JCO事故の教訓

 1999年9月30日、原子力の町といわれた茨城県東海村の核燃料加工工場で、原子力関係者の誰一人として予想しなかった事故が起こった。工場にあった一つの容器の中で、突然ウランが核分裂の連鎖反応を始めたのであった。作業に従事していた3人の労働者は大量の放射線を浴び、最大の被曝を受けた労働者はその場で昏倒した。数分後に到着した救急隊が彼らを現場から運び出したが、ウランの核分裂自身はその後20時間にわたって続いた。
 
被曝の単位であるグレイは物体が吸収したエネルギー量で測られ、1kg当たり1J (0.24cal)のエネルギーを吸収した時の被曝量が1グレイである。人体の組成はほぼ水であり、1グレイの被曝を受けた時に人体が吸収するエネルギーは、人間の体温を約1万分の2℃しか上昇させない。従来の医学的な知見によると、およそ4グレイの被曝を受けると半数の人が死に、8グレイの被曝をすれば、絶望と考えられていた。3人の労働者の被曝量は、それぞれ18、12、3グレイ当量(グレイ当量は、急性障害に関する中性子の危険度をγ線に比べて1.7倍として補正した被曝量)と評価された。当然、2人の労働者は助からないと私は思ったし、おそらくは造血系の破壊と消化器系の破壊によって2週間以内には亡くなるだろうと予想した。事故直後に3人の労働者は、まず国立茨城病院に送られたが、そこでは手に負えず、被曝の専門病院である放射線医学総合研究所に送られた。しかし、単なる被曝治療(被曝の治療は実質的には感染予防と水分、栄養補給くらいしかない・・・)だけではとうてい助けられないため、2人の労働者は東大病院に送られた。その後、感染防止や水分・栄養補給はもちろん、骨髄移植、皮膚移植、輸液、輸血などありとあらゆる手段が施され、患者は私の予想を遙かに超えて延命した。しかし、最大の被曝を受けた労働者(大内さん)は12月に、2番目の被曝を受けた篠原さんもついに4月になって帰らぬ人となった。


生命体に対する放射線の著しい攻撃性

彼らが受けたエネルギーは、彼らの体温を1000分の24℃上昇させただけのものでしかなかった。それでも、彼らは造血組織を破壊され、全身に火傷を負い、皮膚の再生能力も奪われた。そして、「天文学的な」鎮痛剤と、毎日10リッターを超える輸血や輸液を受けながら、苦しい闘病生活を送った末に死に至ったのであった。

生命体のDNAを含め、すべての物質は原子によって構成されているが、原子が集まって分子となる場合の結合エネルギーは、eVのオーダーでしかない。ところが、放射線のエネルギーは数十keV(万eV)〜数MeV(数百万eV)に達する。生命体が放射線に被曝した場合には、DNAを含め多数の分子の結合が破壊される。破壊の程度が激しければ、その細胞や組織は生き延びることができないし、破壊の程度が低ければ、DNAに傷を負ったままの細胞が生き延び、やがて癌などを引き起こす。

射線は生命体が依拠している物質とはかけ離れたエネルギーを持っており、生命体に対して著しい危険を及ぼす。