松本城季節の風景(号外)
出た!!深志城の堀跡か。。。撮影2001年4月10日

深志城の堀跡らしい物が発掘されたと報道されたと聞く、場所は大手3丁目らしい
お城の桜を見ながら現場を見学に行きました。
流石、松本市教育委員会、資料まで用意してくれて説明して頂きました。


 漠然と大手3丁目と言う事で再開発中の六九商店街の辺をうろうろしていると発掘調査現場にぶつかった、見ると堀らしき物は何も無く家屋敷の土台の様なものを掘り出していた。現場の人に堀発掘現場は何処か聞くと親切に教えて下さいました。図の場所、もっと二の丸より、安田生命ビルの近くでした。
図は信濃毎日新聞より
 六九商店街の発掘現場


 皆さん気さくに話をして下さいましたちょっとワクワクしながら、教えて頂いた場所へチャリを走らせる。
ここにお寺があってー、、、この辺かな
有りました有りました!!
デジカメ片手に回りから撮っていると
教育委員会の方が
「どうぞ、どうぞ」と柵を回りこむように
案内して下さり、おまけに資料のコピー
更には案内説明まで
して下さいました。
今回の発掘調査の結果
第一層:(1810年〜1888年)明治21年の火災層
 発見された遺構(ピット19、土杭30、溝5、建物址1、埋設桶2、竹管1)
 出土遺物:陶磁器(瀬戸・美濃産・備前産・京都産・など) 木製品(下駄・櫛・栓・漆椀など)金属製品
第二層:(1780年〜1810年代)
 発見された遺構(ピット37、土杭47、溝5、建物址1、埋没桶4)
第三層:(1550年〜1600年頃)
 発見された遺構(堀、ピット63、土杭28、溝9、建物2以上、井戸3)
今回の発掘で見つかった
堀跡らしきものは、
深さ2メートル
堀巾5メートル以上
長さ約23メートルまだつづいているらしい。
(堀の概要)
1、堀は断面がV字形で、人工的に掘られたものである。
2、掘り込まれた整地層の年代から、16世紀後半くらいの堀と考えられ、石川氏の天守築城など、本格的な松本城の整備が始まる以前のものと考えられる。
3、堀が存在していた時には、緩やかな水の流れがあった。
4、堀は洪水により一気に埋没した。
5、この発見は、現在残る松本城や城下町の整備がその初期にはどのような形で進んだのかを知るきわめて重要なものとなる。
この堀跡、V字形をかたどっていて
外部からの攻撃を防ぐ、当時の周辺山城
の堀の形に似ているということです。
今回は地区公民館を建設するにあたり
発掘調査をしたもので、今回発掘調査の後
一週間位で元に戻して工事の着工するそうです。
観光スポットに保存すればいいのに
と思うのはゆうさんだけでしょうか?

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