第1節 『OFF THE PITCH』という視点

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2004/12/17 (Fri)  アンテナは使うもの

 自分は勤務先の「情報係」という立場上、職場内無線LANの構築に携わったり、職場の情報機器管理や活用方法を探ったりしてきた。勤務時間中に「OFF THE PITCH」を更新できたのも、勤務先ホームページの可能性を探る手段の一つであり研修の一環であるからだ。
 そんな中で、私は最近無線にハマッてる。
 アマチュア無線は若い頃ろくに勉強せず試験を受け当然のように落ちたが、当時省電力トランシーバーが流行り出したのでそれで事足りた。その後携帯電話が普及したので自分は無線免許取得の必要がなくなった。
 今ハマッてるのはパソコン周辺機器関係の無線だ。職場内無線LAN構築成功後、そのあまりの便利さに家庭内も無線LANを構築した。家の中のどこにいたってインターネットにつながるのだから楽だ。
 他の無線手段としてブルートゥースと赤外線の環境構築にも興味を持った。
 折りしも道交法改正で運転中の手に持った携帯電話使用がさらに厳しく罰せられることになり、ヘッドセットと呼ばれる無線イヤホンがにわかに注目されはじめた。有線イヤホンもあり使ってみたが、コードがハンドルにからまってかえって危ない。そこで携帯電話に接続するブルートゥース電波発信機と受信ヘッドセットと、ついでにパソコンに接続するブルートゥース電波送受信機も購入し、互換させて使ってみたがやっぱ無線はチョー便利。
 自分が仕事で使っているプリンタは赤外線信号受光部があるが、今まではUSBコードだけ使用していた。今回パソコンに接続する赤外線信号送受光機も購入し使ってみたが、やっぱ無線はチョー便利。
 私のノートパソコンはデスクから離れた位置で無線LANによってインターネットに接続しながら、無線イヤホンで作業内容の音を拾い、無線信号でプリントアウトを実行できることになった。ホントに能率が上がる。

 前置きが長くなったが、何が言いたいかというと、「おーい、今からおまえにパスを出すぞー」「よーしわかったー来ーい」が有線なら、「お互いにチラリ」が無線なんだということ。有線は接続した瞬間からコミニュケーションが始まるのに対し、無線はコミニュケーション常時接続状態であるということ。意識していればいつでも反応できる。つまり、サッカーにおいては、意識が常に無線コミニュケーション状態にあればアイコンタクトなんてすぐできてしまうし、声を出せばより確実に連動できる。
 電磁波が身体に悪いという話もあるが、それはおいといて、ピッチに入ったら文字通り“ゲームの流れに対するアンテナ”を高くする意識が持てるといいと思う。そうすれば、パスが出てから走り出すとか相手の動きを見てから動き出すといったスイッチが入らないと動けない判断ではなくて、先を考え予測して事前に準備するオフザボールの判断・動きができるようになっていくと思う。ルックアップ・ルックアラウンドの力は重要だ。
 ついでに言うと、サッカー有線コミニュケーション“端子”しか持っていなければ、攻撃・守備のスペースも、“点”もしくは“線”でしか見つけられないだろう。サッカー無線コミニュケーション“アンテナ”を持っていれば、スペースを“面”で予測・見つけることができ、まさに「スペース」となる。うまくすると2次元から3次元の宇宙スペースにまでゲーム勘を発展させられるかもしれない。
 ファンタジスタに限らず、超プレーに私は一瞬宇宙空間を感じる。サッカーのその瞬間が好きなのだ。

 18人のムスコたちにも数々の宇宙プレーを見せてもらった2004年だった。アンテナを伸ばす必要はないから送受信の力を強くして、2005年はもっと多くの宇宙プレーを見せてもらいたいと願っている。

2004/12/9 (Thu)  熱い思い出

サッカーをやったことのある人なら誰でも「忘れられない試合・忘れられないプレー」があると思う。自分が最も誇れるプレーができた試合は、勝ち負けを問わず印象に残る。

私の現役時代のポジションはゴールキーパー。大好きなポジション。っていうかここしかできない・・・・。そして心の中で輝いている思い出は、大学の時、最も誇れるプレーが1ゲームの中で2つもある試合。
東京都の大学リーグは全国から注目される1部リーグから、おまけのような4部リーグまであった。私の大学のサッカー部は4部リーグ。チームはサークルのような運営だから温かい雰囲気のものだったが、その試合は3部リーグとの交流試合なので、皆結構気合いが入っていた。こっちは自分たちだけでやっているのに、向こうは監督がいたのでちょっと羨ましかった。

 自分が最も誇れるプレーの一つ目
相手は3トップ、こちらのディフェンスはストッパー&スイーパーのある4バックだった。こちらのストッパーが相手のセンターハーフにボールを奪われ抜かれた。ボールを持つ相手と3トップに対しこちらのバックスは3人。切り崩されると予感した。バックスは3トップにマンマーク、相手は動きでかき回してきて左サイドにバックスの意識が持っていかれ、相手のセンターハーフがそこへパスを出す動作をした。すかさずスイーパーがアプローチに行こうとしたが、それはフェイントだった。「センターフォワードがゴール正面でフリーになる!」そう思って相手センターハーフがセンターフォワードにパスを出す瞬間私は前へ飛び出した。
ビンゴ! センターフォワードはパスを受け振り向きざまにおいしいシュートをするつもりだったが、その足元のボールを私が滑り込みながらキャッチしてしまったので、よほど頭に来たのかすでに私がキャッチしたボールをもう一度蹴ってうなり声を上げた。本来ならファールだが私は平然とプレーを再開した。
このカタルシス!格上である相手の決定的な場面を自分の直感と判断で叩きのめした快感!思い出しただけで今でも興奮する。

 自分が最も誇れるプレーの二つ目。
こちらのディフェンスがかき回しや揺さぶりについて行けないことを見抜かれて、バイタルエリアでいいようにボールを回されていたが、ふいに前線へボールを送ることができた。そこで気がゆるんだ。オフサイドトラップを簡単に破られ、ゴール前に走り込んだ相手にパスが通って、私と完全に1対1の状態になってしまった。シュートコースを狭めるため私は前に出たが、とても防ぎきれる距離ではない。「賭けしかない!」相手のこれ以上ない決定的な場面、何もできないより何か仕掛けようと判断した瞬間アドレナリンが一気に体中を駆けめぐっていくのがわかった。ほんの少しわざと片方のシュートコース空け、相手がシュートの体勢に入った瞬間に空けたシュートコースに思いっきり飛んだ。
ビンゴ!ビンゴ! 思いっきりのばした両手が相手のシュートボールを吸い込むようにキャッチした。ミラクルだと思った。相手の監督がうなり声を上げた。
まさにカタルシス!天まで味方するかのようなプレーの快感!このスーパーセーブはオリバーカーンにも負けないとちょっとだけ思う。

試合は結局1対4の大敗。力の差は歴然だった。しかし、相手だけでなく味方をもうならせたこの2つのプレーがあるので、私にとってはこの試合がベストなのである。

先日センターバックのUくんに「一番気持ちいいプレーは何?」と聞いたら、「相手の裏をかくアプローチでボールを奪う瞬間」と答えてくれた。ミッドフィルダーのMくんに同様の質問をしたら「自分のパスが起点となりいい展開になった時」と答えてくれた。カタルシスは得点の瞬間だけではないことを再認識した。
得点場面は結果が分かりやすく大いに盛り上がるが、そこに至るまでの連続・連動するプレーがあればこそである。
点を取ることだけでなく、様々なプレーに喜びをもっと感じられるようになれば、サッカーは数倍楽しくなるし、仲間のプレーの素晴らしさを互いに讃え合い、チームとしてさらに高いレベルのまとまりを創っていけるだろう。

忘れられないプレー・忘れられない試合・忘れられないチーム・・・・・
18人の息子たちが、10年20年後に思い出して胸が熱くなるような思い出に、残された限りある期間でたくさん出会えるといいなぁと思う。

2004/12/7 (Tue)  ピッチには裏がない

今度は亜細亜大学野球部の不名誉なニュースが流れた。
寮に勤める方は取材に対し「みんないい子なんですよ」と答えた。表の姿と裏の姿を持っていたのだろうか。いや、むしろ今回のような事件を起こす姿の方が本質で野球選手は仮面なのかもしれない。勝つことを優先するチーム運営が招いた悲劇なのだろうか? 一部の部員のために野球部がどうなってしまうのだろうか。
芋づる式に同じような事が明らかになってきそうな、嫌な予感もする。

人の道を外すことをする人間は、スポーツにおいて高い力を持っているとしても「スポーツマン」ではない。逆に、一流のプレーヤーでなくても、もっと言えば上手でなくても、健やかに胸を張ってスポーツを楽しめる人は「スポーツマン」である。
選手宣誓でよく言われる「スポーツマンシップ」を大切に考えたい。社会のルールを守れないやつがスポーツのルールを守れるわけねぇじゃん。「OFF THE PITCH」を大切にできなければ「ON THE PITCH」を大切にできっこない。

サッカーはプレーに人柄が表れやすいスポーツであり、サッカーでの姿でそれ以外の姿を垣間見ることができる。「ON THE PITCH」と「OFF THE PITCH」は表と裏ではない。両方が表の一元性の世界でありサッカーの両輪である。「OFF THE PITCH」が脱輪すれば「ON THE PITCH」も前に進まなくなる。

北信越トレセン候補であるHくんは、塩筑トレセン・中信トレセン・県トレセンとステップアップしていくに従って、おごりや慢心は消え、相手の考え方や立場を尊重し受け止めるようになり、基礎をより大切にするようになり、プレーが紳士的になり、物・人・環境などへの感謝の気持ちを持って礼儀正しくなってきた。サッカーと共に人としても成長したのである。だからもっとデカくなる可能性が感じられる。

18人のムスコたちにも、もっともっとデカくなって欲しいと願っている。

2004/12/5 (Sun)  シーズンイン!

今後グランド状態が悪くなる一方なので練習は体育館が多くなる。雰囲気はオフシーズンのようだがそうではない。サッカーは全天候型スポーツでボールにもオールウェザーの表示がある。
来年の春から夏にかけての勝負はこの冬の取り組みにかかっている。本当の勝負は冬の期間で決まるのかもしれない。冬を制するものは夏を制するのである。

サッカーを生涯楽しむために少年サッカーの段階でつけるべき力はあり、「勝敗よりも内容の充実」を考えることは最優先だと思う。しかし全日本に限って言えば「勝ちにこだわる」ための最高の舞台だと思う。最高目標だからこそ、子どもたちはそこを目指して取り組んできている。全日本に向けた闘いはすでに始まっている。

サッカーの年代分けは1月から12月なので、1月からは「U−12Aチーム」という自覚を持っていいと思う。つまり、我がチームにとって最後のシーズンが始まるのである。一人ひとりのサッカー人生はまだまだ続くが、この18人の仲間・チームとしての最後の年「2005」が間もなくスタートするのだ。Bでいれば「まだ先があるさ」で済むが、少年団のトップチームとしての舞台はすでに始まり、そしてもう残り少ないことを忘れてはならない。何をするのも「最後」なのだ。一つひとつ・どんなことも大切にしていきたい。

最高の夏にするために、最高の冬を過ごそう!

ということで、今後は「OFF THE PITCH」をU−12A応援ページとします。
(ちょっと早いかな・・・でも判断が遅れるよりいいと思う)

2004/12/3 (Fri)  「OFF THE PITCH」という視点・完結編

国士舘大学のサッカー部は、社会人リーグに参戦している強豪であった。しかし一部の者が集団で犯罪をし、チーム全体が無期活動停止になってしまった。
関係ない選手はちょっと可哀想な気もするが、この一部の者が犯罪の兆しを事前に見せていて、もしそれに気付いていたなら、止められなかったことに深く後悔しているだろう。
OFF THE PITCHは個人の責任によるところが大きいが、チームとしてのOFF THE PITCHについても考えさせられる問題だ。


一ヶ月ほど前、視聴覚機器のOFF THE PITCHが考えられることはあまりないということを書いたが、今回は自分なりの案を一つ挙げてみたい。

パワーポイントなどのプレゼンテーションソフトを使い、豊かなプレゼンテーションを作成・実行するためには、どんなOFF THE PITCHがあるか、私なりの仮説。

 まずは、幼少期に親から「読み聞かせ」をしてもらうこと。
絵本など、感情込めた読み聞かせを受けることで、視覚・聴覚を中心として感覚にうったえる内容や豊かな表現への感動、視覚効果や聴覚効果を含め豊かに伝える事への興味・関心、起承転結の一貫性、場面転換の醍醐味・意外性など、多くのことを学ぶだろう。
 次は、本や絵本を自分で読むこと。
ページをめくることで内容がどう変化していくか、様々な例を吸収・蓄積していく。いつか自分から生まれたアイディアを生かしたいときには、この蓄積が必ず役に立つだろう。
 次に、作文や日記を書いたり、絵を描いたりすること。
表現の原点であり、この力が豊かにならないと、視聴覚ツールを使った表現も底の浅い物になる。はじめは模倣でもいい。
 そして、自分のために作ること。
作るということは必ずそこにコンセプトが生まれる。コンセプトを考えることは、マーケティングやリサーチを含め、「受取る」側の立場や気持ちを考える基礎となる。図画工作や美術の作品も「授業だからとりあえずやった」作品より「なんだか作るのが面白かった」と思える物の方が、技能云々を蹴散らすエネルギーがある。
 加えて、相手を意識して作ること。
ここで今までの蓄積が全て発揮される。相手が喜ぶ内容を考える中に、社会では認められない内容は含まれていく。喜びを知る人は悲しみも知っているのである。技術的にプレゼンテーションに直結しそうなものと言えば絵本、特にペーパークラフトの要素も含めた「飛び出す絵本」だと思う。ページをめくる度に場面が転換し、強調したい部分は飛び出してくるのだから、これはもうアニメーションであり、プレゼンテーションそのものだろう。技術とかプレゼンとかを抜きにして、食べ物でも衣類でも手紙でもなんでもいいから、相手を意識した物を作れる人は、サッカーで例えるとチームプレーの連動の核となる動きができる人だろう。
(ボールコントロール上手下手は別の問題)
 最後に、表現手段のあくまで一つとして機器操作を学ぶこと。
視聴覚機器も発達に沿った学び方があっていいと思う。視聴覚機器を使うのは人間であり機器はあくまでツール。機器の便利さばかりに目を取られると、それを使う人間をどう育てるかを忘れてしまう。先日、中学生がパソコンやスキャナやプリンタを使って紙幣を偽造して捕まった。「機器がここまで発展してなければこんな事件は起きなかった」という解説者もいたが、そうではなくて、機器の便利さに操られた社会に順応するために、少年少女が機器の操作中心に教育されてきた結果だと私は思う。情報モラル・使用モラル等がまずあってから機器の操作を学ぶべきである。教育機関だけの責任ではなく、情報・使用モラルを徹底できないまま、安易にパソコン・携帯電話等のインターネット環境を子どもに与えてしまう家庭にも責任はあると思う。
(人のことは言えないけど)

これまで書いた仮説を今度は少年サッカーに置き換えてみると、ボール遊び・良いプレーを見る・良いプレーをまねる・良いプレーを試す・良いプレーを仲間と試す・良いプレーを発揮できる試合に参加する、といった感じかな。

サッカーのプレーを通して、人は「生き様」を表現しているんだと思う。
そんな個性をチームのために使える人が集まったチームの試合は、きっと面白い。
当然我がチームの試合は面白い。(好調・不調は別の問題)

2004/11/23 (Tue)  清算侍

この日記、当初はサッカーの別視点コラム目指していたって言うじゃな〜い
でも、読み返してみると大分逸れている内容がありますからー!  残念!
書きっぱなし 斬り!
拙者、自分で納得いかない内容のものは削除しましたから 切腹!

2004/11/22 (Mon)  声速&目には見えないテクニック 短編ストーリー

Jくん。サッカーをはじめて1年半が過ぎた。
基礎の基礎からスタートしたが、真面目さが幸いして、ゆっくりとではあるが確実に成長してきた。ここにきて、持ち味である一瞬の飛び出しの良さや、キックインパクトのパワーが武器になりはじめている。
彼の弱点は声を出さないこと。日常生活でも自分から何か言う場面は極めて少ない。サッカーの流れ・動き方がわかってきてポジショニングに光るものがあるので、時折飛び出しによって得点にからむことができるが、ほとんどはその動きを味方に生かしてもらえない。伝えないからである。
本人も課題として意識しているが、優しく静かな性格からか声を出すことをなかなか実践できないでいた。

ある試合のこと。前半途中でJくん得意の飛び出しから決定的な場面になりシュートを放ったがクロスバーを越えた。押される展開の中で放たれたシュートに、チームの仲間は「惜しい惜しい!」と盛り上げた。彼も笑みを浮かべていた。ベンチから見ていた私はある決意をした。
ハーフタイム、彼を呼んでベンチに下がるよう伝えた。本人も周囲も意外だったようなので、その理由を話した。
「きみのシュートは本当に惜しかった。しかし、その1点で勝てるかもしれない決定的な場面で外してしまった。惜しかったで終わらせず外したことを本気で悔しいと思ってほしい。これが一つめの理由。以前から何度も言っているのにきみは仲間に伝わる声を出さない。声を出してさえいれば、きみのポジショニングからいえばもっとチャンスは生まれていた。逆にきみが声を出さないことで、味方が相手の動きを見失い多くのピンチを生んでいる。これが二つ目の理由。つまりきみは、出すべき声を出さないためにチームの多くのピンチを生み出している。にも関わらずチームの数少ない得点のチャンスを無駄にしてしまった。だからベンチに下がってもらう。声を出すのは苦手などと言ってる時期・段階ではない。そのことを本当にわかってもらうにはベンチに下げられる悔しさを心に刻んでもらうことが必要だと思った。」
彼はボーゼンとしていた。
「私の言っていることは間違っているか?」首を横に振るJくん。
「どうだ、悔しいだろう?」うなずくJくん。そして彼の目にはみるみる涙があふれてきた。
「私に対して悔しいのか?自分に対して悔しいのか?」と聞くと「自分・・・」と答えた。
「じゃあ後半は悔しさを噛みしめながら試合を見て、声を出すべき場面を考えなさい。」と言った。

彼はしばらく涙を流しながら試合を見ていた。これでいいと思った。すぐには声を出せるようにならないかもしれない。でもサッカーにおいてコーチングがいかに大切かを彼の心に刻むことはできたと思った。長くサッカーを続けていくなら、いつかきっと役に立つだろう。勝負にこだわるだけでなく人を育てる試合もあるんだということは、我が子のチームから教えてもらったものである。

サッカーはチームでやるから楽しい。ボールを通したコミュニケーションは大切だが、声・コーチングさらにはアイコンタクトというコミュニケーションを実践できれば、サッカーはもっと楽しくなる。Jくんはじめシャイなサッカー少年たちにもそのことはわかってほしい。何よりも自分自身のために。自分のチームのために。

2004/11/19 (Fri)  社会の一員として

学生対象の進路講話で興味深い話があった。

人はいずれ必ず社会に出て社会人として世の中で生きていく。中学校では、高校の求める人材を育てている面もあると思うが、同様に高校では社会に求められている人材を育てることを大切にしている。では、社会はどんな人材を求めているのか。
 ※まずは明るい人。挨拶・考え方も含めてポジティブで明るい人。
 ※そして自分の考えを持って自分の意見を自分の言葉で言える人。
 ※加えて自分から判断して自分の考えで行動できる人。
 ※さらに全体の中の一員として協調できる人。
そこで大切なこととして五つの「S」が挙げられる。
 1,整理
 2,整頓
 3,清潔
 4,正装
 5,作法・礼儀(躾)
これらのことは当然できることとして要求される。(責任感・相手意識・他)

こういった内容だった。「サッカーと同じじゃん!」と思った。

重要なのは、以上のことは「当たり前」のことであって「個性を発揮する部分ではない」ということ。サッカーで言えば、例えばユニフォームをきちんと着るのは当たり前のことであって裾をわざと出したりパンツやストッキングを下げて履いたりするのは個性とは言えないということ。チームの仲間や対戦相手や会場に来ている関係者に明るく元気に挨拶するということ・ベンチの指示を待っているのではなく試合の状況をみて自分で判断して行動するということは「できて立派」ではなくて「やって当然」なのかもしれない。
個性や+αの力・グッドアピールはプレーで示すべきだと言えるだろう。「人間中味で勝負」ということである。
ただ、当たり前のことができない人間は中身で勝負する場も与えてもらえないということかな。社会は厳しい。

どの子も必ず自分なりの「サッカーの武器」を持っている。その武器は、チームの一員として当たり前のことが出来た上で発揮すればこそ光るのかもしれない。

我がチームの子どもたちは、サッカーを通して「社会の一員としての力」も育てていただいていると思った。スポーツ少年団ならではと思う。ありがたいことである。

2004/11/18 (Thu)  サッカーボールがそこにあるから

クラブチームは、ジュニア・ジュニアユース・ユース・社会人と、一貫性を持って選手の育成に当たろうとしている。今年度はアーザとセダックがジュニア向け教室を始めた。フォルツァは来年度ジュニアユースを立ち上げ一貫性を完成させる。サンチルも少人数ながらジュニアユースの活動をしている。松島やその他はアンテロープなど社会人チームにつながる道を考えていてアンテロープからのアプローチもあるらしい。
その中でも山雅は独特な取り組みを行っている。それが「アルウィンプロジェクト」である。アルウィンをホームとしたJリーグチームを目指すというものである。社会人の山雅は今期結果を残せなかったが、今年度立ち上げたジュニアチームは、実はアルウィンプロジェクトの主要な役割であると思う。10年後の山雅の戦力を今から育成しようという狙いではないだろうか。勝敗よりむしろ個々の技能の育成に力を入れていることからも、松本平のレベルアップ&山雅のレベルアップを目指していると思われる。「勝敗よりも個々の育成」は、目先の勝利だけ視野に入れていると見失いがちな視点で、この視点を持たないと子どもたちが失うものも多いだろう。多くのチームの取り組みはそれぞれ素晴らしいが、山雅の取り組みは最も長期的に高い目標を持ったものだと思う。

子どものサッカー人生はジュニア年代で終わるものでもなければ、ジュニアユース・ユース年代で終わるものでもない。本人がプレーヤー(指導者)であり続けたいと願う限り、シニアも含め一生続くのである。サッカー人生という長いスパンで考えた時に、特にジュニアやジュニアユース時代は「その子にとって今必要なのは何か」を考えることが大切だと思う。チームとして勝つ・優勝を目指すのは大切だと思う。しかしその根本に、チームのために個々が何をするか、個々の力をどう生かしていくかがもっと重要になってくると思う。チームのレベルアップは、個々のレベルアップがなければ成り立たないのである。個々のレベルアップのためには、一人ひとりの長期的な指導カルテみたいなものが引き継がれていくといいと思う。そういうことをやりやすいのが、ジュニアから社会人までそろったチームだということは言えると思う。

いずれにしても10年後はどのチームが生き残っているのだろうか。各チームがレベルアップ・生き残りをかけてサービスを提供し、子どもがチームを選べる時代がしばらくの間続くだろう。同時に、それぞれのチームが様々な取り組みを行っており(中には淘汰されるものもあるかもしれないが)、子どもたちがサッカーを行える環境はどんどん整備されていくだろう。
サッカーの環境が整っても、サッカーを行うのは人である。サッカーができる幸運を理解し、サッカーができる喜びを感じ、サッカーのために努力できる人間は、より高いレベルのサッカーを目指していけるだろう。そして今後さらに進んでいく松本平のサッカーのうねりの中でプレーヤーとして生き残っていくだろう。

私が中学生の時のこと。サッカー仲間がある日学校に来なくなった。骨肉腫で入院したのである。次に彼に出会った時に彼の黄金の右足はそこになかった。命を長らえるために切断されたのである。そして彼に会うことは二度となかった。彼は天国でキックオフすることになったのである。
サッカーを続けられるということは、当たり前のことのようでいて、本当はとても幸運なことなのである。生きてさえいれば、プロじゃなくたってサッカーボールに触れる自由がそこにあるのだ。

私は個人的にサッカースポーツ少年団が好きである。「人としての育成」を大切にしていることにも感謝しているが、最高6年間という限られた期間の中でこそ得られるものは多いと思うからだ。特に息子のチームの今の学年の仲間たち(子どもたち・親たち・コーチたち・水はけのいいホームグランド)に出会えたことは、私の一生の宝物だと思っている。
このホームチームのことは一生忘れられない。光輝く「心のメダル」だ。

2004/11/12 (Fri)  “Cool!” is not a “Cold”

カウンセリングマインドという言葉がある。
聞き手がひたすら話し手の言葉を受け止めつづけるカウンセリングと同様の心を持って相手と接することをいう。
少年サッカーの試合を通して選手の判断力を育成するためには、応援の際はこのカウンセリングマインドを持って試合を見守ることが大切だと思う。

ピッチの中は、プレーヤーが練習でつけた自分の力を試す舞台であり、いわば聖域である。そこでプレーヤーが行うことは、成功も失敗も全て未来への財産となる。応援する者は観客であり演出家ではない。演出はベンチが行うもの。プレーヤー一人ひとりのドラマを見守り、良いプレーにはエールを・ミスには励ましを送りたい。指示してはいけない。罵声を浴びせてもいけない。指揮者である審判のジャッジも尊重したい。
(北信越決勝対南松・後半残り5分という時間帯で4バックを3バックにし攻撃に厚みを加えた演出は見事だった。ノータイム奇跡の同点ゴールにつながったと思う。)

今まで見てきたなかで「それはないでしょ」というものがいくつかある。
他のチームの悪口になってしまうが、以下は見ていて悲しくなった。

ボールを受けて前を向いたがアプローチがきついので、後ろの味方に一度落とすという判断をし実行したプレーヤーに対し怒りの声を上げた親。サッカーが自分の好みの展開でないからといって、ピッチの中で主体的に行ったプレーヤーの判断を卑下していいのか。
フリーでボールを持ったら「GO!」「行け!」と一際声が大きくなる親。のせられてスピードアップしあえなくカットされる子は多い。他の選択肢を考え判断するチャンスを奪ってしまっていいのか。
蹴ったボールがことごとく相手に渡ってしまう子に対して「回し者か」と罵った親。相手をかすめた先にあるチャンスを見つけたその子の判断を、結果だけ見て侮辱していいのか。
リーグ勝ち点での優位を考えて、自分のチームの試合ではないのにあからさまに肩入れして応援する親。サッカーそのものを侮辱している。

これらは親が熱くなっているだけ。応援ではない。子どもたちからしてみればむしろ成長のチャンスを奪われる冷たい声援&マインドコントロール。

プレーヤーがどういう判断でそのプレーを行ったのか全て「クールな眼差し」で「温かく受け止めて」あげたい。判断がなかったとしても、ひたむきさ・一生懸命さを見守ってあげたい。その上で、ワンプレーワンプレーを評価し励ます「熱い声援による温かい応援」をしていきたい。
していきたいけど、自分の性格上どうしても分析的な目で見てしまって、あんまし声援していないんだよね。ピッチと一体感を持って声援を送っているとーちゃんかーちゃんが実は羨ましかったりする。
我がチームの子どもたちは「熱い声援による温かい応援」で励まされてきていて幸せだなぁと思う。

2004/11/12 (Fri)  目には見えないテクニック

身体能力や体力は中学生段階で飛躍的に進歩する可能性があるが、技術は中学生からの進歩はゆるやかになる。やはり小学生段階で技術・テクニックを身につけるのは大切なことだと思う。

技術というと、ボールに関わることや身体操作に関わることだけに目を奪われがちだが、他にも大切な技術がある。
それは「声」である。

「声を出すこと」「コーチングすること」は大切なテクニックである。これも小学生段階で身につけていないと、多分将来的に自然に声を出せるプレーヤーになれないだろう。
練習でよく声を出せる子は、その分体力もつくし、試合の中でチームのためになるコーチングを行えるだろう。声を出せるということは判断して取り組めているということ。
練習で声を出せない子は試合でも出せない。どんなにいいポジションにいてどんなにいいスペースを見つけて走り込んでも、気付いてもらえないのでボールをもらえない。味方のピンチでさえもコーチングの声を出せないので、チームの戦力を落とすことになる。アイコンタクトなんて高度なことができているならいいけど、そのためのステップとしてはまず「声」だと思う。

声に限らず「コミュニケーションはテクニックである」ということを忘れてはならないと思う。

2004/11/5 (Fri)  基礎の上に家は立つ

NBAで素晴らしいデビューを飾った田臥さんが「基礎を学べるのは小さい時だけ。(後略)」とバスケット少年少女にエールを送ったという。「基礎は大切」なのは誰もが認める。では基礎ってなぁーに? 言葉の持つ意味が広すぎて具体的なイメージがわかない。解釈も人それぞれだろう。だから場面場面によって何が基礎・基礎は何なのか明確にする必要はあるだろう。
私は我が子のチームを完全に信頼しているが、指導者と保護者の間でサッカーに関する解釈が大きくズレているチームは大変だと思う。伝統か発展か・サッカースタイル・目指すものetc・・・・。 ちょっとしたズレがあらゆるところで歪みとなって不満が蓄積されていく。連合会のせいじゃないのにU12supportersの掲示板に連合会所属チームへの批判が度々書かれていく。胸が痛む。

クローズドスキル(判断を伴わない技術)・オープンスキル(判断を伴う技術)という言葉がある。クローズドスキルはどちらかというとドリル的なトレーニングで高まり、オープンスキルはゲーム的なトレーニングで高まると思う。
技術がないと「自分にボールが来た・どうコントロールしよう・こう展開しよう」と、インプットとアウトプットの間に一つ余計な判断をしなければならない。技術があれば自然と身体が動くだろう。だから身体でサッカーを覚えられる上限ゴールデンエイジに必要なのはクローズドスキルと私は考える。
オープンスキルのある子は事前の予測や素早い判断ができるので、少年のうちはなんとか戦えるが、そのままでは年齢が上がるにつれて苦しくなるだろう。
結果を急ぐ人はパワーサッカーに魅せられるかもしれないが、個人的には少年にパワーサッカーはまだいらないと思う。さなぎの期間が長いほど大きな蝶になるように、ボールマスタリー・ボールコントロールなど様々な技術が身に付けば、将来的にはより豊かなイマジネーションで試合に臨めるからである。

田臥選手の言う「基礎」をサッカーに当てはめると、限りなく近いのがクローズドスキルだと思う。

ここ1年で我が子たちがびっくりするくらい成長したのは、我がチームの指導陣がこのあたりのツボをしっかり押さえてくださっているから。胸が熱くなる。

2004年11月05日  「OFF THE PITCH」という視点

HPに「OFF THE PITCH」というタイトルをつけてから、自分なりにその意味をいろいろ考えるようになった。オンザピッチとオフザピッチの両面の大切さを、始めはサッカーを通した視点だけで考えていたが、この視点は他の場面でも通用するんじゃないかと最近思いはじめた。

先日視聴覚機器の活用に関する全県規模の研究大会に出席した。そこでは、視聴覚機器の効果的な活用方法について多くの意義深い実践が発表されていた。感心すると同時に思ったのは、視聴覚機器があるときに視聴覚機器を扱うことについては皆よく研究されているが、視聴覚機器がないときの視聴覚機器を扱うために役立つ力を伸ばす場面について研究されているものはない、ということである。つまり視聴覚機器のオフザピッチは考えられていないということ。自分なりに「こうすれば」というアイディアはあるが、ここでは割愛する。

プロ野球新規加入は楽天に決定し楽天社長は東京でこの報告を受けた。決定後仙台入りした社長は地元のメディアの頭の飾り物をつけてという歓迎を受け入れなかった。対するライブドアは、アダルトサイトなどダーティなイメージがあるものの、始めから仙台での球団設立を打ち出し決定が出されるときも社長は仙台入りしていた。息の長い安定した経営戦略のオフザピッチは、「経営体力」より「地元ファンの支持を得る」というライブドアの視点の方がより深いような気がする。楽天の今後の努力に期待したい。

ある一つのことを行うために間接的に役立つことがあるんだ、ということを感じることができたのはサッカーのおかげだと思う。
「OFF THE PITCH」・・・・・いい言葉だなぁ。
「OFF THE BALL」「ON THE BALL」につながることだよね。

2004年11月04日  声速

今日の練習では「ターン(turn)!」「マノン(man on)!」のコーチングを教えていただいていた。
「クリア!」「ダイレ!」などと少し違って、こうして欲しい・ああして欲しいという声ではなく、味方がどんな状況におかれているかを伝えてあげる声だ。そのコーチングを受けてどう判断するかはその人次第である。

例えば「マノン!」や「来てる!」の声をかけられたら、すぐ近くに相手がいるのだからボールを奪われやすい状況にある。そこで確実に味方にボールをつなぐことを選択するのか、相手が近くにいるということはかわせば人数的に優位になるので突破を選択するのか、局面によってはクリアやクロスを選択するのか、すべてプレーヤーの判断次第。その瞬間の判断がサッカーの醍醐味だ。
味方の判断のタイミングを伝えてあげるのが「ターン!」や「マノン!」等の声であり、人・ボール・スペース等と違って、目に見えない部分での陣取り合戦かもしれない。チームワークという目に見えないものの一つの形でもある。サッカーが常に先を見越してプレーし「考えるスポーツ」と言われる理由がここにもあった。音速ならぬ声速を超えたところ、常に数秒先を、サッカーの神様は走り回っているのだろう。

子どもたちの練習や試合での成長を見ていると、ついついそんなことを考えてしまう。最近は18人のムスコたちに教えられてばかりだ。コーチ陣に感謝!
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