アルミ精錬の悲劇

 日本の原子力は三菱、日立、東芝という巨大企業が群がって支えてきた。1970年に敦賀(BWR)、美浜(PWR)両原子力発電所が運転開始して以降、ラフに言えば1年に2基ずつ原発が建設されてきた。うち1基は米国のWH社と提携した三菱が加圧水型炉(PWR)を作り、もう1基を米国のGE社と提携した日立、東芝が隔年交代で沸騰水型炉(BWR)を作ってきた。次第に肥大化してきた原子力産業は、現在全体で3兆円産業と呼ばれるまでになってきて、すでに設置してしまった生産ライン、配置してしまった人的資産などがあり、どうにも止まれなくなっている。しかし、電気事業法に守られた電力会社の放漫経営は、日本の電気料金を世界一高いものにしてしまい、たとえば、世界一優秀な技術を持つと言われていた日本のアルミ精錬産業は、電力多消費産業の故にすべてつぶれてしまった(唯一、自家水力発電所を持つ日本軽金属の蒲原工場だけが生き残っている)。結局、産業界全体から見ても、原発をこのまま放置していては自らが生き残れなくなってきており、原子力産業も国内的には縮小せざるを得ない。その代償としてねらわれているのがアジアの国々である。
 もっとも、日本国内のパチンコ産業は20兆円産業とも言われているから、それに比べれば原子力産業など些細な産業でしかなく、それを潰したとしても産業活動全体から見れば、充分に調整がきく範囲であろう。