シネマニア12


〜過ぎし日々……夢を食べていた女〜


 私は松本で生まれて、高校卒業までを松本で過ごした。小、中学校は家から徒歩でほん5分ほどだった。高校も自転車で10分か、そこいらで着いてしまうという、まったくの松本っ子である。

 大学生活を東京で送り、結婚して長男が誕生し、この地に戻ってきた。

 帰郷まもないある日、Yという女性から電話をもらった。幼稚園のころの先生であった。現在は東京にお住まいである。そのY先生が、一年に一度松本を訪れて、かつての教え子の家を廻って、懐かしい話を楽しむことが、生きがいなのだという。

 近所に住む、やはりY先生のもとで幼稚園生活を送った、幼馴染のS君と一緒に三人で夕食をとった。その夜のことを父に話すと、「ああ、それはY先生の“舞踏会の手帳”だな」と言った。

 Y先生は敬虔なクリスチャンである。その一生を、信仰と幼児教育に捧げられた人である。職を退かれて、30年以上になられるだろうか。

 厳しい躾をなさる方であったので、電話をいただいた時は緊張してしまったが、久しぶりにお会いして、昔話を楽しそうに話されるY先生は、すっかり穏やかなお人柄になられていた。そして、その記憶力の明るさには、正直言って驚いた。

 それから何年か経って、「舞踏会の手帳」をテレビで見る機会があった。

マリー・ベル扮する未亡人が、かつて社交界の名花と謳われていた頃を懐かしみ、当時自分に求愛してくれた、何人かの消息を訪ねて歩くという話であった。

 ある者は戦争に、ある者は病いに、その命を終えていた。舞踏会の手帳に記されていた懐かしい名前は、一人一人黒くぬりつぶされて行くのである。

 虚しさと孤独に、彼女の胸は痛むのだが、不思議なことに暗い映画ではなかった。これもまた人生、ということなのだろうか。

 2,3年前のことだが、家人が、東京に住む母に会いに出かけた時、「時間があったので、神田に行って来たの」と言う。神田には家人が若い頃に勤めていた会社がある。いや、数年前に移転してしまったので、あったと言うべきか。

 東京を離れて20年も経つのだから、すっかり様変わりしていて当たり前だ。会社のあった外神田界隈も例外ではない。「でもね、あの細い路地はちっとも変わってなくて、ビルもそのままだった。向かいの小さな酒屋も、おんなじ所にビールのケースが積んであって、ビルの地下の喫茶店も残ってた。」家人が働いていたのは小さな出版社である。4階立ての古いビルの4階にあった。階段を5,6段上がってみたら、20歳の自分がパタパタと上から忙しそうに降りて来るような気がしたのだそうだ。

 神田明神の坂下に、今もある甘酒屋にも寄ってきたのだと言う。

スケールは小さいが、これもある意味での“舞踏会の手帳”なのかもしれない。

 誰でも年を重ねる。当たり前だが、言いかえれば誰にでも、若い時代があったということである。それが辛い時代であっても、振り返れば“思い出”である。

 少しずつ記憶を塗り替えたり、美化してしまうのは、人情というものだ。

亡父の“手帳”は、青春をすごした金沢のことで埋めつくされていただろうか。母のそれは、故郷の安曇野のことか。戦後の、もののない時期を精一杯生き抜いた、逞しい彼女の“手帳”にも、きっと薄色の花が咲いていたのだと思いたい。

 私の“手帳”は、本や映画のことでいっぱいである。(本当のことは、これは秘密にしておきたい。)

 過去を、優しい気持ちで抱きとめることが出来るのは、幸せなことだと思う。

過ぎた日々に、心も体もからめとられ、現実を見ることが出来なくなってしまったのが、「欲望という名の電車」のヒロイン、ブランチ・デュボアである。この映画は1951年に作られ、その年の数々の映画賞を獲っている。

 鬼才テネシー・ウィリアムズが脚本を書き、巨匠エリア・カザンが監督している。主演は「風と共に去りぬ」のスカーレットで、一世を風靡したヴィヴィアン・リーである。相手役のコワルスキーは、マーロン・ブランドが圧倒的な存在感を持って、演じている。

 こう並べてみると、なんと贅沢な顔ぶれだろうとため息がでてきそうだ。

 ヴィヴィアン・リーは、奔放で逞しいスカーレットを演じたあと、「哀愁」という悲恋物語で、悲しくいじらしいマイラを演じている。この頃の彼女は若く美しく、光輝いていた。

「欲望という名の電車」は、「哀愁」から11年も経っている。さすがの美貌にも翳りが出て、どこか疲れた表情が、ブランチ・デュボアそのままという思いがした。

 “欲望”という電車はニューオリンズのフレンチ・クォーターに実際に走っている。ただ、電車ではなく、バスであるらしい。極楽という駅も、墓場という駅も実存する。

 当時、貧困をきわめた白人たちが住むニューオリンズを舞台に、嘘と真実の、そして夢と現実の境を見失った、一人の女性のはかない狂気を、抉り出すように描いている。

 “過去”にこだわるところは「舞踏会の手帳」と共通しているのだが、「欲望〜」のブランチは、名門の出であることや、過去の美貌だけが心の拠り所だった。堕ちてゆく自分を見つめることが彼女には出来なかったのだ。ボロボロになったプライドのかけらをかき集め、ついにはガラス細工のように、脆く壊れてゆくブランチと、ヴィヴィアン・リーが重なって見える。

 裕福な家に生まれ、美しく聡明なリーは、大女優にのぼりつめ、“サー”の称号を持つイギリスの名優、ローレンス・オリビエと結婚をした。

2度目のアカデミー賞を獲ったころから、不幸が忍び寄っていた。病に倒れ、療養生活を送り、夫は別の女性に心を移していった。40代なかばで離婚をし、作品にも恵まれず、ロンドンの小さなアパートで、一人でひっそりと54年の生涯を終えたという。

“過去”を振り返り、懐かしむのは悪いことではない。とらわれるのが問題なのだ。

心に“舞踏会の手帳”を持って、過去を訪ねるということは、きっと過ぎ去りし日の自分に会いに行くことなのだろう。

 「万世橋を通って、神田神保町から淡路町まで歩いたの。それほど大きく変わってはいなかったのよ。お使いに出されるたびに、帰りに寄り道したみつまめ屋さんもまだあってね、何だかタイムスリップしちゃったみたいだった。“こらっおそいぞ”って、編集長の怒鳴り声が聞こえてきそうで……」

 豊かでなくとも、それなりに輝いていた時代を、人は、時々確かめたくなるのかもしれない。「懐古趣味だ」と笑われるだろうか。だが私は年齢には関係ないのだと思う。若い人も、子供時代のアルバムを見るのは楽しいだろう。“手帳”に書くべき幸せな記憶を持っているということだと思う。



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