放射線許容量の変遷

放射線が発見されたのは、20世紀を前にした1895年のことである。当初は「急性障害」の存在すら知らないまま、多数の研究者が犠牲になったが、その後次第に、「晩発的障害」もあることが分かってきた。いつの時代にも、放射線の危険度には十分に安全側の仮定が用いられていると説明されてきたが、科学的な知識が深まれば深まるほど放射線の危険性が高いことが明らかになってきた。そのため、いわゆる「許容量」も下の図に示すように大幅に厳しくされてきた。日本を含め、今日、世界各国は国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に従って、国内法で「許容量」を定めている。そのICRPによる危険度の評価も、この50年だけでも10倍厳しいものとされている。