ウラン濃縮の困難さ

 人類が初めて原子核エネルギーを手にしたのは1945年7月16日のことでした。その日、米英ソの3国が日本への降伏勧告を協議するため、ドイツ・ベルリン郊外のポツダムに集まって会談することになっていました。米国はそれに合わせて、自国の砂漠で人類初の原爆トリニティーを炸裂させました。米国は原爆を作るために「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘計画を進め、5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金を投入しました。(ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円でした。)その結果、1945年の時点で米国は3発の原爆を完成させました。その1つがトリニティーであり、残りの2つが広島(リトルボーイ)と長崎(ファットマン)で実戦使用されました。このうちリトルボーイはウランを材料にして作られていましたが、トリニティーとファットマンはプルトニウムと呼ばれる元素を材料に作られていました。
一口でウランといっても、その中には燃える(核分裂する)ウランと燃えない(核分裂しない)ウランがあり、このうち燃えるウラン(U-235)は天然にはわずか0.7%しか存在しません。残り99.3%は燃えないウラン(U-238)です。しかし原爆のように一気にウランの核分裂反応を進行させようと思うと、燃えるウランの濃度を93%以上というような高濃度に高めなければなりません。そのために必要となる作業を「濃縮」と呼びますが、その作業は厖大なエネルギーを必要とします。
リトルボーイの爆発力はTNT火薬に換算して1万5000トン分でした。高度な軍事機密のため正確な値は分かりませんが、そのリトルボーイは約30kgの高濃縮ウランを材料に使っていたと思われます。それを得るために「濃縮」作業で使ったエネルギーは、TNT火薬5万トン分に相当します。原爆は圧倒的に強力な兵器であり、どんな犠牲を払ってでも手に入れる価値のあるものだったと思います。しかし、ウランで原爆を作ることはエネルギー的にいえば実に馬鹿げたことでした。