藤森照信に遭遇した日(その3)



いつもの電車で茅野に向かう。今日の出し物は「作家によるギャラリートーク」だ。藤森照信本人が藤森照信展の各展示の前に立ち解説するのを、間近で聞けるという贅沢な企画だ。午後2時からの予定なので、そんなに急ぐ必要はないのだが、せっかく茅野に行くのだ、他に行きたいところもある、茅野は既に第二の故郷だ。

最初の目的地は藤森作品である茶室「高過庵」だ。藤森照信はこれまでに何人かの依頼のもと、茶室をいくつか設計しているが、それらを施主に渡したくなくなり、自分の茶室が欲しいということで製作されたのがこの「高過庵」だ。周辺の史跡をまとめたガイドブックによると、前々回茅野訪問の際訪れた神長官守矢資料館から徒歩4分の所だという。ならばその時に行けば良かったのに、でも、その時はまだ、知らなかったのだ、そんなに近くにあるなんてことを。で、今日、再挑戦、と言うわけなのだった。

茅野の駅から、目的地に向かう。前々回、一枚の簡単な地図を頼りに雨の中、守矢資料館を目指したときとは違い、今日は茅野の町も3回目だ。だいたいこっちだろうと、歩き出したが、甘かった。曇天のせいもあり、方角を見失って北と南を取り違えていたのだ。道を間違えて良かった事もあった。路上観察学会のメンバーが観察して歩いたと思われる神社などを見て歩けたからだ。やっと見覚えのある所まで戻った。貴重な時間をロスしてしまった。

神長官守矢資料館に着き、ガイドブックに従い裏手から「高過庵」を目指す。途中、建築関係か、はたまた今流行のパワースポット巡りかという若い男女を見かける。停めてあるクルマを見ると、東京ナンバーや、県外ばかりだ。程なく、物件と思われる建物を発見する。今から畑の草取りか、あるいは野菜の収穫かという風情の女性に出会ったので、ほっとして声を掛けてみた。「あれが藤森先生の茶室ですか。」「ええ。」「今年はきっと(観光)客は多いんでしょうね。」「そうですね、御柱の年ってこともあるし。」「藤森先生のご実家はこの近くと聞いてきたんですけど。」個人情報だ、そうやすやすと教えてはくれまい。「ああ、それなら今登ってきた道の、四つ角のところ。先生の展覧会にも実家の写真があったでしょ。」いけないいけない、ここはすでに藤森文化圏なのだ。この女性もその手のものなのだ。常識は通用しない。彼岸花の真っ赤な花を背景に、石仏が佇んでいた。

物件「高過庵」は、遠目に見ると映画「スターウォーズ」に出てくる帝国軍の二足歩行をする戦車にバランスも雰囲気もそっくりだ。普通の建築物だったらせいぜい3足歩行だろう。いや歩かないか。足元に行って見上げる。高過ぎだ。

 周囲の畑にはネギが植えてあり、なにやらレンガ造りのカマドのようなものもある。裏手の古道が、いかにも古代からの道といった感じで、しばし見入る。

谷あいの小道をさらに登る。いくつかの古墳や点々と連なる石造りの祠を経て、諏訪の七石のひとつ、「小袋(おふくろ)石」に至る。諏訪大社の神事を司る大祝(おおほうり)が職位する際、この小袋石に参るといわれ、その迫力は並大抵ではない。磐座(いわくら)といって巨石そのものが信仰の対象になっているもので、小山のようだ。沢筋に乗る形だが、石の下から清水が湧くように流れ出ている。いつからここにあるのだろう。

「小袋石」よりさらに山道を登る。ここを見なければ引き返せないと思っていた。「夏直路(なすぐじ)廟」である。諏訪大社の起源となった諏訪氏は大祝として生き神となり、その即位にあたり実際に神の声を聞いたり、呪術を使えるのが神長官なのだそうだが、明治維新で神官の世襲が廃止となるまで守矢(漏矢)氏が代々継いでいる。資料には「御柱の年に亡くなった守矢家の人々は物忌みによりここに葬られる。」とある。そこは林の中にぽっかりと明るい場所が開けていてまるで別世界だった。周りにはキクイモの黄色い花が咲き乱れている。沢が近くにあるにもかかわらず、静かで物音ひとつしない。カメラを構えたが、シャッターを押すのが躊躇われた。でも押した。

廟とされる石造物の周りを一巡りして、もう一度写真を、と思ったところで異変に気がついた。シャッターがおりない、どころか、カメラが全く反応しなくなった。やっぱり撮っちゃいけない場所だったんだ。うわ、ごめんなさい、もうしません。

でも、幻想的な、まるで吸い込まれるような感じのする場所だった。またここに帰ってきたいと思わせるような。
  山道をくだり、先ほど教わった藤森照信の実家も無事参詣して、もう一か所、できれば訪れたい、と思っていた場所を目指す。
 
今は使われていない寒天蔵で、土蔵の鏝絵を展示しているという、それだけのキーワードで、宮川地区内を探し始めた。情報源は私の住む地区の地元紙である。不親切なその記事には、詳しい場所が記されていない。でもとても見たい。

 思い余って、四辻のカドの家で植木の手入れをしているおじいさんに道を聞いた。その新聞記事を見せた。

「5味」さん、という、表札がかかっており、おじいさんは松の手入れ、息子さんと思われる男性と、そのまた息子と思しい少年が、お盆の来客の準備だろうか、忙しそうにたち働いている。おじいさんは私の手渡した新聞記事を隅から隅まで何度も読み返しているようだ。
「お忙しいですよね、すみません、他で聞いてみます。」
「いや、忙しくは無い。まあオレの軽トラへ乗れ。オレの知っている寒天蔵まで連れてってやる。でもオレはまだ行ったことは無いんだ。だから行った先でまた聞いて欲しい。」
ええ〜、どうしよう、知らない場所で知らない人のクルマに。話を聞いていたであろう息子は知らん顔だ。おやじ、やめなよと、止める気配は無い。ここは甘えてしまっても大丈夫っぽい。

どんどん軽トラに乗ってしまった。おじいさんの横顔をそれとなく見ると、ちょっと藤森照信似だ。それだけでちょっと安心感が。

「どっから来た」
「ふうん、山形村か。オレも長芋を買いに行ったことがあるよ。」
「そうか、藤森照信の展覧会か。あれのおやじも小学校の校長までやったしな、ノブテルもそろそろ
667かな。」
もしかしたら遠い親戚か。名前も年齢も微妙に違っているが。でもこの話題はとても嬉しそうだ。ここも藤森文化圏だったんだ。

「オレの知っている寒天蔵」へ無事到着した。信号が変わらないうちに早く降りて、と言われ、お礼もそこそこに軽トラから降りる。5味さん、ありがとうございました。
 
そこからは、目的の場所はすぐ近くだった。今は使われなくなった寒天蔵では、折も折、地元の商店街の人たちによって納涼祭みたいな催しが開かれており、屋台も出て、大勢の人でにぎわっていた。

二階に上がると、そこが目指す「鏝絵展」だった。私の地元ではまずお目にかかれない極彩色の鏝絵の数々が、古い蔵の、雰囲気のある内部に展示されていた。そこでまた、出会ってしまった。

「これらはね、土蔵の外壁に左官さんが鏝(こて)で描いた鏝絵というものなんですよ。」
と、話しかけてきたその人は、前回の「路上観察
in茅野」の、一般公募の部で見事藤森照信賞を勝ち取った、あの恵比寿大黒の鏝絵の写真を撮った人だったのだ。
「あの時、私もいたんですよ、あの会場に。改めておめでとうございます。」
吉田さんというその人は、すごく嬉しそうな顔をした。
「実は私も数点応募したんですけど、ゼンゼンだめでした。」
すごく同情するような顔になった。

鏝絵もさることながら、寒天蔵の建物もちょうど良い古び具合で、おかげさまでいい体験が出来た。本当に感謝シテイマス。

昼近くなったので、ギャラリートークに備えて駅方面へ引き返す。今日のお昼はどうしようかな、カレー以外にしようかな。「琥珀」という店の名前につられて、こじんまりとした喫茶店に入る。サンドイッチかなんか出来ますか、と聞くと、店の女性が「トーストなら。」「じゃ、それでいいです。」席について、カメラをチェック。やはり反応が無い。こりゃ、修理かな。「野菜サンドで良ければ出来ますが。」「じゃお願いします。」グルメとは無縁の旅だが、何故か悪い感じじゃない。

時間までゆっくり過ごさせてもらい、いよいよ「作家によるギャラリートーク」だ。予定の2時近くなったので、藤森照信展の会場に行くと、すごい数の人だ。ギャラリートークが始まり、藤森照信のあとをついて聴衆が移動するのだが、人が多すぎてぐちゃぐちゃだ。内容はさすがに素晴らしかった。諏訪に関する記憶、建築に対する思い、殊に、「意識を吸収する土」の話は興味深かった。大学の講義を聴いているような気がした。しかも無料(タダ)で。


さて、これで今回の一連の藤森関連行事のうち、予定していた3回の催しを全て見終わった。美術館のロビーに出ると、ちょっと嬉しい出来事が。自分が応募した5件の物件のうち、2枚の写真が展示されていたのだ。しかも名前入り。展示数はざっと数えて100件程度だったから、応募総数267件のうち、結構いい線いってたじゃん、上位50件に入ればスライド上映&品評対象だったのになあ。今頃欲を出している。でも参加してよかった、いい経験でした。

「鹿食免」という鹿肉の大和煮の缶詰をお土産に、帰りの電車に乗る。ああ、いい夏だったなあ、また来よう、茅野へ。電車の乗り方を覚えたし。

  家に着き、改めてカメラをチェックしたら、なんとバッテリー切れだった。普通バッテリーマークが出るもんなんだけど、あの時はなぜか気がつかなかった。しかも、最後に撮ったはずの一枚は結局撮れていなかった・・・。



戻る

その1へ戻る

その2へ戻る