最終節 新たなステージへの旅立ち

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2006/3/31 (Fri)  新たなるステージへ! 〜履物をそろえて行こう。〜

温故知新という言葉がある。
「故きを温ねて、新しきを知らば、以って師と為るべし」
孔子の、先人の思想や学問を研究することが師となる条件であるという教えだ。

肝心なのは、あくまで改革・革新のために今までのやり方を検証することで、伝統という言葉でごまかして前例に乗っかっていくのは怠惰でしかない。
つまり、今置かれている状況を把握し、新たなアクションを起こすことが温故知新であり、常に前進していこうとする者は短期的・長期的な分析・考察を怠らないということだと思う。
状況を把握した上で次の展開を予測し自分の取るべき道を判断すること、それを素早く行い絶えず繰り返していくことが大切なのである。
まるでサッカーだ。

サッカーの荷物置き場を見ると、その人のプレースタイルが伺えて面白い。
すぐに移動できるくらい荷物が整っている人は、二手三手先の展開も考えたプレーができるだろう。 散らかっていても片づけが素早くできれば広い視野と対応の早さがあるが、その場限りのプレーとなってしまう。 忘れ物をしていくようなら、プレーが自分本位か他力本願と言えよう。

もっと本性が現れるのが、人間の足元の『靴』である。
他人の家・公共のトイレや施設で靴をそろえるのは常識だが、帰宅した際ホッとするとか他の事を始める前に履物を整えられる人は、常に未来に向かって前進して行ける。 未来の自分のために今の行動に責任を取れるからだ。
「自分の家だからいいじゃーん。」と思う人は、服も荷物も、心さえもあちこちに置きっぱなしだろう。 この症状が進行すると、ゴミをその辺に捨てる人間になり、やがて不法投棄を行う。

脱いだ履物をそろえ脱いだ服をたたむことを、後回しにせずすぐ行うことから始めてみよう。 慣れてきたら、食後に食器をすぐ片付けるとか歯を磨くこと、使った物や遊んだ物を元の場所に戻すことなど、常に整理整頓をしてみよう。 今の行動は全て次の自分の向上の準備になっていることに気付くだろう。 サッカーのプレーも変わっていくはずだ。
未来の自分のために今の自分は何をすべきか、状況把握・展開予測・判断実行が絶えず行われるサッカーのための脳の使いかたを、オフザピッチで鍛える場面にしてほしい。

試合が終わって考察するのもいいが、試合中に流れを良い方向に変えられるようになるともっといい。
BIG変革のためのスモールステップとして、プチ温故知新を絶えず行うことをお勧めしたい。

息子たちよ! 新たなステージで、存分に自分らしさを発揮してくれ!
チャオ!

2006/3/12 (Sun)  光輝く未来へ

「自分は絵が苦手・・・」という人がよくいる。
絵は、センスではなくトレーニングで上達するものだから、『描く基本』『描ける楽しさ』『描けた喜び』や嬉しいトレーニングメニューを教えてもらう機会がなかったのかもしれない。 もしトレーニングメニューを知っていて上達しなかったのなら、描くことが苦手なのではなくそれほど好きではなかったのだろう。 
好きなことは長続きするし努力するから上手になるが、好きになるかどうかは本人次第である。

絵もサッカーもよく似ていて、その素晴らしい表現の根源に鍛錬がある。 スキルがなければクリエイティブな仕事は成し得ない。
でも、継続・上達の糧は『本当に好きかどうか』だ。

今日、19人の素晴らしいプレーヤーが筑摩野サッカースポーツ少年団を卒団した。
おめでとう!
今まで関係してくださった全ての皆様に感謝である。

ずっとサッカーを続ける子も、そうでない子も、このチームでの思い出を宝物にできるのは確かだし、どんな形であろうとも、19人の卒団生の未来が光輝くことを祈っている。

2006/2/11 (Sat)  闘うなら2人以上を相手にしよう。

『1対1で負けない』
サッカーにおいては重要なことだと思っていたが、野洲高校の活躍や、フットサルに強い少年チームのサッカーの試合を見ていると、なんだかその言葉の響きもそのイメージも古臭いことに思えてきた。

ナガノケンのサッカーを個の力でも闘えるようにしていくなら、こんなのはどうだろう。
『1対2を楽しむ』

ボールを持っている相手に1対1できちんと対応できれば、守備側が圧倒的に優位だと考えていいだろう。
攻撃側なら、1対1の場面でも、あえて相手プレーヤーを引きずって1対2またはそれ以上のシチュエーションになるように、自ら仕掛ける。 ←ワクワクするでしょ!
その状態になれば、突破してもパスを出しても自分のチームを人数的な優位にできる。 1対2は自分にとってもチームにとっても有利だという意識を持てばいい。 実は、1対1よりは1対2の方が仕掛けのバリエーションが増え、突破しやすいのである。

『手つなぎ鬼』という鬼ごっこを思い浮かべてほしい。
鬼にタッチされた子が鬼に加わって手をつなぎ追いかけるというやつだ。
限られた枠の中で行うと、鬼が増える度に逃げるスペースが減り、逃げる子にはどんどん不利になる。
鬼ごっこが1対1なら、足の速さで勝負は決まるだろう。 手をつないだ鬼が二人で逃げる子が一人ならどうか。 設定したスペースにもよるが、これは逃げる側が圧倒的に有利なはずだ。

サッカーでも1対1より1対2の方がボールを持つ攻撃側が有利なのは前述の通りで、1対1の場合、ディフェンスは突破を防ぐために自分の右か左か上の3つだけ注意して距離を考えればよい。 これが1対2になると、ディフェンスはそれぞれの左右に加え互いのギャップと頭上も加えて考なければならないし、コーチングやコミニュケーションの手間が増える。 息があったディフェンスを行わなければ簡単に突破またはパスを許してしまう。
1対3はどうかなぁ。 五分五分かな? ただ、一人に対して3人で囲むっていうことはリスクが大きいのでサッカーではあまり行われないと思う。 ましてや機動戦士なんとかというアニメで、ロボット3体が一列になった『ジェットストリームアタック』とかいうフォーメーションをサッカーで行うことはまずないだろう。

だから『1対2+1を突破』っていうトレーニングはどうだろうか。
2人のディフェンスを抜いた所にアプローチに来るもう一人を更に抜くっていうものだ。 うーん3人抜き! これを2回繰り返せれば6人抜き! まさに連鎖でボーナスポイントだ。 『1対1+2を突破』でもいいけど試合を想定すればやっぱ『1対2+1を突破』かな。

これが身体に染み付けば、イマジネーションが豊富になり視野も自然と広がるだろう。 突破以外の判断も素早く行えるだろう。
ただ、楽しいけどかなり疲れるメニューになるとは思う。

開智をはじめいくつかのチームは、すでに1対2のトレーニングを多く取り入れているそうです。流石!

2006/1/14 (Sat)  尊いメダル

松本市のスポーツ少年団表彰式典に行ってきた。 様々なスポーツで頑張った6年生がMウイングに集まり、けっこう盛大な会となった。 準備が大変だったろうナァ。 関係の皆様に感謝です。

ムスコたちは奨励メダルをいただいた。
しかし、サッカーでメダルを見慣れているせいか、見せてもらっても特に何も感じていない自分に気がついた。 感謝の気持ちを失ってしまったのか! これはいけない!

考えてみたら、実はどんなメダルよりも意義深いものかもしれない。 様々な事情でもらえない仲間もいたのでそのことを考えると完全には喜べないが、1zuが6年間継続できたことは親として素直に嬉しいし、その記念のメダルでもある。

サッカーを通してスポーツ少年団で育成していただいた指導者・保護者・仲間の皆様に感謝である。

2006/1/11 (Wed)  つなぎ目の組み立て

レースは車の性能が良ければ勝てるというものではない。ストレート・コーナー・アップダウンなどといったコース条件に、加速・減速・シフトチェンジなどのテクニックが複雑に絡み合って走り抜けていく。
車のパワーや自らのテクニックその他の様々な条件をスピードに活かすため、ドライバーは五感を研ぎすませレースを組み立てていく。

サッカーの「ドリブル・パス・シュート」「受けて・運んで・蹴る」等の様々なテクニックは、それぞれが単独では機能しない。発達年齢に応じたメニューはあると思うが、ドリブルだけ練習していてもドリブル100m走の選手にしかなれないし、シュートだけ練習していてもキックターゲット大会でしか力を発揮できない。

ピッチ内の強者たちは、なぜ『プレーヤー』と呼ばれるのか。
ゲームのあらゆる局面で、オンザボール・オフザボールでどう動くべきか、スピード・パワー・スキルをどう行使するのか瞬時に判断し行うことができるからだ。
轟くパワーを持っていても、光のスピードを持っていても、宝のテクニックを持っていても、それをゲームの中で組み立てる判断力と、観て・考えて・行う力がなければ活かせない。
逆に、ゲームの組み立てを考える力や、観て・考えて・行う判断力があっても、パワー・スピード・スキルがなければ活かしようもない。
頭が筋肉でも困るし、筋肉が脳みそでも困るのだ。
スキル・パワー・スピード・オンザボール・オザボール・ポジション・フォーメーション・メンバー・ピッチ状態・風向き・残り時間等々、サッカーに絡む全ての要素を、そのつなぎ目で組み立てていく総合的な力が必要なのだ。

ジュニアとジュニアユースのつなぎ目にあるムスコたちよ。
クローズドスキルとオープンスキルがうまく絡み合ったトレーニングをしていこう。
極端な話、リフティングだけで相手を抜くとか、ドリブル突破したら3秒以内に必ずパスするとか、パスを受けるファーストタッチからドリブルを始めるとか、自分が今まで思いつきもしなかったことにチャレンジして、プレーヤーとしてのバリエーションを広げていこう。
「どっちか」とか「どれか」とか「どれも」ではなく、『組み立て』を考えよう。
組み立てだけに建設的なサッカーをしよう。(誰か座布団ちょうだい)

2006/1/4 (Wed)  自ら行う状況づくり

NHKのテレビ番組『課外授業ようこそ先輩』を観た。 サッカー元日本代表の北澤豪さんが先生だった。お見事!と思える授業だった。
私の薄っぺらなブログやコラムは教育現場の視点をサッカーにからめることが多いが、北澤さんはサッカーのエッセンスを教育現場に持ち込み素晴らしい授業をされていた。 近い将来彼は何らかの形で素晴らしい指導者になるだろう。 興味のある人は再放送などを観てほしい。 きっと感動する。

以前特別な支援を行う学校で『できる状況づくり』という言葉を学んだ。
ハンディキャップのある人が、治具・補助具や環境などを整えることで、やり甲斐を持って学習や作業を行えるような状況にするということだ。
具体的には、例えば型押しで何かを作る場合、手で押さえられないなら、重しが落ちて型押しができる補助具を作ればよい。 後はその人が意欲を持って取り組めるスイッチをその人に合わせて作る。 気を付けなければならないのが、あまりにも簡単にできてしまわないこと。 その人の尊厳を大切にしつつ、なおかつできる喜びが感じられるような、『少しの抵抗』がスイッチの作動にあることが大切だ。 少しの抵抗を乗り越えるからこそそこに喜びが生まれ、次もスイッチを作動させたくなるからだ。
少しの抵抗を乗り越え続けることで、生きる喜びが増し、豊かな生活を送るための糧となる。
できる状況づくりにはそんな願いが込められている。
ハンディキャップにより 自らそういった状況にしていくことが難しければ、周囲の人がその状況にしてあげればよい。 周囲の人の助けを受けながら生きることは、ハンディキャップのある人にとっての自立した生活と言える。
人は支えあって生きるものだ。 自立というと何でもかんでも自分で行うことだと思われがちだが、物事を成し遂げるために周囲の人に助けを求めることは、真の自立のために必要な力である。 (楽しろと言ってるわけではないのでお間違えなく)
周囲の人に助けを求めることができなければ逆に自立できていないということ。 コミニュケーションできないからだ。

自らできる状況づくりが行えればさらによい。そのために何が必要か考える力は、豊かな生活を送るためにきっと役に立つ。
北澤さんの授業は、その力を、「やれ!」という言葉ではなく、子どもたちが自ら発揮するようにしむけていた。 できる状況づくりをしていたにも関わらず、子どもたちは「自分たちが主体的に、観て・考えて・動いた」という気持ちになったと思う。 ここがスゴイ!

その場の状況を見て、自分で行うべきなのか・支えを求めるべきなのか・周囲を支えるべきなのかを判断し、取り組む。 それが自立だと思う。 サッカーにも同じことが言えるだろう。
スキル・スピード・パワーだけでは自立したプレーヤーにはなれない。 考えるスポーツであるサッカーの「考える力・コミニュケーションの力」 をどう育てるか、北澤さんに大きなヒントをもらった。

2005/12/25 (Sun)  眼光を維持しよう!

非常識だとは思ったが、コンタクトレンズを持っていないので眼鏡をかけて親子サッカーに臨んだ。
(眼鏡がないと何も見えないのよ。)
子どもが低学年のうちは相手の背が高くないのでなんとかなったが、もう厳しい。 接触が不安で頭で競らなければならないボールに思い切っていけないしヘッディングに力が入らない。 運動不足で身体が動かないというだけでなく、眼鏡が気になってモチベーションが落ち、ボールを奪うとかキープするという思い切ったプレーや広い視野でのコーチング・最低限のディフェンスができなかった。 ってか何もできなかった。 負けたのは私のせいかもしれない。 パパママごめんなさい。

今回は「視力」の維持が大切だということを身にしみて実感した。 たとえルックアップできても見えなければ闘うことすらできないのだ。
私のような奴は別にいいけど、現役のプレーヤーは、ゲームのやり過ぎやテレビの見過ぎでサッカーのプレーが楽しめなくなっちゃったなんてことにならないように、是非視力を落とさないよう食生活も含め日常から気を付けていってほしいなぁと思った。

2005/12/18 (Sun)  TVアニメ『ビューティフル ジョー』第30話の名言

「ちゃんと強くなりたいんだ。 だっておかしいだろ? 練習もしないで急に力がつくなんて。 きちんと練習して初めて上手くなれるんだ。」と言っていたのに、試合中悪い怪人の超能力に操られ強力なシュートを放ったビル少年に対し、少年が所属するチーム『ワイルド・トータス』のマックスコーチが叫んだ。
「今のおまえのシュートは・・・・空っぽだ!
「本当のシュートってものは喜びが詰まっているものだ。 何故だかわかるか! 一生懸命練習して たくさん失敗して それでも練習して その積み重ねでやっとシュートを決める。 だから本当のシュートには喜びが詰まっている。 ボールに心があるんだ!」
その瞬間、ビル少年の サッカーが大好きっていう心が目覚めたのである。

半年程前、テレビをつけたらたまたまやっていた、初めて観るこのTVアニメの丁度この回の話、はじめはバカにしていたのに最後は娘と二人で感動していたのを思い出す。 以来『お笑い』の要素か強いのに何故かとってもカッコよくてハートにぐっとくるこのアニメに家族中がハマッていった。 中でもやはりこの第30話が娘と私の一番のお気に入りだ。 本日の再放送はしっかり予約録画し、我が家の永久保存版になったのである。

ジョーはいつでも本当に大切なことを見失わない。 だからカッコいい。
サッカーのジュニアやジュニアユース年代では、サッカーのプライドを大切にしてるとか、不器用でもまっすぐ取り組んでるプレーヤーが、何と言っても一番カッコいいと私は思う。 そしてそういうプレーヤーは、きっと他のプレーヤーの何倍も成長すると思う。 なぜなら、努力家のシュートは例えネットを揺らさなくても空っぽではないからだ。

2005/12/8 (Thu)  美しいあいさつ

お辞儀は相手に対しての気持ちと言葉を共に態度で表すものである。ただ頭を下げればよいというものではない。
お辞儀と言葉によるあいさつには二通りの方法がある。『同時礼(言葉を言いながら頭を下げる)』と『語先後礼(言葉を言ってから頭を下げる)』である。日常のあいさつなら同時礼で充分だが、お礼を言うときやお詫びするときの正式なお辞儀は語先後礼である。ビジネスマナーでもある。

19人のムスコたちのチームとしてのあいさつは、正式なお辞儀によるものだ。キックオフやゲーム終了のあいさつが形だけのチームも見受けられる中、相手チームのプレーヤーがその場を離れようが相手チームの指導者が礼もせずベンチから居なくなろうがお構いなしに、最敬礼の角度で頭を下げ続ける。そして気持ちをそろえて頭を上げる。その姿はとても美しい。武道の『心技体』に通ずるものを感じる。球技サッカーの場を清めているとさえ思える。一人ひとりになった時にできれば本物だが、それは個々の可能性に任せよう。

このあいさつを指導していただいたことに心から感謝したい。

2005/12/1 (Thu)  人間は『心』を持つ生き物です。

日本語以外の言語を母国語とする児童・生徒に対する日本語指導の研修会に参加した。
日本語指導は行政や現場で軽視されているからこそ頑張ろう。いわゆる『国語』の教科的な指導ではなく、あくまで手段として日本語を活用し、統合学習として日本語と各教科を同時に学べるようにしていこう、という提言だった。
まさに『サッカーのオンザピッチとオフザピッチの両面が大切である』ということに通ずる内容だ。
指導のあり方として、遊び・トピック・意外性など、子どもが無意識のうちにのめり込む方法を教えていただいたが、これもサッカーのトレーニングやマッチに通ずるものがあった。
日本で生活していくことを考えれば、ただただ母国語で通訳してあげればいいのではなく、子どもの意欲を引き出しつつ、日本語の泉につかるように日本語によって指導することが大切だということだ。サッカーはサッカーによって力がつくという考え方に似ている。

ここまでは理論・実践的になるほどと思えることだが、一人の参加者の発言で深く考えさせられた。この方は外国人で「日本人は日本のやり方が一番だと思っているが、コミニュケーションは『心』が一番大切だ。心をどう育てるかを考えて欲しい。」という内容の発言をされていた。日本で生活する外国人の悩みや苦しみについて触れられる部分が少ないことに不満を感じてのことだろう。
確かにレクチャーされた理論・実践は、日本語を学ぶというシチュエーションの日本語指導のテクニックとしては即効性があり、ゆくゆくは日本で暮らす外国人の皆さんの生活とそれを支える日本人の生活を予見したものだが、言葉を越えて心と心が通じ合うという視点は欠けていたかもしれない。テクニックも大切だが、人を育てるということが中心・根本にないと、どんなに素晴らしい実践も表面的なことにしかならないと思った。心に響かず心を育まない指導はその子の中に残らず一生の財産にはならないということだ。

サッカーを通して人間的に成長できれば幸せだと思う。
勝つことももちろん重要だが、トレーニングやマッチを通して、問題解決能力や生活習慣、礼儀、社会性などが育てば、サッカーがより意義深いものになるだろう。
いろんな意味で考えさせられた研修会だった。

2005/11/14 (Mon)  響き合い〜Quality of soccer〜

タウンカップや新人戦など『負けない気持ち』を合い言葉にしはじめた頃は、チームとしてまとまっていくことを大きな目標にしていたと思う。
Aチームになり全日本など『夢を信じて』を合い言葉にした頃は、合い言葉をくれた仲間のためにも勝つことを最大目標にしていたと思う。
これらは『到達目標』的な見方ができる内容であった。

今はどうだろう。
子どもたちの様子を見ていると、もちろんジュニアユース年代やその先を目指した取り組みをしているが、一人ひとりが一つひとつのトレーニングに、自分なりの『目標』を持ち始めていると思う。

試合に勝つとかお給料がもらえるとか、頑張ればいいことがあるという到達目標も大切だが、今取り組んでいる事そのものに喜びを持てるということは、勝ち負けという結果だけでなく その過程に意義を感じる力がついてきたということだ。そこにある目標の質はより高くより豊かなものだと思う。
なんと素晴らしいことだろうか!
子どもたちの内面から放たれる より強い光を感じるようになったのは私だけではないだろう。

今までチームに支えられ育てられてきた子どもたちだが、今後はチームを支え高めていける『個の力』を自ら伸ばしていくだろう。真の意味でチームになっていくのだ。

19人のムスコたち 本当にでっかくなったものだ。 感謝である。
うっっまた泣きそう・・・。

2005/11/12 (Sat)  考えてサッカーしてる証拠

例えばトレーニングでのボール回し。
以前は一方通行。出す方Aが呼ぶか受ける方Bが呼ぶだけだった。
ちょっと前はコンタクト。AとBが互いに呼びあっていた。
今はコミニュケーション。AとBのコンタクトが成立しボールが移動する瞬間にCがBを呼ぶとかAがCの位置をコーチングしている。
子どもたちの視野は広がってきていて先の展開を考えていることがわかる。
DがさらにCを呼ぶとか、Aがもう一度絡むとか、AやCがDやEの位置をコーチングするとか、Bはコーチングを受けつつ別の判断をするとか、今後自らバリエーションを増やしていけそうだ。

「入れば良し」単純にそう観られがちなゴールを使ったトレーニングも、実は奥が深いものだが、見学しているとボール回しの方が俄然面白いし、さらに高レベルなトレーニングだということがよくわかる。
数十分にも及ぶただの作業の繰り返しではない。
ワンツー・オーバーラップ・サイドチェンジ・スイッチ・ダイレクトプレーなど、自分なりに課題を持って取り組んでいる子がいっぱいいる。何の目的も向上心も持てずにただ取り組んでいれば無駄な時間だが、意識して自分を見つめている子にはこれほど有意義な時間はないだろう。

2005/11/7 (Mon)   気持ちで聴いていますか?  

子どもが暴力から自分自身を守るためのCAP(キャップ)という人権教育プログラムについて、ワークショップ形式の講演に参加した。CAPについての詳細は省くが、とても参考になった。

こうあって欲しいと思って子どもがそうならないとカァーっとなってしまうことだけが虐待ではない。『虐待』の意味は、我々が思っているより広範で、大人が子どもに対して様々な形で力を乱用することは全て虐待となるそうだ。(私は耳が痛い)
言葉の裏にある子どもの心の声を『気持ちで聴く』力を大人が持つことが、安心して&自信をもって&自由に生きる『権利』を子どもが自ら守ることの支えになるのだそうだ。

具体的には・・・・
 『してはいけないこと』ばかり言う親=あれはダメこれもダメと行動規制ばかりしている。
→子どもは生きることに対して不安感・無力感に囚われてしまう。
 『何ができるか』を言える親=子どもの力を信じ子どもの話を受け止められる。
→子どもが問題解決能力を自ら高め、自分の力で動き出すきっかけを生み出せる。

どっかで聞いたような話だと思いませんか?

サッカーは点数という結果がでるスポーツだけど、その経過を未来につなげていけるよう励ますのは大人の役目ではないだろうか。負けた試合の中にも未来につなげる内容があるか、子どもの言葉を気持ちで聴いて、力に換えてあげられる(エンパワメント)ように努力したいと思う。

2005/11/4 (Fri)   ピッチをチャレンジする場にしていこう!  

外から見てるとわからないものだ。今回は1zuに教えられた。

ベスト8に終わったものの、子どもたち一人ひとりの「次の展開への意識」が確実に伸びてきていることがわかった大町ロータリー杯での、松本東とのフレンドリーマッチ。
1zuはボランチとしてプレーしていた。
相手のプレーを予測し、相手がボールを蹴る前からそのボールが向かうであろう方向にアプローチ(スピードやパワーを補うための1zuなりの考えだろう)してはいたが、結局ボールを奪われたりプレーの精度も伴なわなかったりしてどこか表情が暗かった。
てっきりこの試合は不本意なのかと思っていたが、帰路につく車に乗り込む瞬間「今日は楽しかった〜!」と感想を述べた。
理由は『○○くんと、うまくいかなったけどワンツーしたりスイッチをした。入らなかったけどシュートが打てた。他にもいろいろやってみた。』からだそうだ。
なるほどね。シュートって打てるだけでも楽しいんだ。失敗しても何かを試すことって楽しいんだ。あれは暗かったのではなく一所懸命考えていた顔だったのか。
今後同じような場面になって何回も失敗すると「悔しい」と思える向上心につながっていくかもしれない。勝敗だけで判断してしまえば、成長の「可能性の芽」を見逃すことになってしまうだろう。また、ピッチの内外で失敗を責められ続ければ、ミスを恐れ、リスクを負ってもチャレンジする勇気を奪われてしまうかもしれない。

確かに一瞬の迷いや小さなミスから失点につながることはある。でも、そのミスや失点だって大切な経験だし次へのステップなのだろう。成功も失敗も、経験できなければ「もっとこうしたい」と思うことすらできないのだ。やはりどの子も平等に試合に出れることは大切だ。
全日本以後は次のステージに向けた取り組みだし、試合で自らが感じたことを自ら練習に還元し再び次の試合で自ら確認してみる、といったことの繰り返しで成長していけばいいと思う。

チラベルトカップの頃から、子どもたちがまた伸びていきそうな予感はしていたけど、整理してみてすっきりした。子どもたちは、自分の力を試し、今までのチャンピオンとしての枠から飛び出そうとしているのだ。さらに羽ばたこうとしているのだ。
『試合』って言葉の中にも『試みる』っていう字が入っているじゃん。
どんどん自分の限界にチャレンジして欲しい。失敗や敗戦を恐れるな!
きみたちのゴールは未来にあるのだから。

2005/10/30 (Sun)   森の恵み  

あの場所で行うことについて様々な意見があるようだが、木々の間に響く楽しげな声からしても、今日のトレーニングは意義深いものだったと思う。
子ども同士のコミニュケーション・コーチング・アイディア等が自然と生まれていたことが一番の成果だ。
その後のマッチにもこの雰囲気は生かされていたと思う。
サッカーを楽しむために何が大切か、心で吸収することができたんじゃないかな。

2005/10/28 (Fri)   人間復興 

様々な教科で「児童・生徒同士に関わり合いを持たせるために仕組まれたコミニュケーション手段を用いる」なんて本末転倒なケンキュージュギョーが蔓延している。監督に言われなきゃコーチングし合えないサッカーチームは、こういうジュギョーにやフウチョーによって増えるかもしれない。
そんな中、情報教育の研究会に行ってきた。
今回は、図画工作の制作に生かすためパソコンを補助的に使用するといった内容で、視聴覚機器をこじつけで使用しておらず、流れに無理がないので児童同士で互いを評価・高め合うコミニュケーションが自然に行われていた。とても共感できるものだった。

視聴覚機器は『視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚』を補うものではあるがそれに代わるものではない。情報教育の研究を通して、人々は五感の重要性を思い出したのである。

サッカーの触覚(タッチ)はトレーニングで高め、視覚・聴覚は日常生活で維持し、味覚・嗅覚(試合感)は観戦でも高めていこう! 五感が高まれば第六感もゲットかも。
(個人的に霊感はゲットしたくない)

2005/10/22 (Sat)   コン アモーレ(愛情を込めて)  

チラベルトカップで真田に惜敗した試合について。
結果を見れば攻めまくったのにカウンター一発でやられ自滅というよくあるパターンだし、人によって見方は様々だろうが、プレーヤーは例え思った通りいかなくても意図してプレーしていることが多かったと思う。これはジュニアユース世代から花開く力(自分がどう生きたいのか)の種まきになると信じたい。負けは悔しいが、特に前半『サッカーの質』の深まりやチーム・個々の成長の可能性が感じられたから1zuパパは大満足だった。

具体的には、これまでのスペースやターゲットを意識した内容に“緩急”が加わり、展開に抑揚が出て表現力に幅が出たと思う。つまり、ボールをキープした瞬間いたずらに展開を早めない“溜め”みたいな時間を今まで以上に巧く使えるようになってきた。キープすることで相手を引き付け、味方に準備させてから縦へ横へ時には後ろへ展開することの意義を理解し始めたということだ。何も考えてないといつも急いでしまい結局つぶされる。
もちろんダイレクトプレーや速攻カウンターが効果的な場合もある。スローインやファーストタッチ等の“精度”が高まればスゲーことになりそうなアイディアも見られた。
今後もタテ・ヨコ・ナナメやリズム・緩急・強弱等様々なバリエーションで展開すればいいのだ。バリエーションが多いと次の展開を相手に読まれにくくなる。

“溜め”は音楽で言うと“休符”みたいな感じかな。ボールキープして主旋律となっているプレーヤーが休符の時、周囲の副旋律プレーヤーが“アッチェレランド(だんだんはやく)”や“クレッシェンド(だんだん強く)”のように次の動き出しができるようになってきていることで、ゲームメイクのハーモニーに厚みが増していると思った。チャンピオンシップの頃にはきっと素晴らしいオーケストラが聴けることだろう。

相手が筑摩野だとどのチームも張り切っちゃうので、状況や展開を冷静に判断しないと、自分達のサッカーを見失っちゃう。だから後半は焦っちゃってハーモニーはガタガタだったかも。

他者との支えあいがあって初めて自我が成立し自己実現に向かうことができるのだ。
ベンチの指揮を受け止め、ピッチ外の言葉に踊らされず・判断を惑わされず、ピッチ内でも味方が前向きに取り組めるよう励ましあおう。
フォルテッシモから原点に戻り、今後チームもクレッシェンドしよう。今は大いに悩めよ。

2005/10/21 (Fri)   アリランとアメージングストーリーのユニゾン  

満員御礼の金剛山歌劇団公演、舞台前挨拶に立ったのがRYUさんだった。
もしかして超大物?
時間の関係で2部構成のうちの演奏や歌が主体の第1部しか観れなかったが、思っていた以上に親しみやすい内容で、しかもしっかりとした“技”で表現されていて感動した。
何より、日本人として「祖国」「民族」という言葉すら忘れそうな自分の日常をふりかえる機会になった。

2005/10/16 (Sun)   心に新しい風は吹いたか?  

南松本さんとの合同トレーニング、仲間早決めも、ボール投げワンタッチも、4対2も、主なテーマとして「コミニュケーション」があった。
外から見てたからよくわからなかったけど、コミニュケーションに関するスキルが高い子は、南松の子はほぼ全員、筑摩野の子は約7割〜8割くらいかなぁ。この子達は今日のトレーニングやテストマッチは良い刺激を受け楽しめたと思う。

シャイな子達は慣れないチームだと自己のベストを発揮しきれず、キツイ言い方をすればサッカープレーヤーとして自立できていないので「仲良しチーム」の中でしか通用しない。このままではジュニアユースで「その他大勢」となり、試合にはあまり出れないかもしれない。
だから声を出して伝えられるように今からがんばれ!

南松の巧い子は本当に巧くて感動だった。大会で対峙するのではなく、共に取り組むことができたのは、筑摩野の子にしてみれば貴重な経験だったと思う。
南松本さん・両チームのコーチの皆様・両チームの関係の皆様、ありがとうございました。

低学年の頃から切磋琢磨しあった二つのチームが、6年のこの時期に一緒にトレーニングしている姿を見たら、やっぱウルウルしてしまうなぁ。

2005/10/10 (Mon)   見える壁と見えない壁 

19人のムスコたちは、2種類の壁にぶち当たっているかもしれない。ジュニアユースに行く前にこの壁にぶつかったのはラッキーだ。修正できる期間があと5ヶ月もある。

見える壁は他チームの「デカさ」である。
この時期の6年生にはグングン大きくなる子もいる。リーグ最終節の開智戦から感じていたが、それまで機能した スペースやギャップを狙う浮き球・グラウンダーのパス・シュートが、相手のリーチや高さで阻まれてしまうことが増えてきた。

見えない壁は他チームの「追い上げ」である。
夏までは、相手に対するアプローチの早さと高いプレッシャーは19人のムスコたちの抜群の十八番だったが、ここに来て他のどのチームもこの力を高めている。陣取り合戦が激しくなっているということだ。

つまり夏までは、ロープレッシャーな展開のため自分達のサッカーで支配できていたのかもしれない。
しかし秋になり、上記の2種類の壁のため、今まで受けたことのない閉塞感と圧迫感が生じ心理的にも物理的にもサッカーが思うように展開できないのかなぁと思う。どのチームもパワー・スピードだけでなくスキル・アイディアを加えたサッカーにステップアップしたのだろう。陣取りが同レベルなら、個人技の高さやデカさはボールの支配率に影響するだろう。

苦しめば苦しむほど大きく成長できる。神様が与えてくださった新たな試練なのかもしれない。
秋の大会中で身体の劇的な成長は望めない(自分達の平均身長の低さを弱点と言ってるのではない。他のチームが身体的にもチーム的にもかなり成長しているから自分達も新たな力をつけようよということである)が、持ち前の強い精神力でこの局面を打破する自分なりの方法を必ず見つけてくれるだろう。一人一つでも得意技を増やせばチームの総合力はグンと上がる。

例えばデカい相手だろうが何だろうがかわすテクニックや、リーチの不利に関係なく機能する意図のあるパスやシュート。
例えば早いアプローチを更に超えるダイレクトプレーの連動やしなやかなファーストタッチ、ハイプレッシャーを逆手に取る味方のフォロー・カバーまたはフェイント。
例えばこれらのためのオフザボールの動き・準備。
例えばコミニュケーションスキルやハートの高まり。

そして壁を打ち破り、ひとまわりもふたまわりも大きくなった19人のムスコたちの姿は、きっとチャンピオンシップで見れると思う。

2005/10/2 (Sun)   やっぱ基本でしょ  

今日は秋の松本市ミニバスケットボールBリーグ(4年以下・年2回)が行われた。松本南部所属の1zu妹は、1試合目松本北部戦第2クォーター終了間際に念願の初得点を挙げた。松本南部は筑摩にも勝ち、三角リーグ1位で賞状を手にした。1zu妹自身は2試合合計の出場が3クォーターと1分だが、少しずつ成長しているところを見せてくれた。
バスケットもサッカーも、ボールをキープしていてのルックアップが重要だということを再確認した。ドリブルしながらもルックアップできるためには基本が大切だ。身体がボールコントロールを覚えこまないと頭脳と切り分けて機能しないからだ。1zu妹はスピードとパワーはこれからだが、ルックアップはできつつあるのでちょっと嬉しかった。普段のトレーニングで指導していただいてるからこそ、試合の中で出せたのだろうしシュートも決められたのだと思う。

サッカーもバスケも野球も、他のスポーツもスポーツ以外も、全ての育成指導者に感謝である。
(バスケのコーチ陣は手当てもかなり少ないらしい。松本南部は月謝もないのに、高学年のナイター練習はサッカーより多いし、日曜日の練習は1日ずっとだ。頭が下がる。)
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