ないようです。(一日二日早めて3日か4日辺りにすれば良いような気もしますが)

今年は寒さが厳しいためか、来年に比べ火災件数が多いとの報道もされていますが、火災は我々にとっては最も身近な災害です。日常は余り意識することなく生活していますが、こうした意識で生活できることは消防署や消防団の存在があればこそで、改めて存在を認識した初出式でした。

午後は地元消防団の新年祝賀会に招待を受けて出席しました。
近年は常設の消防組織が整備されて、消防団の定員も以前に比べると大分少なくなりましたが、大規模災害や山林火災、また地域の防災・防火啓発活動等にはまだまだ消防団の役目は重要です。
しかし、私の地元でも日中、地域に残っていて消防活動ができるような若者は数えるほどで、ほとんどが勤め人のようです。やむを得ない現象ですが、消防団の仕事内容や待遇など総合的に検討する時期に来ているのかも知れません。

私も20年近く消防団に所属していましたが、消防団員の精神的負担はかなりのものです。連絡網は、今は携帯電話のようですが、以前は有線放送の一斉放送で、夜間の火災連絡を聞き漏らすまいと枕元近くに電話機を置いて寝ていました。団員の負担軽減のためにも、防災無線の充実など連絡網の整備も必要でしょうし、以前松本市にも提案したことが有りましたが、消防職員OBなどでの消防支援隊のような組織化なども検討が必要ではないかと思っています。
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◆ 岡田神社 元旦祭 (H17.1.12記載)

式内 岡田神社では毎年恒例で
元旦祭と交通安全祈願祭を行なっています。氏子総代会が主催で、地区内の夫々の役員などが来賓として招待を受けて参列します。

拝殿の中は火の気がなく、寒い中での1時間ほどの参列ですっかり冷え切ってしまいますが、一年の初めにふさわしく、すがすがしい気持ちになります。

岡田の地名は各地にありますが、岡の上の原野が開拓されて田畑になった所に付けられた地名で、松本市岡田地区は女鳥羽川の河岸段丘一帯に付けられた地名です。資料の中に、この地名が最初に見られるのは平安時代中ごろ(927年)に成立した国の公式文書「延喜式」の中に、「信濃国筑摩郡岡田神社名神小」として沙田(いさごだ)神社、阿礼神社と共に記載されています。

岡田地区の開拓には大量の水が必要だったが、岡田地区にはそうした河川がなかったので、隣接の女鳥羽川から堤を築いての導水が図られています。岡田地区の住民にとっては生命線の女鳥羽川からの水口に水神として祭ったのが岡田神社の始まりとされています。後に水口では場所が遠く参拝に不便だったため、お祭りの時、一時的に仮のお宮として祀ったのが固定して現在に至っています。そのため初めは屋根や周囲を芝で囲った簡易な社殿であったようで、別名「芝宮」とも呼ばれています。

この地域の人々が1200年もの間営々と祀ってきた事を思うと、同じ神社の名前が付いていても首相参拝で問題となっている靖国神社とは全く意味が違うように思います。現在では神道は宗教との位置付けで、政教分離の対象ですが、こうした氏神様を祭った神社は宗教だけでは位置付けられない、我が国の文化としての一面を持っているのではないかと考えています。
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松本市のこと


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