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2019年12月31日(火) 大晦日。神棚にお灯明を上げて、午後7時から家族5人全員で歳神様にかしわ手を打って、この一年の平穏を感謝し、来る新年の息災をお願いした。
2019年12月30日(月) 午前中、昨日の続きで玄関周りの掃除。それから女房と二人でお年越しの食材の買い出し。例年は大晦日に買いに行っていたんだけど、けっこう朝から店の混雑がすごくてちょっと勘弁、って感じだったし(でも、その混雑の原因のひとつが自分たちという自己矛盾なんだけど…)、大晦日の晩にしっかり飲んで、夜中に起きだして二年参りに行き、それから早朝に初日の出を見るっていうのは、かなり体力的にきつくなっていた。で、今年からしっかり飲むのは30日にして、大晦日は、まあブリでも食べて、後はゆっくりしようということになり、今日の買い出しとなった。想像していたより店はすいていて、予定通りの買い物が順調にできた。昼までに子供たちが注連縄を張ってくれて、これでお年越しの準備は整った。
2019年12月29日(日) 年賀状は何とか午前中のうちに投函できた。引き続いて、玄関周りの掃除をする。ただ先月、ちょっと時間ができたからっていって庭木の整理を面白がってやりすぎ、背中を痛めて半月は苦しんだので、とにかく無理をしないように作業時間を分散した。
2019年12月29日(日)その2 先月の上旬に、昔、とてもお世話になった人が事故でケガをして、その頃のお礼もしつくしていなかったので、とにかくと思いお見舞いを渡した。そしたら、傷も癒えたので、と、今日の午後、ご夫婦であいさつに見えられ、大いに恐縮。元気になられてよかった。下のお嬢さんも一緒に来たけど、やっぱ女の子はかわいいね。
2019年12月28日(土) 午後1時すぎくらいに次郎が帰省してきた。ウン、ほぼ読み通りの時間だったね。太郎はパソコンのOSと我が家のネットワークの更新が大詰め。次郎が帰ってくるまでには終わらせたかったようだが、ちょっと間に合わなかった。私は終日、年賀状書き。例年のことだが、もうちょっと早めに終わらせられないかね、といつも思うんだけど、なかなかそううまくいかないね。夜8時から太郎は消防団の歳末警戒で出動。帰宅は12時過ぎ。お疲れ様。
2019年12月27日(金) 午後、職場の研修ということで、これまでのウチの埋文の歩みをスライドを使いながら話す。ここ数年、あちこちでそんな話をする機会があって、それらの時に上映したものを選って使ったんだけど、なんか中年オヤジの思い出話に若い衆を付き合わせてしまったみたいな感じ。少しでも触発されることがあればウレシイんだけどね。今日で職場は仕事納め。明日からは長い年末年始休業。
2019年12月27日(金)その2 少し前に平出の館長さんに縄文土器の鑑定を頼んであったんだけど、午前中、ご来訪いただき結果のご説明を頂戴してしまい、ただただ恐縮。やっぱ前期末で良さそうだけど、特異な器形がどっか他地域の系統なのかは、判らなかった。県内あちこちの研究者に問い合わせていただいたようで、それこそ各方面に感謝。
2019年12月26日(木) 朝のうちに廃品回収業者さんが来てCRT4台、プリンター2台、それにいくつかのパソコンパーツを持って行ってもらった。家に居た女房に対応してもらい、費用は税込みで11550円。まあ、そんなところかな。
2019年12月25日(水) 太郎がサーバーの更新をしてくれるついでに、これまで溜まっていた古い機器を始末することになって、物入れの奥からCRTを4台出してきた。よくまあ4台も溜まったもんだ、というか、我が家のパソコン史を物語る遺物だと、ちょっと感動した。そうだなあ、最初に導入した富士通のデスクトップ機、当時のメーカーパソコンではフラッグシップ機だったなあ。私はまだ自作に手を染めていなくて、モニターはまだCRT、新陳代謝が激しいパソコン機器の中で最も長寿なのがモニターだ、などと雑誌で読んで一番良いのを買ったんだ。確かにその通りだったけど、そのモニターも数年前には引退したなあ。途中でテレビみたいにでかいCRTも導入したことがあった。エイサー製(今もその会社、あるのだろうか?)で、じきに不調になってしまい、女房のバイト先のAI業界の専門家から安いけど電源周りの部品の中に耐久性の高くないものが使われているんだ、などとも教えてもらい、やっぱ、最初の富士通のCRTは良い選択だったんだ、と思ったこともあったなあ。CRT4台にプリンター2台、あとパーツ少々、明日の午前中、廃品業者さんに引き取ってもらう。
2019年12月24日(火) 午後、母のところに顔を出す。缶コーヒーと、前回ご所望だったビスケットを買って行った。缶コーヒーは小さな紙コップに1/4くらいを2回、これで今夜、また寝られないかも、と言いながら飲んだ。ビスケットも個装の小さいのだったので一つを食べた。ただ、「カワツさんとサイトウさんが来てくれて、そのお礼をしなければ。私をカワツさんのところに連れていけ。さもなくば開運堂のお菓子を買って届けろ。」という。そんな皆さんが来るとは思えないので、私がそんな必要はない、という意思をつたえると、前に渡したお金を少し置いていけ、という。自分で都合できると思うのだろうか。夢でも見て、それを現実と思い込んでいるのだろう。それに加えて、自分を中傷する放送が常時、聞こえていて、原因はその男性を「男のくせに!」とけなしてしまったせいで、そちらにもお詫びでお金を包まないといけない、という。私が「そらみみ」と大きくホワイトボードに何度書いても、「そらみろ」と読む。「みみ」は同じ字の連続なので、絶対読み間違えるはずがないと思うんだけど(「み」と「ろ」、似ているのだろうか?)、強く思い込んでいるので「そらみ」まで読むと、もう自分の思いのみに囚われてしまうんだろうね。私は「なんで?」とイラつくよりは、この思い込みの強さに愕然とする。もしかして、私の子供の頃の母も、基本はこれだったのか?そんな思いもよぎった。案外、人間(ヒト)の認知構造の発達ってこんななのかな。視覚でさえ客観的な認知ではなく、主観に左右されるのかな。などとも感じる。「ボケ」と一括りにするのは楽なんだろうけどね。
2019年12月24日(火)その2 母のところに顔出す前に、お城と博物館に寄る。研究員の先生に3月の講演を依頼し、館長さんには10月の探訪の際にいろいろと教えていただいたお礼をするのが目的だった。先生からはご内諾をいただき、館長さんとはしばらくお話ができた。とても楽しい時間であった。
2019年12月24日(火)その3 今日は世間でいうところのクリスマスイブで、夕方、帰宅したらケーキができていた。我が家では毎年恒例で子供たちが手作りしてくれるんだが(と言ってもスポンジは既製品を買います。)、今回は私も女房も太郎も出勤だったので、三郎が一人で作ってくれた。出来栄えに問題はなく、1/8切れを美味しくいただいた。
2019年12月23日(月) 午後、母の入所を申し込んである特養に行って、説明を聞く。我が家から近くて、クルマで5分で着いてしまった。男性の担当者が丁寧に説明をしてくれた。それに母の元気な頃の生活とか趣味とか、親戚、家族関係なども詳しく聞かれた。仕事柄(と、言ってしまえばそれまでなんだけど)、認知機能が衰えてきた入所者と会話をするには、そういう予備知識が重要なんだろうね。ただ、私と母は母子家庭で長いこと二人で暮らしていたつもりだけど、私が聞いていなかったこと、私には話さなかったこともたくさんあるようで、それを今になって聞きたいとも思わないし、なので、その辺の話になると、すみませんね、私もよく知らないんですよ、としか答えようがなかった。担当者からは「無責任な子」と思われてしまっただろうか?
2019年12月22日(日) 先週から太郎がずっとサーバー機の更新をしていて、新しいパーツで組んだが起動しなかったり、認識しなかったりと不具合の連続。まあ、自作っていうのはそんなトラブルも楽しんでしまうものだから悪くはないんだけど、さんざん悪戦苦闘して、やっとOSのインストールまで漕ぎ着けた。お疲れ様。いったんワークステーション機を代わりのサーバーにしてネット環境は確保していたけど、やはり更新したプリンターを接続しているタイミングが取れなくて、そのあおりで私はまだ年賀状の印刷ができていない。今週の日程はちょっときつくなるかな?午後4時に史談会の会長さん宅にお伺いして30分ばかり打ち合わせ。お酒と長芋をお土産にいただいてしまった。多謝。
2019年12月21日(土) 午前10時からムラのホールで講演会。長く村教委で発掘をしている担当者の講演で、全4回の連続講座の、先週の私に続く2回目。今回は村内の縄文遺跡ということで地域に根差した話なので、私としてもとても勉強になった。まじめでいつも落ち着いている彼だが、その静かな話しぶりの中に、やはり発見の感動、情熱が籠められていて、それがまた良かった。
2019年12月20日(金) 私が居座っている職場の整理作業棟の年末大掃除。女性3人と男性2人の整理作業員さんがガンガンやってくれて、長身の若い職員にも窓ふきなどのお手伝いをいただいて、8時40分くらいから始めて11時前には終わった。窓拭き、棚拭き、水回りや外の排水槽の清掃などができた。掃除には全く役に立たない私は(では、他のことで役に立っているかというと、それも怪しいんだけど)、建物の外回りを担当し、溜まった落ち葉や腐植土、建物際の雑草などを除去した。
2019年12月20日(金)その2 1月下旬に頼まれている講演の打ち合わせで、担当する男性とプレスのやはり男性記者さんが、午後1時に来訪。30分ばかり話をする。今回は全く官公庁は関わらない行事なので、私にとっては普段とは違っていて、それはそれで面白ろそう。と言っても、スライドと資料の準備は同じですけどね。ご来訪のお二人が私より年配に見えて、そうだよなあ、と思ったり、でも少しびっくりしたり、でした。
2019年12月18日(水) 村教委から頼まれていた試掘をやる。「やる」などと偉そうに言ったけど、実際に重機で掘ってくれるのは担当の係長さんだし、図面とか道具をそろえたり庶務的な手配、県教委とのやり取りは担当者がやるので、私は掘削深度の指示を出したり、遺構かどうかの判定や出てきた遺物の時期判別や鑑定、それに調査地点の評価などを言っていればいいので、体力的にはきつくない。それでも泥の現場を歩きまわって、トレンチ内への出入りを繰り返し、しかも午前中はそぼ降る雨でヘルメットから水が滴って、そこそこ疲れた。結果は、歴史的に面白い一帯だったので、その解明に繋がるものがなくて、かなり残念。
2019年12月17日(火) 午後、母のところに顔を出す。10日のインフルエンザの予防接種は何も後遺症がなかったみたいで安心。缶コーヒーを一口飲んで、今度はパンを買ってこいと言うので、自室に冷蔵庫がないから、それはダメだというと、ビスケットでも良いという。食事もおやつもきちんと施設で管理してもらっているはずだから、困るなあ、とは思うんだけど、食い意地があるうちは元気な証拠とも思い、わかった、次に持ってくる、と筆談で伝えた。
2019年12月15日(日) やっぱ埋文パトロールの件数が少ないのが苦になって、朝のうちに村内と朝日方面を回る。戻って、すべてのカードをデータ作成して、午後には担当の先輩のご自宅に届けることができた。本当は休出して土器を描こうと思っていたんだけど、そっちは止め。まあいいか。
2019年12月15日(日)その2 いよいよWindows7のサポート終了が迫ってきたので、我が家に2台あるセブン機のアップデートを太郎にやってもらっている。特にサーバーはここ5年間、24時間動きっぱなしなので、機器の耐用年限も来ていて、その更新にも取り組んでもらっている。パソコン自作が趣味の私としては、本当は自分もうんと関わりたいんだけど、とにかく色々やらなくてはいけないことが多くて、しかも体力は落ちて無理がきかないし、かなり残念。でも頼もしくて、ありがたい、というのも正直な気持ちです。
日の出が遅いので、早朝ウォーキングで見る星空が見事。子供の頃から早寝で、夜空に馴染みがなかったけど、凍てつく夜明けは美しい。(2019.12/14記)
2019年12月14日(土) 埋文パトロールの続きをやろうと思っていたら、午前中から強風で南の方は凄い砂塵。東原から古見原にもうもうとまきあがっているのが我が家からもしっかり見えて、外出は躊躇してしまった。仕方がないので、8日と10日に回った写真でカードを作る。15件しかないけど、まあいいか?あとは年賀状の用意で、昨年(正確には今年の年頭)に来たのを点検。転居とか、年賀状仕舞いとかを確認した。古いお付き合いのお二人が年賀状仕舞いを明記されていて、しょうがないけど、ちょっと寂しい。
2019年12月14日(土)その2 今日は女房と私の記念日なので、子供たちが夕食時に祝ってくれた。美味しいお酒とちょっとした御馳走で、とてもうれしい。
2019年12月13日(金) 昨日、我が家のプリンターが壊れてしまったようだ。紙の吸い込みがおかしくなって、いよいよダメみたい。エプソンのインクジェットプリンターは、歴代の機種がとにかく紙送りで問題が生じることが多くて、いまの機械も買ってから2度くらい、紙送りの機構の手入れをした。今回の不調はそれとはかなり違うので、まあ5年目に入ったことだし、新調するか、っていうことになった。なにしろ年賀状シーズンで、仕事にならないからね。
2019年12月12日(木) 村教委から試掘を頼まれていて、午後に担当係長、担当者とともに下見。なんか石だらけの畑で、近世の遺物が拾えた。調査地の隣は昔の庄屋の屋敷で、立派な本棟の主屋に土塀と長屋門がある。正面側から見たのは初めて。
2019年12月11日(水) 懸案だった報告書の最後の1本が、今日、無事に印刷屋さんに入った。いろいろな方面の皆さんに、それこそお世話になった。ただただ感謝。今回の資料はとても良いものなので、あらためて遺物編を世に問いたいなあ。
2019年12月11日(水)その2 夕方は毎月第二水曜日恒例のラジオ出演。今月18日からの博物館コーナー展示についてしっかり話をさせてもらった。近世は私の専門分野じゃないけど鋳銭所はとても興味がある。
2019年12月10日(火) 母の居る施設から、インフルエンザの予防接種を受けさせてくれと言われて、我が家にはそんな習慣がないもんでピンとこなんでいたけど、市役所から来た割引の書類が見つかったので、午後に施設の近くの医院に連れて行った。初めていくお医者さんで(当たり前か)、待合室も小ぢんまりこしていたけど、平日なのに20~30代の女性が何人も来て「ハテ?」と思っていたら、女医さんだったので納得。30分くらいで済んだ。施設に戻って、母を自車から車イスに移そうと抱き上げたらよろけて、危うく二人でひっくり返るところであった。いかんねえ。
2019年12月10日(火)その2 我が家の隣の神様のサクラを業者さんが来て切り倒していてびっくり。幹回りが2mはある古木で、毎年の春を楽しみにしていただけに、とても残念。管理していた隣の常会の人が亡くなって、いろいろと大変だったのだろうけど、いいのかなあ?せいぜい百年しか生きない人間の都合で、そんな古い木を伐ってしまって。腹病みの神様だっていうから、祟りがあるかもしれない。くわばら。
2019年12月8日(日) 午後、埋文パトロールで村内の遺跡を回る。今年は何故かパトロールの依頼が遅くて、12月になってから来た。雪でも降っちゃったらできなくなるのに、もう。県教委か、学会事務局の手続きか、それとも地区幹事さんが忙しかったからか?
2019年12月7日(土) ムラのホールで午前10時から講演。60人くらい聞きに来ていただいたか?ただ、テーマが縄文だったので、私としては得意な分野ではなくて、ちょっと言葉に詰まってしまうことがあった。女房からは「50点!」と酷評されてしまったが、私自身も同感。あまり好き嫌いを言わずに広く勉強しておかないといけない。資料作りとか、いろいろと参考になることも多くて、貴重な経験であった。
2019年12月6日(金) 我が家の周りや職場の付近でも、朝、うっすら雪が積もった。初雪だけど、例年よりは少し遅いのだそうだ。日差しがあったので、昼までには全部融けってしまった。風は終日、冷たかった。
2019年12月5日(木) 職場にチョウさんが来て後晩期の土偶の写真を撮っている。久々にお会いした。私は講演のために、今まであんまり関わってこなかった縄文時代の簡単な集成をしてたんだけど、ちょっと愕然とするような現状が垣間見えてしまい、そのことでチョウさんとしばらく相談できて良かった。過去の仕事の後始末ができていないのは私だけじゃあないんだ。というか、もっと深刻な気がする。
2019年12月4日(水) 週末の講演の資料がちっともできなくて、なんと今日も仕事は休みをもらって何とか午後までには仕上げる。空いた時間に床屋に行く。前回は8月下旬に行ったきりで、かなりやぶせったくなっていたので、とてもすっきり。でも、心なしか髪の毛が薄く、少なくなっているような気がする。
2019年12月3日(火) 出勤するが、昼休みは塩尻の薬局に母の薬を取りに行き、午後は2時15分から休みを貰って母のところに顔を出す。施設長からインフルエンザの予防接種はどうなっているか?と尋ねられたけど、市役所から来ているはずの書類が見つからない、と言い訳を言う。ホントのことではあるが、忙しくてしっかり探していられないのも事実。そもそもインフルエンザの予防接種を受けるという習慣がウチの家族にはないので、どーしてもピンとこない。母は前の施設ではやってたのかね?帰宅するその足で、今度は自分の掛かりつけの医院に行って、月一の診療と痛風の薬をもらう。やれ、忙しい。
2019年12月2日(月) 講演会の資料を土日にあらたか仕上げるつもりでいたのが全然だめで、今日は仕事を休んで終日資料作り。けっこう風雨の強い日で、午前中の女房の仕事の送迎をする。まあ、家にいる時くらいはいいかな。母のかかりつけの病院に電話をして薬の処方箋を出してもらうように頼み、夕方4時に取りに行って、その足で隣の薬局に置いてくる。主治医の先生に母の調子はどうか尋ねられ、いたって好調です、と回答。年が明けた来月の6日には、母を連れて受診することになった。
2019年12月1日(日) 今日から12月で、いよいよ今年も最後の月となった。私は昨日と今日の週末の土日、家に籠って12月7日の講演の資料作りに専念。相変わらず左腕はしばしば怠くなるし、専門外の縄文がテーマなのでちっとも思うように進まない。なんか今年の生活を象徴しているようだね。
2019年11月29日(金) 少し前に街中の現場で出土した寛永通宝の鉛成分を分析するために、歴博の専門の先生が試料採取に来て、午後3時すぎから私の居座っている整理棟で作業をした。近年、考古学に自然科学分野の研究や分析がどんどん入ってきて、今までの定説が覆ったり、あっと驚く発見がある。とても良いことで、今回の話もワクワクする。思わず先生の手元を見入ってしまう。
2019年11月29日(金)その2 昨夜の飲み会は、クルマを公民館の駐車場に置いて帰ったので、早朝に出勤する支度で公民館まで歩いていき、そこから出勤した。背中を痛めて、このところ朝のウォーキングをしていなかったのでちょうどよいと思って歩いたんだけど、職場に着いたら何か左の膝の裏側がちょっと痛い。しばらく足を高くして寝ていたけど治らず、痛みは午前10時ごろにピークで、ビッコを引いて歩く始末。またどこかの筋を痛めてしまったのかと、ちょっと絶望的な気分になったけど、午後になるとすっかり引いて治った。よかったけど、なんだったんだろう?
2019年11月28日(木) 村の文化財保護委員の視察研修で栄村の資料館施設を見学した。廃校になった校舎を利用した、村の公民館も兼ねた建物だったが、二階の展示室に入ってずらっと並んだ御子柴型尖頭器に圧倒される。信濃川流域はこの時期の見事な遺物が多いことを、あらためて思い出した。施設は地震被害から文化財資料を救済する目的が契機で整備されたとのことだったが、有志の会が組織されていて、展示や収蔵のための施設改修なども手作りで行ってきたというから、「ハコ」よりはむしろ「ヒト」の資産が生かされていると感心した。これまで私は、飯山までしか行ったことがなかったので、地域の景観にもとても興味が湧いた。山あいだが棚田が発達していて、冬の豪雪は夏の干ばつとは無縁なことも良くわかった。またゆっくりと行ってみたいところのひとつになった。帰途には県歴に寄って開催中の県内出土の土偶展を見てきた。知り合いの女性の学芸員が説明してくれて、新潟や東北方面との関連に注目すべきこともよくわかり、彼女の熱のこもった解説もとても嬉しかった。ムラへ帰って慰労会で一杯やって、帰宅したら夜8時を過ぎていた。委員長と私は、飲まなかった女性委員に送ってもらい、ひたすら感謝。
2019年11月27日(水) ここ3日ばかり、職場の同僚がお子さんの具合が悪くて休んでいる。お子さんは小さい頃から体調があまりよくないことが多くて、夫婦で苦心している。二人とも円満なとても良い人たちなんだけど、どうしてこんな人たちにこんな苦労が、と思うと気の毒でならない。でも、周囲のそんな心配を、既に乗り越えた、というか超越した境地に居るようにも見える。とにかく、大事にならないよう祈るばかり。
2019年11月26日(火) 午後2時から職場で史跡の古墳の整備指導委員会があって、私は事務局の一人として出席。委員は古墳の研究と整備には実績のある皆さんで、私の発掘での師匠筋の先輩もいる。みんな、古墳の重要性を市民や国民に広く知ってもらうために苦労を重ねているようで、普及啓発の話は様々な事例やアイデア、準備や注意点など、参考になることばかりで非常に良かった、というより感銘を受けた。終了後、街で一席あったんだけど、私は今週は飲み会が続くので欠席とさせてもらった。かなり残念だったけど、背中も完治してないし、まあしょうがないね。
2019年11月25日(月) 午後、母のところに顔を出す。通常は火曜日にしているんだけど、明日は午後に会議が入っているので前倒しした。先週は背中を痛めて行かなかったので、母は久しぶりと言って喜んだ。飲みたがっていた缶コーヒーを買って行って、母は小さな紙コップに半分ほど飲んで、残りは私が飲んだ。
2019年11月25日(月)その2 午後四時半にムラの公民館にいって、文化財担当の学芸員と打ち合わせ。12月7日の講演の件で、当日資料の締め切りとかスライドの上映とかを決めた。資料は遅くも4日か5日までには届けなきゃ。ちょっと忙しいかな?
2019年11月24日(日) 大相撲の九州場所が終わった。先場所に優勝して、今場所は大関取りとか騒がれた御嶽海は、なんと6勝9敗と負け越してしまい、初場所は三役からの陥落必至となった。三日目に明生とやって勝ったんだけど、眉の上を6針縫うケガをしてしまったのが運の尽き。その後の三連敗が後まで響いた。解説者たちは、そんなことぐらいで、という論調ばかりで、とにかく御嶽海はケガや痛みに弱い、というか我慢強くない、と言われてしまう。たしかに土俵から落ちてとても痛がったり、ちょっとオーバーだなって感じはあるし、でも次の日はケロッとして出てくる。しかも稽古では無理をしないので、稽古嫌いとレッテルを貼られてしまっている。私は、御嶽海がほかの力士より痛みに弱かったり、稽古が嫌いなだけではないと、常々思っている。一般に、よく「稽古で○○を傷めて休場」などと聞くと、何のための稽古だ!と思う。「ケガは稽古で治す」っていったい何なんだ?力士生命を絶つケガは絶対に避けねばならない。無理な稽古、高い土俵からの転落、土俵際での無理な粘り(結局負けるんだけど)、などはいずれもケガや故障につながる。とにかくケガをしない、したくない、と直感的、本能的に強く思っているもんで、ケガをしたり、しそうになったりすると、「いつもあれほど気を付けていたのに!」との悔恨が、とても痛く感じさせるんじゃあないか?そんな風に見える。全然、見当違いかもしれないが、御嶽海を介して今の大相撲のケガ、故障に対する問題が見えるような気がするんだ。
2019年11月23日(土) 午後4時から常会の収穫祭があって出席。勤労感謝の日の恒例の行事だったけど、このところ2~3年、連続して出ていなかった。開宴の前にいくつか議題があり、いよいよ小学生が居なくなって三九郎ができない。同様のあちこちの常会と合同にするか、子供とPTAだけではなく常会の大人も参加するか、という選択肢。じゃあ、合同はせずに常会みんなでやるじゃん!ということになった。私がPTAをやっていた20年前くらいから、西下と北村は子供が居なくなって合同でやっているとか大人がやっているとかいう話で、気の毒というか、どうにかならないのかなあ?と思っていたけど、いよいよ他人ごとではなくなった。しかし、わが子の年代が軒並み結婚していなくて子供がいないので、こんな体たらくな訳で、それも他人ごとではない。ウ~ン、少子化問題じゃなくて三九郎問題か。
2019年11月22日(金) 結局、今日までずっと職場に送迎をしてもらった。左腕の調子はだいぶ良くなった。太郎に多謝。
2019年11月21日(木) 職場がある地区で史跡ウォーキングがあって、若い衆が案内をするのでそれに向けた簡単な説明をして欲しいと頼まれ、午前中に話をする。現場から二人上がってきて、庶務担当も二人、それに考古館の学芸員が加わって、こりゃあ大ごとだね。私が現役の時には、あちこち、特に現場に影響が出てはいけないと思って、全部ひとりで引き受けてこなしていたけど、それがかえって若い衆の経験を積む機会を奪っていたのかな、などと反省する一方で、現場や庶務もやって、その上こんな案内などもやらせて、給料の割にはちょっと働かせすぎでは?とも思う。どうなんだろうか。
2019年11月20日(水) どーしても左の背中から左腕の調子がおかしくて、今日は仕事を休んで終日寝ている。とにかく体を起こしていると、使っていなくても左腕がだるい。横になってしまえば何ともない。ふだん、あちこち具合が悪くても、机に向かってパソコン仕事は何とかできたが、今回はそれが全くできない。ただグウグウ寝ているだけ。今日だけで三年分くらい寝たかな。
2019年11月19日(火) 自分での運転はあきらめて、職場まで送迎してもらう。母のところに顔を出す予定だったけど、もちろん無理で、施設に電話を入れて来週におくった。何もしなくても、左腕が痛くない置き場所をあちこち探すことしきり。どーしたって変だなあ。
2019年11月18日(月) 朝起きると、昨日、痛めた個所が更にだるい。女房に湿布を上下に貼り足してもらって仕事に行く。ズキズキ痛むわけではないので仕事にはなるんだけど、左手に負荷がかかるような動作をすると左側の背中から肩がだるい。頸も張る。何もしないでいても左腕の置き場所によっては同様な状態。まいったね。描きかけの土器があったので、少し残業して、雨が降って暗い中、対向車のライトに幻惑されながら自車を運転して帰宅したが、首から肩がパンパンに張ってしまった。
2019年11月17日(日) 久々に早急の用事もなくて天気も良いので、我が家の庭木の手入れをする。特に、勝手に生えてきて大きくなってしまったコガキの上の方の枝を下ろして、幹の切込みを大きくする。春に地上1メートルくらいのところの幹に切り込みを入れて、自然に枯らそうとしたんだけど、夏じゅう、そこからどんどんとヤニを噴いて、ちっとも枯れずに上の方で枝を伸ばした。大型の高枝切りを持ち出して高いところの枝を下ろした。重い道具で、まわりの樹が邪魔になってうまくバランスが取れず苦労した。午前10時まで2時間ほどやって、まあ、今日のところはこれくらいと思いやめた。午前中、近所の保育園で行事があるらしく、我が家のすぐ西の辻に案内係が立って、どんどんと来る保護者の車を誘導していた。
2019年11月17日(日)その2 午後4時過ぎくらい、テレビで大相撲の九州場所を見ていたんだけど、どうしても背中の左側がだるくて、左手の上げ下げに痛みが伴う。女房からは、ちょっと時間があったからって、普段、身体を使っていないのに、急に思いついたように庭木をガンガン切るもんで、どっか痛めたんだ、と厳しく指摘される。まさにその通りなのかなあ?左の肩甲骨の内側くらいに湿布を貼ってもらったんだけど、一帯が熱を持っている。いかんなあ。
2019年11月16日(土) 隣の村の美術館で縄文土器の展示会をやっていて、午後1時30分からギャラリートーク。展示室内に椅子を並べ、学芸員の女性と私が対談形式で縄文土器について語った。当初の予想よりお客さんが多くて、椅子を追加して満席。と言っても30人くらいかな。知り合いも数人来ていて、このくらいの規模だとそこそこ気楽で、ちょっとくだけた余談もできた。どちらかというと縄文時代は私の専門ではないんだけど、昔、さんざ掘ったし、今もその時期の整理をやっているので、トークの内容はうまくまとまったと思う。3時には終わって、帰宅したら3時30分過ぎ。最初は良かったが、天候が曇って来て、後半は会場がちょっと寒かった。
2019年11月16日(土)その2 隣村でギャラリートークをやるにあたって、ここの縄文は樋口先生の業績抜きでは語れない、何か話題にそのことを盛り込まねばと思い、先生の追悼書籍を探したんだけど、とにかく蔵書の管理ができてなくて見つからない。蔵書用に庭に置いたコンテナハウスの中も探したんだけど、ない。三郎に貸している書斎に積み上げたコンテナーの中から発見されたのは家を出る15分前で、読み込んでいる暇がなかった。久しぶりに見たコンテナハウスの中には、精読したい報告書とか論集、雑誌が、それこそ綺羅星のようにあって、ウ~ン、何とかしなくては…
2019年11月14日(木) 一昨日から3日連続で、収蔵遺物の大運搬作戦が行われた。老朽化した一時収蔵施設の廃止に伴うもので、若い衆4名が現場の作業員さん6名くらいを頼んで、ダブルキャブの公用車も借りて運んだ。私の居る整理作業棟も、私が抱えていた大きな遺跡の報告書作成が終わったので、その土器を中心に100箱ほどを搬出してもらった。次の報告書の遺物も持ってきてもらったけど、そっちは30箱くらいで、作業所のスペースにかなり余裕ができた。でも、現場が続けば遺物は確実に増え続ける。さて、どうすべいかね?
2019年11月14日(木)その2 母の入所を申し込んである特養の組合の担当者から、今日、西部の施設の次の入所者を決める会議?があって、母はそのリストに選ばれた旨の連絡があった。後は施設の担当者から連絡が行くことになるが、施設の状況によって早くなるか、それなりに待つか、ということだそうだ。まあ良かった。今のところは月に15万くらいかかるので、私の持ち出しは10万ちかい。介護保険負担限度額の認定も市役所から貰えて、これで特養に入れれば、母の年金でほぼやっていけそう。私の介護破産は免れる。
2019年11月13日(水) 毎月第二水曜日恒例のラジオ出演。前半はまだやっている(「まだ」はちょっと失礼だったかな)職場がらみの展示会2件の紹介、後半は11月と12月に私が話をする行事の宣伝で、やっぱ秋は事業が多い。純粋に遺跡とか考古の話をする時間がとれないねえ。
2019年11月12日(火) 午後、母のところに顔を出す。仕事とか講演とかのことで頭がいっぱいで、コーヒーを買って行くのを忘れた。このところ母はけっこう元気だ。帰りがけに、施設長から、市役所からインフルエンザ予防接種の減免の通知が来ているはずで、それを持って母に予防接種を受けさせてほしい、と言われた。それも、私が連れて行かねばならないんだそうだ。また仕事を休まなければいけない。今までのケアハウスではどうしていたんだろう?何とかならないもんかなあ。
2019年11月10日(日) ムラの観光協会が主催の新ソバ祭があり、史談会も協力していて、村内の道祖神巡りのマイクロバスに添乗、現地で説明をする。昨年までは1回だけだったが、大人気で、今年から午前と午後の2便になった。私は午前の便に会長と乗って、7カ所の道祖神を交互に説明した。お客さんは村内在住は少なくて、周辺の市町村や遠くは東京とか名古屋の人もいた。天気も良く、絶好の見学日和。説明もそこそこ上手くいって良かった。私は12時30分からはトレセンの一部屋を借りて、昨日印刷した会報の製本作業。道祖神巡りの手の空いた副会長さんや地区幹事さんが来てくれて、一時間とちょっとで100部作れた。午後2時にはソバ祭のスタッフとして新ソバをいただき、3時には帰宅することができた。
2019年11月9日(土) 今朝は氷点下2度まで冷え込む。午前10時30分に朝日村の図書館に行き、美術館学芸員のお姉さんと来週のギャラリートークの打ち合わせ。30分ほどで終えて、ムラの公民館にいって史談会の会報の印刷。今号は21頁あったが、午後1時までには終えることができた。女房は街で伝統建築を巡る講座があり、天神に午前9時に集合とのことで、自転車で出かけた。やはり午後1時には帰宅した。朝が寒い分、天気が良い。
2019年11月8日(金) 同僚の家族が事故でけがをして入院と聞きびっくり!昔、一緒に仕事をしたことがあって、私はとても助けてもらったので、とても気の毒だし心配。とにかく早くよくなってほしい。
2019年11月7日(木) 昨日と今日、女房と二人で大鹿村に行ってきた。昨日は中央構造線の露頭や博物館を見て、山中の温泉に一泊した。露頭は村の北のはずれの北川と南端の安康というところのものを見たが、後者は圧巻。小渋川の支流の青木川が削った対岸にくっきりと地質の境界が出ていて、見事というほかはない。周囲や足元にある岩石も多種多様で面白そうなものばかり。でも、双方の露頭に向かう道は、一応舗装して自動車が通れるんだけど、片側は崖、片側はガードレールでその下は川、そしてとにかく狭い。対向車が来たらお陀仏、という区間の連続で、こういう運を天に任す運転は身体によくないね。でも何台かよけ違ったり、路端に停まっていたりして、地元の皆さんはこれがデフォルト、もう慣れっこなんだろう。南アルプスの山懐、のどかな村なんだけど、驚いたことに北にいっても南でもダンプカーだらけ。地元のクルマより確実に多かった。おそらく村内のあちこちで土木工事が盛んにおこなわれているのだろう。リニア絡みもあるのかな?温泉は一度は行ってみたかった秘湯の一つで、お湯は強塩。海水のようにしょっぱい。湯船で顔をぬぐっても汗をかいているように感じるくらい。お湯から出てしばらくすると身体が火照ってくる。やっぱ温泉はいいねえ。今日は昭和36年の災害で大崩落した跡地に整備された公園を見て、登録有形文化財になっている昭和30年代のコンクリート橋を渡ってきた。帰宅すると午後1時半くらい。天気が良くて、空は青く山は色付き、最高の日和であった。
2019年11月5日(火) 午後、母のところに顔を出す。先週、貰っておいた薬を施設の職員に届け、母には缶コーヒーを買って行った。部屋にあった小さな紙コップで一口飲んで満足した。耳の聞こえが今日は僅かだが良いみたい。そんなことってあるんだろうか?
2019年11月5日(火)その2 我が家のあたりでは、いよいよ朝の気温が氷点下になる日が来始めた。今朝は出勤しようとすると、クルマのフロントだけでなく両サイドの窓も霜がびっしりついて、ガリガリ削った。日の出もすっかり遅くなって、これまでと同じ時間に早朝ウォーキングをしようとすると、まだ真っ暗。足元が危ないのでLEDの懐中電灯を持って歩く。
朝夕が寒い。数日前にクルマのフロントが今シーズン初めて凍った。居間では一昨日からストーブを出す。海抜700mの我が家の冬は近い。(2019.11/4記)
2019年11月3日(日) 午前9時に女房と二人でムラの文化祭を見に行く。一昨日の夕方の展示作業に行った、それだけだったのであらためて出掛けた。昨年、県宝に指定された縄文土器が飾ってあって、おおっ!と感動。その後、女房は隣の街の文化祭も見ると言ってバスで出てしまった。私は午後3時にもう一度会場にいって、今度は片付け。こちらは展示の時より早く終わった。次は10日の新ソバ祭でのムラの道祖神案内だ。その終了後に史談会の会報の印刷と製本をやることになって、会場を確保して帰宅。
2019年11月2日(土) 先週は何かと用があって2日も仕事を休んでしまい、来週も休む予定があるので、今日は土曜日だけど終日出勤して縄文土器を描く。電話も来ないし、作業員さんへの指示もないので、集中できた。難物の中期末の土坑出土品、あと2点ほど描くと何とか目途がつく。
2019年11月2日(土)その2 わが国では9月からラグビーのワールドカップというのをやっていて、時々テレビの中継なんかもあった。という程度の関心しか私はなかったんだけど、女房はすっかりはまってしまい、ネットでラグビーのルールとか戦法とかダウンロードしては、テレビ中継に見入っている。もともと女房は強くて、でかくて、ゴツイ男が大好きだったから、まあ無理もないか、と思って眺めていた。確かに強くてゴツイ男たちの肉弾戦で、これなら大相撲の関取を出場させれば、細かい技や速さはさておき、とにかくじりじりとただ押しまくって勝てるんじゃないかと思うほど。サッカーとかバスケとはまた違うタイプのチームのスポーツだと痛感。そのワールドカップも今日の決勝で終わり、ニュージーランドを破った南アフリカが優勝した。なんか、全国的に俄かファンも増えたようだけど、これから、案外この国の皆さんにはうけるんじゃなかな、などとも思った。
2019年11月1日(金) 朝5時50分頃、クルマに乗ろうとしたらフロントガラスが凍っていた。今シーズン初めて。慌てて暖気をして、ダッシュボードから霜取りを出してガリガリ削った。今日から11月、その初日から初冬が来た。通勤路は我が家のあたりは良かったが、下の工業団地から寿の上まですごい霧。昼は晴れて、久々に気持ち良い青空が広がった。明日からムラの文化祭で、史談会も村出身の著名人について展示する。帰途、会場のトレセンに寄ったのが午後6時30分頃。もう会長さんやほかの役員、幹事さんたちで展示は終わっていた。7時半からは文化祭の関係者全員が集まって2階から机を下ろす作業をする。帰宅したら午後8時。
2019年10月31日(木) 昨日に続き、昼休みに塩尻の病院の隣の薬局に行って薬を受け取る。時間内に戻れるので良いんだけど、いつもの昼寝は全くできない。疲れが取れない。
2019年10月31日(木)その2 世界遺産の沖縄の首里城が火災で全焼のニュース。これは大変なことだ。第二次世界大戦の沖縄戦で失われたのを再建したものではあるが、沖縄の歴史と文化を伝える極めて重要な遺跡。文化財の火災は他人ごとではない。
2019年10月31日(金)その3 史談会では今年のムラの文化祭で村出身の著名人を紹介する企画で、役員や幹事さんが作った元資料を私が掲示用に直したり拡大したりしていたんだけど、今朝は2時過ぎから起きだして最後の仕上げ。夕方、会長さん宅に回ってA2版に拡大した展示版を届ける。
2019年10月30日(水) 仕事の昼休みに塩尻の病院に処方箋を貰いに行く。受付で10分くらい待たされたが、1時までには職場に戻ることができた。処方箋も何も言われないでもらうことができた。その足で隣の薬局に行って、明日の昼に薬を受け取りに来ることにした。
2019年10月29日(火) 午後、母のところに顔を出す。ちょうどお茶の時間で、母の個室で私もお茶をいただいてしまった。前々回に缶コーヒーを飲んだら、夜眠れなかったので次はいらない、と言われて前回は買って行かなかったら、やっぱ少し飲みたいというので今度は買っていった。施設の職員から薬が11月8日で終わると言われて、病院に電話。主治医の先生に処方箋を出してもらうように頼み、明日、取りに行くことにした。病院は塩尻にあって遠いし、母は車イスなので連れて行くのも一苦労。母も私もかえって調子が悪くなってしまう。でも、基本は診療が必要なんだろうね。前回、診てもらったのはたしか7月はじめくらい(6月末だったか?)なので、やっぱり連れてきてほしい、と明日、言われてしまうかもしれない。考えただけで具合が悪くなりそう。
2019年10月28日(月) 女房に言われて初めて気が付いたんだけど、我が家の玄関の前のツツジが見事に丸坊主。きっと毛虫に食べられちゃったんだ。今年は、何か特定の蛾の毛虫が大発生しているというニュースは聞いてはいたが、自分ちのこととは全然考えていなかった。ツツジには、もう、毛虫は一匹もいないけど、その他の雑草なんかは全く目もくれず、ひたすらツツジだけを食べてある。刈込に強い樹だから枯れることはないと思うが、まあ、これを機会に、もう少し剪定をするかと、女房が言う。
2019年10月27日(日) 職場で音楽ホールを借り切るイベントがあって、当日スタッフで動員。駐車場係をやる。ホールには250台以上駐められるスペースがあるのだが、来場者すべてが自家用車で来たとすると350台になるという見込みで、近くの事業所の駐車場もあらかじめ借りて臨んだ。だもんで当日スタッフは私も含めて、みんな電車で会場まで行った。午後1時開演、開場は12時だけど、そのまえから続々とクルマが来て、最後は事業所の方にも数台回ってもらった。目立ったトラブルはなかったと思う。山城専門家と山城芸人の対談とあって、600席の9割以上は埋まったようで、大盛況といって良いだろう。天気は曇り時々晴で、ちょうど良い日であった。
2019年10月24日(木) 昨日の疲れでダウン。終日寝ている。
2019年10月23日(水) 史談会の村外史跡探訪で、朝9時からマイクロバス1台で隣の市の文化財建造物を巡る。仕事はお休み。最初に、旧地方裁判所や奈川の女工宿などが移設されているところに行って、次に先月正式に国宝になった学校建築。昼は街中の発掘現場見学を兼ねて大名町のソバ屋。午後は国宝の学校によく似た建物の県宝の学校、最後は国重文の江戸時代後期の豪壮な本棟造りの屋敷を見た。そこの館長さんから、古民家を含む文化財の保存管理の重要性や難しさ、文化財の活用と観光の振興などについて全員でお話を聞いて、とても素晴らしかった。午後4時40分頃ムラに帰着するとその足で慰労会の飲み会。夜7時30分過ぎにはお開きとなったが、私はコースの設定や案内など、飲み会を除くほとんどを担当したので、ああ疲れた。こういう企画事は好きでも得意でもない。でも、参加者がみな口々に「良かった」と言ってくれて、何とか肩の荷が下りた感じ。
2019年10月22日(火) 新天皇の即位礼正殿の儀が行われる日で、特例的に祝日となって仕事はお休み。テレビはどのチャンネルも午前中から特番続きで、私も中継に見入る。参列した各国代表、イギリスのチャールズ皇太子とかオランダ国王夫妻とかブータン国王夫妻とかの衣装や表情、天皇皇后両陛下や皇族の装束やしぐさ、侍従や女官の衣装や所作、もう見どころ満載で興味津々。そんな視点で祝典を見てるなんていけないねえ。安倍首相の萬歳は、掌が正面を向いたお手上げではなくて、縦というか45度くらいだった。ウ~ン、意味はどんなところかね?特別な祝日にもかかわらず(というか、特別な祝日だからか?)女房の会社は営業日で、雨がひどくて朝と昼に送迎をする。これもウ~ン、いけないねえ。
2019年10月21日(月) 月曜日だけど、明日の火曜に用があって来られないので、母のところに顔を出す。母はそこそこ元気だが、二日ほど前に持病?の右足から右脇腹がつるのが終日治らなくて痛み、もう最後かと思って私を呼んでほしいと職員に言ったそうだ。私が駆けつけたところでどうなるもんじゃないと思ったら、どうもそうではなくて、言い残しておきたいことがあったとのこと。前の施設に居た時にお世話になった奥さん(昔、団地で隣だった)になんとかお礼を届けてほしい、という話で、それについて先方は、以前、お礼なんかいらない、と私には言ったんでそれを母にはそう告げてあるんだけど、母は渡そうとした額が少なくて受け取りを断られた、と思い込んでいる。で、今回もそれをくどくどと言う。カニは己に似せて穴を掘る。若いころから貧乏で苦労した(と思っている)母には、お金の話は重要なんだろうね。
2019年10月21日(月)その2 母のところに顔を出す前に、母の住民票がある隣の市の市役所にいって介護保険の限度額申請を行う。先週、電話をして書類の書き方や窓口などを聞いてあったので全く問題なかった。それにしても市役所の職員は態度が良い。まるで接客業のように愛想がいい。こちらが支援・援助をお願いしなければならない立場なのに、まるで逆。説明は丁寧で、嫌な顔一つしない。帰りがけには「ありがとうございました。」とまで言われてしまって恐縮。ひるがえってウチの村役場はどうだろう。最近はかなり良くなったけど、まだ「何か用か?」みたいな、いかにもめんどくさそうに映る、あるいは「なんか、勘違いしてるんじゃねえ?」と思うような言動がたまにある感じがする。市に比べて小さい組織だから、一人何役もこなさなければいけなくて、忙しい、と言うより「せわしい」のだろうけど。まあ、隣の市役所も20年くらい前までは同じ感じだったんで、行く行くは変わっていくんだろうね。
2019年10月20日(日) 母の預金通帳の写しを出さねばならないので、ムラの大規模店に記帳にいって、合わせて礼服をクリーニングに出す。真夏のお盆三日間、里枝さんの葬儀で岡谷に通ったからね。
2019年10月18日(金) ムラの小学生がふるさと学習の一環で山寺を見るというので、史談会の会長、会計さんと私の3人で現地で説明をする。12時に会計さん宅に集合して、会計さんのクルマに乗り合わせて山寺へ行く。午後1時の少し前から説明を始めたんだけど、天気がぐずついていて、すぐに雨が降り出し、私の受け持った班は山門の軒下で合羽を着ることになった。対象は3年生2クラス、70数名だったけど、このくらいの子供は元気で、しかも好奇心のかたまり、突拍子もない質問をしてきて、とても楽しい。ウチの子供たちにもこのくらいの時があったなあ。そのころは夢中だったけど、やっぱ楽しかったなあ、などと思いながら話を終えた。帰宅すると2時40分。山寺とか道祖神とかの見学、説明が頻繁に史談会に回ってきて、仕事が有る身には、非常勤とは言えちょっと大変。今の会長さんはとても熱心な善意の人で、それで何とか回っているが、これから先、とてもそんなことは無理だろう。村役場とか観光協会とかで、史談会や文化財保護委員をそんなにあてにしない、説明やガイドのボランティア組織なりをきちんと立ち上げ、整備を進めておかないと、そう遠からず大変なことになるんじゃないかと心配になる。
2019年10月17日(木) 午前中に2時間ほど休みを貰って、23日の史談会の探訪コースのうち駐車スペースの確保が難しそうな施設2カ所を回って確認。先日、国宝に指定された学校建築には大型の観光バスが2台、横付けで来ていてびっくり。受付の女性に聞いたら、4台くらいまでは何とかなるので、とにかく来てみてくれとのこと。まあそうだろうね。当日の昼食は、登録有形のレストランを打診してあったんだけど、一月立っても連絡が来ないし、ああ、やっぱダメかな、と思いつつも直接出向いてみると、自分で盛り付けて食べ放題みたいなビュッフェ形式だったので、これはたしかに高齢の会員には向いてないと悟って、正式に打診を取り消してきた。ちょっと残念。でもまた何かの機会もあるだろう。その足で同じ大名町のソバ屋に行って予約を入れてきた。後刻に件のレストランのマネージャーと言う男性から丁重なお詫びの電話をいただき、かえってこちらが恐縮してしまう。夜7時からは史談会の役員・地区幹事会。23日の探訪や、11月2・3日の文化祭、10日のソバ祭の道祖神案内の件だった。文化祭の展示は各担当が作った資料を私が拡大することになって、預かってきた。かなりスピーディに進んで8時半には帰宅できた。
2019年10月15日(火) 今月の27日に職場で大きなイベントが音楽ホールを借り切って行われるが、その駐車場係を仰せつかったメンバーで、午前中に下見に行ってきた。私も個人的に年に1・2回は出かけるホールで、駐車場もかなり広くてゆとりがある気がしていたが、私が普段行くのはたいてい夜なので、昼間に行ってみると270台分のスペースと言うのは、それほど広くない。当日は600名を入れる予定で、クルマも最大で350台と見積もると、こりゃあ無理だな。メンバー全員で予備のスペースとか近隣への影響とかも見てきたが、当日は、さてどうなることやら。駅が直近なので電車で来てくれる人が多いと助かるんだけどね。午後は仕事を抜けて母のところに顔を出す。職員から次回にボックスティッシュを何箱か持ってきてほしいと言われる。
2019年10月15日(火)その2 千曲川の洪水、長野市のセンターの知り合いに電話をして様子を聞こうとしたが、いつもと全然違う感じの人が電話口に出て、二人とも被害で出払っているとのこと。ああそうだろうね。こんな時、遠くから電話で様子はどうだとか、あれはどうだとか、あれこれ聞くのはかえって迷惑かもしれないね。福島第一の時の菅さんみたいに。とにかく、みんな無事かなあ、矢口さんの奥さんとか。
2019年10月14日(月) 台風19号の被害のニュース一色。千曲川、関東の多摩川、それに東北の阿武隈川の決壊や越水。どこを見てもひどい。とくに千曲川は同じ県内なのでとても気に懸かる。また今日の午後から雨だそうで、復旧がさらに遅れてしまう。私の住む地域も直接の洪水の被害はなかったが、神奈川県から山梨県にかけて鉄道も自動車道も不通で、首都圏、関東圏から遮断されてしまった。今日配達の生協の食料品と食材、なんと半分近くが欠品。こんなところにも影響が出るんだ。
2019年10月14日(月)その2 そんなさ中なのに、早起きして西山へ一家で繰り出した。午後から雨だというので早い方が良いと思い、いつもより30分ほど早く起きだした。ところが山中のかなり登った付近で雨が降り出し、かなり予報より早い時間帯だったので一過性と判断してさらに登ったら、本降りになってしまった。上着に浸みた雨が乾かなくなり、帽子の庇から水滴が滴り落ち始めて、慌てて下山した。びしょ濡れではなかったが、そこそこ濡れて身体が冷えてしまった。やっぱ県内で大変な目にあっている人が多いのに、のこのこと山になど入っていた罰が当たったか?肝心の収穫は、シモフリがかなり採れて、クリタケの見事な株があった。今シーズンはこれで最後かな。
2019年10月13日(日) 台風の夜が明けて、深刻な状況が明らかになった。長野市で千曲川が決壊。広範な住宅地が一階の屋根まで水没して、二階に逃げた住民の姿が取材のヘリから次々と映し出されている。しかも濁流は、まだどんどんと流れ込み続けている。昔、考古仲間のタケさん初任地の寺尾小に遊びに行っていて、千曲川の増水に出会ったことがある。800m近くはある川幅の堤防間に、まるで潮が満ちてくるように増水し、ついには堤防の中位まで水がついてきた。その脅威は、私が育った松本平の洪水とは全く異質な恐ろしさで、「ああ、長野と松本の人間性、感覚の違いの原因はこれか!」とまで感じたことを思い出した。上田では別所線の鉄橋が落ち、佐久では護岸が崩れて家が流された。北陸新幹線の車両基地が水没して、新幹線9両が整然と並んだままで水に浸かっている姿は、平穏で普通な日常の全否定、平衡感覚の崩壊すら覚えた。北信や東信の知人友人は大丈夫だろうか?
2019年10月13日(日)その2 午後一番に史談会の会長さん宅に伺って打ち合わせ。主は18日の小学生の山寺学習対応と23日の村外探訪、11月の文化祭の展示の件だった。
2019年10月12日(土) 昨日の続きで朝から腹が痛い。祝日「体育の日」がらみの三連休の初日だけれど、以前から来る来ると騒がれていた猛烈な台風19号がいよいよ接近して、我が家のあたりでも朝から強風と豪雨。昼から夕方にかけてピークに達し、周辺の収穫が終わった田畑もどんどんと水がついて水没状態、北から吹き付ける暴風雨は軒下の窓からも容赦なく侵入した。テレビのニュースでは首都圏や関東甲信に広く大雨洪水の警報が出て、予想通りの状況。太郎は消防団で招集がかかり午後3時過ぎに出動した。ネットの動画には隣の市の市街地を貫流する河川が近年にない増水の様子があがる。もし溢水したら大変だ。それでも夜9時近くなると風雨の勢いが止んできて、9時過ぎには太郎も帰宅できた。我が家の周りはそんな程度で済んだみたい?だったが、あの雨の降り方は尋常じゃなかったから、大河川の流域は、これから増水が始まって大変だろう、と胸を痛めながら床に就いた。
2019年10月11日(金) 昨日の冷え込みのせいか、久々に腹痛がする。何かの拍子に腸が動いてぐうぐう鳴り、キリキリと痛むが我慢しているとじきに治る。そのくり返し。仕事に就いていられないほどじゃないけど不快、不愉快限りなし。夕方、職場から帰宅しようとしたら近くの消防団のサイレンがけたたましく鳴って止まない。史跡の山城付近で山林火災だそうで、関係の補佐たちは飛び出していった。大したことにならなければいいんだけど…。
2019年10月10日(木) 午前中、入所を申し込んだ特養の担当者が母のところに来て調査。私と施設長が立ち会う。要介護4であるとこ、単身世帯であること、収入が少ないことなど、入所の条件と言うか点数は悪くないようだ。申し込みの際の説明では年単位での待ち、と言われたが、今日の感触としては半年単位、くらいか。頻繁に(と言っても計2回の引っ越し)施設が変わるのは母にはかわいそうだが、今のところでは毎月の私の純粋な持ち出しが10万円強、特養に入れればそれが3万ほどに減るし、限度額負担が認められれば母の年金だけで何とかなる。
2019年10月10日(木)その2 今朝は冷え込んで、霜注意報が出ていた。さすがに降霜はなかったが、ウチの地区は早朝4.4度まで下がった。朝のウォーキングは寒かった。
2019年10月9日(水) 毎月第二水曜日恒例のラジオ出演。秋は催事が多くて、告知事項3件で話は終わってしまった。でも、最後の話は自分の職場ではなくて、隣村の件。私がトークイベントに出るという宣伝をしてしまった。えへへ。大型の台風が日本列島に接近中で、この土日三連休の街場のイベント中止の報が夕方に入る。私個人としては特に興味があるものでもなかったけど、楽しみにしていた人、一生懸命準備をしていた皆さんは気の毒。さぞかし残念でしょう。
2019年10月8日(火) 午後3時過ぎに母のところに顔を出す。地元の小学4年生1クラスが慰問に来ていて賑やかだった。前回、甘い缶コーヒーがどうしても飲みたいというので買って行って、施設に内緒で飲ませたら、とても美味しい、と喜んだ。小さい缶ではあるが全部は飲めないので、残りは私が飲んで空き缶は持ち帰った。次回も買ってこいと言う。まあいいか。食い気があるうちは元気な証拠だ。
2019年10年6日(日) やっと体調が戻って、早朝に西山へ繰り出す。女房と太郎の3人で、三郎は留守番。私の軽で行った。9月は結局、例年にない少雨で、山はカラカラ、マツタケは不作!という話題が新聞やテレビで飛び交っている。でも一昨日から夜が涼しくなって、なんとか良いかと思い、繰り出してみた。かなり高いところで遅手のキノコが出始めた。このまま降雨と順調な冷え込みが続けば持ち直すかも。
2019年10月6日(日)その2 午前中、女房と二人で隣村の美術館で縄文土器の企画展を見てくる。2日にイベントの打診があって引き受けたので、下見と打ち合わせを兼ねた。担当の学芸員にも会って、いくつか打合せもできた。いつ行っても、静かで良いところだね。人が多ければいいってもんじゃない。まあ、たまに行くだけの立場だから、そんな無責任?なことが言えるのかもしれないけど…。
2019年10月5日(土) 東信の弥生の古い仲間と、千曲市の新進気鋭の若手が一緒に来て、腕輪の実測をしていく。土曜日だけど出勤して私が対応。二人とも研究のやる気満々。うらやましい。私もこうありたいと思うし、どーしてウチの若い衆はこんな感じじゃないのかね?忙しいのはどこも同じだろうし。とも、思う。
2019年10月5日(土)その2 松本の山辺で道祖神巡りがあって、女房が参加するというので送迎をする。山辺の道祖神は、私も中学、高校の頃、自転車で回って、今は懐かしいハーフサイズのフィルムカメラでたくさん写真を撮ったなあ。もう一度、あの頃のこころざしを復活させねば!
2019年10月4日(金) 私が担当している縄文時代の発掘の整理、土器の実測に手古摺っていて、年末までかかってしまいそう。貴重な実測要員を私が独り占めしている形になっている。周囲の事情を踏みにじって自分の成果だけを求めている、というつもりはないし、実際にそうではないはずなんだけど、でも、そんな風に見えるのかもしれない。と言う訳で、少しでも実測要員を早く解放しようと思い、今日の午後から自分でも縄文の実測を始めた。縄文の粒を描くのなんて30年以上やっていなかったんじゃないかな?ううっ、目が!でも、ちょっと新鮮!
2019年10月2日(水) 夕方、仕事から帰ると、同じ村内に住む古い知り合いから電話があって、隣村の美術館の11月のイベントに出てほしいという打診。彼は定年後、美術館に非常勤で出ているんでその関係だね。今後、史談会の役なんかも頼みたいんで、ここは気持ちよく引き受けた。
2019年10月1日(火) 何とか治って出勤できた。やっぱ、先週の金曜日にお客さんがくるんで無理して出勤したのがいけなかったか?
2019年9月30日(月) 体調が戻らず、仕事を休んで終日寝ている。
2019年9月29日(日) 結局、この土日は家で寝ていて、ひたすら養生。秋の良い天気なのに、おもしろくない!里枝さんの四十九日にも行かれなかった。女房は街で大道芸の祭りがあると言ってバスで出てしまい、帰宅は夕方。
2019年9月28日(土) 終日家居で寝ている。鼻水とくしゃみはだいぶ治まったけど、のどが痛い。女房は午前中、歴史的な近代建築となぜか山城を見る会があって自転車で参加。普段は見ることができない上水道施設に入れた、と言ってご機嫌で帰宅。
2019年9月27日(金) 昨日の体調不良がまったく完治しておらず、朝から右目が痛くて熱っぽい。しかし、午前中に職場で県歴の弥生の学芸員に会う予定になっており、しかも一旦、私の都合で日程を変えてもらったこともあって、いまさら今日も駄目ですなんて言えない。家族に送迎をしてもらって出勤。なんとか一日勤める。午後には前回入稿したデータに不備があった(こちらのミスなのかなあ?)直しの受け渡しもできて、それはそれで良かったが、明日、明後日の週末は、とにかく自宅でおとなしく寝て居よう。
2019年9月26日(木) 職場は休みを貰って、シーズン真っただ中、早朝から西山へ繰り出した。ところが戦果はパッとせず、しかも山中でくしゃみと鼻水が止まらなくなって、這う這うの体でクルマまでたどり着いた。一緒に行った三郎には「情けない」などと揶揄われるが、もうそれどころではなくて、右目の奥が痛み出し、右上あごの歯茎も腫れてきて、帰宅すると寝込んでしまった。どうやら、ここ二日ばかり朝の冷え込みで風邪を引いた上に、眼を使いすぎたみたいだ。母のところに顔を出す予定も、史談会の地区幹事会出席も全部おじゃん。配布資料を何とか印刷して、近所の地区幹事さんに託し、ひたすら寝ている。各方面、各位、申し訳ありません。
2019年9月22日(日) 大相撲の秋場所、今日が千秋楽。なんと郷土力士の御嶽海が2度目の優勝をしてしまった。序盤で横綱二人が相次いで休場。大関の高安は最初から休場で、まあ、チャンスの場所と言えばそうだったが、先場所陥落した貴景勝の大関復帰もかかっていたりして、最後までもつれた。12勝3敗同士で貴景勝と優勝決定戦となり、本割では負けていたのに勝って優勝してしまった。でもね、竜電とかに土俵際でひょいっとかわされて負けちゃったり、豪栄道には立ち合いの変化で勝ったりと、ちょとマズいような面もあった場所で、次はどこからも文句の出ない優勝がいいなあ。
2019年9月22日(日)その2 朝6時から全村一斉の環境衛生があって、ウチの常会は恒例の集会所の掃除。三郎に行ってもらう。多謝。太郎は消防団で消火栓の扱い方の講習があって、講師の側で出勤。ご苦労様。今月になって、村内で消火栓に備えてある消防ホースの筒先(正式には管槍(かんそう)と言うんだそうだ。知らなかった!)が各所で盗難にあい、特に太郎の属する地区でひどい。真鍮製なので良い地金として売れるんだろうか?悪い奴がいるもんだ。
2019年9月21日(土) 県歴で小笠原氏の特別展をやっているので、女房と二人で午前中に見に行く。久々に自車の軽で高速を走ったが、やっぱ少しおっかなかった。ムラ最古の文書2通も展示されているので、史談会の一員として、ぜひ見ておかなければ、と半分は義務感だったけど、まあそれなりに面白かった。中世文書というものの現物を直接見る機会なんて、そうザラにないだろうからね。それに、図録が1000円なのにとても厚くて立派で、中身も濃くて、これは人に差し上げるにもうってつけと思い、2部買ってしまった。関連史料を網羅し、そのすべての最新の読み下しや、当時の状況についての論考がついており、久々に力が入った図録と感心した。ただ、内容がちょっと専門的で、用語も時代背景を知らないとすぐに理解できないものも多くて、歴史をきちんと研究したい人や小笠原に興味が深い人には嬉しいが、そうじゃない市民、県民は「へぇー、やっぱ歴史って難しいんだ。オレ、パス。」ってな感じかとも思った。博物館図録って、その時の最新の研究の集大成で、参考文献として各所に引用されるべき業績、であるという従来からの位置づけ、あるいは学界の意識、それはそれで当然だけど、専門雑誌じゃあないんだから、それだけでいいんかなあ?今から30年近く昔の市史編纂に関わった時の、H先生とK先生の議論、興味のない市民にも読んでもらえる、開いてもらえる本じゃなきゃ意味がない、という一方で、研究者として学界に向けてそんな「みっともない」ものは作れない、市町村史は代表となる業績のひとつ、という立場、このやりとりが私の脳裏でよみがえり、アア、K先生もK室長も歴史学の人だったんだ、と改めて懐かしく思い返した。まあ、嫌がる個人の私有財産権までまさに土足で踏み込まざるを得ない考古学(と言うよりは埋蔵文化財)は、やっぱ常にH先生の見識を欠いてはいけないと、思いを新たにする機会でもあった(かな)。県歴の図録も堂々とした本編と入門用のビジュアル編とかあれば、もっと嬉しかったけど、そこまで求めるのはさすがに贅沢だわね。
2019年9月20日(金) 職場は遅い夏休みを貰ってお休み。早朝から西山へ繰り出す。女房と三郎、私の3人で、クルマは私の軽で行った。太郎は申し訳ないけど仕事。このところ、ずっと朝が冷え込んでいるので良いかと思ったが、どうもリコボウが不調で、シモフリはまだ早い。先週に続いてコモソウが採れたが、もう2日早ければなあって感じで開いてしまっていた。結局、リコボウを探して村境まで登ったがほぼスカ。見事な乗鞍が拝めたのは良かった。かなり下の方でクリタケが採れたのにはびっくり。産状も傘も茎もクリタケなんだけど、傘の天辺だけ微妙に違和感があって、夜のキノコ鍋が胃袋に入った後まで疑っていたが、腹も痛くならなかったので、まあ正解だったか。
2019年9月20日(金)その2 午後は一番で母の特養の申し込みに松塩筑木曽組合の事務局に行く。中堅の男性職員が対応してくれて、無事に申し込みは済んだ。母は一人暮らしが長くてかなり我儘なところがあるので、最初は個室限定で頼めないかと思っていたが、男性職員の話では、待ちが長くなりすぎるし、各施設の判断で相部屋不向きなどの入所者の対応をとっているということで、やはり特養という低額のサービス内で納得していくしかないんだ、と察した。そもそも今の母の状態では、カーテンで仕切られた程度の相部屋でも、もう問題を起こすほどのこともないか…と、何とか自分の気持ちを割り切らせた。
2019年9月19日(木) 早朝ウォーキングは北風が冷たくて、初めて上着を着て歩く。午前11時ころ、豊科郷土博の館長さんが職場に寄って、木曽のK先生が今月の11日に亡くなって葬儀は家族で済ませ、故人の遺志で香典などは一切ご遠慮という通知が奥様名で来たけど、知ってたか?どうする?という話になる。びっくり。最後にお会いしたのは昨年か一昨年くらいか。一切ご遠慮というから、奥様あてに手紙でも書いて、これまでのご指導の感謝とお悔みを申し上げるしかない。しかし、本当にびっくり。先生方、いつまでも元気でおられる訳はないんだから、今のうちに昔の話を聞いておかなくては…。午後1時半頃、職場に業者さんに来てもらい打ち合わせ。懸案についてご快諾いただき、ただただ感謝。3時半には重文住宅の館長さんのところに顔を出して、史談会の件でお願い。こちらもご快諾をいただき多謝。
2019年9月19日(木)その2 今月の4・5日に入った人間ドックの結果が郵送されてきた。毎年、縮む一方だった身長が0.2センチ伸びたが、そんなのは誤差のうちか。体重は1キロ以上減って、まあ順調。前日が飲み会だったのでγGTPの肝機能が心配だったけど、去年より更に数値が下がっていた。晩酌で1合しか飲まない(飲めない)のが良いのだろうか。他の値も悪くない。ただ、毎年、血糖値に[+]が付いてきて、今回は空腹時血糖値が[+1]だった。前回までは1時間後が[+2]だったので、何が変わったのか原因もよくわからない。現役時代からの習慣で朝昼にほとんど食べないので、体がそれに適応してしまっているのかなあ?それと尿酸値5.8も納得できない。7.0以上が問題となる数値だから、大きく割り込んでいるはずなのに、何で6月に発作の激痛で苦しんだのだろうか。体質だと言われればそれまでなんだけど、でも神様の不公平に納得できない!
2019年9月18日(水) 洗馬の歴史研究会と公民館がムラに探訪に来て、史談会の会長と私の二人で案内。私は職場の方はお休み。まあ、地域の仕事だから仕方ないね。お寺と道祖神3件を回ったらお昼になってしまい、その後、山寺と道祖神をもう一つ回る。帰宅したら午後3時近かった。早く終わったら、母の特養の申し込みに行こうと思っていたけど今日はあきらめた。
2019年9月17日(火) 昨日の夕方頃から急に冷え込む。女房は座卓をコタツに模様替えする。少し早いか?でも温まる。
2019年9月16日(月) 敬老の日の祝日で休み。午後2時に母のところに顔を出し、施設長さんと特養の申し込みの件で相談。書類を書くのを手伝っていただいた。先週もらった目薬も渡す。母に会うと、先日、耳掃除を施設の職員にしてもらったら、奥の方に耳垢が固まっていてそれは素人では取れない、と言われたというので、もしかしたら、急激に耳が遠くなった一因かとも思う。次郎にもそんなことがあったからね。耳鼻科に連れていく思案をしなければ。
2019年9月14日(土) 私のクルマで太郎、三郎と西山へ繰り出す。ここ二日ばかり、急に朝が冷え込むようになったので、こりゃあいい、と思って出かけたんだけど、イグチは第2弾が出るにはちょっと早すぎた。それでも、とんでもないところでタマゴタケが採れた。コムソウも出始めて、まあ満足。女房は博物館の日帰りバス旅行で山梨だかに行っちゃって帰宅は夕方6時前くらい。地区の産土様のお祭りで、太郎は4時から消防の警備で出動。
一昨日から急に朝夕が涼しく、楽になった。やっと秋が来た。気が付くと、家の周りの田んぼでは稲刈りが終わったところもぽつぽつ出始めた。(2019.9/14記)
2019年9月13日(金) 午後、関連のある営業部長さんに来てもらって以前のことで相談に乗ってもらう。部長さんは実は中学、高校の時から付き合いがあって、話の最後はお互いの健康のことになった。スポーツマンで鳴らした人だけど、やっぱ大変だ。母の特養申し込みの件で今の施設長さんに会おうと思っていたけど、今日は都合が悪いようなので、16日の午後にする。3時過ぎに職場を出て現場に回る。今やっている地区は、どうやら住居1軒と溝で遺物量も少なく、何とか予定どおり終るかな。
2019年9月12日(木) 昨日まで台風15号の余波でムシムシ暑くて、職場ではエアコンを入れていた。夜も寝ていて汗ばんでしまった。ところが今日から急に涼しくなって、肌寒いくらい。本当に、昨日までの陽気がウソのよう。女房はムラの公民館の行事で村民登山。鉢盛山に登ってきた。以前は登山口までの林道が崩れてなかなか行かれなかったんだけど、ここ数年、大丈夫になったようだ。私も機会があれば登ってみたいなあ。
2019年9月11日(水) 毎月、第二水曜日恒例のラジオ出演。9月、10月の現説や企画展、山城登山などの話題で話は終わってしまった。まあ、それが私の最大の役目だから問題はないんだけど、なんか昨今の発掘や発見の話題にも触れられるといいけど、とにかく秋は行事が目白押しだからね。
2019年9月11日(水)その2 朝のウォーキングの時に、田んぼ3枚くらいで稲刈りが終わっているのに気が付いた。おそらく昨日、コンバインで一挙にやってしまったのだろう。秋本番だ。
2019年9月9日(月) 午後、母の目薬を塩尻の病院で処方してもらって隣の薬局で購入、その足で松塩筑木曽組合の事務局に行って、母を特養に入れる申し込みの相談をする。若い女性の相談員が親切に説明してくれて、とても助かった。ただ、入居待ちは1年単位は普通だそうで、やっぱそうなんだね、大変だ。
2019年9月8日(日) 夕方5時から史談会の役員会。会長、副会長、会計と事務局の私の4名が集まる。10月の村外探訪、小学校の山寺の校外学習、洗馬の歴史研究会の対応、文化祭、新そば祭りなどの件について協議。9月26日に地区幹事を集めて幹事会を開催することになった。最初に、私は7時には連絡が入るので家に居なければいけない、と断ってあったためか、6時30分過ぎには終わって帰宅できた。いつもこのくらいスピーディだと嬉しいんだけど。
2019年9月7日(土) 早起きして一家で西山へ繰り出す。秋、到来!待ちに待った季節だ。チチタケは終わりがけ、アミタケが盛期でイグチは一旦出たのはもう悪くなっていたけど本番はこれからって感じ。コモソウやキシメジは全然気配もなかった。帰宅して病院と薬局に電話、月曜日に処方箋と目薬を取りに行く段取りにできた。気が付いたら、家の前の黒川用水の水が止まっていた。9月に入ってから止まったのだと思うけど、急に家の周りが静かになった。秋だ。
2019年9月6日(金) 今週の火曜日に現場が忙しくて母のところに行けなかったので、今日の午後、顔を出す。施設の職員さんに会ったら、開口一番、目薬がなくなりそうだ、と言われびっくり。えっ、だって先月末の30日に処方箋を出してもらって届けたばかりじゃん。なんで?一日4回の点眼だけど、どうやら母はそればっか苦にして、職員さんがやるというのを拒否して、自分でどんどん点眼した結果だろう。私の顔を見ると「目薬は持ってきたか?」と言うので、「使い過ぎ」「月末までは届かない」と何度もホワイトボードに書いて、かなり厳しく伝える。わずかに残っている分で月末まで持たせるんだ!使い過ぎなんだ!と強引に近く納得させる。このくらい嫌な思いをさせて、印象付けをしないと、またぞろ同じことを繰り返すだろうと思ってのことなんだけど、でもどうなのかなあ?実際には、明日になったら早々に病院に処方箋の手配などを相談して、目薬を調達しなければならない。なんなんかなあ、ハア~。
2019年9月6日(金)その2 先月入稿した報告書が届いた。ああ、やっとできた。一つ、人生の区切りに達した感がある。でも、まだまだ次のハードルが控えている。まあ、身体が動くうちは、みんなに迷惑をかけないようにしながら走り続けるしかない。
2019年9月5日(木) 昨日と今日、一泊で人間ドック。例年と同じで女房と二人で行く。数値はどれも問題ないようだった。ただ、3年くらい前から、エコーの結果、腹部大動脈に石灰化が見られ、やや拡張していると指摘されている。それが悪化していたらいよいよ年貢の納め時かな、と思っていたけど、昨年と変化はなかった。身長は測るたびに減っているような気がする。体重減は順調なんだけどね。空調の効いた病院内に2日間も居続けたので、帰宅したらなんか湿気が多く感じて困った。
2019年9月3日(火) 朝から現場へ直行。重機で検出面を出す作業に専念するはずだったけど、なんか急に敷鉄板の移動や土山の移動なんかに対応しなくてはいけなくなって、午前中では終わらず、母のところに顔を出せなくなってしまった。それでも午後3時前までには、検出面まで剥ぎ終えて作業員が入れる段取りとはなった。慌てて帰宅し、シャワーを浴びてムラの文化財保護委員会に出席。やれ忙しい。主な内容は、以前、体調を崩して一旦は委員をやめていた先生が復調したので再度委嘱の辞令交付だった。その後の懇親会もあって、私は明日から人間ドックなので、まあ、お付き合いできっちり2合だけ飲んで、飲まない教育長に送ってもらって無難に帰宅。
2019年9月2日(月) 朝、職場に出勤して受け持ちの作業員さんに指示を出してから現場へ行く。今日から新しい地区を開けるので、重機に付いて終日、表土剥ぎの深さを見る。最初の地区より広かったけど重機が大きいので、今日一日でほぼ表土は取り終えた。
2019年9月1日(日) ムラの防災訓練があって、午前9時の緊急放送で集会所に集合、点呼をとって、二次避難所の公会堂へ向かう。でも、ほとんどの参加者がそこまでは行かなかったので、私もそれに倣って帰宅した。太郎は消防団で終日、活動。夜も慰労会で飲み会。お疲れ様。
2019年8月31日(土) 塩尻で縄文サミットという催しがあって、全国の縄文時代の遺跡をウリにしている市町村の首長が集まるとのこと。縄文大好きの女房は自転車で聞きに行ってしまった。サミットの前には国学院の小林達雄先生とドグウ女子の対談があって、どうもそれが一番の狙いだったようだけど。夕方6時近くに帰宅したので様子を聞いたが、やはり小林先生のお話はとても面白かったようだ。サミットはコーディネーターが前学会長の会田さんだったけど、首長が来たところはほとんどなくて、みな教育長とかだったそうだ。一方、私は家族に大いに手伝ってもらった本ができたので、そのお礼とお祝いで、夜はムラ内のソバ屋で全員で乾杯。
2019年8月30日(金) 昨日、山を歩いてぐったりしているところへ母の施設から電話があって目薬がなくなってしまったとのこと。以前の施設なら、そんなこと、いちいち私に言って来なくて対応してくれたんだけど、今度のところは、形式としては一時預かりみたいになっているので、全部自分(家族)が対応しなければいけないようだ。で塩尻の病院に連絡して、幸い迅速に対応していただき、そうは言っても、私は母の施設と塩尻を車で行ったり来たりして、ああ疲れた。なんか、もっとうまいサービスはないのかなあ?お金で全てを解決したいわけではないけど、私がのびちゃったら、元も子もないんだけど。施設の選択を間違えたんだろうか?
2019年8月30日(金)その2 夕方、街で学生を連れて実習に来ている大学の先生を囲んで一杯。先生の他は課長と3補佐、先生の大学時代の同級生と私というこじんまりしたもの。みんなそこそこの年齢なので、一次会で解散となり、私はタクシーで帰宅。いつもと違う帰路を走ってもらったら4300円で済んだ。びっくり。
2019年8月29日(木) 職場で関わっているS51年に指定になった遺跡の調査指導があって、私も同行。県内の先行事例の担当者、愛知のNPO代表、東京の大学の先生お二人など、そうそうたる面々で、私にとっては初対面は大学の先生お一人だったけど、久しぶりにお会いする方々が多かった。問題の遺跡やその周辺の遺跡など山中を皆で歩いた。曇っていて風もあったけど、普段、怠けている私は、かなり疲れた。
2019年8月25日(日) 我が家がある地区内でかなり上手にある常会の中古住宅がおうちさがしの広告に載っていたので、朝のうちに見に行った。周囲の斜面がきつくて、公図面積の1/3から1/4くらいが実勢で使える範囲で、これで古屋付きなので、この価格ではかなり難しいと感じた。倉庫兼作業所、将来の隠居家にどうかと思って行ったが、かなり残念。良い物件はそんなに出るもんじゃないと痛感。晴れて日差しはそこそこ強かったが空気がカラッとして涼しい、気持ちのいい一日であった。
2019年8月24日(土) 街で縄文後晩期の遺跡の講演会があり、私はスタッフとして動員、会場準備や受付を手伝う。講師は日本考古学が専門だけど南方の民族調査も意欲的に進めている早稲田の教授。後半のトーテムとかビッグマンとグレートマンの話などとても面白そうだったけど、私はずっと受付に詰めていて、ホワイエの大画面液晶で見ていただけで、音声がかなり小さくてよく聞き取れず、非常に残念だった。講師の高校時代の仲間が大勢来ていて、いつもの考古学の講演とは少し感じが違い、それも面白かった。
2019年8月23日(金) 終日現場。雨で遅れていた重機仕事がやっと終わり、検出もいっきょに終えることができた。適度に曇って涼しい風があり、作業ははかどった。土坑数基にピット50余。今後の難しそうな要素は全くないので、私の出番は今日まで、かな?
2019年8月22日(木) 朝はザンザン降っていたが8時半過ぎには止み、現場作業ができた。午後には手掛けていた原稿の入稿が無事に終わる。
2019年8月21日(水) 午前中、私から遺跡の話を聞きたいという人が来て対応。以前から頼まれていた件なので、問題はなかったと思う。それとは別に、近世の古銭について分析の専門家の来訪があり、近世や金属製品の担当者が終日対応。ちょうど現場も休みなので、私は午後に休みを取って床屋に行く。ヘルメットをかぶるのにやぶせったいので、かなり短めにしてもらいすっきり。
2019年8月20日(火) 一旦、職場に出勤してから9時に出て、現場には9時35分頃に着く。昨日に引き続き、重機による表土除去の立ち合い。ところが、急に大粒の雨が降り付けて、皆で大慌てで避難すると10分くらいで止むんだけどまたザンザンと降るくり返し。昨日の午後と全く同じ状況が、今日は朝から。全然、仕事にならず、重機も作業員も11時過ぎで終わり。私は職場に引き上げて、午後は母のところに回る。その前に8/16のお葬儀に行けなかったヒデの家に寄ったら、ヒデも奥様も居て、一寸上がり込んで、お線香を上げて、お茶をいただく。高校生の頃からヒデの家にはさんざ上がり込んでいたので、亡くなったお母さんにはとてもお世話になった。胃の病気で入院が予定されていた前日に脳梗塞で倒れて救急車で搬送されたけど、やはり胃の調子がどんどん悪くなって自宅に戻られた次の日に亡くなられたそうだ。88歳。私も高齢の母を抱える身として、ウ~ン、と唸るしかない。その後、母のところに顔を出すが、問題はなさそう。私が部屋に入っていくと眠っていて、起こしてもすぐには私と分からなかった。息子だと認識できると、ベッドの位置だとか、食事の量だとか、団扇や懐中電灯が見つからないとか、いろいろ話したが、まあそれは元気な証拠で、少しは安心した。
2019年8月19日(月) 今日から新しい現場が西部地区で始まって、急に決まった現場だったので新人と3年目の嘱託さんが組んで始めたんだけど、重機とか検出とかをベテラン連中はいたく心配していて、難しいところは私が顔を出して見てやることになった。で、今日の午後から表土掘削を始めるというので12時まで職場で勤務して現場へ行った。面積は狭いんだけど搬入した重機が小さくて全然はか行かない。おまけに夕立のような雨が断続的に降って、担当の新人も私もびしょ濡れになってしまう。なんとか夕方までやって帰宅した。我が家からはクルマで10分かからないので、その点はありがたい。
2019年8月18日(日) お盆休みで帰省していた次郎が東京に帰った。午後2時台のバスで街へ出るというので、猛暑だったのでバス停までクルマで送っていった。夕方、6時過ぎにはアパートに着いたとの連絡が女房にあった。お疲れ様。次は年末年始か。
2019年8月16日(金) 終日、家居。昨日までの疲労でフラフラしており、息抜きで子供たちと卓を囲んで過ごす。ヒデのお母さんのお葬儀が午後4時からあったんだけど、とても出かけられる体調じゃなくて、不義理をしてしまった。火曜日に岡田に行くので、その時に寄ろう。夜は家族のお祝い事があって、子供たちが準備してくれて乾杯。
2019年8月15日(木) 午後2時から里枝さんの葬儀で、三日連続で岡谷へ。葬儀は仏式、導師と進行役?でお坊様二人のこじんまりとしたものであった。慈淳院宥心妙里大姉。参列者は、まな美さん夫妻とお嬢さん、一人さん夫妻、清澄さんの二人の弟夫妻、私ともう一人の、ごく内輪。喪主の誠さんのお兄さん夫妻が、台風10号による交通の混乱の中で石川から駆け付けてくれて、式の後にとんぼ返りで帰られた。4時には精進落としも終わり、帰途に就く。帰宅したら5時過ぎだった。さすがに三日連続での塩尻峠越えはクルマの運転が得意ではない私にとってはきつかった。疲れた。
2019年8月14日(水) 午前9時30分から、岡谷の斎場で里枝さんの火葬。予定では斎場着が9時10分となっていたので、現地合流の私は、昨日のように遅れそうになるといけないと思い、自宅を7時40分頃出たら、8時半過ぎには着いてしまった。まあ、遅れるよりは良いか。最後のお別れをした後に窯の扉が閉まる瞬間は、何度立ち会っても奈落に落ちていくような眩暈を感じてしまう。慣れっこない。1時間と少しでアナウンスがあって収骨室へ。里枝さんは、白磁の円筒形の容器に納まって、私が小さい時からさんざ心配していつも気にかけてくれて、昨年末にも心配して母を訪ねてくれた、その人は、もう私とは別の次元に居る。この感慨も、何度体験しても慣れない。斎場を11時に出て、帰宅は12時5分。道はそんなに混んでいなかった。
2019年8月14日(水)その2 夕方、月一回恒例のラジオ出演で、2時間ほど前に職場へ出勤して一仕事してからラジオ局に向かう。いつものパーソナリティの和菓子屋の若旦那は、やはりお盆は忙しくて、別の曜日担当が代理。彼女とは2回目なのでの話は全く問題なく進んだ。8月と10月のイベントを紹介してもらった。多謝。帰宅は7時35分。8時過ぎからは村民夏祭りで花火大会だったけど、もう疲れていて、一杯ひっかけて横になってしまった。
7月末にやっと梅雨が明けたと思ったら、猛暑が来た。35度が連日って、昔もそうだったっけ?お盆には大型の台風10号が迫り、帰省やUターンの足に支障がでている。困るなあ。(2019.8/14記)
2019年8月13日(火) 今日からお盆。朝9時頃から女房と二人で梶海渡の女房の両親のお墓に行ってお掃除。例年は雑草がけっこう大きくなっていて、ゴミ袋にこいだ草やごみを入れて持ち帰っていたんだけど、今年はきれいになって、それに石塔の建っていないお墓には施主を示す札まで立っていた。水月院のおっさまがやってくれたとしたら多謝。帰途に実家に寄って郵便物を受け取る。
2019年8月13日(火)その2 午後5時から里枝さんのお通夜が岡谷であるので3時半過ぎに自宅を出る。ところが塩尻の20号線がお盆休みのせいだか、そこそこ渋滞していて、塩尻峠は問題なく流れていたんだけど、会場に着いたのは4時40分頃だった。里枝さんはきれいな顔をしていて、9日に最後にお会いした時より若く見えた。最近の葬儀関連の技術やサービスはすごいね。参列者は娘のまな美とご主人の誠さん、お嬢さん、里枝さんの弟の一人さん夫妻、里枝さんのご主人の先に亡くなった清澄さんの弟2人のご夫妻、妹とその息子さんとおぼしき人、それに里枝さんのいとこの私の計12名、ささやかなお通夜であった。喪主は誠さんが務めた。帰宅したら午後8時。夜の塩尻峠は慣れないのでかなり怖かった。
2019年8月10日(土) 午後1時30分からのトークイベントが塩尻であって、パネリストとして出なければいけないので、12時10分前くらいに家を出たら、会場には12時15分に着いてしまった。大町、安曇野、塩尻、松本の各担当者が並んで、コーディネーターは平出の前館長さん。平出の現館長さんが話のペース配分をオーバーしたのでちょっと押したけど、まあ無難に終わったんじゃないかな。会場のエアコンが後半から効きすぎて、すっかり震えあがってしまった。帰宅すると里枝さんの葬儀の件で鮎沢から電話。夜にはまな美さんから詳しい日程のメール。
2019年8月9日(金) 暑い。明日から長いお盆休みに入ってしまうので、ずっと取り組んでいた報告書を何とか今日中に仕上げてしまおうと周囲にはっぱをかけてやっていたら、まな美さんから電話。母が今日明日だと言うのでびっくり仰天して、とにかく湖畔病院に駆け付けた。病室にはまな美さんと鮎沢の千恵子さんが居て、千恵子さんに会うのは久しぶりだったのでご無沙汰を詫びる。里枝さんは半眼で呼吸器を装着されていて話せず、意識があるのかどうかもわからない。ベット脇には心電図や血圧などが表示される機器があって、まな美さんは血圧が低下して、もう表示が出ないと言う。里枝さんは近年、心臓の調子が悪くて、冬場は入院したりまな美さんの家に居たりしていたことは聞いていたが、急に悪くなったのかなあ?私の医療知識では、このまま今日にも逝っちゃうのか、それとももう数日はもつのか、全然わからなかったんだけど、まな美さんが電話をくれたということは主治医が、もって今日明日、と言ったんだろうね。私がベット脇に居たら、まな美さんのご主人と娘さんが来たので挨拶し、里枝さんにまた来るね、と語りかけて、とりあえず職場に戻った。
2019年8月9日(金)その2 午後の早い時間に出来上がった報告書のインデザインデータを全ページ印刷して決裁に回す。ヤレヤレ、なんとか間に合った。印刷屋さんに電話すると、あいにく社長さんは会議で、次に連絡が取れるのは会社のお盆明けの16日だという。それまで、まだ誤字とかもあってはいけないので点検、校正の時間に充てよう。帰宅すると次郎が帰省してきていて、太郎は高校の同級会の打ち合わせとかで外出し、女房と次郎、三郎で夕飯の食卓を囲む。私は達成感で、ちょっとひっかけて、良い気分で転寝をしていたら、20時2分頃まな美さんからメール、先ほど母が亡くなりました、とのこと。やっぱ、そういうことだったんだ。いとこの里枝さんは母と同じネズミ年なので83歳か。まだ亡くなる歳じゃないよ!
2019年8月8日(木) 連日、暑い。夕方はどこかで夕立があるんだけど、自宅の周りはさっぱり。半年に一回の乾電池の収集日で、朝のウォーキングの時に集会所のゴミステーションに出す。一袋、先に出ていて、ああ、出しても大丈夫なんだ、となぜか安心する。
2019年8月6日(火) 午後、母のところに顔を出す。一昨日から熱があると施設からは連絡を受けていたが、少しぐったりしていたけど、普段とあまり変わらない感じでちょっと安心した。今度の施設は食事もおやつもトイレも全部、車イスに乗せてもらって行くことになるので、以前はすべて自活していたから気兼ねしてしまうのかなあ。私から見ると、ちょくちょく出る微熱は、そうやって遠慮していて水分不足になっているせいだと思うんだけど。で、さっそく職員に水分を持ってきてもらったんだけど、吸い飲みで一度に飲み切れず、ベット周りとかそこらに置くとこぼしてしまう。いっぺんに全部飲んじゃえばそんな心配はないんだろうけど、高齢なのでそんなに都合よくはいかないし、私なり誰かがつきっきりで見てて吸い飲みの受け渡しをその都度やってやれればいいんだけど、施設の職員だとそうもいかないだろうね。で、母はこぼすのが嫌なので、水分を頼まないし、車イスに乗せられておやつに行くのも嫌なので、その結果として水分不足になっているのでは、というのが今日の私の観察結果。そこらへんにおいても中身がこぼれないような吸い飲みを調達するのが、とりあえずの解決法か。
2019年8月5日(月) 昨日と今日、一泊で松本の浅間温泉に行ってきた。大学時代の考古研の夏の会で、今年はヒデが当番。下浅間の和泉荘だった。16時に集合ということで行ったら、タケさんとガミさんはもう来ていた。すぐにワラさんも来て、私も含めて5人の野郎ばかりが集まった。ガミさんとヒデは再任用で行ってる仕事の話、ワラさんは絵の話で盛り上がった。タケさんは今年度から隣のT町で整理作業を指揮しており、涼しくなったら顔を出すね、ということになった。みんな元気だ。トイレが変わっただけで調子を崩す私とは全然違う。来年の幹事はワラさんで、みんな現職はリタイアしたんで、そろそろ夏休みの時期を外してもいいか、ということになり、次回は来年9月の27・28日の日・月に決まった。池田町でやりたいという。今から楽しみです。
2019年8月3日(土) 午後4時から、史談会の役員、幹事が集まって会報の製本をやる。私は1時間ばかり早く行って、事前に印刷を済ませた。印刷室には冷房がなくて汗まみれになってしまった。作業自体は5時前には終わったんだけど、その後、いろいろな連絡や話などもあって、結局、帰宅できたのは6時少し前。もう少し、連絡なり、打ち合わせなりを要点的にスピーディーにできないもんかなあ。年配の会員たちは、とにかく話をしたい、聞いてもらい、という傾向があって話が長い。それはそれで機会を作るなり、そのつもりでじっくり聞きに伺うので、「今日は作業」とか「会議は1時間」とかその時の目的でキチンとしていかないと、みんな忙しい中を集まるんだから、いよいよ若い人が来なくなっちゃう気がする。単なる若造の私のわがままなのかなあ。それとも話が長引きそうだったら、「私はこれで」とかいって、とっとと先に帰っちゃえばいいんだろうか?
2019年8月2日(金) 早朝ウォーキングのコースにある田んぼの3枚くらいで、もう穂が出始めた。これで天候が良くなれば、作柄はそんなに心配したことでもないか。
2019年8月1日(木) 昨年末に、私も加わって掘った縄文遺跡の土器を実測してもらっている。職場の実測班にとっては久々の本格的な縄文中期の唐草文で、以前やったのは10年以上前か?初めてのメンバーもいて、みんな試行錯誤、指導点検する私も昔を思い出しながらやっている。中期の図って上手く描き上げると、やっぱ見事だね。でも時間がかかるなあ。委託に出せば出したで、お金がかかるなあ。
2019年7月31日(水) アイダさんに来てもらい、現在接合中の昨年度に掘った縄文土器について種子圧痕を見ていただく。前半分で広げていた中にはかなりあったんだけど、今回の後半分にはあまり無いようだった。とにかく暑い!
2019年7月30日(火) 昨日、やっと梅雨が明けたと思ったら、さっそくすごい暑さ。このところ、梅雨が明けたとたんに襲ってくる、この暑さは尋常じゃない。それとも私が鈍っただけで、昔からこのくらい暑かったのかなあ?午後、休みを取って母のところに顔を出す。先週、ない、ないと言っていたツゲの櫛を届けた。名前を書いておいてくれというので、その場で書いた。今日はとても正気で、自分がネズミ年生まれだとか、小の月は「にしむくさむらい」と覚えるのだとか言った。
2019年7月27日(土) 街の大型店の向かいにある公共施設を会場にして講演を頼まれていたので、自宅を12時少し前に出て、職場経由で会場に13時くらいに着く。話題の大型店の近くなので、とにかく道が混んで駐車場はいつも満杯。普段は近寄ることさえない界隈なんだけど、今回は奥まったところの駐車場に講師専用のスペースを確保してもらってあり、そこにとめることができた。でも、何か申し訳ない感じ。事務局の主査と今回の仕掛人の先生が既に来ていて挨拶。教育史関連の集いが本来の講座に、何を間違ったか古墳の話の私が呼ばれたので、やはりいつもとは客層が異なる。まあ、それはそれで面白かったし、勉強にもなった。講演終了後は第二部として机を「コ」の字型にしてフリートーク。これも面白かった。古代史のFさんが来ていて、ちょっとやりにくかったかな。
2019年7月26日(金) 痛風の痛みが完治して、昨日から早朝のウォーキングを再開した。昨日はいつものコースを1周しただけでやめておいたけど、今朝から以前と同じで2周してみた。1カ月半をフイにしてしまったが、やっぱ朝歩くのは気持ちがいい。近所の果樹園の桃は熟し始めていて、収穫用のコンテナーが持ち込まれてあった。
2019年7月24日(水) 今年はユウガオの当たり年なのか、チョウさんと宮嶋さんから貰って、我が家の玄関にでっかいのが3本転がっている。もう2本は既に食べたんだけど、まだまだあるんだ。ユウガオは味もそっけもない食感だけど、私にとってはいろんな食べ方ができるので苦手ではない。ありがたい。
2019年7月23日(火) 午後、母のところに顔を出す。次の施設に移って、車イスに乗せてもらって移動するしかない生活になったが、前の施設の時のように、どうしても歩行器で自分で動きたいと訴える。歩かないでいると足腰が弱ってしまうから、という積極的な理由ではなく、どうやら自分で動いて服とか小物とかをいじりたい、思うようにしたいらしい。前の施設にいた最後の頃、それで転んで起きられず、朝になって発見されるということを2回繰り返したのに、どうしても自分でできていたころの感覚が忘れられないようだ。今度、転んで、肝心なところの骨折とかしたら、それこそ文字通り寝たきりになっちゃう。今より、もっと自他ともに負担が大きくなっちゃう。でも、自分で歩きたい、と言われたら、何とかそうしてあげるほうがいいんだろうか?
2019年7月22日(月) 報告書を作っている遺跡の緑釉陶器を全点、写真撮影してもらう。おてこで私を含めて3人付いたので、何とか午前中に終わらせることができた。よし、また一歩前進したぞ。
2019年7月21日(日) 午後1時から考古のゼミナールがあって、クルマで街へ出て聴講する。全国的な視野に立つ、考古学的に見た律令の話はとても面白くて、やっぱその方面の第一人者だと感服。桐原先生がお見えになっていて、お帰りの際に奥様にもお会いできた。
2019年7月20日(土) 明日、街の重文の公民館でゼミナールがあって、講師の奈良大学の坂井先生が今日から現地入りしているので、夕方、ゼミナールの事務局や奈良大OBの皆さんと一緒に坂井先生を囲んで一杯。坂井先生は新潟県に居る時からの知り合いで、去年の秋に学生を連れて巡見に来られ、久々にお会いした。今日はかなりお疲れのようで、最初の乾杯しかアルコールは飲まれなかったのに、私は調子づいて普段よりは少し多めに飲んでしまった。会場が珍しく合庁の近くだったので、行きは太郎に送ってもらい、帰りはタクシー。街で飲むよりは近いと思ったけど、タクシー代は4000円近くてびっくり。やっぱ出て飲むのはお金がかかる。
日の出が早くて最も仕事もウォーキングもできるはずの6月は、痛風の激痛と母の施設の件で明け暮れて終わった。人生、思うようにいかないね。今年は梅雨明けが遅い。(2019.7/14記)
2019年7月14日(日) 昨日から明日まで「海の日」がらみの三連休。娑婆ではあちこちで海開きとかあって観光シーズンを迎えているんだけど、東日本はずっと雨模様の日が続いている。梅雨が明ける気配がない。大丈夫かなあ?平成5年みたいなことになったら大変だ。午前中、女房の実家に、女房と一緒にちょこっと顔を出す。7月からウチに関連する文書のやり取りが始まって、実家の弟さんに、たまに覗くね。と、お願いしてあった件。実家は農家ではないけど敷地がそこそこあって、弟さんは勤めに出ながら一人で管理しているので、けっこう大変だろう。
2019年7月12日(金) 午前9時30分から母の介護認定の調査があるので、仕事を休んで母のところに行く。市役所の高齢福祉課から担当者が来て、いろいろと質問をしていったが、母はほとんど耳が聞こえないので、私や施設長がホワイトボードに書いて筆談でやり取りをした。市の担当者は2年前の8月の調査の時のデータを持って来ていて、それとの違いもしっかり調べて行ったが、たった2年間で母はえらく衰えたと、少しびっくりした。
2019年7月10日(水) 朝8時から史談会で山寺の古道の草刈り。12人が参加。非農家の私は、そうでなくとも役に立たないのに、今回は痛風の余波で傾斜地の上り下りはズキズキして全然だめで、集合地点で留守番。このところ雨天ばっかりだったけど、今日はあがって少し薄日もさしてきた。2時間かからず終わって10時過ぎには帰宅。午後は2時から、こんどは村内史跡探訪で、閉館になったムラの歴史民俗資料館に集合。特別に開けてもらって1時間近く、じっくり見る。会員以外も加わり、30名弱が参加。館の南側の戦没慰霊碑、忠魂碑群や、向かいの小学校敷地内の石碑、その隣のポケットパークの石碑や記念碑なども参加者全員で巡った。特に学校やポケットパークの石碑は、普段からなんか在るな、とみんな思って横の道路を通っていたけど、しっかり見るのは初めてという人がほとんどで、ムラの歴史、足元の歴史を知る良い機会になった。
2019年7月10日(水)その2 午後6時30分から毎月恒例の地元ラジオ局に出演。だもんで史談会の慰労会は欠席。今日の話題は、大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界遺産指定に関して。7/27の講演の宣伝もしてしまった。
2019年7月10日(水)その3 今日は午前も午後も史談会の行事があるので仕事は休んだんだけど、お昼の時間帯にちょうどあきができたので、女房と一緒に役場で期日前投票をしてきた。昔は不在者投票とかいっていろいろと書かされたりして、少し面倒だったんだけど、今は楽になったね。ついでに農協に行って、ムラの夏祭りで毎年、還暦になった学年が特別に花火を打ち上げているんだけど、私にもその寄付の誘いが来たので、振り込みをしてくる。10000円ナリ。
2019年7月9日(火) 午後、3時間の休みをもらって母のところに顔を出す。37度台の微熱があるようだが、弱っている感じは受けなかった。今までのように歩行器を使って自分で歩いて何かする、という訳にはいかなくなって、3時のお茶もいちいち車イスに乗せてもらって行かなければいけないのが、職員に迷惑をかけるから、というよりは面倒くさいから、というようなことを言って、行かないでいるが、脱水症状が心配。微熱だって原因はそれじゃあないかなあ。
2019年7月8日(月) 職場に原さんに来ていただいて、大詰めを迎えている報告書の土器についてご指導を受ける。時期区分の名称は長野道編年ではなくて独自のものにすべきと強く推され、やっと自分の中で踏ん切りがついた。
2019年7月7日(日) 太郎は消防団のラッパ演奏の大会があって、朝6時に家を出て帰宅したのは夜中の11時近かった。大会会場は塩尻で、ウチのムラは前回と同じで6位だったそうだが、大会は昼間には終わっていて、あとは慰労会の連続。2か月も前から練習してきて、やっと終わった。ご苦労様。
2019年7月6日(土) 来週は史談会の古道手入れや村内探訪などの行事があるので午後、会長さんのところに打合せに伺う。私はまだ痛風の痛みが完全には消えていなくて、ちょっと踏ん張って歩いたりすると左足の親指の付け根にズキンとピンポイントで痛みが走る。会長さんも若いころ痛風をやったことがあるそうで、その痛みは芯から理解していただけてありがたい。私よりは20歳先輩なんだけど、お元気で、意欲的でいつもうらやましい。女房は街の近代建築がこんど国宝になる報告会があって、雨っぽかったのでバスで聞きに出かけてしまった。
2019年7月4日(木) 昨年度末に報告書を刊行した街の近世の遺跡で、銭座関連の遺物が多量に出ているんだけど、その鑑定に岐阜県の大学の先生と北九州でずっとその時期の発掘を手がけていた研究者に来ていただき、じっくりと遺物を見ていただいた。私は直接の担当ではないので、自分のデスクで仕事をしながらお話を聞いていただけだけど、ウン、面白いね。みんな、専門の時期に対する情熱もすごい。私も傍から見れば同じなのかな。
2019年7月4日(木)その2 今日、参議院選挙が公示になり選挙戦に入った。投票日は21日の日曜日で、やっぱ参議院選は期間が長い。21日は街に出かけなければいかない用事があるので、どこかで期日前投票をしておかなくちゃ。長野県は定数1人のところ立候補は4人で、しばらく賑やかだぞ。
2019年7月3日(水) 母が前の施設で溜め込んでいた衣類とか寝具とか、どう考えてももう使わない物を女房に細かくしてもらってせっせと可燃ごみの日に出している。母だけじゃない、女性はどうしたって衣類が多いんだね。
2019年7月1日(月) 母の施設引っ越しの関係で転居届を役所に出す。いくら実の息子でも委任状が当然必要だった。
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