| 更に前方を見上げると、尾根も狭くなり一段一段の差が確認できる、目指すは主郭。 | |
| 山頂間近で石垣の崩れた物発見、主郭、副郭の周りは石垣で固められたようである。 |
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| 副郭? かなり広いスペースである。 | |
| 主郭西側半分、木の向こう側は中山、村井方面が望める。 | |
| 主郭東半分側、笹林の中に倒れた史跡看板、それと新しい立て看板、どちらも文字は消えてまったく読めませんでした。 | |
| 更に東側に何かありそうな感じで行ってみると、もう一つ郭がありました。 | |
| その先は深い谷、人工的か、自然のままか。。。 | |
| 郭を回りから観察すると、かなりの量の石垣が綺麗に残っていました。ここまで残っていると、もう感激もの。。。 | |
| さらに回りは平らにならされた部分で囲われていました(これは武者走りと呼ばれるのでしょうか?) |
これだけの山城が武田軍の侵攻で落ちてしまったのだから林本城の自落は当然だったのかもしれない。
この規模の大きさは只者ではないように思える。