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2019年6月30日(日) 今日で6月が終わり。講演であたふた、痛風で苦しんで、母の引っ越しでてんてこ舞い。気が付いたら夏至も終わっていた。午前11時過ぎに、打ち合わせ通り家電等の処理業者さんが来て、洗濯機、冷蔵庫、洋服ダンス、電気掃除機、イスなどを持って行ってもらった。搬送料も処分料も税も込みで15,700円。冷蔵庫と洗濯機は家電リサイクル法対象で、それらの引き取り料などはきちんと決まっており、自分でレンタカーを借りて持ち込みをしても13,000円前後はかかったから、まあ安くあがったと言っていいんじゃないかな。とにかく、まだ痛風の後遺症?で痛いので助かった。女房は区の公民館のバスハイクで名古屋城に朝から出かけて、帰宅は夕方6時半近かった。
2019年6月27日(木) 午後、時間年休を取って、さっそく母が今度入った施設に顔を出した。やっぱ移ったばっかりなので、あれがない、これがないと思いついては職員に言うようで、その都度電話をいただいて恐縮。用意できるものは持って行った。母が先日、転んで少し胸を打ったのでそれ用のサポーターも施設の近くの薬局に頼んであったんだけど、それも入荷したというので寄った。新しい施設は岡田の神社の近くで、前よりはずっと遠い。ちょっと寄る、という感じではなくなってしまったが、まあしょうがないね。
2019年6月26日(水) 母の引っ越し騒ぎがやっと一段落して職場復帰。今日は22日に亡くなったハジメさんの葬儀の日であるが、家族葬で職場や学会は誰も行かないようなので、私も行かず、家が近所のタケさんに香典のみを託した。一方、我が家は母の施設移りで引き揚げてきた母の荷物で大変なことになっている。自立が前提のケアハウスだけど一部屋だったのに、良くこれだけの荷物を持っていたな、というくらいの所帯道具があり、とくに布団類や衣服が多い。それに冷蔵庫、洗濯機、洋服ダンス。もう車イスじゃなきゃ出歩けなくなって、すべて面倒を見てもらうんだから、かなり絞り込まなくてはならない。まだ使える、とか着られるとかではなくて、とにかく処分しなくては。さっそく家電、家具の引き取りについて業者さんに連絡を取ったら、午後に見積もりに来てくれて、引き取りの金額と日程が決まった。
2019年6月25日(火) 昨日に続き母の施設移動に伴う荷物の引っ越し。私は午前9時にレンタカーの軽トラを借りて前の施設へ。太郎は自車で三郎を乗せて直行。軽トラに冷蔵庫、洗濯機、洋服ダンスを積み込み、その他の小物雑物は太郎のくるまに詰め込んで一旦わが家へ。そこで早昼を食べてまた前の施設に行き、新施設に持っていくタンスとキャスター付きの小タンスを軽トラに積んで、私と三郎は新施設へ。太郎は最後の小物雑物の荷物を自車に積んで我が家へ向かう。これで旧施設の母の住んでいた部屋は置いていく物を除きカラッポになった。最後に部屋を去る時に施設長さんに立ち会ってもらって、部屋の現況確認。きれいに使ってはあったが、クロスの張替えなどが必要なところもありそうだ。私と三郎は新施設で荷物を下ろし、母の顔を見て、三郎は久しぶりに会ったので、三郎だとわかると母は喜んだ。満タンに給油してレンタル屋に寄り軽トラを返却し、三郎と私も帰宅。ハア~、やっと終わった。
2019年6月24日(月) 昨日から母の施設の部屋に泊まり込んだ。夜中に母が起きだして、また転んではいけないと思って気を付けていたので、まったく熟睡できなかった。母は朝食も食欲がなくて1/4も食べなかった。ぼんやりしていて微熱があり、食が足りていないせいか血圧が80-40と信じられない値。このまま逝ってしまうのではないかと不安になった。今日が引っ越しの日ではあるが、施設長が次の施設と相談をしたら、このままでは受け入れられない。一回、受診してもらいたい、とのことで、引っ越しは一時延期、急遽、施設の母体である塩尻市の病院に行くことになった。昨日からの急な展開、顛末で、私も睡眠不足や生活ペースの乱れで、気が付くと血の気が引いて冷や汗、脂汗をかいていた。病院へは施設のクルマで送迎してもらい職員さん一人に終始付き添っていただいて、当然私も同行して、診察、血液や尿検査、先日転んで打った頭部のCTなど撮った。病院に行くとなった頃から母は不思議と元気が出てきて、各種検査の結果も悪くなく、いったん施設に戻り、それから午後一番で引っ越しということになった。最初の予定では朝の9時に本人の引っ越しで、私が母を連れて行っている間に太郎と三郎に前の施設に来てもらい、母の部屋の片付けに取り掛かってもらい、午後にはレンタカーの軽トラを借りで家電などをいったん我が家に搬出する段どりであったが、朝の病院行きと引っ越しの一時延期で、レンタカーはいったんキャンセル、太郎と三郎は待機をお願いしてあった。午後一番の引っ越しに合わせて、太郎と三郎、それに女房にも来てもらい母の部屋の片付けを始めてもらった。私は母が新しい施設に落ち着いた?のを見届けて前の施設に戻り家族と合流。太郎のクルマ、私のクルマに一杯に積み込んで帰宅した。常日頃、とにかく楽をしていて、しかもこのところ痛風で安静にばかりしていた私にとって、昨日と今日はハード過ぎるくらいハードな二日間だった。
2019年6月23日(日) 昨日、ハジメさんが亡くなったとの連絡あり。10年くらい前に奥さんを亡くしてすっかり落ち込んでしまい、最近は現場や講演にも来ることがなくなっていたが、どこかが具合悪いとは聞いていなかったので驚いた。そうはいっても90歳をすぎていたから天寿には近かったのかもしれない。私は大学1年の時の現場からの付き合いで、小柄でとても面白い、ちょっと怪しげなおじさんだった。葬儀は26日で家族葬だというので行かないけど、喪主の竜さんはしばらく大変だ。
2019年6月23日(日)その2 午前9時ころ母のところに行き、明日の引っ越しに向けた荷造りなどの準備をしようと思って施設に着いたら、昨夜から今朝方の間に、母が自分で移動してトイレに行こうとして転び、そのまま起きられずに失禁して苦しんでいたのを職員さんが発見して、今、やっと片付けなどが終わったところだと、大汗かいて言われた。そもそも母の居る施設は自立が基本なので、職員がつきっきりという訳にはいかない。明日が引っ越しで、次の施設は介護度の高い人まで見ていただけるんで安心していたんだけど、その直前になって一気に事態が悪化した感じ。終日、母の部屋に居て食事の運搬、片付け、ポータブルトイレの介助などをして、結局夜も泊まり込んだ。母は昼食も夕食も食欲がなくて1/4ほど食べたかどうかで、夜はずっとぼんやりしていた。
2019年6月21日(金) 一週間の仕事が終わり、やれやれと思っていた退勤時、母の施設から携帯に電話があり、母が昼間に部屋で転んで起きられず、部屋にポータブルトイレを置いている、という連絡だった。来週早々に次の施設に移る予定でいろいろ手配してあるが、困ったことにならなければ良いが…
2019年6月18日(火) 朝起きて足の調子を見い見い、クルマのクラッチを踏んでみたら、何とか外側面寄りで踏めそうで、近距離なら何とかなるだろうと思い、仕事は休んで掛かりつけのお医者さんに行く。胃薬込みの強い痛み止めをもらった。昼食後に飲んだら、たしかに痛みは信じられないくらいに軽減した。普段、鎮痛剤とか飲む習慣が全くないのでよく効くのかもしれない。でも患部の違和感、腫れはまったく治っていないので、クスリで痛みだけを押えているというとても不自然な状態であることは明らかだ。そうは言っても、母の施設移りのスケジュールがこれから目白押しで、とにかく痛みを押えてでも動かなければならない。でも、今後の平常の体調に禍根を残さないかなあ。
2019年6月18日(火)その2 お医者さんから帰って、やれやれと思っていたら母の施設から電話。朝から腰が痛くてかなわないので医者に連れて行ってほしいと職員に訴えるので、何とかしてほしいという内容。母の背中や腰の痛みは毎度で、何回か整形外科に連れて行ったことがあるが、毎回結局、骨折とか致命的な状態ではなくて老化による痛みみたいに言われて痛み止めを貰ってくるだけ。むしろ、長時間待たされて、そっちで体調が悪くなり、しかも待合室でいつになったら私の順番が来るのかと言って騒いで、周囲から顰蹙を買う。本人もそんなことは判っているのに、またぞろ医者に連れて行けという。半月ほど前も、施設長にそう言ったのに、次の日に私が行くと全然そんなことは言わない。おそらく、今回は私が痛風で母のところに行くのを一回おろぬいてしまったので、ちっとも来ない、我慢せずに痛い痛いと言えば施設で私を呼んでくれるのではないか、と、既に明確な意思ではなくて、本能的というか反射的というかそんな感じで訴えているんじゃないかな。施設の職員さんには、とにかく明日行って母の話を聞くので、といって了解してもらった。もし、私が本格的に体調を崩して行かれなくなったらどうすればよいんだろう。長寿というのは嬉しくて目出度いんだけど、こうなってくると、さて、と困惑するばかり。たった一人しかいない息子がそんなことを思うなんて、世も末だ。
2019年6月16日(日) 足の痛みと腫れは一向にひかず、クルマの運転もできない。県考古学会の総会があるのだが、県歴まで出掛けられる訳もない。たまには行って会費なんかもきちんと払って来ようと思っていたけどとんでもない。夜7時からは史談会の幹事会で、地区幹事の皆さんに会費集金や村内探訪の配布物を渡さなければいけないんだけど、それも太郎にトレセンまで送迎してもらって、開会前に会長、副会長にまとめて渡して、お願いしてきた。本当にあちこちに迷惑をかけている。
2019年6月15日(土) 終日家居。足が痛いので大人しくしている。なんとか自分でクルマを運転できるようになったらお医者さんに行こうと思っているのだが、まだそれも無理。これまでの痛風の発作では、ほぼ一週間くらいで何とか出歩けるようになったと記憶していたが、今回はちょっとひどい。それとも記憶違いか。とにかく困った。
2019年6月14日(金) 午前中は母のところに行って、午後は母が次に移る施設で契約などをする予定だったけど、足が痛くてクルマが運転できないので、全部キャンセル。昨日のうちに連絡は入れておいたけど、方々に迷惑をかけてしまった。送迎付きで仕事にだけは行ったが、本館と作業所の行き来もままならない。
2019年6月13日(木) 車に乗せていってもらって、何とか出勤する。まだ左足を上手に接地できないので、ヒョコタンヒョコタンとしか歩けず、ほとんど仕事にならない。左足の甲はパンパンに腫れて靴が履けない。それでも午前中、補佐が豊科へ瓦を見に行くのに同行した。
2019年6月12日(水) 痛みはかなり治まってきたけど、でも左足は足裏を全部接地すると親指の付け根にズキン!と激痛が走って耐えられない。小指側の側面を使うようにして歩く。今日も仕事は休み。
2019年6月10日(月) 昨日からの痛風の発作。今日も激痛が続いて、起きて歩けない。当然仕事にも行かれない。ただ大人しく寝ているだけ。
2019年6月9日(日) 昨日の講演の後、現地をあちこち散策して、午後は温泉旅館でお風呂に浸かり、夕食もご機嫌。でも、今朝起きると、治ったと思っていた左足の親指の付け根が、また痛い。これは快癒に向かうのではなくて、これから悪化する前触れかもしれないと危惧し、朝食が済んだら早々に帰宅した。案の定、昼過ぎから痛みが増して、夜には激痛に至った。何もしていないのに痛くて痛くて一睡もできない。床や襖を叩いて暴れ、苦しんだ。とうとう夜中に家族を起してしまい、氷で患部を冷やしてもらった。
2019年6月8日(土) 午前10時からH地区の公民館で講座の講師。4月の初めに国府について話してくれと頼まれていた件で、頼まれた直後の6日に原さんが博物館で、かなり具体的に国府推定地について触れた講演をしたと聞いて、二番煎じで、そうでなくても普段から原さんの話の受け売りしかできないのに、何か私らしさを出せないかと悩んでいた。結局、地域の発掘に携わった、という立場をフルに悪用(?)して、当時のスライドを多く上映し、でも、落としどころは原さんの話のまさに受け売りで、無事に(?)終えることができた。40名くらいの皆さんに聞いていただいたが、消化不良のことが多かったのではないかと、申し訳なく思う。終了後、聴講に来ていたヨシノリ君や若い子二人もまじえて、関係者と歓談できた。公民館を12時半過ぎには出られたので、最近保存が問題になっている文庫の近代建築を現地で見て、それから今日の話で取り上げた発掘の跡地をいくつか回って現況写真などを撮った。一帯は歴史の古い温泉地で、せっかく来る機会なので、今夜は老舗の一軒に宿泊。
2019年6月7日(金) 朝起きると、左足の親指一帯に違和感。気が付かないうちにどこかにぶつけたかな?とも思ったが、なんか痛風の発作の前兆にも似ている。痛風はずっと薬も飲んでいるし、食生活にも留意しているつもりなので、そうだとしても軽い発作が来たかな、というくらいか。一日仕事に行っていたら、ほとんど問題はなくなった。明日は講師を頼まれているので、ほっとした。
2019年6月4日(火) 午後2時から平出で8/10のトークイベントの打ち合わせ。大町、安曇野、塩尻の担当者が集まる。シマちゃんと久々に会った。土器に絞らず、ウチの一押しの縄文遺跡と遺物、というような線で行くことになった。私は縄文はあんまり得意ではないんだけど、まあなんとかなるか。先の連休中にシマちゃんのお母さんの葬儀に行けなかったが、今になって香典もないので、代わりにご霊前にお供えしてもらう包みを渡すことができた。
長大な連休で始まった5月はあっと言う間に過ぎた。このところ日の出が早く、5時にウォーキングに出ると王ヶ頭と戸谷峰の中間くらいに日が昇っている。梅雨前の一番良い時季。(2019.6/4記)
2019年6月2日(日) 朝6時から村一斉の環境衛生で集会所とその周りの掃除。このところ何年かずっと子供に行ってもらっていたので、常会長が同い年のキヨシさんではあるし、久々に私が行って清掃作業をしてきた。ノボルさんに祭典委員のことを聞き、キヨシさんと還暦祝いの話をして、オオクボさんとも話ができた。たまには良かった。
2019年6月1日(土) 太郎にクルマを出してもらい、女房と3人で西山へ繰り出した。少し涼しいくらいの最適の天気で、ケルンの先の三角点まで登った。コシアブラは高いところでもかなり開いてしまっていたが、電波塔跡地や展望台でワラビが採れた。山菜に明け暮れた5月も終わり、私の今シーズンはこれで終わりとした。
2019年5月31日(金) 午前中に母のところに顔を出す。頼まれていた物をいくつも持って行ったんだけど、汗止めは容器が大きすぎると言う。まあいいか。次の施設へ移る時期を聞くので、6月24日だと言うと通じて、そんなに待たなければいけないのか、もっと早くならないのか、と言う。今の施設の職員が煽って、周囲の入所者がみんなで悪口を言うので、食事に下りていくのも辛いのだそうだ。私の話はほとんど筆談でしか通じないのに、何で煽りや悪口は聞こえるのだろう?不思議と言うか、もうそれも変と思わなくなっている母をただ呆然と見つめるしかできない。
2019年5月29日(水) 一昨日の昼頃から急に腹痛がしてきて、いつもの症状なんだけど、断続的に痛みが来て、堪らず早引けして寝た。すると、普段は寝ていない昼間に横になっていたせいか、腹が痛くて不自然な格好をしたのか、腰も痛くなり、昨日は腹痛と腰痛、今日は腰痛で仕事を休んでしまった。腰痛は、腰の右側を中心に上下に延びて右側の尻から太ももの裏側もだるくて、でも動かさないと痛くないんだけど、ちょっとかがんだり、上体をひねったりするとズキっと来る。まいったね。
2019年5月25日(土) 早起きして、女房と三郎と3人で私のクルマで西山へ繰り出した。太郎は昨夜も明日も消防の用事があるので今日は休養。かなり高いところまで登ったら、コシアブラがしっかり採れた。ワラビは下のほうは既に開いてしまっていたが、上のほうではまだだった。夜は私が天ぷらを揚げた。山菜のシーズンも来週ぐらいで終わりかな。
2019年5月24日(金) 昨日と今日、指導委員会で植生や自然の古環境を見ていただいている先生がお弟子さんと来て、出土木製品の調査。お弟子さんと言っても、私と同年配くらいの女性で、いかにも専門分野を長年手掛けられてこられた感じ。私は直接の担当ではないんだけど、作業は私の居る建物の半分でやっていたので、漏れ聞こえてくるお話もとても面白い内容ばかりで、私にとっても有意義な二日間だった。
2019年5月24日(金)その2 午前中に母のところに顔を出す。今日はかなり正気で冷静だった。いつものパンを買って行って、女房が気を利かせて持たしてくれたブドウも届けた。ブドウは手に取ってよく見て、ブドウだとわかると、アッと小さく叫んで喜んだ。でも、頼まれていたボールペンは調達してあったのに忘れて行ってしまった。私もボケが来たか?もう一つ頼まれていた(はずの)空き封筒を渡したんだけど、母はこれ何?といって、頼んだことをすっかり忘れていて、仕方がないので持ち帰った。次回にはオーデコロンと汗止め、スティックシュガーを頼まれた。いつ移れるかと聞くので、6月末だと答えると、まだそんなに先かと言った。引き出しの小さいタンスだけしか持っていけない、冷蔵庫、洗濯機、洋服ダンスは私が片付ける、と言う話は、なんとか伝わったようで、納得してもらったと思う。いつもこんな感じなら良いんだけどね。
2019年5月24日(金)その3 我が社でとても嫌なことがあった。誰が、いつ、どのように悪かったのか、細部は知る由もないんだけど、3人がつらい思いをした。私がその立場だったらどうしたか?考え込んでしまった。
2019年5月21日(火) 平成7年に発掘した縄文の重要遺跡、チョウさんが頑張ってこの3月で全4冊の大部な報告書に仕上がった。で、さっそく国の巡回展に出品ということになり、今日の午後、遺物貸し出しの作業があった。奈良ナンバーの専用車が来て、耳飾りなんかもあらかじめ寸法に合わせて梱包材が作ってあって、丁寧な作業で借用していった。午前中には、貸し出しちゃったら来年の2月まで帰ってこないので、内勤の作業員さんに内覧会みたいなのをやって、チョウさんに説明してもらった。
2019年5月20日(月) 午前中に母の居る施設に行って、施設長さんと今後の打ち合わせをする。先週までに2カ所の次の候補の施設を見てきて、それをもとに、母の今後のことなどを相談に乗っていただいた。7月の最初から移ることにして、大まかな動きなども決めた。とにかく、できることを一歩ずつ進めるしかない。
2019年5月19日(日) 久々に不調。このところ、時間があると山へ繰り出して、母の施設の件でもあたふたして、仕事も追い込みのプレッシャーがあったりして、少し飛ばし過ぎていたかもしれない。娑婆はかなり暖かいはずなんだけど寒くて、朝から布団をかぶって寝てる。昼から街の図書館に出かけなければいけない用事もあったんだけど、申し訳ないが欠席。女房と二人で行く予定だったので、女房に行って来てもらった。
2019年5月18日(土) 太郎にクルマを出してもらい、早朝から一家4人で東山へ繰り出した。タラは二番芽ばかりで、採るのをほとんど控えた。ワラビは狙い通り、しっかり採れて、あく抜きは鍋ふたつ分あった。東山は、今シーズンは今日が最後かな。行く度に新緑が濃くなっていて、山はやっぱいいね。帰宅後は、下して溜まっていた枝の片付け。しっかり汗をかいた。
2019年5月18日(土)その2 街にある、重要文化財の学校建築が国宝に指定される、という報道が昨日テレビニュースであって、今朝の新聞でも大々的に取り上げられていた。私は20年以上前に体調を崩したとき、2年間ではあったがここの管理事務所に居て、当番の日は窓の開け閉めとかお客さんへの対応とかやったことがあったので、ちょっと感慨深く、オオッ!と思った。建築様式とか近代教育史の中での位置とか、地域と学校の歴史とか、いろいろと評価できる点はあるんだけど、とにかく美しい建物で、外観だけでもいいから一目見ていただきたい、と常々思っていた。だから、難しい話は抜きにしても、やっぱりうれしいねえ。
2019年5月17日(金) 午前中に母のところに顔を出す。今日は比較的まともで、筆談が主であったが意思疎通がかなりできた。被害妄想を延々と喋りまくる時と冷静な時が日によってあり、前者が確実に増えているような気がする。母の方から施設を移りたい、どうなっているか?と言い出したので、もうすぐ決まるかもしれない、ただそうなったら家具や服は全部は持っていけない、と答えると、一瞬考えていたが、すぐに、じゃあ片付けなければいけないね、と言った。冷静と言うか的確な判断と反応で、ああ、母はまだ正気だ!と嬉しさがこみ上げた。
2019年5月16日(木) 明日、母のところに持っていく和菓子の詰め合わせを買う。夕方、次郎の保険の件で地元局の担当者が来訪。
2019年5月13日(月) 午後、松本市の北部にある老人施設に行って、いろいろと説明を聞いたり、施設見学をさせてもらった。先週の木曜日に行った施設と同じで、鍵がとても厳重で、思わず溜息が出てしまった。今、母が居るところの系列の施設なので、これからお世話になる可能性が極めて高い。施設長のお話は納得できることばかりだったが、さて、いざそうなったら当面は良いとして、費用などのこの先の負担をどうしていこうか?しばし考える。
2019年5月12日(日) 女房が居ないので、朝食は太郎がご飯を炊いてくれて、おかずは昨夜の残りのタラの芽の天ぷらとワラビだった。私は、午前中に先日伐った庭木の枝の片付け。夜7時から史談会の地区幹事会で、午後はその資料を作ったりした。史談会から帰ると午後9時で、旅行から帰ってきた女房はしっかり飲んでいい顔色をしていた。
2019年5月11日(土) 太郎にクルマを出してもらって、三郎と私の3人で東山へ繰り出した。去年、斜面を全部伐採したところは、さらに伐採範囲が広がって、道の上の斜面も頂上付近まで広々としていて、三郎は面白がって斜面の最上部まで登ってしまった。肝心の獲物は、林道脇でけっこうタラの芽が採れて、ワラビも出始めていてそこそこ採れた。来週あたりがワラビは最盛期か。女房は朝から一泊旅行の地質講座に出かけてしまい、残った男組は、帰宅すると太郎がワラビのアク抜きをして、タラの芽は、夕方、私が天ぷらにしたけど量が多くて1/3くらいは次回に回した。
2019年5月11日(土)その2 三郎のパソコンをリニューアルする。今のシステムを組んで5年以上たち、本人からあちこち小さな不具合が頻発するようになってそろそろ変えたいとの依頼があり、通販でパーツを注文して届いていた。山から帰ると、二人で解体と組み立ての作業を行い3時間ほどでOSのインストールまで終えることができた。SSDを導入して起動を圧倒的に早くしたんだけど、三郎の筐体は完璧な防音構造で、3.5インチHDDを下面でねじ止めする仕様だったが、手持ちの2.5インチ換装パーツに不適合だったのが判明して、ちょっと焦ったが、私のマシンのパーツと交換したらばっちりはまって解決した。PC自作は少ない趣味の一つで、久々に満喫できたが、老眼が進んで、細かいところがますます見えずらくなっている。いつまでできるのかな。
2019年5月11日(土)その3 子供たちと山から帰ったら、玄関に大きな荷物が届いていた。女房が以前注文した長尺の座卓型コタツで、注文生産なので今頃になったようだ。我が家のコタツは20年くらい前に長さ150センチの座卓型を導入したんだけど、子供たちが成長して、今は次郎が帰省した時など一家5人で座るとつもい。三郎は左利きなので食事の時などはちょっと不便。今のコタツは脚や躯体はまだしっかりしているんだけど、天板が合板のちゃちな造りで、傷んできて箸が転がるようになったので新調することにしてたんだ。もうコタツ終いも近いが、いつお披露目にするかな。
2019年5月10日(金) 母のところに顔を出したが、少し早めに行って、母に会う前に施設長さんと今後のことを相談する。母は急激に幻覚や幻聴が進行して、完璧に被害妄想に陥っていて、いろんなひどい目にあった事を、延々と休む間もなくしゃべり続ける。母が20代に体験した辛いことを、なぜか同じ施設の他の部屋の人が知っていて言いふらしているとか、部屋の電気は施設の事務所のメインスイッチで切られてしまっている、とか、とにかく眼と耳が悪いので、私も含めて周囲からの入力は一切受け入れず、ひたすら出力し続ける。私がホワイトボードに用事を書いて母の話を切ろうとするんだけど、ちょっと目をやって、すぐに話を始める。じっと聞いてやらなければいけないのかなあ?これまでは夢や幻覚を見たり幻聴があったりしても、自分自身でちょっと変だな、幻だな、と思うことも多々あったようで、私以外にはそこそこ自制が効いていたみたいだったが、いよいよその自制のタガが外れた感じで、これが認知症の始まりの一種か?と思うしかない。
2019年5月9日(木) このところ母の様子が、いよいよ今居るケアハウスでは無理かな、と感じるようになり、今日の午後は我が家からクルマで10分くらいのところにある老健に行って、いろいろと説明を聞いたり、施設見学をさせてもらった。とても環境が良くて、いいところだなと思ったが、認知症が進んだ人が入所しているからか、鍵が厳重で、これは外部対策と言うより、内部から勝手に出られない、いわゆる徘徊への対策かと思うと、やはりこれまでのケアハウスとは違っている、いよいよ、そういう所がこの先の母の選択肢になってきたかとしみじみ思った。夕方、次郎の保険の話でムラの局員の訪問があった。
2019年5月8日(水) 早朝ウォーキングに出ようとしてびっくり。うっすらとではあるが霜が降りている。我が家のある地区の観測所では氷点下1.4度。この時期のこんな低温、ちょっと大変なんじゃないか?4月28日の遅霜では、ムラ内でも出たばかりのアスパラがやられちゃって、けっこう損害が出たようだが、今朝の被害はどうなんだろう。
2019年5月8日(水)その2 毎月第二水曜日恒例のラジオ出演。午後6時15分頃にラジオ局に行ったけど、まわりはまだ明るくて、先月や先々月に比べて陽が長くなったことを実感する。今日の話題は古代の国府についてだったけど、現在開催中の企画展と、6月に私が話す講座の宣伝をさせていただいた。両方とも国府の話題に関連するので、ちょうどよかったかな。
2019年5月7日(火) 早朝のウオーキングで、昨日のうちに田植えを終えた田が2枚あることに気が付いた。まだ植えてはいないが、水をかけてトラクターで起こした田はほとんど。いよいよ田植えの季節が来たか。今季は我が家の周りではあまり見ないが、通勤路の周囲では転作の麦があおい穂を一斉に出している。山の新緑も少しずつ目に入る。なんかウキウキする。
2019年5月6日(月) 今日が10連休の最後の日。やっぱ10日連続の休みって長いわ。気を付けないと生活のリズムが乱れてしまう。午前中、少し風はあったが天気が良かったので、南の道にはみ出しかけていた庭木のニシキギの枝を下す。低木なのにそこそこの量になり、やはり樹木は管理が大変、と改めて思う。次郎は2時のバスで街へ下り、電車で職場に帰った。午後7時前には帰着と女房に連絡があった。次の帰省はお盆か。とにかく健康に留意して暮らしてほしい。
2019年5月5日(日) この時期は季節の移り変わりが早い。連休に入る前は満開の桜が散って花吹雪。連休の始まりは、近所の果樹園のモモが満開で、この花は桜(ソメイヨシノ?)よりピンクが強い。今朝あたりは、モモの花は終わって、今度はリンゴが満開になっている。リンゴの花は蕾はうすいピンクで開花すると白い。白い花に交じってピンクの点がポツンポツンとあるのでよく見たら未開花の蕾で、そんなことも初めて知った。1列だけ淡いピンクの花が咲いていて、ああ、ここだけ品種が違うんだな、などと思う。女房はナシの花も咲いているよ、と言う。ウメから始まった木の花は、サクラ、モモ、リンゴ、ナシと続いて、そろそろ終わりかな。ウメの実は6月頃が適期だけれどリンゴは10~11月。開花から実が熟すまでの期間の、この違いがまた興味をそそられる。
2019年5月4日(土) 早起きして西山へ繰り出す。女房と太郎と私の3人で、私の軽自動車でいった。次郎は勤め先から背負ってきた風邪が完治しておらず、三郎は一昨日から友人と遊び歩いた疲れで不参加。フキノトウはほとんど終わり、ワラビはまだ早い。下の林道で、出始めたタラの芽を4つ、奥の堰堤付近でいよいよコゴミが出始めて、料亭で出るような極上品がそこそこ採れた。クルマを移動させず、すべて歩きだったのでちょっと疲れて、山寺の桜は見ずに帰った。やっぱ山は良い。新緑の季節は特にそう感じる。
2019年5月3日(金) 午前中に母のところに顔を出したんだけれど、受付で職員さんから、昨夜、母が何か幻覚や幻聴のせいらしいんだが、騒いで周りの部屋の皆さんに迷惑をかけたようで、いよいよケアハウスでの生活はこれ以上は無理ではないか、と言われてしまった。母に会うと、昨日、3回も地震があって揺れて、入所者全員が1階の食堂に避難する騒ぎがあったけど、私は誘われたけど行かなかった、とか、隣室との境の壁に穴が開けてあって、いつもそこから私(母)は監視され密告されているのが聞こえる、とか、私(筆者)が「のど自慢」の歌番組に出ていて歌手の森進一から指導を受けている、とか、脈絡のないことを言う。隣室との境はコンクリートの壁なので穴が開いている訳はないし、耳元でラジオをガンガン鳴らしてさえ、よく聞こえない母に隣室の監視者の言葉が聞こえるわけはない。明らかに幻覚や幻聴、思い込みだろう。さすがに、のど自慢の件は、母も変だなと思っているらしく「お前、そういうのに出ているの?」と確認するが、夢と現実の区別がいよいよつかなくなってきたと思わざるを得ない。地震で避難した、と言った件では、実際に周囲にとても迷惑をかけたのだろう。母の認知症は被害妄想から始まった、とある友人から聞いたことがあるが、まさにそれだ。いままでもそのけはあったけど、急に、確実に来たね、ああ。老健やグループホームへの転園を本気(これまでだって私はずっと本気だったが)で考えなくてはいけない。母の正気と妄想に付き合いながら行く先を考え、おそらく自分もやがてこういう道をたどることを考えると、暗澹たる思い、なんてのは通り越して、どうすれば正気のうちに自分の人生を終えられるか?と破滅的な気分にさえなる。まあ、とにかくやるべきことをやるしかない。
2019年5月3日(金)その2 午前中に暗澹たる気分になったにしては呑気で、午後は女房と二人で西山へ繰り出した。いつもあまり行かない沢筋を登ってみようということで、本沢を佛窪まで登って下り、横吹沢も登ってみた。横吹沢は雨氷の時は被害がすごかったんだけど、区の共有山一帯まで、倒れなかった樹もすべて伐採して禿山になっていてびっくり。このあと植林とかどうするんだろう?林業用のアタッチメントを付けたバックホーが下と上に2台居て、ほお!と眺めていたら女房が「クマだ!」と小声で叫ぶ。50メートル前後くらいしか離れていない路上に、それこそ真っ黒でモフモフした四つ足の物体が大小2匹。写真を撮るのもそこそこに、二人で気付かれないようにそおっと後ずさりして、ひたすら退却。なんとか無事に帰れた。冷や汗だらだら。子連れだったので、もっと近かったら襲われたかもしれない。それにして、遭遇地点はいつも行く西山ではかなり低い位置で、まだこのずっと上には多くの別荘や宿泊施設もある。今年はクマの出没過多になるのだろうか。太郎は職場の仲間と街で一杯。でも午後10時前には帰宅できたらしい(私は晩酌後に寝てしまって気が付かなかった)。
2019年5月2日(木) 午前中、ムラの山寺で八十八夜の例祭があって、私は文化財保護委員と言うのを引き受けているので参列。マイクロバスが巡回して関係者を送迎してもらえるので、常会の集会所の前で拾ってもらった。この4月から区長になった大久保さんと一緒になり、久々にお話ができた。例祭は京都の清水寺の森清範貫主が一昨年からお見えになっていて、そのためか年々参加者、見学者が増えているようにも感じる。10時過ぎから始まった法要は約30分、山口保存会長の挨拶の後、今度は堂外で太鼓の演奏。これも一昨年くらいから恒例となっているようだ。11時からの直会にも会費1000円で参加して、昼酒をしっかり飲んでしまい、ご機嫌で帰宅。家には三郎の中学時代の友人が二人来て、次郎も加わって卓を囲んでいて賑やかで楽しそうだった。
2019年5月1日(水) 今日は即位の日で、昨日の退位の日に続いて祝日で休み。即位に関する宮中の儀式などもテレビで中継していて、ついつい見入ってしまった。新天皇陛下は私と年恰好が似ていて、皇后陛下も含め、恐れ多いことではあるが、なんか自分たち夫婦と近い感覚になってしまう。となると、とにかくお二人とも心身の健康に気を付けていただくことを切に願う。ほかにもいろいろ思うところはあるけど、お嬢様もまだ高校生だし、同年配として、まずはそれが一番気にかかる。元気でやってほしい。
今日から令和元年。と言っても、私の身辺に変化がある訳ではない。あと何年の寿命かわからない。やるべきこと、やらねばならないことをひたすらやるだけ。少しずつ息を抜きながらね。(2019.5/1記)
2019年4月30日(火) 今上帝が退位される日で、特別に祝日となって仕事はお休み。新聞もテレビも退位の話題で持ち切り。でも、女房の会社は勤務日で、雨天で私が家に居たので送迎した。平成は今日で終わり、明日からは令和になる。30代から60代のはじめの、人が言うところの働き盛りを、私は平成と言う元号と共に過ごした。かなり多くのことをやってきたつもりだが、やり残してしまったことも多い。残務として、事務引継ぎとして、若いメンバーに押し付けるには、かなり躊躇する量であり、内容である。元気なうちに、何とか主要な部分だけでも形にしていきたい。平成最後の日に、とにかくそんな風に思う。
2019年4月29日(月) 祝日で休み。昨日、下した枝を片付けようかと思ったが、連日の肉体労働は鈍った身体には無理かと思い、何もせずに終日家居。今朝もそこそこ寒かったけど、昨日みたいに霜は降りなかった。でも、庭のウドは昨日の霜にやられて、数本あるんだけど、そのほとんどが黒紫に変色して、へたってしまった。他にも若干の被害はあったが、ウドは特に弱い。ああ、こんなことになるなら、おととい、みんな天ぷらで食べちゃっておけばよかった。まあ、次の横芽も出るからいいんだけどね。
2019年4月29日(月)その2 祝日にもかかわらず、女房は空港公園のゴミ拾いの仕事に出勤。まあ、人が大勢来る連休なんだから、むしろ普段より散らかって忙しくなるのは当然だろうしね。空港の周りでは連休に合わせて27日から始まった「花フェスタ」というのが賑わっていて、花が好きな女房は、さっそく仕事帰りに見てきた。県内ナンバーが主だったようだけど、一部で駐車場に入るのに渋滞が発生していて、ウ~ン、今年の連休はあの界隈には近づかないが得策か、などとも思う。こういう私のような、消極的で無難を好む姿勢が日本経済の足を引っ張ている、と言われそうだが、そろそろイベント頼みとか、右肩上がりだとか、そんな価値観を変える潮時とも思うんですがね。夕方、次郎が帰省してきた。会社ではなぜか風邪が流行っているらしく、本人もやっとたどり着いた感じ。
2019年4月28日(日) 朝冷え込んで、我が家の周りには一面に霜が降りた。リンゴの果樹園では防霜ファンが、年に一度のご奉公、とばかりに勢い良く回っていた。冷えたせいで天気が良くて、久々に風もなかったので、午前中、庭木の高いところの枝を下す。高枝切りの大で、引き込み電線に当たりそうな小柿や合歓の枝をどんどん下した。こいつら、放っておくとドンドン伸びてしまう。小柿は植えた覚えもないのに生えてきて、最初は、こいつ元気かな?何になるんだろう?などと時々しか気にしていなかったら、いつの間にか大きくなって、もはや手遅れの感が強い。最終的には枯らすしかない。同様に、合歓も花が鮮やかできれい、なんて喜んでいたら、どんどんと枝を伸ばして小さい高枝切りでは届かなくなってしまった。高所の大きい枝を切るので、森山さんの悲劇を思い起こしてヘルメット着用でやった。勝手口の外のアメシロがつきやすい樹も1.5メートルくらい縮めた。
2019年4月28日(日)その2 庭で枝を下していて、ふと南の空を見ると大きな虹が出ている。真南に虹が出るなんてとても珍しいし、なんか色合いがメタリックっぽくて見慣れた虹とちょっと違う感じ。あわてて女房を呼んで一緒に見たけど、私よりは天象に詳しい女房は「あれ、虹と違うんじゃない?」と即座に指摘。そう言われれば確かにそうで、南の空に真横に近く水平に色の帯が延びている。夜のニュースでは、どうやら本州中央部のかなり広い範囲で見えたようで「水平環アーク」と言う現象だそうだ。六国史などに記された「瑞雲」とか「慶雲」てのはこれなのかなあ?確かに何とはなしに目出度い感じ。外仕事をしていたおかげでリアルタイムで見られた。幸運に感謝。
2019年4月27日(土) 連休の初日。太郎にクルマを出してもらい、女房、三郎、私の4人で西山へ繰り出した。根雪のほとんどは融けて、林道の日陰に残っている程度であったが、山菜にはまだちょっと早くて、フキノトウが採れただけだった。天気予報では寒気が入り、長野県も北部・中部の山間部では雪が降るところもある、と言っていたが、果たして霧雨が氷の微粒に変わり、やがて雪がザンザンと言っていいほど降り出した。地面は暖まっているので、さすがに積もることはなかったが、皆の防寒着はかなり白くなって、急激に冷え込んだ。下の林道には回らず下山した。里は気まぐれな雨だったが、一時は雪に近かった。寒い一日。夜はフキノトウと、我が家の庭のコゴミ、ウドの初物で乾杯。無上の幸せ。
2019年4月26日(金) 午前中に仕事を抜けて母のところに顔を出し、頼まれていたサンダル、筒形の保温水筒、いつものパン、梅干しを届ける。古いサンダルは引き取ってきた。前回届けたキュウリは、母が食事に行っている間にヘルパーが合鍵で入って全部食べられてしまった、と言うけど、そんなことあるのだろうか?悪くさせてしまったので、片付けてくれたんじゃないのかなあ?
2019年4月26日(金)その2 夕方から街で、課の歓送迎会の飲み会があるので、午後も仕事を早引けして帰宅し、コミュニティーバスと電車を乗り継いで街へ出た。コミュニティーバスは、4月1日から時刻表が変わって、なんと、我が家のすぐ近くを通る路線は、午後の便がなくなってしまっていた。そんなこと知らずに(そもそも、そのこと自体が間抜けなんだけど)あてにしていたので、慌てて20分かけて大規模店まで歩いて行って、そこから以前より一つ南の駅に行くコミュニティーバスに乗った。1時間近くバスに乗って、初めてのコースだったので景色はそこそこ楽しめたんだけど、それこそ、やっとこさ駅について電車にも間に合った。肝心の飲み会は、ポルトガル料理のお店だそうで、若いメンバーには面白そうだったけど、私みたいなジジイには、浅漬けやあっさりした煮物、茹で物など、何とか箸を付けたくなるようなものは皆無で、お酒も日本酒ががなくて、仕方がなくて飲みつけないジンなんとかを飲んでいた。そのせいじゃないと思うが、午後8時を回ったら家で晩酌している時と同じで眠くなってしまい、〆の万歳とかはまだまだ先そうだったので、みんなには申し訳なかったけど、司会進行の補佐にだけ告げて、そうっと帰った。終バスにも間に合って、帰宅したら9時半前だった。今回はチョウさんが最後の飲み会だったので出席したけど、しけた顔したジジイが隅っこでつまらなさそうに酒ばっか飲んでるっていう典型例になったしまった。もっと場に合わせて飲めよ!って怒られそうだが、もう役もないし役にも立たない。あてにもされていない。仕事の時間を削ってまで出る意義は私にとっては最早ない。やっぱ出席するべきではなかったと痛く反省。5月にもう一件予定されているようだが、そちらは欠席に変更しようと決めた。
2019年4月25日(木) 明け方、目が覚めるとゴウゴウという音がしていた。雨かと思ったがそうではない。いよいよ自宅の前の黒川用水にも水が来た。春、本番。これから秋の終わりまでこの瀬音を聞きながら暮らす日々だ。
2019年4月24日(水) 昨年の11月10日に、考古博物館の古墳時代の特別展を見に来ていて偶然お会いした浜松の研究者が、本格的に6・7世紀の須恵器を見たいということで、急遽、今日来てもらうことになった。それで昨日から、考古博の担当にいくつかの古墳出土の土器を出してもらっらりして準備して、午前9時30分頃からお見えになって、午後3時くらいまで、たっぷり見ていただいた。7世紀代から8世紀初頭くらいの横穴石室からは、明らかに在地産ではない焼きの良い、胎土が灰白の須恵器の壺類がよく出土する。地元の土器しか見てない私などには、おそらく東海産であろう、ということくらいしか分からなかったんだけど、湖西窯の製品がかなり入っているようだ。飯田経由なのか、山梨・諏訪ルートなのか?近年、いろんな時期で、後者のルートの見直し、というか注目が集まっている。今回の須恵器もそういう文脈の中で検討していく価値がありそうだ。
2019年4月21日(日) 今日はどこにも行かずに家で報告書の原稿を打とうと思っていたんだけど、午前中から背中の左側に痛みが走って、何もできず大人しくしていた。左の肩甲骨と背骨の間あたりに、何かの拍子にズキンと痛みが走る。大人しくしていると痛くないんだが、左手を上げ下げする動作で痛みが起こることが判って、左手を使わないようにしていた。原因は昨日のタイヤ交換かなあ?でも、力仕事はほとんど太郎にやってもらったのになあ…?困った。
2019年4月20日(土) 早起きして、三郎と二人で西山へ繰り出した。4月6日に行ったきりで、その後、ちっとも行かれなくてジリジリしていたので良かった。だいぶ雪は解けていて歩きやすかったが、まだコゴミもタラもその気もなくて、あちこちでフキノトウを採った。曽倉沢へ続く林道を堰堤まで歩いてみた。やっぱ山は良い。女房と太郎は自衛隊の駐屯地祭りに行ってしまい、帰宅は昼過ぎだった。
2019年4月20日(土)その2 午後、やっと車のタイヤを履き替えた。太郎と三郎に手伝ってもらい2台とも終えた。「手伝ってもらう」というより、もう子供たちが主導で私がお手伝いをするという感じ。正しい在り方だと思うよ。多謝。
2019年4月19日(金) 午前中に母のところに顔を出す。頼まれていた、お茶菓子の詰め合わせ、小袋に分かれたフリカケ、瓶入りのノリの佃煮、梅干し、キュウリ、足が攣った時の薬、それに毎回のパンを持っていった。訪問診療があって下の食堂に居たが、とうぶん順番が来そうもないので、いったん部屋に戻って渡し、話をしてきた。
2019年4月18日(木) 昨年の11・12月に発掘した縄文土器をひろげて接合しているんだけど、中期末の資料がたくさんあって、口縁部の突起や橋状把手がどんな感じで接合するか、作業に従事する皆さんも、それを指導しなければいけないはずの私も、ちっともイメージが湧かない。そこで、県埋文のその時期の専門家に来てもらってご指導を賜った。どんな報告書を参考にすればよいかもしっかり教わって、とても助かった。彼は学生時代からの知り合いだが、久しぶりにお会いした。私よりちょっと若いだけなんだけど、とても元気そうでうらやましかった。
2019年4月18日(木)その2 朝、出勤する時には、隣の正覚様の桜はやっと開花が始まった、と言う感じで、まだ半分ぐらいは蕾の赤さが残っていた。ところが、帰宅した時には全部開いてピンクに染まっていた。春は突然、と言うよりは急激に来る。
2019年4月17日(水) 家で作業している墨書土器を一区切りつけようと、午後に集中的にやる。全14頁。なかなかのもんだよ。
2019年4月16日(火) 街中の大きな現場が二つ、早々に始まって担当者は直行したりするので、職場のクルマがぐっと減って、ああ、いよいよ現場シーズンが始まったな、という実感。
2019年4月14日(日) 村の資料館が建物の老朽化で5月1日から閉館になる。まあ、今までだって申し込みがなければ開けなかったから、実質的に休館中だったけど、いよいよ本格的に閉めることがアナウンスされた訳で、で閉館前の最後のイベントとして、今日は終日、無料開館と花見のコラボが企画された。私は村の文化財委員でもあって手伝いを依頼されていたので、午前と午後に顔を出した。花見の方はやっと桜が開き始めたばかりで寒くて、申し込みもなく中止となったが、無料開館は大盛況で、今まで訪れる機会がなかった村民や小学生が大勢来た。私も発掘出土品などについて説明をしたりして、少しは協力できた。危険建物なのでそう遠からず取り壊さなければいけないんだろうけど、さて、その後をどうするかね。
今朝も霜が降りて、そこそこ寒かった。ここ数日来、西山には連日、うっすらと雪が来て、風はまだ冷たい。例年より、少し寒い春。でも陽光は暖かい。(2019.4/13記)
2019年4月13日(土) 女房は昨日、内視鏡手術をしたばかりだし、太郎は明日は一日がかりの消防の講習会、三郎は体調が良くなくて、せっかくの春の休みなのに山へ繰り出せなかった。私は朝から先週伐った枝の片付け。さらに追加の枝も払って、10時過ぎまでかけて、せいせいきれいに片付けた。午後は、近所に住んでいる高校時代の郷土班の同期の家に行って、ムラの史談会に入らないかい、と勧誘。彼は自分の家の畑でうんと縄文土器が出るので、高校時代は考古班で活躍していたが、大学卒業後、長野県の教員になって県内を広く回り、最後は隣村の小学校の校長を務めて、この3月で定年退職した。ムラを離れていた期間は長かったが、そうは言っても生まれてから18歳まではムラでどっぷり過ごした、いわば生え抜きで、そのころの友人関係は他に代え難いものがあるに違いない。などと勝手に思い、また私にとっても古い友人なので誘いに行った訳だが、快諾をいただいた。女房は昨日の今日なのに、街の大学に地質の講義を聞きに行ってしまった。いいんかいな!?
2019年4月12日(金) 昨日、おとなしくしていたので、左目と歯茎の調子はだいぶ良い。で、かねてからの予定通り、女房が街の病院で、内視鏡によるポリープの切除をするというので、休みを取って送っていく。帰宅して、月一の掛かりつけのお医者さんに行って痛風の薬を処方してもらい、午後は自車の2年目の定期点検に行ってきた。昼間、クルマに乗ってあるくのは、それほど眼には影響なさそうで、ひと安心。
2019年4月11日(木) 昨夜から、こんどは左眼が痛くなって、悪いことに左上の歯茎に腫れと言うか違和感が増大してきて、そこの一帯の奥歯が浮いているような感覚。おそらく顔の左側の神経がマヒして免疫機能が低下しているんだろう。以前も右側だったけど全く同じことがあって、その時は「ええい!めんどくさい!」と、お握りをパクついたら、浮いている感覚の奥歯がそのまま傾いてしまい、結局、歯自体は全然悪くないのに抜く羽目になった。こんなバカなことは繰り返したくない。とにかく、無理な飲食はせずに、ひたすら左目を休めて、歯茎の腫れが退き、免疫機能が回復するのを待った。
2019年4月10日(水) 一昨日から右目の調子が悪くて、昨日などはクルマの運転も恐ろしかった。今朝は同じ方向に行く太郎に同乗させてもらって出勤。しかも、夕方6時半からは、第二水曜日恒例の地元ラジオ局に出演なので、太郎に乗せていってもらい、出演が終わるまで近くで待っていてもらって帰宅した。すっかり迷惑をかけてしまい、申し訳ない。多謝。こんな調子で老人になっていって、自分のことながら、どうするんだろう。ラジオの方は、年度替わりでパーソナリティも替り、以前一年間、一緒にやった地元の製菓業の若い男性になった。お互いに「また、よろしくお願いします。」って感じで始められた。
2019年4月9日(火) 右目の痛みが引かない。とにかく眼を休めるしかないので、仕事は休んで終日寝ていた。
2019年4月8日(月) 職場は月に一度の全館清掃の日で、清掃業者さんが入るので作業員はお休み。作業の指示をすることがないので、パソコンで原稿や図目次などを作る。結構細かい作業で、昼休みもそこそこに夢中でやっていたら、午後2時くらいから首や肩が張る。ちょっと変だなあと思って、でもここで詰めてやっておかなきゃあ、とさらにパソコンに向かっていたら、右目の奥に怠さが生じてきて、ヤバい!顔面神経痛の前触れだ。1時間早く上がって帰り、目を休めて寝たけど、わずかに手遅れだったか?
2019年4月7日(日) 県議会議員の投票日で、正直言って、今回の県議選は、私はあまり関心がなかったけど、それと投票に行くことは、まったく別次元なので、午前9時30分過ぎに太郎に車を出してもらって4人で行ってきた。その足で買い物に回り帰宅。私はその後母のところに顔を出した。夜8時を過ぎると選挙の開票速報がテレビで始まったが、夕食が終わったらそのまま寝てしまって、夜半に目が覚めて、ああ、と結果を見た。私の住む選挙区は定数7名のところ9名が立つという激戦?であったが、やはり与党は強いね。それに、これまで郡部が地盤だった候補者が見事な健闘をみせて、人口比では圧倒的に不利だったのに、どんな仕掛けがあったのだろうと、少し興味がわいた。
2019年4月7日(日)その2 朝8時ころ、我が家の隣の忠魂碑にワラワラと人が集まってきて、皆で黒川のセンゲ浚いを始めた。ウチの前では昨日浚っておいたので大したことはなくって良かった。
2019年4月6日(土) 太郎に車を出してもらって、4人で今シーズン初の西山へ繰り出した。今年はまだ寒い日があって、いつも車を停めるところには10センチ以上の雪が残っていたけど、太郎のクルマもRV車なので問題はなかった。電波塔跡地に登っていく道は雪に覆われていて、凍みて固くなっているところは良いんだけど、そこを踏み抜くとズボッと40センチくらいめり込んで長靴の中にも雪が入ってしまう。日当たりの良いところはまだらに雪が解けていて、フキノトウがいくつか顔を出していた。キャンプ場先の水場や青く見える林道へも足を延ばしてみた。そこそこフキノトウを採って、私が夕食にてんぷらに揚げ、皆で初物をいただいた。
2019年4月6日(土)その2 山から帰ってきて、家の前に流れている黒川用水のU字溝に溜まっていた落ち葉や泥を太郎と浚う。どうやら明日、用水の組合のセンゲ浚いがあるらしいので、ここの家は庭にいっぱい落ち葉が出る樹を生(は)やらかして、見ろ!この権幕だ!と陰口を言われたくはないからね。その後、私は隣地の畑の日当たりの邪魔になっている樹の枝も払う。
2019年4月5日(金) 3月までは、母のところには土曜日の午前中、顔を出すようにしていたんだけど、それだと土曜日に出歩くことがほとんど出来なかったので、4月からは金曜日の午前中に替えようと思い、今日からさっそくそうしてみた。ところが、先週確認した時はそうではなかったのに、今週から母の入浴時間が午前9時から10時になっていて、それとかち合ってしまいわずかな時間しか話ができなかった。ウ~ン、日を変えるか、時間を変えるか。なかなか思い通りに行かないね。母の施設の帰り際に、実際に介護などで働いている職員さんと偶然にお話しすることができて、やはり目と耳が衰えている母は、自活できているとは言え、かなり迷惑をかけている様子が遠回しであるが分かった。介護が主体の施設に移るという選択肢を、さらに検討していかなければならないけど、どうしたって「先立つもの」の問題がね。たった一人の親であり子ではあるけど、自分の経済や生活を破綻させてまで、とにかく面倒を看るべきなのだろうか?私の他にそうするべき人はいないのだから、当然と言われれば当然なんだけど、なんか抜本的な解決ではなくてもおり合える方策はないのだろうか?そして、そういうことを考えるとき、いつも思うのが、私が30年後に母と同じようになって、息子たちに同じように負担と迷惑をかけてしまうのか?ということ。そんなことは嫌だなあ、という暗澹たる思いにいつも囚われるのである。
2019年4月5日(金)その2 職場で午前中に正社員も非常勤も全員が出席する会議があって、今年度の事務分掌とか決裁ルートとか仕事の割り当てとかが正式に決まった。私は今年度も現場の手伝いをする事態がありそうで、それはそれで良いんだけど、過去の調査の整理作業が滞るようなことになると困るなあ。まあ、昔から他力本願と言うか、自分の都合で仕事量を決められないという運命にある緊急○○という業務だったからしょうがないんだけどね。
2019年4月4日(木) 昨日納品のあった報告について、調査当時の担当にその旨連絡したら、外に出たついでに私の職場に回ってくれた。多謝。相変わらず、あちこちの古墳を踏査していて、面白い情報をいくつも教えてくれた。夕方は、既に退職している、やはり当時の担当のお宅に回ってお届けして帰宅した。
2019年4月3日(水) 年度末、年度初めで休んでいた作業員さんが今日から出勤。一挙に職場が賑やかになった。午前11時前には、長野県の文化財委員を務める大学の先生が随行の県職員と一緒にお見えになり、午後までかけて縄文後晩期の遺物を視ていただいた。先月末で退職したチョウさんも担当なので来て、詳しい説明をした。種子圧痕の調査でアイダさんも来ており、先生とお話されることもあった。なかなかVIPが集まった一日であった。私の担当の報告書の納品もあり、あれこれと忙しかった。
2019年4月1日(月) 新年度の初めの日。私は普段どおり出勤し、午前10時に課長が来て、ほかの非常勤の皆さんと一緒に辞令をもらった。正社員で異動があった人などは、辞令交付式に出たり、職場の引っ越しをしたり、新規に来た人の着任の挨拶があったりで、人の出入りがあわただしい一日であったが、現役の時とは違い、傍観者の一人として過ごせた。3月中にあった異動の内示で、職場に新規採用が一人配属になることは判っていたが、それが考古学の専攻生ではないと知り、アッと思う。卒論などで学生時代から顔を出していた人材が合格していたので、そこが配属されるのかと思っていたら、そちらはまったく違うところに配属されていて、人事課では何か事情とか意図とかあるのか、それとも全然そんなこと考えていなくてただ単にガラガラポンだったのか、毎度のことなんだけど「すまじきものは宮仕え」という言葉が脳裏をよぎった。
2019年4月1日(月)その2 前々から話題になっていた新元号の決まる日で、午前11頃、職員や作業に来ていたアイダさんから決まったと聞く。「令和」だそうで、平成の時と同じで、ああそうですか、とまず思ったけど、「令」って字は、たしか漢文の授業では長い文頭について「セシム」って訓じ、「○○させる。」って意味だったような気がする。要するに命令の「令」じゃん。この字、今まで元号に使われたことあったっけ?もっと別の良い(?)意味があるのかな、帰宅して白川静ででも調べてみるか、などと思った。夜のニュースでは万葉集の「令月」から採られていることが報じられていて、「良い」というような意味だと知り、私は自分の無知と言うよりは無学をあらためて自覚したけど、確かに令嬢、令息という語もあって、そういわれればそうだったなあ、などとも思った。
2019年3月31日(日) 休出はせずに、家で報告書の原稿を打つ。明日、4月1日に新元号が発表になるというので、テレビや新聞などでそれに関する話題で賑わっている。市井の人々に新元号はどうなるか?とか、どんな字が好きか、ふさわしいか?、などと、国民の多くが大いに興味を持っていることは恐らく確かなので、そんな話が横行している。で「安」とか「永」の字がいいという人が多くて「安永」がいいとか、だって、安永って江戸時代に会ったじゃん!同じ元号つけるなんて、絶対にありえない(エッ!もしかして、別に問題はなくて、私が知らないだけか??)と思ったりする、それこそ無意味と言うか、市井の純粋な無知、無学をただ単純に面白く伝えるだけの中身の記事、番組も少なからず目にした。この程度のレベルで多くは喜ぶんだ、とマスコミは思い込んでいるのか、やっぱりそうなのか、など少し複雑な気分になっている。
2019年3月30日(土) このところ一週間くらい、何か動作をしている途中で、突然、軽いめまいが起こってすぐに治る、ということが、一日に1~2回ほどあり、何だろう?と思う。大事な局面ではなく、何気ない動作や動きの途中で起こり、したがって何の問題もなく、すぐに治まる。今朝も家でそんなことがあったので、今日は家でおとなしくしていたほうが良いと思い、でも母のところに行く約束になっているので、午前中に出かけて、職場にも寄って1時間くらい原稿執筆の準備などして帰宅した。
2019年3月29日(金) 明日、明後日が土日なので、職場は今年度最後の日。本社では退職辞令の交付式とかいろいろあって、おそらく4月1日に次いで多忙な日なんだろうけど、私は恒例の退職者のお見送りにも行かなくて、さほど身辺に変化もなかった。同じ作業所で仕事をしているチョウさんは今年度いっぱいで退職なので、昨日あたりから、ずっとデスク周りの片付けとかをやっていたんだけど、なんと、この年度末の今日に、チョウさん担当の遺物を観たいという大学の先生が来て、お互いに専門家同士なので、そういう情報交換だったり質疑応答を終日していて、最後は駅まで自車で送っていくということにもなった。今後もチョウさんには頻繁にお世話になるのではあるが、一応、今日が最後なので、関係のあった職員が何人も出てきて、帰るチョウさんを見送ったんだけど、そのクルマには大学の先生も同乗しているという、何とも変な終わり方であった。やっぱ、お役所は年度初め、年度末の日は避けたほうがいいか、などとも思ったけど、市民や研究者にはそんなこと関係ないもんね。とにかく、チョウさん6年間、ありがとうございました。近年、どこの自治体でも若手の担当者の専門性、特に遺物に対する知識や経験が低下していて、ウチの職場も御多分に漏れず、というとこだった中で、土器の編年や型式論を実物に即して語ってもらえる、根っからの専門家だった。チョウさんが居なくなった後の、私の探究心の空白をどうやって埋めようか、悩む。
2019年3月29日(金)その2 午前中、以前、太郎がお世話になって、退職後の今は在野で古代や近代の研究を熱心にやっている先生が私の勤務先にお見えになって、いろいろとお話をする。古墳時代の始まりの頃を勉強していて、東海系土器のことをもっと詳しく知りたいということなので、愛知県のセンターの報告書を、ちょっと専門的すぎるけどバイブルみたいなもんです、と言って紹介した。
2019年3月28日(木) 夕方、職場の親睦会で転退職の会員を送る会を行ったので、私も顔を出した。現役の時はずっと親睦会長だったので、仕切りとか紹介とか挨拶とかを毎年やり続けていたんだけど、今の立場は一会員としての参加で、頼まれれば端役をやる程度で済む気楽なものだ。今回は10人が転退職で、こんなに多いのは親睦会始まって以来ではないか、と現会長の挨拶にもあったが同感。異動が5人、転職を含めて退職が5人。みんな、それぞれ新しい世界で頑張ってほしい。とは言え、退会費や記念品の贈呈で、こんなに多いと親睦会の会計、大丈夫だったのかな?かつて、10人まではいかなかったけど7~8人が対象となった時があって、資金が足りなくなり、会費を前納してもらってしのいだことがあった。ああ、それも今となっては良い?思い出だね。
2019年3月26日(火) 20年近く前、一緒に弥生時代研究をやった、東信の古い友人が職場に訪ねて来て、久しぶりにゆっくり話をする。彼は、仕事を早期退職した後、あちこちに論文を発表し、精力的に活動している。今日も、松本の大先生のところにお話を聞きに行くついでに寄ってくれたのだが、昭和30・40年代の地域ごとに標式設定があった時期の研究史を、昨今の資料蓄積の中から再評価していきたいという話になって、さすがだと感心した。研究する時間がない、などといつも甘ったれている自分が、少し恥ずかしかった。
2019年3月26日(火)その2 夕方6時半から、昨年末にやった現場のメンバーで飲み会があるので、早引けしてバスと電車を乗り継いで街へ出た。小さい現場だったので、参加者は作業員さん5人に担当社員が私を含めて3人の計8人というささやかな会だったが、とても楽しかった。幹事のニシさん、ありがとうございました。8時35分頃にお開きになったので、8時45分の終バスに間に合うかもと、ターミナルまで走ってぎりぎり間に合った。こんなにあたふたと走ったのは久しぶり。
2019年3月26日(火)その3 職場では、月末に作業員を一堂に集めて、翌月の予定とかの説明などを担当の係長や正社員がやるんだけど、今日は年度末なので、少し大規模にやって、新年度の全体計画とか、国の法律が変わって2020年度から勤務の形態や時間が変わることについて説明があった。ここ数年、国の労働関連の法律、制度の改変が著しくて、社会保険の加入条件の緩和制限とか非正規の労働時間数とか、いろいろ変わった。今度も全国の地方自治体すべてで大きな変更が必要になってくるらしくて、我が社でも作業員や非常勤を多く使っている多くの職場は頭が痛いようだ。私だって非常勤で、法改正の対象になっている。まあ、私はすでに現役が終わった身で、気に入らなければとっとと辞めればいいだけの立場なので、あれこれと思い悩むことはないんだけどね。
2019年3月25日(月) 早朝に、昨日印刷製本した史談会の会報を受け持ちの会員宅に配ってから出勤。すっかり日の出が早くなって、ありがたい。
2019年3月24日(日) 午前中は先日伐った庭木の枝をひたすら片付ける。午後3時から史談会の役員と地区幹事が公民館に集まって、会報の印刷と製本。私は2時前には行って、皆さんが集まったらすぐに製本作業ができるように、あらかじめ印刷をしておく。作業は3時40分くらいには終えて、その後は今後の活動などについてフリートーク。最近の史談会の事業って、村内と村外の史跡探訪、会報の発行くらいで、あとは依頼を受けて案内とか文化祭の展示とかそんなことばかりで、本来あるべき、歴史の勉強の機会がないのではという意見も出て、なるほど、そのとおりだと痛感。私は事務局だもんで、事業を何とか無事に終わらせることばかり考えていて、一番肝心なことを忘却していた。たしかに、会員が70名以上いるので、全体で統一して動くには大変なので、個別の勉強会とか研究部会とかを立ち上げて、もっと小回りの利くシステムを考えていかなくては、と思った。
2019年3月23日(土) 休出して終日土器の実測と表の作成。午前中、母のところにも顔を出す。頼まれていた振りかけとアジシオ、買って用意していたのに忘れて行ってしまった。頼まれていたものを用意してあったのに忘れて持っていかなかった、ということが、これで2回目。最近、痴呆が始まったか?と思うようなドジがある。振りかけ、楽しみに待っていた、と言われ、われとわが身が情けなくなる。
2019年3月22日(金) 買い物などの用があったので、仕事は1時15分までにして帰り、時間が空いたので床屋に行ってさっぱりする。髪は女房に丸刈りにしてもらうには、まだちょっと寒いので床屋に行ったんだけど、やっぱ建物から出たら寒い。
2019年3月21日(木) お彼岸の中日で祝日、お休み。休出してやることもあるんだけどやめて、懸案だった庭の樹の枝を下す。西側の畑にせり出しそうで、日当たりも悪くなっていて、迷惑をかけているなあと常々思っていたので、大きく張り出している枝を何本か落とした。三郎も手伝ってくれて、片付け易いように細かく切るところまでできた。風の強い日で、2階の雨樋に当たっているシャラの枝を高枝切りで切ろうと思ったけど、風にあおられるので、そっちは次回にした。作業中の午後2時くらいか、村中の緊急放送がガンガンなって、風が強いのでよく聞き取れないんだけど、どうやら火事。下大池の八幡様の方角から白い煙がどんどん上がって、近所でも外に出て眺める騒ぎになった。この強風は大変!消防団は緊急出動で、太郎も大急ぎで出かけた。せっかく休みでゆっくりしていたのに気の毒だけど火事じゃしょうがない。帰宅は夜の10時近かった。ゴクロウさま。
2019年3月20日(水) 年度末を迎え、学校の先生とか官公庁で転勤、異動の記事が新聞に散見されるようになったが、私の勤め先でも新年度の人事異動の内示があった。まあ、非常勤の私にとってはほとんど関係ないんだけど、課長も、直属の上司の三人の課長補佐も、結局のところ全然動きがなくてそれほど問題はないだろうね。ただ、ここ2年程、熱心にやっていた若い担当者が思いもかけないところに動いて、何でこういうことが起こるのかね?と、毎度のことだがやり切れない思いがこみ上げる。それに、私の世代はいよいよ定年退職が始まっていて、アア、彼も定年だったか、などと思うことしきり。とにかく、4月から無事に仕事が回ることを祈る。
2019年3月19日(火) 昨日から咳が出て、変な声になってしまった。風邪だと思うんだけど、3月に入ってから、いろいろと仕事が重なって、休出もして、少し飛ばし過ぎたか。今日は仕事を休んで終日寝ていた。
2019年3月17日(日) 午後1時30分から史談会の定期総会があって、私は事務局だもんで1時間以上前に村の公民館にいって準備。例年は史談会独自で総会の前に講演会をやって、そのあと総会、懇親会という順番だったんだけど、今年は講演会を村教委と相乗りでやることになった。そこまでは良かったんだけど、講師の先生の都合で(おそらく村教委の何らかの手違いだったと思うんだけど…)、総会が先で講演会が後になってしまった。講演の内容も近現代史だったので今一つ興味をひかず、会員が総会が追わったら懇親会までの間、いったん帰っちゃって、大勢聴衆が集まらないんではないかと心配だった。でも、蓋を開けたら、総会に出席した会員はほぼ全員残ってくれて、講演だけを聞きに来てくれた会員や会員以外の村民、松本市から聞きに来た人なんかもいて、会場は満杯で盛況で終わった。ああ、良かった。で、肝心の総会の方は、旧年度の事業報告と新年度の事業計画案を事務局ということで私が説明した。無事に承認、議決していただき、こちらも良かった。懇親会は昨年と同じで、総会、講演会と同じ会場で後方を仕切って仕出しをとってやったけど、そこそこ飲んで、厚美先生の奥さんに栄造さんと善万さんと一緒に送ってもらった。帰宅したらまだ7時過ぎで、女房と三郎は晩酌をしていた。
2019年3月15日(金) 村の文化財保護委員会で視察研修があって、午前は平出博物館、午後は豊科の郷土博物館と文書館を回った。特に、文書館は初めて入ったけど、なかなか充実している。4時に帰って委員会の会議。ムラの資料館の公開中止について事後承諾みたいになったけど承認する。その後は懇親会で、帰宅したら8時。
2019年3月15日(金)その2 視察の集合時間が午前10時だったので、その前に掛かりつけのお医者さんに行って、月例の診察と薬の処方を受けようと出かけたんだけど、なんか、とても混んでいて、診察が終わったら9時40分頃で、慌てて帰って着替えて出直した。たまに、うんと混んでいる時があるんだけど、何があるんだろうね?偶然?それとも、私が傾向とかを読み切れていないのかなあ?
2019年3月13日(水) 毎月、第二水曜日恒例で、地元のFMラジオ局にゲストで出る。縄文土器の作り手についての質問が来ていて、おおっ!と思いながら何とか答えた。確かに縄文ブームで、ブームでもいいから、少しでも遺跡や埋蔵文化財に関心が拡がればうれしい。ところが、パーソナリティは若手の男性だったんだけど、4月から交代されるのだそうだ。ああ、そうか。3月から4月って人事異動、番組編成替えのシーズンだったね。私がラジオ局に行くようになって4人目のパーソナリティさんだったけど、次はどんな人が担当になるのだろう。
2019年3月11日(月) 職場に連日、アイダさんたちが種子圧痕調査に来ているが、今日は隣県の自治体にお勤めの若い研究者も、弥生の遺跡の種子圧痕調査に別件で来て、そこにチョウさんや私が加わって話が弾んだ。若い彼は歴博に居た頃から有名で、今でもお勤めの傍らガンガン論文を書いて活躍しており、でも人となりはとても礼儀正しく話も慎重、丁寧で、こうゆう有望な人材には、いっくら忙しくても、協力を惜しみたくない。
2019年3月10日(日) 史談会の総会が17日の日曜日にあるんだけど、その議案書の印刷と製本を、会長や会計さんの日程で13日の水曜日にやることになった。その日は私は都合が悪いので、印刷用の原稿原本を午前中に作成して、11時に会長さんに届けた。午後は4時くらいから、二つ向こうの常会の高校の先輩が、畑から出た遺物を見てほしいというので見に行く。長さ1メートル近くある長い大石で、部分的に被熱した跡があるので、縄文中期の炉石の可能性もある、と話す。その後も、先輩は史談会員でもあるので、会報に載せる原稿のことで相談し、そのまま飲みに行こうと言われて、午前中に会ったばかりの会長さんにも声をかけて、ムラの店で飲む。有意義と言えば有意義な一日だったけど、仕事の方がちっとも進まなくてイライラしているのに、この年度末の時期に、ああ、なんてもったいない一日を送ってしまったと、さらにいじれる。
2019年3月9日(土) 早朝から休出。終日、土器を描く。なんか、描いても描いても、ちっとも終わらなくて、少しいじれっぽくなってしまう。我ながら、いい加減にしてくれ!と思う。午前中、母のところにも顔を出す。あれもこれも勝手に持って行ってしまう、嫌がると廊下で大声で私の悪口を言い合う、などとしきりに訴えるのだが、私が耳元で大声でしゃべってもよく聞こえない母に、なんで廊下で話す声が聞こえるのだろう?ホワイトボードに10センチくらいの大きな字で書かないと見えないのに、なんで持って行ってしまう行為が見えるのだろう?不思議、というより思い込みなんだろうけど、どう対応すればいいのか?無視やほっておくのか、せいぜい「それは困ったね」と同意をしておけばいいのか。私も老齢になると、こんな風になってしまうのか。
2019年3月6日(水) 月曜から3日連続でアイダさんが種子圧痕の調査に来ていて、連日、若い男子学生を連れてくる。考古学専攻の大学生で、春休み中だというが頼もしい。将来の考古学、ではなくて埋蔵文化財の保護保存を担う人材に育っていってほしいと願うことしきり。先に打ち合わせをした本の初校がもう届いた。デジタル入稿の時代は、ここらへんが早いね。
2019年3月4日(月) 早朝にトイレに入っていたら、動悸がする。以前、心身を病んだときは頻繁だったけど、最近はすっかり治まっていたので、ちょっと気になって、仕事を休んで終日おとなしくしていた。もう現役ではないので、極力、無理はしないつもり。
2019年3月3日(日) 終日休出、土器を描く。午前中には母のところに顔も出した。コーヒーとお茶菓子を買ってきてもらいたいと頼まれた。職場は報告書の追い込みで、10時ころから若い衆も一人出社してきてやっていた。お嬢さんのひな祭りは大丈夫かい?
2019年3月3日(日)その2 夜7時から常会があって出席。議題は役員の切り替えで、それほどもめずに8時半まえには終わった。5班の伍長が来ると思っていたけど、それは私の早とちりで、実際は次年度だった。秋から春の祭典委員は確実に来る番だったけど、とにかく自治会の役を減らさないと新しい住民がどんどん加入しなくなる、という危機感からか、祭典委員は秋だけにすることになるらしく、正式には3月17日の区の総会で決まるんだけど、そうなると去年の秋しかやってない前任のノボルさんがもう一期やるようになるらしい。確かに役が多すぎる。特に農協関係の「農家班長」「農家組合長」「生活信用専門委員」「水稲委員」その他、農家の役だか常会のかよくわからないのがいっぱいあって、まあ、これまでいかに農協が地域に根差す、というよりくい込んでいたかよく判る様な字句が連なっていたが、ここらへんから整理していかなくてはね。それから、ほかで小耳にはさんだ体育部と社会部の統合の話は、今回の常会では出なかった。だけど、これだって懸案だろうし、もうひと揉めするかもしれない。
3月の声を聴いたのに、庭のクロッカスが顔を出さない。毎年、早春の真っ先に、小さな花を咲かせていたのに。とぼっちゃったのかなあ?厳しい冬を乗り切った喜びを、ともに分かち合って10数年。大事な友達がいなくなってしまった。(2019.3/2記)
2019年3月2日(土) 休出して、それに母のところにも寄る予定だったんだけど、早朝から腹の調子がおかしい。腸が過剰に動いて、下痢というほどではないんだけど通じがつきすぎている。それに断続的にジクジクと腹痛がする。出勤も母のところもやめにして、終日、おとなしく寝ている。疲れがたまっていたためか?それとも、昨日の夕食でニンニクがよく効いた野菜肉炒めを、うまいうまいと食べ過ぎたせいだろうか?この忙しい時期におもしろくない。
2019年2月27日(水) 夕方5時15分から、ムラの公民館で小学校のボランティアの集いみたいな会があって、仕事を早引けして出席。私も昨年の10月に、山寺で社会見学の子供たちに歴史の話をしたので、その縁で声がかかった。読み聞かせとか、花壇作りとか、ビオトープとかのボランティアをやっている皆さんとグループになって、ボランティアをやった感想とか、子供たちへの思いとか、今後の在り方とかを雑談を主にして話し合った。ああ、いろんな皆さんが居るんだ、という感動を新たにするとともに、私が属する史談会も、ジジイばかりの集まりではなくて、何とか子供を巻き込めないか?なんて、普段、思いもよらなかった話も出て、まさに目からうろこ。有意義なひと時であった。
2019年2月26日(火) 数年前に、史談会の会報を復刻するにあたってお世話になった印刷屋さんの担当と、別件で打ち合わせをする。何とか、ここまで漕ぎ着けたので良い方向に行けば良いんだけどね。
2019年2月24日(日) 昨夜の飲み会はそこそこにしたので、今日も朝から休出して土器を描く。考古博の事務室で打ち合わせをしていたら、市内の各博物館が無料の日なので、どのくらい回れるか試してみる、と教育長先生がプライベートで寄られた。昨夜、あんなに飲んでいたのに、なんとお元気!私も、フウ疲れた、なんて言ってはいられない。
2019年2月23日(土) 街で講演会と発掘報告会があるので、島々線の駅まで太郎に送ってもらって、電車で出る。こうしないと、土日はバスの便が減るので朝9時のスタッフ集合に間に合わない。駅で課長と一緒になって、二人で会場まで行った。午前中の講演は私は受付の近くにいて、来場する先生方にご挨拶をして案内。午後は冒頭に縄文の遺跡を報告して、あとはホワイエ(っていったい何だよ?)で、会場モニターを見ながら休んでいた。午前中の講演は、地域で発掘をやって、やれ土器が出た、石器が出た、と言っている私などには思いもよらない、広い視野からのお話で、とても面白かった。特に「市」の指摘は秀逸で、最終的に、こういうことを目指していかなければいけないんだ、と痛感した。午後の報告会が終わって展示場に回りギャラリートークみたいな説明。その後の飲み会は講師からいろんな話を聞くことができてとても良かったけど、終バスが8時台なので、記念撮影が終わると、挨拶もそこそこに会場を出て帰った。
2019年2月22日(金) 明日の都合が悪いので、今日の午前中に母のところに顔を出した。頼まれていた粉末ミルクとパン、それにキュウリ2本を届けた。さっそく、今日漬ける、と言ったが、シルバーカーで歩いている母にそんなことができるのか?現状と元気な時を混同しているのではないか?まあ、それ以上、追及することはしなかった。今月の15日の日記でも触れた、昨年の暮れの現場で出土した石の重さを量った。白い丸石が21.5キロ。繭玉型の黒っぽい石は、なんと53キロもあった。縄文人はどうやって運んだんだろう?
2019年2月20日(水) 昨日と今日、なんか異常に暖かくて、今日なんか我が家のあたりは気温が14度まで昇った。職場でも、いつもはフルに焚いているストーブを2基止めて、平気で過ごせた。2月の下旬なんで、確かに少し暖かくなってもいいんだけど、ちょっと暖かすぎで、かえって体調が変。
2019年2月19日(火) 土器の実測が300軒近くある住居分がもうすぐ終わる、と喜んでいたら、500点以上ある墨書土器の多くが、墨書部分を図化しただけで器形を採ってなかったことを忘れていて、さあ大変!相変わらず間抜けな自分に、とにかく腹が立つ。怒ってばかりいられないので、図化個体を厳選して、必死で実測する。1分でも惜しい。
2019年2月17日(日) 午後3時から史談会の幹事会で、私は午前中から自宅で配布物の用意や会議資料作り。午後1時半には会場の公民館にいって全会員配布の総会開催のチラシ印刷。会合は予定通り始まって、議題も少なかったので4時半前には終わった。
2019年2月16日(土) 休出して土器を描く。早朝から午後4時までで12点を仕上げた。あともう少し。午前中に30分ばかり抜けて、母のところに顔を出して、前回頼まれた漢方薬を届ける。左足の親指の爪の両側が丸まって食い込んで痛かったが、お風呂に入って柔らかくなった時に切ってもらったら我慢できるようになった、と言うので、昨日、私がうっかりしている時に携帯にあった施設からの着信はこのことか、と思い至った。その爪を見たけど、つもい靴を履いている訳でもないのに、なんで両サイドが丸まるんだろう?老化のせいか。次はコーヒーに入れる粉末ミルクとキュウリを2本頼まれた。パンも2袋ではなくて3袋とのこと。やっぱ私より長生きするわ。
2019年2月15日(金) 明日から発掘速報展が始まるんだけど、12月に私が掘った縄文遺跡の遺物も展示される。その発掘で、とある1軒の縄文住居の土間に球体と繭玉型をした石が並んで置いてあるのが発見された。いずれも加工痕や使用痕がないので石器とは認定されず、県の基準では「記録をとって持ち帰らない」部類のものだったんだけど、球体の丸石もずっしりと重く、繭玉型の方はそれこそ大人一人では持ち上がらない重量。「これは何だ?」という疑問とともに、縄文人の石への熱意というか執着がひしひしと伝わってくるような「物」だといたく感動し、じつは個人的に持ち帰った。で、この感動を速報展を見に来てくれた皆さんとも分け合いたいと思い、なんとか展示できないか、担当者にいろいろと考えてもらったんだけど、なにしろ重い物で、運搬も飾り方も難しい。残念だけどあきらめた。
2月に入ったら、天気予報では雪、と言っていなかったのに、朝起きるとうっすらと雪が積もっている、というのが何日かあった。日中に陽光さえあれば全部融けちゃうんだけど、山国の春はまだもう少し先か。(2019.2/14記)
2019年2月13日(水) 毎月第2水曜日恒例の地元のラジオ局に出演。速報展と報告会・講演会の宣伝をさせてもらった。なんとパーソナリティーの男性はインフルエンザで急にダウン(インフルエンザってのはそういうもんだけど)。代役の女性と30分を過ごした。こういう業界の人は、みんな聞き上手で、感心。
2019年2月11日(月) 建国記念の日で休み。家で史談会の役員会の資料を作り、午後3時半から会長宅に行って打ち合わせ。自分の仕事が多忙であたふたしていたら、17日に開催する幹事会用の資料が、まだ2種類、作り足りないことが分かった。私が間抜けなのが原因であることは百も承知なんだけど、事務局を引き受けるってこういうことだ!と、わかってはいたけれど、やっぱ仕事の追い込みの時期に重なるのはかなわん!女房は祝日なのに午前中は出勤で、午後は街で有形登録の建物の公開があるというので、バスで出掛けてしまった。まあ、元気だわ。
2019年2月10日(日) 朝から休出。ひたすら土器を描く。チョウさんもハラダ君も出勤して仕事。追い込みのシーズンだなあ。
2019年2月9日(土) 今日から3連休であるが、さっそく休出。実測土器の区分けを行う。あともうちょっとで、住居からの出土品の実測が終わるんだけど、何かと用事が多くて専念できない。はがゆい。午前中、母のところにも回る。筋肉がつった時の漢方薬が切れたので買って来てほしいと頼まれ、帰宅してから通販で注文した。
2019年2月7日(木) 非常勤は2月の勤務日数が17日に限られていて、いっくら忙しくても、今年は土日祝日以外に2日間も休みを取らなくてはいけない。という訳で、今日は休みをもらって家居。午前11時半ころ掛かりつけのお医者さんに行って、いつもの診断と痛風の薬をもらう。残りの時間は家でひたすら報告書に掲載する表を作る。休んでいるのか、仕事に行っているのか、実質の違いはない。
2019年2月6日(水) 先日(1月25日)受けた取材が新聞に載って、顔写真入りで紹介されてしまった。恥ずかしいなあ。この道一筋30年、みたいな書かれ方をしてしまったが、そう言われればそうかもしれないけど、その場その場で必要なこと、自分がやらなければならないことを優先してやってきたら、なんかそうなちゃった、と言ったほうが実感。午前中、さっそく、新聞見たじ、と、古い知り合いが記事を大きく引き伸ばして届けてくれた。ありがたかったけど、やっぱ恥ずかしいなあ。
2019年2月5日(火) 職場で夕方4時から全体の会議があって、非常勤の私も出席。メインの議題は今月下旬の行事の説明と質疑だったけど、全員に諮らなくても、そんなことはあらかじめ担当レベルで詰めておけよ、って内容も全部やったので、終了は5時半を過ぎてしまい、今日は定時退社を予定していた日だったので私はあわてて帰宅する。
2019年2月4日(月) 今日は朝から暖かい日で、早朝の冷え込みも氷点下1度の温さ。昼は10度以上に気温が上がって、まるで春が来たよう。手がかじかまないので仕事もはかどった。
2019年2月3日(日) 昨日の飲み会はそれほど飲まず、午後10時には帰宅できたんだけど、それでもやっぱり調子が悪い。日常のペースを乱してはいけないということだ。午後3時から、史談会の四役会があって出席。3月17日に予定している総会の、講演会との時間配分の変更の件とか、来年度の総会の日程とか、観光協会の事業への協力とかについて話し合った。5時には終わり帰宅。節分なので、夜7時ころから豆まきをした。女房と三郎が戸の開け閉め役で、太郎がごもっとも、私が豆をまいた。近年話題の恵方巻には、今年の我が家は触れることもない。
2019年2月2日(土) 弥生研究の大先輩が県教委から表彰され、それを祝う会が午後4時半から長野であって出席。県内の関係者70名ほどが集まり、盛大な飲み会になった。大先輩は80才。まだまだお元気で、これからもご指導をいただけそう。ただ、集まったメンバーの中にはうんと老け込んじゃったり、あきらかに具合の悪そうな人もいて、とても心配になった。まあ、私も人の心配している場合じゃないんだろうけどね。久々に会えた人もいて、いろんな話ができて、とても良かった。電車で日帰りしたので、平田駅まで太郎に送迎してもらい助かった。
2019年2月2日(土)その2 午前中に母のところに顔を出した。厳冬期なのにブドウが食べたいけどまだ出回ってないか?と聞かれた。行く度に、あれがなくなった、これがなくなったと言い、すべて盗まれた、持っていかれた、と介護をしてくれる人のせいにする。今日は腕時計がいつも入れている所にないので盗られた、以前に買って来てもらった椿油は別の容器に移し替えられて持っていかれてしまった、と言う。以前にも、買ってもらったマスクがない、と訴えて、新しいのを買って行ったが、盗られたはずのマスクは冷蔵庫に入っていた。今回も椿油は瓶ごとテーブルの上にあったけど、これは香りのない安い油が詰め替えられていると言う。手鏡とか電池とかのときもそうだった。そんなことばかりで、本人はここの関係者は盗ったり持って行ってしまうのでいやだ。別の施設に移りたい、というが、自分が置き忘れ、無くしたものも、皆、盗まれたと思い込むので、別の施設に移ったところで、絶対に同じ状況になる。老人ってみんなこうなのかなあ?それとも母の特質なのかなあ?ホラ、ここにある、ってそのたびに指摘して、思い込みの間違いだと認めさせるほうがいいのかなあ?それとも、それは困ったね。と言うだけで、相手にしないほうがいいのかなあ?
2019年2月1日(金) 昨夜、降雪があって、我が家の周りでは5センチくらい積った。雪は夜中には止んでいたんだけど、早朝の冷え込みが氷点下11.4度と厳しくて、道路はすべて圧雪のアイスバーン。出勤は地獄で、朝6時に自宅を出て、職場についたのは7時。普段だったら20~30分なのに、倍以上かかった。大型トラックがとにかくのろのろとしか走れず、私の先行車は二世代前のピックアップジムニーだったんだけど、そのジムニーでさえ信号で停車する際に後輪が1メートル近く横滑りするのを間近で見て、こちらも肝を冷やした。こんな時は出歩かないのが一番なんだけど、仕事があればそうは言っていられないね。職場でも西山方面から通ってくる人は、凍結路の渋滞で2時間遅刻とか、途中であきらめて今日は休みます、とかで、まあ事故がなくて良かったというところか。
2019年1月30日(水) 職場で避難訓練があり、消防署の人も来て、職員、作業員も可能な限り参加。例年の大事な行事なんだけど、いつも1~2月の厳冬期でに行われて、そうでなくても風が強いところなので、みんな寒くて震え上がる。幸い、今年は風が弱く日差しがあって助かった。午後、職場に私を訪ねてお客さんがあり、1時間ほど二人で打ち合わせをする。主に私的な件だったが、とにかくなんとか取り組んでいきたいものだ。
2019年1月27日(日) 大相撲初場所の千秋楽。途中休場から復帰した御嶽海は、結局8勝4敗3休で、数字の上ではやっと勝ち越して三役を保ったような結果だったが、なんと殊勲賞を貰ってしまった。3横綱と1大関、それに優勝した玉鷲、先場所優勝の貴景勝を破ったという点が評価されたんだろう。来場所の三月はケガを治して臨んでもらいたい。私は終日、家居。報告書に掲載する表をひたすら作る。
2019年1月26日(土) 昨夜、少し雪が降って、日中も天気予報が良くなかったので、母の所に顔を出す予定だったけど、中止。施設に電話して、月曜日の9時に行く、と伝えてもらった。でも、目も耳も悪い母にうまく伝わるかなあ?まあいいか。あんまり心配ばかりしていると、こっちが具合悪くなって、母より先に逝ってしまう、なんてことになるといけないからね。で、終日、家で報告書の原稿打ち
2019年1月25日(金) お昼前に地元の新聞社の記者が私を訪ねて来て、私の出身とか発掘歴とかの来し方を聞かれた。なんか、紙面の空きスペースみたいな部分に紹介してくれるそうで、最後に、今描いている平安時代の土器を持ってニッコリしている私の姿を写真に撮って帰った。「ハイ、笑って。」と言われてもねえ。普段、微笑み慣れていないので、今日の一番難しい注文だった。
2019年1月25日(金)その2 夜、街の飲食店で、課の新年会があったのだけれど欠席してしまった。と言っても、ドタキャンした訳ではなく、以前に出欠確認があった時に「欠席」と届けていたので別に問題はなかった(と思う)。とにかく、職場がへき地で自家用車じゃないと通勤できないので、街で飲み会というと、いったん自宅に戻ってクルマを置いて出直さなければならない。自宅もへき地でバスの便が少なくて、街方向は夕方5時台のが1本、その前はなんと午後2時台で、しかも5時台のはターミナル着の予定時刻は6時18分となっているが、30分近く遅れることもザラで開宴には必ず遅刻してしまう。数年前から「コミュニティーバス」というのができて、これはなんと自宅から1分くらいのところに停留所があって、とても便利。210円払うと平田駅まで連れて行ってくれる。で、平田駅で電車に乗り換えて街へ出る、というパターンで現役のころはしのいでいたんだけど、そのコミュニティーバスだって近くの停留所は3時50分で、それに乗るには、やっぱ2時半くらいに職場を早引けしないといけない。もっと問題は、飲み会後の帰りの足で、バスは夜7時台が1本、次の8時40分は終バス。6時半から始まる飲み会がお開きになってすぐにターミナルに駆け付けないと乗れない。ちょっとぐずぐずしていたり二次会に出たりするとタクシーを拾うしかなくて、そうすると自宅までほぼ5000円。これはかなわんね。さらに飲み会では、若い衆をつかまえてくどくどと説教をして、セクハラをして、オヤジギャグをとばして、思い出すだけでも醜くて情けない。どれをとってもプラスになることはひとつもない。現役の時は、組織の催しではあるし、役職で挨拶とか乾杯とかしめとかの役を受け持たざるを得なかったのでしかたなかったけど、今のような気楽な立場になったらお互いに無理することないじゃん。よっぽどの義理がある以外は、街での飲み会は出ないことにしている。…という訳で欠席しました。
2019年1月23日(水) 大相撲の初場所、ケガで休場していた御嶽海が今日から復帰。でも、横綱の白鵬に当てられていたので、ケガが悪化しないように負けられれば、まあいいか、と思っていたら、なんと、一気の出足で勝ってしまった。全勝で優勝街道を独走していた横綱に土を付けたんだから、すごい!
2019年1月21日(月) 早朝に出勤して職場についた時には、雪なんてこれっぽっちもなかったのに、7時20分頃、土器を描いていて、ふと目を窓に向けると、なんと外は一面雪景色。あっという間に降り出して、積もったんだ。それも8時半くらいまでには止んだんだけど、ちょっとびっくり。
2019年1月20日(日) 休出はせずに、家でPCに向かってひたすら報告書の原稿を打つ。実質、休出に等しい一日を送った。昼に年賀状のお年玉の当選番号の発表があって、息抜きの時間に照合。今年から一等賞は現金30万円と聞いて、ええっ!ワクワクしながら見たんだけど、末等が5本当たっただけだった。末等は100枚で3本だから、200枚は来ている私は、確率でいけば6枚は当たるはずなんだけどなあ。
2019年1月19日(土) 休出して終日土器を描く。午前中、母のところにも顔を出す。我が家や職場では、今んところ、そんな気配は全くないんだけど、世間ではインフルエンザが流行っているということで、母の居る施設でも、入り口に部外者に向けては入館の際のうがいと手洗いのお願い、入所者には不要不急の外出を避ける、という大きな張り紙があった。
2019年1月19日(土)その2 昨日の相撲で変な負け方をして足を痛めた御嶽海。今日から休場となってしまった。横綱、大関を連破して5連勝で絶好調だったのにもったいない。でもケガの後養生をしくじって先日引退した稀勢の里の姿が脳裏をよぎる。無理せずにしっかり治してほしい。その一方で、御嶽海と稀勢の里が居ない本場所、何が面白いんだ、って感じに私の中ではなってしまった。残念。
2019年1月18日(金) 大相撲の初場所、御嶽海が調子よくて、昨日まで5連勝。しかも、その内訳が初日の稀勢の里、二日目の横綱鶴竜、三日目の大関豪栄道、四日目は先場所優勝の関脇貴景勝というんだから、素晴らしいの一言に尽きる。今日は妙義龍だったので、これもいただき。今場所はいけるぞ!、と思っていたら、なんか、変な引き方をして、そのまま負けてしまい、しかも足を痛めて車イスで運ばれるという事態になってしまった。ありゃりゃ!
2019年1月16日(水) 大相撲の初場所四日目の今日、横綱の稀勢の里が引退した。初日に御嶽海に敗れ、二日目に逸ノ城、三日目には栃煌山に連敗して、さてどうなるかと思っていたが、昼間のニュースで引退を知った。まだ32歳。惜しいと言えば惜しい。やっぱ、ケガの後、出ては負けての休場をずるずると繰り返し、心身ともに追い込んでしまった。最初からしっかり休んで万全を期せば、まだまだ活躍できる横綱だったと思う。まあ、これまでケガをしない強健な人だったんで、ケガとの上手な付き合い方を知らなかったんだね。いかにも稀勢の里らしい不器用さ、と言えばそうなんだけど。そういうところが好きだった、という人も多いだろうしね。とにかく、お疲れ様。そして、今後の角界の発展に、また寄与していく姿を期待してます。
2019年1月13日(日) 三連休の中日で、夕方は常会の子供たちが三九郎をやる。毎年、女房に繭玉を作ってもらい、家族で参加していたんだけど、何と、今日は大相撲の初場所初日で、しかも郷土力士の御嶽海が、進退のかかった横綱稀勢の里との取り組みとあって、こりゃあ見逃せない、とテレビの実況に釘付けになっていて、終了後に慌てて駆け付けたんだけど、やっぱ、やぐらは燃え落ちていて、主催の子供たちとその父母しかいなかった。オキに持参した繭玉を突っ込んで、ちょっと焙って引き上げた。まあ、少しぐらいはご利益はあるかな。で、御嶽海VS稀勢の里は、御嶽海の一気に前に出る相撲が横綱を撃破した。やった!でも、稀勢の里、進退がかかる今場所の初日黒星というのも、ハア~…という感じで、正直言って複雑な気持ち。
2019年1月12日(土) 休出して、2月中旬から開催される発掘速報展の準備。現役の時は、若い衆に指示だけしていればよかったんだけど、今度は自分が現場を担当したもんだから、展示品の選び出しやリストも自分で作らなければいけなくなった。現場は12月の下旬に終わったばかりで、まだ遺物洗いの最中。良さそうな土器から洗ってもらったんで、その中から選抜した。まだ石器は洗っていないので、さらに追加で出す必要もある。最大の課題は、今後の整理作業と報告書作成に悪影響が出ないようにすることで、以前も整理が始まる前に展示などして、そのままうっちゃっておいたもんで、いざ整理を始めたら混乱が生じてしまった、なんてことがままあった。気を付けねば。
2019年1月12日(土)その2 午前中に母のところに顔を出す。耳が遠くて、紙の裏にマジックで文字を書いてはやり取りをしていて不便だったので、小ぶりなホワイトボードを買っていったら、これが調子が良い。で、グループホームに移りたいと言っていたが、それで増える経費の話を、ボードに具体的な数字を示しながらかなり詳しくすることができた。安いところがあれば移れるが、今のままでは無理、とも話して、なんとか納得?させた。目と耳は悪いが内臓に悪いところがないので、この先の長さが読めない、というのが本当に悲しいけれど、経費の上では深刻な問題だ。
2019年1月10日(木) 職場の内勤作業員さん対象に、一昨年に発掘して整理してたらどうやらすごい発見!という遺物群について、その時期の担当の課長補佐が、午前中に整理作業棟で説明会を開いた。私も自分の仕事をしながら盗み聞き?していたけど、とても面白くて役に立った。担当の補佐は話も上手い。作業員さんのほぼ全員が整理作業棟に集まって、なかなか壮観だった。終了後、流れで私が担当している緑釉陶器の広げてあるのにも注目が集まって、説明に引っ張り出されてしまったが、自分たちがやっている仕事の意義や価値を共有することはとても大事で、今後もこんな機会ができれば良いとつくづく思った。
2019年1月9日(水) 午前中、休みをとって掛かりつけのお医者に行く。毎月、痛風で通院しているんだけど、今回は、昨年の12月中旬から右手の人差し指、中指、姉指の第2関節(正確には近位指節間関節というそうだが)のすぐ下の同じような位置に、大きな発疹のような赤い腫れができて、ちっとも治らないので、併せて診てもらった。最初は虫刺されかとも思ったが、虫もいない12月だったし、3本の指の、それも同じようなところだったので、おそらく現場の霜焼けだろうけど、万一、リューマチとか痛風の変異とか内臓などから来ていれば困るので診てもらったら、塗り薬が出て、改善しないようなら皮膚科へ、ということになった。早く終わったので、その足で床屋にいって、9月以降、伸び放題でオールバックになでつけてしのいでいたのを、短めの七三にしてもらいすっきり。
2019年1月8日(火) 午前中に協会けんぽの保険指導員が職場に来て、個人的に健康指導を受ける。夏に受けた人間ドックの結果で引っ掛かるところがあったらしい。チェックシートに基づいて私の生活習慣を確認、ご指導をいただいたが、とりわけ悪いことはなくて、この調子で体を動かし、体重を落とす、まあ、これまでと変わらない。午後は考古館長と西部地区の公民館に行って、発掘既出品の確認を行う。私が昨年の11・12月に担当した遺跡、まだ洗っている最中で、2月の速報展の展示品が足りなくなりそうなためだったが、昭和40年代の報告書に掲載されている土器をいくつか確認できた。結構なボリュームがあって、遺跡の再評価にもつながるということで、その場で借用するお願いをしてきた。
2019年1月7日(月) 職場は今日から作業員さんも出勤して、本格的な仕事始め。私は11時から1時間、母がお世話になっている施設長さんと、母の施設替りについて相談。やはり一番の課題は経費だ。今、居るところが年間120万弱、それが、グループホームに移ると200万弱だそうだ。母の年金は年間で80数万なので、今でも不足分は私が穴埋めしているんだけど、その額が3倍に跳ね上がる。2月で95歳になる母は、目も耳も悪いが、内臓などの不調はないので、あと10年を元気で過ごすと、私の方が破産する。それ以外の選択肢もあるけど、今の母の願いはグループホームへ移ること。私としては、もうしばらくは現在のところに居てもらうしかないか。ああ、なんてことだ!まるで悪魔か死神のように親に余命を数えるなんて。
2019年1月6日(日) 終日、家居。太郎は消防団の出初式で、昼から出かけて帰宅は深夜。次郎が午後2時のバス、特急と乗り継いで東京に帰った。私は、必死で土器の実測をやっている遺跡の報告書原稿をひたすら打つ。
2019年1月5日(土) さっそく休出して、実測や昨年末までの現場の日誌の整理。母のところにも寄る。母はかなり目や耳が悪くなって、そろそろ隣のグループホームに移りたいと言い出しており、その打ち合わせを施設長さんとしようと思っていたが、餅つき大会をやっていて忙しそうなので、そのまま帰る。後で電話して、7日の月曜日の11時にアポを取った。
2019年1月4日(金) 仕事始めの日で、出勤。金曜日なので、娑婆はまだ休みで連休としているところもあるんだろうなあ、と思うような道路の混み方だった。職場も、遠方出身のメンバーの何人かは休みをとっていた。私は実測始め。終日、土器をにらんでいた。
2019年1月3日(木) 昨日は新聞と年賀状の配達がお休みで、今日は昼過ぎに年賀状の第2便が届いた。「年賀状じまい」を告げるものが2枚あり、「ああ、あの人も、この人も、もうそんな歳か…」と、しばし呆然とする。お二人とも、私が若造だったころから、公私にわたり人生を教え諭してくれた人達で、自分も行く末とか、身の引き方とかを、そろそろ真剣に考えておかなければ、とぼんやり思った。
2019年1月2日(水) 朝起きて戸外を見ると真っ白。えっ、雪が降るなんて聞いてないよ!雪は午前中でやんだが、我が家の周りは5センチの積雪。まあ、正月で私は出かける用もないので家に籠っていて問題はないけどね。
2019年1月1日(火) 除夜の鐘が鳴り始めて、一家で産土社へ二年参り。帰っていったん寝たが、早朝に起きだして日課のウォーキング。まだ暗い四方の山際がくっきりと見えて、空には三日月と星が輝き、良い天気の予感。7時過ぎに女房といつもの初日の出を見るスポットに向かう。子供たちは全員起きてこなかったが、夫婦二人がこれからの生活のデフォルトになると思えばいいか。360度すべて雲一つなく、こんな天気の良い元旦は久しぶりだ。7時15分に東山の際から太陽が昇った。近年、体力が落ちてきたら、この陽光がとてもうれしくなっている。今年も息災でいられますように。
2019年1月1日(火)その2 午前10時から常会の新年会が集会所であって出席。隣に常会長の茂義さんが座ったので、熱燗をどんどん注がれて、しっかり飲んでしまった。昼酒は効く。珍しくみんな盛り上がっていたが、早々にお暇して11時には帰宅。ほどなく年賀状が届いて、出し漏らしを点検する。「年賀状じまい」なんて言葉も新聞の投書欄などでチラホラ目にするようになって、今回は、昨年、喪中はがきが来ていないので私は出したけど向こうからは来なかった宛先をチェックして外してみた。私が勝手に一方的に送り付けている恐れは多分にあると思ったからだ。それに30年以上前にご一緒したきりの方々も控えてみた。で結果は、外したうち5名の皆さんからの賀状があったので、昼までに書いて、ついでがあった太郎に投函してもらった。明日以降も同様な運びがあるかもしれない。宛先のリセットなんて軽々しく考えるのは、しょせん無駄か。などとも、年頭から思い迷う。
初日の出、近年稀にみる好天で、我が家から見える範囲は雲一つなかった。氷点下11度。7時15分、東山の鞍部付近から昇る見事な日輪を拝した。今年も平穏無事に過ごせますように。(2019.1/1記)
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