シネマニア33

〜  さよなら クロ  〜

 家人が珍しく長電話をしていた。小学校以来の友人からだという。東京に住む友人は、テレビドラマの「白線流し」を見て松本に行ってみたくなったのだそうだ。特別番組であったその「白線流し」を私は見ていないのであるが、数年前に連続で放映されていたドラマは見ていた。

 質のよいドラマであったと思うし、住み慣れた松本の町並みが、画面を通して見るとなんとなく新鮮に感じられたのを覚えている。

 松本は映画やドラマのロケーションに最近よく使われるようになった。都心から2時間半という地の利もあるのだろうが、山々にかこまれた城下町ということで、都会すぎず、田舎すぎず、親しみのようなものを感じられるのであろうか。

 

 今年は「さよなら、クロ」も封切られ、なかなかの評判であったらしい。近頃は、新聞でもテレビでも、あちこちで動物虐待のニュースを目にすることが多く、なんとすさんだ世の中になったのかと、心が重くなっていたのだが、それだからこそ「クロ」の話は人の心をほっとなごませるものであったのだと思う。

 

 クロの幸運には、時代が味方をしている。当時はノラ犬がうろうろしていても、おとなしい犬であれば、あまりうるさく言われることもなかった。車の交通量も今ほどでない。

なにより、人の暮らしも心ものどかであったのだ。

 今テレビなどでとりあげられる犬の多くは立派な犬たちである。警察犬、盲導犬や介助犬のような、特別な存在はここでは別にして、いわゆる「足し算ができる」「おはようと言う」「ひよこを育てている」「空き缶をひろう」「たばこの火を消す」「道案内をする」などなど数え上げたらきりがないが、どの犬もたいしたものだと思う。犬好きの私としては、どの犬もなでてやりたくなるほどである。

 だが、クロはどうだっただろう。何の芸もなく、特別器量が良いわけでもなく、言ってみればなんのとりえもない犬であったのだ。

 だが彼女(クロはメスである)は、まわりの人たちの心をどこか暖かくしていた。

 

 高校生という年頃は、私たち大人からみれば可能性のかたまりで、未来は果てしなく広がっているかのように思えるのだが、当の本人にしてみれば、その未来はぼうっとかすんで、何も見えてはいないのではないか。自分を振り返ってみてそう思う。

 何にでもなれるという、驕りにも似た自信と、何にもなれないかもしれないという、闇をさまようような不安が、ぴったりと背中あわせになっていて、心はいつも居場所と行き場所を求めて不安定なままであったのだ。

 だからこそ「クロ」を愛したのだ。

何にもできない、ただそこにいるだけの雑種犬クロという存在は、自分という人間に何も期待しない、なにも望まない唯一のものであったのかと思う。

 

 この年になって解かる。欲望と希望とは、はっきり違うものであるのだと。

このふたつを同じ重さで心の中に抱え込み、欲望が叶えられないことは、希望を断たれるのに等しいのだと苦悩していたのだ。

 若いということは、これほどに愚かなのである。今だって私はそんな愚かさに苦悩する人間ではあるのだが。

 

 実はリアルタイムで「クロ」を知っている。

しょっちゅう子犬を産み、いつもたぷんとしたお腹をしていた。きちんと座ることができずに、てれっと足を横にずらしていた姿は、お世辞にも後年映画の主役のモデルになる犬とはいえないものであった。

 「クロ」が映画化されると聞いたときは、そんなことできるのかなと正直思った。ドラマがなさすぎる、おろかにもそう考えたのである。だが、ふたを開けてみると、なんと日本中のあちこちで「いやされた」「近頃めずらしいやさしい映画」と好評なのである。

何にもできない犬はこんなに人々の心を暖めたのだ。

 

 「盲導犬クィールの一生」をテレビで見たとき、クィールとともに生きた渡辺さんという人がこんなことを言っていた。「盲導犬は道を教えてくれる犬だと思っていました。でも、ちがいました。ハーネス(犬の胴体にまわした引き綱)を握っていると、あ、クィールがいま空を見た。いま私を見たってわかるんです。私に夕陽を見せるために夕陽があたる場所に私を連れて行ってくれたんです。ほっぺたがあったかくなって、私は夕陽を感じたんです。」

 クロはクィールのような立派な犬ではない。だが、クロもきっと空なんか見たんだろうな、月なんか見ながら、やれやれ今日も終わったわ、なんて欠伸したりしたんだろうなと、想像してみた。

 

 「さよならクロ」の製作にあたって、ほうぼうからカンパが寄せられたと聞いている。クロに縁もゆかりもない人々も多々あったそうである。

殺伐とした世の中であるが、なんとなく、日本もまだいけるぞと思った。心の体力があるうちは大丈夫なんだと、私もちょっとナナメから勇気を分けてもらったような気がしている。

 動物ものの映画が陥りやすい“感動”の穴に入り込まずに、さりげなくいい風が吹いたような作品に作り上げた松岡錠司監督とスタッフに敬意を表したい。


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