松本城近辺のお城達「桐原城」 「松本城、(深志城だった頃)の親城、林城,の一連の山城の一つで、犬甘氏の分派桐原氏の山城である。」 |
桐原城見取り図1(松本市の文化財題集より) |
桐原氏は小笠原氏が府中に入封すると小笠原氏に属しており、桐原城も林城の一つの支城として薄川をはさんで向かい合う位置に構築された。城主は桐原真智から五代にわたったらしい。1550年7月小笠原氏本城林城が武田氏に攻略された時、長時はこの桐原城に逃れている。桐原氏は最後まで小笠原長時に従い、運命を共にした。 |
桐原城主郭部概略図2(後藤芳孝作図より) |
この後桐原城には、武田方の遠山和泉守が置かれて、山家谷を固めた。武田氏が没落した1582年には桐原氏がこの桐原の地に復興したが、城は廃城となったままであった。 現在主郭は東西18メートル、南北36メートルの長方形の構えが残り、北部と東部には高さ2メートル余りの土居もある。また副部には南側を除いて他科さ1〜1.5メートルの石垣も残る。 参考資料、信濃の山城(郷土出版)、図説松本の歴史(郷土出版) |
2000年12月23日 土曜日
天気快晴 今朝は冷え込みが厳しく冬晴れの良い天気が予想された、思った通り素晴らしい晴天、早速カメラとメモ、それに資料コピーを準備して車に乗った。 松本市内より山辺方面へ向う、上金井を過ぎて、適当な所で左折して更に山の方へ車を進める、トータルで10分位のドライブで桐原の住居看板を電柱に見つける、うん、この山に違いないと納得して、左前方の山を目指してゆっくり車を進めた。 沢筋右前方に広めの舗装道路が有り、その裾野に看板らしき物発見、近ずくと桐原城の史跡看板であった。 車をすこし進めて路肩の広めの所に幅寄せして駐車、これでOK、早速山道を登り始めた。 |
史跡看板写真へ |
登り始めて5分しない内にもう空堀らしき物 に幾つか遭遇する。 |
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図1の右下の辺の平削された段々、幾つも あります。 |
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どうも後で考えると縦堀の中を登っていったようだ。 更に横堀を越えると左前方に石垣が見えてきた。 |
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近ずくと更にその上の方にもおびただしい量の石垣です。 副郭部を回っている石垣のようです。 |