自由創悠社 芦田勝弘事務所 本文へジャンプ
自由日記

2015年12月11日(金)
パソコンの故障
突然パソコンが動かなくなってしまいました。
調べてみるとハードディスクが回っていません。メーカーにも問い合わせてみましたが、修理業者もあるがそのパソコンだったら買い換えたほうが早いし安いと言われてしまいました。そういえばこのパソコンは購入してから6年ほどになります。やむを得ず、泣く泣く新しいパソコンを購入しましたが、困ったのが古いパソコンに入っていたデータとソフト、アプリの類です。
幸いと言うか不幸中の幸いと言うか、データは1か月前にバックアップがしてありましたので被害は1か月のブランクで済みました。それでも回復できないデータはありましたが。
アプリの類は回復を試みて、ダメだったものは新しいバージョンで購入することになりました。
便利なものには落とし穴もあるものです。改めてこうした電子データのバックアップの重要さを再認識させられました。

乗鞍高原 一之瀬牧場の大椛


2015年12月10日(木)
松くい虫対策
私の住んでいる松本市は雨が比較的少ない乾燥地域と云うこともあって、周辺の山林は赤松の林が多くなっています。その赤松がここ数年で松くい虫の被害が爆発的に増えて、枯れた松が目立つようになってきました。
地域内の関係者で「松くい虫対策協議会」を立ち上げてどのような対応ができるのか、研究を進めてきましたが、松くい被害の先進地を調べても国内ではうまくいったところはなさそうです。
そうはいっても黙ってみているとみるみる松枯れが進んで、山が荒れて土砂災害の心配もあります。
対策としては
@伐倒燻蒸・・・従来行っていた方法で被害木を切り、薬品で燻蒸処理をして被害の拡大を防ぐ。
A更新伐・・・松林を伐倒して、自然に生える樹木で樹種の更新をする。
この方法を組み合わせて対応することにしました。
木材の価格が長いこと低迷していて、事業の費用をどうするか難しい問題もありますが、枯れる前に伐採した松材は安いとは云え用材としての利用価値がありますので何とか利用しながら、里山を守っていかなければと考えています。



更新伐事業の前と後

2015年7月19日(日)
岡田希望の家30周年

近くに松本市が設置し、社会福祉協議会が運営する障がい者の生活支援や作業訓練などを行っている施設があります。今年はその施設が30周年とのことで招待されて式典に行ってきました。
設立当初は利用者は4,5人だったそうですが、現在は14人が通所利用しています。
地元町会も30年前にはなじみのなかった施設でしたが30年もたつとすっかり地元になじみ、散歩の時には近くの農家の方から声が掛りますし、地域のボランティアなどもお手伝いをしながら活動をしています。
近々岡田地区の夏祭りがありますが、毎年この施設が灯篭を作って会場に飾ってくれることになっています。
先日地域のボランティアや夏祭り実行委員会の役員が施設利用者と一緒に灯篭を作りました。ちぎり絵の灯篭でなかなか綺麗にできました。

まだまだ障害者が暮らしやすい社会とはいきませんが、こうしてお互いが知り合えることが、お互いの垣根を低くして障がい者が一緒に暮らせる社会の実現に向かうものと思っています。


灯篭の切り絵

作業風景
2015年7月6日(月)
道路法面、河川敷の草刈
地区の自治会長を務めていますが、私たちの地区内を通っている女鳥羽川の河川敷や県道の大きな法面に雑草が伸び放題、アレチウリの繁茂、さらにゴミも散乱して景観上も見苦しくなっていました。

県の管理地でもあり長野県に申請しましたが予算の関係でなかなか思うようにはいきません。
そこで自治会が主体になって草刈りや支障木の伐採、ゴミ拾いなどに取り組むことになりました。

大勢の地域役員が参加して、ほぼ1年がかりの作業でしたが、見違えるように綺麗になりました。
雑草が生い茂り、人が入り込むことができないほど荒れ果てた土地が青々とした草原に姿を変えました。
県の管理地ではありますが、自分たちの住む地域は自分たちで美化していくとの考え方も大切なことだと考えてこれからも取り組んでいきたいと思っています。

道路法面の草刈作業

河川敷の草刈作業

2015年6月28日(日)
白谷雲水峡登山(屋久島)
前回の続きです。
昨日、雨の中を縄文杉まで登って来て、今日は屋久島全島をドライブして世界遺産になっている西部林道方面も見て回ろうと計画していましたが、朝起きたら天気が良さそうなので、思い立って午前中に白谷雲水峡方面の登山をすることにしました。

ここは「もののけ姫」の舞台になったと言われる所で、宮崎駿も取材に訪れたと聞いています。屋久杉、照葉樹林、苔むす森等が有名です。
「苔むす森」は木や岩、一面に苔が張り付いていて、いかにも「もののけ姫」の舞台の雰囲気です。

尾根筋まで登ると有名な太鼓岩がありますが、午後は観光地をドライブもして見たいので途中で引き返すことにしました。9:00にスタートした登山も12:00頃には登山口まで引き返して来ました。
せっかく遠くまで来たので、観光名所になっている所も見物しようと、千尋の滝、大川の滝、世界遺産西部林道、ウミガメの産卵地浜、ガジュマル公園などをドライブして回ります。
ただ、内地と違ってドライブインなどは少なく観光地周辺でも食事などの場所には苦労しました。それでも夕方までには島内一周を終え、無事宿泊地に帰ってきました。
またまたおいしいビールを頂きましたが、今日の天気が昨日だったらと残念がっても仕方がありませんね。
明日は知覧を見て帰ろうと思っています。

苔むす森
  
 途中で出会った屋久鹿の「やっくん」

千尋の滝

2015年6月26日(金)
縄文杉に会ってきました
3年ぶりのHP登場です。これからもよろしくお願いします。

少し前、5月の初め頃になりますが以前から見たかった縄文杉に会ってきました。何年か前に屋久島へ行った時には2月頃でしたか、大雪が降って道路が通行止めとなって登山ができず残念な思いで帰ってきましたので今回はリベンジです。

AM6:40羽田発の朝早い飛行機でしたが鹿児島空港−鹿児島港から高速船と乗り継いで宮之浦港と、昼頃には屋久島へ到着することができました。
その日は民宿へ泊って、翌日勇んで外を見ると雨が降っていました。屋久島は一カ月に35日も雨が降ると云われていますので仕方がありません。
民宿まで迎えに来てくれたガイドのお兄さんと一緒にいよいよ登山です。ガイドをお願いした時高齢者登山で心配な口振りでしたがどうなりますか?
登山口まで自動車で1時間、歩き始めて3時間は過去に材木を搬出するためのトロッコの軌道を歩きます。
ようやく山道らしい登山道を登り始めて3時間、登山口から6時間で目的の縄文杉につきました。
樹齢7,000年の迫力は大したもので前に立つとその存在感に圧倒されます。
ただ、7,000年と云われる樹齢は太さからの推定で、様々な意見があって、本当のところはよく解らないのが実情のようです。
下りも雨の中を歩くこと5時間、同じ道を歩き続けて元の登山口への到着はPM5:00、一日中雨の中を歩いて、着ていたカッパの中もすっかり汗でぬれて、体も冷え切ってしまった頃到着しました。
ザックの中身も激しい雨の進入を受けて水浸しになって、屋久島はジップロックが必需品と言われた意味が良く解りました。。
夕食においしいビールを頂こうとガイドブックで有名な食堂まで30分ほど歩いて行ったら「一杯で入れません」の一言で泣く泣く他の店に入りましたが屋久杉に合えた達成感でおいしく頂けました。

明日の「白谷白雲峡」登山のレポートは次回はにします。
 
 縄文杉 
 ハート型が有名なウイルソン株内部

大王杉

2012年9月12日(水)
登山
久々のHPです。何かと忙しいのもありますがHPの更新にどうも熱が入りません。理由は自分でもよく解りませんがまたしばらく続けてみようと思っていますので時々は訪問して見てください。
先日弟夫妻と一緒に登山をしてきました。2000mを超す北アルプスへの本格登山は久し振りで、何十年ぶりのような気がします。
登ったのは蝶ヶ岳(2,677m)−常念岳(2,857m)初心者コースですが北アルプスでも有数の景色を見ることができるコースで選びました。
須佐渡から入り、三俣の駐車場へ車を置いて蝶ヶ岳へ登りはじめます。樹林帯の中を黙々と登るだけですが、昼を少し過ぎたころには蝶ヶ岳ヒュッテに到着して、穂高連峰の峰々が眼前に広がります。到着が午後になりましたので雲がかかって切れ〃に見える山々でしたが、雄大な景色は久々の感動です。
翌日はAM6:30にはヒュッテを出発しました。素晴らしい天気で穂高連峰はもちろんですが、雲海の向こうには遠く富士山もくっきりと見えています。この景色を見ながら歩いているとつくづくと山に来てよかったと思います。
蝶ヶ岳〜常念岳は記憶ではもっと平たんな尾根道のような気がしていましたがけっこうなアップダウンでした。それでもなんとか昼頃には常念岳山頂に到着、少し時間が余分にかかったなあとも思いましたが、昼食を済ませ前常念への下りを歩きはじめると子連れのライチョウにも合うことができました。
前常念の下りはほとんどが岩場で山に慣れない人には少し大変だったようです。ようやく岩場を抜けて樹林帯に入るあたりで通り雨に合いましたが岩場を抜けてからの雨で助かりました。
樹林帯の中を黙々と下ってきましたが、若いころの記憶ではもっと近かったように思っていましたが、歩けど歩けど三俣は遠く、結局PM7:00頃、暗くなるまでかかって昨日スタートした駐車場に到着することができました。
改めて若いころのようには歩けないことを実感しましたが久々の山行はたのしい思い出になりました。

蝶ヶ岳ヒュッテ

左側穂高連峰から中央槍ヶ岳

常念岳山頂

ライチョウ

2012年5月4日(金)
野生獣防護柵の建設
近年野生獣、特にニホンジカの農林業被害が広がっています。松本市でも東山部:美ヶ原山系を中心に被害が目立ってきました。駆除にも取り組んでいますが、なかなか被害が収まりません。そこで山と農地を柵で囲ってしまおうと平成21年から事業に取り組み、現在まで62kmの柵が建設されました。本年度でほぼ全域の柵を建設し終える計画で、おおよそ24年度には76kmが計画されました。
私の住んでいる岡田地区でも松本市からの説明を受けながら検討を進めてきましたが、先ごろこの地域ととしても建設に取り組もうと決定がなされました。
この事業は資材を国の補助で提供されますが、労務やその他の経費は地元が負担しなければなりません。特に建設の労務は全てを地域のボランティアに頼らなくてはなりません。まだ建設場所も決まっていませんが、概算では6.5km、おおよそ1,000〜1,500人工とも言われています。
岡田は1,700戸程の地域ですが受益者と言いますか、直接の野生獣の被害者は一割程度もないのではないかと思います。そうした中で地域の事業として取り組むには地域の連帯感の如何が問われる事業となります。いわば地域力が試される事になります。

万里の長城
防護柵は万里の長城を彷彿とさせる。
既建設地域では確かに被害は少なくなっているが、その周辺で建設されなかった地域では鹿が集まりやすく、かえって被害が増えることになり、どこまで建設したら良いのかなかなか建設しない判断が難しくなります。
また、美ヶ原周辺など高山や山林の被害はこうした柵でも防ぎきれないので
これとは別に個体数調整も進めなければならない。


2012年4月16日(月)
再再開−自治会長
どうも怠け癖がついて間が空いてしまいます。最近自宅の水回りだがすっかりだめになって水回りをリフォームすることにしました。工事中は水回りが使えませんので自宅では生活ができず、もう一か月もアパート暮らしをしています。そのため自宅に置いてきたパソコンを操作するのが億劫と自分に言い訳をしながらHPの更新を怠けています。
今年度に入って私の住んでいる地域の自治会長の役が回ってきました。この辺りでは町会長と呼ばれていますが、全国的には自治会長とか自治区長の呼び名のほうが多いようです。
町会長もそうですが、町会の役員はなかなか引き受け手がなく、なり手探しが大変なようです。私のところにも前役員の方々が昨年から何回も見えて説得され、ついに根負けしてお引き受けすることになってしまいました。まあ、年間予算も数百万円規模でで大した事はないか、と軽く考えていましたが、頻繁に地区の会議やら行事に声がかかって中々忙しそうです。
自治組織ですから、何をしなければならないとの決まりはありませんがお引き受けしたからにはなんとか地域の役に立つことができればと考えています。
行政との関わりも微妙です。行政の下請け組織ではなく本当の自治とはどういうものなのか、この任期中に実践できればと思っています。

解体したキッチンの床下から囲炉裏の跡が出てきました。大きな石で囲い、粘土で固めたものですが、私の子どものころにはもう使ってはいませんでしたが、囲炉裏はあったように記憶しています。
この家は江戸時代に建築された家で、基礎はコンクリートではなく大きな石が据えられ、その上に柱が乗っかっています。よく倒れずに今まで持っているものだと感心しますが、最近の地震を考えると多少心配にはなります。
床下の柱がつぎはぎだらけだったのでリサイクル品で建築したのかと思い建築屋さんに聞いて見ましたら、栗材を使用していて栗は大木が取れないのでどうしてもつぎはぎになるそうです。初めて知りました。

2012年2月14日(火)
再開−ハンティング
少し事情があって長い間、4か月も更新が滞っていました。まあ、大した事情ではありませんので怠けていたのが原因ですが、また更新を再開しようと思っていますので訪問をお願いします。
今年の冬は時間に余裕ができましたので狩猟、ハンティングに頻繁に出かけています。近年は鹿猪など野生鳥獣が増えて夏場も行政などからの依頼を受けて有害鳥獣駆除を行っていますが、狩猟はまた違った楽しみがあります。山の上はまさに極寒の世界で、持っていたペットボトルが凍りついて中のお茶が飲めなくなってしまうこともあります。そうたくさん獲物があるわけではありませんが、雪の中を駆け回り、野生鳥獣との駆け引きはまさに自然と遊んでいる実感がします。
明日15日は銃による狩猟は最終日になります。3ヶ月間の狩猟期間ですが、今年は十分に楽しめたような気がしています。

この日は猪が3頭にニホンジカが何頭か獲れ、大猟でした。

2011年10月16日(火)
水墨画展
先のHPで報告しましたが、60の手習いで水墨画を始めました。先日私が通っている教室も含めて、先生が指導している八つの水墨画教室が合同で作品展をカタクラモールの催事場で開催しました。
私としては習い始めて1ヶ月ほどで、とても人様に見せるような代物ではありませんので出展しないつもりでいましたが、先生の勧めもあってやむを得ず出展することになりました。
先生曰く「(自分の未熟を知って)恥ずかしい思いをしないとうまくならない」とのことです。そうはいっても、ほどほどの物を出さないとやっぱり恥ずかしいので、何枚か書きなおしながら作品をつくりました。
水墨画の難しいのは油絵などと違って塗り重ねが出来ませんので全ての筆を一回で決めなくてはなりません。必然的に何回も書き直すことになりますが、それでも落款を押して額に入れるとなんとか形がついてきました。
継続は力なりとはよく言われますが、この事はなんとか長続きさせたいと思っています。

展示作品の前で記念撮影

初めての作品 〈 竹 )   

2011年9月28日(木)
烏帽子岩
美ヶ原高原から北に位置する武石峠から保福寺峠へ続く蝶ヶ原林道の中間点あたりから少し脇にそれたところに烏帽子岩があり、山頂には烏帽子大権現が祭ってあります。
今日はあまり良い天気だったので運動がてらトレッキングに行ってきました。私の地元、岡田地区の財産区が所有している山で本郷地区を挟んで飛び地になっています。
断崖の上に烏帽子型の巨岩が立っていて、松本平から安曇野まで見渡せる景勝の地です。ここは松本市が建設を進めている美ヶ原トレイルの一部になっていて、つながれば愛好家がたくさん訪れる事になると思います。地元でも近くにこんな景勝地があることを知っている人は少なく、多くの人に訪問してもらいたい場所の一つです。
ただ今回行って気がつきましたが、この周辺はまつたけの産地で岡田財産区が販売している山の中です。きのこのシーズンは入山が出来ないことになりますのでトレッキングに来た人はこの辺りを避けて通ってもらうことになりますが、山主とのトラブルが発生しそうです。(私も今回は気兼ねをしながら内緒で通して頂きましたが、あまり気持ちはよくありません)松本市でも検討はしていると思いますが、山主が松茸山にかける思いは独特のものがありますので十分な検討と財産区や山主との調整が必要です。

烏帽子岩全景、右側が烏帽子大権現を祭ってある山頂


山頂から見える烏帽子の先端

2011年9月16日(金)
ギリシャ危機と日本経済
リーマンショックから3年、ようやく立ち直りを見せ始めた世界経済でしたが、ギリシャの財政危機を発端にして、再び崖っぷちに立たされたような状況になってしまいました。震源地はユーロ圏の一国、ギリシャですが全世界を巻き込んだリーマンショック以上の経済危機の再来が心配されています。

我が国はギリシャはもちろんユーロ圏の債権はあまり保有しておらず、直接の影響は少なく見えますが、輸出主導の経済体質で、影響はリーマンショックの時がそうであったように人一倍受けやすいようです。地球の反対側の危機があっという間に全世界に拡散してしまう、グローバリゼーションの負の部分ですが、そうした時代と受け止めるより仕方がありません。

ギリシャを見ていると何も努力しなかったわけではなく、連日国民のデモが起きるほど行政サービスを切り詰めるような、財政の立て直しに努力をしているようですが、そのことがかえって不況を深め、税収の減退から財政危機を深刻化しているようです。

我が国も国家債務の多いことでは引けを取らず、財政再建が喫緊の課題になっています。今後増税も含め国民負担と福祉等行政サービスについて国会での議論が活発になると思いますが、十分経済回復の視点からの議論も深めてほしいものです。私としては財政再建は目的ではありませんので、景気回復の結果として財政再建が出来る方向が望ましいとは思っています。まあ、どちらにしても程度問題で、多少どちらに重心を置くかの問題ではありますが、ギリシャの二の舞にならないようにはしてほしいものです。

国会を見ていて心配になるのは、民主党が政権について2年、政権交代はあった方が緊張感があって良いとは思いますが、民主党も、自民党も政権維持や政権奪取にこだわり過ぎてポピュリズムに陥っているのではないかと思っています。国民が政治家に期待するのは、国民の意見をよく聞いてくれるだけでなく自らの意思を明確にして、国民を説得するようなリーダーシップです。政治は結果責任ですから、結果に責任を持つのはもちろんですが、国民の意向を忖度しながら政治を行うだけでなく、指導者としての自覚も持ってほしいものです。

2011年9月11日(日)
震災復興・誰が金を払うのか
昨日のNHKテレビ番組では、首記のテーマでハーバード大学マイケル・サンデル教授の講義が放映されました。NHKによると教授の授業のあまりの人気にハーバード大学では授業非公開の慣例を破って一般公開に踏み切ったそうです。
今回は震災復興の費用をだれが負担するのかについて東京、ハーバード大学、上海大学をインターネットでつないで議論したものでした。
特に興味を引いたのは現在進行中の福島原発について何処に責任があって、誰が補償負担を負うべきかとの議論でした。原発事故は人災と言えますが、同じ人災として例を引いたのに、2008年の金融危機が挙げられました。この時は投資銀行は被害者には全く保証はしませんでしたし、政府は被害者ではなく加害者側の投資銀行を巨額な政府資金を使って救済しています。これは果たして正義なのかとの問いです。
結論を出す議論ではありませんが教授の巧みな問題提起によって様々な考え方が述べられます。
議論の内容までは触れるスペースはありませんが、この問題には様々な考え方があり、東電悪者論だけではかたずけられない問題を含んでいます。
もうひとつ注目したのは今後の原発についての考え方です。ゲストとして参加していた日本の評論家は「(そうした意見が出ることは)信じられない」と発言していましたが、ハーバードや上海のエリート学生のほとんどが原発は今後とも必要との考え方でした。
この番組を見て強く感じたのは我が国の議論の幅の狭さです、何かマスコミ報道などで世論に一定の方向が出来てしまうと、それに反対することが後ろめたいような雰囲気が出来上がってしまうようです。和は我が国の美徳の一つですが、こうした議論を聞くと国の方向付けを間違えないためには、議論によって人にレッテルをはらないような雰囲気とディベート能力の必要性も強く感じられます。

マイケル・サンデル教授

2011年8月29日(月)
アレチウリの駆除
近くにあってもあまり行く機会がなかった女鳥羽川ですが、地区の町会衛生部が主催した女鳥羽川でのアレチウリの駆除作業に参加しました。久し振りに見た女鳥羽川は一面のアレチウリで、話には聞いていましたが、改めて繁殖力にすさまじさに驚かされました。
朝の涼しい時間でしたが汗をかきながら駆除作業を進め、さすが大勢で行ったあとは綺麗になりましたが、対象面積が広く一度の作業ではとても駆除しきれるものではありません。
私が地区の消防団で活動していた時期ですから、40年くらい前のことになりますが、その頃の女鳥羽川は台風の時期になると川一面の大水が度々出て、河川敷の草木は流されてしまい、砂面が広がっていていました。今では河川敷の中に太い灌木や葦などが一面に生えて何処に水が流れているのか見えないくらいです。
上流に砂防堰堤が整備されたことや戦後植林した木が大きく育ってきたためと思いますが、洪水の心配がなくなった分、子どもの頃遊びまわった河原を失ってしまったような気がします。人の手でこうした河原を取り戻すのは容易なことではありませんが、せめてアレチウリの繁茂だけでも防ごうとささやかな抵抗をしています。

一面のアレチウリが繁茂して他の植物を覆い尽くしている。河川の中にどのような種があるか分かりませんが在来種は絶滅の危機とも言えます


綺麗になった河川敷ですが、河原らしい雰囲気は全く見えません

2011年8月23日(火)
水墨画教室
以前から水墨画の魅力にひかれていましたが、なかなか習う機会がなくそのままになっていました。最近時間に余裕が出てきましたので水墨画教室に入会して勉強することにしました。
文字通り「60の手習い」ですが、先日初めて教室に参加させていただきました。全くの素人が歴10年、20年のベテランの中に入って練習するのは多少勇気がいりますが、温かく受け入れて頂いて順調にスタートすることが出来ました。
水墨画の魅力は墨の黒と台紙の白さのみで表現され、極限まで簡素化されることにより物の本質に迫る表現にあると思っています。もともと我が国の文化には能や茶道に見られるように、余分なものをそぎ落として物の本質に迫ろうとする世界があります。わび、さびが重視されるように、簡素の中にこそ見えてくる物や心象があります。
まだ始まったばかりで解ったようなことは言えませんが、墨の黒さはもちろん台紙の白さの中にも無限の広がりを持った世界が広がっていて、洋画の写実性とは違った魅力があります。
当分は先人が開拓した水墨画の技法を覚えることになります。何年先になるか分かりませんがなんとか自分の絵が描けるところまで続けられたらと思っています。

初めて書いた竹ですがなかなか巧くは描けません。調墨と呼ばれる墨の濃淡の調節や筆使い、余白とのバランスなど始めてみて分かってくることも多く、よほどの練習が必要なようです。

2011年8月15日(日)
伝統行事:七夕と迎え盆
あまりにも有名な織姫、牽牛神話からの七夕祭りは7月7日ですがこの辺りは旧暦の一か月遅れで8月7日に行なっています。以前はどこの家でも七夕飾りを飾り付け、私の子どもの頃は通りの両側からトンネルになるほどでしたが最近では七夕飾りを道路に飾る家は姿を消してしまい、我が家でも周りには何処にもなくなって、出しておくのが少し恥ずかしくなって家の庭に飾るようになりました。
七夕をたなばたと読むのも不思議ですが、Wikipediaによれば七夕はお盆の関連行事で、元々はお盆の精霊棚とその幡を安置するのが七日の夕方であったことから「棚幡」を「七夕」と書いて「たなばた」と読むようになったとの事です。
迎え盆は仏教行事の盂蘭盆会だそうですが、「かんば」と呼ばれる白樺の表皮を家の前で燃やして先祖の霊を迎えます。かんばの燃える煙に乗って先祖の霊が家を訪れるといわれています。お盆の間は精霊棚を飾り付け、朝晩食事を供えて先祖の霊と一緒に過ごします。
七夕飾りも飾らない家がほとんどになってしまいましたし、精霊棚の飾り付けもだんだんと簡略されているようです。なんとか伝統行事としてこうした習慣は守っていきたいと思っていますが、子の代、孫の代になればどうなるのか心もとない気がしています。

ずいぶん小さくなってしまいましたが、なんとか飾り付けだけは続けている我が家の七夕飾りです


位牌を並べて先祖の霊と過ごすために、お盆には精霊棚の飾り付けを行ないます

2011年8月12日(金)
美ヶ原高原トレッキング
あまりの暑さに涼しい高原へ行こうと、美ヶ原高原へのトレッキングを思い立ちました。三城牧場から王ヶ頭までほぼ2時間ほどのコースですが好天に恵まれ楽しいトレッキングとなりました。
三城牧場から中間点のダテの河原まではカラマツの樹林帯の中を登りますがそれから上は背の高い木も少なくなりお花畑の草原になります。
これらのコースはトレッキングコースとして松本市が整備を進めていて立て看板も新たに建てられています。完成すれば美ヶ原から四賀地区までのロングトレイルになります。そのうちに歩いてみたいと思っていますが、完成までにはもう少しかかりそうです。
台上まで登ると松本市内は36度を越したとのニュースが流れていますが、日陰に入れば肌寒いくらいの涼風が吹き渡っています。
王が頭ホテルの方と話す機会がありましたが、夜になるとホテルの前まで鹿が現れて高山植物を食い荒らしてしまうそうです。そう言われてみるとフェンスで囲ってあるテレビ塔周辺は青々と高山植物が茂っていますが、フェンスの外は食害の跡が見えます。さらに近年は温暖化のせいか下界の虫が増えて植物を食い荒らしてしまうそうです。以前では考えられなかった事だが、高山植物を守るには虫の消毒までしなければと嘆いていました。
涼しかったので油断をして、帰ってみると半袖の腕などむき出しのところが真っ赤に日焼けしてしまいました。涼しくても紫外線は強いということがよくわかりました。

王ヶ頭付近から三城牧場を望む


樹林帯から抜けて頂上付近は高山植物のお花畑が広がります。
この辺りではマツムシソウの花はおいしいらしくだいぶニホンジカの食害にあっています。以前行った霧ヶ峰ではニッコウキスゲの食害が問題になっていましたが、

2011年8月9日(火)
松本ボンボン
熟年体育大学のOB会から声がかかって、松本ボンボンの踊り子に参加しました。今年のボンボンは「頑張ろう日本」をテーマに踊り子数2万7千人と過去最高で、年々その数が増えているようです。
初めての経験でしたが、誘われた時はなんとかなるだろうと思っていました。2回ほど練習に参加して実際踊ってみるとテンポの速いサンバのリズムはなかなか思うようにはいきません。なんとか見よう見まねで踊り終えてやれやれでした。PM6:00から踊り始めて一般は9:30までのところ8:30には切り上げましたが暑い中、体力的にも大変です。
熟年体育大学は松本市が市民の健康づくりと仲間作りのために設置している講座で、2年間のカリキュラムです。私は12期卒業のOBで、3年ほど前に卒業しましたが、この講座は運動だけではなく高齢者の仲間作りにも力を入れていて、卒業後も期ごとのOB会が組織されていて、現在も様々なOB会活動を行っています。運動に関係したトレッキングやマレットゴルフだけでなくカラオケや料理教室まで色々なテーマで楽しんでいます。
体を使うことの重要さは解ってはいますが、暑い、寒い、雨が降ったと、何かと理由をつけてサボってしまいますが、仲間がいるとなんとか長続きできます。仲間作りは大切な視点です。

最優秀賞のBriks連


過去最多の315連2万7千100人が踊った松本ボンボン
熟年体育大学連は200人の参加で審査員特別賞を受賞しました

2011年8月4日(月)
メコン川クルーズ
またまた、先日の記事の続きです。先日はホーチミンcityを報告しましたが、もう一日時間をとってメコン川クルーズをしてきました。メコン川はチベット高原を源流に中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムと流れる典型的な国際河川です。ただベトナムに流れ込む時には九つの河川に分かれて現地では九龍川(ソン・チュー・ロン)と呼ばれ、メコン川とは呼ばないようです。
ベトナム戦争当時はメコンのデルタ地帯として報道されていましたので現地、ベトナム以外ではメコンとして扱われているようです。
そのメコン川の支流を手漕ぎのボートで、本流をモーターボートで観光しましたが、両岸は熱帯のジャングルでデルタ地帯は沼地になっていて戦争当時は川を行くアメリカ軍のボートと川岸の北ベトナム軍の激しい銃撃戦があったそうです。
熱帯ジャングルは地理に詳しくないと入ることも難しくアメリカ軍はかなりてこずっただろうことは想像できます。その事が枯葉剤の大量散布になり、戦争が終わって40数年にもなりますが今でも奇形児の問題などでその後遺症を引きずっています。
観光ルートを歩く限りは戦争の面影は全く見えず、すべてが緑に覆われてしまったようです。ただ、実際には戦争犠牲者もまだ多く生存していて、空港やデパートなど人の集まるところには犠牲者への支援寄付の募金箱が数多く設置されています

メコンの支流を手漕ぎボートで下りますが、周辺はうっそうとした熱帯ジャングルの木々で覆われています


メコン本流で川幅はかなりあり、ベトナム戦争当時は激しい銃撃戦のあった場所。水の色は常に茶色に濁っています

2011年7月29日(金)
ホーチミン city
先日の記事の続きですが、カンボジアからの乗り継ぎのついでにホーチミンcityに寄ってきました。ここは昔の南ベトナムの首都で以前はサイゴンと言われていた程度しか知識はありませんでしたが、どこかで料理がうまいと聞いた覚えがありましたので観光していくことにしました。
来てみたら人口700万人との事でビルが立ち並ぶ大都市です。ただ東京と違うのは自動車も多く走ってはいますが、オートバイの洪水です。その中を縫いながら歩行者も悠々と広い道路を信号を無視しながら渡っています。まあ信号も少ないのでオートバイが途切れるのを待っていたらいつまでたっても渡れません。現地の人に聞いたらゆっくり渡るのがこつで、慌てるとはねられるそうです。ゆっくりだと相手も歩行者がどうなるか分かって回避してくれるようです。慣れるまでは道路横断は命がけのような気がしました。
市内観光は事前にツアーをお願いしておきましたのでホテルまでバスとガイドが迎えに来てくれて市内を効率的に案内してもらいましたが、昨日までのカンボジアと違うのは湿気が多く蒸し暑い事です。
一応観光名所と言われるところは回りましたが、何処へ行ってもこの都市は若い人は多いし、バイタリティに溢れているのが感じられます。アジアでは中国に続いて次の投資先と言われている状況が分かるような気がしました。
ガイドにアメリカとの戦争や現状について少し聞いてみましたが、現在はアメリカとの友好関係を築くことを優先しているそうです。アメリカとの友好関係こそが国家の安全保障になると考えているようで、アメリカとあの激しい戦争をしていた国とは思えません(そういえば日本もそうですが)
当時は一緒に戦った中国とは現在では深刻な領土問題を抱えていますのでそうした考え方に傾くのも無理もないような気もしますが。勤勉な国民性もあってこれから急激に伸びていく国であるとは思います。

オートバイの洪水の中を歩行者は悠々と横断しています。自動車は何処へ行ってもさすがのトヨタで、いたるところでトヨタマークを見ることが出来ます


ベトナム戦争当時の資料が展示されている戦争証跡博物館
当時の悲惨な証言はもちろんですが、現在まで続く枯葉剤の被害は戦争の残忍さを改めて考えさせます


おいしい料理も堪能できました

2011年8月28日(木)
国連軍縮会議in松本
8日から3日間の予定で国連軍縮会が松本市で開催されます。オープニングセレモニーに顔を出してきましたが、会議に出席したわけではなく、私の関わっている「SK松本ジュニア合唱団」がオープニングのアトラクションでコーラスを披露する事と平和メッセージの朗読をするのでその付き添いで参加しました。演奏曲は「気球に乗ってどこまでも」と「ありがとう」の2曲でしたが、曲の選定には気を使いました。「ありがとう」は軍縮会議プレイベントで講演をされたコソボフィルハーモニー交響楽団常任指揮者の柳澤寿男氏の曲から選んだ世界各国の言葉でありがとうを歌い込んだ曲です。もう一曲は震災支援の曲をとの提案もありましたが、未来に向かった明るい曲でこの曲を選びました。
今回の軍縮会議はIAEAの天野事務局長の出席が目玉になっていました。今回の福島原発の事故についてIAEAはどのように捉えているのか、他の出席者はどのように考えているのかに注目していました。核兵器の廃絶に誰も異論はないと思いますが核の平和利用には様々な意見があります。
天野事務局長からは「世界的な平和利用はまだ伸び続け安全の確立こそが重要」との発言がありました。
まだ議論の途中ですが松本市の菅谷市長からは医師の立場から核に依存しない社会の構築の提案があり、他の出席者からは代替電力供給システムが確立していない現状では余り脱原発に走り過ぎることへの懸念があったとの報道がありました。
難しい議論ですがほとんどの場合は時間軸の議論が抜け落ちているようです。再生可能エネルギーの開発は重要で力を入れることはもちろんですが、5年、10年ではとても原発の変わりは果たせるとは思いません。20年、30年の議論が必要だと考えています。当面は原発に頼るのはやむを得ないと考えていますので、安全確保の研究は最優先で取り組む課題になります。

出演前の練習風景


軍縮会議での演奏


平和メッセージの朗読

2011年7月26日(火)
福島県いわき市訪問
以前の記事に掲載した311mの震災応援メッセージを持参して福島県いわき市を訪問しました。いわき市役所では伊東副市長の対応で今後メッセージの掲示方法なども打ち合わせました。市では7月中は保育園での掲示とし、その後鹿島ショッピングセンターの行政掲示スペースへの掲示を考えているようです。このメッセージが大勢の方の目に触れて、信州の地からも応援しているとのメッセージが少しでも伝わることを望んでいます。
台風で大雨が降る中、最初の掲示場所となる大倉保育園を訪問し、メッセージを預けました。この保育園も地震の被害が大き過ぎ修理は難しいので建て替えを計画しているとのことです。確かに園舎のいたるところで天井が落ち、壁に穴が開き、遊戯室などは30cmの段差が出来て、まるでステージのようになっていました。
いわき市内のホテルは被災者と工事関係者で部屋が取れず、新潟境の磐梯熱海温泉に宿泊しましたが、福島県内の旅館とのことで一般客はほとんどおらず、原発関連の避難者と工事関係者のみが宿泊していました。その旅館では原発避難者は最盛期で80人程でしたが現在は30人程で、行政からは今月中には仮設住宅などに移るようにとの要請があるそうです。
翌日は今後のメッセージ受け入れをお願いしてある南相馬市を訪問して打ち合わせをしました。いわき市から南相馬市は途中に原発があり直接は行けませんので福島市方面から大回りしてですが、途中の飯館村は計画的避難地域に指定され、全村避難でまるでゴーストタウンです。通りがかりの我々は薄気味悪いだけで済みますが、避難された方々のことを思うと胸が痛みます。
相馬市、・南相馬市の海岸沿いも津波で大きな被害を受けましたが、がれきはだいぶ片付いて家の基礎だけ残った更地になっていました。海岸沿いに戻られるかは分かりませんが、一日も早い復興を願っています。

演台が出来てしまった保育園の遊戯室。新しい園舎が出来るまでこの園舎を使用するとのこと

南相馬市近郊の畑や水田は放射能汚染のため全く作付けがされていない。耕耘で汚染物質が地中深くに入らないような指導がされているが、広大な面積をみると本当に土の入れ替えが可能なのか心配です。

南相馬市対策本部。見たところ4,5十人規模の職員が取り組んでいる。当時は家に帰るのもままならなかったが、多少余裕が出て来たとのことです。

2011年7月18日(月)
トンレサップ湖
アンコールワットの観光が終わったら、翌日はのんびりするつもりでオープンにしてありましたが、思い直してもう一日観光しようと、近くのトンレサップ湖クルーズのガイドをお願いしました。
ここは東南アジア最大の湖で古代から続く伝統的な水上生活の集落が特徴です。
突然の依頼でしたのでやむを得ませんが、朝迎えに来たバスを見てびっくり、大型バスに我々二人とガイドが乗り込んで1時間ほどでトンレサップ湖に到着しました。
ボートに乗り換えて水上生活集落の中を抜けていきますが、周囲は代々水上で生活してきた民家が軒を連ね、その間を商品を積載した商店船が回っています。学校や病院の船も見えます。
この湖はメコン川の貯水池の役目があり、雨季と乾季では水位の差が10mもあるそうで、季節によって移動しながらの生活のほうが便利だったのでこうした生活が定着してきたものと考えられます。
家の中ではハンモックに入ってのんびりとくつろいでいたり、お茶や話がはずんでいるような人たちが見えます。たぶん魚を獲って生計を立てているので、日中はする事がないのかも知れませんが、こうした生活の仕方もあるのかなあ、と改めて考えさせられます。

民家にはハンモックでのんびりと暮している生活が垣間見られる


学校船には子どもたちの姿が見える。濁った水ですは子どもたちの泳ぎ回る姿も見え、どこに行っても子どもたちの笑い顔にはほのぼのさせられます。
ただ、何処の観光地もそうですが、子どもを使った物品販売の商売には嫌な思いもさせられます。

2011年7月17日(日)
アンコールワット
私の旅行はいつも急に思い立って準備をするので出発までに時間がありません。出発の10日ほど前に世界遺産を見ようと思い立ち準備をはじめました、。まずビザが時間的にとれるか心配しましたが、なんとかなりました。安いベトナム航空便は成田発は満席でとれず、やむを得ずセントレアからの出発となりました。
アンコールワットのあるシュリムアップは直行便がありませんのでハノイ乗り換えでしたが、乗り換えに3時間も待たされることになり、実飛行時間は5時間ほどですが、昼の出発で着いたのは時差の-2時間も含め19時過ぎになってしまいました。

翌日のアンコールワット・アンコールトムの観光はツアーへ申し込んでありましたが、ホテルへ迎えに来たガイドによるとこのツアーは我々だけ(私と家内ですが)との事で、ガイドと運転手が付きっきりで案内してくれました。
この辺りはだいぶ内陸部で気温は35度にもなりますが、からっとしていて日陰に入ると涼しく感じられます。
午前中観光してレストランで昼食が終わったら、3時まで休みますのでホテルに送りますとのこと。少しびっくりしましたが、昼休みをとるのはこの地域では普通だそうです。
カンボジアは長い内戦の後、着実に復興に向かって遺跡の修復も各国の協力で行われていますが、まだまだ地雷の犠牲者などもいたるところで見かけます。(ガイドからは何度も地雷はもう大丈夫ですからと言われました。たぶんあまり山奥へでもはいらない限り、観光地はもちろん大丈夫でしょう)
観光は暑い中でしたが、インドシナ半島ほとんどを支配下に置いたといわれているクメール王朝(アンコール王朝)の文化を楽しむことが出来ました

象に乗ってのアンコールトム内の観光(30分ほど)象は案外揺れが大きく余り乗り心地の良い乗り物ではない。

我々とガイドのお兄さん
宮殿を包む巨大な根が長い年月ジャングルの中に埋もれていた事実を物語っている。ここではないが近くのベンメリア遺跡は「天空の城ラピュタ」のモデルになったと云われている

アンコールワット

2011年7月13日
インターネットの罠
世界遺産のアンコールワットを見に行こうとの事になって、調査しているとカンボジアへの入国にはビザが必要だと分かりました。インターネットで取得できるe-ビザもあるとの情報もありましたので早速検索エンジンで検索してみると申請代行業者も含めそれらしいサイトが多数見つかりました。
口コミ情報では偽サイトがあるので注意するようにとのことだったので、慎重に外務省サイトからカンボジア政府のサイトまで入って申請手続きをしました。
確かに手数料も含めて@25USDと代行業者の半値以下で取得できますが、英語で申請する必要がありますし、口コミ情報などをみると本当に大丈夫かとの心配もあります。
今回は無事取得できましたが、不注意に扱うと偽サイトに引っかかって、入国ストップの事態も考えられます。現在は大抵の事はインターネットで処理できますが、扱いには自己責任で十分な注意が必要です。世の中便利になればなるほど情報流出や詐欺などへの注意が必要になるようです。

ビザは大使館へ行っても郵送でも発行してくれますが、地方からは何と言ってもインターネットが便利です。
申請してお金を払いこむとこのようなビザをメールで送ってきますのでプリントアウトして持っていけばOKです

2011年7月12日
京都・大原 三千院
急に思い立って京都旅行に行ってきました。三千院はデュークエイセスが歌ってヒットした曲「女ひとり」で知り、一度は行ってみたいと思っていましたが、市街地からは少し離れていてなかなか行く機会がありませんでした。新聞の折り込み広告を見ていたら「三千院」の文字が目に入りましたので急遽申し込みをしました。
想像したよりこじんまりしたお寺でしたが、歴史を感じさせる庭が美しく苔むした庭や紫陽花園が見所です。
せっかく京都まで行きましたので一日かけて他のお寺なども観光してきましたが、公共交通が整備されていて、さすが世界的な観光都市と感心しました。500円で一日乗り降り自由な市バスが整然と運行されていて、主要観光地へのアクセスは交通のガイドチラシの見やすさも併せて特筆に値します。都市の規模や升目状の街区も公共交通を整備しやすい条件かも知れませんが、松本市が見習うところも多いのではないかと感じました。
松本市の公共交通は交通弱者への対応と観光客一般市民への利便性が戦略的に整理されていないため、どちらも中途半端なように見えます。

三千院の苔庭と埋もれ地蔵


二条城(在京大名が参集して大政奉還の舞台となった部屋は思いのほか狭い)


三十三間堂

2011年06月24日
自然に親しむ講座
 鉢伏山トレッキングに参加しました。これは地区公民館が定期的に「自然に親しむ講座」として開催している事業です。山歩きが好きで以前からこの講座にはよく参加していました。最近の健康ブームから申込者も多く、募集を始めるとすぐに定員になってしまうほどの人気講座です。
今回は牛伏寺の駐車場から鉢伏山の山頂までを歩きました。参加者の最高齢は83歳でしたが、登坂用のロープが張ってある所があるような、かなり急な坂を3時間ほど歩きました。
ちょうど蓮華つつじ(この辺りでは鬼つつじとも言います)が見ごろで花を見ながらの登坂となりました。あいにく鉢伏せ小屋から山頂にかけては霧が深く眺望はありませんでしたが、花や樹木に詳しい案内人もいて「この花は?この木は?」と楽しいトレッキングが出来ました。

鉢伏せ山から諏訪湖を望む
天気が良ければ富士山も

蓮華つつじが咲く登坂路

2011年06月20日
山梨県立フラワーセンター(ハイジの村)

山梨県立で花と「アルプスの少女ハイジ」をテーマにしたテーマ館「ハイジの村」に行ってきました。
県立のテーマパークだったことやこの園の売りになっているバラのシーズンだったこともあって、見に行くことにしました。
日本一といわれる230mのバラの回廊は圧巻でしたし、他のバラ園もちょうど満開で良い時期でした。
花のテーマ―パークは各地にありますが、世界中から観光客が訪れるブッチャートガーデンには及びませんが、常設でこれだけの規模の所は少ないかも知れません。
花の愛好者は確実に増えています。時間と費用はかかりますが、花いっぱい運動発祥の地、松本市としてはアルプス公園あたりを花をテーマにして観光客も呼べるような施設に作り上げていけたら素晴らしいと思います。
入園料:500円  休園日:1−3月の火曜日と1/1


230m続くバラのアーチ
当日はアーチの前で結婚式も行われていましたし、バラ園には1000種類のバラが咲いています


テーマ館全景


2011年06月16日(木)
震災を忘れぬように
311mの布に寄せ書き
信州の自然と福祉の会(正式名称は:信州の自然を友に福祉を楽しむ和の会)が最近設立され、その記念事業として、他の団体にも呼び掛けて311mの布に震災応援メッセージの寄せ書きを集め、最後の一筆を阿部守一長野県知事に頼みました。
これまでに4250人から書き込んで頂き、近く県とも相談しながら被災地に持って行く予定です。
311mはもちろん3月11日を忘れないためで、信州松本からも応援しているとの気持ちが伝わり、少しでも被災者の励みになればと思っています。

2011.6.9信濃毎日新聞より


2011年06月15日(水)
はじめに
本日がスタートです。
23年4月、松本市市議会議員をリタイアしました。今後直接には市政や議会に関わることはなくなりましたが自由な立場での発言や日々の出来事を掲載して参ります。
更には所属しているボランティア・NPOや趣味の団体などを幅広く紹介していきます。
楽しめるホームページを目指していますので多くの方々のご愛読をお願い致します

浅間温泉上の大正山辺りからの北アルプスの山々、手前はアルプス公園から芥子坊主。中央の白い山は常念岳、このあたりからだと前常念岳が重なって常念岳が整った三角形に見える。