第3節 未来への鍵は心の中にある

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2005/9/26 (Mon)   ジュニアユースに向けて  

どの子も学校でのクラスがえはすでに経験していると思う。
新しいクラスで新しい仲間と楽しくやってきた子がほとんどだと思う。
世の中にはクラスがえをきっかけに個性を発揮できなくなってしまう子もいれば、逆にクラスがえをきっかけに伸び伸びとした生活が送れるようになる子もいる。

考えてみれば、長い人生では周囲の人間関係が変わることなんてしょっちゅうだ。中学校・高校・やがて働きだしても転勤や部署がえ、生活環境で言えば引越しなど、人間はいつも新しい人間関係を作っていくものなのである。

次の3月に卒団し4月に中学生になれば、19人のムスコたちが全員そのまま同じチームになるとは限らない。むしろ離れ離れになる可能性の方が大きい。
新しいチームで、新たに出会う環境・指導者・仲間とともに、新たな人間関係を作っていくことになる。

そこで心配なのが『バーンアウト』である。

今のチームはどうだろう。
ここに至るまで、強い結束力で苦しい状況も乗り越えてきたし、輝かしい結果をいくつも得ている。全国大会以後も、たとえ負けた試合であっても個人そしてチームとしてさらに成長する可能性を感じている。ずば抜けたプレーヤーがいなくてもこれだけの結果を出せているのは、これ以上ないだろうという素晴らしい環境・指導者・仲間にとても恵まれているからこそである。

ジュニアユース世代になり、新たなチームでサッカーを始めたとしても、必ずしも今のチームのように取り組めるとは言えない。
サッカーにつまずいた時、チームの人間関係で傷ついた時、うまくいかず無力感にとらわれた時などに、以前のチームが良すぎると、感じるギャップも大きくなり、サッカーに前向きに取り組む気持ちさえ萎え、ひょっとしたらサッカーそのものが嫌になってしまうかもしれない。そしてバーンアウト・・・・。
サッカー以外に前向きに取り組めるものが見つかればそこで頑張ればいいが、サッカーが全てなのにサッカーでバーンアウトしてしまえば、ドロップアウトの危険性だってある。反社会性行動にキックオフしてしまうのである。
ドロップアウトしてしまったサッカー小僧の話はあちこちで聞く。胸が痛む。

サッカーにおける新たな世界の扉を開ける時期がもうすぐやってくる。19人のムスコたちは、すでに強い精神力を自分のものにしているので大丈夫だと思う。ただ、新たな環境でサッカーをするためには、それなりの覚悟をしておこうということだ。夢やフェアプレー精神・正しいプライドを支えにしよう。
このチームでの栄光は新しい場所では使えない。しかし、このチームで得た力・これから得る力は発揮できるはずだ。その力をどう生かしていくかは自分のハート次第なのである。

プロになるとか、指導者になるとか、審判になるとか、仲間と楽しむチームとか、道はそれぞれだと思うが、是非とも生涯にわたってサッカーを楽しんでほしい。
そのためにもこのチームで残された期間もっともっと力を高めよう!きみたちは必ずもっと伸びるぞ!
きみたちのドラマはまだスタートしたばかりだ!

19人の未来がさらに発展していくことを願っている。

2005/9/26 (Mon)   試合で育つ  

チラベルト杯 松本東戦
調子がよかった1zuだけでなく他の子も、葛藤や自分との戦いなど見えにくい部分にこそ成果や試合の中での成長が確実にあったと思う。今が苦しくてもこの先のさらなる成長を予感させる試合だった。
今回ピッチに立たなかった子も、次回はきっとその内面の広がりを見せてくれるだろう。
みんながんばれ! 未来のために。

2005/9/25 (Sun)  “よかったさがし”と“わるかったさがし”

特別な支援を必要とする学校や学級の『帰りの会』では、その人の“よかったさがし”が行われることが多い。
ハンディキャップを凹みではなく個性という凸として捉え、一人ひとりの良さを見つけてそこを伸ばしていくことで、生活の質を豊かにそして高めていこうという願いからくるものだ。

課題と成果を過程と結果における場面で考えてみる。過程においても結果においても、課題は成果より目立ちやすい。でも課題の気付きだけでは育ちには不充分だ。
育ちに必要なのは、成果に気付くこと、あるいは自分では気付かないような小さな成果であっても認めてもらうこと。特に、結果というわかりやすい形より過程という見えにくい部分で誉められることはとても効果的だ。
過程における成果を見つけられる人・“よかったさがし”を瞬時に行える人は“育てる力”があるということ。そういう人は、以下のような『やる気が出るアドバイス』を行えるだろう。
『どうすれば自分の良さを伸ばせるか・自分の良さを発揮できるか』
『凹みを引っ張りあげるという考え方でなく、自分の個性を伸ばすことに役立つための課題修正』


あなたは、日常生活で、普段から家族に文句ばかり言って、家族の嫌な面ばかり見ていないだろうか?=“わるかったさがし”をする人
あなたは、自分の好みに合わなくても家族の個性を認め、家族の取り組みが失敗したとしてもその発想・頑張りを認めているだろうか?=“よかったさがし”をする人

“よかったさがし”を自分なりにしている人は、その比率を増やしていけばいい。
“よかったさがし”を100%行っているという人は自分自身が客観的に見えていないか嘘をついている。
“わるかったさがし”しかしていない人は少年サッカーの世界では必要ない。コーチングや応援が“わるかったさがし”では、プレーヤーはいたたまれない。
“よかったさがし”もほどほどでいい。ただ“わるかったさがし”が5割を超えてしまうと、周囲の人はかなり疲れるだろう。

一時期自分は“わるかったさがし”人間になっていたので、切り替えて以前のように“よかったさがし”人間を目指そうと思う。

6年間を振り返ってみる。
少年サッカーを通して、自分の子どもはもちろんのこと、親も成長させてもらえたのだと思う。
ここまで出会ったチーム内外全てのみなさん、本当にありがとうございました。

2005/9/18 (Sun)  ホトトギス

織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

帝王学・経営学を必要とする立場の人なら、このいずれかを選べばいいのかもしれない。
しかし、少年サッカーの指導者や保護者はそういうわけにはいかないだろう。
サッカーをやめさせてしまう織田信長にはなれないし、外発的動機付けの豊臣秀吉では不十分、徳川家康のやり方も実は外堀を埋める外発的動機付けなのでこれも不十分だろう。
秀吉と家康の中間に「内発的動機付け」のヒントはあると思う。

自分ならどうするか。はじめは「鳴くようにしよう」かと思った。子どもたちが『自ら取り組む状況作り』を仕組むことが重要だろうと思ったからだ。
しかし字余り。なぜ字余りか・・・・。
そこには、チームとしての喜びが表現しきれていないからだ。

だからいろんな意味を込めて私はこう思う。
「鳴かぬなら一緒に鳴こうホトトギス」

(仕事で一緒に鳴けないときもあるけどね。)

2005/9/11 (Sun)  負けたことで得たもの。

塩尻JC杯決勝、松本トレセンチームに完敗だった。
先取点を取ればいけるかもと思ったが結局0-3。前半0-0で折り返しただけに悔しさも大きい。
優勝チームと3位決定戦がある時の3位チームは勝って大会を終われるが、準優勝と4位は負けて大会を終えるのだ。平静を装っていたが実のところかなり凹んだ。

相手が松本トレセンということで、様々な思いもあろうかと思う。自分にもある。トレセンに勝って「どんなもんだ」と言ってみたかったが、その感情はサッカーのプライドに反していることに気づいた。決勝トーナメントに上がれなくても1試合1試合精一杯頑張っているチームもいることを考えればなおさらだろう。

だから松本トレセンチームにはエールを送りたい。
相手を称えることができなければ、その試合で見せてくれた我がムスコたちの数々のファンタスティックプレーも称えることができなくなってしまうからだ。
フェアプレー精神とはそういうものだと思う。

自チームや相手チーム、運営の方々や審判団含め大会そのものにも感謝したい。

2005/8/31 (Thu)   ひと仕事終えたかな  

2000年の頃のものから2005年Jビレッジまで、このHPでチームに公開してきた写真を主に使ってムービーを作り完成させた。
2basaパパのアドバイスもあってこの時期に配布することに決めた。
fu9パパにPCデータからメディアデータに変換していただき、我が家でDVD-Rにダビングしまくり、ken10ママに提供していただいた写真も活用してfu9ママにラベル印刷をしていただいた。
事後承諾になったが学年の了解を得て、学年費で予算付けしていただいた。
編集は1zuパパが行ったが、上記のことを考えると、学年全体の協力を得てできたものだと思う。

学年の仲間や団コーチ全員にお配りした。HPで公開しているので目新しい写真はないが、BGMと組み合わせたことでなかなかいい感じのムービーになったと思う。

全日本大会を終え、シーズン後半戦スタートだが、実はジュニアユースに向かう新たな旅立ちの時期でもあると思う。
そういった意味でもプチ卒団を意識した内容だったが、ちょっとオフサイドだったかもしれない。勘弁してね。

2005/08/17 (Wed)  元清水FC監督のTR

特に1対2は個々の力・攻守の切り替え等、多岐に渡る要素が入った良いTRだと思いました。
素晴らしい機会を与えてくださった指導者の皆様に感謝です。

2005/8/3 (Wed)  鳥の目線

我々の世代には『マッハGoGoGo!』というアニメが馴染み深い。
マッハ号から発射されるレーダー付きの鳥形ロボット『ギズモ』は、マッハ号の走るラリーコースの様子をナビゲートするもので、基本的な働きはカーナビゲーションシステムと同じである。

自分がかなりの方向音痴なので、車を運転する際にはカーナビが欠かせない。
方向音痴の人にしてみれば、眼鏡と同じようになくては困るもので、もっと言えば、補聴器や車椅子と同じようにバリアフリーの機器だと個人的には思っている。

カーナビができたばかりのころは、高価で、上が北に固定された詳細のない地図のものだった。そのうち、進行方向が常に上になるよう地図が動くという画期的なものが出てきた。さらには、少し上空からの視線(バードビューなどと呼ばれていた)で見れるというものが出て、カーナビのシステムは一応の完成を見せる。
その後は地図がDVDやHDになって情報が豊富になったり、VICS情報を取り入れられるようになったりしたが、それまでの進化の度合いを超える大きな変化はみられない。
GPS衛星からの電波受信精度が上がったのはアメリカ軍の規制緩和によるものだ。

テレビでサッカーの試合を見ていると「なんであそこに展開しないんだ」などと思ってしまうことがあるが、それは3次元的なバードビューで見ることができるからわかる部分であって、ピッチに入り2次元の世界で試合を追いかけていると、一手先、二手先が見えにくくなるのは仕方がないことだろう。
だからこそサッカープレーヤーには、自分自身の目で見る世界だけでなく、少し上空からピッチ全体を展望するイマジネーションが必要となってくる。
イマジネーション豊かな選手は、2次元の世界にいても3次元の展開・4次元のタイムワーププレーにチャレンジできるものだ。
そのイメージトレーニングとなるのが、質の高いプレーがなされるプロの試合を観戦することなのだ。
(ただし連続・連動・展開を見ること。単発のプレーを見てスゲースゲーと言っているなら、珍プレー好プレー大賞を見てるのと同じになってしまう。)

ムスコたちには、脳が若く柔らかいうちに良い試合を沢山観てほしいと思う。そして『ギズモ』のようなアイテムをイメージの中に持てれば、サッカーがもっと楽しくアイディア溢れるものになるだろう。

2005/7/23 (Sat)  表現力の糧となるもの

情報教育の研究会に参加してきた。
公開授業は、表現力を高めるツールとしてパソコンのプレゼンテーションソフトを利用するものだった。
研究会では、公開授業を提供する側も見る側も、あいかわらず「情報機器の使い手として育てる」視点しか持てていないなぁと思った。情報機器を通して人を育てるためには、情報機器がない場所での情報教育的視点(情報機器のオフザピッチ)が大切なのに・・・・・。

その人の表現力を豊かにするために様々な手段を養うことは、直接的な効果がありそうだが、実は表面的なことでしかない。
情報の受け手としての度量や人間としての内面が育っていなければ、どんなに技能が高まっても、その表現は人の心に残らないものにしかならないと思う。

サッカーで言えば、その瞬間の戦況を受け止め、ボールの出処を予測してそこに動き出すことができない人は、どんなにテクニックが高まってもファンタスティックなゲームメイクはできないということ。
受け手としての度量がなけれは、サッカーにおける表現力も色褪せてしまう。
どのポジションであってもゲームメイク(またはフィニッシュ)のためにボールを蹴らなくてはならない。クリア・フィードも、その先のゲームメイクを意図して行わなければならない。
無目的なプレーは自分やチームを苦しめる。戦況を受け止め、判断する力を高めることがサッカーの表現を豊かにする糧となるだろう。

ケンキューでは、「どれだけプレゼンソフトを使いこなしたか」が表現力向上の評価とされていたが、そういう『結果』よりも、『経過』の中で行われる「子どもたちのコミニュケーション」そのものが評価されるべきだと思う。
公開授業では、こうしたらもっと良くなるというところを指摘しあうと同時に、他の子の良いところを自分のものに生かすという『支え合い』の場面があったのでホッとした。
子どもを「受け手」として育てる場面は、もっと重要視されるべきだと思う。
でもまぁ、大人たちのケンキューなんて関係なく、公開授業中の子どもたちは今学期の思い出をプレゼンソフトで楽しんでまとめていて、どの子も笑顔がすてきだった。

実はSSSの0くんもその中にいたが、自分の課題を明確にして他の子の作品を参考にし、他の人からもらったアドバイスをすぐに受け止め、それを生かして自分の作品を修正していた。
受け手としてのアンテナが高いから、サッカーの試合では、あれだけ何度もタイミングよくゴールに詰められるのだろう。

サッカーの表現力を高めたければ、レベルの高い試合をよく見ることからはじめましょう。

2005/7/6 (Wed) もはやチャレンジャーではない。

 見事に全日本少年サッカー長野大会を制した19人のムスコたち。半月過ぎた今もなお感動の余韻にいる。
 冷静に振り返ってみると、優勝はしたものの「勝った」というよりは「負けなかった」という言葉がしっくりする。『夢を信じて!!』『チャレンジャー精神』『負けない気持ち』を合言葉に頑張ってきたチームとしては、負けなかったことに感慨深いものがある。負けないことは勝つこと以上に難しいからだ。
 マクドナルド杯・タウンカップ・新人戦県大会・中電夢気球杯と多くの殊勲を手にした我がチームは、それまでも打倒したい相手だったが、全日本長野大会の優勝で、他チームにすればその気持ちは更に膨らんでいることだろう。
 今まで我がチームは、むしろチャレンジャーとして取り組んできたが、もう他チームはそれを認めないだろう。我がチームはチャンピオンであり、倒すことに大きな価値がある相手なのだ。101チームの標的になったのである。
 それでもまだチャレンジャーでいようとすれば、さらなる成長のチャンスに背を向けることになるかもしれない。

 チャンピオンとして誇りを持って闘い続けることは、チャレンジャーでいるより確かに比べ物にならないほど険しい道なのだ。精神的プレッシャーはそれまでにないほど重く、楽をしようという心の中の悪魔のささやきが絶えることはない。かなり辛いと思う。
 19人のムスコたちはその険しい道の前まで来た。チャレンジャーの座に甘んじるのか、チャンピオンとして後ずさりせずプライドを友に棘の道を進むのか・・・・・・

 神様は乗り越えられる者にしか試練を与えないという。ならばムスコたちには勇気を持って新たなステージに踏み出して欲しいと思う。

 勘違いしないために。
試合に勝つことがチャンピオンではない。行動で負けないことがチャンピオンなのだ。
オンザピッチもオフザピッチもフェアプレー精神とプライドを持ち続けられる者がチャンピオンである。
 忘れてはならないこと。
自分自身への『チャレンジ』は続けよう。
みんなにはチャンピオンであると同時に『フロンティア(開拓者)』であってほしい。

 なーんてカッコつけて書いたけど、これってけっこう難しいんだよね。
完全にそうすることはできなくても、まずそこを目指し続けようよ。

2005/7/6 (Wed)  卒団に向けて  

全日本少年サッカー長野大会での優勝を最大目標としてスタートしたこのHPも、その夢の実現で役割を果たした感がある。
このHPが優勝に貢献したわけではないが、チームの歩みを記録することはできただろう。
今まで写真や映像で欲張りすぎた。残りの容量も少ないことだし、今後の更新はややスリム化しよう。チームを見守りつつ自分自身を見つめることができたので、楽しいジョブだったと思う。

今はみんなに配ろうと思うムービー作りに重点を置いている。一人ひとりをクローズアップするのは各ご家庭にお任せして、チームとしての歩みを5分間に凝縮できたらいいなぁと思っている。5分そこそこだが、途中経過でもけっこういい感じになってきている(1zuパパ恒例自画自賛)。もう6年生なんだとしみじみ思ってしまうのであった。

2005/6/24 (Fri) バイブル

妻の叔母の夫が以前代表を勤めていた、福岡の『春日イーグルス』を含め、NPO法人の総合型地域スポーツクラブという方向は、私に大きな刺激を与えてくれた。
教育現場が学ぶ点・応用できる点は多いと思う。

2005/6/15 (Wed) 舞台

他チームコーチのコラムで「少年の全国大会は必要ない」「全日本の県予選は重視していない」と述べると同時に、それ以上に重視しなければならないこともいろいろ書いてあった。内容は「なるほど」と思えるものだ。

視線を子どもたちに向けてみる。

全日本県予選、どの会場のどの試合にも光輝く心を持ってサッカーしている少年少女がいたはずだ。
その子どもたちの美しさは『全国という舞台』への憧れや夢があるからだということを、私は忘れたくないと思う。

憧れや夢が大きいからこそ、勝てばいつも以上に嬉しいし負ければいつも以上に悔しい。
憧れや夢が強いからこそ、全力を尽くせた喜びは大きいし全力を出せなかった空しさは深い。

そこで得た「ココロの経験値」は、理論やプログラムなど歯が立たないほど貴重で尊いものだと思う。
それは少年少女が自ら成長する「自我」を育む大きなチャンスなのだ。

体制派or反体制派って私は何か言える立場ではないが、特にジュニア世代については、子どもたちの心を見つめながら長野県サッカーや松本市連合会サッカーの発展に尽力されることを願う次第である。

2005/5/27 (Fri)  アイディア&チャレンジ

 何本シュートを打とうがパスを出そうが、コースを読まれて足や身体を入れられれば成功しない。 それどころか、「私は〜しますよオーラ」満々で「そのまんま〜やないけプレー」をしていたら、読まれる以前に教えているようなものだ。苦し紛れキックでは、自分の余裕を削って相手に余裕を与えるだけだ。
 今日の日本対UAE戦、日本を応援してはいたが、プレーはやはりUAEの方がファンタスティックで面白かった。フィジカル・スピード・テクニック・スタミナの差はそれほどないが、予測と判断の良さはUAEが勝っていた。ヨーロッパ・南米のプレーヤーはさらに精度が高くなるので、得点シーン以外もとても面白い。

 サッカーというスポーツはかなり煮詰まってきていると思う。トップレベルでは、どの国のどんなチームも、基本戦術で画期的なことを行っているわけではない。ボールを受ける・運ぶ・渡すという基本的なことの繰り返しで、結果としてネットを揺らす。勝ったチームと負けたチームの差は、身体的な部分ではなく、予測・判断などのひらめきやハートの良さ・強さの違いだと思う。
 もはやサッカーは気合・根性だけでは楽しめない時代だということ。ひらめきがモノを言う。プライドのあるハートが支えとなる。

 「一瞬のスキを突かれた」と、いかにも失点は油断したからのように言うことがあるが、そうではなくて、そのスキを狙われていることに気付かなかっただけである。スペースやラインといった視野の裏を狙われたというより、発想の裏を突かれたのだ。
 では、一瞬のスキを突くには何が必要か。 それが「アイディア」である。
 トップレベルでは相手チームの分析・情報戦が当たり前の世界で闘うのだから、チームや個人のストロングポイント・ウィークポイントは筒抜けなのだ。それでもなお、相手の予測を超えるほど意外性があり、それでいて確実に次につながる精度の高いプレー、味方もビックリするようなアイディア溢れるひらめきのプレーができれば、次世代のサッカーを担っていけるだろう。

 19人となったムスコたちには、是非アイディア溢れる「チャレンジ」をして欲しいと思う。
チャレンジは、プレーの迷いを消し「ベストを尽くす」ことに近付くための重要な「スピリット」だからだ。「負けない気持ち」もそこにある。
 全日本県予選は優勝したい。しかしそれ以上に、スピリットを燃やせないまま大会を終えることがないように、全ての試合において自分の力を信じて存分にサッカーを楽しんで欲しい。
 今まで大切に育ててきた「チャレンジャー精神」に、「自分自身へのチャレンジ」という意味を加える時が来たのである。

2005/5/17 (Tue)  内発的動機付けの意義

 サッカーでは「モチベーション」という言葉をよく耳にする。意味は「動機付け」だが、チームや個人の総合的な意識レベルの状態を『高い・低い』で表しながら使われることが多い言葉だ。低いよりは高い方がいい。
 モチベーションを、例えば一つひとつのプレーや行動に分割して具体的な場面に当てはめると、全く同じ意味にはならないが「意欲」といえばわかりやすいと思う。
 トレーニングでは例えばスキルアップへの意欲。マッチでは例えばコーチングやオフザボールでの動きへの意欲。意欲が出せていない時にやれやれ言われてもなかなか力を発揮できない。本人に合わせた指示・声がけで意欲を喚起することができれば、本人にできる範囲で力を発揮してくれるだろう。
 だから、ミスを非難してはならないのだ。


 以前、重度とよばれる身体的・知的ハンディキャップのある子と関わっていたことがある。その子は麻痺のある足を使って「歩きたい」という気持ちのまま歩くので知らない間にどこかへ行ってしまうことがあり、そのうち大人の都合で車椅子に乗せられてしまうことになった。そのため表情は曇り、自ら何かしようという気持ちまで失いはじめ、咀嚼(そしゃく)さえ満足にできなくなってしまった。
 担当者が代わり、その様子を見かねて「生きようとする気持ちをどう高めればいか」考えた末、本人の願いである「歩く」ことをプログラムに取り入れることにした。車椅子に長く乗っていたのでわずかに残された足の筋力は衰えていて自力では立つことすらできない。そのため「ウォーカー」という車輪のついた補助器具で、まず「立位」を保持することにした。
 するとどうだろう。まさに表情が変ったのである。おまけに自分の意志で弱々しくも足を運び、一歩また一歩と前進を始めたのである。感動だった。
 その子の生きる力は日に日に高まっていった。咀嚼しようという気持ちが生まれ、それまでミキサーでペースト状にしていた食べ物を、細かく刻んだ程度のものなら自分で噛んで食べるようになった。たどたどしくも手で食べ物を自分の口に運ぶようになった。「歩行」というプログラムを続けていくことで、その子の歩きたいという「意欲」は「豊かに生きたい」という気持ちにつながっていったのである。
 とうとうその子はウォーカーから降りても、わずかの時間なら自分で立ち上がるようになった。衝撃にも近い驚き・大きな感動を我々は味わった。
 さらには、ほんの数メートルだが、自分の足だけで歩けるようになったのである。泣けて泣けてしょうがなかった。
 ハンディキャップのため言葉は出せないし、距離は飛躍的に伸びることはなかったが、鼻歌のような喜びの声を出しながら歩くその子の姿は一生忘れることはない。

 意欲が先にあれば、人は自ら道を切り開いていける。我々大人には、子どもの意欲を行動に昇華してあげることが求められているのだ。


 世の中には様々な理論・育成方法が存在する。サッカーにおいても同じことだ。トレーニングのプログラムやマッチのきっかけは、子どもだけで準備することはもちろん困難だ。大人がきっかけを与えることは必要だと思う。しかし、それが強制・外発的動機付けで終わってしまうことがないように、子どもの意欲を引き出すように「理由・言葉・評価」をよく考えて取り組むことが求められる。子どもの心に寄り添い、意欲を喚起できてからスタートするトレーニングやマッチは、結果はどうあれ子どもたちに必ず素晴らしい何かを残す。

 ムスコたちのチームはこの辺りがしっかりしている。流石だと思う。スポーツである以上多少厳しい言葉があったとしても、そこには目先の結果ではなく、どう育てるかという愛情とプログラムが感じられる。ありがたいことだ。

 子どものモチベーションをサポートするために、子どもが様々なプレッシャーとも戦いながら意欲的に取り組もうとしていることを誉めていきたい。練習や試合で力を発揮しきれない時は、きみならもっとできる・自分に負けずに頑張れという願いをこめて見守り、苦しんでいる時・失敗してしまった時こそ励ましの声援を送りたい。力を発揮できたときは共に喜び、その喜びを声援にして送りたい。

2005/5/15 (Sun)  技術委員会からの提言

 全日本県予選抽選会の後に行われた講習会では、NFLの技術委員会の方の講演もあった。この方はジュニアユースチームの指導者でもあるので、ジュニアユースプレーヤーの様子からジュニアのプレーヤーに何が必要か気付いたこともあると思う。
 指導者の立場を離れた今、親として、いかにコーチをバックアップしていくべきかを考えさせられる内容であったので、記録しておきたい。


<指導のガイドライン>

U-6「出会い」サッカーはゲームである。楽しいもの。
U-8「目覚め」多様な動きを知る。
U-10〜U-12「ゴールデンエイジ」パーフェクトスキルを身につける。偶然ではなく意図したプレーを心がける。オンザボールを楽しめる。

→その子の「よさ」を見いだす。
 一人ひとりの個性をつかむ必要がある。
→成功の体験を大切にする。
 タイミング良く誉めることで印象に残す。
→挑戦や失敗を認める。
 試合ではやり方・判断を押しつけない。
→サッカーの楽しさ(上達の喜びという意味で)を教える。
 練習も試合も出れなければ楽しさもない。


<主審>

選手の意図を汲んだ判定を行う。ファールを受けても続けようとしていればそのスピリットを大切にしてあげる。特にジュニアでは、取り締まるのではなく、場を逃さずルールやフェアプレーを教えるインストラクターでありたい。サッカー・ゲームの楽しさを引き出すのは大切な役割だと考えて取り組みたい。


 以上概要だが、つまり目の前の子が、チームであっても個人であっても、サッカーを楽しめているかが指導する側への評価になるということだと思う。

 間もなく19人になるムスコたちのチームは、コーチ陣のご指導でとっても楽しめている。「俺は指導したんだぞ」に喜びを感じているのではなく、指導した内容に対して子どもが喜びを感じてくれたことを自分の喜びにしてくださっているからだ。
 親も「教えてやったぞ、応援したんだぞ、サポートしたんだぞ」を、自分の尺度で決めるのではなく、特に指導に関しては、その子が喜びを感じているかをまず考えたい。
 子どもが喜びを感じられず、気持ちが萎え、何らかのプレッシャーを感じて終わるようなら、せっかくの指導・応援・サポートも逆効果になるからだ。
 主役は子どもたちである。

 やらされる<外発的動機付け>より、自ら「やるんだ」という気持ちになれる<内発的動機付け>がより効果的であることは言うまでもない。内発的動機付けを持てたかどうかは、子どもの顔を見ればすぐわかる。

 私も、職業柄人の子に対する指導には慣れているつもりだが、自分の子に対してはどうもうまくバックアップできていない。そうは言ってもいつまでも逃げていないで、私のサポートも喜びにしてもらえるように、もっといろいろ模索してみようと思う。
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