シネマニア17

〜上手に罠にかかる〜

 

 めずらしくヒマな日曜日、ビデオを借りてきた。「インサイダー」という映画である。

主演はラッセル・クロゥとアル・パチーノである。色白でぶくぶくしているラッセル・クロゥは、とても「グラディエーター」など演れそうに見えないのだが、そこが役者のすごいところで、彼らは作品のためなら、20キロぐらいの増減など出来て当たり前なのかもしれない。

 この作品は実際におこった訴訟問題を扱っている。言われてみれば何年か前に、新聞紙上で目にした覚えがある。ある煙草会社を相手に、「自分がガンになったのは、会社が

体に有害であるものを販売したからである」という、これだけを読めば、無茶な理屈としか思えない“わがまま告訴”である。この事件を「インサイダー」はテレビというメディアを通して立体的に描いた。

その中で、縦横無尽にあばれて、資本主義社会の組み立て方をわれわれに見せてくれるのは、テレビ局の看板番組のディレクターである。このアル・パチーノがいやになるくらい上手い。

 

作品の内容についてはここでは触れずにおくとして、私がぞくぞくしたのは、“番組のつくりかた”であった。たとえば、何年か前にこういうことがあった。瀬戸内のちいさな島に住む、海の事故で息子を失った母親をとりあげた番組だった。いとしい息子の子供の頃を語りながら、彼女は時には楽しそうに小さな笑い声さえあげた。やがてその命の終わりを話さなくてはならない時、言葉につまり、老いた母はふいに顔を上げて遠くを見つめる。その視線の先には、美しくおだやかに輝く海がある。もの悲しいピアノ曲が画面を盛り上げる。海のきらめきにかぶさる母親の嗚咽が胸をうつ。

 この感動を生み出すスィッチのことを、“演出”と呼ぶのではないか。勿論私も泣いた。それでいいのだと今でも思っている。

 ドキュメンタリー風に作られてはいたが、母親へのインタビューの合間をぬって、“息子の幼いころの写真”や、“老いた母の節くれ立った手”、“息子の愛用のグローブ”そして“息子をうばった海”を、見る側の感情の高まりに合わせるように、写し出していた。

 視聴者の琴線をたくみに弾きこなすためには、もちろん優れたセンスと、テクニックが必要だ。そして、やはり優しさと正義感がなくてはならないだろう。

 

 「インサイダー」の中で、アル・パチーノ扮する報道番組のディレクターは、「ここで証人のアップ、次に会社側の役員たちのアップ、もっと口元に寄って。そしてまた証人、“会社は嘘を言っていると思いました”また役員のアップだ、テロップも入れて、」と忙しく指示を出して画面を編集し、“ある確信”を演出する。

 かたや“権力と弾圧”を、迎え撃つは“報道人としての誇りと携帯電話”を、それぞれの武器として社運とプライドを賭けた戦いが始まる。

 映画のテーマから考えれば、勿論“正義が勝つ”のだが、いわゆる感動的なラストシーンを受け入れるための、さまざまな伏線についても、ちゃんと気がついておきたい。

 ボヤーっとした視界が、次第にきりきりと絞られてくる、といったシーンが何度も出てくる。かすかに胸をよぎる不安や疑惑、そしてその不安がはっきりと見え出す。

 何度もこれを繰り返すことで、見る側は一人の男に完全に感情移入して行くのだ。作品中のディレクターが、アメリカの視聴者を操るように、私たちもまた、この演出に洗脳されてしまったのかもしれない。

 映画に酔いしれる楽しみのひとつは、こういった現象によるものが多いのだと思う。

難解なテーマを持って、三時間近くもの長さを、だれることなく最後まで引っ張って行く力量というものは、大変なものであろうが、こういう作品にきっちり着いて行く観客を信じていればこそ為し得ることであるのだとも言える。

 実際、作り手も大変だろうが、見る方だって結構大変なんである。面白いのだから仕方がないのだが。 

      

 それにしても、アル・パチーノは面白い役者である。60歳をこえているだろうが、実にエネルギッシュに演じている。勿論、一流の役者であることに間違いないのだが、何ともいえないある種の二流感が漂う。誉め言葉に聞こえないかもしれないが、そのインチキくささというか、どこか下世話なところが魅力なのだと思う。若いころのアラン・ドロンも、油断のならない目つきをしていたが、ドロンの場合はそのちょっとしたはすっぱさが、美貌をより際立たせるスパイスになっていた。アル・パチーノは美貌というものにはあまり関係がないと思われるので、その二流感は“味”というものだろう。

 実際、彼はもちろん名作にも数多く出演しているが、つまらない作品にも、よく出ている。ロバート・デ・ニーロにも同じことが言えると思うのだが、“上手すぎる”のかもしれない。あるいは(こんな言い方はおかしいが)“単価が安い”のだろうか。日本の役者で言えば、役所広司といったところか。

 アル・パチーノの作品では、私は「狼たちの午後」が好きである。

あまり頭のよくない二人の若者が銀行強盗をする。うだるような真夏のニューヨークで、大金を手にするはずだった二人の男。金が手に入らないばかりでなく、“九人の銀行員を人質に立てこもる凶悪犯”として、200人以上の警官とFBIを敵にまわしてしまった。

「こんなはずじゃなかったのに……」と、内なる呟きが聞こえてきそうである。

銀行強盗は、いうまでもなく憎むべき犯罪である。その常識をもってわれわれは映画を見る。だが、見ているうちに、「狼たちはどっちだろう」という疑問を抱き始める。

 監督はシドニー・ルメットである。名作「十二人の怒れる男」で、ルメットは息詰まるような緊張感の中に観客をまきこんだ。そして“常識と価値観”をみごとにひっくり返して見せた。「狼たちの午後」にも、そのスピリットが生きていた。

 もちろん悪に味方はしないが、一番ひどいヤツは一体誰なのかを考えずにはいられなくなる。いつのまにかドジな二人を応援している自分に気がつく。パチーノの相棒サルが、「どこか外国に行こう、どこがいい?」と聞かれて、「……ラスベガス……」と答えるシーンがある。

 私は少し笑った。そして胸が熱くなった。「…外国って言っただろう!」とあきれられても、何も言い返せないサルが、痛々しかった。今までの彼の人生がどんなふうだったかが、見る側に伝わる重要なシーンだった。

 

「インサイダー」も「狼たちの午後」も、それぞれ“個人と社会との関わり”を描く。自分がどちら側にいるのかを見極めているつもりでも、いつの間にか逆転していることがあるのだ。

 だから人間はおもしろい。だから映画は面白いのだ。上手く仕掛けられた罠には、こちらも上手にかかりたい。


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