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願いごとむすびの神 Yohasira Jinja

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 明治天皇行幸


   明治維新の後、江戸が東京となり、そして天皇様が各地を御巡幸される。これは日本の歴史始まって以来のことであり、それもこの信州松本に行幸されるとなれば、当時の松本の人々にとっては想像もつかないこと、迎えるものにとっては大変な御苦労があり、そしてまた大きな歓びであったことでしょう。

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 明治12年御創建なったばかりの四柱神社をなぜ行在所に定められたのか、これには種々考えられるが、明治3年正月3日のいわゆる大教宣布の詔(この大教宣布の詔を基に、日本の伝統精神である惟神の大道を布教することを目的に東京の芝増上寺に大教院、以下各県に中教院を置き、神職、僧侶他を教導職とし、日本の伝統精神を伝える場とした。この中教院が四柱神社の前身)に由来し四柱神社の創建がなされ、併設して神道事務分局の置かれたことがその大きな理由の一つと考えられる。加えて新築されたばかりの建物であったこともその理由の一つでありましょう。
 いずれにしても、歴史の浅い当神社にとっては特筆すべき歴史的大事であり、そしてこのことがその後の当神社発展の礎となったことは言うまでもない。

 

 明治13年6月24日、明治天皇がいよいよ松本に入られた。供奉の文学御用掛池原香穉氏の「みとものかず」にその時の様子が詳しいので一部記してみる。

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(略)午後1時40分松本の町に入る。ここぞ信濃國の最も賑へる所なる。入口より町のなから迄、諸々の学校生徒隙間なく立続けり。それ絶ゆれば、町のもの、或は遠近の村里より出でたる、老いたる、若き、男女を云わず、御輦の通らせ給ふ道を纔かばかり除く外は、大方人にて埋れたり、東京を出しより、斯許り人の多く立ち集ひたる所なん無かりける。殊に夫れ夫れに装束きて、寔に美しげなり。三時過ぐる頃雨劇しう降り濺くにかく集ひたる人なれは、傘もとりあえず御輦着かせ給ふ程は、殊更に道去りあへず。しとどに濡れて立ち騒げる様哀れにも亦侘しげなり(中略)うへは4時ころ着かせ給いぬ。暫しがほどは人の山をなして、降りしきる雨にも厭はす、行き通ひたるいと賑はし云々

と、当時の賑わいを伝え、また雨にもかかわらず大変な人出であったことが想像できる。
 当日の行在所である神道事務分局御到着の御様子は、明治陛下が渡り初めをされた御幸橋の由来を記した『聖蹟御幸橋』の碑にも記されている。
 この碑は紀元2600年(昭和15年)、行幸60周年を記念して複橋を架けた折に建てられた。60年を経過し、当時すでに若干損われた状態であったと考えられる。この御幸橋は平成12年明治天皇行幸120年を記念して、第一鳥居復元建立と共に全面的改修が行われた。

 

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  松本の行在所となった神道事務分局は行在所に充てるため二千円余をかけ営繕した。神社に対しては金百五十円、御紋付三組銀杯一組、紅白羽二重二匹が御下賜された。この建物は残念ながら明治二十一年の松本大火により類焼、焼失しており、その後は松本市公会堂が建てられ長く市民に利用された場所である。平成十一年この土地が松本市より神社に返還、平成十五年には、この由緒ある場所に社務所兼参集殿を建設し、四柱神社創建当時の姿に立ち返った。
 現在、神社境内には『明治天皇行在所舊址』の大きな石碑が建てられている。(明治神宮二代宮司一戸兵衛〈元陸軍大将〉揮毫により昭和二年建立)




 明治天皇御聖跡


 明治天皇御聖蹟は現在、当神社を含め松本市内に7箇所あり、いずれも由緒ある場所として碑が建てられ、昔の面影が残されています。


―松本区裁判所―
 松本城内二ノ丸御殿跡に当時建てられていた松本区裁判所。現在その跡地に『明治天皇駐蹕遺址碑』の大きな石碑が建てられ、松本城の二ノ丸御殿跡として整備されている。
 この当時の建物は、現在司法博物館として島立の松本市歴史の里に移築、国内に残る明治期唯一の和風木造裁判所である。












―師範松本支校―  松本市役所本庁舎東口より南へ少し歩くと東面して碑が建っている。『明治天皇聖蹟元帥伯爵東郷平八郎謹書 花押』の銅銘板のはめこまれた碑である。これは当時の師範松本支校の地。この当時の建物は、当社と同様明治21年の松本大火の折に類焼、残念ながら焼失している。






―開 智 学 校―  開智学校。当時は女鳥羽川沿いにあったが、現在は松本城の北徒歩五分のところに移設され、昔のままに保存され、国宝に指定されている。ここには『明治天皇行幸所開智学校』と『明治天皇御駐蹕處』の二つの石碑が建てられている。
 また、開智学校内には明治天皇の玉座にあてられた御部屋が明治天皇御座所として当時のままに保存されている。




―中 田 家―
 少し市の郊外に足を延ばすと、6月24日の御小休所・中田貢邸がある(出川町旧道沿い、出川郵便局南隣、『明治天皇信楽村御小休所』の石碑が建てられている)。
 中田家住宅は現在松本市重要文化財。また、たぶん明治天皇様も御覧になられたであろう庭園は現在長野県名勝に指定され、それぞれ当時のままに保存されている。












―中 村 家―
 松本を御出発になり木曽へ向かわれた二十五日の御小休所・村井中村宗次郎邸がある。(村井駅前旧道沿い、松本方面へ向い右側、『明治天皇村井御小休所』の石碑が建てられている)
 庭園には『御小休』の石碑と『明治天皇村井御膳水』の石碑の建つ井戸が当時のままに残されている。


―源智の井戸― 行在所での御膳水に使われた日本の名水百選源智の井戸には、『明治天皇御膳水』の碑が建てられている。









各所とも、さすが伝統文化を重んずる松本ならでは、その周辺の風景ともどもその当時の雰囲気をかもし出している。明治という時代を偲び各聖蹟を探訪になってはいかがでしょう。


info情報

四柱神社

〒390-0874
長野県松本市大手3−3−20
TEL.0263-32-1936
FAX.0263-32-1942