観察日記          

身近な自然を観察、紹介します。


キクイモの秋

 キクイモの花が満開になりました。
田んぼの土手や畑のくろなどにキクイモの花が咲いています。小さなひまわりのような花を沢山つけて、澄んだ秋空にひときわ黄色の花が映えます。この花が咲く頃は近在の村祭りが行われ花火の音があちこちで聞こえるようになります。

 キクイモ(菊芋)は名前の通りキク科の植物で、もともと日本にあった植物ではありません。原産はアメリカ大陸北東部で、日本へは文久3年(1863)アメリカの船員が横浜で屑芋を捨てたところ、そこから繁殖したとも、記録のある説(註1)では英国特派全権公使アールコックが高輪東漸寺内に培養したところ、日本の地に良く合うことから栽培が始まったといわれています。
 この高輪の東漸寺というのはイギリス仮公使館となっていたところで、文久元年(1861)と文久2年(1862)と二度にわたり尊攘派に襲撃されましたが、文久2年のときは、大垣・岸和田・松本藩士など約500人が警備するなか、松本藩士の伊藤軍兵衛が仮公使館を襲撃、イギリス水兵二人を殺害し逃走、遺書二通を残し自刃しました。歳、23でした。松本藩も仰天したでしょう。幕府は賠償金1万ポンド(約4万ドル)を翌3年生麦事件賠償金支払いの際に支払いました。オールコックがキクイモを栽培していたころこんな事件があったのです。

 キクイモは蔬菜として栽培されたものではなく、最初は家畜の飼料として栽培されたといいます。北海道の開拓使時代に米国から正式に種苗が輸入されたといいますから明治初年のころでしょう。
 キクイモは地下に塊茎を持つ多年草で、高さは3mにも達します。学名はHelianthus tuberosus L で種名のツベローススは塊茎状の意で、地下茎の先端が肥大して塊茎をつくります。葉は柄があり、ざらつき、葉のつきかたは下のものは対生、上になると互生になります。茎には短い毛が密生しています。全体を触った感じはざらつき、花は頭状花で花期は9月から10月初旬に咲きます。
 塊茎には節があり、イヌリン(Inulin) を含み果糖を製造でき、アルコールができることからキクイモ酒などの原料となっています。
 最近ではこの芋を粕漬けや味噌漬けにする家庭が増え、歯切れの良い食感を楽しむ人が多くなり、農産物の直売所などで人気といいます。ただ、生の芋は貯蔵することが難しく、じゃがいものように春まで置いておくということはできません。
 園芸店などでも改良された品種が売られるようになり楽しみも増えましたが、乾燥地は嫌うので注意が必要です。在来種は耐寒生があるので掘り採りは茎が枯れた以後いつでもできます。繁殖は塊茎を植えるか、大量に欲しい場合は挿木で増やすことができます。挿木は春、20aくらいの新稍を鹿沼土に挿します。発根したら植え替えますが、吸肥力が強いので堆肥などを入れて栽培します。一度植えると邪魔になってもなかなか絶やすことはできませんが、夏になる前、新しい塊茎ができる前に除去すると絶やすことができます。うどん粉病などに罹ることがありますが、もともと丈夫なものですから消毒などする必要もありません。ただし連作は嫌いますから、本格的に栽培するには注意が必要です。

 キクイモの花に伊藤軍兵衛の心情を重ねてみると郷里の路傍に咲く花がまた違ったものにみえます。この事件で松本藩は警衛の任を解かれ、藩主松平丹波守光則は閉門、当夜詰合の藩士20余名は押入・押込などの処罰を受けました。この事件は文久2年5月29日のことでした。
   
 註1 牧野富太郎『植物研究雑誌』第3巻第2号 
 アールコックは明治期、近年はオールコックと記す

 (09/10/01)


セツブンソウを訪ねて

 ここ15年ばかり見に行かなかった里山のセツブンソウを見に行きました。
近くの里山なのに他のことに気をとられ、ご無沙汰してしまいました。友だちの車に乗せていただいて、思いがけず行くことができました。里山の春はいつもより早いようで、山の北側にはいつもなら残り雪があるのにそれもなく、心なしか小川の流れもゆっくりで、今年はこの調子だと水に苦労するような感じです。
 懐かしい道をゆっくり車が登ります。
これから五月にかけて山の春はかけ足でやってきます。テングチョウのペアがくるくると穏やかな陽だまりを飛んでいます。ここの下条山には春早く出るヒメギフチョウを追って何回も入りました。ヒメギフチョウの食草であるウスバサイシンを探して千m前後の山を何度も登り降りしたところです。
 セツブンソウは下条には自然園のところにあって、下条の人たちが世話をしていますが、にぎやかなセツブンソウもいいですが、山の中でひっそりと咲いているセツブンソウが好きな私が、友を誘ったというわけです。

 セツブンソウはキンポウゲ科です。学名はEranthis.pinnatifida Maximですが、属名のEranthis(エランティス)はギリシャ語でer(春)とanthos(花)で春早く2月から3月、節分のころ咲くことで名づけられたものです。
 種名のpinnatifida(ピンナティフィダ)は羽状に切れたの意で、羽状に分裂した総苞(葉状の鱗片)を持ちます。白く花のように見えるのは萼片で、普通5個ですが、下条のものは6個あるものがあります。本当の花は、二また(Y状に)に分かれた小さな黄色の花で雄しべの外側にあります。中心の雄しべの葯(やく・花粉の入っている袋)は紫色をしています。 蕾のころはうつむいていますが、開くと上向きます。こんなところが愛される理由でしょうか。
 
 セツブンソウが身近で見ることができるところは、塩尻では下条と日出塩が有名です。どちらも地元の人たちが保全の取り組みをしていますが、この地区が石灰岩の分布地帯にあることです。石灰岩が好きな植物といえましょう。このようなものを指標植物といいます。また、セツブンソウはスプリングエフェメラル(春のはかない生物)として、早春、落葉樹が芽吹かない明るい林縁や林床で花を咲かせます。他の植物が茂る夏にはもう消えてしまう植物なのです。カタクリもそうですが、短い春に営みを終えることに人がなにかしらのものを感じるのも、これまた無理もないことでしょう。
 久しぶりに訪ねたセツブンソウでしたが、標高千mの山の中で相変わらずひっそりと咲いていました。増えをせず減りもせず人の手を借りないところで生きていました。近くのカタクリもフクジュソウも健在でした。これからヤマエンゴサクやジロボウエンゴサクも咲くでしょう。私も忙しくなります。

(09/03/22)


ススキの秋

 秋の野原を代表するものはススキでしょう。
このススキが群生するススキ原を身近にみられるところが少なくなりました。幸いなことに私の近所では小規模ですがこの群落をみることができます。道路のそでで、休耕している農地なのですが、いわば先祖帰りをしているような場所となっています。荒廃が進みススキ群落に赤松やミズキ、カラマツなどが侵入、森林化が始まっています。
 本来ならば森林は伐採されたり、山火事などで二次林がなくなるとまず、一年生植物が侵入、その後ススキが侵入、ススキ群落を作るということになりますが、放棄された畑や水田でこの逆の現象が起こります。人間の手が入らなくなると短期間で元の森林に戻っていきます。
 かってススキは農家にとって重要な植物でした。
 このあたりは「大原」と呼ばれていますが、森林を伐採してその後にできたススキの草原を「大原」とよんだものでしょう。人の手が長い間加えられ農地となったもので、中世から近世に萱場(かやば)として刈敷(肥料)やかいば(牛馬の飼料)として利用し、時には火入れを行い、森林への移行を妨げてきた過程があり、畑や水田になってきたものと思われます。思い起こすに「永井坂の戦い」もこのススキの原で行われたことでしょう。「永井坂」は「大原」の隣の地名ですが、夏の盛り、葉が光るススキの原のそのなかで小笠原と武田の騎馬武者が馳せ、命懸けのやりとりをしていたと思えば、ススキを渡る風にも無量なものを感じます。まさに芭蕉の「なつくさや つわものどもが ゆめのあと」の感慨でしょうか。

 子どもたちにとってススキは人気のあるあそび道具でした。
「ススキの相撲」はススキの葉を使う遊びです。葉柄から葉をつけて日本かみそりの形に切り取り、二人で刃になる部分を引っ掛けて引っ張り相手の葉を切り取る遊びです。ススキの葉はただでさえ鋸歯(きょし)があり、下手に掴むと手が切れます。この相撲のすごいところは音もなくスッと相手の葉が切れることです。この感触がこどもにとってたまらないのです。本当にカミソリのように切れるのです。
 「ススキの矢飛ばし」も面白い遊びです。葉を25aくらいに切り取り、先端の矢じりの部分は葉柄を葉身から7aほど剥き、矢の後ろになる矢羽の部分は葉柄に達するまで矢羽状に切込を入れておきます。これを左手の親指の上に載せ、親指と人差し指の間にくぐらせた7aほどの葉身を、右手で強く引っ張ると矢は飛んでいきます。下手に引っ張ると手が切れますが、これはコツを掴むと簡単にできるようになります。
 「ススキの投げ矢」は尾花が着くころ、茎が硬くなったころ根元の節の部分から折とり、葉鞘ごと葉をむしり先端の葉を矢羽状に整えます。これを投げ合うのです。飛距離競争をする遊びで田んぼなどで行いました。「投げ槍」に近い遊びです。
 「ススキのミミズク」は秋、ススキの尾花(花穂)を沢山集めて作ります。まず、茎を芯にして頭の部分を作ります。適当な大きさにしたら、今度はその下に体の部分を作っていきます。丸くなるように足していきます。ミミズクの格好になったら適当な棒を差し込んで結わえます。耳、目は落葉樹の葉やどんぐりでつけます。ふさふさした体がミミズク(ふくろう)のようで綺麗です。
 この四つの遊びは以前、宗賀の南部保育園で自然観察の折、実際にこの遊びをしました。昔の遊びをやったわけですが子ども達はどの遊びも夢中でやってくれました。手を切った子どももいましたが、しばらくすると止まるので心配することはありません。ミミズクだけは保育園の先生たちが大きなものを作りましたが、大騒ぎしたあのときの子どもたちはもうみんな中学生になっているわけです。月日の経つのは早いものです。

 ススキはあまりにも身近なためかあまり観察されることがありません。
高ボッチ高原や郊外の空き地、道端、田畑の畔道にもごく普通に生えている植物で、ススキ属(Miscanthus Anderss.)になります。属名はギリシャ語のmiskos〈硬〉とanthos〈花〉から成り、小穂に柄のあることによるものでイネ科の多年草です。
 このススキ属では日本には8種6変種があるといわれ、普通ススキというのは、Miscanthus.sinensis Anderss. が学名です。種名のシネンシスは中国産の意で、〔漢〕では芒(すすき)と書きます。和名で「薄」とあてられることが多いのですが、これは叢生する状態の形容詞のようです。原産は種名のように中国、東アジア、台湾、日本で、日本では北海道から九州まで分布しています。奈良県の曽爾高原(そにこうげん)のススキ草原は特に有名ですが、定期的に低木類を焼き払ってススキ草原を維持するために努力しています。また箱根の仙石原も有名ですね。
 ススキは秋の七草の一つで尾花(おばな)という名は、小穂(しょうすい)の基部の白い毛が水平に広がることが動物の尾のようになることから尾花と呼ばれるようになりました。この小穂というのはイネ科の花序(花が茎についている花の集合している状態)で特徴的なものですが、小花が穂状についていることから呼ばれています。この小穂をよく見ると属名のように柄を持つものと短い柄をもつものが対になってついていて、ながく途中で曲がった芒(のぎ・剛毛状の突起))が見えます。この芒の有る、無しがススキとよく似たオギとの区別になります。ちょっと手にとって見ていただくと面白いです。
 ススキの名が後ろにつくアブラススキやオオアブラススキは、ススキ属ではありません。イネ科ですがそれぞれが違う属です。霧訪山や高ボッチで見かけられます。 ススキの変種にはハチジョウススキ、イトススキ、ヒメススキ、ハツセミ、シマススキ、タカノハススキ、ヤクシマススキなどがあり、庭植えされたり、小型のものは山野草として鉢植えされて鑑賞されています。私もハチジョウススキ、イトススキ、シマススキ、タカノハススキ、ヤクシマススキを庭植えにしましたが、現在丈夫でいるのはシマススキ、タカノハススキだけであとは消えて無くなりました。イトススキやヤクシマススキはどうも鉢作りがいいようです。

 ススキは古くから和歌や俳句に詠まれ、絵画に描かれ、工芸品などの図柄などに好んで使われてきました。秋といえばススキが日本人の感性に訴えるものがあるようです。月とススキはお決まりの図柄ですが、なんとなく落ち着いた気持ちになるのは何故でしょうか。夕日に照らされ白い冠毛が金色に輝く逆光のススキなどもまた絵になるものでしょう。そこはかないものを感じさせます。ススキほど光と風が似合う植物はないと思えるほど刻一刻と表情を変えるのです。日中の半逆光では銀色に輝き、尾花が吹き飛んだ初冬のススキには、生命の終焉を思わせる寂しい風情が感じられます。ススキ原を渦巻くように風が舞い、ススキの陰の物の怪がざわめいているような、安達ケ原もかくやと思えるほどの恐ろしい表情も見せるのもまた魅力の一つです。
 茎葉はカヤといい、カイヤと呼ばれる茅葺き屋根をふく材料になりましたが、いまでは茅葺きの家が少なくなり使われることが少なくなったと聞きます。また硬くて丈夫なことから炭俵の材料となったり、粗タンパクの含量が多いことから牛馬の飼料として夏に刈り、干して冬の間使うということをしてきました。農業高校では乳牛の飼料をつくるため、実習として夏休み前には東山の学校林で沢山のカヤを刈ったものです。
 高ボッチ山も以前ほどススキが見えなくなりました。ズミが優先するようになり森林化が進んでいることが原因でしょうか。四沢の奥にいたセセリチョウ科のギンイチモンジセセリやコキマダラセセリ、ジャノメチョウ科のジャノメチョウも少なくなったような感じがしています。これらの幼虫はススキを食草としています。

 どこにでもあるススキ、見過ごされてきたススキに過ぎていく時と、移ろいゆく生に愛惜の思いを注ぐのも歳をとったせいでしょうか。

 (08/10/06)


アジサイの花

 アジサイの花が咲き始めました。
梅雨にはアジサイの花がよく似合います。雨に打たれて咲いているアジサイ属のみずみずしさは、重苦しい季節を忘れさせます。特に青いろの花弁状の萼(がく)をもつヤマアジサイやガクアジサイは爽やかさを感じさせてくれます。アジサイが雨に似合うのはどうも属名のヒドランゲア(Hydrangea L.)にありそうです。ヒドランゲアはhydro(ギリシャ語で水)とangeion(同じく容器)を組み合わせたものといわれますから、似合うのも無理からぬことですね。
 梅雨のさなか、山道を歩くと暗いほどの緑のなか、渓流沿いにぽっかりとヤマアジサイが咲いていて、眼を洗われるようなことがあります。そこだけなぜか華やかでそれでいて何故かさみしげな感じで心ひかれます。ヤマアジサイにはぎらぎらした陽は似合わないようです。

 アジサイ属は古来より人に愛されてきました。原産は南北アメリカ、アジアにて40種を産しますが、日本で25種ほどが自生しています。一般にただアジサイといえば、H.macrophylla Ser.subsp.typica Makino var.otaksa Makino のことです。変種名のotaksa は、かの有名なシーボルトが滞在中に妻としていた楠本滝から取ったものといわれ、シーボルトも花に好きな人の名を付けるなど隅におけない人です。
 アジサイは奈良時代から栽培され、中国へ渡りました。中国からイギリスに渡ったのは1790年で、日本からに欧州に渡ったのは天明8年(1788年)といわれています。どちらにしてもシーボルトが日本に来る以前に、欧州に渡ったものでしょう。
 欧米で改良された品種はハイドランジア・ホルテンシアという呼び方で呼ばれていますが、日本では西洋アジサイといってアジサイと区別され、鉢植えにされ流通している品種が数多くあります。現在、花色・花形も豊富でより矮生なものに種苗会社が力を注いでいるので楽しみです。

 ヤマアジサイ(H.macrophylla Ser.subsp.serrata Makino var.acuminata Makino) は台湾・日本が原産で別名サワアジサイなどと呼ばれています。塩尻でもごく普通に山中でみることができます。若い枝には毛が密生しています。葉は対生で先端は変種名のアクミナータ(針のある)のように尖っています。亜種名がserrata (セルラータ・鋸歯のある)ですから、鋸歯のある針のような尖った葉を持つということになります。
 ガクアジサイ(H.macrophylla Ser.subsp.typica Makino var.azisai Makino) は代表的なアジサイという意です。シーボルトのアジサイや、もろもろの基本種で大きな4片の萼(胡蝶花・装飾花)を持って多数花を取り囲むことから、胡蝶花を額縁に見立てガクアジサイと呼ばれているものです。原産地として有名なのは伊豆半島や伊豆七島、神奈川で、庭園にも植栽されています。塩尻では上西条の常光寺、松本寿の弘長寺でみられます。フイリガクアジサイは葉に白色の覆輪斑が入っている品種ですが、春、早く芽吹きを切枝として利用したり、斑を愛でるため庭木として植えられます。
 ベニガク(H.macrophylla Ser.subsp. serrata Makino var.japonica Makino) は、装飾花がだんだんと色変わりして紅色になることから名が付けられ、ガクアジサイの一変種といわれています。
 ノリウツギ(H.paniculata Sieb.) も塩尻の山中や山麓で、これから9月ごろまでよくみることができます。一名「ノリノキ」と呼ばれていますが樹の内皮で製紙用の糊(のり)を作ります。また、北海道では「さびた・サビタ」と呼び、この木の根でパイプをつくることからサビタのパイプとして有名です。花は白色で、少数の装飾花と正花と呼ばれる多数の両性花をつけ円錐形になります。装飾花ばかりに眼がいきがちですが、両性花もよく観察して見てください。萼片が5、花弁が5雄しべが10本、雌しべの花柱が3本見えます。ノリウツギも1874年(明治7年)イギリスへ輸出されています。
 ノリウツギから出たものでミナヅキ(H.paniculata Sieb.var.grandiflora Sieb.)と呼ばれる装飾花だけの花を持つものもいます。これも1864年(元治元年)輸出され改良されて里帰りしたもので、切花として利用されています。
 最近カシワバアジサイという園芸種が人気ですが、やはり大きな円錐形の大きな花序をつけます。こちらはカシワに似た葉が秋には紅葉します。
 アマチャ(H.macrophylla Ser.subsp. serrata Makino var.oamacha Makino) はオオアマチヤと呼ばれ、葉を乾して甘茶の材料にします。外見はヤマアジサイそっくりです。またシチダンカ(H.macrophylla Ser.subsp. serrata Makino var.stellata Makino) は萼片が重なることから「七段花」などと呼ばれ、変種名のステルラータの名のように、アジサイの線香花火ともいえる星芒状の装飾花に人気が出ています。

 アジサイは改良が進んでたくさんの亜種、変種が生まれています。アジサイの仲間を蒐集している方も大勢います。鉢栽培の場合、特に夏は乾燥させないよう注意が必要です。水の容器といわれるくらいですから2回以上たっぷり潅水してやります。用土は黒土に腐葉土を混ぜ、やや粘質ぎみの土に植えるといいでしょう。
 庭が広かったら庭木として植えると見事なくらい大株になるのでかなりの面積が必要です。他の植物が日陰にならないよう気をつけて植えたいものです。陽のあたるところが好きですが半日陰の所でも大丈夫育ちます。
 繁殖は株分けでも挿木でも簡単にできます。梅雨時なら20aくらい(葉4−6枚・2節ー3節)の新稍を鹿沼土(みそ土)に挿します。株分けは秋か春早く冬芽が開かないうちに行います。アジサイの冬芽の開くのは他の植物より早いので気を付けましょう。
 剪定はいつでもというわけにはいきません。花芽が作られるのは(花芽分化)10月ごろといわれています。この頃になると新稍の伸びもとまり、その先端と先端の下2節くらいに花芽をつけます。株を整えたくて新稍を深く切ったり、10月以後に枝条を揃えようと切り戻したりするとできた花芽を切ってしまうことになります。来年も花を楽しむなら花がすんだら、なるべく早く軽く剪定することです。花首から1−2節下で切り取ります。株が大きくなり過ぎて困るようなら深い剪定(切り戻し)をすると、来年は花を付けませんが株を小さくすることができます。春の剪定もいけません。これはもうおわかりでしょう。春は古い枝で芽を付けていないものや徒長枝、凍みで枯れた枝、混み合っている枝や幹を整理するくらいにしましょう。
 肥料は庭木でも、鉢植えでも彼岸前の寒肥と開花後のお礼肥えをします。また、新稍の伸びがとまった10月すぎ、花芽分化が終わったころ与えるのも効果があります。遅効性の油粕や鶏糞、魚粉などを埋め込みます。これで来年もよい花が楽しめます。

 幕末の偉人で松代藩士の佐久間象山は「昨日今日あすとうつろう世の人の心に似たるあじさいの花」と詠みました。色変わりする花を人の心になぞらえるなど象山らしいのですが、「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の正岡子規も「紫陽花やきのふの誠きょうの嘘」と一句しています。七変化と呼ばれたあじさいも分が悪いのですが、これはそうみる人が悪いのでアジサイに罪はないのです。アジサイは酸性になるほど青色になります。これは土のなかのアルミニゥム、鉄が酸に溶解して吸収されるためといわれています。アジサイはpH5.5〜6.5くらいの土壌が育てやすいといわれ、pH7以上になると生育に支障がでるといわれています。どうも弱酸性から中性で育てて欲しいということでしょうか。

 これから梅雨明けまでがアジサイの季節です。みじかにアジサイの名所がたくさんあります。雨のなかのアジサイを楽しみましょう。

 (08/07/01)


 迎春花オウバイ

 オウバイの黄色の花が目立つようになりました。
オウバイは早春、モモやサクラに先駆けて咲く花で、葉が出る前に咲くことから漢名を「迎春花」といい、俗名を「黄梅」といいます。中国原産で観賞用に小花木として庭園に植栽されてきました。また、小物盆栽としても人気があります。

 オウバイはモクセイ科です。レンギョウやヒイラギの仲間になります。生け花に使われるキソケイもこの仲間です。イボタノキもライラックも晩秋に咲くキンモクセイもこの仲間になります。「黄梅」と呼ばれるので、ウメ(うめ・バラ科)の仲間と思っている方も多いと思います。
 バラ科のウメの花は離弁花(花弁が離れている)で、雄しべが沢山あり、葉は互生(互い違い)になります。モクセイ科の花は合弁花(互いの花がくっついている)で、雄しべは2本、葉は対生(向かい合ってついている)が多いです。

 オウバイはモクセイ科のJasminum L.(ヤスミヌム属)ソケイ属のJ.nudiflorum Lindl.が学名になります。このヤスミヌム属の仲間にリュウキュウオウバイやジャバソケイ、生け花に使われるキソケイやソケイ、鉢花で流通しているジャスミナム・ポリアンツム(和名ハゴロモジャスミン)やスタージャスミン(和名ボルネオソケイ)がいます。オウバイモドキは、一名ウンナンオウバイともいわれ鉢花で流通していますが、これは オウバイより花が大きく、花の喉のところに赤色の条線があり、常緑です。
 オウバイの花を観察すると顎(がく)が6裂、花冠(花弁をまとめたもの)は六つに裂けています。雄しべは2本、雌しべは1本あります。咲いてしばらくすると黄色があせ、白っぽくなりしぼみます。
 オウバイの花はあまり匂いませんが、小枝や樹皮を噛むと苦味がします。これはジャスミフロリンなどがあるためといわれています。鉢花として流通しているハゴロモジャスミンなどの花は芳香性があり、これはジャスミン油に含まれるジャスモンという酸が作用していて、最近では果実の熟化や休眠打破などに使われています。

 オウバイは中国から渡来したもので、寛永年間(1624-1643)の『写本花壇綱目』に記されていることから、かなり古くから愛でられていたといえます。丈夫で冬には葉を落としますが耐寒性もあり、剪定にも耐えることから庭園の石垣などに下垂させて作られています。

 オウバイが終わるとサクラのお花見はもう目の前です。

 (08/03/31)


雪のかたさ

 明日は立春というのに今日は朝から雪が降っています。もう朝から五回も雪かきをしました。
低気圧が南海上から発達ながら東進し、中国大陸には高気圧が張り出していて「かみゆき」といえるものなのですが、重い湿った雪でなく助かります。大陸の高気圧がゆっくりなのと低気圧が同じくゆっくりなのでどうも一日降りそうです。
 朝5時半に雪かきをしたのですが、街灯の光に当たって積もったばかりの雪の結晶ががキラキラとひかりきれいでした。
 
 雪のかたさをはかったことがありますか。
山登りやスキーをやられたことのあるかたは多分ご存知でしょうが、簡単に測る方法があります。この方法で雪のかたさ、やわらかさを知っておくと冬山などへ行ったとき、雪崩などの危険に目を向けることができます。なに、たいした道具はいりません。

 こぶしが入る。   この雪は非常にやわらかい。密度が0.05から0.1くらいの新雪。 
 指4本が入る。   親指を曲げ平手にした状態で入る雪はまだやわらかい。まだしまっていないくて構造は弱い。
 指一本が入る。   人差し指一本であまり力を入れなくても入る。中ぐらいのかたさ。しまり雪で密度が0.2くらいのかたさ。
 鉛筆。       エンピツくらいの硬さのものでないと入らない。密度は0.3から0.4でよくしまっている。
 ナイフ。      尾根筋で見られる風成雪かアイスバーン。かたい雪。

 おおざっぱな方法ですがこれを知っていると山で苦労しません。
 この辺は雪が少ないので雪が積もって1m以上になることはありませんが、山で雪洞などをつくるとき参考になります。斜面のなるべく掘り易いところでまず、1m くらい垂直に掘り下げます。この掘った面を観察して指一本かエンピツが入るくらいの層があったら、そこが雪洞の天井になるように掘り下げます。腰をこごめて入れればいいので入る人数を考えて広げれば出来上がりです。鹿島槍の天狗尾根で東京のパーティは天井が柔らかかったため、掘ったあと五日間続いた降雪の重みでつぶれてしまいました。まあ、そこで人が寝るわけでない炊事とリビングみたいなところですから大事にはなりませんが、また掘ることはしんどいものです。
 彼らのやりかたを見ていましたが、弱い構造のところから掘っています。また、雪を踏むということをあまりしません。雪は踏むとかたくなります。私たちは掘った雪を踏んで、踏んだ雪は雪洞の上部の新雪をはねて(除く)天井の上に乗せ屋根としました。こうしておくと次の朝にはかたくしまっています。雪に慣れていないとわからないでしょうね。
 
 今日のようにどんどん積もると雪かきは大変ですが。積もった雪がどんなようにかわっていくか観察できます。
かいた雪などが乗らない場所、庭の片隅などに観察場所をつくります。雪が止んで日にちが経つにつれ雪の状態が変わります。これを観察すれば雪が表情をもっていることがよくわかります。なにも専門的な道具がないと観察できないわけではありません。日向、日陰、風の通り道など、また樹木のそばの雪など見る場所はいくつもできます。屋根の雪も観察の対象になります。雪止めない屋根などの北側に雪の張り出しが出ていることがよくあります。どんなふうになるか子どもたちに観察させるのもよいでしょう。
 また、田畑の土手で傾斜のきついところの雪がどうなるか、散歩の途中でも継続して観察できます。電線やワイヤーに着雪するようすも観察できます。畑に積もった雪が風によって削られたようすや模様、きのう歩いた自分の足跡がどうなったか、どんなふうにかわったか、雪の吹き溜まりはどんなところにできるか、動物の足跡がいつごろついたか推測できます。

 雪は生活面からみると厄介なものですが、ちょっと違う角度から眺めてみると面白いものです。山国に生まれたのですから雪に慣れてみましょう。私はくせで雪が積もると必ず、素手で握って見ることにしています。これだけでも雪にはいろいろなものがあることがわかります。
 今日はしっかり雪かきをしたので明日は腰がいたくなりそうです。

 (08/02/03)


セイタカアワダチソウ

 秋から初冬にかけて人里の新しく造成した辺りを歩くと、セイタカアワダチソウが元気よく咲いているのをみかけます。
みどり湖の堤防下のホタル水路の周辺や、JRの短絡線の土手にも、田川の川べりの道など、住宅地が造成されたり、川の堤防を改修したり、道路が開けられた場所には必ずといってよいくらいセイタカアワダチソウをみることができます。
 セイタカアワダチソウは、その土地の古くからあった植物の群落が崩れるようなことが起こると、進出し勢力を伸ばしていきます。

 セイタカアワダチソウは、昭和20年(1950)ごろにかけ京阪神から繁殖が始まり、東京方面に広がったといわれ、戦災地の焼け跡が繁殖を助けたともいわれています。
セイタカアワダチソウの原産地は北米の東、中部で、キク科ソリダーゴ属(アキノキリンソウ属)に入ります。ソリダーゴ属(Solidago L.) は、世界で130種くらいあるといわれ、わが国では2種が分布します。
 セイタカアワダチソウは一名、セイタカアキノキリンソウ と呼ばれています。学名はS.altissima L.で種名のアルティスシマは非常に高いという意味で、茎が高く伸びる性質をよく言い表しています。1−3bにも伸びるといわれていますが、この辺で見かけるものはせいぜい1b前後であまり背は高くありません。自家中毒でも起こしているのか、年々背が低くなっていくようでどうも往年の元気がありません。種子はこの辺りでは11月中旬ごろから白く泡立つように盛り上がり、冠毛を舞い飛ばせます。
 地下茎をひいて繁殖していきますが、他感作用(アレロパシー)を持つという面白い性質があります。これは根から生育阻害物質を出して他の植物の発芽や成長を抑えてしまうというもので、したたかな戦略を持っている植物です。このような作用を持つ植物にマツやソバ、ヨモギやクルミなどが知られています。
 アレロパシーを農業に利用しようと最近では連作障害の研究や生物農薬、また、雑草防除に役立たせようと試験場や研究機関でいろいろな取り組みが続けられています。

 セイタカアワダチソウが日本に渡来したのは明治30年ごろといわれ、北米では植え込みや切花、縁取りの植物として栽植されていたものです。帰化植物の代表的なもので、一時期アレルギー症状を起こす原因として騒がれたことがあります。これは花粉が鼻や口腔の粘膜につき、ぜんそくになるというものでしたが、現在ではこの疑いは晴れています。虫媒花(昆虫が受粉を媒介する)であることから花粉は少なく、問題はないようです。ちなみに嗅いでみても花には匂いがありません。
 葉は鋸歯があり表面を触るとざらざらします。表裏とも細かい毛があり、茎は枝分かれせず先端で花をつける細い枝を出します。頭花は密集して咲きます。舌状花は10個内外で雌花です。また頭花の中心に数個の管状花を持ちますがこれは両性花です。花期は10−11月で野外で最も遅く咲く花です。

 セイタカアワダチソウのほかに和名のついたものに、カナダアキノキリンソウ、ヤナギバキリンソウ、アメリカアキノキリンソウ、オオアワダチソウ(一名・ハダカアキ ノキリンソウ)などがあります。変種になりますが日本原産のアキノキリンソウ(一名・アワダチソウ)があります。同じくイッスンキンカも日本原産で屋久島の生まれです。ミヤマアキノキリンソウは日本のほか樺太や千島、韓国、中国、フィリッピンが原産でアジア原産といってもいいでしょう。
 オオアワダチソウは最もよくセイタカアワダチソウに似ています。見分け方は花の時期と茎と葉です。オオアワダチソウはセイタカアワダチソウより早く咲き、葉は無毛で、茎も上部を除き無毛でざらつきません。花期は夏の7−8月でセイタカアワダチソウが咲いているころはもう花が終わっています。塩尻市ではみどり湖や宗賀、片丘の荒地で普通に見かけます。
 オオアワダチソウが日本に渡来したのは明治15年といわれています。学名は S.serotina Ait. で種名のセロティナは晩生の意ですが、最近の図鑑などではS.giganteaAit.var.Leiophylla Fern. と呼ばれることもあり、種名のギガンテアは巨大なの意ですが、変種名のレイオフィルラは滑らかな葉の意で、葉裏の脈上に毛がある点でセロティナと区別されていますから注意が必要です。
 カナダアキノキリンソウは北小野矢彦神社で見ることができます。S.canadensis L.の学名を持ち、種名のカナデンシスはカナダ産の意ですから北米東北部原産といえましょう。この種は園芸種のもといとなったもので、他種を交配していろいろな品種が作り出されています。この花も7−9月にかけて咲きます。

 今年の10月京都、奈良へお寺参りに行きましたが、高速道路の沿線で途切れることなく続くセイタカアワダチソウの群落を見ました。特に土岐JCから新しくできた東海環状道路に入ると、沿線の法面(のりめん)や土砂採取地でよく茂っていました。これは地下茎のある土が工事によって移動し、旧来の植物のない新天地で勢力を拡大したものと考えられますが、カバープランツとして道路公団が種子でも播いたくらいに繁茂していました。本当にこの草の逞しさを感じました
 セイタカアワダチソウの冬越しは茎が枯れたあと、葉はロゼット状に広がって芽を守ります。茎の枯れたものは太さが下部から上部まで同じくらいなので、採取して乾燥させ、これを編んで色調を生かしたすだれや、鍋の敷物などの工芸品として利用されています。

 一時期花粉症の原因となる植物として糾弾されたセイタカアワダチソウですが、現在ではキク科ではヨモギやブタクサ、イネ科でスズメノテッポウ、スズメノカタビラ、カモガヤ、クワ科のカナムグラなどが花粉症を引き起こす植物としてさわがれています。
 園芸品種としては「ゴールデン・ウイングス」(Golden Wings)という品種が有名です。カナダアキノキリンソウを親としているこの品種は高さが2bにもなり、巨大な花序と夏に咲くことから花壇用として愛でられています。

 雑草として見過ごされがちなセイタカアワダチソウですが、あらためてみなしてみませんか。塩尻市のどこに繁殖しているかマップに落としてみると地域のありようや変化がわかり面白いと思います。

 (07/11/19)


シュウメイギク

 シュウメイギクを植えてある庭の片隅が徐々に明るくなってきた。
夏が過ぎ、花の少なくなった庭を秋早く咲いて彩ってくれるのがシュウメイギクだ。ちょっと見るとキクの仲間のようにみえるが、似ているだけでみかけによらず、なかなかにしたたかな花である。毎年地下茎を伸ばし少しずつ勢力を拡大している。
 アネモネの仲間なのだが、アネモネのイメージと異なるので結構ファンがおおく、茶花などによく使われる花であるが野性的な面をあわせもつ魅力がある。欲しいという人がいて、あげようと小さな苗を抜こうとしたが簡単に抜けず、結局株ごと堀上げる騒ぎになってしまった。根は黒くごぼう根で上部にはひげ根がない。

 シュウメイギクはキンポウゲ科アネモネ属で、一名「キブネギク」と呼ばれる。由来は京都府貴船山に多いことからつけられたという。学名はAnemone.hupehensis L..var.Japonica(Thunb.)Bowles et Stearn. で種名のフペェンシスは中国湖北省産、変種名のヤポニカは日本産の意を持つ。中国が原産で雲南で栽培されたものが日本に伝えられた。寺院などの庭園で栽培されることが多いのは茶花として好まれたということであろうか。
 萼片が花弁状ににみえ、薄いローズピンク(紫紅色)が本来の色であるが、八重咲きもあり「ボタンキブネギク」と呼ばれている。清楚な感じの白花、赤花などの変種がある。タイワンシュウメイギク(A.vitifolia Ham)と交配した桃色品種を A.elegans といい、この品種は多くの品種の親となった。

 アネモネ属で知られたものには、キクザキイチリンソウ・アメリカオキナグサ・ボタンイチゲ・ニリンソウ・スハマソウ・テッセン・ユキワリイチゲ・ハクサンイチゲ・イチリンソウ・アズマイチゲなどがあるが、属名のAnemone L.(アネモーネ)はギリシャ語のanemos (風)からきているといわれ、名のとおり風のよくあたるところを好む。

 アネモネ属は秋植え球根として扱われるものと、イチゲの仲間やニリンソウ・スハマソウ・イチリンソウなどのように球根が小型で夏の強い光や暑さを嫌うものは、山草として鉢植えで栽培されている。シュウメイギクは宿根草として取り扱われていて繁殖は株分けか、地下茎の不定芽を利用すると生育が速い。栽培は簡単で土壌も選ばず雑草にも強いが、乾燥に少し弱い。今年のように夏の暑さが続くと茎葉が白く粉を吹いたような「うどん粉病」に侵される。春先に施肥をし、充分な水やりとお盆前後に消毒することで防げる。
 
(07/10/22) 


ノウゼンカズラが咲いた

 あちこちでノウゼンカズラ属の花が咲いているのを目にします。我が家でも枯れ木に巻き付いたアメリカノウゼンカズラが咲き始めました。
ノウゼンカズラ属は気根(付着根)が発達して、支柱があればまきつき攀じ登るように成長し、花を咲かせます。厚ぼったい唇形の大きな花で数日間咲かせ、咲いた後ぽとぽとと散ります。
 花を覗くと、雄しべは4本で花弁の内側にへばりつように2本は長く2本が短く曲がって向かい合ってついています。雌しべはへら形で先端が二つに分かれています。
 
 ノウゼンカズラ科ノウゼンカズラ属(Campsis Lour.)の属名は曲がった雄蕋(ゆうずい・おしべ)に由来するギリシャ語(Kampsisカンプシス)から付けられました。原産地によってそれぞれ一種があるといわれ、ただ、ノウゼンカズラといえばC.chinensis Voss.(種名のキネンシスは支那の意)で原産が中国のものです。私の家のものはアメリカノウゼンカズラですから、C.radicans Seem.で、種名のラディカンスは根を生じるの意で原産地は北米になります。
 ノウゼンカズラは漢名で紫蔵とか凌霄花(りょうしょうか)と呼ばれ、延喜18年『本草和名』(918年)に出ていることから古くから知られていたものですが、渡来したのもこの頃のことでしょうか。
 アメリカノウゼンカズラは大正の終わりごろ渡来したといわれています。

 このノウゼンカズラとアメリカノウゼンカズラの見分けは簡単ではありませんが、慣れると以外に簡単です。
葉はどちらも奇数羽状複葉ですが
 ノウゼンカズラは小葉が7枚から9枚で無毛
 アメリカノウゼンカズラは9枚から11枚で、小葉が多く中脈に沿ってルーペでみないとわからないくらいのごく短い柔毛があります。

花の色を言葉で表すことは難しいものですが、
 ノウゼンカズラは黄赤色で大輪
 アメリカノウゼンカズラは橙紅色でノウゼンカズラより細長く固まって小輪の花を咲かせ、萼に短歯があります。
最近ではアメリカノウゼンカズラを改良したものや、ノウゼンカズラとの交雑種が園芸品種として出まわり、花色などもピンクや黄色など、また開花期が異なるものがいくつもつくり出されています。
 
 ノウゼンカズラは古くから薬や草木染などに利用されていました。花を煎じて通経、草木染で赤色を出すにはスズ媒染、銀ねずみ色を出すには鉄媒染などで使われました。また、花の蜜が眼に入ると目がつぶれる(炎症を起こす)などと言い伝えられています。
 栽培は簡単で丈夫な植物ですが、茎の伸長が早いので植える場所を選ぶことが大切です。丸太などで支柱を立てるか、気根を利用して樹木にからませても良いのですが、羽状複葉の葉を沢山出すので陽を遮り、小さな樹木だと覆われて枯れる恐れがあります。
 繁殖は取木や挿し木がよく、茎に土をかぶせ伏せておくと発根するので大きな苗が取れます。寒さにも強く、寒さの厳しい信州でも充分越冬できます。
 剪定は葉の落ちた冬、余分な枝を整理してやります。水はけのよい肥沃な土壌を好み、サルスベリやムクゲなどと共に夏の庭を彩る植物です。

 (07/08/02)


 オキナグサ

 オキナグサがひっそりと咲いています。
花は暗赤紫色で下向きに咲きます。霧訪山の頂上に咲いていたことがありましたが、自生のものは絶滅し、以後、北小野の人たちが植栽し回復に取り組んでいます。
 松本平では「ちごちご」と方言で呼ばれ、花のあとの果実のようすが老人の白髪に似ていることから「翁・おきなぐさ」と名づけられたといいます。
 日当たりのよい草原に見られる多年草ですが、痩せ乾燥した土壌を好みます。萼が6枚あり花弁のように見えますが花弁ではありません。花が終わると花軸が伸び白いひげが翁・おきなの頭のように見えます。
 昔から漢方薬として使われました。生薬名を白頭翁(ハクトウオウ)といい、根を乾燥させたもので収斂薬、腹痛、止血薬、痢剤、吐瀉薬として利用されました。漢名に、白頭翁をあてるのは牧野によれば誤りで、本当の白頭翁は中国に産するヒロハオキナグサ(Pulsatilla chinensis Regel)であるということです。
 「オキナグサ」は全草にプロトアネモニンを含み有毒です。肌が弱い人は気をつけましょう。かぶれるかひどい時は水泡ができます。食べてもいけません。嘔吐・痙攣・下痢・血便などを起こします。毒にも薬にもなる植物なのです。

 「オキナグサ」の学名はPulsatilla L.(プルサチラ属)で属名のプルサティルラはラテン語の鳴らすの意で鐘状の花が風によって鳴ることから付けられたといい、キンポウゲ科です。ヨーロッパや東部アジアに30種、日本に2種あるといわれ、日本の山野でよく見る種は、P.cernua Spreng オキナグサで、変種にキバナオキナグサ(花が黄色)フキズメオキナグサ(八重咲)があります。もう1種は、P.nipponica Ohwi ツクモグサで本州中部以北の高山で見ることができます。
 最近園芸店で販売されているものにセイヨウオキナグサがあります。これはP. vulgaris Mill で花は上向きに咲き、葉は2−3回羽状複葉でオキナグサより細かい葉を持ちます。花色は藍色ないし赤紫色ですが、改良された園芸種は花色が豊富で好まれています。自分の家で楽しむだけにして、この種はむやみやたらに山野に植えないことが肝要です。

「オキナグサ」は環境省の植物レッドデータブックによれば、絶滅の危険が増大している種として絶滅危惧II類(VU)に指定されています。長野県では指定希少野生動植物として、塩尻市のレッドデータブックでは野生絶滅 EW として飼育、栽培下のみ存続している種に区分されています。吉田小学校の校章にも使われた「オキナグサ」ですが、淋しい限りです。栽培はとり蒔きがよく種子から育てると3年で立派な花を咲かせることができます。

(07/06/01)


コンフリー

 荒廃した畑の土手や農道の道端にコンフリーの花が目立つようになりました。
 高さ、40aから90aくらいの多年草で濃く厚ぼったい葉を持っています。
「コンフリー」は Symphyglossum L. (シンフィグロッサム属)ヒレハリソウ属で、ムラサキ科の植物です。属名はギリシャ語のSymphytonは癒合したの意で、切傷に効があるのではと想像されたことから、名づけられたといいます。原産は北アフリカ、欧州、アジアで25種分布するといわれています。
 日本で「コンフリー」と呼ばれているものはS.officinale L.でヒレハリソウといい、英名で、Shop-sound,Common Comfreyといい「コンフリー」とよばれています。元来はイギリスの牧草です。わが国へは明治の中ごろ飼料用として渡来したといわれています。
 
 このコンフリーが最近、SBC(信越放送)で、5 月17 日(木)午後6 時55 分から放送したSBCスペシャル「とびっきりのどんぶり」の中で、野菜の天ぷらとして紹介されて物議をかもし、SBC(信越放送)がお詫びをするという事態がありました。
 これは栄養(健康食品)蔬菜として以前宣伝されたり、飼料作物として栽培された名残りが濃く残っていることから起こってしまったことなのですが、お年寄りの中では「これは食える」という認識がまだ強く残っている方がいて、若い芽や若い葉を茹でたり天ぷらとして利用することが多かったものです。薬用として根や根茎を細かく 刻み温湯に浸しコンソリダ根(シンフィツム根)として胃腸疾患に使用したものです。
 近年、(平成16年6月14日)厚生労働省は、「コンフリー(Symphytum spp.)が原因と思われるヒトの肝静脈閉塞性疾患等の健康被害例が海外において多数報告さ れていること、また、日本においてコンフリーを使用した健康食品等がインターネットを使って販売されていることなどの情報から、日本においてコンフリーを摂食することによって健康被害が生じるおそれがあると考えられる」と注意をうながしています。
 外国ではすでにさまざまな規制がされていますが、日本では一般消費者に対し求める事項として、販売されたコンフリー及びこれを含む食品の摂取を控えること。 自生 し、又は自家栽培したコンフリーについても、その摂取を控えることとし、「コンフリーを食べることを控えた方がいい」という消極的な取り組みです。また、コンフリー及びこれを含む食品の製造・販売・輸入等の自粛を営業者に求めていますが、実効性のある取り組みが求められます。
 農水省も(平成16年7月6日)念のための措置として,コンフリーを飼料又は飼料原料に使用しないよう注意されたいと関係団体に通達を出しています。

 Symphytum asperurn Lepech.プリックリーコンフリーは丈が高く、オオハリソウと呼ばれていますが、塩尻では見つかっていません。
 「コンフリー」は薬用のほか、園芸品として花の各色、葉が複輪(縁取り)のもの、斑入り葉(黄金、銀白色)などの変種が栽培されています。「コンフリー」は葉の毛に蓚酸カルシュウムを含むのでかぶれに弱い人は触らぬことです。

(07/05/26)


 ナノハナが満開です

 ナノハナが満開になりました。
「ナノハナ」というのはアブラナ科植物の花の総称で「ナノハナ」という植物があるわけではありません。

 子どもだったころ、赤須さんというおじさんが「菜種」で油を搾っていました。一軒おいた薬やさんの敷地を借り機械で搾っているのが面白く、よく見に行ったものです。モーターの音が聞こえると飛んで見にいったものです。
 丸い鉄製の筒の中に菜種を入れると、ベルトで駆動された歯車が廻り、筒の蓋を押し下げていきます。筒の下には小さな穴がありそこから油が出てくるという仕掛けでした。絞りかすは円盤状で、真ん中にシャフトの穴が空いていてドーナツのようでした。投げても崩れないくらい硬く、転がして遊んだものです。
 赤須のおじさんはその機械を一日中稼動させていましたから、需要もかなりあったのでしょう。昭和24年ごろですからもうずいぶん昔のことです。
 工場は菜種油の匂いがいっぱいでしたが、おじさんは一斗缶にできた油を入れ、量り売りしていました。油粕も売っていました。この油の原料である菜種が「アブラナ」でした。

 Brassica L.(ブラシカ属)アブラナ属は、野生植物が数種ありますが栽培植物が多いものです。蔬菜にはダイコン、カブ、キャベツ、ハクサイ、ワサビ、ノザワナ、カラシナ、カリフラワー。雑草ではナズナ、タネツケバナやイヌガラシ。花卉ではハボタン、アラセイトウなど多岐にわたります。 属名のブラシカはキャベツの古いラテン名です。栽培植物に属するものは遺伝学的分類によって以下の6種に分けられています。
1. B. campestris L. (種名のカンペストリスは原野生の意)
2. B. oleracea L. (種名のオレラーケァは食用野菜の意)
3. B. nigra Koch L. (種名のニグラは黒いの意)
4. B. napus L.    (種名のナプスはカブラの意)
5. B. juncea Hemse  (種名のユンケアはjuncus<イ属>のような意)
6. B. carinata Braun (種名のカリナータは背稜のあるの意)
 

 1.のカンペストリス(campestris)のなかに、カブ(ノザワナなど漬け菜に使われるものを含む)ハクサイ、ミズナなどと共にアブラナが入りますが、アブラナでもここに入るのは在来和種と呼ばれるもので、洋種(ようしゅ)と朝鮮種のアブラナは、4.のナプス(napus)に入ります。簡単にいえば油をとるアブラナ(ナタネ)には二つの系統があるということです。在来和種のナタネは、赤種子(あかたね)と黄種子がありますが、洋種と朝鮮種のアブラナは黒い種子です。現在、在来和種はほとんど栽培されていません。
「アブラナ」の葯はつぼみのときと、開花したときで向きが変わることが知られています。開花時は外向き、つぼみは内側に向いています。のぞいて見ましょう。花弁(花びら)は4枚が向き合っています。見落としてはいけません。

お正月近くになるとハボタン(葉牡丹)が売られますが、B.oleracea L. var. acephala DC.(変種名のアケファラは無頭の意)で、2.に入ります。つまり、食用野菜の仲間です。ハボタンは生け花のほか、花壇や鉢植え、寄植、露地植などに用いられますが、東京、名古屋(B.oleracea var.acephala crispa) 大阪ハボタンなどが有名です。
 また、ハナナ(一名ナバナ)も、お正月用の切花として使われますが、なんでもチリメン白菜(チリメンナ)から分離されたといいいますが、詳しいことはわかっていません。ハナナは千葉県の房総半島のものが有名です。千葉県は黒潮のおかげで、9月から10月中旬までに播くと12月から1月に咲きます。葉はチリメン状で、花は丸くこんもり(総状)着きます。料理にも使われます。ハボタンもハナナも水揚げが良く水切りだけで十分揚がります。

 「アブラナ」は古来、食用から灯用に使われました。戦国時代の末期から慶長、元和のころ盛んに利用され、徳川時代の明かりはアブラナから採れる菜種が原料でした。怪談で「猫が行灯の油をぴちゃぴちゃと・・」というのもこの油です。米に次ぐ重要作物(特用作物)として栽培されていたといいます。明治になって朝鮮種や洋種が導入されるまで在来和種が作られていました。
 現在は食用油として、工業用の研磨や焼入れ、潤滑油や石鹸、人造ゴムの原料などの使われていますが、産地は中国とインドが世界の生産の90%以上を占めています。
 使ったてんぷらの揚げ油の残りは廃食用油として、リサイクルされバイオディーゼルとして使われます。塩尻市でもすでに取り組んでいますが、新しく「菜の花プロジェクト」が計画されています。これは休耕田や遊休農地の効果的な活用を図り、地域の活性化や観光に役立てたいと菜の花を植える取り組みです。
 
 当時、農家では農協の勧めもあり、自家用の油をとるためナタネ(アブラナ)を栽培しました。刈り取ったナタネは、ねこ(ござの大きいもの)の上で干し、莢殻を棒で叩いて菜種を採ります。この莢殻は乾燥していて良く燃えるので焚き付けの付け火のたねに使ったり、堆肥に混ぜたりしました。絞りかすも肥料や飼料になりました。「アブラナ」は捨てるところがないほど利用された植物です。ねこの上の菜種の種子はごろごろして滑りやすく、それが面白くて相撲など取って遊んだものです。
 もう57年も前のお話です。

(07/05/06) 


スイセン (ヒガンバナ科)  07/04/24
 
 この花が咲くと春が身近にきたという感じになります。
冬が寒いこの地方では栽培がしやすいため、どこの家にも植わっている花なのであまり気をつけてみている花ではありませんが、周りを明るくしてくれる賑やかな花です。
 スイセンはヒガンバナ科で、原産はヨーロッパ、地中海沿岸地方で特にスペイン、ポルトガルに多いといわれています。Narcissus L.(ナーシッサス属)スイセン属で、属名のナルキッススは古いギリシャ語でnarkau(催眠性)によるとも、ラテン語でギリシャ神話の青年Narkissosの物語に由来するともいわれています。
 スイセン属(N.tazetta)には約30種近くの種が属していて、ギリシャから中国まで広く分布しています。古代ギリシャでは寺院の装飾、葬儀などで使われたということですから、古くから栽培されていたものです。このように古い歴史があり、ギリシャの詩人が詩や散文詩を詠いました。なかでもローマの詩人、オウィディウスのナルキッソスの物語はギリシャ神話で有名になり、ナルシシズムという言葉が用いられることにもなりました。
 イギリスやオランダで園芸品種として改良が加えられ、現在ではオーストラリア、ニュージーランド、アメリカなどが加わり、4倍体や複雑な種間雑種がつくられ1万を超える品種となりました。このため園芸品種の分類が難しくなり1950年から新しい分類法式を使っています。
 
 花弁は6枚で平らに開きます。下のほうは長い筒状になっていて、杯状(さかずき)の副冠(ラッパ・カップ)を持っています。
塩尻で良く見かけられるフォーチュン(Fortune)は1923年作出されたもので、黄色の花弁でカップ(副冠)はオレンジ色です。主に切花用として戦後普及したものですが、その球根が出まわり家庭でつくられるようになったものです。4倍体で花が大きく開花が早い品種ですが、最近では古い品種となってしまいました。このフォーチュンは大杯水仙に分類され、カップ(副冠)が花弁の1/3以上の長さで、花弁より短いものです。色彩は4つに分かれています。1/3より短いものは小杯水仙に分けられます。
 良くラッパズイセンといいますが、これは一つの茎に一つの花でラッパ(副冠)が花弁と同じ長さか、それより長いものをいい、色彩によって4つに分けられています。ラッパ状のスイセンを見たら花弁と副冠の長さを比べてみることで分類ができます。このような分類を園芸的分類といい、ラッパズイセン、大杯水仙、小杯水仙、のほかに八重水仙、トリアンドラス水仙、シクラミニウス水仙、糸水仙、房咲き水仙、口紅水仙、野生種及びその雑種、その他の11の分類が用いられています。
 ニホンズイセン(日本水仙)と呼ばれている水仙 var.chinensis Roem はフサザキスイセン(房咲き水仙)の変種です。変種名のキネンシスは中国の水仙の意ですから、原産は中国で日本に渡来したものです。清楚な感じでの花で匂いも良く、匂いのないラッパ系の花と趣が違います。いけばなの「生花」では袴をはずし、ねじれを生かしてまた組み立てるということをやりますが、それに良く使われます。暖地の福井県越前海岸、千葉県の房州、伊豆半島爪木崎、兵庫の淡路などの野生したニホンズイセンが有名ですが、お正月用に出荷されるものは暖房して促成したものです。花市場では福井県の越前ものが高値で取引されています。福井県の県花になっています。同じくラッパズイセンの切花用は球根を冷蔵処理して促成栽培されたもので群馬県や新潟県が盛んです。

 スイセンは園芸品種が多く、色彩もさまざまでファンも多く種苗会社から沢山の品種が売り出されています。栽培はいたって簡単で、球根を9−10月の間に植え込めば春に花が咲きます。球根の3倍の深さに植え、間隔は20−30aにします。3−4年はそのままで、混み合うようになったら、花が終わり葉が枯れ始めめるころ堀上げ、秋の植え込みまで腐らせないよう風通しのよい冷暗所におきます。スイセンの分球は肥大してくると自然に分球ができますが、小さく肥大していないものは無理に分けてはいけません。植え込むときは有機質の堆肥や腐葉土を沢山入れてやりましょう。
 スイセンは花卉のなかでは多年草の球根ということになります。球根の特徴は移植や定植が簡単で、あとの管理に手がかからないということと、取り扱いが簡単で誰にもできることです。一・二年草は毎年の播種と微細な種子があるため難しくなります。
 繁殖も球根は無性繁殖ができるので変わったものが出てきたら、それを繁殖させることは簡単にできます。スイセンの品種が多いのは作出された品種の維持が簡単にできるからなのです。

 個人的にはラッパズイセンで山の名前がついた「カンチェンジュンガ」が欲しいのですが、ちょっと古い品種なのでまだ手に入りません。大輪で有名な花です。ちなみにカンチェンジュンガは、標高8586mを持つ世界第三位の高峰でネパールとインドの国境にあります。
 スイセンはつぼみのときは上を向き、咲くとうつむき加減に横を向くところがギリシャ神話の青年を思わせます。どこでも見かけられるスイセンですが、もう一度見つめ直してみませんか。

 (07/04/24)


シバザクラ (ハナシノブ科)  07/04/07

 シバザクラの花を見ると春が身近に来たと感じます。シバザクラは一遍に咲かず徐々に咲いて満開になるので楽しみな花です。
我が家のシバザクラはあちこち植え替えばかりしてきたので、ご機嫌が悪くあまり増えてくれません。赤と白の二種を植えてあります。ごく普通の園芸品種で、赤は「スカーレットフレーム」白は「ホワイトデライト」です。隣り合わせに二種植えてありますが咲くのは赤が早く、白は一週間は遅くなります。
 シバザクラはフロックス属(Phlox L.)で和名はハナツメクサ(P.subulata L.)と呼ばれていますが、一般名のシバザクラ(芝桜)やモス・フロックスの呼び名のほうが通りがいいようです。原産は北アメリカですが、日本の厳しい寒さに順応して各地で植えられています。芝のように匍匐し、サクラのような花で目(花の中心)があり、葉は常緑で尖っています。(種名のスブラータは尖った錐状の意です)花色は基本種は淡桃赤色ですが、変種もあり、また園芸品種には白、淡青、青紫、桃や斑入り、覆輪などの品種が沢山あります。シバサクラと名前がついていますが、サクラのなかまではありません。花を摘み裂いてみると合弁花でおしべが5本あるのがわかります。サクラは離弁花でおしべは多数あります。
 栽培は難しいものではありませんが、植え付け当初は雑草などの除草が必要です。傾斜地などに植えるときは、上の方から下垂するように植えることです。性質で下から上へは匍匐することが弱いので注意しましょう。土壌は選びませんから痩せ地でも十分育ちます。30aくらいに間隔をあけ、ポット苗(9a)を植えれば来年の春には十分楽しめます。植えたあと秋まで除草してあげましょう。石垣の間や園路の縁取りに最適です。
 増やすには挿し芽が簡単です。鹿沼土やピートモスをスチロールの箱や連結ポットに入れ、そこに挿し芽します。時期は選びませんが来年花を見るなら入梅頃までに挿し、発根したら秋9月にすぐ植えつけます。スチロールの箱に匍匐した部分を直接伸ばし、ところどころ押さえに目土をし、発根したあとで切り取ると一度に大きな苗がとれます。
 最近は各地の公園で大規模に植えられ芝桜の公園が出来ていますが、塩尻では洗馬小曽部の大井さんのシバザクラが有名です。おばあちゃんがまだ存命のころ見させて頂きましたが、その後息子さん夫婦が拡大して、今ではシバザクラに埋もれて家や田や畑があり、お墓まで飾られています。手入れも規模が大きいので草取りが大変のようですが、大井さんの気持ちが伝わってくるような景色です。是非一度訪れて見てください。5月の連休頃がいつも最高です。いうまでもないことですが、個人のお宅ですから失礼のないよう気をつけたいものです。

(07/04/07)


ヤブツバキ  (ツバキ科) 07/04/05

 ヤブツバキが咲き始めました。
我が家のヤブツバキは父が実生から育て、2bほどになったものを移植したものですが、ここの土にあったのか8年くらいでとても大きくなり、ここ数年沢山の花を咲かせるようになりました。
 日本で観賞用に栽培されていて「ツバキ」と普通いうのは、C.japonica L.(種名のヤポニカは日本産の意)の総称で、ヤブツバキ、ユキツバキ、ユキバタツバキの変種とトウツバキ、ウラクツバキ、ワビスケなどのツバキ属が含まれて呼ばれています。このためツバキ科、ツバキ属は属名、種名、変種名などと、園芸用の品種名が入り混じり、単に「ツバキ」と呼ばれているため混乱しがちです。日本ではツバキ属のサザンカは別にサザンカとして呼んでいますが、欧米ではツバキ属として扱っています。ちなみにチャもツバキ属です。ツバキの和字は木に春と書いて「椿」になります。中国では「椿」と書くとチャンチンを指します。チャンチンはセンダン科で、ツバキ科ではありません。中国北東部原産で新芽が赤く複葉がきれいなので庭木として植えられています。ツバキの漢名は「山茶」(古くは海石榴)と書きます。
 ツバキは日本では古代から親しまれた植物です。万葉集には椿を詠んだ歌がありますが、大友家持の「あしひきの八峯(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君」の甘い歌より、詠み人知らずの「あしひきの山椿咲く八峯(やつを)越え鹿(しし)待つ君が斎(いは)ひ妻かも」のほうが情景を感じさせます。また、日本書紀や延喜式にも記載されていることから、当時の人たちに愛された花であったのでしょう。
 平安以後、自生していたものから多くの園芸品種がつくられるようになり、栽培が盛んになったのは江戸時代に入ってからです。特に寛永年間(1624−43)には椿の図譜が三種も出版されています。花形や花色、斑入りや変わり物が珍重されるようになり、江戸末期には200品種を超えるようになりました。
 明治になると桜で有名な東京駒込村染井で『番付椿花集』が明治12年(1879)に出され、これには202品種が載せられて、いまもこれが基準になっているといわれています。この江戸ツバキのほかに京ツバキ、中京ツバキ、肥後ツバキ(肥後サザンカもある)など産地で沢山の品種が栽培されていました。これらの品種から明治時代、欧米に持ち出され育種家の手で多くの品種改良が行われ、いまでは日本より多くの品種があります。特にアメリカの南部沿岸は気候的にも栽培に適し、多くの人が栽培していて世界で最もツバキを愛する国になりました。
 日本では花がポトリと落ちることが嫌われますが、園芸品種の多さとあいまって、花形の多様さ、花色の多さ、芳香性、珍種(枝変わり・斑入)などの面白さなどから、多くの愛好家が栽培しています。京都などの古い神社仏閣には、銘椿と呼ばれる椿があるので花どきに見学すれば楽しみも増えます。 
 また、特用作物としてヤブツバキが植物油を採るために伊豆大島や五島列島などで裁植され、「椿油」として化粧品(頭髪用・スキンケア用)、食用油、また、酸化しないことから刀剣の手入れ油などに使われています。材は硬いため農具の柄や炭、楽器などの部材として使われています。花材としては、つぼみが大きく膨らんだころ切り取り、茶花としてツバキ属のワビスケが使われます。いけばな用には千重咲き、桃色中輪、多花の園芸品種「乙女」や、ツバキ属のユキツバキ、サザンカなどに人気がありました。葉も光沢があるものはフラワーデザインのリーフ材料として使われています。
 春になると園芸店で沢山のツバキが売り出されますが、品種によって枝が横に張るものから直立するものなどがあり、植える場所によって選びましょう。一般的に接木苗が多く売られていますが、1bくらいの苗が植えつけてからの生育が良くお買い得です。また、花が咲いていると確認できて安全です。植え付けはいまごろ(3−4月)の時期が一番良く、秋ならば9月に植えることを薦めます。挿し木苗でも同じですがミズゴケなどで巻いたものがあるので外すことが大事です。風当たりの少ない半日陰のところで肥えた土壌なら生育も良く、良い花を咲かせます。私の庭では実生苗があちこちから顔を出し、元気に育っています。
 寒さには強く防寒しなくても冬を越しますが、サザンカは弱いので注意が必要です。害虫や病気にも強く、ほっておいても大丈夫です。成長は遅く、剪定も必要ありませんが、老木になり枝が混むと花つきが悪くなるので、内側の枝を少しずつ切ってやる程度で管理は楽な植物です。
 塩尻の冬の寒さはきつく、温和な気候を好むツバキには気の毒ですが、日本産のツバキ属の仲間がフランスやアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドで花を咲かせているのはうれしいことです。 
 
(07/04/05)


レンギョウ (モクセイ科) 07/04/03

 春咲く落葉樹には黄色の花が多いですね。このレンギョウもマンサクやサンシュユと同じ黄色ですが、葉に先立ってとても賑やかに咲くので生垣などに好んで植えられています。
 原産は中国に5種、日本に1種、朝鮮に2種ですが、ヨーロッパのアルバニアでも1種発見されています。この辺りで良く見られるのは、中国原産のレンギョウといわれる F.suspensa Vahl. で、種名のススペンサはしだれるとか懸垂するという意から付けられました。日本に渡来したのは五代将軍徳川綱吉の時代、天和年間(1681−1683)に入ってきたといわれています。古名は「レンギョウウツギ」「イタチハゼ」「イタチグサ」などと呼ばれました。
 枝の髄は中空(うとんぽ)で、シナレンギョウ、チョウセンレンギョウ、ヤマトレンギョウなどの薄板状のしきりとは異なります。しきりがありません。枝が枝垂れるのでそれを生かして、擁壁の修景や生垣などに植栽されています。枝は地面に着くとそこから発根するので、挿し木も簡単で栽培も容易なものです。花は前年伸びた枝の葉腋につきます。花は切花(枝もの)として流通し、高温で湿度のある室(むろ)で促成され出荷されています。モクセイ科の花は合弁花(花弁が互いにくっついた花)で、バラ科などの離弁花より進んだ形です。レンギョウも合弁花でおしべが2本、めしべが1本あります。ムラサキハシドイ(ライラック・リラ)や、晩秋香るキンモクセイやギンモクセイなどもモクセイ科です。また、花は目立ちませんがヒイラギも同じ仲間なので花の形など見てください。レンギョウとシナレンギョウを交配してつくり出されたものに、ドイツレンギョウと呼ばれているものがあります。F.intermedia hort.で19世紀の終わりに作出されたものです。
 レンギョウの果実は2aくらいの卵型ですが、種子は褐色で乾燥させたものは「連翹」といい、疥癬やにきび、はれものなどには擂り潰したものを、煎じた汁を内服すると解熱効果があるといわれています。
 シナレンギョウ、チョウセンレンギョウは枝が四角です。葉もシナレンギョウは細く、新しく伸びた枝(新梢)は夏は緑色で冬は褐色になり、チョウセンレンギョウは、シナレンギョウの変種で葉は楕円形で鋭い鋸歯があります。どちらも枝が直立する傾向があります。比べて見たかったら松本空港の公園には沢山のレンギョウの仲間達が植えられていますから、出かけて見ることをお勧めします。塩尻市では小坂田公園や林業総合センターなどがいいでしょう。百聞は一見にしかずです。沢山のモクセイ科を見ることができます。
 松本城主の七代、戸田のお殿様の代表紋は「離六星(はなれむつぼし)」ですが、本家正親町三條家との関係のときは、「連翹襷(れんぎょうだすき)」放射状の花とつるを組み合わせた家紋を使ったといいますが、意外なところでレンギョウが使われていてびっくりします。何でも戸田氏は三重県の鳥羽から松本へきたそうで、今度鳥羽の親戚に行ったら家紋を確かめて見ようと思っています。
 花言葉は「希望」「かなえられた希望」「集中力」です。花を見て希望を抱きますか・・・

(07/04/03)


サンシュユが咲いた (ミズキ科) 07/04/01

 庭のサンシュユが咲き始めました。
このところの木の芽雨で大きく膨らんだつぼみが開き始めました。マンサクの早さには敵いませんが、サンシュウやレンギョウは「初春の花」です。落葉小高木で、花木として庭に植えられて最近人気があります。花は黄色の花ですが、春の柔らかい日を浴びて青い空に映っているとなんとなく温かい気持ちになります。一名ハルコガネバナとも呼ばれています。
 夏の終わりごろから楕円形の果実が実りはじめ、秋には赤く色づきますが、熟した果実の色が綺麗なことからアキサンゴとも呼ばれます。本当に逆光で見ると透けて見え、綺麗なものです。原産は中国といわれ、中国名は「野春桂」といい、漢方薬として滋養強壮、収斂剤としての効があり、享保7年(1722年)薬用植物として渡来しました。これは果実の種子を乾燥させ、箭用するものですが珍重され栽培されるようになりました。
 学名はC.officinalis Sieb. et Zucc で種名のオッフィキナーリスは薬用のー意ということです。朝鮮から江戸時代に渡ってきたものにマルバサンシュユがあり、こちらは丸い卵型の葉を持っています。
 幹や枝は成熟してくると樹皮が紙のようにはげ、葉は対生ですが、注意して見ると葉の裏の葉脈の脈腋に黄褐色の毛が生えています。花は葉の出る前に咲きます。花は茶花として使われたり、実の頃はいけばなの材料として珍重されています。乾燥したところでも湿ったところでも土壌を選ばず栽培は優しいものです。繁殖は主に取り木や挿し木で行われています。
 種子からも繁殖できるようなので、私も種子から挑戦して見たのですがうまくいきませんでした。一升くらい取れたので、県の林業総合センターに聞いたところ、「一升もあるだかい、難しいんね」といわれたのですが、その通り、秋撒いて2度の春を経ても発芽しませんでした。果皮を腐らせて撒いたのですが中途半端だったようで、どうも内果皮を割ってから撒かないと駄目なようです。サンシュユの核(内果皮が石質になったもの)は小さくて固く、中の種子が核を破ることができなくて発芽できなかったようです。それ以後試したことはありませんが、いつかもう一度やって見ようと思っています。サンシュユはミズキ科ミズキ属でミズキ、ヤマボウシ、アメリカヤマボウシ(アメリカハナミズキなどと誤って呼ばれる)などと、同じ属の仲間です。

(07/04/01)


ホトケノザ (シソ科) 07/03/24


 ホトケノザが散歩コースの道端の田んぼの土手に咲いていました。
茎の上部の葉は葉柄がなく茎を囲むように車座につき、そこに花がつくことから、仏さまが座る蓮座(台座)にみたててホトケノザと呼ばれています。春の七草と思ってこのホトケノザを摘んではいけません。三階草(サンガイグサ・サンガイソウ)などと図鑑などで呼ばれているのはこのためです。
春早く咲く花の一つででシソ科特有の唇形の花(紅紫色)がつきます。群生しているとかなり遠くからでも目立つ花です。日当たりの良いところが好きで、オオイヌノフグリが咲くと追いかけるようにこのホトケノザが咲きます。シソ科の特徴は茎が四角で葉が十字対生で唇形の花を持ちますから、一度覚えると仲間を特定することが容易になります。四月から六月にかけてタツナミソウ、カキドウシ、オドリコソウ、ヒメオドリコソウなどが咲くので比べて見てください。ホトケノザは上唇と下唇が開かず閉じたようになっている閉鎖花(へいさか)があることで知られ、閉じた花のなかで自家受粉します。ずんぐりと丸い小さな花ですから見つけたらよく見てください。
 春の七草のホトケノザはキク科のタビラコ(コオニタビラコ)を指し、葉や茎は無毛で黄色の頭状花を咲かせます。田んぼに葉が平たく並んでいるようすから「田平子」と呼ばれています。同じ仲間にヤブタビラコ(タビラコより花は小さく舌状花の数が多い)や、オニタビラコ(茎葉全体に白い短毛があり茎が立ち大型になる)がありますが摘み草にはしないものです。
  
(07/03/24)


フクジュソウ (キンポウゲ科) 07/03/15

 家の庭先のフクジュソウが元気です。「福寿海」という品種で園芸種ですが、昨年植え替えをしたのに元気に花をみせてくれました。
濃い緑の葉が茎を抱くようにして伸びています。半日陰が好きな植物で、浅い春、里山などで群生しています。松本地方では四賀の赤怒田が有名ですが、駒ケ根高原大沼湖の駐車場近くや、伊那市高遠町の高遠城址公園、有賀峠南3`の板沢地区、上田市武石の武石川沿い、筑北村大側地区、木島平村原大沢などが、群生地として有名です。地域の皆さんが下草刈りや移植作業などの整備をして、フクジュソウの里を目指し地域の活性化を図ろうと取り組んでいます。

 フクジュソウは「元日草」ともいわれ、新年を飾る花として昔から縁起のよいことから「福寿草」と名前を付けられ珍重されたものですが、早春に黄色の目立つ花を咲かせることから乱獲され、塩尻では年々少なくなっています。塩尻市では東山、下西条の浅い山で見ることができます。
 「福寿草」が最初に出てくる書物は「花壇網目」(延宝9年.1681 初版)であるとされていますが、栽培が本格化するのは嘉永年間からといわれています。「本草要正」(文久2年.1862)という本には、紅花や白花、八重咲きや段咲きなど変化したものなど合計128種が挙げられているということです。これらの品種は現在あまり残っていないようですが、昔から栽培を続けてきた深谷市(旧・埼玉県大里郡岡部町本郷)などで、今もある程度維持されているようです。埼玉県は秩父に何ヶ所かの群生地があります。昔から自生の多い地域で江戸にも近いことから品種改良が盛んであり、秩父とついた名前の福寿草が多いのもうなずけます。「秩父紅」「秩父真紅」など二.三重咲き大輪が欲しいのですが、まだ手に入りません。

 栽培は地植えにすると難しいものではありませんが、正月用に売られている浅鉢のものは、花が終わったらすぐ地植えにするか、深鉢に植え替えないといけません。そのままだと大抵駄目にしてしまいます。花が終わったら夏の直射日光は避けて、鉢は涼しい半日陰になるところへ移します。地植えにするなら5月以降がいいでしょう。あらかじめ半日陰になる落葉樹などのそばへ植えてやります。元気がよければ遅くまで葉が茂っています。
 繁殖は実生か株分け(根分け)で行いますが、根茎に発芽点をつけないといけません。ダリアの根分けと同じです。実生は採り撒きが良いですが、発芽が遅く1ヶ月近くかかり発芽するまでの管理が難しいです。
 腐植土(腐葉土)を沢山入れて排水が良く、しかも保水できるところに植えてあげてください。

フクジュソウ(キンポウゲ科)
学名 Adonis amurensis Regel et Radd  種名のアムレンシスはアムール河の〜の意
漢方薬にも使われます。

(07/03/15)


ノウサギの足跡    07/01/18

 私が犬と散歩するコースは、耕作されている畑と里山の境、境界線を歩きます。ゆっくり歩くと1時間位ですが、いろいろなものが観察できます。
 今回は「ノウサギの足跡」を見つけました。
 ノウサギは夏は褐色で、冬は白色に変わります。これは季節変化といわれ、耳の先端を除いて雪と同系色に体毛を変化させ、身の安全を図ります。これを保護色といいます。白といってもこの辺でみるノウサギは灰色に近い白ですが。
 ノウサギは、日中はねぐらに隠れています。夜活動する夜行性の動物ですが、昼間でもねぐら近くを歩くと飛び出すことがあります。単独行動が多く、群れはつくりません。
 たいへんな「いたずらもの」で、植林されたカラマツやヒノキ・スギなどの幼木を食害するため林業関係者に嫌われています。聴覚が鋭敏で、ピンと立てた耳とヒゲで、天敵のキツネ、テン、イタチ、タカ、フクロウ、ノイヌやノネコなどから身を守ります。
また、視覚にも優れ、くくりわなを闇夜でも見破る目を持っているといわれています。普通くくりわなは、匂いを消した針金などで輪を作り仕掛けをしますが、ヒゲと目でこれに引っかからないよう防衛するなぞ、知恵者です。
 昼間見ることがなかなか出来ないノウサギですが、歩いた跡は残ります。人間を含めた動物は、その足跡を辿るとおおよその行動が推測できます。「アニマルトラック」といわれていますが、ノウサギの足跡はちょっと注意していると見られるので観察してみて下さい。
 ノウサギの歩いていた時は、足跡の間隔は大体、50ー60aです。左上の写真でもわかるように上の大きな足跡が後足で、下の縦の小さな足跡が前足です。これが一組の足跡になります。走っている時はジャンプするように跳ぶので、一組の足跡の間隔が長くなります。大体120−150a位になります。後足だけの足跡は、立ち止まって伸び上がりあたりを警戒した証拠です。絶えず物音に敏感で聞き耳を立てています。とめ足といわれ、途中で消えてなくなる足跡もありますが、これは来た跡を戻っていますから、注意すると足跡の数が多くなるのですぐわかります。行動範囲はおおよそ300−5百b四方、餌が乏しいと1`にわたる間を駆け回ります。交尾期は冬が多く、2−4頭産みます。年間の仔数は平均で10頭程度といわれています。
 長野県下のノウサギは以北が「トウホクノウサギ」以南が「キュウシュウノウサギ」の二種が住みわけているといわれていますが、判別は困難です。
 ノウサギは姿が見えなくても、おとしもの(糞)や、小枝や幼木がナイフで切ったような食痕があればわかりますから、この時期なるべく外に出て、動物たちの行動を想像しながら足跡を辿ってみて下さい。
 
(07/01/18)


四沢川の水生昆虫しらべ    06/08/03

塩尻東地区こども会育成連絡協議会主催で8月3日、親子ふれあい事業「サマーキャンプ IN 東」を開いた。
天候に恵まれ、50人近くの子どもたちが参加、みんなで四沢川の水生昆虫しらべを行なった。
 場所は地区センターそばの四沢橋の上流200b付近で、まず子どもたちが川で遊ぶ時、注意しなければいけないことを教えた。
大雨、大水のときは近づかない。
家にどこで遊ぶか伝えて来る。
一人で遊ばない。など基本的なことを伝え、河原に降りた。

 全員が降りたところで、川の中には、魚のほかにも生きものがいることを、自分の手で石をそっとひっくり返して探してもらうことにした。ひっくり返した石は元の場所にそっと置くよう注意を与えた。
見つけた水生昆虫は
ヘビトンボ
ヒラタカゲロウ
カワゲラ
トビケラ
サワガニ
カワニナ
ブユ
ヒル
ミミズ
タイコウチ
アメンボ
ゲンゴロウなどである。

川遊びのまとめ
 ここ、四沢川は川幅が狭く、河原に降りるのも大変で、三面張りの護岸のため気軽に川に親しめない造りになっている。水田の灌漑用水として利用されているため富栄養化の影響もあり、石にコケがつき滑りやすくなっていたが、子どもたちは元気に昆虫探しをした。
 最後にまとめとして、汚い水かきれいな水か感想を聞いた。水の汚れ具合で生きものの種類が違うことを伝え、水を汚さないことと「まだ、きれい」な四沢川を実感してもらった。
 採集した水生昆虫は地区センターで水槽に入れ夏休み中展示してもらうことにし、水生昆虫しらべを閉じた。

一口メモ
 孫太郎虫という子どもの癇の薬がある。これはヘビトンボの幼虫を乾燥させて作ったものでいまでも販売されている。また、長野県伊那地方ではざざむしと呼ばれる佃煮が人気で、12月から2月までの厳寒期が最も味がよく、いまでも漁が行なわれている。中身はトビケラやヘビトンボが多く缶詰・瓶詰めとして販売されている。

(06/08/03)


エゴノキの花が盛りです (エゴノキ科) 06/06/14

 
 エゴノキが満開です。
エゴノキはエゴノキ科エゴノキ属に属しますが、花が思いのほかきれいなので近年和風庭園に使われるようになりました。仲間のハクウンボクも古くから庭木として使われています。
 比較的生長が早く若木から花が見られるのが人気なのでしょう。花は白色で下を向いて咲きます。花冠は五つに裂けます。花付きが良いので周りが明るくなるほどです。残念なのは下に垂れ下がるので低木だと仰がないと花が見られないということになります。
 葉は互い違いに出ます。若い葉や萼などに細かな星型の毛があります。
 果実は6月の末頃から徐々に大きくなり卵形や楕円形で、秋には堅さを増し中に1-2個の種子が入っています。真ん中にいぼがありどんぐりに似た可愛い実です。発芽率も良いので庭などに植えるとあちこちで発芽します。果皮にはエゴサポニンが含まれていて魚とりや洗濯に使いました。作るには果実を集めバケツのなかでかき混ぜ果皮を傷つけ、水を加えてまたかき混ぜるとあわが出ます。この味が「えごい」ことから名前がついたといわれています。果実は痰きり、咳どめ薬の原料になりますが、煎用すると溶血作用があり食道や胃の粘膜をただれさせるため有毒です。
 材は硬く、粘りけがあるので彫刻、コウモリガサの柄、細工物、床柱、杖などに使われています。ロクロ細工に用いられるので別名「ロクロギ」とも呼ばれています。薄紅色のエゴノキは「アカバナエゴノキ」とか「ピンクチャイム」といわれ園芸種です。
芝居「千代萩」のチシャノキはエゴノキのことです。

   (花の満開日06/06/14)


クヌギの葉はなぜ落ちない (ブナ科) 06/03/02

 近くの里山のクヌギの枯葉です。
クヌギはブナ科の仲間ですが、春まで葉が落ちずそのまま付いています。若木ほど落ちるのが遅くなるようです。
 葉の落ちる仕組みは、生育条件の悪い期間に休眠するため葉柄の基部に離層(落ちる2−3週間前に葉柄基部に変化を生じて特殊な細胞層ができる)が形成されるためですが、クヌギは離層が形成されるのが遅いのです。なぜ遅くなるのかその仕組みはまだよくわかっていません。
 昨年の秋は、県下でケヤキが落葉せず新聞などでニュースになりました。県林業総合センターによると「高温が続いた後、一転して寒さが厳しくなったため葉を落とす仕組みがうまく働かなかったらしい」また、ケヤキの落葉しない木が目立つ事について、同センターは「落葉の仕組みが樹種ごとに解明されておらず、説明できない」と信濃毎日新聞は1月24日報じています。
 離層形成は寒さによって起こされるので、寒いほうが「離層」の形成が早いとおもうのですが、なにかしっくりしない説明です。
つまり、「よくわからない」と言っているのでしょう。

 クヌギを始めとしてブナ、カシワ、コナラ、アベマキなどのブナ科の仲間は離層形成の悪い落葉樹として知られていますが、これらの仲間は「もともと暖地性の植物で寒地に生育したために寒気の到来に際して離層形成の余裕がなかったため」という説もあります。落ちる2−3週間前に葉柄基部に変化を生じるといわれますから、この頃の温度が鍵を握っているようです。
 どちらにしても春になるとこれらの仲間も葉を落とします。いつごろまでついているか観察してみて下さい。
クヌギは昔から木炭やシイタケのほだぎ(榾木)などに利用されたり、大木は材が堅いため家具などに利用されている人との関わりの深い植物です。

(06/03/02)
                           


   ウスタビガの繭 06/02/01

 朝の散歩の途中ウスタビガの繭を見つけました。クリの木の枝に薄緑色の繭がぶら下がっていました。
押さえてみると弾力があります。上に小さな穴があいています。下にはありません。どうやって作ったんでしょうか。
 ウスタビガは、秋よく灯火に飛んでくる黄褐色〜橙褐色の蛾で、前翅、後翅の4枚の翅に半透明の紋を持つ大型の蛾です。朝、玄関先などで死んでいるのをみかけますが、これがその繭です。
 卵で越冬し、春始めに孵化し、クリやコナラ、クヌギなどブナ科やケヤキやサクラなどの若葉を食べて成長し、脱皮を重ねながら蛹になり、秋遅く成虫になります。雌はフェロモンを出し、遠く離れた雄を呼び寄せることが知られています。

 里山や人家近くの雑木林でも見かけることが出来ますので探してみて下さい。

  鱗翅目 ヤママユガ科
  学名 Rhodinia fugax
  食草 ケヤキ、クリ、コナラ、クヌギ、サクラなど
  方言 ツリカマス,ヤマカマス,ヤマビシャク。
    カマス(かます)わらで作った玄米や雑穀を貯蔵した袋。上端と下端が平らで座りが悪い袋。
 (06/02/01)


クレマチス(キンポウゲ科)05/06/02

 キンポウゲ科の落葉性つる植物ですが、テッセンやカザグルマなどから園芸植物につくられたものを総称してクレマチスと呼ばれています。耐寒性があり丈夫で私の好きな花です。
 クレマチスは ギリシャ語の 「clema(巻き鬚、つる」に由来し、葉柄でものにからみつくのがクレマチス属の特徴です。
 現在、沢山の品種(200余種)があり色もさまざまなものがつくりだされています。クレマチスの原種は世界各地に分布していて原種だけを栽培しているファンもいるほどです。

 仲間のテッセンは中国原産で、江戸時代中期に日本に渡ってきて珍重されたといわれています。テッセン(鉄線)は、つるが細くて丈夫で針金のようであることから名前がつけられたといいますが、花弁のような萼片が6枚のもので花の柄の途中に一対の葉があるのがテッセン(鉄線)中国原産で、 8枚のもので柄に葉のないカザグルマ(風車)は日本原産といわれています。このような東洋の園芸的に価値の高いものをヨーロッパの人たちが改良し、交配されてクレマチスができたというわけです。

 ハンショウヅルもこの仲間ですが、塩尻では大芝山から下條山にかけてと小曽部谷の山地でみられます。花弁のような萼片が4枚の暗紫色の釣り鐘状の可愛い花をつけます。
 クレマチスの繁殖は取り木や株分け・さし芽もできますが、取り木が無難でしょう。春(4月から5月頃)、前年の蔓を地中5aくらいに埋め込み発根したら切り取り、鉢植えで養生します。種子を蒔いて増やすことも出来ますが、未熟なうちに蒔かないと発芽しない性質があり、蒔く時期の見極めが難しいものです。

 クレマチスはプロトアネモニンを含むため有毒です。個人差がありますが剪定などした際、汁を肌につけないことです。肌につくと発赤・発疱などの皮膚炎をおこすことがあります。漢方では根を威霊仙(いれいせん)といい、痛風薬に用いたといいます。どうもキンポウゲ科は毒にも薬にもなる植物が多いようです。

 キンポウゲ科の植物はめしべ、おしべが多数あります。
 花壇や庭ではアネモネ、フクジュソウ、ボタン、シャクヤク、オダマキや秋咲くシュウメイギクなど。山野ではヤマオダマキ、オキナグサ、ニリンソウ、タガラシ、これから咲くトリカブトなど。高原や高山ではシラネアオイ、シナノキンバイ、ミヤマオダマキ、ミヤマカラマツ、ハクサンイチゲなどの、めしべ、おしべを見てみましょう。めしべ、おしべが多数あるのはキンポウゲ科かバラ科といわれていますから意識して観察すると、また、面白いものです。

 この写真の花は「H・F・ヤング」という品種で矮性多花性タイプのものです。我が家の庭で撮りました。 


  ハリエンジュ(マメ科)05/06/02

 こんなに白く綺麗な花なのに最近嫌われています。
 アカシアと誤称されることが多いのでニセアカシアの異名があります。明治中期に日本に渡来した北アメリカ原産のマメ科の落葉高木です。
 河川の堤防などに植栽されたので良く見かけられますが、根が浅いので風に弱く倒されて流され洪水の原因となるので嫌われ、切り倒されることが多くなりました。
 初夏に葉腋(ようえき)に総状花序を垂れさげ、白いマメ科特有の蝶形花を多数つけます。この花はてんぷらなどにするとボリュウムもありおいしいものです。托葉がとげ状ですから採取するときは注意が必要です。
ハリエンジュは冬芽の観察によく使われます。冬芽は葉痕に隠れて見えませんが、とげと葉痕がコウモリの顔に見えるので子どもたちに見せると喜びます。
 
うた(俳句、短歌、詩)に詠われる場合はアカシアといわれていますから注意しましょう。
 ちなみにアカシアと呼ばれているのはマメ科アカシア属の樹木の総称で、熱帯に分布し、日本には自生しません。私もボルネオでみたことがありますが、葉は細く、花は黄色で球状、小さなものでした。


カキツバタ (アヤメ科) 05/05/17

 美人になぞらえた「いずれがあやめかかきつばた」と言う言葉があります。
アヤメ、カキツバタ、ノハナショウブは良く似ていて見分けがつきにくいと言う方もあろうかと思います。アヤメ科の検索表があるくらい難しい植物ですが、身近なところで見かけられるアヤメ科の代表的なものをあげてみたいと思います。
 カキツバタ、アヤメ、ハナショウブはお花(生け花)で葉組みの勉強に使われていて、人となじみの深い植物です。

         似たもの3種のかんたんな見分けかたです。
カキツバタ
水辺が好きで池や湿原、田んぼのせぎなど。
花期  早い。5月の始めから咲く。青紫色、淡紫色、軸は中空。愛知県の県花。
葉脈  中脈は、はっきりしない。
花   外花被片に白色または黄白色の部分がある。

アヤメ
畑のくろ、山の草原、田んぼの土手など。
花期  カキツバタの後 5月中旬から。濃い紫色。軸は中空
葉脈  中脈は、はっきりしない。
花   外花被片は大きく下向きに垂れる。黄色の部分があり、網目模様をつくる。
     エヒメアヤメは最も小型で愛媛県の県花です。

ノハナショウブ
田んぼのせぎ、やや乾いた湿原。山の草原。カキツバタより乾燥に強い。
花期  3種のうち最も遅い、6月から8月。
葉脈  中脈は、偽の中央脈があり突き出しはっきりしている。
花   外花被片の基部に黄色の部分がある。軸は中実
栽培されているものはハナショウブと呼ばれ花色はいろいろあります。各地でハナショウブ園が盛んですから見てください。
田んぼのせぎなどで、黄色の花を咲かせているキショウブはドイツアヤメと呼ばれ、輸入されたものが逃げ出し野生化したものです。


ニリンソウ(キンポウゲ科)  05/04/29

 「山の神」の川沿いの林のなかに咲いていました。
木洩れ日の中のニリンソウは趣きがあります。やや湿った日陰が好きな植物です。
 群落を作ることが多いのですぐわかります。
里山から高ボッチの東側、小曽部の沢沿いなどで群落が見られます。上高地の群落も有名です。

 キンポウゲ科の植物は有毒なものが多いのですが、リュウキンカ・エンコウソウ、バイカモはキンポウゲ科の中でも食べられます。但し、若い葉は猛毒のトリカブトの若葉に似ていますから気を付けてください。トリカブトは群落になることが少ないです。
 わからなかったらニリンソウの花を見てから採取してください。トリカブトの花は夏から秋に咲きます。

 白く花弁のように見えるのは萼(がく)片です。葉は長い柄をもっていて、葉身は深い切れ込みがあります。
 雄しべ雌しべは沢山あります。総苞葉のところから2本の花茎を出しますが1本のことも、また、3本出すこともあります。

 ニリンソウは「春のはかないいきもの」で夏には地上部は枯れて、その姿を消します。


シロバナエンレイソウ(ユリ科)  05/04/29

 塩尻の下西条に「山の神」という場所があります。小さなお社が祭られていますが、その「山の神」の一帯を保全しようと地元の有志の人たちが活動しています。矢沢川の清流沿いに散策出来るよう、コースが作られていていろいろな植物を見ることができます。
 
 シロバナエンレイソウはエンレイソウと良く似ていますが、がく片は緑色で先が細くすぼまるようにとがっています。花弁は白色で必ずあり,ます。葉は3枚を茎の上部に付け輪生です。とても大きいので目立ちます。
図鑑によってはミヤマエンレイソウと記されているものもありますが同じ植物です。
 エンレイソウには花弁はありません。がく片だけです。がく片の色はくすんだ緑色か褐紫色なので、シロバナエンレイソウと見分けがつきます。。
日本名は「延齢草」といいますが薬用にでもしたのでしょうか。名前のように長生きしたいものです。


 エンコウソウ(キンポウゲ科)  05/04/16

 三嶽神社(みたけさま)のすぐそばに姥ヶ池があります。椀貸しの池の伝説がありますがその池でみられます。
いまが花盛りですが、花弁はなく黄金色に見える5−7枚のがく片が花のようにみえます。
葉は光沢があり、「ワサビ」の葉に良く似た葉です。へりは波型のきょ歯があります。
エンコウソウはリュウキンカのように花茎が直立せず、横にたおれてのび、節から根と芽をだして増えるものをいいますが、リュウキンカの変種、または品種として分けられることが多いといいます。
花の名前の語源は花茎が長くのびるのでこれをテナガザルにたとえたもので、サル(えんこう・猿猴)というわけです。
私も二人の専門家の先生とこの花を見に来ましたが、一人はリュウキンカ、もう一人の先生はエンコウソウといいました。
見分けが難しい植物です。
 塩尻市誌の塩尻市産植物目録にも記録がありません。調査場所、時期などにより漏れたと思われます。
お宮の南にも近くの油屋さんの沼があり、そこにも生えています。地元の古老のお話では「文殊の会」というグループが出来、沼を池みたいに綺麗にする計画があるそうです。楽しみですね。
いまが花の見ごろです。是非一度訪れて見てはいかがでしょうか。


オオイヌノフグリ(ゴマノハグサ科) 05/04/14

 1センチ前後の鮮やかな青紫色(コバルト色)の花をつけます。
日当たりの良い畑や田んぼの土手、道端などによくみられます。日が落ちると花は閉じてしまいます。
欧州原産で、明治初期から中期に渡来した帰化植物です。勢力が強く在来種のイヌノフグリを追いやりました。
イヌノフグリは淡い紅紫色でオオイヌノフグリの半分くらいの大きさです。
名前のいわれは、果実の形が大型のイヌのふぐり(男性の陰のう)つまり、雄の睾丸(きんたま)を包むふぐりというわけです。
花冠もがくも4つに深く裂けます。めしべは1本、おしべは2本あります。
属名のヴェロニカは、キリストに血を拭く布を差し出したという伝説の女の人の名前で、聖ヴェロニカとしてカソリック教徒にあがめられています。この布はローマ法王庁(バチカン)の宝物とされています。
ヨハネ・パウロ2世は亡くなりましたが、身近な花にもいろいろな物語があります。


 アセビ(ツツジ科)  05/04/12

長野県の南木曽方面の山に自生する常緑低木です。。寒さにも強いことから庭園樹として植えられています。
馬酔木と書きアセビと読ませます。いけばなにも用いられ、アセボともいわれます。
馬が食べると気持ちが悪くなることからつけられました。有毒植物です。
茎葉にはアセボトキシン、アセボチン(配糖体)などを含み、誤って食べれば腹痛、下痢、嘔吐などを起こします。手でさわったくらいではなんともありませんのでご安心を。
花は白色でスズランのような壷状の花を沢山付けます。園芸品種では薄いピンク色のものが見られます。
雄しべは10本 葯に2本の突起があります。
葉は互生です。






スギ(すぎ科) 05/04/09

花粉症のシーズンになりました。
今年は飛散量が史上最悪といわれていますが、くしゃみや、鼻水、鼻づまりなどに悩まされる方が多いのではないでしょうか。マスクなどで身を守る人が目立ちます。
 私の染色体はどうも花粉症になりにくい形質を持っているようなのでスギ花粉の写真を撮ってきました。
雌花と雄花がなかよくついています。この花がふくらむと花粉を撒き散らします。
スギは人との関わりが深い植物で、まっすぐ育つので、す(直)ぎ(木)と呼ばれ建築の材料としていろいろな所で使われています。酒屋の酒樽もスギですし、酒屋の前に飾られるスギの玉、さかばやし(酒林)もスギで作られます。
また、いまはあまり作られていませんが、運動会などの時、スギの緑門を覚えていらっしゃる方も多いと思います。
スギは花粉で嫌われますが日本しかない植物です。




     ギョウジャニンニク(ユリ科)  05/04/09

 ギョウジャニンニクは、修業する行者が山野で食したことから行者にんにくと呼ばれたといいます。
春早く芽を出す植物で緑の濃いみずみずしい葉が特徴です。
最近では山菜としてスーパーなどで売られるようになりました。
葉はそのまま、生でも食べられますが独特のにんにく臭とぴりりとした辛みがあります。鱗茎も食べられますが毎年楽しむためには地上部だけにしたいものです。初夏になるとねぎぼうずのような白い花をつけます。
風味を生かしたサラダ、酢味噌あえなどが良いと思います。







   ザゼンソウ(サトイモ科)  05/04/01

 ミズバショウと同じく肉穂花序をもちます。
仏炎苞は大型で肉厚、暗紫紅色でまれに黄褐色の苞をもつものもあります。
のぞくとミズバショウより悪臭があります。
仏炎苞の花序の様子が僧が座禅をしているように見えることから名前が付けられたといいます。
 この辺ではミズバショウより早く顔を出します。東山(岡谷市地籍)の湿地に群生しています。
また、諏訪市、大町市、白馬村などでも群生地があり、各地でお祭りが行われます。
おとなりの岐阜県上宝村にも大きな群生地があります。



 
      ミズバショウ(サトイモ科)
                     が咲き始めました。
  05/04/01

 みどり湖のミズバショウ苑でぽつぽつと咲き始めました
白く見えるのは仏炎苞で花弁ではありません。
花は苞に抱かれている円柱状の肉穂花序に4枚の花弁の小さな花をびっしりつけます。
葉がバショウ科のバショウに似ていることから名前がつけられたといわれています。
葉は花が終わる頃になるとだんだんと伸びて、びっくりするくらい大きく1bにもなります。
湿地や湿原が好きで近くでは乗鞍高原などのミズバショウが有名です。