シネマニア


〜プロローグ〜

By 電気館

「課長さんの趣味ってなんですか?」

「そうだな、映画青年だったからねえ……。やっぱり映画だね。……マリリン・モンローが好きだったなあ。」

「マリリン・モンローですか。いいですね。僕、…と…が好きですね。…も見ました。」

次から次にでてくる部下達の言葉に、課長は話を続けることができなくなっていた。

数時間後、ビデオショップの前でウィンドウを見つめ、「ケッ」といまいましげに言葉を残し、寂しげに去っていく課長の姿があったという。ある会社の忘年会でのことである。

 

映画ってなに?と問われれば。「大切な思い出」とか「青春の1ページ」といった答えが戻ってくるかもしれない。別にどう定義づける必要はないけれど、「心の琴線に触れるもの」であったり、「悲しいときや気持ちが落ち込んだときに自分を慰めてくれるもの」「心の隠れ家」であったりする。

レンタルビデオの時代、何度も繰り返し見る自称映画通の若者達に、回数ではかなわないかもしれない。でも、その時代オンタイムで見た者にとっては、回数では語れない何かがあるのだ。 

いや、本当は回数でも負けてはいない。若い頃の映画館通いと、その後のテレビ放映も合わせ、30回も「オーケストラの少女」を見たという猛者がいる。その上、テレビ放映の音声をテープレコーダに録音し何度も聞いていたそうだ。ビデオのない時代ならではの風景だろう。家族に箝口令をしき、流行歌をオープンリールのテープデッキに録音していたかつての自分の姿がオーバーラップする。

ある映画の中に「男という者は寂しいときは気をつけなければいけない。最初の女にひっかかるものだ。」という科白があった。30回みたという彼が最初にひっかかった女がディアナ・ダーピンだったのかもしれない。初恋の女性に会うために乏しい小遣いを工面し、映画館へ通った彼。新聞のテレビ欄に「オーケストラの少女」のタイトルを見つけては心をときめかせた彼。その彼に今のビデオ時代を見せたらなんと言うだろうか。一本のビデオを手にしても、その中の彼女は初恋の少女でいつづけてくれるのだろうか。

雑音の混じったかすれた音声、荒れたスクリーン、そして自分は小さな劇場の粗末な椅子にすわり、ポケットの中の半券をにぎりしめる。それが「映画をみる」ということだ、と答えるかもしれない。

とにかく、映画館で封切りをみるということと、レンタルビデオでみることに価値の違いを持たぬ若者に、何ともいえぬ悔しさを感じたのだろうと思う。くだんの課長の気持ちに同感する。

なあ、そうだよなあ、「けっ」だよなあ。

 

昔は、封切館という言葉があった。金のない若者は少しでも早く新作をみたいと思いながらも、2週間後の二番館での上演を待った。それでも充分満足だった。何度も繰り返しみるビデオより、かじりつくように見つめる映画の方が心に響くものがあった。トイレだってよほどせっぱつまらなければガマンしたものだった。

昭和の初期、松本にも若者を虜にしたいくつかの映画館があった。松宝(松本宝塚映画劇場)、開明座、演伎座、電気館(後の東映)。封切りともなると、それぞれの前に何十台もの自転車が止められていた。当時の情報源は映画と本とラジオしかなかった。そんな時代の価値観を今に当てはめることはできないとしても、せめて創る側も見る側も、もっとピュアでありたいものだ。

 

B級映画、C級映画といわれる作品もあるがそれはそれで見る者を楽しませればよい。しかし、A級を装いA級であるかのような幻覚を与えて偉そうにふんぞり返っている似非A級映画(と、それをもてはやす評論家達)がじわじわと増殖しているように思えてならない。「ほら感動してください」「かわいそうでしょ」とこれ見よがしな態度で創り上げ、過去に使われた手法をあたかも自分が創造したかのようにアレンジする監督が多くなった。それでも、乱読と同じように乱視聴するファン達は無意識・無批判のうちにそれを許している。そこそこおもしろければそれだけでよかったと言ってしまう。でも、2番煎じは2番煎じにすぎない。映像テクニックがどれだけ進歩しようともヒッチコックの映画はヒッチコックにしか作れない。たとえ2番煎じであってもどこかにこだわりを持って欲しい。ディティールを大事にする映画、しない映画。もっと区別してよいのだ。

見たあと、だれかの肩をつかんでゆさぶってその映画について言わずにいられない、そんな映画とそんな誰かに出会いたいと思う。

 

五十才を目前にしての、ところどころさびついた脳ミソから穴ボコだらけの記憶をひっぱりだして、何とか綴ってみたくなった。もう一度映画の原点に戻ってみようといった意味で、「電気館」と称し、独断と偏見で映画を語ってみたい。その時々の印象をもとに、なるべく資料にたよらずにやってみようと思うので、記憶ちがい勘違いは多々ありそうで、じつは、もうすでにお叱りが恐い。

間違いさがし、反論、ご指導、お待ちしています。


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