乾小天守特別公開

先日来乾小天守の三階、4階が一般公開されています、ゆうさんも一組案内をしながら
初体験して来ました、階段の狭さ、天井の低さ、これから夏の観光シーズンの渋滞が気になる
ところですが、一見に値します、それにしても何の為にこのような建造物を創造したのでしょうか?
これは大天守他、一連の建造物にも言えるのですが。。。

期間限定
期間:7月1日(日)〜11月30日(金)
■時間:8:30〜16:30
■場所:国宝松本城・乾小天守
 松本城は、現在の地に西暦1500年頃、小笠原氏族島立右近貞永が林城の
支城として井川の小嶋地籍から移した深志城がその基であります。
 その後武田信玄の支配下に入り城地が拡大され、天正10年には再び旧知地を
回復した小笠原貞慶によって松本城と名を改めるなど、次第に城郭が整備拡大
されました。
 特に石川氏の時代には、天守閣が増築されて、近世城郭の形態が整えられま
した。
 そして、平成13年は、深志城築造500年にあたります。
 この節目に昭和大修理以来初めて乾小天守3階を市民及び観光客の皆さんに
公開するとともに、石川氏伝来の品々を一同に展示いたします。

○展 示 品
(1)石川康長念持仏
  (改易により念持仏と共に九州に渡り昭和46年約250年ぶりに松本の地に戻る)
(2)石川家の寄進状等古文書展示
  (兎川寺、神宮寺、広沢寺及び管理事務所所管古文書)
(3)松本城年表
松本城管理事務所より

何度となく天守は入場しているが乾小天守三階、4階は如何なものか。
小天守二階は通常の展示物の他に思考を凝らしていろいろ展示されています。
小天守の構造の説明が貼り出されています。
【石川康長念持仏】
 文章、松本城管理事務所のページより 
 松本城天守築造者石川康長は,大久保長安の幕府転覆計画の縁座と領民を苦役に復させた罪により,慶長18年(1613)改易になり,九州豊後国(現大分県)佐伯に流されました.
 この念持仏阿弥陀如来はその時九州に渡りましたが,昭和46年(1971)にゆかりの地松本に帰り,大切に祀られ,毎年命日には法要が営まれています
金キラで価値有りそうです。
さて通常は閉鎖されている階段初挑戦です。狭い、急は当たり前ですが、団体さんが来た時は、片道通行の為すぐに渋滞となっていました。暑い、狭い、きつい。。。
小天守三階は天井が極めて低い、戸田家の甲冑が展示されています。
狭く短い通路を回り込み四階への階段を登ります。
通常は締め切ってある花頭窓が開放され明るく、北と西側が望めます。
天井の梁は大天守のそれと同じくテコを利用したガッチリした造りです。


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