シネマニア


幼き日々の時間


   ガーディニングブームといわれて長い月日がたったが、我が家は夫婦とも、どうも花を育てることが下手で、長い間、隣に住む叔母が丹精した四季折々の花を「きれいに咲いたね」と眺めるだけの、ただの見物人であった。そんな私達も、一昨年の暮れに、イギリスへ行く機会があった。、冬のさなかであっても、ロンドンからほんの一時間足らずの町の家々の庭が、実に美しく整えられていたことが、名所旧跡を訪ねて歩いたことよりも、むしろ心に鮮やかに残っている。

 この春、息子が家を離れたことがきっかけだったのかもしれない。5月の連休のことだった。特に出かける予定もなく、なんとなくヒマをもてあましていたのだろう。花好きの叔母につき合って、家人は市内の大きな花や種苗を扱う店で、プランターや花の苗を買いこんだ。

  見よう見真似で始めたガーディニング一年生は、青や紫の小さな花をそれなりに育て、普段のズボラな性格に似合わず、その小さな命をはぐくむ作業に真面目に取り組んだ。

  ある日、大事にしていた“花手鞠”という赤い小さな花を咲かす一鉢が、ぐったりとして枯れ始めた。“花手鞠”は日に日に弱っていった。「これ、もうダメなんじゃないのか。」と私がいうと、家人は「まだ死んでないもん」と意地になっているように、毎日欠かさず水をやり、鉢を変えたり、活性剤をやったりと、かつて見たこともない様な頑張りを見せた。

  ある日、“花手鞠”は小さな蕾をつけた。ほんのりとうす赤い頼りない蕾だった。

そして数日後、花は咲いた。

 こんなささやかな出来事が、と思う気持ちがないではないが、私の心にもその日、さざ波がたった。

 小さな、いや小さいからこそ愛しい命というものを、改めて考えるきっかけになったような気さえしているのだ。


  小さな患者さんを前にして、「さあて、この子はどういう子かな」と一呼吸おく事が日に何度かある。幼いなりに主張があり、計算もある。その相手は何歳であろうとも、“対等”の関係を持って、私の前に座っている。

  私はそんな時、彼等を子供扱いしないことにしている。

幼い命、というのか、その“一人前度”を尊重したいと思っているのだ。

  “幼い”ということの定義はそれぞれあろうが、その“幼さ”という言葉に含まれる、

たとえば、純粋、無垢、といったいわば「プラス」の部分と、相手の顔色を見る、つまり狡猾、そして無知という「マイナス」の部分があると、私自身は認識している。

  などと身構えてみても、殆どは誠に可愛らしい“坊やとお嬢ちゃん”である。

  注射を我慢する時の“へ”の字になった口や、「あいがとうございまちたっ」と言う時の笑顔を見る度に“ちぇんちぇい”(先生)でいられることの幸せをしみじみ感じる。

  小児を診る、という自分自身の立場を脇に置いても、幼い子供が出ている映画はやはり、心のどこかに残っているものだ。まるでひっかき傷のように。


  いわゆる“名子役”と呼ばれた俳優達は数多いが、そのうちの殆どが、可愛らしさやあどけなさといった言葉が似合わなくなる十代にはいるころから、彩りを失ってゆくように感じられる。本当は彩りを失うのではなく、自我が芽生えているという事なのだと思う。

  見る側は勝手なもので、「あの子役はもうダメだね」などと口にして、後は忘れてしまったりする。そしてある日スクリーンで私達は再会する。美しく、或いは逞しく成長した“もと子役”に。


  今回、触れたいのは、そういう“もと子役”のことではなく、子供を扱った作品についてである。

  この夏「サイダーハウス・ルール」という、小さな真珠のような映画を見た。戦時中のアメリカでの話である。一人の医師が院長を勤める孤児院から話が始まるのであるが、その孤児院で暮らす子供達の、せつない瞳が忘れられない。

  望まれずにこの世に生を受けたということは、こういうことなのだと、彼等の笑顔や泣き顔が、無言で訴えていた。
  「もし、親に会えたら、料理を作れることや、自動車の運転も出来ることを見せたい。

でも、もし本当に会えたら……殺すかもしれない。」とつぶやいた少年がいた。母親の愛を求めながら、喘息の発作に苦しみ、ひっそりと孤児院で息をひきとった少年もいた。
  “もらい子”をするために孤児院を訪れる優しそうな夫婦の前で、おもいきり“いい子”の顔をするおしゃまな少女、どうしても素直になれない思春期を迎えた少女もいた。

  そのいじらしさ、痛々しさに胸があつくなった。どの子達も、手をのばしてスクリーンから抱き取ってやりたくなった。

  勿論、映画は作り事であるけれど、私は今でも時々「あの子達はどうしているだろうか」と思いをめぐらせる事がある。

  望まれて生まれてきても、健やかに育つことまでは誰も約束はしてくれない。

昨今の新聞やテレビで、少年達の事件を目にするたびに、やりきれなさで胸がいっぱいになる。“素晴らしい子供時代”をおくることは、全ての子供達の権利である。そして、親たちの義務であると思う。

  裕福である、ない、のことではない。当たり前のことを当たり前にできる、考えられる人間にしてやればいい。それだけなのじゃないか、とこの頃思っている。


「チャンプ」という映画がある。20年ほど前に見た。

幼い息子を置いて家を出た母親が、ある日突然父と子の前に現れる。

  再婚をして、裕福に暮らす自分のほうが息子を育てるのにふさわしい。と言うのが母親の言い分である。盛りを過ぎたボクサーである父親は、毅然とその申し出を断る。「お前はあの子の母親として、なにをした。寂しいときに抱いてやったか。善悪のけじめを教えたか。」

  これである。「善悪のけじめを教える」ことこそ親の役割といえるのではないか。

「チャンプ」を見た時は、私達には子供がいなかったので、この父親の気持ちは本当には解っていなかったのかも知れない。子供を持って、育てる毎日の中で私は“しつけ”に気を配った。「そんなに厳しくしなくても」の、まわりの意見に余計ムキになっていたところもあったろうが、いま思えば「チャンプ」の中の言葉が心の奥に生きていたのだ。


  タイトルは忘れてしまったが、向田邦子の書いたドラマにこういうセリフがあった。

「子供を育てるっていうのはね、もう毎日毎日しっちゃかめっちゃかなんだよ。わけわかんない話を聞いてやったり、ハナふいてやったり、なんだかわかんないうちに一日が終わってさ、ふっと気がついたらその子がいっちょまえの口きくようになってんのさ。」

  しっちゃかめっちゃかに子育てをする親が、今どのくらいいるのだろうか。

何ヶ月か前、息子が言ったことがある。「小さいころは本当にお父さんが恐かった。叱られたり、撲たれたり、だけど今になってみると良かったんだと思うよ。」

  これは嬉しかった。厳しくて良かったのだと、20年経ってようやくマルをもらったような気がする。「半分くらいは気分で怒ってたじゃない」と家人にちくちく苛められもするが……。


  自分が子供であったころが、長い時間であったかどうかは今の私には解らない。だが、自分が親になってからの時間は、驚くほど早く過ぎた。正直をいうと、やり直したいことがいくつもある。だが、それでもいいと思えるようになった。

  親は子供がいないと、親にはなれない。子供に教えてもらいながら、どうにかこうにか親にしてもらうのだろう。“一人で大きくなったような顔をしてはいけない”のは、親も子供も一緒なのだ。

  こんな当たり前のことが解るようになるのに、20年もかかってしまった。それでもあと何年か過ぎたら、また違った答えが見つかるのだろうか。

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