松本城近辺のお城達「光城(大城)」
「田沢城と対をなし田沢城の小城、光城は大城と呼ばれる。」


 2001年04月15日 日曜日 そろそろ桜の花が見ごろかな、と豊科町の光城山に家族総出で出かけました。場所は奥様の実家へ行く途中、毎年桜の登山道の花道を横目に通り過ぎるだけでしたが、山城巡りに昨年より目覚めたゆうさんは、デジカメ片手に家族で花見、の山城攻め、後は温泉につかると言う半日コースの家族レクでした。


 光城は鎌倉時代にこの地に来住した海野氏の一族、光氏によって戦乱の激しくなった戦国時代〈16世紀)に築かれたと考えられる。犀川右岸丘陵上の尾根道南端を固めており、武田氏の松本平進攻に対しても丘を配備してろう城したと見られる。しかし天文22年〈1553年)刈谷城攻めに際し戦わずして落城した。その後天正10年〈1852年)に松本城主となった小笠原貞慶によって修復されたと考えられる。
 山頂に南北15メートル東西50メートルの楕円形の本城を築き、背後に高さ2メートルの土塁、三つの帯郭と四本の横堀(内二本先は縦堀となる)、南方の小城への尾根に三つの掘割を施し西方前面の南北27メートル東西55メートル(上の平東西42メートル南北18メートル)の楕円形の平との間に二つの掘割を施し、さらに西北方の尾根に二つの掘割を施している。本城ニの郭にあたる平は周囲に巾4メートルの帯郭のような曲輪が施されており、武者走りないし馬場を兼ねているようでもある。

              参考文献信濃の山城(郷土出版社)


 午前10時、お弁当スタンバイ愛車にて一路大口沢から、豊科方面を目指す。途中コンビニエンスに寄って飲み物を仕入れる、約15分のドライブで田沢温泉手前に光城山山道入り口の看板あり。植えてまだ数年位の若い桜の木花がが咲き誇っている。山道ドライブには慣れているが舗装はされているがどうもカーブミラーの設置の数が少なく、見通しが悪い道である、お天気に誘われて、結構車の通行も山道にしては多くチョッとよそ見して風景を眺めるような余裕はなかった。 

5分位くねくねの山道をドライブすると駐車スペースの有る場所に出た。
案内図があるがどうも方向がおかしい、感にまかせて左の方に歩きだした。
後で解ったのだけど、国道側(西側)からの登山遊歩道の入り口の所にまったく同じ案内図がありその方向からは良く解りやすい説明でした。
全く反対方向から同じ図での説明はおかしいですね。


尾根筋からはアルプスの山々が綺麗に見えました。
しばらく歩くと空掘りに出会う、
橋が架けてある。
  本郭の土塁と周りのへ帯郭、
左上に神社の建物。
豊科町指定史跡看板、
本郭内より。
アルプスが綺麗に見える。
副郭の方向より本郭を望む、
古峯神社が祭られている。
古峯神社は火の守り神らしい。
本郭と副郭の間にある掘割。
本郭方向より副郭を望む。
副郭、桜の木が一面に植えられている、
満開になるとすごそ〜!!
副郭より西方を望む。
桜並木の登山道になっている。
桜の花も半分位まで咲いていました、
後10日位で上まで来るだろう。
西側からの登山道入り口、
桜が満開です。
登山口より上方を望む。

桜の花を見ながら用意したお弁当を食べました、
クーッとビールが美味しかった!!


その名も、ゆったり「山の神」

飲用の温泉。
お昼を食べた後は豊科温泉でゆっくりしました。
駐車スペースもたっぷり。
山城巡りプラス
素晴らしい景色、美味しいお弁当、それに温泉
満足な一日でした。

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