シネマニア2

ブルース・ウィリス


   本を読むのは昔からの一番の楽しみといってもよい。
次から次へとジャンルを問わずに手をだす。乱読中の乱読である。時々無性にハードボイルドを読みたくなる。そのくらいの気軽さで手をだしたのがロバート・B・パーカーの“初秋”という一冊だった。スペンサーという私立探偵のありふれたシリーズらしいが、この“初秋”はあたった。

  内容はお読みいただくとして、私が心ひかれたのは、くたびれた中年男と一人の少年の、ぎこちなく、バカバカしく、少し哀しく、それでいて熱い関係についてであった。

「男は少年という存在を得てはじめて一人前になれる」という言葉が過去にあったかどうか知らぬが、確かに思春期の少年には一人前の男が必要なのかもしれない。

その男が 父でも兄でも叔父でも近所のあんちゃんでも良い。えらそうにしていても、たいがい男(つまり私のことであるが)というものは、実は自信とよべるものなどそうありはしない。誰かに認めてもらいたい、できれば誉めてもらいたい、欲をいえば尊敬などもしてもらいたいなどと心ひそかに思ったりしているものだ。

  さらに言えば、「やり直したい」という気持ちももっている。もし、少年の日に戻れたら、という思いは誰でも一度ならず持ったことがあるのではないか。

  だからなのだろう。自分という人間を目標あるいは越えるべきハードルとして向き合ってくれる少年がいてくれることが嬉しいのだ。少年に昔の自分を投影しているのかもしれない。

  差別しているのかもしれない。だが、こればかりは“男と少年”でなければならない。もちろん、女と少女というのも成り立つ。場合によってはどの組み合わせもありだ。何だ、それでは今まで言ってきたことと矛盾するではないかと思われるかもしれないが、何を言いたいかというと、自分が中年男だからかもしれない・息子が勝手に大きくなってしまった今、あまりに語らずに来てしまったことを悔いているのかもしれない。

  一方的な会話ならたしかにあった。だが、それは語り合ったというのとは少しちがうだろう。まだ、間に合うのだろうか。こんなふうに……。と、シックス・センスを観ておもった。

「シックス・センス」とブルース・ウィリス


  天才的な少年俳優が先頃日本にもやって来て、大ヒットした作品である。

TVでスポットを観て、恐いのだろうか、気持ち悪いんじゃないのかと内心思っていた。もしムカムカするような作品なら、口直しにほのぼのとした映画でも観なければなるまいと思っていたが、全くいらぬ心配だった。

  心というたて糸に言葉という横糸が複雑にからんで織りあがった布のようだった。

まるで宮部みゆきの小説の読後感のようだ。心の中がゆっくりとたしかに熱くなってゆくのがわかる。

  悪意というものが全くないめずらしい映画である。

生きて行くことのくるしみ、死にゆく悲しみ、そして思い合う夫婦の愛をいくつもの合わせ鏡をつかって映しだしてゆく。この合わせ鏡のことを伏線とよぶのかもしれない。

  伏線の張り方が見事だった。映画館を出てから、「ではあの時は?」「あのシーンは?」とつぎつぎに湧いてくる疑問に自分自身がこれまたつぎつぎに答えることができる。「あーっそうか!」「うーん、そうかそうだったのか……」

 “してやられる”というのはこのことか。まったく嬉しくなってくる。

  「これから観る」という予定の方もおいでだろうから、このマルコム博士とコール少年の間におこった美しく不思議なストーリーについて触れることはできない。

  ただ述べたいのは、ブルース・ウィリスというこれまた子役に決してくわれることのない天才俳優についてである。

  子役にくわれないというのは実際むずかしいことだと思う。ましてや相手が天才ときている。演技力、存在感に自信のない役者なら逃げだしてしまうだろう。


  十年ほど前になるのだろうか、「ダイ・ハード」で初めて彼を知った。

頭は少しうすいし、おせじにもハンサムとはいえず、ちょっとくたびれたようなこの男が、ぼやきながら悪とたたかい、暴れ回る様子はシュワルツネッガーよりも、身近だったし、だらしないところも親近感を持ったし、アクションヒーローというには少し違うような気もしたが、それでもやっぱりカッコよかった。「イイ男」ではないが「イイ奴」なのではなかろうかとさえ思わせた。

 すでに中年であったろうが、ダイ・ハード パート2,3では実にたくましく、身のこなしは素早く、鍛えぬいた肉体を見せてくれた。今のところ大統領選に出る気配もなさそうだし、当分のあいだファンを楽しませてくれるだろう。

  「ジャッカル」では血も涙もない殺し屋をニコリともせずに演じ、その圧倒的な存在感の前には、人気者のリチャード・ギアさえ小粒に見えたほどだ。

  ブルース・ウィリスにしては、めずらしい役とも見えるが、実はいくつもの顔を持つという点でまさしくジャッカルそのものなのだろう。

  他にも「アルマゲドン」「パルプ・フィクション」「フィフス・エレメント」など、出演作品は多数あろうが、やはり、今回の「シックス・センス」におけるブルース・ウィリスは、特別な存在であった。演技力という言葉には、人間性をもふくむ意味があるのではないかとまで言いたくなる。

  愛の深さ、心の細やかさ、たたずまいの静かさ、謙虚さ、そのインテリジェンス、その悲しさ。ああ、ストーリを言いたい。


  ブラッド・ピットもレナード・ディカプリオもたしかに素晴らしいけれど、ブルース・ウィリスや、ジャン・レノのうようなかっこいいおじさんが活躍するのを観るのはまことに楽しい。自分とくらべると本当は少し哀しい。

  けれどやはり楽しくてたまらない。

こうして好きな映画のことを書いていると、あれもこれもと書きたいことだらけなのに気がつく。こうして貴重な紙面をお借りして、とりとめもなく書き綴っていることを申し訳なくも思い、幸せに思う。と言いつつ、次回予告はロバート・デ・ニーロのことなど……。
                    

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