松本城近辺のお城達「山家城(中入城)」 「松本城、(深志城だった頃)の親城、林城,の山辺谷の要害城、林城の詰城として重要であった。」 |
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山辺谷は鎌倉時代末期は、諏訪下社の大祝諏訪氏の一族、神為頼が支配していた、この頃為頼が築いたのであろう。神為頼が北条氏と運命をともにしたあと、播州姫路から折野昌治が小笠原貞朝の幕下として入ってきた。後の山家氏である。 林城落城の際には小笠原長時は一旦山家城(中入城)に逃れ、しばらくこの地に滞在し、坂城の村上氏を頼っている。 図、資料は図解松本の歴史(郷土出版)、信州の山城(信毎書籍出版センター)より 美ヶ原の王ヶ鼻から西方に張り出した尾根先、標高1057bの秋葉神社の所在する峰図Bとその先端の尾根先、標高1000bの峯図@に構築された二つの城である。 |
2001年04月09日 月曜日 どういう訳か今日はデイオフ、桜の花が咲き始めたうららかな日差しに誘われて、思い立ったように予てから行こうと思っていた山家城に出かけました。 朝9時デジカメ、ポカリ、メモ、資料をまとめデーバッグに、山辺方面へ車を進めた。桐原城入り口を通り過ぎて、資料にあった徳運寺を目指す、寺の看板があった主道路を左折、細い道路をお寺に向い、寺正面を右にしばらく行くと小さな案内板があった、農家のおじさんがいたので聞いてみると、親切に車の置く場所と登り口を教えてくれました。車一台やっと通れる位の畑道を上り詰めるとおじさんの教えてくれた通りパーキングスペースがありました。 これは降りてきてから解ったのです主道路を50メートル程上った所に史跡の案内看板がありました。組合前と言うバス停も通り沿いにありバスでのアクセスも可能のようです。 |
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車を止めてさてそのまま北の方向に登り始めた、結構急な上りだ、5分位登る。 竹やぶを通り過ぎた、案内書によればもうすぐ図Aの場所に出るはずだ。。。 出た!!段郭が東の方向に四段ほど尾根つたいに上っています、さらに気合を入れて登ります。 |
図Aより東を望む |
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おびただしい数の石に遭遇、石垣が崩れたのでしょう、本郭の西面です。 石垣の残骸を乗り越えて本郭に入る。 |
本郭西面崩れた石垣跡 |
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本郭の広さは桐原城のそれと同じくらいだ。北東の隅に小さな祠があった、どうやら小笠原氏を祀ってあるようだ。 | 小笠原氏を祀った祠 |
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なるほど、小笠原氏か。。。 |