シネマニア18

〜レオン〜

 

 だいぶ前のことになるが、テレビ番組の中で若い女性タレントが、自分はヒマさえあればすぐに眠ってしまうのだと喋っていた。「映画館の中って、暗いし、座り心地がいいからもう、絶対30分ぐらいで眠っちゃいます」ここまでは解らないでもない。だが、「“レオン”見てて寝ちゃったんですよぉ」となると、ただごとではない。

「レオン」を見ていて眠ってしまう人間が、いることに、ちょっと驚いた。

 

見た方になら解っていただけると思う。「レオン」という映画には、眠って良いシーンなどない。「グラン・ブルー」「二キータ」と、新鮮な映像で常に話題を呼んでいるリュック・ベッソンの代表作が「レオン」であるといえる。

 主演はジャン・レノ。レオンを慕う12歳の少女マチルダには、ナタリー・ポートマンが天才的な演技を見せている。

 孤独な殺し屋であるレオンは、ある日、家族を皆殺しにされたマチルダという少女と出会う。彼は、行き場のないマチルダを行きがかり上連れ歩くことになる。表情ひとつ変えずに冷静に“仕事”を遂行するレオンが、マチルダとの暮らしの中で、少しずつ人間性を表わして行くプロセスは、切なくそして優しい。「レオン」の映画ポスターは、柔らかなたよりない陽射しの中で、マチルダをかばうように抱きしめるレオンが描かれている。今思うと、やがて来る二人の別れを暗示しているように思える。

 ミルクが好きで、鉢植えの観葉植物を大事にしている殺し屋、という設定は、やや解りやすすぎるかもしれないが、ジャン・レノが“心の不器用さ”を上手く出している。

 

 警察から追われる二人は、父と娘をよそおって町のはずれの安ホテルに隠れ住む。ある日マチルダは「私、レオンに恋をしたみたい」と言い出す。レオンは口にふくんでいたミルクを思いっきり噴き出す。「こんな気持ちは初めてよ」「初めてなのになぜ恋だとわかるんだ?」「ずっとこのへんが痛かったのよ」とマチルダは胃のあたりをおさえる。

 この可愛らしい“告白”を「腹痛だろう、治ってよかったな」とレオンはかわすのだが、二人を隔てているものは年齢などではない。むしろ精神的にはマチルダのほうが大人の部分を多く持っているように見える。12歳の少女が持つ母性に、彼は甘えていたのではないかと思うのだ。

 このあと、レオンはマチルダに「弟のかたきを取りたいの」と、せがまれて銃の撃ち方を教えることになる。そして二人は一緒に“仕事”をするようになる。その“仕事ぶり”のシーンは日本で公開された「レオン」で見ることはできない。あまりに衝撃的であるせいか、カットされている。それも判らないではないが、実は重要なシーンであるのだ。

 つりあわないのは年齢ではなく、“自分が殺し屋である”ところにあると、レオンには解っていたのだ。マチルダと“仕事”をすることで、対等になろうとしていたのではないか、とこれは私の思いこみである。 

 レオンはべつにロリコンではない。あまりにも孤独な魂の持ち主であるだけなのだろう。マチルダという少女は、言うならば“理想の女性”なのだ。リュック・ベッソンは一人の少女に、母親、娘、初恋の人、手におえない悪ガキ、そして手の届かないレディというさまざまな顔を持たせたのだと考える。

 ラスト近くで、レオンは撃ち殺した警官の制服をはぎとり、身につける。警官になりすました彼は、たてこもっていたホテルからの脱出を図る。ホテルを取り囲む警官たちは、彼を仲間と思いこみ、疑うことなく、「けがをしているじゃないか」「大丈夫か?」「気をつけろよ」「救護班をよんでやるからな、我慢しろよ」……と、気遣う。立場は敵同士であっても、一人一人はそれぞれの人間性を持っている。そしてその事実が私達の胸に痛く突き刺さる。警官たち一人一人のやさしさをここで描くことで、見る側はだんだんに納得する。   

 何のうらみもない相手を“仕事”という名のもとに殺さなければならないレオンは、生きていてはいけない人間なのだと。この残酷で、どこか甘美な時間に私もまた、とらわれていた。 

 

 脱出の直前、レオンはマチルダに、大切にしてきた鉢植えをゆだねる。「一人で行くのはいや」と泣き出すマチルダに、「今、初めて生きているという気がする。行くんだ。マチルダ、またきっと会おう。」と無理やり彼女を逃がし、「愛している」と告げる。

 レオンは厳しい警備のスキをついて、ホテルの裏口にたどり着く。あと数歩で、美しく輝く外の世界に踏み出せる、その瞬間、稀代の悪役、ゲーリー・オールドマンの銃口がレオンをとらえていた。

 この時のショットこそは、語り継ぎたいほどの名シーンである。レオンの目に映る外の景色、しだいにそれは近づき、突然すべての音が止まる。静寂の中、その四角い景色はゆっくりとかたむき、やがて真横に倒れこむ。

 銃声なしで、レオンが撃たれたことを表わす、誰もが思いつきそうで、誰もやらなかった“死”の描き方だ。

 

 マチルダはレオンに託された鉢植えを、寄宿学校の庭のすみに植える。この鉢植えがレオンそのものであることは、もう、見る側にも解っていることだ。そして、鉢植えをたくすことが、「忘れられたくない。そばにいたい。」という、決して口にだすことのない、彼の最期の望みであったことも。

 

「鉢植えがすきなのね」「ああ、オレと同じ根なし草だからな」  

 本当は大地に根をおろしたかったのだと言うかのように、庭に植えられたうす緑の葉が、どこか戸惑うように風に揺れていたラストシーンは、まるで童話のように優しい。

 

 ここまで書いてきて、あらためて「レオン」は純愛映画そのものなのだと思う。

こんな命のやりとりをしながらの純愛など、とても出来そうにないし、そんな機会もないし、踏み出す勇気も私にはない。ないないづくしであっても、感じることは出来る。覚えておくことも。

 それにしても、レオンのような男の人生にかかわり、生死をかけて愛し合ってしまったら、一人になってからの毎日を、マチルダはどうやって生きればいいのだろうか。束の間ではあっても、あまりにも鮮やかであったあの日々が消えることはあるまい。

 

「男は、死んでからのほうが、生きている時より出番が多いものだ」という言葉をどこかで読んだことがあるが、解るような気がする。私も亡き父には、いまだに叱られたり、励まされたりと、日に何度となく世話になっていることを感じる。

 この世から姿を消した後も、出番の多いような生き方が私にもできるのだろうか。


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