暮らしと環境          

暮らしと環境   


  小さなコミュニティ
 

 常会の役員を決める時期になりました。
人間は社会的な動物だといわれていますが、家族に次いで小さな社会が地域の常会です。人は生まれると選択の余地なく、家族や家族が属する社会というものに属することになります。学校に通うようになると学校という社会が、卒業すると大きく日本という社会に放り込まれていきます。
 常会はこの社会の最も身近にある社会ですが、あれこれ、複雑な人間関係があるなかで、他人に配慮して共に暮らしていかなければなりません。常会は地域社会を構成する最小の社会といっていいでしょう。
 常会の中で毎日、いいあらそいをして生きていくわけにはいきませんから、協調して仲良く暮らすということが必要となります。この仲良く暮らすということが常会の役員の選出という事態に見舞われるとおかしくなるのです。
 地域に住む人間が複数で集まってそこで生活すればいろいろな問題が出てきます。それが役員の選出にふきだしてくるということになります。みんなが納得する形で平和に秩序(役員)を維持していかなければいけないのですが、うまく機能しないということが間々あります。
 「なんだぃ、ルールを決めてねぇだかい」というお叱りの向きもあるでしょうが、選出についてどんなふうに決めるかという取り決め(ルール)はありますが、それが守られないことがこれを複雑にしています。
 「そりゃあ、リーダーが悪いじー」といわれそうですが、常会長というリーダーになるのは、組の廻り順という取り決めがあって、時計廻りで役が決まるため、物事を調停するリーダーに責めを負わせることはちょっと酷な場面です。
 役員(常会長・組長・役員)を決めるときは常会という会議を開きますが、これは組に入っている人たち相互の「時計廻り順で役が廻ってきますよ」という確認の場でありますが、ここで「おらぁ、できねぇ、やらねじ」という人が出てくると、話しはまとまらなくなります。この廻り順という取り決めは、「役は「平等」に」ということから決めたといいます。これは現時点で最も望ましいとみんなが考え毎年実施しているやりかたなのです。
 物理的な理由、健康を損なっている家族をかかえているとか、著しく高齢で一人暮らしだとかという世帯に、役を廻り順だからと自動的に振るわけではありませんが、困るのは考え方の違い、よくいう「価値観が違う」といわれる精神的な考え方(思想・信条))からくる違いがある場合、秩序(取り決め)を維持するのが難しくなります。
 区の他の組でも「常会に入ったが役は一切受けるつもりはない」とか、「やりたい人にやってもらったら」とかいう意見が多く聞かれるといいます。何故でしょう。

 田舎は街(都会)と比べ、生活(共同生活)していく上で慣習やしがらみが多いといわれます。人間も生き物(動物)ですから、生まれた環境のなかで適応して生きていかなければなりません。環境(社会)にうまく適応できなければ、生物の社会では生き残ることは難しいのと、弱いものが強いものに食われる過酷な食物連鎖が待っています。
 「おおげさな」といえばそれまでですが、だから要領よく環境に適応して空気を読んで生きろ、損なことはいうな。といっているわけではないのです。約束や取り決めをみんなで決めたら、せめてその約束や取り決めを守っていかなければ社会はなりたっていかないのです。常会という小さな少人数の社会のシステムが動かなくなれば、区という地域社会、市というミドルな地域社会、日本というマクロな全体の社会が動かなくなるということになります。
 人は一人で生きていくことはできません。本音は「役なんかやりたくない」と思っていても、人は他の人と無関係に孤立して生きているわけではありませんし、一人では社会にならないので、複数の人が助け合って生きていくのが社会というものでしょう。
 役を決めるという話し合いのなかで、「個人と社会」が顔を出します。「なんちゃら、かんちゃら」と理由を開陳して役の免除をいいますが、聞いている人は小さな社会に隣人として住んでいますから、始めからそのわけを分かっています。もう歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の四段目の世界で由良之助の沈黙です。空気は重くなり、自然に言葉が少なくなります。わけ(理由)をつくるわけですから、ことばが通じ合わなくなるコミュニケーションなので、ほんとにどうにもなりませんね。

 考えなくてはいけない問題は別にあるのです。
役が決まらないという問題が明らかになったら、なんらかな仕方(方法)で解決しなければならないのに、その方向に向かうことがないのです。「すったもんだ」してもなんとか常会の役員が決まれば、また来年の選出の時期まで何事もなかったように忘れて常会社会は続いていきます。
 常会という小さな集団社会はいま、さまざまな問題を抱えています。高齢化、世帯数減少、それに伴う人口(構成員)の減少、ルールの虚脱、常会虚脱、区の運営、区という地域社会のなかでの常会の位置付けなど問題が沢山ありますが、いろいろな問題を望ましい方向へ変えていこうとすることが少ないのです。この辺に問題があって「役員のなり手がない」のなら「なぜそうなるのか」「なぜ見ぬふりをするのか」を考えないといけないのですが、なかなかそうはならないのです。
 私の住んでいるところは造成された住宅団地で、古くからある地域社会ではありません。それだけに物事のルールは決め易いのですが、反面、まとまり(システム)が生まれにくいということがあります。
 古くからお互いを知っている人が少なく、感覚は田舎と街(都会)の中間くらいの感じです。新しく転居して来た人は常会に入ることについて「どうしたらいいもんか」迷っている人や、最初から常会には「入らない」という人もいます。常会には「入らない」が区費や常会費は払いたいという人もいます。
 このような人たちに区や常会がどのように小さな社会のまとまりを、説明しているのでしょうか。
 区や常会に入るということは「社会に入るという、こういうことですよ」を、伝えているでしょうか。社会規範(取り決め・ルール)といわれる「しなければいけない行為」と「してはいけない行為」を伝えていないとすればこれからが気にかかります。小さなことですが自分の家の前の道路さえ、人手があっても雪をかかない人がいます。道路部分は市の責任だということらしいのですが、雪をかくと自分が損でもするのでしょうか。自分の利得が減ってしまう、少ないと考えているのでしょうか。それぞれの人が自分勝手に欲求を追い求めるとそれらがぶつかりあって「にっちも、さっちも」いかなくなります。
 ここはお互いが相手の立場に立って物事を見る、相手の立場を通して自分を見ることができればいい方向、いい社会に向かうと思うのですが。

 現在の大きな社会がろくでもないとするなら、せめて身近な小さな社会に飛び込んで、もっと個人個人が日常のつきあいを深めて、言葉だけでないコミュニケーションを深めていくことでないと、常会社会の小さな役でも決まらないということになります。常会も個人が成員なのですから。
 社会に絶対属さないという信条があるなら、それはそれで自分が仙人にでもならない限り出来ません。仙人は美女をみて雲から落ちたという話がありますから仙人でも一人では生きにくいようです。この社会にはいろいろなおかしなこと、不思議なことがあるのでまたあらためてお話ししましょう。
 
(02/25)



  干天の慈雨

 本当に雨が降りました。
「野沢菜まいたかい」
「や、まだまかねぇーじ」「雨ふりゃまかっと思ってせ」
という会話があちこちで聞こえました。ハクサイや大根は蒔いたものの野沢菜を蒔く時期は、このあたりでは9月の上旬が蒔き時です。地球温暖化がささやかれているさなか、蒔き時を遅らして蒔くという人が多くなりましたが、この干天続きには参りました。
 
 蒔こうにも畑の土はからからに乾き、土ぼこりがたつほどで、元気がいいのはスベリヒユばかりという状態でした。早めにこの4日ごろ蒔いた人は堪らず軽トラに水タンクを積んで噴霧器で水をかけていました。野沢菜は蒔いてから3〜4日すれば芽を出しますが、表土がからからではどうにもなりません。一度、水をかけると水掛けを続けなくてはならずしまつなものです。この8月は例年になく曇天の日が多く雨も続きましたが、ここにきて台風シーズンというのに一向にふらない日が多く、農家泣かせな陽気でした。りんごもこの時期の雨で大きく玉伸びしますが、潅水施設のない地区は雨待ちという状況になります。

 私は8日の日に我慢できず蒔きました。
近くの田んぼの用水(せぎ)から蒔き水を戴いて蒔いたのですが、この用水は田を作る人たちが管理をしていて誰でも利用できるものではありません。畑作の人たち は利用できないというのが用水の原則なのです。稲作に必要な大切な水で水利権があります。種まき程度の水は、話せばこころよく分けてもらえますが、何日ともなれば気が引けるものです。それだけにこの12日の雨は「干天の慈雨」でまさに天の恵みでした。これで野沢菜も安心です。

(09/09/13)


  「昔は」と「いま」

 畑で昔ながらのやりかたで農作業をやっていると見えるものがあります。
私は少しばかりの畑を手作業で耕しています。春先の作業が集中するときは大変ですが、支えになるのは「昔の人の暮らし」です。昔の人たちが春夏秋冬、生活のために働いた暮らしのさまざまなことを思い起こしてがんばるのです。
 今の世はお金というものがなければ生き抜くことが出来ない社会です。お金なしでは生きて行く事すら難しい社会、生きにくい社会になってしまいました。日雇いでは生きていかれない社会の実態が、昨年秋から目に入るようになりました。人が解雇されるとすぐ生存の問題に直結することもわかったきました。新自由主義という弱肉強食のツケを払い、この国の社会保障の仕組みもロクでもないものだということがわかって来ました。歪な社会のほころびが見えるようになったのです。
 戦争中の昭和15年に生まれた私たちは、戦後の混乱のさなかから経済の拡大を夢見、豊かな社会を求めてきましたが、たどり着いた先の今の社会を振り返るとき、複雑な思いを抱きます。富裕層と貧困層の格差が拡大し、社会保障制度が充分でないなか、経済の拡大だけに夢を見、豊かさの意味を考えもせず履き違えた私たちのおろかさを自省するのです。「こんな社会を作るつもりではなかった」といっても「未来」へとまだ続くのです。いま、生きている世代が、これからの未来を担う世代に残してあげたいものを真剣に考えないといけない、のではと思うのです。

 年寄が「昔は」とよくいいますが、昔とはいつのことでしょうか。明治もすでに遠くなり、大正、昭和と続き、平成も、はや21年になりました。平成元年生まれが成人式を迎える時代です。昭和が63年、大正が15年、明治が45年ですから、明治になってからでもすでに140年余りたったことになります。
 「月日は人を待たぬなり」ですが、生活が大きく変わるターニングポイントとなったのは昭和の20年でしょう。新生日本が誕生し、焼野原の都市から再生が始まり、あっというまに田舎の生活まで変わりました。
 戦時中に生まれた私たちは70歳を目前に、戦争世代は変わり行く社会を見ながら鬼籍に入りつつあります。戦争世代から見れば私たちなどはまだ「若造」ですが、戦後の変化のありようを覚えていて「昔は」なんていうことを平気で話せる世代になってしまいました。「昔は」とは私たちの小さいときあって、いまないもの、昔はなくて、いまあるもののお話しをしたいのです。

 昭和20年代のお話です。
 子どもでも小学校に行くようになると農家では大きな戦力でした。
こどもたちの仕事はたくさんありました。学校から帰るとすぐおばぁさまに「お茶を持ってケ」といわれ、田や畑で働く父母へ「お茶」を届けるのが日課でした。両手にやかんとお茶籠を持ち、畑や田に向かうのですが、決まった仕事で欠かすことはできませんでした。いまは、魔法瓶やポットに、面倒なら自販機の缶飲料で済ますことが出来ますが「昔は」そうはいきません。歳の離れた弟や妹がいれば背負いながら運ぶことになります。腕が疲れ何度も休みながら通うのですが、途中の田や畑には必ず近所の人たちが働いていて、声をかけられました。「昔は」手作業ですから「根気がない」と続けられない農作業なので、どこの家でも田や畑で働いていました。どこの田や畑にも牛がいて、牛をあやつる声やなだめる声があちこちで聞こえたものです。
 いまは人声もせずトラクターの音だけが響きます。お茶を飲んでいる風景も稀となりました。農家の人も自動車で移動するため挨拶もままなりません。「昔は」田や畑の畔で小半刻もキセルを銜えたおじいさんが座り込んで休んでいたり、通る人ごとに話しかけていました。「おう、いくつになった」と毎日聞かれて「年寄になると忘れぽっくなるのか」と不思議に思ったものですが、これはとぼけたコミニケーションであったと、おじいさんと呼ばれる歳になって分かることになります。
 「いま」はことさらに、地域の子どもに挨拶をと「あいさつ運動」の展開をしている地区もあります。大人同士のあいさつ、子ども同士のあいさつ、大人と子どものあいさつの励行などといい、それぞれ意義を述べ、実践するよう励行していますが、人と人の関わりの薄さをすでに地域社会が認めているということなのでしょう。人と人の繋がりのありようは、日々の生活・暮らしが見えなければ繋がりようがないのを忘れ、愚にもつかない運動をすることになります。
 コミニケーションといえば、そのころの農家には大きな「いろり」があり、勝手場と続いている間がありました。土間からすぐ踏み込めるようになっていて、いろりには大きな自在かぎには、いつも鍋や鉄瓶が架かっていました。子どもが親の代行でいこうものなら、「まあ、上がれ」といわれ、お茶、煮物などでもてなされ、はげましがありなごやかさと安堵感を与えてくれました。後はそのままその家の子どもたちと遊ぶのですが、どの家も開放的な雰囲気がありました。「いま」は、玄関までたどり着くのがやっとという難しさで、閉鎖的になりました。よほど親しい家でもない限り「上がりましょ」などといってはくれません。
 これも「昔は」家の中を見せても箪笥が一、二本あればという状態でしたから、どこの家でも同じだったのですが、「いま」はさまざまなもので埋まり、その家の経済状態から、嗜好まで一目瞭然となってしまいます。格差が分かってしまう状況から、あけっぴろげな気持ちになれない「いま」の社会なのです。身近な近隣でさえコミニケーションの取れない社会ですから、明日への希望、「未来」への展望なぞ開けるわけはありません。
 「昔は」養蚕がまだ盛んで家が狭ければ二階で「かいこ」を飼っていました。子どもたちは特有の匂いと葉を食む音を子守唄のように聞きながら「かいこ」と一緒に眠るのです。かいこの桑の葉を「もぐ」のも子どもたちがお手伝いしました。大きな「ぼて」を背負い畑から家まで何回も往復するのです。桑の木も「すえる」といって秋遅くなると台木を綺麗に切って春を待つのです。これも子どもたちの仕事です。
 田植えどきは、田の畔塗り、耕起、あらくれ、代かき、田植えと休む間もなく続きますが、「バタバタ」と呼ばれた牛が引く「あらくれ(整地)」用の車に乗って、水の入ったたんぼを何回も巡るのです。体重のある大人の仕事であるはずなのですが、「ねぇま(苗代)」の管理や肥料撒きに忙しかったためか、子どもの仕事でした。田んぼの土手の草刈もあらくれ前にすませ、刈った草は田に入れます。化学肥料が普及するまで「刈敷」といって里山へ草刈にいくのが普通の時代でした。
 農家の仕事でお金を支出するのは肥料代が主で、それを少なくするに手近にあるものを利用するのが普通でした。堆肥作りや、鶏糞、肥え溜めの利用、稲藁や草木も大切な肥料でした。「金肥(きんぴ)」の石灰窒素を撒く家はうらやましく思われた時代です。そのため堆肥作りに牛や豚、山羊や鶏、兎などが飼われその世話も子どもたちが担ったのです。
 農家の子どもは長男に生まれると「跡継ぎ」とみなされ、そのための教育を受けたものです。戦争世代の親は、明治、大正生まれですからその時代の暮らしを色濃く覚えています。戦後間もなくといっても物資窮乏の中、無から有を生み出すことは当たり前の話しですから折にふれ、子どもに伝えることになります。いまの言葉で、嫌な言葉ですが「スリこみ」があり、勉強なんて必要でないという風潮があり、上の学校へ出すと農業を継がないというのがあたり前の時代でした。それでも農業には学問は必要だと考える親はいたのですが、大概、親の意見は絶対で子どもは嫌でも随うことになります。このような状況は私たちの世代までで、昭和30年代から40年代にかけて団塊世代と呼ばれる戦後間もなく生まれた子どもたちが大きくなる頃は、親の意識も加速度的に変わっていくのです。親といいましたが、これは社会が急速に変わっていって、親も変わらざるを得なかったというべきでしょうか。
 祖母は「電気のないとこに嫁にきて、ランプだったのに電灯になり、ラジオが聞けてテレビになった」と言いましたが、一世代でこれだけの急激な変化がある世の中を生きたのです。私たちの世代でさえ、草履や下駄が靴に、牛や馬が耕運機に、荷車が自動車に、薪が石油やガスに、井戸水を汲み水甕に移した水が水道水になりました。田舎ほど変化のスピードは遅かったのですが、まさにさまざまな変化を体験することになり、社会が変わり始めたのを実感することになります。
 現代の子どもたちはどうでしょうか。その変化は小さくなり、戦後世代の私たちが味わったものに比べると、社会はこれ以上ないというところまできて、飽和、停滞しているといって過言ではありません。団塊世代の子どもである団塊ジュニアが、親になる年代ですが、生まれたときからすべてあるものを見た子どもたちに、これから何を語り、伝えるのでしょうか。老人になるとまた過去を懐かしがり「昔は」と語るのでしょうか。

 人は変化のなかで生きるすべを知る生き物で、地球も永遠に続くと思っているほど、楽天的は生物であります。
細胞から新たな細胞を作り出すことも出来るし、資源は有限であることを知ってはいるが、技術でカバーできると思い、環境の悪化も高度な技術で解決と「いま」を生きていますが、食べること=生きることに集中できた「昔は」と、違った言い表せない不安を「いま」から「未来」に感じている人の多いのも確かでしょう。
 ある種の生物は生きられる限界・容量を越えると自殺行動をとったり、群れの崩壊で安定を取り戻すことが知られていますが、人という種はどうなのでしょう。未来は、中世や近世のような緩やかなカーブで人口が推移していくのでしょうか。それとも一気に上昇した近代以後のようなカーブでこれまた一気に下降していくのでしょうか。
 あの戦後からのこの国の復興期に、技術の進歩と経済の拡大のみを追わず、もっとゆっくりでもよかったのではないか、別の幸せへの選択を選ぶことができたのではないかと「昔は」の人は考えますが、「いま」の世は、「昔は」のつつましく生きた個人たちが追い求めた個の総和としてあるのでしょうか。社会は個人の思惑を越えたところで変わっていきますが、個の不安を抱えたまま、未来の姿を思い描くことは誰にもできないのです。考えもしなかった果ての社会に戸惑うばかりですが、個の総和で社会のありようが形づくられるなら、未来を担う世代のためにも、個の価値観をもってこれからの判断をきちんとしたいと思うのです。
 では、いつかまた「昔は」のお話しをしましょう。
 
(09/04/27)


  これで安心するのか

 4月1日の日本経済新聞にこんな記事が載っていた。
[(4/1)政府、温暖化ガス排出枠3208万トン取得 08年度
 環境省と経済産業省は1日、2008年度に政府が外国政府などと購入契約を結んだ温暖化ガスの排出枠が3208万トンだったと発表した。09年度以降の契約分としてチェコから4000万トンを購入することも決めており、07年度までに結んだ契約と合わせて約9500万トンの排出枠を確保したことになる。京都議定書の目標達成に必要な1億トンの排出枠取得にほぼメドをつけた。08年度分の契約として旧ソ連崩壊後に温暖化ガス排出が激減したウクライナから3000万トンの余剰排出枠を買い取るほか、国内商社などからも約200万トンを購入する。政府は京都議定書に基づき、08―12年度の5年間で海外から1億トンの排出枠を取得する計画を立てている。]というものだ。

 ここで注意して欲しいのは「京都議定書の目標達成に必要な1億トンの排出枠取得にほぼメドをつけた。」という部分だ。これは京都議定書で90年比6%削減のための義務、排出枠の購入でまかなう削減幅は1,6%分にあたる1億dを購入する計画にめどがたった。という意味である。
 だが、現実には07年度の温室効果ガスの排出量は増えている。どのくらい増えているかというと、90年比で8,7%である。6%削減時の1億dにめどがた ったといって政府は喜んでいていいのだろうか。
 
 排出枠の購入については以前にも述べたが、問題なのは購入金額を政府が公表していないことだ。
排出枠の市場価格から推測すると(日経・JBIC排出量取引参考気配)現在(3/30日現在)dあたり1347円だから、チェコから4000万トンを購入すると520億円となる。政府は3月の18日にウクライナから3000万トンの契約をしたが、直近の3月16日の価格は1437円だからこちらは429億円となる。合わせて1000億円のお金が税金から支払われて国外へ出て行くお金となる。
 排出枠の市場価格は08年7月に約3800円でピークだったが、昨年の金融危機の影響を受けてここへきて価格が落ち込んでいる。政府は買い時と見たのだろうか。
税金を投入するのだから、安いから知らせなくてもいいと思わず、温暖化防止に努力している国民におかげで安く買えましたと公表すべきだ。公表できない「不都合な真実」でもあるのだろうか。
 排出量の取引には二酸化炭素の処理コストや量について正しく反映されていないのではという疑いがある。企業の取り組みをみると「国内取引の動向が不透明」なことなどを理由に、排出量を購入した(予定も含む)企業は全体の8.5%にとどまるという。約9割は購入していないのだ。これも取引リスクが大きいのが原因といわれ、さらにここに来て企業の景気悪化によるしわ寄せで、温室効果ガス削減に対する取り組みもおろそかになるのではということが心配されている。企業でも取引についてようやく容認の流れがでてきたのでここは踏ん張りどころである。
 くどいようだが政府は排出枠の購入計画や購入価格をきちんと公表すべきだ。政府が「安いで買った」と商取引に夢中では、本末顛倒で温暖化防止もままならない。

 (09/04/03) 


  「平成の飢饉」始まる

 「平成の飢饉」なんて書けばなんのことだろうとお思いでしょう。
朝日新聞の今日(12月5日)の一面トップの見出し『派遣切るな」大合唱』を読んで、これは現代の飢饉ではないかと思いました。
 小見出しには集会2000人 怒り・叫びと書かれています。4日の夜、東京・日比谷野外音楽堂で、非正規労働者や労働組合の関係者が集まり「派遣切り」への対策を求めたものですが、こんなことが起こっていいのでしょうか。
 厚生労働省が把握しているだけで非正社員の削減は来年3月までに約3万人といわれています。ここから漏れた人たちまで入れると実際はもっと多くなるのは目に見えているといわれます。

 「飢饉」とは天候異変などで、農作物の収穫が少なく、食糧が欠乏すること。「天保の―」2 必要とする物が非常に不足すること。「水―」(大辞泉)などと国語辞典では解釈されていますが、豊かな社会といわれる現代で働く場所を一方的に切られ、基本的な食や住に不安を抱かざるを得ない人たちが、この年末から増えていくことを飢饉といわずなんといえばいいのでしょうか。
 労働者の団体「連合」は雇用対策本部を設けて解雇・雇い止めで仕事や住む場所を失う労働者を支援するよう首相に要請したといいます。派遣労働者の解雇のあとにくるもの、「どうかホームレスにしないで」をどう受け止めているのでしょうか。大量失業時代を想定したものでしょうか。解雇・雇い止めで食や住を失い、必要とするものが非常に不足すること、飢え苦しむことを「飢饉」というのです。

 飢饉は江戸時代中後期に多くの飢饉が起こっています。なかでも「天明の大飢饉」は最大の被害をもたらしました。一番苦しんだのは農民でした。特に東北地方の諸藩の被害は甚大で、弘前藩では24万の人たちのうち8万人以上が死亡、死亡率34%にも及びました。もっと酷いのは八戸藩で6万5千人のうち3万人が死亡、死亡率は47.8%に及びました。盛岡藩でも6万人以上の犠牲者を出したといわれます。津軽地方の各藩では宝暦の飢饉の経験から飢饉対策をとりますが、他領からの買い付けなどの対応もうまくいかず、領民を救済できませんでした。天候が全国的に寒冷で不順であったことからくる凶作で米の買占め、それによる米価の高騰が全国的に起こったことからきたものです。農民たちも宝暦のことの意識が薄れ、いまに「必残暑来るべし」と思い白米を食べていたといいます。本来なら凶作に備えて蓄えるべき米が消費され、意識があり稗や粟でしのいだ人たちは米を食い延ばすことで助かりました。藩も出役や御用金賦課で藩財政が厳しく、米を売らなければと前年度の蓄え米(はらみ米)もないという余裕のない状況でした。藩も農民も宝暦5年(1755)の飢饉から学ぶことがあったのに馴れがあったといわれています。

 ちなみに宝暦・天明の塩尻の近辺をみてみましょう。
 宝暦5年は松本藩内は大旱魃で雨乞い祈願を城内弥勒院で祈祷を行い、城の堀土井を抜いて宮渕村へ流しています。
 天明2年から7年まで全国的な低温による異変で松本平でも凶作や大凶作が起こりました。 
天明3年は、松本領内大凶作で、松本では検見平均2分作、翌年には餓人が続出、救恤金を藩より拝借10年賦でとの状況となり、籾相場金10両に25俵となっています。また、穀類不足で酒造り禁止を命じています。
 塩尻組18か村は村凶作につき困窮願いを出しています。また、中西条村と下西条は40ヵ条の「両村一統倹約の定め」を取り決め、節約・倹約に努めています。東川手村では5月2日(陰暦)に一寸大余りの降雹があり、麦の穂が7分通り打ち落とされ、8月24日(陰暦)には降雪があり、秋作皆無の田畑が多く出という状態となりました。佐久では浅間山の大噴火と凶作の被害が重なり百姓一揆(平賀騒動)がおこり松本藩兵が出動しています。
 天明4年9月になると塩尻組19か村は破免願いと石代値段引き下げ願いなどを松本藩預役所に嘆願しています。また、筑摩地村北小野では前年の凶作のため飢饉となり10か年賦で救恤金(きゅうじゅつきん・義捐金)を拝借しています。天明6年になると塩尻町村が飢人の夫食拝借を願い出ていますが、59軒、252人に達したといいます。
 このように天明3年から6年まで凶作が続き農民が苦しんだのですが、松本藩も台所は苦しかったのですがそれでも農民を助けています。このことに感謝した領民は天明4年の11月に前年藩主の凶作救恤に対し、報恩のため、年貢のほかに冥加籾2.190俵を納めています。このとき藩主戸田光悌は家臣に分与、庶民にも賑恤(しんじゅつ・援助のため金品を与えること)をしています。農民は年貢のほかに納めたのですが、凶作がいつ収束するか判らないなかでどのような思いで出したのでしょうか。でも何か温かいものが感じられますね。

 この天明3年(1783)の飢饉から現代の人々が学ぶことは無いのでしょうか。
 飢饉は「凶作」という天候不順で作物の収穫(でき)が非常に悪くなることが直接な原因ですが、飢饉が複合的な原因から起こることにも注意する必要があります。これには人為的要素が多く、藩財政の逼迫、米の移出、米価格の統制失敗などが被害を大きくしたのでした。他の地方が飢饉に見舞われると米の価格が高騰するため、お金を得ようと米や雑穀が移動していきます。米相場が高くなると米を貯め置きしている人は、食う分まで売り払ったといいます。もう農民に商品経済が浸透していて利に敏い人たちが生まれていたのです。
 大げさになりますが「平成の飢饉」とは、利に敏い人のために雇用が失われることで食や住が脅かされるということなのです。
 この原因はどこから来るのでしょうか。世界のグローバル化といわれ、一国の特定の企業の破綻がほかの国に影響を与えることが現実になりました。景気低迷で自動車の売れ行きも落ち、電機や電子機器、工作機械などで生産調整の波が押し寄せ、働く人の削減が進んでいます。天明のとき、藩では飢饉のときは農民に払米をして助けなければならないのにその手当てができないのが実情でした。藩に余力が無かったのです。大きな農家で働いていた奉公人は飢饉になると真っ先に放り出され死んだといわれます。豊作のとき平時な時、大きな農家では奉公人や手間雇いを沢山雇い、白飯を食べさせ夕には酒を振舞ったといいます。なにやら現代のあれこれに共通してはいませんか。期間従業員、非正社員などへの大量解雇と似てはいませんか。
 政府も100年に一度・・とか世界規模的な危機などといって危機感を強調していますが、これに対する対策を検討中といい、実際に動き出すのは来春以降といわれています。間に合うでしょうか。雇用の維持を求める政府の要請もどこ吹く風と、自分の利ばかり追及する大企業のありかたはどうでしょうか。
 戦争や災害などで困窮している人々を、国家が見捨てること。また、その人々のことを「棄民」というそうですが、怖い世の中になったものです。
 事後の対策も必要ですが、私たちもなぜこうなってしまったか、こういう社会でいいのかを考えることがいまほど必要だと思うのです。

(08/12/05)


  石油発動機
 
 石油発動機ってご存知ですか。
1950年代(昭和25〜30年)に農作業などで最も活躍した発動機です。あの頃は稲の脱穀も足踏脱穀機で、農家は大変な苦労をしたものですが、作業の効率化を図るため農業協同組合が力をいれて機械化にむけた取り組みを始めた頃の発動機です。すでに当時のアメリカは、トラクターで耕作して、化学肥料や農薬で収量を上げ、コンバインで収穫してトラックで市場に出すということをやっていました。日本は、どうかというと江戸、明治のころと変わらない農業をしていたわけです。農業用の機械が一般農家に普及し始めたのは戦後で、単位あたりの収量を上げ、作業の能率を高め、余暇をつくることが国の農業政策として取り上げられ、それで自治体も農協も懸命になったというわけです。

 農業用機械で最初に普及したのは脱穀機と耕運機でした。
稲の脱穀は古くはまんが・せんばごき・かなごきがつかわれ、大正から昭和の戦後に至るまで足踏脱穀機が主流でありました。戦後まもなく動力脱穀機が農家にぼつぼつと入るようになりこの動力源が「石油発動機」だったのです。
 動力脱穀機の便利さは革命的なもので、これで農家の負担はおおいに軽減されました。
足踏脱穀機だと、籾をこいたあとは、「ふるい」にかけ、「とあおり」という人力で風を起こす道具で、軽いシイナ、ハシカ、スベを飛ばして綺麗にして俵やカマスに入れるということになりますが、動力脱穀機はこれをすべてやってくれることから、瞬く間に普及しました。もちろん動力源としての「石油発動機」やモーターがなければどうにもなりませんが。
 「石油発動機」はモーターに比べ移動ができるので、今まで家に持ち帰り稲こきをしていたのが、天気のよい日には田んぼではぜ(稲架)の傍でできるようになりました。
 フライホールが勢いよく回り、蒸気機関車のような音を響かせながら、ベルトで動力を脱穀機に伝えます。「タン、タンタン」という金属音のなかで、稲のほこり(埃)にまみれながら稲束を回し、または裏返しながら脱穀をしたものです。三反歩位の田なら一日でゆっくりすませてしまうものでした。

 この「石油発動機」が思いがけずみかけることになりました。散歩の途中、ある農家の畑の端小屋の下に置いてありました。
懐かしくておもわず立ち止まりみていると、持ち主が「なにしてるだぃ」というので「や、この発動機なつかしぃで」というと「もらってきたが、動くかわからねぇじ」という。持ち主は私より20は若い。この「石油発動機」には縁のない世代だが「捨てるというのでもらってきた」という心根が嬉しい。
 「動かしてみてぇが、いそがしくて」というので「そんときゃぁ、よんでおくりや」といってしまった。
 このクボタの「石油発動機」には思い入れがあるのです。

 高校の授業で「石油発動機」の分解整備の時間があり、このクボタの発動機をバラバラに分解し、組み立てなおすという実習がありました。先生と助手が要領を説明してチームで行いました。帰宅後、家で話すと父が「うちのやつもやってみろ」というのでうちのクボタを分解して整備することになりました。くしくも同じクボタのAN型でしたが、悪戦苦闘無事動いたときは嬉しかったもので、確か17のときだったと思います。家ではモーターが畑に入るまでこの「石油発動機」は大活躍しました。脱穀はもちろん、りんごなどを消毒するための噴霧器や揚水機などの動力源として、あっち、こっちと移動して使われました。このAN型は四角ばったデザインで当時としては斬新なものです。いま見ても違和感のない機能美があります。
 水冷ですから井戸の水でも田んぼのせんげの水でも使えます。燃料は灯油で、起動するときにガソリンを使います。エンジンがかかると自動にしておくと灯油に切り替わります。ピストンは横型で上部に水を入れるタンクがあり、その横に燃料(灯油・軽油)とモービル油30番のキャップが並んでいました。回転数と馬力の調節は指示盤で固定できるようになっていました。馬力は2.5馬力で最大は3馬力とプレートに刻印されています。いまはもっと馬力の大きいエンジンが小型化されていますが当時はこれで十分でした。
 私の家のクボタAN型「石油発動機」は、畑まで電気が引かれモーターが入ると現役を引退、暫く物置に鎮座していましたが、父がなんと思ったか塩尻中学校へ寄贈しましたが、その後クボタAN型「石油発動機」がどうなったかよくわかりません。いまでも理科の教室あたりにあれば嬉しいのですが。中学も新校舎になったりしましたからたぶん処分されているでしょうね。

 生産性を挙げ、能率を高め、余暇をつくるという国の政策は成功したのでしょうか。
現在の農業の形態を見るかぎり、成功したようにはみえません。石油発動機がもたらした高い能率は、かたちを変えて際限もなく社会のあらゆるものにむかって突き進んでいったように思えます。豊かな社会を求めるための改善が本当の豊かさにつながっていかなかったのではないでしょうか。
 暮らしは混迷し、いやな世相になりました。石油も値上がりして行きます。これからどうなるのでしょうか。稲作も農業構造改善事業後、大型の機械が導入され機械化貧乏がささやかれています。父は「石油発動機」を買ったとき、「これで本が読める」といいましたが、いまを生きる私たちはなんていえばいいでしょうか。

(08/07/20)
 


  未来の世代

 朝日新聞のオピニオンというページのなかにクロストークというコラムがある。
この4月7日の記事は柄谷行人(からたに・こうじん)さんと、分子生物学者の福岡伸一さんが「科学者の課題は何ですか」ということについて対談している。この対談のなかで福岡さんの[「真か偽か」見極められない予測不可能な科学の問題に対し、科学者はどのように価値判断していけばいいのかという課題に直面しています。]と語り、受けて、柄谷さんは次のように語っている。少し長くなるが引用する。
[科学認識に関しては、哲学者カール・ポパーの考えが今でも参考になると思う。彼は、有限な事例から普遍的な命題をいかにして導き出すかをつぎのように説明した。普遍的な命題をまず仮説として立てて、それに対する反証が出てこない限りで、暫定的に真理であるとみなすと。
 科学認識は根本的に仮説である。ここで重要なのは、普遍的命題が「未来」という時間性を入れないと成立しない、ということです。普遍的命題はいわば「未来の他者」を前提とする。ゆえに、倫理の問題だけでなく、自然科学の認識に関しても、われわれは今ここにいる相手ではなく、異議を申し立てるかもしれない「未来の他者」を念頭においておかなければならない。今生きているいる、われわれの合意だけで判断することはゆるされない。〕
 
 以前、環境問題に熱心な若い奥さんから聞いた話しがある。
「もうやめた、みんな守らないから私たちの後なんてどうなったってしらない」といわれた。よく聞いてみると地球温暖化防止の話しをしていて口論になったという。
「未来のこどものためにやりましょう」といったら
「今は技術があるから大丈夫、まだ、生まれてもいない人たちに何で責任を持たなきゃいけないの」と聞かれ、キレたという。
「もう、みんな、勝手にやれば、もうしらん」とご機嫌斜めだった。
 確かによく考えてみると難しい問題である。
「次の世代の人に配慮する」という表現は環境問題でよく使われるフレーズだ。講演会やセミナーなどで、ごく普通に「次世代にツケを・・・」とか「子孫に美しい自然を・・・」とか講師が喋り、私もよく聞く。あたりまえに使っていると何か万能で、それだけでご利益が生まれてくるような言葉である。具体的なことを説かれなくても聞いたほうでもなんとなくわかったような気がして、聞いたことを免罪符にしてあまり突っ込まない。

 若い奥さんの相手は強敵だ。
次の世代の人々の存在や、義務、配慮といったものを認めない人を、どう説得するか、説得できるかこれは難しい問題だ。
存在していない「未来の人々」に対する義務感を持たない人をどう納得させるか。
 自分が死んだ後の世界、未来に何の責任も持たないでも、現世の人たちは少なくとも今を謳歌することはできる。 
私たちのできることは、柄谷さんのいう「未来の他者」を意識し配慮して、未来の世代に影響を与えず、危害を及ぼさず、危険を回避するために今を生きることにある。
 私たちは次の世代にこれだけは送りたいというものに、適度な気候・安全な水・汚されていない空気・安全な食糧・均衡のある大地がある。これらを汚染し、破壊し、荒廃させたまま未来の世代に送ることは避けたい。私たちの生活をする上のさまざまな選択は未来と因果関係があるのだ。この選択をどうするか。私たちはどのような社会を望んでいるのだろうか。
 環境問題とは倫理だというが、この社会のありようで環境倫理学は本当に地球を救えるのか。科学技術の開発・発達によって環境問題は解決に向かうのだろうか。未来の世代に責任を果たせるのだろうか。

(08/04/09)


  暮らしの話題農薬混入事件

 うちの常会の新年会は毎年二月に行われる。
一月はお互いにいろいろあって忙しいのでひと区切りした二月に行うのである。今年は辰野のパークホテルで開かれた。
 宴会前の茶のみ話で出たのは以下の話題であった。

 市街地活性化センターの今後
 高齢者医療制度の話
 中国製ぎょうざにまつわる話題
大きくわけるとこの三つだった。

 なかでも盛り上がったのは宴会を控えて中国製ぎょうざにまつわる話題だった。
「食の安全」は誰といわず関心が高い。この事件の発端とその経過はおのおの報道で知ってはいるが、問題はその先だ。
 「中国じゃありゃぁ絶対みとめねじー、みてましょ」
 「そうだね、いまに日本は困ることになるで」
 みんなの意見はこんなものだった。
うーん、そうか。
 中国は自分の国で人為的であれなんであれ農薬メタミドホスが混入されたとは認めないだろう。中国の高官もそれとなくほのめかしている。千葉、兵庫両県警は検出された農薬は日本国内で使われているものではないと断定、中国国内で混ぜられた疑いが濃いと見て捜査している。要するにわが国ではないといっているのだ。中国と日本はどこで幕を引くのか、どこで折り合いをつけるか常会の人たちはみているのだ。
 宴会のお膳をあらためてみるとさまざまなごちそうが載せられている。この食品がどこから来たもので、どのように加工されたものなのか、食べるとどんなリスクがあるか、などを心配しながら食べたのでは食の楽しみも酔いも醒めてしまう。
 これは確かに困ったことだ。

 常会の新年会は17日だったが、事態はその後動きが激しくなった。時系列で追ってみよう。
18日には中国で加工された冷凍サバ製品の切り身から、有機リン系殺虫剤成分「ジクロルボス」が0.14ppm検出された。おなじこの日警察庁は、中国公安幹部との情報交換会議を21、22日に東京・霞が関で開くと発表した。

19日には大阪市と広島県で大阪市の業者が輸入した中国製の業務用冷凍肉まんから、微量の有機リン系殺虫剤「メタミドホス」を検出したと発表した。

20日に新たな農薬が表れる。日本生活協同組合連合会は、中国・天洋食品で製造され、みやぎ生協(宮城県)が回収した「CO・OP手作り餃子(ギョーザ)」の袋から、高濃度の「ジクロルボス」とともに、同じ有機リン系殺虫剤で微量の「パラチオン」を検出したと発表。また、神奈川、静岡、山梨の3県で6生協を運営している
「生活協同組合連合会ユーコープ事業連合」(横浜市港北区)が販売した中国製の冷凍食品「レンジDEロールソースかつ(アスパラ入り)」(8個入り、200グラム)から、有機リン系殺虫剤「ホレート」が検出されたと発表。

21日、警察庁と中国公安省刑事偵査局による情報交換会議が21日午前、東京・霞が関の警察庁で開かれた。この日、警察庁の吉村博人長官は21日の定例記者会見で、有機リン系殺虫剤「メタミドホス」は中国国内で混入されたとする見方を示したが、中国外務省の劉建超・報道局長は21日の定例記者会見で、「現段階で、一方的で不完全な『証拠』に基づいて判断するのは、正しく責任ある態度ではない」と述べ、不快感を表明した。

22日には日本政府は食品危害情報総括官を内閣府に2人、厚生労働、農水、文部科学の各省に1人ずつ置き、連絡会議を定期的に開くことを決め、保健所や検疫所が常時対応できる態勢に見直しをした。同じこの日、中国国家品質監督検査検疫総局は、ニラ肉まんと冷凍とんかつを製造した二社について、日本側が単独出資した企業で日本側の基準に従って管理・生産が行われ、日本側の職員が駐在し、監督と管理を行っているとして、「日本側」の責任を強調した。

 どこで農薬が混入したのか原因解明が進まないうちに二つの国がけん制しあっている状況だ。食の安全はどちらの国でも大事なことではないか。
 日本政府もここに来て対策を急ぎ、法の改正、検査体制をみなおしているが小手先のことでいいのだろうか。人間は食べないと生きられないが、それを安易に他の国 に求めている現状を考えなくては解決には程遠いものだ。
 現に中毒の事件を受けて学校給食の現場では、食材を中国産から割高の国産品に切り替える動きが強まっている。文部科学省でも学校給食衛生管理の基準を見直す考えを明らかにした。各地の教育委員会でも学校給食の見直しを始めているが安全とコスト増に悩んでいる。

 学校給食に限らず、一般の消費者はここにきて購入時に食品の表示をみる人が増えたというが、この表示もひとすじなわではいかないものがある。
そのいい例が原産地表示に関わることだ。これには原産地(原産国)表示と原料原産地(原料原産国)表示という二つの考え方がある。
 今回の事件のように商品としてすでに完成したものを輸入した場合は「原産国表示」を、原料のみを輸入して日本国内で加工・商品化した場合には「原料原産地表示」ということになる。この「原料原産地表示」というものがくせもので、義務表示対象になるのは20品目あり、農産物加工食品、畜産物加工食品、水産物加工食品、その他にわけられていて、このほかにうなぎ加工品、かつお削りぶし、農産物漬物及び野菜冷凍食品には、個別の基準において原料原産地の表示が義務付けられている。この原料原産地表示の対象となる範囲から次の「加熱調理したもの及び調理冷凍食品に該当するもの」と「缶詰、瓶詰及びレトルトパウチ食品に該当するもの」は除くとされ、消費者にとってわかりにくいものになっている。
 義務表示対象から除かれたものについては、加工食品の原材料がどこのものか、産地をどこまでさかのぼれるかはっきりいってわからない。

 表示を正しく確認したところで安全が確保されるわけではないから、表示は一切みないという人もいる。どこかの国のものがあぶないそうだから買わないという人もいる。この一年あまりにも食を巡る不祥事が多すぎた。ミートホール、白い恋人、赤福、比内地鶏、船場吉兆へと至る「偽装」に今回は農薬混入だ。このため表示をはなから信用しない人が増えている。
 加工業者・製造業者・販売業者が、悪いことを悪いと思わず平気で消費者をバカにしだましてきた。消費者は信じなくなっている。消費者のなかにはトレーサビリティーをうたう人も多いが情報が多ければ大丈夫というものでもない。加工食品などでは特に難しいといわれている。生産者や原材料の透明性や商品の管理情報、追跡情報がいくらあっても「偽装」されたのでは安全を信じることはできないということを消費者は学んだのだ。

 販売業者のだましても売らんかなの姿勢にこの国(日本)も危ないと思った消費者も多いだろう。私もその一人だ。
食という生きるための根源的なものを他の国にゆだねて、この国はどこに行こうとしているのだろうか。ここにきて食料自給率を高めることや、農業の振興が叫ばれているが現実はそれとは正反対のものだ。農山漁村がどうなっているかをみるがいい。
 いま食品業界は食を巡る不祥事が露呈したように荒廃に向かっているようにみえる。缶詰とか冷凍、レトルト、保存食品は抗生物質や添加物によって成り立っているのだ。
 かって東北大学の木村修一博士は『人間は自分のおかれている存在状態(=食物環境)を知って、自然あるいは社会というものに自ら働きかけ、自ら食のあり方を選択できる生物』といったが、選択したのが冷凍食品やレトルト食品ではあまりにもさびしいのではないか。それとももうそういう食物環境ということか。

 今回のできごとについてナショナリズムを煽ることになっても困る。
食べるということは地球に住む世界中の人たちが限りあう食べ物を仲良く分けあって食べるということだ。食材は好むと好まざるに関わらずグローバルになっているから、どこの国でもお互い安全を第一に考えるべきだ。そして節度ある食べ方をしようではないか。
 いま日本では望めばなんでも食べられることから「食」ということをまじめに考える土壌が欠けているのではないか。世界ではいまでも飢えている人間がいることを心にとめ、豊かすぎて食を捨てたり余るような暮らしをみんなで考えていかない限り、また似たようなことが今後も起こるだろう。

 いつでもどこでもうまい食品が簡単に手に入ることに馴らされた果ての事件であるが、罪のかぶせっこをしているうちに本当に「そうだね、いまに日本は困ることになるで」になってしまう。

 (02/23)


   どうなるガソリン税の暫定税率

 通常国会が今日から始まる。
この通常国会で焦点になるガソリン税の行方に関心が高まっている。民主党は「ガソリン値下げ国会」と16日の党大会で阻止する姿勢を示したが、自民党は「暫定税率延長・堅持」を求めている。目を離せない状況だ。

 メディアでもこの問題についていろいろな報道がなされていて、このところ賑やかだ。
メディア・リテラシーなどと難しいことをいうつもりはないが、ここはしっかりとして判断をしなければならないと思う。
 単純に期限が切れれば、1gあたりレギュラーガソリンが25円ほど安くなるから、消費者には恩恵だが、国や地方では道路特定財源がなくなると、道路の整備が進まないと危機感をあらわにしている。

 どうも構図が二者択一のようになってくるのが気に入らないところだ。
 民主党は解散を求めて審議拒否をして政局にするつもりだし、与党は衆院で再議決をするとみられているから混乱は続くと見なければならない。
国民としては安くなるのはいいことだが、ほんとにそれでいいのだろうか。
 国立環境研究所はガソリン及び軽油に対する課税(道路特定財源)を暫定税率から本則税率に変更した場合,2010年の二酸化炭素排出量が約9Mtc増加するという結果を得たという。これは価格が下がることによって、いままで我慢をしてきた反動がくるというもので、特に個人の消費が伸びるといわれている。運輸業界は仕事もないのに飛び回ることはしないから、それほど増えないだろうといわれている。

 自家用車の利用は「たくさん乗ったほうが得」という人が多いのは事実だ。「乗っても乗らなくてもかかる経費」購入費や保険料、取得・保有の税金、整備や車検などにかかる経費が高いため、あればいきおい「乗らなきゃ損、たくさん乗ったほうが得」ということになりやすい。軽自動車の燃費の良い車を選択しても「安いから良かった」とばかりに乗る回数が増えればCO2の削減は難しくなる状況になる。
 CO2の削減だけではなく道路特定財源の問題がある。民主党はガソリン税など道路特定財源の暫定税率延長案件を、切り離して審議するよう求めている。ほかの野党も足並みをそろえている。与党は自治体の「予算を組めない」「道路整備が進まない」の声を受け、対応を急いでいる。
 長野県でも延長されない場合を想定(本則税だけに)して試算をしている。仮に暫定税率が廃止された場合どのような影響が出るかを、現行の制度や財源構成を前提に試算しているものであるが(道路建設課のホームページで公表)4割減、6割減、8割減を対比させて紹介している。
 塩尻市ではどうなるのだろうか。これも県は試算している。塩尻市の場合税収(現在の暫定税率・18年度)は488(単位百万)であるが、延長されなかった場合の減収額は250(単位百万)になると試算されている。
 自治体の苦境を聞いて民主党は「そのための法律を出す」というが、どのようなものになるかまだ不透明だ。

 どっちかを選べという前に、前からわかっていたことだから与党も野党もやりようはあったはずだ。
日本のガソリンはコンビニで売っている水より安いといわれてきた。世界では日本より税負担率が高い国はいくつもある。イギリスなどは200円を超えているが、日本のようにインフラ整備にまわすことはしていない。インフラ整備よりも需要管理の方向に向っているのだ。
 個人的には私はいまの価格でもいいと思っている。もう石油は新しい油田も望み薄だし、早晩枯渇することは目にみえている。ここは我慢していこうと決めてはいるが、国の施策が見えないのが残念だ。
 課税(道路特定財源)をインフラ整備だけに使うのではなく、カーシェアリング(自動車の共同利用)や、低燃費車、低排出ガス車の税の軽減を大きくすることが望まれる。地方では車がないとどうにもならないところもあるから、公共での交通システムをもう少しきめ細かくすることも必要だろう。このような需要管理につかうお金なら喜んで負担するつもりだ。どんな議論がなされるかここは注視してみたい。

 (08/01/18)


   日本はどうする排出権取引

 1月3日の朝日新聞の一面と二面に二酸化炭素の排出権取引市場の記事が載った。
おとそ気分がいっぱいのままこの記事を読んだ。見出しは「CO2が経済回す」だ。ロンドンの「カンターCO2e」排出権ブローカーの取引を紹介している。

 「カンターCO2e」が扱っているのは、EUが05年1月に始めた取引制度に基づく排出権で、欧州取引初日の2日の初値は1d当たり22.5ユーロ(約3700円前後)だったという。
 EUの排出権取引はこうだ。
 EUは畿内の工場や事業所約1万1千を対象に、CO2の排出量の上限を割り当て、その枠を越えた場合は08年から1d当たり100ユーロ(約15700円前後・0801/13現在)の罰金が科せられる。排出枠より多い会社は罰金を避けるため、他から排出権を買い、排出枠以内に抑えられば余った分を売ることができるというものである。
 この制度は97年に採択された京都議定書のメカニズムの一つだが(国や企業が温室効果ガスの削減目標を達成するための補完的手段として、先進締約国(Annex B)の温室効果ガス排出削減量が京都議定書の定める所の削減目標値を達成し、更に削減できた場合に、その余剰分を金銭を対価として他国へ売却できる仕組み(または逆の場合には購入する)を、EUは畿内に当てはめたものだ。畿内のイギリスは2002年4月に世界初の国内取引市場を作った。

 この「カンターCO2e」もネットや電話で千d単位で注文が入り、一日数百万dが売り買いされ、数億ユーロが動くといい、この取引市場にはヘッジファンドやオイルマネーなどの資金が流れ込んでいるという。EU市場での価格は当初の3倍に高騰しているといわれる。
 この排出権取引市場は米国、豪州、シンガポールなどでも導入が進み、全体の市場規模はEUを中心に06年には300億jを超え、07年には倍増したとみられている。
 欧州の電力会社はいままで、石油、石炭、天然ガスといった燃料の価格にあわせ稼動する発電所を決めていたというが、市場導入を機に排出権価格を指標の一つに加え、発電のため排出されるCO2を排出権購入でまかなった場合いくらかかるか計算して、どの燃料でどの発電所を稼動させるか決めるという。

 おとそ気分が醒めたのは次の記事だ。
 約束期間(08-12)の5年間で日本の排出権需要が「10億d」になる可能性もある」という投資銀行のつくった資料に書かれていたという記事だ。世界の市場関係者のあいだでは「日本は排出量の大幅削減は難しく、12年の約束期間の終盤に大量の排出権を購入するしかなくなるー」という共通のシナリオがあるといわれる。
 市場では日本が必要とする排出量は5年間で最大10億dともいわれていることから、日本の需要による排出権価格の高騰を見込んで欧米の金融機関が、高い価格を提示して量を確保しているという。価格が二倍になれば5兆円、いまのままでも2兆円以上の金がCO2のために使われるということになる。
 日本は京都議定書で90年比6%削減の義務を負ったが、うち1.6%分(約1億d)を途上国で温室効果ガスの排出量を減らすCDM(クリーン開発メカニズム)などの排出権購入でまかなう計画で06年度から購入を進め、08年度予算案では308億円を当てる計画だ。電力や鉄鋼業界では「自主行動計画」で1億6千万d余りを 購入する計画だ。だが、06年の排出量(速報値)は6.4%も逆に増えてしまっている。
 世界の市場関係者はもう日本の需要を見込んで値上がりを期待して13年以降の排出権も買っているという。日本が削減できないことをみこし世界が日本の金を待っているのだ。

 日本も2005年以降に国内市場を作ることが予定されていたが、経団連の反対でできていない。経団連は「排出権取引はCO2の削減に役立たない」とにべもない。世界では、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランドはEUの市場と連携を模索し、削減義務のない米国も市場創設と全米50州の半分が排出権取引を導入する計画があるという。
 前にもこの欄で経団連に触れたが、政府は下々には削減、削減と押し付けるが、経団連には弱く経団連の国際競争力を失うという主張に押され気味だ。「遅れれば遅れるほど高くつく」と忠告をしている市場関係者もいるのだから、このままでは高いものを買わされるのは日本だ。

 「ホットエア」と呼ばれるものがある。これは削減目標に対し、相当の余裕をもって目標が達成されることが見込まれる国々の達成余剰分を、日本が金にものをいわせて買いまくるのではというさもしい話がもうささやかれている。「ホットエア」を買えばそれでいいという話だが、これは先進国の削減の努力を阻害するもので、もし日本がこれを取引するようでは世界の笑いものになるだろう。
 ここは我慢して地道に削減の努力することが必要だ。乾いた雑巾でもう絞れないという話しもあるが、日本の省エネ技術は最高だといわれているから望みはまだ捨てたものではないが、いかにせん政策にみるものがない。
 補給支援特措法などに血道を上げているときではないのだ。ただで燃料を入れてもらえば誰だってお世辞の百もいうだろう。特措法より温暖化防止に熱心であって欲しい。政府も議会も議員もいまやらなければいけないことに目を向けて欲しい。出すのは税金だから「遅れれば遅れるほど高くつく」ことのないよう取り組んで欲しい。

 (08/01/14)


   電気炊飯器

 我が家の電気炊飯器の具合がおかしい。
休む間もなくこのところ働いてくれたのに、ご機嫌がななめだ。これは困る。私にとって副食をつくることは大変な手間がかかるのに、この上、炊飯器に反乱でも起こされては敵わない。

 かって日常の生活では主食の米を炊くことが大変なことだった。主食の用意をするのに大変で、副食のおかず類に頭を悩ませることなどあまりなかった。主食依存型の食生活といえよう。ご飯に漬物、煮物に小魚が一品あればそれで家族全員が食べることができたのである。
 一汁一菜といった食の習慣が永く、ご飯さえあれば一日のカロリーと蛋白質を維持することができた。そのため、腹いっぱい詰め込むことにもなり、おこひる(間食)もおにぎりだったりしたため、栄養がかたより脚気になる人が多かったのも事実である。
 戦後、小作制度が廃止されるまで農家でも精白された米を主食にすることはまれだった。麦飯はいいほうで粟などの雑穀を混ぜたり、大根や芋などを入れ増量して食べていたのである。小作農は自分がつくった米を小作米として取り上げられてしまうため、日常の食事はつつましいものであった。 
 親父から聞いた話であるが、昭和10年ころ近所の小作農が集まり、地主に小作料の減免を願うべく出かけたが、地主の顔をみると誰も何もいわず、押し黙ったままなので、ごうをにやした親父が意見をいうと「黙れ」といわれたという。「みんなも応援してくれず、ほんとうにせつなかった」と話してくれたことがある。
 近世の日本の社会では「石」という単位で経済が運営されていた。よくいう松本10万石というのも玄米の生産量を単位に土地の評価を決めたものであり、江戸時代の武士の給料は扶持と呼ばれ、一人扶持は一日に玄米五合が支給されたという。
 これが明治時代になると一人一年に消費される米は玄米で一石といわれ、一日になおすと二・七三合になる。これからみると江戸時代も明治時代もあまり消費量は変わっていない。玄米五合を支給された江戸時代も扶持のなかから生活するための費用を捻出しなければならず、玄米は精白すると約10%目減りするので明治の時代と同じくらいの消費量とみていいだろう。「松本10万石」というのは10万人の人が一年生活できるということなのである。
 現在はどうであろうか。
米の消費量がピークに達するのは昭和37年(1962)である。約118kg(約二俵)が一年間に消費されたが、平成18年度になると61kg(約一俵)とピーク時の約半分になってしまった。これは「1俵=玄米60kg」と計算すると400合ということになり、一日あたり約1.1合が消費された勘定となる。江戸や明治、大正、戦後の時代を経て昭和の中ごろまで、あまり変わらず推移してきた米の消費量はここにきて急激な落ち込みをみせる。
 なぜ食べられなくなったのであろうか。
昭和40年ころから日本は高度経済成長時代が始まり、ちょうどその時期と米の消費量が減るのが重なる。経済的に豊かになり、欲しいものが買えるようになるにつれ、食生活も豊かになり、外食産業も手をかえ品を変え、一億総グルメへと突入した時代である。米はいまや主食の座を滑り落ちようとしている。主食依存型から副食依存型に食事様式が変わってしまったのである。その結果弊害もいわれるようになった。肉や魚を多食するようになり成人病など健康面が心配されている。

 飯炊きのお手伝い
電気やガスを利用する炊飯器が普及するまでは、くど(かまど)で炊くのが普通であった。大きな家になると勝手場の隅にいくつものかまどがあり、飯炊き用、味噌汁用、お湯用など一度で使えるよう四つくらいのかまどがあったものである。普通の家では二つのかまどを上手に使いまわし、囲炉裏で煮物やお湯を沸かしたものである。家の外にもくどがあり、飼っている牛や豚などに残物を煮て与えるために使っていた。
 これらのかまどを使うのは主婦の仕事で、三度三度の食事の支度にたいへん気を使ったのである。主食の米を炊くことが意外に難しく、水加減、火加減が焦げ飯や芯のある飯をつくるのでおろそかにはできない。
 「始めちょろちょろ、中ぱっぱ、ブツブツいう頃火を引いて,赤子泣いても蓋取るな、親が死んでも蓋とるな」といわれ上手に炊く秘訣とされた。これは火加減のことであるが、釜をかけたら始めはちょろちょろとした火で炊き始め、中ごろは、ぱっぱと(勢いよく薪を燃やす)くべるのが上手とされたのである。これを忠実に守るにはかまどの火をいつもみていなければならない。主婦の大切な仕事である。
 手伝いのできるような年頃の子どもがあれば大きな戦力となる。子どもでも慣れてくると上手に炊けるようになり、水加減も上手にできるようになる。残り火を加減し蓋をとらずにふっくら炊けたときなど子ども心でも嬉しいものであった。かまどの端にあったマッチ、火吹き竹、うちわなどが懐かしい。
 かまどが壊れると近所の左官屋さんが修理してくれた。左官屋さんは「かまど」のことを「くど」というのは、土に石灰やにがりを入れてつくるので舐めると苦いから名がついたと教えてくれたが、タイルを張った「三和文化かまど」という二口のものに変わったのは小学4年生のころであった。炬口が小さく使いにくかったのを覚えている。
 昭和30年(1955)登場した電気炊飯器は、高度経済成長の時代の波と会い重なり主婦の仕事を大いに軽減することになったが、副食物への比重が高まったのは皮肉の現象といえよう。米の消費量が減っていることがそれを裏づけている。主婦は米を炊くよりもっと手の込んだ副食づくりに励まねばならなくなったのだ。
 副食物も漬物や煮物などから焼き魚、肉、干物などの料理が付け加えられ、多種多様な副食が食卓を飾るようになり、かってはハレの日でなければ食べられないような献立で並ぶ。その結果健康障害まで起こす原因となってしまった。
 国では米の消費拡大と生産基盤の農地の保全、自給率の向上に力を注いでいるが歯止めがうまくかからない。またバイオマスエタノールの原料稲などを栽培するべく作付けも始まっているが思うように進んでいない。地球温暖化防止のため水田の持つ機能があらためて見直されているが、耕作者の老齢化や米の消費減退傾向があるため稲作農業は縮小されつつあるのが現状だ。この11月30日、農水省は2008年産米の全国の生産目標数量を815万d、作付面積で154fに設定すると発表した。これは07年産の生産数量に比べ、39万d、作付面積で10万f少ない。生産調整は避けられないのだ。米の消費量が毎年1%程度減少するなかで、07年産は31府県で過剰作付けとなっている。このため米の価格は下落を招いている。

 我が家の電気炊飯器は何世代目になるか覚えていないが、平成9年(1997)に買い換えたものだ。最新のIH 式ではないがもうすこしがんばってもらいたい。

 (07/12/03)


  廃食用油収集運搬事業に関わって
  元気と笑顔をもらいました。

 今日はNPO法人春の小川の廃食用油収集の日です。
朝5時40分、「こぶなの家」に向かいます。ケアーホーム「こぶなの家」ではすでに世話人さんが朝の仕事をしていました。
今日は大門1番町から贄川までの収集です。廃食用油の収集は朝の容器の配置と回収がセットになっているもので、入居者と一緒に行う作業ですが、今日は三人が参加、それを支援する人が四人、計七名で行うのです。
軽トラにポリタンクを積み込み、みんなで数を確認、6時にそれぞれ車に乗り込みました。さあ・・出発です。

 入居者は廃食用油収集の日を楽しみにしています。お小遣いが増えるのとちょっとした旅ができるからです。
入居者の仕事は、収集場所へポリタン容器の設置と回収、容量の確認とノートへの記入などがおもな仕事です。設置場所の所定の位置にきちんと置き、容量の確認も、もう慣れたものです。間違えるとお互いに注意しあって、私たちの手を借りるような甘えはありません。みんな元気がいいのです。
 贄川の分館前で一休みしました。みんなで写真を撮りました。はじけるような笑顔がなんともうれしかったです。

 いま国の制度改革で、障害を持つ人や家族、支援する人たちに厳しい風が吹き、障害者があたりまえに、しあわせに暮らせることが難しくなっていますが、笑顔をみると力が湧いてきます。朝のひとときささやかですが、自分のできることをやってみようとあらためて感じた一日でした。
 みなさん、元気と笑顔をありがとう。

 (07/07/27)


  キャンドルナイト

 もうすぐ夏至です。
今年の夏至は6月22日ですが夏至の日に「100万人のキャンドルナイト」がやってきます。地球温暖化防止などを謳う環境団体がこの日を“みんなで一斉にでんきを消してスローな夜を”と呼びかけていますが今年で5年目を迎えました。
 夜の8時から10時の2時間、明かり(電灯)を消してキャンドルの柔らかい光を楽しもうというイベントです。カナダから始まったようですが、日本でも東京タワーなどのランドマークが夜8時になると消えることで有名になりました。やくやく電車や車でカウントダウンのようすを見に行く人も現れました。おかしな光景です。
 我が家ではデッキにキャンドルを置いて楽しもうかと考えています。
普段は9時消灯が原則なのですが、まあ、1時間くらい早めてもいいでしょう。本当はブレイカーを落して家中の電気を止めてもいいのですが・・・・。
 
 ツェルトやテントのなかで灯すキャンドルはなかなか乙なもので、友と酒を酌み交わしながらいろいろ語り合ったものでしたが、最近は山に行く機会が少なくなりキャンドルの温かいゆらゆら揺れる灯りが恋しくなります。
 本当ならスローな生活をおくりたいのですが、そうもいきません。
登山は遊びですが、日常の生活は労働をし、その対価を受け取るということで成り立っています。仙人のように霞を食べて生きているわけではありません。文明を楽しむためには、しかるべき対価を支払わなければならないのです。人間は愚かしい生き物で豊かな暮らしを求めて右往左往して生きているのですが、どうもうまくいきません。神様もおかしな生き物を創ったものです。

 6月22日の夜は、ぼんやり考えてすごそうと思っています。

 (07/06/10)


  カナダが京都議定書目標6%削減を不可能と

 朝日新聞5月1日の記事によると
 『カナダのベアード環境相は29日までに、温室効果ガスの排出削減の義務を定めた「京都議定書」による6%の削減目標を、期限の2012年までに達成するのは不可能と表明した。議定書の主要な批准国で、目標達成が不可能と正式表明したのは初めて。同じ6%削減を義務づけられている日本を含め、各国の対応に影響を与えそうだ。カナダからの報道によると、同環境相は新対策として、2020年までに温室効果ガスの排出量を現在の水準より20%削減する方針を示した。京都議定書のカナダの目標値は「90年より6%少ない排出量」だったが、現段階で90年より30%多く、目標達成は不可能と判断した。環境相は新対策の経済負担について、国内総生産(GDP)を0.5%引き下げる可能性があると指摘した』
 と、いう記事が掲載された。
 「おい、おい、にげるな」と思った。

 京都議定書の第一約束期間(08年ー12年)の温室効果ガスの排出を全体で、90年比5%減らそうとしているが、取り組みの開始は来年である。目標を守れなかった場合、不足分を1・3倍して次の約束期間で上乗せして減らさなければならない。このような取り組みが始まろうとしているときに、カナダの断念は大きな驚きである。
 カナダは新対策で「20年までに排出量を06年に比べて20%減らす」と表明したが、米国のゴア元副大統領は「完全なごまかしだ」と新対策を批判したという。
 
 日本も6%の削減義務があるが、05年度の排出量(速報値)はプラス8.0%になっているので、14%ぐらいの削減が必要ということになる。05年度で90年比業務がプラス36.8%。家庭部門ではプラス28.9%の排出量である。
 すでに日本でも未達成を想定した意見が出ているという。議定書を離脱したアメリカ、経済発展が著しい中国、インドはもともと枠組みに入っていないこともあり、「実効性のない枠組みは意味がない」とか「目標を達成できない可能性を考えておくべきだ」とか産業界からの意見がある。カナダにしても石油産業への配慮や経済が不況になるなどの意見がありまとまっていない。排出削減のためには、強制的なエネルギー消費量の削減等が不可避であり、経済成長率が低下することを避けたものと見られている。

 日本は京都で約束をしたことを守る。これが大事だろう。守る準備ができた国から始めていかないと進まないが、参加している国が少ないなかでのカナダの断念は痛い。日本と同じ削減目標だっただけに仲間を失ったような気分だ。
 日本でも一枚岩とはいえない事情がある。日本の経済界を日本経団連が代表して京都議定書が発効する前日「地球温暖化防止に取り組む産業界の決意」を述べた。そのなかで、『京都議定書の発効を受けて、近く政府は大綱をもとに京都議定書目標達成計画を策定するが、国民や企業の活力や自発的な取り組み意欲を殺ぐような施策は決してとるべきではない。国民や企業の持つ力を信じ、その自主性を尊重し、創意工夫をひきだすことで、環境と経済の両立を目指していくことを強く要望する。産業界は、引き続き主体的に地球温暖化問題に取り組むことで、目標の達成に積極的に貢献していく決意である。』と、政府に産業界全体を代表して意見を述べ、環境税などの導入には国際競争力に大きな影響を及ぼすと強い調子で反対している。国は日本経団連に押され気味だ。
 
 世界でも排出削減の優等生といわれる国がある。
 EU諸国も旧15カ国全体で8%削減となればよく、英国もブレアが残された任期中にと地球温暖化の対策に力を入れている。削減目標は12.5%だったがすでに達成、2010年までに20%の削減を目指している。政策は複雑ではあるがきめ細かい。気候変動税と気候変動協定という減税を組み合わせ、排出量(権)取引がある。エコノミストであるニコラス・スターンの「スターン・レビュー」と呼ばれる気候変動に関する報告書などが政策を後押ししている。英国財務省がスポンサーで排出量(権)取引を狙っているともいわれているものだ。どちらの国も準備ができている。
 
 2013年以降の核組みがどうなるかまだわからないが、日本を含む先進国の取り組みが途上国から問われそうだ。日本の排出量は運輸部門、家庭、業務部門での排出量が大きい。この3部門の削減が急務だ。

(07/05/02)


  家庭でできる温暖化防止対策  その2

 自転車を使うか歩く。
 買い物などでもほんの200bくらいの距離でも車を使っていませんか。
車は現代では欠かせないものとなりました。エネルギーは石油ですが、これがいつまで使えるか、安定した供給がなされるかわからない状況です。WTIなどの動向も原油価格が上がるのか、下がるのかわかりません。良質な油田(軽質スイート原油)もみつからないし、日本でもロシアとのサハリン開発など、エネルギー安全保障のために始めた努力も実を結んでいません。どうもかんばしくない状況です。

 週2日往復8kmの車の運転をひかえる。
これで年間約、185kgの二酸化炭素削減ができます。
お金にすると年間約、8,000円の節約ができます。      
          (環境省調べ)(一世帯当たり年間二酸化炭素排出量:約5900kg)
          ガソリン(リットル)使用量×2.3(二酸化炭素排出係数1999年のデータ)=  s(二酸化炭素排出量)
                                              
                              
 歩いたり自転車を使えば健康にいいことはわかっていますが、文明の利器は使えば手放せません。出来そうでなかなか出来ないのが正直なところです。
私の家などは郊外の辺鄙なところですから大変です。駅まで2キロ街までは6キロ、歩くと約1時間です。以前飲んだ帰りに歩いて帰りましたが、酔いで脚の戻りが悪かったのかエベレストへ登るような苦しみでした。(エベレストにいったことはありませんが、多分こうではないかという想定)
 自転車も買い物程度でも坂になると心臓がドキドキしてこれも大変です。酔っていては乗れませんから最近は飲み会のお誘いは極力断っています。「なんだい、代行でけえりゃーいいじゃんかい」といわれても「温暖化防止をしているので・・・」とはいい難いのです。代行で帰れば年間の節約分と削減量がパーですから。酔ってもこのくらいの実感はあります。 
 車も燃費のよいものが売れるようになりました。軽自動車の伸びがそれを示していますが、普通車より車体重量が重い車もありますから買うときには気を付けましょう。トヨタやホンダのハイブリットカーも人気です。
 二酸化炭素の削減にバイオエタノールが有望視されています。これは農作物が生長する過程で大気から取り込み固定化した二酸化炭素を、燃焼により放出するため大気中の二酸化炭素が増加しないことから、温室効果ガスの排出量は0となるので期待されているものです。国産の資源で賄えるか、廃材や森林間伐材での生産技術がまだ開発段階のため、恒久的に導入できるかはっきりしていません。自動車用燃料としてはブラジル、米国等ですでに普及していますが、わが国ではスタンドなど供給設備や流通設備の改造に多額の費用がかかることや、ガソリンとの混合比率もあり、税制などがはっきりしないため検討されているという段階です。


一口知識
 WTI=West Texas Intermediateは、アメリカ合衆国南部のテキサス州で算出される原油のこと。代表的な原油価格の一つ。(映画「ジャイアンツ」でJ・ディーンが掘り当てた場面が思い出される)
テキサス産で採掘される原油は「 軽質スウィート原油」(ライト・スウィート・クルードオイル)と呼ばれ、硫黄分が少なく、ガソリン精製やジェット燃料に適した上質の原油。先物取引される。

 (07/04/21)


  家庭でできる温暖化防止対策  その1

 温暖化防止といってもどこか遠い世界のことと思ってはいませんか。
何パーセント減量といわれてもどうすればいいか考えてしまうことと思います。なに、あまり難しく考えることはありません。
 家庭で出来ることを始めればいいのです。ちょっぴり生活のスタイルが変わりますが、日ごろの暮らしを見つめ直すつもりで気軽に取り組みましょう
。むきになって取り組むとストレスも溜まります。こだわることも良いことではありません。忘れても苦にしないことです。
 今日はその1回目です。

 冷房の温度を1℃高く、暖房の温度を1℃低く設定する。
これで年間約31kgの二酸化炭素が削減できます。お金で約2,000円の節約になります。(環境省調べ)
 
 これからの季節は冷房が必要な季節に入ります。5月の連休を過ぎるととたんに夏のような陽気になります。街ばに住んでいると舗道の照り返しなどがたまらなくなりますが、カーテンなどで陽の光を調整したり、着るものの工夫が必要です。
 冷房の必要のないお宅もあると思いますが、冷房を始める時期を遅らせることも必要です。打ち水をしたり、暮らしにみどりを取り入れることなど工夫してみましょう。寝苦しい夜は網戸を上手に使ってみましょう。
 最近の高気密住宅では冷暖房機が標準装備となっていますが、上手に使わないとエネルギーが無駄になります。戸を開けると設定された温度まで戻そうと機器が働くからです。昔の家は表も裏も戸を開けて戸外の自然の風を楽しんだものですが、味のある家が少なくなりました。

(07/04/20)


暖かい春

 いつになく暖かい春を迎え、戸惑うような毎日です。
時折寒の戻りもありますが、これは三寒四温のうちに入るものですからしょうがないとしても、例年この時期には上雪(かみゆき)がくるのですが、今年はくるのでしょうか。桜も例年より早まりそうです。
 暖かいとなにか儲かったような気持ちになりますが、あとで付けを払わされるような気分で落ち着きません。この暖かさは地球温暖化が原因ではないかといわれていますが、あまりにも大きな環境問題で、普段地球環境などに意識を向けていないだけに実感できないのが現状です。
 いま地球温暖化を防ぐためにさまざまな取り組みがされています。塩尻市でも平成17年度に「塩尻市地域省エネルギービジョン」を策定して、平成27年度までに二酸化炭素を、平成17年度に比べて11.2%削減する目標を定めました。この取り組みを進めるため、「ごみ収集計画等地区説明会」などで、市民に省エネの説明会を行っています。この10年間で11.2%削減する目標はかなり意識していないと守れない数字です。市では一般家庭だけでなく、事業者・行政を含め実施していくことを求めています。
 この二酸化炭素の削減に良い方法があります。環境家計簿に記入してみることです。塩尻市では「資源物・ごみ収集カレンダー」を毎年ごとに各戸配布しています。このなかに今月の環境家計簿という記入欄があります。ここにまず記入してみましょう。
 子どもさんがいたら任せてみるのもいいと思います。一年間記入してまとめてみると我が家のエネルギーのあらましがわかるからです。

 環境省・省エネルギーセンターによると、石油ファンヒーターの暖房の温度を1℃低く設定すると1年間の年間二酸化炭素の削減効果は約27kgで、約500円の年間節約効果があり、炬燵だと温度設定をこまめにすると約30kg、約1800円節約できるということです。
 この暖房をなんとかしようと、私の家では室温を18℃に設定することにしました。
 暖房機は12月に入ってから取り付けました。温湯暖房ですが三部屋だけ暖房します。各室内機のタイマーを2コースに設定。入時刻と切時刻を部屋ごとに決め、速暖運転はしない設定にしました。これは速暖運転で待機させると約100Wの消費電力がかかるためです。就寝時は暖房を止めましたが、寒いことはありませんでした。朝3時間(6時から9時)、夜4時間(6時から10時)の運転です。サーモセンサーが作動するため連続して運転することはありません。日中はカーテンを開けて暖房を止めていますが、一月の寒い日でも13℃で、これより下がったことは一度もありませんでした。
 私が寒がりではないということもありますが、午前9時で暖房の止まる日中は重ね着で対応しています。この春(二月中旬ー三月)にかけて暖かい日が続いたときは部屋の温度は17℃でした。このくらいならなにもしなくても良い温度です。ちなみに炬燵は一つもありません。
 塩尻市では20℃で暖かく暮らしましょうといっていますが、まあ、快適温度ですから無理をしてこれより下げなくてもいいでしょう。快適温度は湿度によっても異なります。湿度が高いと暖かく感じられます。直接暖房だと室温が高くなりすぎて湿度が低くなってしまい、乾燥して風邪などを引きやすくなります。冬はいたって乾燥しやすい季節ですから気を付けないといけません。私は室温を低めにして部屋のなかで観葉植物や鉢花を育てていますが、ここ20年くらい風邪を引いたことがありません。
 去年までは石油を直接燃焼させる方式でしたが、家を新築するにあたり、みどり湖区は寒いので高断熱高気密の住宅にしました。暖房も室温をこまめに調節できる輻射暖房がいいと思い、大工さんにお願いしたのですが、結果的に良かったと思います。床暖房はしてありませんがフローリングが冷たいということもなく有難いです。高断熱高気密住宅は乾燥しやすいので、植物などで湿度を保てるよう工夫しています。おかげで燃料費や電気料が節約できました。今年と来年、どうなるか環境家計簿につけて比べてみようと考えています。
 塩尻市でも、今年(19年度)の「資源物・ごみ収集カレンダー」の環境家計簿の記入欄に新しく灯油とガソリンの項目が、また燃えるごみとうめたてごみの小さな袋が追加されました。面倒なようですが項目に記入して、二酸化炭素の排出量を計算してみるとどのくらい削減できたか目に見えるようになります。
 まずは第一歩を踏み出しましょう。

(07/03/09)


  食用廃油で固形せっけんを作る。

 「食用廃油でせっけんを作りたいが・・・」とよく聞かれます。
難しいことはありません。案外かんたんに出来るので思いきって作ってみませんか。

 用意するもの

原料
 食用廃油       3g
 苛性ソーダ     450c(フレーク状のもの)
 水          850cc

道具 
 1斗缶 (ブリキのもの)なければ2gくらい入るバケツ
 太目の棒(1bくらいのもの)
 牛乳空パック 4個
 手袋(ゴム製の掃除用のもの)
 
 作り方の手順
1. 1斗缶に苛性ソーダ、450gを入れる
2. 水(850cc)を静かに注ぐ。棒で掻き混ぜ、苛性ソーダをよく溶かす。
    注意すること ガス化するので吸い込まないように注意する。風上に立って行う。
           苛性ソーダには直接触れない。手、目に注意(やけど、失明の危険あり)
           まず苛性ソーダ、次に水の順序。
3. 食用廃油3gを、静かに注ぐ。20−30分よく棒で掻き混ぜる。だんだん、どろりとして来る。
    注意すること 液を衣服に飛ばさない。(前掛けなどをしたほうが良い)
4. 牛乳パック4個に分け入れる。
5. 風通しの良い場所で、子どもたちの手の届かないところに、1ヵ月くらい置く。
6. 使いやすい大きさに包丁で切る。完成。 

細かな注意点
 廃油は網などで、ごみ(天カス)などを取ると綺麗にできます。
 苛性ソーダの量、廃油の量など加減すると硬さが変わります。水は廃油に対して30−40%が妥当。
  廃油より苛性ソーダを多くしてはいけません。
 苛性ソーダの購入にはハンコ(印)が要ります。薬局で売っています。
利用方法
 アルカリが強いので、食器などの油汚れがよく落ちます。
   靴下、軍手などのがんこな汚れ落としに最適。毛糸、絹物、毛髪洗いには適さない。

苛性ソーダの取り扱いの注意
 保存、保管に気をつける。
  劇物マークを付け、プラスチック容器に入れ、子どもの手に届かない、湿気のないところに保管する。
  ガラス瓶、金属製の容器はダメ。
 扱うときは必ず手袋をする。
  素手で苛性ソーダフレークをさわらない。付いてしまったらすぐ流水で洗い流す。手袋に付いたものは水で洗い流す。
 掻き混ぜるときは戸外で
  子どもやペットが来ないように安全な、平らな場所で、風向きに注意しガスを吸わないように気を付ける。
 一ヵ月待つこと。
  せっけんになるまで、強いアルカリ成分があるので素手で触らないこと。
 使った道具はすぐ片付ける。
  ゴム手袋をして新聞紙などで拭き取り、流水で道具(1斗缶、棒)を洗う。放置しておかない。
 
 要は苛性ソーダの取り扱いに注意することです。苛性ソーダは、水酸化ナトリウムといわれ化学式はNaOH です。
廃棄物の廃酸中和剤、上下水道の中和剤、食品製造、石鹸・洗剤の製造、乳製品など製造パイプライン洗浄に使われています。
  
(06/12/20)


  衛生部長日記その6
            「塩尻市浄化センター」と「塩尻朝日衛生施設組合最終処分場」見学

 10月5日(木)塩尻東地区衛生協議会は施設見学を実施し、東地区の衛生部長12名が参加した。
見学した施設は「塩尻市浄化センター」と「塩尻朝日衛生施設組合最終処分場」である。
 地区センターを午前9時に出発、「塩尻市浄化センター」から見学した。

 「塩尻市浄化センター」では担当の、所長から浄化センターの概略について説明を受け、副所長から処理の流れの細かい説明を受けた。
 
塩尻市浄化センターの運転開始は、昭和60年3月で、処理能力は1日/30,700立方メートルあり、市の職員3名とメンテナンス会社で業務を行なっているとのことである。
 処理の流れは、家庭、、商店、工場などから出た汚水は沈砂池で大きなごみや砂などを除去、主ポンプで水処理に送り、最初沈殿池でさらに小さなごみを取り除き、反応タンクで微生物が汚れを食べ、最終沈殿池では汚れを食べた微生物は沈み、きれいになった水は塩素混和池へ送られる。最終沈殿池で沈んだ微生物は余剰汚泥と呼ばれ、半分は再度反応タンクに送られ、残りは機械濃縮へと送られて水を取り除きボリュームを減らし、脱水機に送られる。脱水機は「ベルトプレス式」という方法で昔の洗濯機の脱水、ローラーに布をはさんで絞る形式に似たもので水分を取ると汚泥になるとのことである。1日に約15dの汚泥ができるということで、汚泥の80%はセメント会社でセメントの原料として使われ、残りの20%は焼却するため栃木県に送られ処分されるという。浄化されきれいになった水は塩素混和池から奈良井川に放流されるが、汚水の受け入れから放流までの時間は17時間という。約1日である。
 実際に最初沈殿池から反応タンク、最終沈殿池までの流れを見せてもらったが、淡い黄土色のお風呂の汚れたような臭いのする汚水が最終沈殿池から出てくると透明となっている。夏は処理が早く冬は遅いという。反応タンクは薬品での処理はせず微生物による処理で、その活動を空気の量で調整するが「全面ばっ気方式」が2系列、「旋回流式」が6系列で処理しているとのこと。ほって置くと微生物は倍、倍と増え汚泥だらけになるので活動を空気で調節するのだという。
 この施設は昭和60年3月に運転開始され、増設を含め100億円が投じられたという。

 次は「塩尻朝日衛生施設組合最終処分場」の見学である。
施設は朝日村にあり塩尻市の環境保全課職員が説明にあたった。塩尻市は朝日村と共同でごみ処理を行なっているが、ここは「可燃・不燃残さ」を処理する最終処分場で、建設同意から竣工まで15年かかり、昨年12月に竣工した。
 処分場のプールではダンプと重機が飛散防止の復土作業を行なっていた。ここの処分の流れはトラックで運ばれた残さを計量、埋立てプールに運び、そこで復土されるという流れである。プールは屋根がないので雨水が溜まりそれが地中に浸透するのを防ぐため、遮水シートが張られている。遮水シートは浸透圧を利用した検知システムで守られ、破れた場合すぐ修理できるようになっているという。常時漏水検査が行なわれ、安全性を確保し、排水処理施設は砂ろ過活性炭キレート設備、薬中設備などで処理され、処理された水は下水道に接続され流されるという。
 このプールも15年でいっぱいになるので次の建設場所を探さなければならないという。必要な施設であるが地域の人の同意を得るということは大変なことである。ここの最終処分場は鎖川の段丘上の崖下にあり、周囲から見えにくい場所に建っていて搬入路も狭い。地区の同意を取り付けるまで苦労したというがそんなことを思わせる場所である。

 今日、見学したどちらの施設も人にとって無くてはならない施設であるが、身の周りで実感することが出来ないと忘れられてしまう施設である。汚水やごみは出してしまえば消えてしまうという感覚を持つが、それを覚醒させるために最終の処理場、処分場を見学できたのはありがたかった。

(06/10/05)


 衛生部長日記その5

  塩尻市衛生協議会連合会とクリーン塩尻推進連絡会議の視察研修に参加した。
 まず、富山市エコタウンを視察した。
 富山市は人と環境にやさしい都市を目指して海岸通りに「エコタウン産業団地」をつくり、エコタウン交流推進センターを活動拠点に資源循環を行なっている。現在18haの敷地に6社が営業している。
まず、エコタウン交流推進センターで約一時間ビデオと施設の説明を聞き学習した。
 その後、塩尻市で分別収集されたプラスチック容器包装を再生している(株)プリテックを視察した。
ここは、分別収集された容器包装プラスチックを、プラスチック原材料と燃料油にリサイクルしている。異なる二つの技法で廃 棄物をリサイクルする全国初のハイブリット(複合)型施設である。
 私たちが出したペットボトルやプラスチック製容器包装は受入ラインで破袋・解梱され、手作業による選別、近赤外線による選別、その後素材別に破砕・洗浄・ペレット化されたり油化され、再び再利用される仕組みである。
 左の写真は油化装置で燃料油に加工する装置である。この装置で熱分解された油は硫黄分が少なく、良質なA重油相当品として企業や公共施設で利用されるという。
 実際出したプラスチック製容器包装が目の前で再利用できるかたちが確認できて、よりいっそう分別の大事さが身に沁みた。
 もう一ヵ所、食品廃棄物を処理するリサイクル施設、富山グリーンフードリサイクル(株)の施設を見学した。
富山グリーンフードリサイクル(株)は地元食品関連企業、造園業者など12社で構成され、商業施設・ホテル・スーパーなどから発生する食品廃棄物をバイオガス化しメタンガスを発生させ、そのエネルギーで剪定木などを堆肥化する施設であった。二つのシステムを組み合わせ事業化している施設としてほかに事例がないとのことで期待されている。
 バイオガスは燃料としても利用されるがここでは発電用に利用されているとのことで、右の装置はバイオリアクタというメタン発酵槽である。バイオガスは1日2500?生産され、廃熱も施設内で利用されている。
 剪定木や刈り草は破砕・粉砕され、長さ100bの発酵槽で発酵・養成され堆肥(土壌改良材)として製品化され出荷されている。年2550tの生産で家庭菜園や公園・緑地の基盤材として人気だという。ちなみに実際に使用されているところも見学、40?、378円という価格で販売しているという。販売はまだ近郊でこれから全国に展開したいとのことであった。 採算はやっと、何とかなりそうということであったが、資源を循環させる取り組みにエールを贈りたいと思う。
 この富山市のエコタウン事業はある産業から出る廃棄物を他の分野の原料として活用し、廃棄物をゼロにする「ゼロエミッション構想」を軸にし、エコタウンプランを策定、国の承認と支援を受ける制度で全国で24ヵ所、富山市は平成14年国の承認を受け、廃棄物の発生抑制・リサイクルの推進を図りながら環境と調和したまちづくりを行なっているとのことで富山市の環境への先進性を感じた施設であった。

(06/07/20)


衛生部長日記その4

塩尻市の18年度衛生部長会議が4月18日午後2時から市役所5階大会議室で行なわれた。会議事項は委嘱書の交付と市の18年度の環境衛生事業の説明で、当区のごみステーションは優良なごみステーションとして表彰された。
 衛生部長会議終了後塩尻市衛生協議会総会が行なわれた。衛生部長と衛生協議会の関係については、衛生部長が住民自治組織である衛生協議会の支部長になるとのことで、塩尻市は10地区に地区衛生協議会があり、私は東地区の衛生協議会に所属することになる。
 帰りに環境保全課に寄り、一五会の清掃で使う公共用袋とトングをお借りする。

(06/04/18)


衛生部長日記その3

 4月10日、衛生班長さんよりプラスチック製容器包装の収集で2件、回収されなかったので預かっているとのこと。
指定袋でなく「資源物・不燃物の収集袋」を使ったものが1件、分別が悪く二重袋で出したものが1件、ありました。
出されたお宅に部長である私が説明に伺いました。指定袋で出していただくことと、二重袋は選別に手間がかかることを伝え、協力をお願いしました。

(06/04/10)


衛生部長日記その2

 4月2日、衛生部長の引き継ぎを受けました。それと同時にごみステーションの管理について、役員全員で前年度の役員から講習を受けました。
細かなところまで指導を戴き参考になりました。
1. ごみステーションの管理について
 当番制とする。年3回交代で廻す。
 市の資源物・ごみ収集カレンダーを確認する。
  ごみステーションは原則、当日朝、6時に開ける。(前日夜でも可)
   開けるのは、燃えるごみの日と容器包装プラの回収日
   資源物は福祉センター前、前日夜準備しておく。ペットボトルの整理袋は風などで飛ばされないよう紐で縛る。
   資源物の回収後の道路などの清掃は速やかに行う。
   終了後はステーションの施錠を確認する。
   清掃は全戸持ち回りで行う。(燃えるごみの日だけ)

注意点
 回収されなかったものの処理について
組番号と名前を確認する。
分別の悪いものについては部長に相談、返却するなどの処置を取る。
ごみの出し方で相談されたら、市のごみ分別ハンドブックを参照する。
判断できないものについては市の環境保全課へ問い合わせする。
ごみステーションの管理全般
 お互い都合のつかないときは協力、連絡しあい交代する。
 雪の日は衛生班全員でステーションの除雪をする。
 衛生部長は常時補助する。

(06/04/02)


衛生部長日記

今年、区の衛生部長を仰せつかりました。
私の地区では任期は1年間ですが、2年間の任期という地区もあるようです。
何事も経験が大事ですから「衛生部長」というものの実態に迫ろうとやってみるにしました。
この日記もブログ風につけます。

3月20日 「引き継ぎ会」
前年度の衛生役員からもろもろのものを引き継ぎました。
回覧板
常会衛生記録簿
塩尻市ごみ分別ガイドブック
ごみの分け方・出し方ポスター
資源物・ごみ収集カレンダー
衛生出不足金領収書
東地区衛生協議会の黄色のヤッケ
ごみステーションの鍵
以上の引き継ぎを受けました。これは衛生班長の引き継ぎで衛生部長の引き継ぎは4月2日に行うとのこと。

(06/03/30)


レジ袋削減「マイバック持参運動」キャンペーンに参加


塩尻生活学校(会長・池田貴江子)は、2月5日(日)西友西店で午前11時より店頭でレジ袋削減「マイバック持参運動」キャンペーンを行うということで私もお手伝いで参加した。
 これは日本チェーンストアー協会で、毎月5日を「ノーレジ袋の日」と定めて買い物袋の持参を勧めているのと呼応したもので、塩尻市で「ノーレジ袋の日」を実施している店は、アップルランド塩尻店・広丘店。ssv西友塩尻店・塩尻西店などの日本チェーンストアー協会加盟店とJA全農県本部が運営するスーパー「A・コープ」全店が積極的に取り組んでいる。
 それぞれの店舗では、消費者がマイバッグの持参・レジ袋不要の意思表示カード提示などをするとスタンプなどを押し、ポイントサービスが受けられるという取り組みをしている。
 塩尻生活学校では、継続的に西友西店でキャンペーンを行なっているが、目的はレジ袋を削減することによって、ごみの減量と地球温暖化防止の活動の広がりを目指す取り組みを続けている。

入店する男性、女性にチラシを配った
「レジ袋を減らす運動をしています」
「マイバッグお持ちですか」と声をかけた。

反応 

レジ袋を何回も利用していると、皺くちゃなレジ袋を70代の男性が見せてくれた。
ダンボールの箱を持っていると見せた。
手づくりの買い物袋を示す70代の女性。
買い物袋に返却するトレーを入れてきた60代の女性。
聞こえないような顔して無視して行ってしまう。
手を振って無言で受け取らない。

 チラシを受け取らない人の年齢構成は30代の男性から60代に渡る男性が多い。小さな子ども連れの女性は子どもに意識が集中しているのか受け取らない人が多い。

意見を言う人
「紙が無駄」(40代の男性)
「わかりまーす」(50代の女性)
「減らすのは賛成だが、みんなでやるようにしなきゃこんなことはだめだよ」 連れの女性はマイバックを持っていた(70代の男性)
「私はずっと前からやっています。がんばってね」(60代の女性)
「レジ袋は便利、貯めている」(70代の女性)
「毎月、やってるの?」(40代の女性)
「おれはダンボール」と箱を見せる市会議員の男性。さすが。
「ご苦労さん」70代の夫婦、女性が挨拶、男性手に2つのレジ袋を提げている。

配布してみて
「紙が無駄」と言った男性がいたが、レジ袋削減についてどう考えているのだろうか。
 実際に男性や若い女性客に買い物袋を持参する人が少ない。
 買い物袋持参率はレジ通過人数÷買い物袋を持参した人数×100であらわされるが、日本チェーンストアー協会加盟の店舗でも5%前後から13%前後で推移し頭打ちとなっている。
 三十生協、七百九十四店舗でレジ袋を有料化している日本生活協同組合連合会の大半の店舗では、昭和50年からレジ袋有料化(1枚5−10円)を実施しており、生協での買い物袋持参率は50%から90%に達する。コープ長野でも2004年度24.9%と日本チェーンストアー協会加盟店舗より高い持参率である。

レジ袋の今後は・・・
 国は、
 容器包装リサイクル法改正に向けて、レジ袋有料化を環境・経済産業両省の審議会で最終報告案をまとめた。その骨子はレジ袋など無料配布される容器包装については、事業者に対し、発生抑制などの取り組みの実施状況に関する報告を求めるとともに、発生抑制などが著しく不十分な業者に対しての勧告・公表・命令などの措置を講じるというもの。
 
 業界(販売)は、
「環境負荷」と「社会的コスト」のバランスを図り、より効果的な見直しをと難色を示している。消費者へのサービスの低下と受け止められるという心配などから思いきった姿勢が取りにくいのが現状。
 製造業者(レジ袋)は
 省資源、ごみの減量化、輸入品とのコスト競争、容器包装リサイクル法のコスト負担低減等の観点などから、流通事業者と共に薄肉化に取り組んでいるが限界に近く、悪者扱いされることから困惑している。買い物袋として何回も使用するなどカスケード使用や再利用を勧めている。
  
 行政は、 
 東京都杉並区では全国に先駆けレジ袋に1枚5円課税する条例「すぎなみ環境目的税条例」(レジ袋税条例)を制定したが課税を見送っているため、杉並区の買い物袋持参率は現在28.2%で目標値としている買い物袋持参率40%に届かない。 
 
 塩尻市では
 長野県生活学校連絡協議会と塩尻生活学校がマイバック持参運動を推進し、長野県や塩尻市、塩尻連合婦人会、塩尻商工会議所、市民タイムスなどがこの運動を後援しているが、広がりにいま一歩である。量販店だけでなく小売店まで含めた塩尻市全店での取り組みと消費者の協力と意識改革が求められている。

(06/02/16)



  こたつ

 今年みたいに寒い時は「こたつ」が一番です。
今は、電気こたつが普通ですが昔は「堀りこたつ」でした。
スビツの上にやぐらをのせた正方形のこたつで、炭を使います。塩尻地方は寒さの厳しいところです。そのためこたつも大きく一尺八寸(54.5センチ)くらいのこたつがどこの家でも使われていました。
 どこの家でもお茶の間や居間、寝る部屋、子ども部屋などにこたつがあり、お茶を飲んだり、食事をしたり、お客さんをもてなしたり、勉強したり、おばあちゃんが手仕事などをしていたものでした。お年寄りのいる家では田植えのころ、入梅のころまで使われたものです。

 「掘りこたつ」の熱源は炭ですが「消し炭」、「ボヤ(バラ)炭」「堅炭」があります。
「消し炭」はいろりなどで焚いた薪のおきを途中で火消しつぼで消したものや、晩秋や初冬に山でコナラ・クヌギなどの雑木を焼いて作ったものです。
「ボヤ炭」は消し炭より細いボヤと呼ばれる物を焼いて作ったものです。消し炭を焼いたとき出る細いものを言う場合もあります。
「堅炭」はクヌギやコナラを窯で蒸し焼きにしたものです。暖かい地方(紀州)ではシラカシやウバメガシなどを焼く高級な備長炭があります。
 「消し炭」だけだと火持ちが悪く、何度も入れたものですが、堅炭は火持ちが良くだんだん使われるようになりましたが、価格が高く網で編んだ俵で売られていました。どこの家でも無理をしながら何俵も用意したものです。
 炭をおこすのは子どもの仕事で、種火を十能(じゅうのう)の上で、消し炭をうちわや火吹き竹を使っておこしたものです。
種火がおきたら、こたつの灰にうえに置き新しい炭を重ねます。このあたりでは「夏下冬上」(かっかとうじょう)という炭のおこし方のいい伝えがあり、種火を夏は下、冬は上に置くと良くおきると言われていました。
 スビツの灰も冬まで床下にあるため湿るので、秋、こたつを作る前に日当たりの良いところで乾燥させました。少ないと新しく作って足してやります。
 火がおきると灰を廻りにかけ、いっぺんにおきないよう調節します。最後にふんごまない(踏み込まない)ように網をのせます。下掛けやこたつ布団を就寝中踏み込み、火事騒ぎが起こるということもありました。 
 こたつには上掛け、こたつ布団、下掛け、下敷きが要ります。昔は下掛け・下敷きは端ぎれ布をとっておき、それで作ったもので冬が来る前は、おんなしゅう(女性)は忙しかったものです。

「置きこたつ」という火鉢へおきを入れたものも重宝されました。移動も簡単ですし、ごとくを載せ、手を温めたり、鉄瓶でお湯を沸かしたり、煮物料理などが出来るため使われました。

 現在掘りこたつは「電気こたつ」になり、「置きこたつ」は石油ストーブを使ったものになりました。こたつでは部屋全体の暖房は出来ませんが、最近の新築住宅では外断熱工法などの採用でこたつを置かない家も多く、部屋の暖房の主役は温水や温風、石油・ガスストーブになりました。また、薪ストーブや木質チップを使ったストーブも省エネとあいまって普及しています。
 このため炭による「こたつ」は無くなり、スビツや火消しつぼ、灰ならしも見ることもなくなりました。炭焼きや毎日の火おこしもしなくて済むようになりましたが、あのなんともいえないおだやかさのある炭のこたつの味わいを懐かしく思い出します。

(06/02/06)


食の省エネルギー  その1 「みんなで食べれば」

 人が生きていく上で欠かせない「食」で省エネができたらと思いませんか。
あまり省エネを意識して食べていないと思いますが、いろいろな場面でエネルギーが使われています。
今回はその第1回目です。今回のテーマは「みんなで食べれば」です。

 家族みんなで食べると省エネになります。「えっ」と思うでしょう。
(財)省エネルギーセンターの調査(注)によりますと、調理に使われるエネルギーは家族全員で食事をした場合「9,210KJ/世帯」が使われ、別々に食事をする家族がいた場合「9,838KJ/世帯」が使われます。
 なんだ僅かな差だなと思ってはいけません。毎日誰かどうか食卓を囲む時間が遅れ、暖め直したりするとそれだけエネルギーが消費されます。これが1年間になると大変です。
 家族が多くなるほど生活時間が違ってきて、全員がそろって食事をするということが難しくなりました。調査によると半数の家庭が全員で食事をしていません。保温調理鍋の利用など工夫 も必要です。
 また、全員で同じ献立を食べた場合「8,828KJ/世帯」使われ、違う献立を食べた家族がいた場合「10,009KJ/世帯」が使われます。家族が同じものを食べるとそれだけ省エネになりますから、あらかじめ家族で話し合って今日は何にするか決めることも大切です。人が何かをするとそれだけエネルギーが消費されます。エネルギーのことを話し合いながら「わいわいがやがや」みんなで食べて見ませんか。


(注)この調査は(財)省エネルギーセンターが、全国1039世帯を対象に記述式アンケート調査を実施、食に関する意識・行動および、1日の献立を調査したもので、10,11月の平日・休日を含む連続した3日間。

 (仕事や熱量の単位)  J  ジュールとよばれます。

(06/01/21)


   長野県が「省エネラベルキャンペーン」を実施中です



 いま、省エネラベルキャンペーンが行なわれていますがご存知ですか。
  これは家庭の省エネルギーを推進するため、販売店が家電製品に省エネ性能の違いが一目でわかる省エネラベルを表示することにより、消費者に適切な省エネ情報を伝えて省エネ型家電製品の普及拡大を図り、家庭から排出される温室効果ガスを削減することをねらいとして、長野県が「信州省エネラベルキャンペーン」として実施しているものです。
  
 実施時期は17年の11月21日から18年1月31日まで行われます。
 表示対象品目は
  エアコン
  冷蔵庫
  テレビ(ブラウン管)で、
 実施店舗は
  長野県電機商業組合加盟店
  家電量販店
  スーパー
  ホームセンターなどです。
  これらのお店では表示対象品目に省エネラベルが表示されていますので、購入時に参考にされて、できるだけ省エネ性能の高いものを選びましょう。
 

(06/01/06)


  リサイクル推進講座第2回講座

塩尻市でリサイクル推進講座の第2回目の講座が11月17日行われました。

 講師は環境カウンセラーであり、上田市ごみ減量アドバイザーリーダーの栗田たか子さんが「ダンボール式」について講演された。
初めに、栗田さんは子どもたちにふさわしい地球を大人が残せるか、自分たちが生きている間にできることをしたいと述べ、ごみから大きな環境が見えてくると挨拶し、「ダンボール式」を導入するについて、「生ごみ」は資源であり資源化できるものは資源にすることが重要であり、ごみを多くだすほど焼却施設は傷み耐用年数も減り新たな焼却場が必要となる。このようななかで「大きなお金をかけないで生ごみを処理することが必要でないか」と考え「ダンボール式」に至った経過を述べ、作り方の実際を教えていただいた。

 「ダンボール式」堆肥化の方法

用意するもの

ダンボール箱 横45a 縦30a 高さ30aくらいのもの みかん箱でもよい。
底に敷くダンボール
基材20g
 ピートモス
 もみ殻くん炭
ピートモスともみ殻くん炭を混ぜる。割合はピートモス6もみ殻くん炭4で良く混ぜる。(基材)
ダンボール箱に入れる。箱の深さの半分くらいまで入れる。
箱は底が床につかないよう5センチくらい浮かせる。
虫が入らないようふろしきを被せる。


生ごみを入れる(基材20gの場合)

 新鮮な生ごみ
  最初は1kgくらい
  小さく切って入れる
  水気は切る
  良くかき混ぜる

毎日の手入れ

1日の生ごみの投入量の目安は500c程度。
温度は40度くらいが適温。
 温度が上がらない場合は、使用済みの天ぷら油、きな粉などを少量入れる。
水分が増えすぎたらピートモスを足す。
乾燥している場合は水を少し足す。
箱は室温15度以上で通気性の良いところに置く。ビニールなどで箱を覆わない。

入れないほうがいいもの
 とうもろこしの芯
 梅干や果物の大きい種、
 貝殻、肉の骨(ブタ、トリ等)
 すいかやメロンの皮(小さく切ればOK)
 ミカンの皮など防腐剤のついた果実の皮(お湯で洗い流せばOK)
塩分を多量に含むもの(塩鮭、ぬかずけ床、たくあん)

できあがり
基材は3ヶ月くらい持ちますがべたついてきたら終了です。黒土と混ぜ1ヶ月くらい寝かせてから堆肥として利用する。
新しく始める時は、前回の基材を少し混ぜると、堆肥化が進みやすくなります。とのことでした。

上田市ではおよそ1000世帯がこの「ダンボール式」による生ごみの堆肥化に参加し、教育の観点から保育園でも実施しているとのこと、市民が自分たちで動き、行政におねだりするでなく行動することが大事なことで「みなさんもぜひ試してほしい、やってほしい」と講義を締めくくりされました。
有料化を実施した塩尻市の今後についても「いかに減った数量を維持していくか、市民が試されている」と述べ、減量への努力を続けてほしいと話されました。

 なお「ダンボール式」についてわからないことは上田市リサイクル活動拠点施設「エコ・ハウス」(電話0268・23・5144)まで問い合わせてくださいとのことです。



みどり湖区「プラスチック製容器分別収集」地区説明会  8月22日

 「プラスチック製容器包装分別収集」と「家庭ごみ処理費用の有料化」の説明会がみどり湖区公民館で行なわれた。約60名が出席した。
市は10月1日より「プラスチック製容器包装分別収集」プラが資源物、埋立て、燃えるごみが有料となることを説明。
ガイドブックを新しく配布する。
迷ったら可燃ごみに。
分別を徹底するとお金がかからない。負担が少ない。
紙類、プラを資源物にまわし、生ごみを畑、コンポスト、処理機などで処理して戴けると負担も少なくなる。
「プラスチック製容器包装分別収集」をすると市は五千万ほど収集費用でお金がかかる。
処分場の延命、15年が20年、25年くらい使え税金の有効利用が出来る。などと説明した。
   
意見・質問

ペットボトルの収集はいままでどうりか。
プラは圧縮減容してだすのか。
証紙はどこで売るのか、いつごろ販売するのか。
指定袋に穴があいてしまった場合どうするのか、買戻してくれるのか。
指定袋以外に証紙を張って出してはだめか。
たまり水で洗えというがゆすいで川に流すのと、焼却する方法とではどちらが環境に配慮していることになるのか。
いつも消費者が負担するようなことになってしまうが、生産する人たちにも責任がありはしないか行政で何とか言って欲しい。
油のボトルはどの位洗えばよいか。
焼却場への持ち込みはどうなるのか、直接持ち込んだ場合の単価は。
自動車のエンジンオイルなどの処理について。

説明会を聞いて
 市は市民に負担をしてもらうことについてもっと角度を変えた説明をすべきではないか。有料化はインセンティブ(動機付け)であり、市民が今までの通りの消費行動、購買行動をしてごみを出し続け、分別していたのでは何も変わらない。もっとごみになるものそのものを減らす取り組みを紹介するべきではないか。
 家庭ごみの容積の大半は容器包装である。説明会で述べられたように容器包装は中身以外の付属物である。過剰な包装で商品価格が上がったり、収集費用を税金というかたちで負担させられることについてもっと意識を喚起する必要がありはしないか。
 ごみのなるものをつくらない、売らない、買わないがごみをださない生活のありかたであると思うが、容器包装リサイクル法も完全ではない。メーカーのリサイクル費用の負担は商品価格に跳ね返り、消費者が負担することになる。容器包装の大半は製造業者、メーカーが行なっておりここが変わらない限り徹底した削減は難しい。消費者として出来ることはごみになるものを買わないということでしか対抗できる手段はない。
 質問のなかでも出ていたが消費者として関係する業界、行政の姿勢を正して行かなければならない。


体感温度 暑さの感じ方

 暑さに対する感じ方は人それぞれ違います。
 私が小学生の頃、「暑い、暑い」というと、我が家の哲学者の祖母は「暑い暑いと言ったって涼しくなるかや」と名言を吐きました。確かにいくら「暑い」と いっても、それで温度が下がり涼しくなるというわけではありません。祖母の言いたかったのは聞いている人もその言葉に触発されて暑くなるから止めてというものではなかったかと思います。心理的に影響を受けるから人に「暑い、暑い」と言うなというわけです。

 体感的な暑さの感じ方は気温と湿度と風(気流)が大きな影響を持っています。
気温が同じでも湿度が高いと蒸し暑く感じますが、湿度が低いとさほど暑さを感じません。また、蒸し暑いとき、うちわや扇風機を使って風を起こすと体表の熱が奪われるため涼しく感じます。このほかにいま問題の熱輻射が体に作用し暑いと感じたりします。
 最初に暑さに対する感じ方は人それぞれ違いますと書きましたが、夏、30度を越す気温のなか、仲間と山登りをした経験から発汗量の多い人ほど暑さに強く、汗をあまりかかない人ほどバテる傾向がありました。これは発汗が体温調節をしていて、その調節機能が人それぞれ違うために起こる現象ではないかと思えるからです。人間は恒温動物ですから体温調節の機能をもともと持っているのですが、汗腺の機能が違うために暑さに強い人弱い人ができるというわけです。

 夏の山歩きの時、汗をかかない人がいたり、だるさを訴え、吐き気や足がふらふらするような人がメンバーのなかにいたら要注意です。直ぐ涼しいところで安静にし、塩分や水分を補給してやりましょう。見過ごすと大変なことになります。
 昔、富山県の剣沢で熱中症になった仲間をみんなで剣沢小屋まで運んだことがあります。このときはうわごとをいい、意識が昏迷する状態だったのですが、剣沢小屋に常駐していたお医者さんに治療していただいたらあくる朝元気になりました。彼は交通事故のむち打ち症が完全に直っていないのに関わらず参加したもので、剣沢小屋のお医者さんに私は叱られました。理由は、「体温調節する中枢が脳の視床下部にあり、伝達がうまく運ばないから安静にしてやって欲しい。山に登るなんてだめじゃないか」と、いわれました。大事なことを教わりました。

 暑さに対して私は強いと自分では思っています。
暑さに適応することが余り苦にならないのは、毎日の作業が園芸温室の中の作業だからです。夏、風の無い日は温室の中は気温プラス5度Cくらい高くなります。つまり高温のなかの作業で自分の健康状態を維持するためにはそれなりの対策をとらねばならず、休憩時間には水分と塩分を十分にとり、汗を沢山かきます。
 温室の中に風を送り込むファンがありますが、35度を超える温度になると風による効果はあまりありません。湿度が高い日は体感温度も高くなり何もしないのに汗が出てきます。自分の直腸温も高くなっていることでしょう。
 毎年、6月が要注意です。湿度が高く体もなれていず苦しいときです。なれると不思議なもので気温が上がってもそのわりに汗をかかなくなります。順応するということでしょうか。ただ高温のなかでの作業を続けていると高血圧になりやすいと言われているので油断しないよう気をつけています。
1日中冷房の効いた部屋で仕事をしていて、暑さに適応するということは難しいと思いますが、暑さに強くなるには積極的に暑さを楽しむことも必要ではないかと思います。

 哲学者の息子である父には「いくら暑くても裸にはなるな」と言われました。これは「一度裸になると裸にならずにはいられなくなるから止めろ」ということと、汗の出るのが裸体では遅く、着衣状態では早いからです。つまり発汗量の差です。ですから衣服が汗でびしょぬれになっても、蒸発で乾くとき熱を奪うため、着ていたほうが早く涼しくなるからという理由です。汗の臭いの嫌いな人にはとても我慢できない事だとおもいますが・・・・。

 暑さについていつも思いだすのは「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」といって亡くなった恵林寺の快川和尚のことです。山梨県塩山の恵林寺は武田信玄の菩提寺ですが、その子勝頼の時代、天正10年(1582)に織田信長軍の兵火に遭い、灰燼に帰しました。
 そのとき、快川和尚は山門の燃え上がる火中の中から、「安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば火もおのずから涼し」と唱え、末期の一句としたとのことですが、「心を穏やかにするのに、周りの環境は関係ない」とした快川和尚の透徹した心境にはとても到達できませんが忘れることの出来ない言葉です。

一口知識

電卓かエクセルでどうぞ

ミスナールの体感温度 気温と湿度の関係
(ミスナールの体感温度)=t-¥frac{1}{2.3}(t-10)(0.8-¥frac{h}{100})

リンケの体感温度 風速の体感温度への影響
 

t=気温(℃)、h=相対湿度(%)、V=風速(m/s)


高校生の環境発表 志学館高校「桔梗祭」1年6組の取り組み  05/07/10

 塩尻志学館高校の桔梗祭で「環境問題〜身近なごみ問題を考える〜」という展示発表があるというので出かけました。
1年6組の41人が1ヶ月かけて製作した「環境問題の現状〜このままだと地球は」の地球のはりぼてが教室の真ん中にでんとありました。
 このはりぼては生徒が家庭から出るごみ2日分を持ち寄り作ったといいます。重さは約、12・5`グラムあったそうです。
    熱帯雨林の減少が進む地域
    砂漠化が進む地域
    油膜のみられる海域
    酸性雨がみられる地域
と大きく4つに分けテープで色分けされ表示されていました。
 アルミ缶やプラボトルなどを使い、みやすく製作したものです。この展示を囲うようにクラスひとり一人が研究したテーマが発表されていました。
 テーマは森林伐採、熱帯林問題、酸性雨、砂漠化、地球温暖化、ごみ問題、ごみの行方、リサイクル、古紙、ペットボトル、牛乳パックビニール袋(レジ袋)、レッドデータリストなど多様なテーマに取り組んだものです。
 説明係りの生徒の話では最初、ごみ問題から入ったそうですがだんだんと広がり環境全般になってしまったとのことで、それぞれがインターネットや本などで調べあげ、まとめたものだそうです。
 ひとり一人の発表には取り組んだ感想が書かれていました。ちょっと紹介してみましょう。
 温暖化は人のことじゃなく自分自身の問題。
 この世から人間がいなくなれば動物たちも生き延びられる。人間はいないほうがいいんだ。(レッドデータリスト)
 ひとり一人が気を使うことで温暖化防止に少しでもつながる。などがありました。
クラス展示全体でのまとめと取り組んだひとり一人の提言がありました。こちらも紹介してみましょう。
 自分で気を付ける
 大勢の人に知らせる。知ってもらう。
 ひとり一人の気持ちを高める。
 リサイクルする。
 使い捨ての商品を買うのを止める。
 3Rが大切なことがわかった。
 資源の節約が大事。
 使い捨て社会について考えていきたい。
 長く使えそうなものや再利用できるものを買おうと思う。 
 ひとり一人が生活の中で意識する。
 ドイツに比較してリサイクル率が5%も低い。
 二酸化炭素(CO2)削減も自分の生活を少し気を使えばできる。

 クラスのまとめと考察の紹介
  地球のはりぼてはクラスの40家庭の2日分のごみの量から製作し、全家庭の人数は197人で収集したものはペットボトル 、空き缶、トレイ、新聞紙、紙パック、プラスチックでした。
 1人一日81c出すことになり、日本全体になると一日10万3千トンのごみが出るとのことにふれ、埋め立ての難しい問題をひとり一人に投げかけていました。

 私の感想
高校生が真剣に環境問題に取り組んだ姿勢に打たれました。説明してくれた生徒もきちんと問題を捉えていて好感をおぼえました。とかく今の高校生は・・・と色眼鏡でみられることの多い中で、クラス全体でまじめに取り組んだ成果が現れていました。自分たちの家庭の身近な小さなところから大きな問題を考えていくことをクラス全体で決めたこと、また、生徒の多くが自分の生活を見直したい、見直して自分自身の問題として捉え、大勢の人に伝えたいとしていることが良かったと思います。次世代を担う若い人たちが環境を大切にする意識を持ち、実践していこうと考えたことが素晴らしいと思いました。ただ、問題が多岐にわたった為、捉え切れなかった問題も多く今後の課題でしょう。
 これからの展開ですが、なんでも2年生になるとクラス替えがあるとのことで継続できるかどうかわからないとのことですが、是非続けて欲しいとお願いしてきました。
 帰りに渡された優秀企画投票用紙の最も良かった企画にこの発表を選びました。勉強させて頂きました。どうもありがとう。