松本城近辺のお城達「松本城、(深志城だった頃)の親城、林城」

 松本城のガイドを長いことしていると松本城が現存の物になる前の歴史的な背景の知識も必要な事に気が付きます、原因のないところに結果は無いということでしょうか、最近城郭史跡ファンの方々のそのパワーの凄さをインターネットで知り、さらには影響を多大に受けまして、自分自身の目で確認、(お城ファンの言葉では城攻め)する事に目覚めました。
 今回手はじめに松本城に歴史的に最も関係の深い林城を攻める事にしました。
2000年11月24日 金曜日
 今朝は朝霧がでて天気が良くなる予感。いよいよ中世の城攻めデビューです、場所は予てより周知の所、セブンイレブンにておにぎりとお茶を仕入れて出発、家をでて10分もかからぬ所にあるのです。車を薄川沿いに駐車していざいざ山道へ・・・登り口の目印は東城山遊歩道出だしはチョッと急だけど道は整備されていて登りやすかったです。
下の二枚の地図は今回ゆうさんが参考にした資料です。
 
 ちょっと見難いけれど林城城下町の図です、山城の裾野及び周りに寺が幾つか配置され更に侍屋敷がそれを囲むかのようです。

資料は歴史群像名城シリーズ松本城より、林城周辺復元図(新人物往来社、日本城郭体系8より)
1、主郭 2、副郭 A〜E空堀

資料は歴史のなかの松本城(発行・長野県松本市)より、(作図三島正之「中世城郭研究」第2号より)


登り口の所にご案内板がありました。
長野県史跡
林城
1、大城(金華山城)
2、小城(福山城)
並びにその前衛をなす埴原城を含める
建武年中(1334〜)信濃守護、小笠原貞宗府中に井川館を設けて以来長時が武田晴信に敗れて退去した天文19年(1550)まで約200年間きびしい戦国の世に処した小笠原氏の本拠地で中世における連立式の築城遺構をもっている。
とありました。
「成る程、そうか、林城は大小二つあるんだ!!」
良し解った両方攻めねば。。。
さっそく登り始めたが結構急な坂、城は攻めにくくしてあるのだから当然と言えば当然!!
しばらくは絶好のお天気でアルプスから松本市内のビューティフルな景色を堪能しながら歩きました。
間もなくちょっとした休憩所(ベンチ、屋根付き)
があります、まだお城の遺構らしきものは何も無く、ここには、今度は遊歩道の説明看板が有りました。
史跡案内看板の写真へ

遊歩道案内看板の写真へ

空掘E
空堀ってホントに掘って出来ている、感激

空堀D


空堀C

空堀B
空掘に感激していたら段々になった地形がはっきりして来た。
二の丸とか三の丸に当たるものなのか。。。

ここにも休憩用ベンチあり
多分地図の2副郭に当たる場所です。

天守の礎石
主郭内(本丸と呼んでいいのかな?)天守の礎石がありました。

土塁の内側の石積
山辺歴史研究会より
本丸は東西48m南北21m〜37mあまり、西方を除いて石垣土塁が巡っている。土塁敷は4.5m高さ3m、上部巾は1〜2mに及んでいるが南側は痕跡を残す程度の低さである。
本丸を巡る土塁は戦いに鉄砲が使われだしてから、玉をよける為に築かれるようになり、土塁の後ろには石積がある。素朴な乱れ積である。
ふむふむと妙に納得してゆうさんはぐるりと本丸なるものを中から外から観察したのでした。
はじめての山城攻め結構遊歩道になっていて楽勝でした。
さて帰り道意気揚揚のゆうさん小城へと決意も新たにすすむのでした。