シネマニア26


〜帰るべきあるいは居るべき場所〜


 50歳を過ぎてみると、いくら暢気な私でも、生きることだけではなく、この世を去る日のことなども時折考える一日がある。

 人とは解からないものだ。いつも楽しそうでいいね、と羨ましくさえ思っていた家人が、ある日いつものように機嫌よく夕食をとりながら、「私ね、遺言状を書いてるんだよ。毎年私の誕生日に書き換えるの。」と言ったのだ。「遺言状?」と私はつい聞き返した。目の前にいる家人と“遺言状”とはあまりにも似合わないように思えたのだ。だが、それは私が暢気すぎる証なのだろう。

 どんな事を書いてあるのか少し気になったので、“遺言状”の中身を聞いてみた。

 そう多くはない預貯金の行き先や、ほんのわずかな指輪やハンドバッグを、「これはあの人に、これはあの人に……」と書き綴ったあとに、「遺骨の一部、それが難しかったら遺灰の一部を、故郷の札幌と、イギリスのオックスフォードの街角に、それから茅ヶ崎の浜辺にも、そっと置いてきてほしい」と書いたと聞いて、恥ずかしながらほんの少し胸を衝かれた思いがした。

 

 どの地も、家人の思い出深い愛しい場所であることは、私にも分かる。だが、悲しいことに、海のないこの長野県に生まれ育った私としては、「茅ヶ崎の浜辺」という発想が理解しにくい。その思いを口に出すと、「だって、人はいつか海に帰るんじゃないの?」と、あっけらかんと“幼児の直球”のような答えが返ってきた。

 そうか、人はいつか海に帰るのか。

 

「茅ヶ崎の子はね、画用紙いっぱいに富士山を描くのよ」と得意気に家人は言う。小学校と中学校の校歌には三番までそれぞれ「富士山」が入っていたのだと言う。

 家人は札幌のど真ん中で生まれたので、海を見るのはせいぜい年に一度、それも日本海である。11歳で茅ヶ崎に引越して、海は日常の一部となり、夏休みはほとんど毎日海の子であったらしい。甲斐から見える富士とちがって、湘南の富士は海に長く裾野をひき、「空があるように海はあった」と懐かしむ。

 太平洋はゆったりと広い。私も海は好きである。美しい海の映像を見ているとたしかに心が癒されてくる。山国の生まれとして、山の素晴らしさを誇る気持ちはおおいにあるのだが、食べ物も海のものが好きなので、何となくアルプスや筑摩三山に後ろめたいような気がする。

 

 だからという訳ではないが、「山の郵便配達」という映画を見た時の静かな感動は、深い緑に覆われた山の美しさ、素晴らしさを改めて知るきっかけになった。

「山の郵便配達」は、中国の映画である。昨年の夏に東京の岩波ホールで上映され、一般の映画館で見ることはできなかったと聞いている。にもかかわらず、この映画は数々のメディアで高い評価を得ている。(註)

 私もある雑誌でこの作品を知り、見たいという気持ちを強く持ちながらも、なかなか上京する機会がなかった。たとえあったとしても、上映期間中は満員でチケットを手に入れるのも難しいと聞いていたので、この映画に関しては殆どあきらめていた。

 ところが、である。一月のことだった。「やったーっ、うわーい!」といつにも増して家人が騒々しい。見ると、手には市民タイムスが握られている。「山の郵便配達」が松本の映画館で、2月いっぱい特別上映されると書いてある。「やったーっ、うわーい!」と私の方は心の中で叫んだ。

 

 二月になり、最初の土曜日に私たちはその映画館に行った。作品は1時間半ほどの長さである。その1時間半は、私たちにとって比べるものがないほどの豊潤な時間であった。

 年老いた郵便配達夫とその息子、そして一匹の犬の三日間を淡々と見つめるだけの映画である。何の事件もおこらないし、誰も死なないし、特殊撮影も使われていない。

 だが、ただただ歩くということは、人生そのものを歩くということなのだと私は知った。

 

 老いた父は、この仕事を始めたころのことを回顧する。若く美しい妻と幼い息子を、胸に抱きしめるように歩を進めてきた。だんだん大きくなる息子に戸惑いながらも、誇りを持ってこの山道を歩き続けた日々を、その重さを、噛みしめては飲み込み、そしてまた見つめては味わう毎日。

 家族への思いを、肩に担いだ郵便袋に詰め込んで、険しい山道を歩き、道がなければ川を渡り、たった一通の手紙を待ちわびる人へと送り届けてきた。そして今、すっかりたくましくなった息子がこの山道を自分と一緒に歩いている。

 息子は、いつも仕事で家にいない父親に、どこか“失われた時間”のようなものを感じている。それでも一緒に山を歩きながら、いつしかその時間の空白を埋めてゆく自分に気がつく。

 すねたりふくれたりしながら、父の“老い”に悲しさや愛しさを見出して行く。それはたとえば風邪引きの鼻づまりのように、あるいは迷子の強がりのように、「ああ、分かる分かる」と、見るものの心を優しさへと支配して行くものだ。誰だって少しくらいの親不孝なんかしているんじゃないかと言うように。

 やがてその始末に負えない感情が“責任感”というものにくっきりと形付けられてゆくシーンがある。

 

 “山の任務”を終えて里の村で暮らしてゆくのには、さまざまな小さな仕事がある。今まで自分がやってきた“村人としての仕事”を父に伝えなければならない。

 明日の荷を整えながら、息子はひとつひとつ村の約束事を父に伝える。「僕だってちゃんとやってきたんだから」と息子には息子の誇りもある。父は息子のアドバイスを、真剣に聞いている。

  いつの間に煙草をおぼえたのか、いつの間に父親をおぶって川を渡るほど逞しくなったのか、自分はもしかしたら、この愛しい息子の成長に目を瞑ってきてしまったのではなかったかと、父は過ぎし歳月を省みる。そして、そのほろ苦さこそが息子が大人になるための、大切な時間であったのだと気づかなければならなっかた。

 

 濃い緑におおわれた山の中、二人が飛ばした紙飛行機が、ゆったりと、山を巡り谷を越え、かすかな風にのり、森を抜け、まるで自由を楽しむかのように深い木立ちに吸い込まれていった。父と息子の、どこか頑なな心が木々をわたる風に解きほぐされて行く。

 

“風”にきけば良いのかもしれない。

 

 郵便配達夫の妻は山深い村の娘であった。純朴そのものの彼女は山をおり、夫の村に嫁いできたのだが、夫は一たび仕事に出ると何日も帰らない。一人、夫の帰りを待ちながら家の戸口に寄りかかっては、遠くの山に思いを馳せる日々。

 そんな母を毎日見つめていた息子は、いつしか父との間に少しづつ心の隙間を広げていたのだろうか。

 だが、初めて父と二人で山道を歩いた三日間で、彼は、父の孤独そして仕事の喜びを体感する。そして彼はひとつの答えを得る。それは同時に母親のものでもあるのだ。

 

 こんな映画こそ、たとえば中学校や高校で生徒達に見せてやって欲しいものだと、つくづく思う。君たちのお父さんやお母さんは、初めからお父さんお母さんである訳じゃない。それぞれの青春があり、夢も挫折も、きっちり味わってきているんだよ。いじらしく、可愛らしい少女と、傷付きやすく、臆病なくせに生意気な少年だったりしたんだよ。

 

 緑の谷を見おろして、息子は言う。「お母さんはいつも山の暮らしを恋しがっていた。山の人は山に住むのが一番いいのよ、って。」

 庇護される日々から自立して、彼は一家を支える男になる。山を恋しがっていた母は、おそらくこれからも、待つ日々をおくるのだろう。ただちがうのは、一人待つのではなく、これからはいつも傍らに夫がいるということだろう。

 

 彼女が「帰るべき場所」は、山の村だったのかもしれない。だが、「いるべき場所」は今住む家なのだ。きっと。

 

 「人はいつか海に帰るんじゃないの?」という家人の問いに、私は答えを見つけられない。そうかも知れないと、どこかで思っているのだし、違うのかも知れないし。

 

 (註)……この原稿はずっと以前に書かれたものであり、現在2005年では、「山の郵便配達」はビデオ化されており、DVDとしても発売されています。


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