2018年(下半期)の3行日誌

2018年12月31日(月) やっと年賀状を書き上げて、未明にムラの本局のポストに投函してきた。こんなに遅くなったのは珍しい。午前中に、女房とお年越しの食材の買い出し。ウチでも年越し魚はずっとブリだったんだけど、去年の年末、スーパー各店の普段とはあまりに違う価格設定にびっくり、今年はもっと早い時期に購入し、冷凍にしておこうと思っていたら、敵もさるもの、すでに12月中旬から価格が高騰していて、今年はあきらめて鮭にしてしまった。やっぱ、ブリじゃなきゃ、とは思うんだけど、なんか足元を見ているような商売に付き合うのは、輪をかけて面白くない。夜は神棚に灯りを燈して、一家で一年の息災を感謝。

2018年12月30日(日)
午前中、玄関の外にしめ縄を張って松飾をする。我が家の玄関先は少し広いので、縄は売っている規格ではかなり足りない。以前から購入してある縄を使う。松も山から採ってくるズクがなくて、市販のものを使った。でも、年々値段が上がって、しかも、なんか勢いのないような貧弱な枝ばかりが出回るような感じ。やっぱ、来年からは山に採りに行こう。(オニが笑っているね。)

2018年12月29日(土)
冷え込みが厳しい。いとこの里枝さんを母のところに連れていくので、朝8時に岡谷まで迎えに行く。道はまだ混んでいなかった。大きな家に一人住まいの里枝さんは、最近、心臓の調子が良くないとのことで、だいぶ心配。岡谷まで送って帰宅したら11時30分。年賀状を必死で書く。

2018年12月28日(金)
24日の休日に出勤した振替休みを取ったので、私は職場の皆より一日早い年末年始休業に入った。午前中に女房と太郎の3人で買い物に行って帰宅したら、ちょうど次郎が帰省してきたところだった。4か月ぶりに家族が全員揃った夕食。

2018年12月27日(木)
職場は、内勤の作業員さんが今日までの勤務なので、我が社の仕事納めは明日なんだけど、課長が年末の挨拶に来た。その後、しばらく話をする時間があったが、業務が多岐にわたり組織が大きくなると、それだけでも大変だ。まあ、そういう管理的なことも誰かがやらなければならない仕事、と言ってしまえばそれまでなんだけど、そこにかかるエネルギーをもっと創造的な分野に使えれば、もっといいなあといつも思う。

2018年12月26日(水)
午前中、重機とトイレの撤収に立ち会ってから、職場に出勤。久々に平日にゆっくりと内勤した。気が付いたら、右手の指の甲の側と、両足の指先にしもやけができていた。若いころのつもりで冬の現場をやってはいけないということだ。傷の治りも比較にならないほど遅い。

2018年12月25日(火)
現場は撤収作業と重機による埋め戻しで、作業はすべて終了した。事故もなく、無事に、最短の期間で終えられたと思う。唯一、最大で致命的なミス、というより後悔は、炉址の石材を置いてきたこと。みんな10キロ以上ある重たい石で、県教委の取り扱いの基準でも記録をとって「原則として保存しない」とされる種類の範囲にあり、調査前の部内の打ち合わせでも持ち帰らない、と申し合わせをしていた。中に直径40センチ、厚さ10センチくらいの花崗岩系の見事な円形の平石が3点もあって、現代だったらちょっと重すぎるかもしれないけど、漬物石に最適。これで漬物を作って「縄文漬け」とか「古代漬け」とかいう名称で売り出せるね、なんて冗談が本気で飛び出すくらい見事だった。こんな石材を炉石として探し出し、持ち運んできた縄文人の苦労、異常な熱意が、私にはひしひしと伝わって、これはこれで土器や石器など及びもつかない、彼らの精神生活を理解する最重要な遺物ではないのか。埋める寸前まで迷いに迷った。いまだに後悔し続けている。

2018年12月24日(月)
休出して、終日、実測。久々に平安時代の土器に浸った。夕方、帰宅するとクリスマスのケーキが完成していた。毎年、子供たちの手作りのケーキ。今年の制作は大室の将軍塚古墳に似て頭がとんがった「宇宙生物」のようなシロモノ。私は、晩酌の時にひとかけら食べてギブアップ。

2018年12月23日(日)
天皇誕生日で祝日。「平成最後」の語が新聞やテレビで頻出する。たしかに明治から昭和までの120年余は、新元号の始まりはご崩御が前提だったので、手続き的にも心情的にも「最後」などと言える訳がなかった。その点で、今回は退位(陛下は「譲位」という語も使われているような気がしたが…)が、あらかじめ決まっているので問題はないのだろう。しかし、「最後」と言い切って誰にも問題が生じない、こういう現象(あるいは事態)って、元号の使用が始まった古代以降、あったのかなあ?しかも今後は、先々の天皇に事故でもない限り、この形が続く可能性の方が大きい。後世、元号観(あるいは元号史)のターニングポイントとして捉えられるかもしれない。

2018年12月22日(土)
午前中、休出して速報展示用の現場写真の整理。母のところにも寄る。

2018年12月21日(金)
11月8日から入った現場だが、今日で何とか作業を終えることができた。あとは撤収と基準点の測量だけ。実質6週間で、成果は縄文の住居址12軒とコンテナー10数箱の遺物。まずまず、と言っていいか。

2018年12月19日(水)
師走も中旬が終わるというのに、まだ年賀状を全然やっていない。私は現場に出ていてへとへとだし、女房もデジタル作図の仕事に没頭せざるを得ない状況で、手が回らない。昨年の年末は、人生後半で初めて余裕のある精神状態で迎えられたが、今年はそうはいかなかった。こんなことじゃあ、何のために早期リタイアしたんだかわからんね。現場は、午前中は風が刺すように冷たいものの陽光があった。午後になると西山沿いに雪雲が回り込んで来て、島々谷だけではなく金松寺山も麓まで見えなくなり、西から雪が吹き付けた。その後、南風に変わったら雪は霙になって、みなすっかり濡れてしまった。

2018年12月18日(火)
いつも作業所に来て種子圧痕の採取をしている先輩に現場を見ていただいた。とにかく場所がわかりずらいので、いったんは近くの道を通ったそうだが、結局、電話で目印などのやり取りをすることとなった。ちょうど、埋甕が半割で露出しており、大形の石囲い路炉も見ていただくことができた。炉内の埋め土、埋甕内の充満土について観ていただけることになった。あとてもありがたい。
2018年12月18日(火)その2 現場から遠望すると、松本の街には陽光が降り注いでいる。しかし、西を見ると島々の谷は雪雲で真っ白に煙っていて、そこから横殴りの雪がわずかではあるが吹き付ける。寒い。そう遠からず根雪になる。急がねば!

2018年12月16日(日)
村内のATMに出かけた以外は終日家居。現場の作業日誌の作成と写真の整理を行う。陽光がそこそこあって天気は良いのだが、寒い。12月も中旬なので寒いのは当たり前なんだけど、なんか、とても寒い。ずっと現場に出ていて、少しずつだが確実に体調が下降線をたどっているような気がする。そろそろ限界か?

2018年12月15日(土)
休出して現場写真の整理と、デスク上に溜まった回覧書類を処理する。母のところにも寄る。昔、母と私が住んでいた団地のご近所さん2軒にお礼をしなければいけないと言い出し、私が母の手帳からそのうちの1軒の電話番号を探し出して、母の前で電話をかけてみたら通じた。向かいの棟のちょっと東側に住んでいた奥さんで、たしか私より少し若いお嬢さんとご子息がおられたと記憶している。母ほどではないがそこそこご高齢になっているはず。久々にお話ができた。心臓が悪いので、暖かくなったら母のところを訪ねたいと言っていた。
2018年12月15日(土)その2
午後、埋文パトロールの成果データを先輩のご自宅に届ける。女房と一緒に出掛けたら、寄ってきましょ、と言われ、二人で上がり込んでお茶をいただき、小一時間ほど最近の職場の状況などを話してきた。

2018年12月14日(金)
朝、明るくなると我が家の周りにはうっすらと雪が積もっていた。クルマで3分の現場も同様。ところが街から上ってくる作業員さんのクルマに雪はない。どうやら西山沿いだけに雪が降ったようだ。今日は現場の担当者、作業員さんが全員揃い、午後には担当の課長補佐も来訪したので、午後3時の休憩の時に全員で記念撮影をする。天気は良いんだけど気温が上がらず、雲があって陽がかげると寒い。来週には最後の地区を開けなければいけないんだけど、とにかく雪が積もらないことを祈る。

2018年12月12日(水)
天気予報は早朝まで雨、だったが、7時過ぎまでは降った。現場は午前中は水汲みと、一昨日、油断して凍らせてしまった地区の検出をすることにして、なんとか抜けることができた。で、職場に上って、内勤の皆さんからの仕事の質問や指示を出し、お昼に現場に戻った。午後は天気が良くなる予報だったがとんでもない!3時半頃からザンザン降り出して、あわててシート掛けをしたので全員びしょぬれの泥まみれ。こんなに降るなんて聞いてないよ!
2018年12月12日(水)その2
現場に塩尻の博物館の一行が見学に来て、差し入れをいただいてしまった。多謝。ちょうど検出中の住居らしき遺構から前期末の土器片が出ていたので、縄文が専門の館長さんに見ていただき、お墨付きをもらうことができた。
2018年12月12日(水)その3
毎月第2水曜日恒例のラジオ出演なんだけど、今日は午後の驟雨でびしょぬれになってしまい、夕方、職場に上って、いったん着替えてラジオ局へ行った。このところ縄文時代が話題で、縄文時代に猫は居たか、タヌキやキツネはどうか、鶏は居たか、次々と聞かれ、ウン、なるほど、専門に全然足を突っ込んでいない、新鮮な感覚の質問だと思った。私ももっといろいろなことに疑問を感じなければいけない。良い刺激となった。帰宅したら7時半を回っていて、今日はいろいろあった一日で疲れた。

2018年12月9日(日)
午前中、休出をして、現場に出てしまって溜まっていた仕事を片付ける。母のところにも寄ったが、今日は特に耳の聞こえが悪いようだった。でも、そんなことってあるのかなあ?頼まれていた梅干しとパンを持って行った。次はマスクや綿棒、お茶とお茶菓子を買ってきてくれとのこと。お茶はどこそこのものと、けっこう細かい。
2018年12月9日(日)その2
昨日の朝から、そんなにひどくはないんだけど腹が下って、今朝も同様だった。このところ、現場や講演などでちょっと飛ばし過ぎていたせいか、それとも急に冷え込んだので腹を冷やしたか、などと思いを巡らせたが、金曜日の晩酌で銀杏の炒ったのを、うまい、うまいと言って酒のつまみで20粒近く食べてしまって、それに中った可能性もある。もし、そうだとしたら、銀杏は食べ過ぎるといけないといわれていたのに、バッカでい!てなとこか。量は食べられなくなったけど、やっぱり食い意地が汚い。

2018年12月8日(土)
午後1時30分から安曇野の公民館で松本平の弥生から古墳時代の始まりについての話をする。館長をやっている先輩から頼まれていたもので、対象はとても興味がある時期だったが、それでも資料作りやスライド編集には手間がかかって、今日の午前10時ころまではパソコンに向かってあたふたしていた。予想よりもお客さんは多く集まって、主催者が用意した資料はだいぶ不足したようだ。肝心の話は、相変わらずの早口でまくし立てて、それでも終了時刻の10分前くらいには終わって質問を受けることもできた。女房が聞きに来ていて、ちょっと内容が盛りだくさん過ぎ、という指摘を受けた。

2018年12月6日(木)
今日も雨になる予報で、はたしてお昼のちょっと前から降り出してしまい、現場は午後はお休み。11月が調子よすぎたんだけど、12月になったら遅々として進まない。

2018年12月5日(水)
今週末に頼まれている講演の配布資料。深夜から起きだしてやっと仕上げ、早朝に添付ファイルで送った。あとは上映するスライドデータを作らないといけない。やっぱ、現場やりながらってのはキツイわ!
2018年12月5日(水)その2
今日は朝から曇りで、なんかぬるっとした気温だったが、昼近くから急に冷え込んできて、寒くてドカジャンを着込んだ。やっぱ12月だ。

2018年12月3日(月)
12月に入って最初の出勤日。現場で作業員さんたちに始業の挨拶をして、各持ち場に散ったとたんに雨が降り出した。コンテナにいったん避難して止むのを待ったがその気配はなく、あきらめて本日は作業中止とした。11月のうちは好天が続いて作業がはかどったんだけど、12月に入った途端にこれだ。年内に終えることができるんだろうか。

2018年12月2日(日)
午前中に自家用車のタイヤを履き替える。太郎と三郎に手伝ってもらい、2台とも済ませた。午前10時20分頃から始めて11時30分前にはすべて終わった。時給1000円として、3人×1000円×2時間=6000円というところ。ガソリンスタンドなどでやってもらうのと比べてどっちが安かったのかな?タイヤを積んで出掛けるとかいう手間もなく、家の前でできたんだから、まあ、良いってもんだろう。

2018年12月1日(土)
今年も師走を迎えてしまった。午前中、休出して館長と打ち合わせや炉址から採取した埋め土の搬入などを行う。母のところにも顔を出して、頼まれていたカキやゼリーを届ける。今度は梅干を買ってきてほしいと頼まれる。いつも、帰りがけにしばらく手を握ってくるんだけど、母は身長は元気な頃も150センチそこそこだったが、指が長く掌も身長の割にかなり大きかったことに気付いた。父系の指という小説を読んで自分の指を見、呆然としたことがあったが、母系の掌か、と漠然と思った。

2018年11月30日(金)
現場の重機で開けたばかりの地区、まだ残土除去もしていないので、油断した訳ではないがシート掛けも養生もしないで昨日は帰った。そしたら、今朝は冷え込んで全面的に霜が降りて、細かい霜柱がびっしり立っていた。まあ、このくらいは問題はないけど、いよいよ冬が来た!
2018年11月30日(金)その2
夜7時から史談会の4役と地区幹事が集まって、会報の製本。今回は150号記念号でカラーにしたので我が家のプリンターで印刷した。一冊ごとの出力だったので、いつもやっている頁ごとの紙採り作業は無くて、ホッチキスで止めるのみ。私が少し早めに行って先行着手していたこともあり、あっという間に終わって、その後、若干の連絡もあったが7時30分には終わった。いついもこのくらいなら助かるんだけどなあ。なにしろ現場の後の夜の会議は、もう身体がもたない。

2018年11月29日(木)
晩酌の日本酒は、これまで安い純米酒を買って300mlのビンに小分けにして冷やして飲んでいた。しかし、近ごろすっかり酒が弱くなって飲みきれないことが多く、飲んだとしても飲みすぎで、翌朝に若干の不快感があった。で、今月からは180mlのビンに替えてみたけど、不足感はほとんどなくて、逆にそれでも飲みきれない晩もある。本当に弱くなった。

2018年11月28日(水)
時事ネタで申し訳ないんだけど、国内の大手自動車メーカーの外国人社長(会長?)を日本の当局が逮捕して、連日、マスコミはその話題で持ち切り。容疑は所得をきちんと報告書に記載していなかった、というもので、かつてホリ○○ンが実刑を受けたのと同じだそうだ。他にも、私的流用もあるとか言われているのは別として、とにかく貰っていた報酬額ってのがすごいね。まあ、無能な経営陣のせいでダメ会社になり下がっていた○○自動車の業績をV字回復させた手腕は凄かったんだから、そのくらいの報酬を貰ったって誰も文句は言わないだろうし、正当なものだったのかもしれない。それならそれで、私はこんだけ貰いましたって正々堂々と言って、報告書にも記載して、きちんと所得税なりを払えばよかったと思うんだけど、そうしなかったところを見ると、やっぱどこかに、なんかやましさや後ろめたさがあったのか、それとも他にマズいことでもあったのかなあ?

2018年11月27日(火)
夏の人間ドックの結果で、女房が内視鏡検査を受ける。2日ほど前から摂取を避けるように指示されている食材がいくつかあって、少し不便をしていたが、やっと今日から食べられるようになった。で、検査の結果は、どうやら無事のようだ。

2018年11月25日(日)
12月に頼まれている講演の資料を作る。弥生の終わりから古墳初期にかけてが対象の時代なので、これまでに作ったものを一部、改変して使い回せるところもあるが、地域としては私は初めてなので、基本地図などの作成で終日、パソコンとにらめっこ。

2018年11月24日(土)
休出して実測に精を出す。夕方までやって、10点仕上げた。母のところにも寄って、頼まれていた熱さまし、歯ブラシ、コーヒー用のミルクとパン、ミカンを届ける。このところ頻繁に脚が吊って痛いので、その漢方薬を頼まれた。施設長に会ったので母の部屋にある固定電話の撤去について相談。私のほうで進めて良いとのご返事だった。

2018年11月23日(金)
勤労感謝の日で仕事は休み。朝のうちに史談会の会報の編集後記を仕上げて、10時半からは埋文パトロールで主に朝日を回る。西洗馬まで行くと、いつも県宝の薬師堂に寄ることにしている。なんか年々、傷みがひどくなっているような気がするんだけど、古い建物なのでしょうがないのかなあ。午後は会報の校正をして、現場の状況確認に出たら、もう夕方になってしまった。
2018年11月23日(金)その2
大相撲の九州場所は終盤を迎えているが、郷土力士の御嶽海は調子が悪くて、昨日まででもう6敗。今日も千代大龍にあっけなく負けて7敗。明日と明後日は大関戦なので、今場所は久しぶりに負け越しだろう。どこがいけないのか、専門家ではない私にはよくわからないけど、突き押しではなくて組もうとして、巻き替えにいってそのまま出られたり、はたかれたり、いなされたりで、なんか四つ相撲にこだわってバランスを崩しているように見える。たしかに、突き押しだけでは、いいとこいって関脇どまりだろうから、さらに上を狙うという、脱皮を模索しているゆえの不調、ならいいんだけどね。

連日、霜が降りる季節となった。27年前の今日、今の家に転入したんだけど、その日は小雪が舞っていて、えらいところに来ちまった!とびっくりしたことを思い出す。(2018.11/23記)

2018年11月22日(木)
天気予報が雨っぽくて、それに作業員さんたちの出勤の関係で、今日は現場は休み。朝から整理作業所に出勤し、現場写真や業務日誌の整理、続きの実測などをやる。帰宅したら、我が家のお隣さんの前の道路で軽自動車が用水路に前輪がしっかり落ちていて、すれ違いもできない幅員の狭い道路なので、クルマで進入してしまうとバックで戻らなくてはいけなくなるのを避けるために、女房と太郎が通りのそれぞれ西と東側の入り口に出て交通整理をしていた。20分くらいしてJAFが来て、落ちた軽自動車を上手に上げて、積んで行った。あたりはすっかり暗くなって冷え込んでおり、女房と太郎は寒い中、人助けでお疲れ様。運転者と同乗者にケガはなくてなにより。上の方の常会の人の中には我が家の前の村道が近道になるのでよく通る人もいるが、車のすれ違いもできないし、道端には黒川用水のU字溝がずっと続いていて落としたら大変だし、そんなリスクを考慮して、できるだけ通らないのが賢い選択だと思うんだけどね。まあ、余計なお世話か。

2018年11月21日(水)
現場は順調に進んで、今、開けているトレンチでは縄文中期の住居が4軒。来週中には仕上がりそうなので、次の調査地や重機の手配をしなくてはならない。まあ、順調ってとこか。

2018年11月20日(火)
終日、現場に出て、重たい長靴を履いて、トレンチに降りたり上ったり、東西に走り回ったりしていると、夕方、帰宅してからどっと疲れが出て、すこぶる脚がだるい。食事と睡眠を規則正しくしているので、今のところ疲れを翌日に引きずることはないが、何か行事でもあってバランスが崩れると覿面だろうなあ。

2018年11月18日(日)
やっとまとまった時間が取れて、史談会の会報の原稿を進めることができた。編集後記はまだ全然できていない。決してさぼっている訳ではなくて、最近の私の一日24時間は、寝てるか、飯を食っているか、仕事しているかどれかなんだけど、やっぱいろいろと引き受け過ぎているのかなあ。女房は洗馬で菅江真澄の講演会があって昼前から自転車ででかけてしまった。

2018年11月17日(土)
午前中、休出して母のところにも寄る。今月の上旬から現場に出てしまったので、内勤作業の実測とかが滞ってしまい、予定していたよりも刊行は確実に遅れる。だけど、それはしょうがないね。仕事が増えるのに、人員は増えなくて、ペースも変わらない、なんて、どこかのお役所じゃあないけど、子供の算数で考えても無理。母には先週、欲しいといわれたキュウリを届ける。なんで今頃キュウリなんだろうって思うけど、食べたいって言うから2本持って行った。
2018年11月17日(土)その2
J2に属している地元のサッカーチームの最終戦があって、優勝とJ1昇格かかかっているそうで、マスコミや身近なファンはその話題で大盛り上がり。私は今日の出退勤で会場の隣を通るので、込みそうな時間帯は避けた。で、優勝と昇格が同時に決まり、まあ、皆さんおめでとう、というところ。来期はJ1チームのサポーターが大挙して押し寄せるだろうから、経済効果もすごいだろうし、思わぬところで良くも悪くもいろいろな影響が出そう。楽しみと不安。

2018年11月16日(金)
今月8日から始まった現場。規模が小さいので、そこそこ順調に進捗していて、今のところ縄文中期の竪穴住居が3棟で、まだ増えそう。しかも住居の上の厚い包含層からは弥生中期の古いところがまとまって出る個所もある。遺物は1日に1箱ずつ増えていく。整理はちょっと気合を入れないといけないね。

2018年11月14日(水)
河西部の地区の公民館で、午前10時から12時まで地区内の遺跡と発掘についてスライドを上映しながら話をする。大きな調査がいくつかあった地区だが、こういう企画がこれまであまりなかったので、既存の資料やパワーポイントデータの使い回しができず、資料やデータの作成にかなり時間や労力がかかってしまった。講演は、20人近い地域の皆さんが集まって、無事に終わった。安曇郡との境界にあり、今後、もっと研究を進めなければならない地区であり、筑摩郡ばかりではなく安曇郡についても、もっと知らなければならないと痛切に思った。
2018年11月14日(水)その2
夕方6時30分からは毎月恒例のラジオ出演。こちらはこのところ続きの縄文時代の話で、今回はパーソナリティの男性がいろいろと質問をされて、私が答えるという形になった。次回以降も同じ形で行ってみようということになった。帰宅したら7時40分。疲れた一日だった。

2018年11月11日(日)
ムラの観光協会主催で恒例の新そば祭があり、史談会では祭の一環の道祖神巡りに同行し、説明している。昨年から私もその説明メンバーになってしまい、今年もマイクロバスに同乗して、6体の道祖神を回った。参加者は定員の20人満員で、補助席も出す盛況ぶり。県外から来られた人もいて、ムラや地域の良いアピールになっていると思う。会長と私の二人で交互に3体ずつ説明したが、最後は会長の近所でもあり、主に会長にやってもらったので、実質、私は2体。緊張はしないけど、もうちょっとムラ全体のことも勉強して、説明に活かせたら良いなあと思った。午前11時30分に出発。会場に戻ったのが午後1時30分くらい。会場ではソバのメニューは完売とのプラカードが出ていた。去年は、説明の後に新そば頂いたんだけど、行列に並んで食べたので、ちょっと胃が痛くなってしまい、今年はもう勘弁と思い、でも、そんな本音も申し訳なくて言えないので、用事があると偽って新そばは頂かずに帰宅。

2018年11月10日(土)
午前中、休出。母のところにも寄る。昼に帰宅しようと思っていたら、飯田の古い知り合いが企画展を見に来ていて挨拶。しかも偶然に浜松の研究者も来ていて、お二人のお話を伺っていたら、小一時間過ぎてしまった。まあ、有益なお話ばっかりだったのでいいか。というか、やはりその道を深めるには、外に出ていろいろ見て歩かないといけないと痛感。でも、時間と何より体力がない。

2018年11月9日(金)
朝から現場で基準点を打っていたけど、雨が降ってきてしまい早々に職場に上がる。14日の講演資料を作る。何かいつも、講演とその他の忙しい状況が重なってしまい、その都度、ああ講演なんて受けなければよかった、と思うんだけど、今回もまさにそれ。現場の立ち上がりを見つつ、11日には史談会の用、14日は午前中は講演、夕方はラジオ、史談会の会報も中旬までには仕上げなきゃいけない。どういうもんかね?

2018年11月8日(木)
現場は重機と作業員さんの初日。いろいろな設営をやってもらいながら重機を入れ始めたんだけど、最初の地区は撹乱が深くて駄目。早々に隣に移った。思っていたより深くて、土が増えた。縄文だもんで土器はガラガラ。包含層中で焼土面が現れ、それ以下におろせなくなった部分がある。自転車で現場に行ってみたが、行きが若干の登りで7分、帰りが5分というところ。

2018年11月5日(月)
今週から現場が始まって、私も久々に出るので(と言っても4・5月にも現場に出ていたんだが)、朝一番で下見に行って、それから職場に出勤。今度の現場は自宅から遠くないところなので、試しに歩いて行ってみた。約1.2キロメートル。17分で着いた。なんか暖かい日で、うっすらと汗をかいてしまった。

2018年11月4日(日)
朝8時半ころから埋文パトロールで村内を回り、遺跡の写真を撮る。21か所の遺跡を見て回った。異常などの問題はなかったが、遺跡の対象とはなっていない山で最近木を伐り払った付近の広そうな範囲で、日曜日の朝というのに大きな重機が動いていた。重機に書かれた会社名も気になって、なんか訳ありなのかなあと思うことしきり。個人の土地についてあれこれ言うことはできないけど、大きく地形を改変したり、地域の景観を変えちゃうような開発とか工事とか、どこがどうチェックしてるのかな。一応、担当のセクションがどこかは判るけど、そこがどのくらいの権限を発揮できるのかも見当つかない。
2018年11月4日(日)その2
昨日と今日、ムラの文化祭で、史談会でも展示を行っている。一昨日の夜は7時から展示準備だったんだけど、腰を痛めたばっかりで心配だったので、代理で女房と太郎に行ってもらった。結構時間がかかったようで、二人とも帰宅は9時過ぎだった。今日はパトロールの帰りに展示会場に顔を出したら、会長や2~3名の会員がいて挨拶をしてきた。片付けは午後3時からで、少し腰の調子もよさそうだったので、おてこで三郎を連れていって、私は重いものは持たないようにしていた。こちらは1時間かからずに終了。村教委の担当者たちの分担と手際が良くて、一昨年とは大違いだと感心した。

2018年11月3日(土)
月曜日に腰を痛めて以来、車を運転するのを控えていたんだが、今日は様子見で母のところに行ってみた。母は週一で私が来るのを楽しみにしているので、運転できなかったらどうしようかと思っていたが、まあ良かった。腰の調子は悪くなかったので、その後、仕事にも行ってみた。今日は職場の若い衆が集団で瀬戸や美濃を見に日帰りで出かけていて、連中の車が何台も停めてあったのがいつもの休日とは違っていた。3時くらいまで実測して帰宅した。

2018年11月2日(金)
9月から始まった職場のエアコン工事が大詰めになっている。機器の設置や配管とかはすべて終わっているようで、昨日、今日と試運転や調整をしていて、冷房の試験があるなどと言われ、職員は恐々としている。素人の私などは予想もしていなかった所に大きな屋外機が設置されたりして、後から付ける全館空調ってのは大変なんだなと思った。昭和61年にオープンした頃は、長野県では公共施設にエアコン、なんていう感覚は無かった。平成16年の大規模改修で全館に空調が入ったが、なんと灯油を燃やして冷房するというシステムで、当時はそのほうが設置費用も燃料費も安く上がるという目論見だったんだろうね。ところが、このシステム、しばらくすると頻繁に故障するようになって、まあ、故障というのは機器には当然あるものだからしかたないとして、その修理が特殊なシステムゆえにすぐにできない。名古屋だか東京だかから専門の工務店や技術者が来るしかないらしくて、3日待ちとかざら。下手をすると一週間近くも茹だったり寒さに震えたりした。近年はさらに不調が増幅し止まってしまう期間のほうが長くて、もっと悪いことに、もうこのシステムそのものが運用終了、生産終了で交換の部品もできないという事態に陥っていた。で、今回の大規模改修工事となった訳だが、大規模な機器の設置の場合だけでなく、世の中全般、初期投資や目先の経費の損得計算も必要かもしれないが、使い勝手とかメンテナンスとかも視野に入れた(最後は廃棄も考慮した)長いスパンでの運用の見通しが大事だね。また、全館、あるいは全体とか全国とかの一体のシステムは効率的なんだろうけど、どっか一か所に不具合が出ると全部停止してしまうものが多くて、短期的には無駄が多くても、天災人災経済変動などのトラブルに備えて、エネルギー源の小口化、多元化とか、なんか別の視点がやっぱ必要なんじゃないかな、と工事を見ていていろいろ思いを巡らせてしまった。

2018年11月1日(木)
出勤してみたが、やっぱ家にいる時とは動線の距離とかも全然違うので、少し腰が張って、終日、ぎくしゃくしながら動いていた。それでも、なんとか一日もった。職場は新しい作業員さんも増えて、さらに賑やか。

2018年10月31日(水)
月曜日の朝に腰を痛めて、昨日、今日と休んで家で寝ていた。今日はなんとか日常の動作ができるようになって、明日からは出勤しようと思う。以前、ギックリ腰をやった時には一週間近く動けなかったから、今回のは、まあ、軽かったと言える。でも、しばらくは重いものを持たず、急な動作や不用意な動きをしないように気を付けなければね。

2018年10月29日(月)
出勤しようとして自宅の駐車スペースで車をバックする際に、身体を捩って後方を見たら、なんか腰がグキッとした。あっ!痛めたかな?と思ったんだけど、それほどでもない感じだったし、やりたい仕事もいっぱいあるので、構わず出かけた。職場の駐車場について、先ほどのことなどすっかり忘れていて、バックしようとして大きく身体を捩じったら、こんどは腰にズキッときて動けないし力が入らない。早朝の駐車場の中でしばらく呆然としていた。なんとか所定の位置に車を収めて、仕事を始めたけど、一人でデスクに座ってただ実測しているだけなら良いんだけど、みんな出社して本格的に始業するとそういう訳にもいかない。腰はずんずんと痛く張ってきて、とても耐えられなくなって、早々に帰って寝た。寝たって、不用意に寝返りを打つとズキッ。すると、今度は背中まで痛くなってきた。いままで何度かギックリ腰をやったことがあるけど、体を捩ってなったのは初めて。本当にギックリ腰なのかなあ?ドックで腹部動脈瘤があるって言われているけど、その関連じゃあないだろうなあ?やだなあ。まだ、やらなきゃならないこともいっぱいあって、困ったなあ。

2018年10月28日(日)
休出して土器の実測。それと午前と午後に母のところに顔を出す。午前に行ったら「微熱があって、おでこに貼る熱さましがきれてしまったので早急に何とかして。」と言われ、午後はそれを購入して届けた。普段行きつけない商業施設群に出かけたら、休日の昼間だもんでクルマの出入りがいっぱいで、人はよくこんな混雑したところに来たがるなあ…と感心しきり。

2018年10月27日(土)
山寺の現地に行って文化財委員の先生から説明を聞く。ムラの公民館が企画した行事だったが、なんと応募者はゼロ!で、史談会との相乗りみたいにして会員にも参加募集のチラシを配り、11名参加。それに村教委の文化財担当の係長と職員が来た。里は暖かかったが、山寺は標高1200m。午後3時を回ると本堂の中はさすがにうすら寒くて、ドカジャンを羽織った。帰宅したら5時近かった。それにしても、一般からの申し込みがゼロって情けない。たしかに、最初に配られたチラシは「親子で学ぶ」という字が大きく見えて、なんか親子連れでないと参加できないみたいな印象与えたのが大きな敗因だとは思うが、それだけじゃないね。私の住むムラはスポーツはとても盛んで、それはそれで良いんだけど、その一方で、歴史とか文化とか文化財とか、そういうことに興味がある人が少ないような気がする。まあ、無理しなくたって身の回りには古い物があふれているから、別に気にもならないんだろうけど、そこらへんが国や県の指定文化財が「0」という現状につながっていると思う。今年、縄文土器が5点県宝になって、やっとこさ県指定ができたけど、それだってムラから働きかけたもんじゃない。なんか、今回のことで、呑気な私もちょっと危機感を抱いてしまった。
2018年10月27日(土)その2
女房は街で歴史的な土蔵だかを建築士が案内するという催しがあって、朝からバスで出かけてしまった。秋はあちこちで行事があって、みんな忙しいね。

2018年10月25日(木)
早朝、仕事に出かけようとしたら、自家用車のフロントガラスがうっすら凍っていて、慌てて購入して車内にしまってあった霜取りを開封して使った。まだ初氷という気温ではないんだけど、戸外に駐車してある車では内外の温度差や窓の形状などによって、霜や氷みたいなのが周囲より早い時期から付着する。また一歩、冬が近づいた。いやだなあ。

2018年10月24日(水)
昨日と今日、アイダさんたちのグループが来て作業。昨日は女性の専門家も一緒に来られ、今日はさらに大学の先生も来た。いずれも研究者としてはまだ若手といっても失礼ではないような年代の方々で、種子圧痕研究の学際的な広がり、理系分野との共同研究の深まりと共に、それにかかわる研究者の活躍は見ていても胸が弾むように楽しい。

2018年10月23日(火)
退職した職場の先輩が朝一番に寄ってくれて、埋文パトロールの打ち合わせと報告書の件の最終調整をする。お忙しい折、誠に申し訳ない。埋文パトは今年は始まりが遅い気がするんだけど、まあいいか。課長も来て嘱託社員の面談をこなす。午前中はそこそこ好天だったけど、午後、急に曇って雨がぱらついた。なんか先週の金曜日みたいな天気だったが、夕方までにはそれも上がった。

2018年10月22日(月)
今朝も気温が1度まで下がった。昼間はとても天気が良くて、秋晴れと言うにふさわしい。午前中、空港の公園を歩いている女房は、とても快適な日であったようだ。職場はエアコンの大規模改修工事が進捗中で、現場事務所ができているので駐車場が半分使えず、色々と工夫をしている。工事の元受け業者の現場代人は若くて髪の長い女性で、いろいろな下請け業者さんの仕切りをこなしている。土木建設業への女性の進出については報道などでは見聞きしていたが、目の当たりにすると、そうだよね!という気持ちが強く起こる。ウチの職場も数年前から若い女性を入れ始めて、今でははっきり言って現場担当も広報担当も女性が主力。かつての私の判断が間違ってなかったことを、改めてうれしく思う。

2018年10月21日(日)
早朝ウォーキングの時、近くの畑に置いてある廃車の屋根一面に霜が降りていた。我が家の周りは気温1度まで冷え込んだ。息が白い。まだ10月なのに冬が近い気がしてしまう。昼は晴れて、蒼天が高く広がった。

2018年10月20日(土)
休出して終日、土器の実測。午前中は母のところにも顔を出す。ゼリーとミカンを持っていったらとても喜んだが、近ごろ食欲がない、もう長いことはない、と寂しそうに言っていた。いつも来てくれる友達の女性が先日、手をケガしたのを気にしていたので、その場で彼女に電話をして状況を確認し、母を少し安心させた。

2018年10月19日(金)
午後3時から、今週で退任する職員の送別セレモニーがあった。私が現役の時に面接して採用し、4年と半年あまり、一生懸命現場をやってくれたが、地元に戻って就職するとのこと。玄関前で皆で記念撮影をした。何もしてあげられなかった自分の無力を痛感する。今はただ藤森栄一の「心の灯」の話を送るだけ。なんとか灯を消さない人生を願う。セレモニーの最中から、外はにわかに掻き曇って雷鳴がとどろき始め、まもなく凄い雷雨が来た。付近に一発、落雷もあったみたい。なんか、珍しい天気だった。

2018年10月17日(水)
ムラの史談会で村外探訪に出かける。「波田・安曇野山麓を訪ねる」と題し、指定文化財を中心に回る。マイクロバス1台、参加者は私も含めて22名で、運転手は会長のつてで役場の元職員の方にお願いした。波田では地教委の担当に覆い屋の鍵を開けてもらい、安曇野では市の文化財の課長補佐が自ら案内してくれた。魏石鬼の岩窟古墳は初めて見る会員も多くて、皆、びっくりしていた。山中の階段で最高齢90歳の参加者が転んで肝を冷やしたが、大事に至らなくてよかった。修復工事中の民家では、偶然にも指導に来られていた文建協の専門家がとてもわかりやすく興味深い説明をしてくれて、会員から次々と質問も出て、幸運というか、とてもありがたかった。安曇野市の担当者にとにかく感謝。私がコースや内容を企画立案し主導、マイクロバスも運転席の隣に座って案内してきたので、やはり疲れた。帰着後の懇親会(反省会)はその反動ですぐに酔っぱらってしまい、酩酊して帰宅。

2018年10月16日(火)
毎月1回やっている作業所の大掃除。今月からは作業するメンバーが増えたので、その分、ラクになった。

2018年10月15日(月)
月曜恒例でお見えになっていたアイダさんたちの種子圧痕グループ。このところ少し不定期になっていたり私が休んだりしていて、久々にお会いした。いまやっている遺跡は今年度末で報告書がすべて刊行されて終わる。その後のことについて少し話が出て、私もなんか側面支援できることがあるかも。

2018年10月14日(日)
休出して終日、土器の実測。午前中、母のところにも顔を出す。ゼリーを買ってきてほしいと頼まれる。

2018年10月12日(金)
地元の小学校3年生が山寺へ見学に行って、史談会員が現地説明をするという行事に参加。昼の12時に会長とおち合って、途中で会計さんを拾い3人で山寺へ行く。既に子供たちは到着し、昼飯を食べていた。70数名いて、3班に分かれ、前記3人がそれぞれ1班ずつを受け持って、境内を巡った。私の班は、仁王門、百体観音、アララギ、六地蔵、円通門、本堂、鐘楼と回った。小学3年生なので、黙って説明を聞くなんてことはおよそ無理で、その賑やかなこと。それに、まだ歴史の勉強をしていないので、奈良時代とか江戸時代なんて言っても、わかる子しかピンとこない。発掘現場での説明もそうだけど、一番難しい年代で、だからやりがいもあるんだけど、やっぱ持ち時間30分はあっという間だった。3人でヘロヘロになって山を下り、私が帰宅したのは3時近かった。疲れた。

2018年10月11日(木)
塩尻のホールでバッハの演奏会があって、女房と二人で聞きに行く。久々に行ったコンサートで、夜の7時から9時まで「音楽の捧げもの」を堪能してきた。バロックバイオリン、ビオラダガンバ、フルートトラベルソ、チェンバロの4人の古楽器編成、演奏者によるバッハの難解な楽曲の解説も付いて、素晴らしかった。ただ、客層の雰囲気が今まで行ったことのあるコンサートとは微妙に違っていて、開演前から「なんだろう?」と不思議に思っていたんだけど、近くの席に行きつけの地元の医院の先生を見つけて「おおっ!お医者さん仲間が多く来ているんだ。」と疑問が氷解。主催者が以前、私もかかったことのある今井のお医者さんで、どうやらそのせいかもしれない。これはこれで楽しくて愉快な発見?だった。帰宅したら10時。一杯飲んで寝た。

2018年10月10日(水)
午前中、史談会の配布文書を幹事さんごとの枚数に組んで会長に届け、それから仕事に行く。夕方は毎月、第2水曜日恒例のラジオ出演。前回からの続きの縄文の話は後期まで終わって、次回は晩期から。ちょうど今朝の新聞に小林康男さんのコラムが載ったので、それも話題にしてしまった。帰宅すると午後7時50分近く。ああ、疲れた。

2018年10月8日(月)
体育の日の祝日。神奈川と兵庫の研究者の皆さんが、この地域の弥生末の土器を調査に来られ、休出して対応。午後2時から2時間、土器や石器をみっちり見ていかれた。地元の資料をなんとか世に出さねば、と日々、アップアップしているだけの私にとって、いつも広域的な動向を視野に入れている人たちとの会話は新鮮で刺激的。よい勉強になった。
2018年10月8日(月)その2
午前9時ころ、母のところに顔を出す。前回頼まれていた手鏡、オーデコロン、頭髪用の椿油をあらかじめ購入してあったので持っていく。食欲がなくて、毎日届く牛乳が溜まってしまったので持ってってくれと言われ、3パック(200㏄×3)を貰った。前回、手鏡がなくなってしまい、誰かに盗られたんだとしきりに訴えたが、その後、ベットの向こう側に落ちていたのを見つけたそうだ。そんなことだろうとは思っていたので驚きもせず、腹も立たなかったが、自分が耄碌してきて、無くしたり見失った物は、まず盗まれた!と考える。これは母の個性なのか、老人共通の思考パターンなのか?私もやがてそうなるのか?ちょっと切ない。

2018年10月7日(日)
今日は女房と三郎と私の3人で西山へ繰り出す。昨日、あれだけ採ったんだけど、また新たにシモフリが採れた。それにクリタケも出始めた。ケルンまで登ったが、残念ながら乗鞍は雲に覆われて拝めなかった。

2018年10月6日(土)
太郎と二人で一週間ぶりに西山へ繰り出す。女房は建築関係の講演を聞きに行ってしまい、三郎は二日酔いでダウン。山は、タマゴタケ、イグチとコムソウが終わり、いよいよシモフリが出始めて、二人ともビク一杯採れた。夕食はシモフリばかりのキノコ鍋。

2018年10月4日(木)
昨日の続きで、私の自宅のメイン新機にソフトやメール履歴、環境の引っ越しやその他の設定をやって、ほぼ終わった。SSD起動はとにかく早い。今までは、バックでウィルスソフトなんかが動いていると、優に1分近くかかって、当時の最速CPUなのにこんなのありかって感じでストレスがたまったが、今度は10秒かからない。近日中に最後のパーツが届くとメモリも32Gになる。あとはCS6をCSクラウドにする予定なんだけど、安い買い物ではないので、そのタイミングを考えるだけとなった。

2018年10月3日(水)
私が家で使っているメイン機はCore i7のメモリ16G、1TのHDを2基積んでいたが、組んでから6年が経過し、昨年仕立てた仕事用のノートがSSD起動で、その速さに慣れてしまったら、もうまどろっこしくて仕方ない。だいたいパソコンの保証期間は5年なので、思いきって筐体を除くフルチェンジを考えた。先月の後半からパーツを取り寄せ始め、その傍らで移動するOfficeやCS6のソフトの認証を解除したり、メール履歴をエクスポートしたりして準備を進めた。と言って、長期間使わない訳にもいかないので、どこかで一挙にやってしまわなければならず、今日は休みをもらって、旧機の分解と筐体の大掃除、新機の組み上げとOSやドライバーなどのインストールをやった。早朝から取り掛かって、午後5時までにはなんとかOSを入れることができた。CPUはCore i7 8700、マザーボードはASUSでZ370チップセット、ブートドライブはSSD250Gにして、データ用にHHD1Tを付けた。電源も650Wのものを新調したけど、CDドライブだけは前回のを使い回した。私の数少ない?お金のかかる趣味で、6年ぶりだけど約10万円の出費。でも、このワクワク感はたまらないね!夜もちょっと興奮していて、なかなか寝付けなかった。

2018年9月29日(土)
太郎にクルマを出してもらい、女房、私と3人で西山へ繰り出す。台風24号が迫り先駆の雨が降ったりしていたので、三郎は不参加。雨中であったが、山に入ると立木が多いので多少の雨は気にならなかった。今年はキノコは豊作で、序盤のイグチ、コムソウ、タマゴタケ、アミタケは相変わらず採れて、いよいよシモフリも出始めた。夜のキノコ鍋の賑やかなこと。私は幸せ!!

2018年9月26日(水)
昨日から城下町出土の木器の実測図トレースに従事するメンバー2人が、私の前にデスクを置いて作業を始めた。ちょっと賑やかになって楽しい。

2018年9月25日(火)
午前中に母のところに顔を出す。お気に入りのパンを2袋買っていったら、次は1袋で良いと言う。先週買って行ったブドウがまた食べたいというので、来週買っていくことにする。相変わらずの筆談だが、今日は少し耳の調子が良いのか、私の言葉にも的確に対応した。でも、やっかいな話ではなくて、みんな母が予測していた話だったからかなあ?

2018年9月23日(日)
ムラの環境衛生の日で、ウチの常会では朝6時から集会所の掃除。これは例年、子供に出てもらっているが、今年は太郎は消防で消火栓の操作指導をいくつかの常会で掃除と一緒にやるというので出動してしまい、三郎ひとりに行ってもらった。で、子供を働かせておいて、私は女房と西山へ繰り出した。イグチはまだ採り頃、コムソウが出始めて見事!なんとアミタケまで採れた。それに前回と同じ地点でタマゴタケが数本採れてびっくり!今年はいけるわ。

2018年9月22日(土)
休出して、土器の実測をする。夕方、5時過ぎに帰宅して大相撲を見たら、7勝6敗の御嶽海は大関の高安に土俵際の逆転で勝って、なんとか勝ち越しを決めることができた。今場所の高安は調子が良かったので、これは無理、と思っていたんだけど、勝負前半の右のおっつけが効いたんだね。良かった。

2018年9月21日(金)
朝出勤すると、勤め先の会社で10月1日付けの人事異動の内示が昨日出たことを知った。私の属する部署は全然関係なかったし、そもそも現役を退いた私には全く関係ない。関係ないはずなんだけど、かつて部下だった補佐たちから、新年度に向けての体制づくりの相談を受ける。さてねえ。

2018年9月20日(木)
休みをもらって、銀行やかかりつけのお医者さんに行き、史談会の会長さん宅へも出かけて打ち合わせ。お医者さんでは先月の人間ドックの体重などの数値が良くて褒められた。

2018年9月19日(水)
職場の近くにある史跡の古墳とその周辺を、古墳前期が専門の大学の先生に見ていただいた。四賀でも学生を連れて実習に来られていたので馴染みで、担当の係全員が同行して、私も随行した。午後はその成果を基に今後の打ち合わせ。やっぱ全国レベルの研究者は違うね!広い視野の類例から貴重なご指摘をいくつも頂き、一同、今後のやる気がみなぎった。
2018年9月19日(水)その2
昼の大学の先生とは全く別だが、偶然にも同日に関西の大学の先生が学生を連れて巡検に来られ、夜、浅間で地元にいる同大学のOBが集まって懇親会。私はOBではないんだけど、先生とは新潟時代からの古い付き合いで、やはり昔からの馴染みの原さんと共によばれて出席した。久々に飲みながら話ができて楽しかった。9時半ころお開きになって、松本駅経由でタクシーで帰宅。

2018年9月18日(火)
大相撲の秋場所真っ最中で、今場所11番勝てれば大関に昇進できるところまで来た御嶽海だが、昨日今日と横綱戦で白鵬と鶴竜に相次いで敗れ6勝4敗となってしまった。あと5日間を全勝で終わらせることはおそらく無理だろうから、大関昇進はしばらくお預けだね。自分より上位に白鵬、鶴竜、稀勢の里の3横綱、豪栄道、栃の心、高安の3大関がいるので、下位を一人も取りこぼさず、上位を少なくとも2人は破らなければいけないんだから、最初からハードルは高かったと言えるかもね。やっぱ勢にあっさり負けたのが致命傷だろう。

2018年9月17日(月)
月曜日だけど祝日の敬老の日で休み。早朝から、太郎、三郎と私の3人で西山へ繰り出した。女房は祝日なのに会社へ出勤。西山は予想通りイグチがたくさん採れた。まだその他のキノコには早かったが、驚いたことに今月の5日にタマゴタケを採った場所のすぐ近くで、今日も巨大なタマゴタケが採れた。周りにはヌメリイグチもたくさん生えていて、小さいのを選りすぐって採った。山中ではあるが幹線道路沿いなのにビックリ。

2018年9月16日(日)
午後3時半から史談会の四役会があって、村外史跡探訪の内容を正式に決めて、そのまま公民館の印刷機を借りて印刷、地区幹事ごとの配布枚数を分ける。その用意で、家では午後から名簿や添付文書を印刷したりカッテングをしたりした。やっぱ事務局はいろんな仕事があるね。四役会は5時前には終わった。会議室などは借りなくてフロアの机で会議をやったんだけど、隣の机では中学3年か高校1年くらいの女子が三人で勉強していた。オジサン達4人が、隣でああでもないこうでもないと大きな声でやりとりをしていて、さぞ迷惑であったろう。

2018年9月15日(土)
朝からザンザン降り。月一の資源物の紙類を出す日で朝8時半までに出さなきゃいけないんだけど、これじゃあクルマへの積み降ろしだけでずぶ濡れになってしまう。諦めて次回に送った。休出して終日実測。途中、30分ほど抜けて母のところに顔を出す。秋になったので葡萄が食べたいというから、次回に買っていこう。

今夏の猛暑も9月に入ると収まって、涼しくなった。そしたら今度は秋雨前線で、このところ連日曇天か雨。屋内で長袖を着ている。いつ炬燵を出そうか、なんて相談を本気で始めた。(2018.9/14記)

2018年9月14日(金)
今日から職場のエアコンの工事が始まるので、職員・関係者用の駐車スペースが半分使えなくなる。庶務担当の補佐と主査が綿密な計画を立てて対応しているようだったので、そんなに心配していなかったんだけど、やっぱ初日の朝は若干混乱した。驚いたのは、当然、大なり小なりの混乱があることは予測して、誰か担当を決めて交通整理みたいなことをやるのかと思っていたら、そんな気配は全然なくて、で、駐車場の一番近くで仕事をしている私が出て行って、少しだけど停め方の指示・整理をした。権限も責任もなく、そもそもそんな業務命令も依頼も受けていない私が出しゃばって良かったんだろうか?杓子定規に「それは私の仕事ではない。担当ではない。」などと言うつもりは毛頭ないけど、そういう協力し援助し合う姿勢、善意に依ってのみ成立するのって、いわゆる「まあ、何とかなっちゃった。」ていう話なんじゃないかなあ。結果オーライだけど、計画的に仕事を進めるべき担当者としては敗北宣言だと思うんだが。現役を退いた身ではあんまり煩いことは言いたくないんで、この話題はここまで。私は少しでも駐車台数を減らすのに協力せねばと思い、乗り合わせで出勤、退勤したので、なんか運転手付きのVIP待遇みたいで楽だった。ウン、これは悪くないぞ。

2018年9月13日(木)
新聞でマツタケが出始めたという記事を読んで、もう居ても立ってもいられなくなり、仕事を休んで女房と西山へ繰り出してしまった。現役だったらとんでもないことだ。山は先週と打って変わって、ありとあらゆるキノコが一斉に顔を出したという感じで、まあ、食べて美味しい常連の奴はまだまだだったけど、イグチの身の締ったのがけっこう採れて、夕食は一年ぶりのキノコ鍋となった。今年はいけるぞ!

2018年9月12日(水)
夕方、毎月第二水曜日恒例の地元ラジオ局に出演。今回から縄文時代の話をすることになっていたが、今日の新聞に大々的に史跡の古墳の整備についての記事が掲載されたので、まず、それについて触れてから、縄文の話に入った。時代順に話して、早期、前期までで今日の時間は終わり、以降は次週に続く。でも、下調べをしてみても本当に縄文早期とか前期とかは少ない。しかも、他の時代に付随してちょこっと出ているだけ、というものがほとんど。これまでの発掘成果の中から、縄文の古いところをきちんと集成して評価し、今後の調査や研究の方向性を考えていくことが絶対に必要、と痛感した。ウ~ン、まだまだやらなきゃならないことが多いね。

2018年9月11日(火)
午後2時から、古代を学ぶグループで講演。4年前に奈良県で発表した際のスライドを参加者のみなさんに観てもらった。今回は2・3世紀の地元の集落や墳墓に関する話だったので、終了後の質疑では適切で鋭い質問がいくつも出て、私もとてもためになった。古代史に関しては、地元に限っても、安曇族とか湖沼伝説とか田村麻呂伝説とか、きちんとした史資料は皆無に近いけど、みんな興味津々のテーマがいくつもある。それに対して私としては、テーマに関連がある無しに関わらず遺跡や遺物、発掘結果などの考古学的な成果をきちんと伝えていくことがとにかく重要だと思っている。その成果を基に、多くの歴史を愛好する皆さんが各自の研究を深めていくことは、内容の正否を問わず、裾野の広がりという点で悪いことではないと思う。
2018年9月11日(火)その2
帰宅の途中、近所の田んぼでも稲刈りが始まっているのを見かけた。今年は猛暑で、早いところでは9月に入るとすぐに稲刈りが始まったが、この辺でもやっぱ早いわ。大形のコンバインとモミを運搬するトラックがセットで来ていて、どうも自家製ではなくて農協の機械化組合とか専門の農家に依頼しているみたいだ。これからはこの形式が増えるんだろうね。

2018年9月10日(月)
午前中、東信の知り合いが職場に来訪。ここ1年くらい、彼には土器の実測などを手伝ってもらっていて、今日もその関連の来訪だったが、いつも東信から自家用車で来てもらって、誠に申し訳なく、ただただ感謝。

2018年9月9日(日)
10月に予定している史談会の村外探訪の予定コースを、午前9時から午後2時くらいまでかけて会長と二人で下見。波田、梓川、穂高有明、堀金と回り、途中の宮城の蕎麦屋で昼食をとった。なからの移動に必要な所要時間や見どころもわかった。このところ秋雨前線による雨天が多かったが、今日は曇りで雨に遭わず良かった。私の狭い軽自動車に同乗していただいたので、男性二人ではちょっと狭く、会長には窮屈な思いをさせてしまった。
2018年9月9日(日)その2
午前9時頃から常会にある消火栓の取り扱いの講習があるので、参加できる人は出てほしいと2日の防災訓練の時に言われていて、ということは、消防団員が来て指導に当たるわけで、太郎は朝6時から出動の予定だった。ところが早朝は雨が降っていて、天気予報も芳しくないので、急きょ中止となった。私は村外探訪の下見があったのでもともと不参加の予定だったけど、次の機会はいつになるんだろう?

2018年9月8日(土)
休出して仕事。途中で40分くらい抜けて、母のところに顔を出す。秋雨前線の雨が降って、特に朝9時前ごろものすごい降り。油断していて作業所の北と西の窓から吹き込んでしまった。慌てて閉めて、雑巾で拭く。

2018年9月7日(金)
仕事の帰りに近所の大規模店の中にある薬局で、母に頼まれた薬を買おうと思ったら、売り切れていた。以前から肩が痛いと言っていて、一度は整形外科で診てもらったけど、なんともなくて、痛み止めが出ただけだった。それでも痛いというので、いくつか市販の漢方薬を飲んでみて、一番気に入ったのを毎回買って持っていくんだけど、そんなに売れる種類の薬でもなさそうで、いつも私が買うので店の在庫が切れたのかな。薬剤師さんに聞くと、明日入荷するとのこと。でも、明日の午前9時に母のところに行く約束をしてあるんで、間に合わないなあ。ネットでまとめ買いしておこうか、などとも思いを巡らす。

2018年9月6日(木)
体調を崩していた若い衆が、復帰に向けて少しずつ出ていて、今日は作業のついでで私のところにも顔を出してくれた。思っていたより元気そう、というか、心配をかけまいと無理して元気そうな顔をしてくれていたのかな。まあ、気長に構えるしかない。私も経験者なので、なにか役に立つ話も、そのうちできるかもしれない。病んだことのない人には理解できない、というより、おそらくイメージが湧かないんだろうからね。

2018年9月5日(水)
一夜明けて、台風一過の晴天、とまではいかないけど、そこそこ良い天気になった。今日に延期した史談会の打ち合わせが午後3時からなので、今日は終日お休みをもらって、午前中は女房と二人で西山へ秋の下見に繰り出してみた。やっぱ、まだちょっと早いみたい。でも舗装道路の道端ででっかいタマゴタケを1本採った。なんか、今シーズンは幸先が良い感じ。会長との打ち合わせは順調で、10月に予定している村外史跡探訪の下見を9日の日曜日に行うことにした。

2018年9月4日(火)
台風21号が関西に上陸し、我が家の一帯も午後から風雨が強まって夕方から夜半まで暴風雨に近い状態になった。5時に史談会の会長さん宅へ打ち合わせに伺う予定だったが、不要不急の外出は避けろということで、急きょ明日に延期。でも、おおぜいが集まる会議などが設定されていたら、そうはいかないんだろうなあ。台風による高潮の直撃を受けた大阪は、瀬戸内海に浮かぶ関西空港が半分水没して、しかも連絡橋にタンカーが衝突するという最悪の事態になっている。今後、どうなって行くんだろう。

2018年9月2日(日)
全村一斉で防災訓練があって、9時のサイレンで集会所に集合した。このところ、常会もないし、環境衛生とかは子供に行ってもらっていたりして、常会の皆さんの顔を久々に見た。太郎は消防団で午前も午後も防災訓練に伴う出動があり、夜は慰労会。お疲れ様である。私の職場でも、緊急伝達訓練というのがあって、早朝にメールによる伝達があり、私は末尾なので、ブロックの最上位の補佐に受信した旨、返信した。でも、訓練があるよって言われていたからメールを見ていたけど、本当の災害が起こって緊急伝達が来ても、普段、まめにメールを見る人以外は気が付かなくて、大事な連絡が途絶えてしまうんじゃあないかな、といつも訓練をするたびに心配になる。

2018年9月1日(土)
人間ドックで食事制限があったり、枕やトイレが変わったりすると、てきめんに体調が微妙に狂ってきて、今朝は腹具合が少し変。休出せずに、午前中、母のところに顔を出すだけで帰宅。

2018年8月31日(金)
暑かった今年の8月も今日で終わり。9月からは、ちっとは涼しくなるかしらん。私の行っている会社は、月の最後の金曜日はライフワークなんとかデーとやらで、残業をしてはいけないだけではなく、職場に居残ってもいけない。その金曜日が月末の締日に重なってしまったりすると、庶務担当なんかはかえって仕事が増えてしまうんだけど、まあしょうがないね。で、今日は将にそれだ。お気の毒様。私は定時で早々に帰るという、現役の時だったらおよそ不可能な生活を送っています。

2018年8月30日(木)
昨日と今日、女房と一泊で人間ドックに入ってきた。体重や内臓脂肪などほとんどの数値は改善していたが、視野検査は昨年に比べてさらに見える範囲が狭まったというか、眼が見えにくくなっていて、老化と酷使を痛感した。それに、3年くらい前に腹部の大動脈で指摘された動脈瘤が28ミリが30ミリになっていて、経過観察、来年もドックに入るように言われた。正式な結果が来るのは2週間くらい後だけど、とにかく歯医者にもいかなければいけない。今年から医療保険が共済から健保に変わったら、自己負担額が跳ね上がって、しかも女房の分はまったく補助なし。共済は給料から天引きされる金額も多かったが、給付も手厚かったことを実感した。

2018年8月27日(月)
昨夜、製本して配布した史談会の会報を、自分の担当地区会員に配る。朝、家を出るのが少し遅れたので、8軒のうち2軒は回れなかった。明日の朝に残りを配ろう。

2018年8月26日(日)
夜7時からムラの史談会の幹事会。それに先立って、夕方5時半から史談会の会報の印刷と製本。「印刷と製本」なんてたいそうな言い方だが、村の公民館の印刷機(リ○○ラフ)を使って刷り、皆で並んでページ順に拾ってホッチ○スで綴じるという手作業。この作業には私は初めて参加したが、今回は会報のページ数が13頁、両面印刷で7枚と少なかったので、不慣れではあったが1時間とちょっとで110部を作った。幹事会のメインのテーマは村外史跡探訪で、日程は10月17日の水曜日、目的地は波田・安曇野と決まった。コースなどの詳細は、会長と事務局の私に一任されたので、しっかり下調べしないといけない。帰宅は夜9時だった。
2018年8月26日(日)その2 今年は猛暑の影響か、ウチのまわりの田んぼは稲が軒並み黄色くなってこうべを重そうに垂れている。もう来週あたりには、あちこちで稲刈りが始まるのではないか?まだ8月なんだけど、いいのかなあ。なんか、変な影響が、思わぬところでなければいいんだけど。

2018年8月25日(土)
午前中、職場の近くの史跡の古墳を親子で訪ねるイベントがあり、講師というか案内役を頼まれていたので、朝から出勤。前半は考古館内で出土品などを説明して、後半は現地に行って墳頂部で遺物の出土地点などを実演で説明した。参加者が小学生とその保護者7組だったので、とても良い企画になった。発掘現場に来ている大学生が同行していたので、古代の服装でかつらもかぶって被葬者の役をやってもらった。今回のイベントの担当者は女性の学芸員で、やっぱ発想が面白い。ガチガチの研究者の男性学芸員だったらこうはいかなかっただろう。
2018年8月25日(土)その2
午前中のイベント終了後、午後1時過ぎに母のところに回った。今日は、幻覚が見える、と言うので、その話を40分ほど、とにかく聞いた。夜中の12時頃、どさっ!という異音で眼が覚めると、以前、隣室にいて急に引っ越してしまった女性、背の高い人だったそうだが、その人が母の室内で向こうを向いてずっと立っていて、どなた、とか、何の御用、と尋ねても無言。やがて出て行った。また、施設に入るずっと前に仲良くしていたMさんという奥さんがやはり同じように現れて、こちらは正対しているんだけど、腰から下は見えなかったそうで、やはり無言。その奥さんはとても上品な方で、身体にちょっと障害があったので子供は作らず、御主人と二人で悠々自適の生活を送られていたんだが、御主人がガンで先に亡くなられて、その際、母はご主人の枕元にわざわざ呼ばれ、奥さんを頼む、と言われたのに、その後、なんにもできなかった。まあ、それは、私から見ればしょうがないとは思うんだけど、そのことをとても苦にしていて、きっとMさんは怒っている。だから現れたんだ、としきりに嘆いた。今は、私はとにかく話を聞いてあげるしかできない。

2018年8月24日(金)
今年は天候の異常が続いているが、まだ8月だというのに台風は20号まで発生し、それが西日本に上陸して北に抜けた。ここらも少しは大風が吹いて雨も降ったけど、そんな程度。暑さと高湿度だけが残った。なんじゃい!

2018年8月22日(水)
職場の近くの史跡の古墳で、次の土曜日に見学会をやるので、下見ということで午前中に担当者と二人で古墳に登った。昭和57年と平成7年に大規模な整備をしたけど、国の史跡としてはまだまだという感じ。方墳がふたつ繋がってしまっているような復元は、以前から「問題あり」と指摘されているし、今後、何とかしていかなくてはいけないね。ダブル台風が接近しているせいか暑い日で、古墳の上は風が当たって良かったけど、職場に帰ったら一気に汗が噴き出して止まらなくなった。午後にはエアコンも入れた。

2018年8月21日(火)
お盆休みやイベントなどで自分の仕事が滞っていたので、昨日今日はひたすら土器を描く。3000点まであと50を切った。でも住居址290軒で3000ということは、1軒当たり10点とちょっと。これは多いのか少ないのか?まあ、この作業に専念できる、今の立場にとにかく感謝。

2018年8月20日(月)
毎週、月曜日に来るアイダさんたちの種子圧痕採取グループ、今日はその研究推進の中心の一人である種子鑑定の専門家を連れてお見えになった。というか、専門家の方(かた)は超多忙で、やっと都合をつけていただき、昨日の日曜日と今日、御同行いただける運びになったようだ。Sさんという若くて大柄な女性で、知力・体力ともに男性に引けを取らず(こういう表現は、既に男女差別になるのかもしれない)活躍している感じを受けた。種子圧痕についてのお話は白眉で、その圧痕が、その大きさで、その時代の、この地域の土器にあることの意義を、日本全国レベルの視野で、しかも具体的に判り易く説明してくださる。やっぱ本物の専門家は凄い!

2018年8月19日(日)
7月の下旬から続いた猛暑は、とにかく日中の気温も高いのだが、それにも増して湿度が70~90%と高く、さらに夜になっても気温が25度を割らないという、中央高地のここら辺ではまさに異常な状況だった。ところが、一昨日からは一転して、明け方は15度を割り込み、しかも湿度も40%以下という天候に激変した。日中の日差しは相変わらず強いんだけど、湿度が低いので平気で耐えられる。むしろ朝が寒くて、長袖のトレーナーを引っ張り出して着た。
2018年8月19日(日)その2
史談会の会報の編集を何とか仕上げた。今回は珍しく原稿の集まりが悪くて遅れ、しかも私がダウンしたりお盆に入ってしまったりで、すっかり遅れてしまった。印刷担当の幹事さんと午後に相談し、夜には会長と相談して8月26日の日曜日に幹事会と共に印刷と製本をやる事にした。

2018年8月18日(土)
平出博物館から頼まれていたトークイベントに出席。弥生時代の集落と墓制について話す。司会は県歴の学芸員で、塩尻・安曇野・松本の担当3人が壇上(実際には壇はなかったが)に並んだ。会場は「えんぱーく」という施設の中の、100名弱が入れる多目的ホールだったが、ほぼ一杯になった。ただ、肝心の話はちょっと難しくなってしまい、やっぱ一人で話すのと違って、難解な術語とか概念とか、その都度わかりやすく話す時間やきっかけがなくて、私の中では大きな課題になった。イベントが始まる前に平出で地域の弥生土器の特別展示も見てきたが、ウ~ン、良いね。まだ未報告のもあって、報告された物も図面を採り直さなければいけないのが目立った。課題は尽きないね。久々に佐久の森泉さんと下呂の馬場さんに会った。

2018年8月17日(金)
お盆休みをしっかり取得できた後の出勤。でも、明日が土日なので嘱託の若い衆はほとんどが休んでいた。明日は用事があって行かれないので、午前中に仕事を抜けて母のところに顔を出した。今朝は急に涼しくなって、湿度も下がり、例年の松本の夏らしくなった。職場でもエアコンをかけずに過すことができた。

2018年8月15日(水)
今日は終戦記念日。テレビで戦没者の追悼記念式典の中継を見ながら、正午に黙とうをする。今回が最後の今上陛下のお言葉も聞いた。抑制された表現と響きの中に、戦禍を目の当たりにした世代の思いを深く感じる。
2018年8月15日(水)その2
女房は諏訪の花火が見たいといって昼過ぎから一人で出かけてしまい、帰宅は深夜。太郎はお盆休みのつもりでいたら、急に仕事で呼び出しが入って、朝から出勤。帰宅は午後4時ころだった。上司たちのお盆明けが締め切りの仕事が間に合わなくて、デジタル作図を受け持った太郎も急きょ呼び出されたのだが、時間給だけで働く臨時社員にすぎない立場にそこまで依存していいのか?とは言え、私がその上司だったらどうしたかな。やはり同様のことをしなかった、とは言い切れない。ここら辺に、今の日本を取り巻く労働問題の一端が現れているような気がした。

2018年8月14日(火)
夕方からムラの夏祭り。若い頃は公民館分館の役をやったりしたので連に加わって踊りに出たり、歌い手を務めたけど、今ではもっぱらケーブルテレビの実況中継を見るだけ。基本的に人が大勢集まるところは得意じゃない。早朝ウォーキングをしていたら、隣りのノボルさんに畑の前で会って雑談。一番下のお子さんが今年、成人とのことで、今日が村主催の成人式だそうだ。そういえばムラの成人式は夏祭りの日の昼にやるのが恒例で、ウチの子供もお世話になった。なんか、とても昔のことのような気がする。

2018年8月13日(月)
今日からお盆。ではあるけれど、月曜日なので女房は空港のゴミ拾いのバイト。私は三人そろった子供たちと卓を囲む。
2018年8月13日(月)その2
ウチの子供たちが通った中学は鉢盛中学校といって、地域の名峰「鉢盛山」(はちもりやま:標高2447m)にちなんだ校名なんだけど、村の北端に近い我が家からは鉢盛山はまったく見えない。ウチの辺で目印になる山は金松寺山(きんしょうじやま:標高1625m)とその背後の天狗岩(1926m)だ。梓川の谷の奥には「小嵩沢山」(こたけさわやま、って読むんだろうなあ:2387m)が見える。毎年、初夏近くまで沢筋に残雪があるのでかなり高い山に違いないと、つい10年くらい前までは霞沢岳(2646m)と思い込んでいたんだけど、地図でしっかり確認したらとんだ勘違いだった。西山に近い所に住んでいると、槍・穂高を始め、常念とか乗鞍とか、北アルプスの南半を代表する著名は山は全然拝めなくて、見えるのはローカルな前山ばかり。それでもけっこう見どころがあってカッコいいぞ!

2018年8月12日(日)
一日早いんだけど、午前中に女房の両親が眠るお墓に行ってきた。女房と二人でお墓の掃除をして、お線香をあげ、カンバを焚いた。

2018年8月11日(土)
午前中、母のところに顔を出す。今日は少し聞こえ方が良いみたい。でも、そんなことって、本当にあるのかなあ。私の受け取り方の問題だったりして。いつも2種類のパンを買っていくんだけど、そのうちの一つは美味しくなくて、もうひとつは美味しいのだそうだ。次回からは、その美味しい方を二つ買っていこう。
2018年8月11日(土)その2
午後、女房と買い物に出たついでに、ムラの図書館に寄って、特別展示をしている戦地から届いた郵便などを見る。小ぢんまりした展示だったけど、先の大戦関連の祈念日が続く時期だし、お盆でご先祖様が帰って来る時なので、ふさわしいのかな。このところ村教委の文化財担当と図書館が相乗りで、よく歴史や民俗のミニ展示をしてくれる。おそらく、ほとんど予算とかはないんだろうけど、こういう、担当者の熱意を生かすことができて、小回りの利く点が小さい組織、自治体の良いところ、強味なんだろうね。
2018年8月11日(土)その3
次郎が帰省してきて、夜は家族全員が揃い、乾杯する。たまたま来訪していた三郎の友人も加わって、大いに盛り上がる。

2018年8月10日(金)
お盆が近づいて来て、職員や作業員さんに休みが目立つ。なにしろ、臨時と嘱託は8月は17日勤務なので、今月は土日以外になんと6日間も休まなければいけない。まあ、しっかりお盆休みが取れるってことだけど、現役の時は、お盆と言ってもお役所は通常営業なので、嘱託のみんなが休む時に出勤するのが正規職の必須の義務でもあった。それを思い出すと、ずいぶんと呑気な立場になったもんだと感無量。

今夏は全国的に異常な猛暑。海抜700mの我が家では、例年は昼は暑くても夜は涼しくなるんだけど、今年は全然ダメ。しかもなぜか湿度が高い。かなわん!(2018.8/10記)

2018年8月9日(木)
午後は休みをもらって、ムラの史談会の会報の原稿を書く。年度当初の予定では、今号は7月中に発行しなければいけないんだけど、原稿の集まりが珍しく悪くて、しかも遅れ、私も体調を崩したり旅行に行っていたりで、遅れに遅れてしまっている。まだ編集後記が書けてない。こりゃあ、お盆前の印刷は無理だなあ。

2018年8月8日(水)
毎月第二水曜日恒例で、夕方、地域のラジオ局に出演。終わって帰宅すると7時半すぎだった。来月からは縄文時代の話をしてほしいということになり、私は縄文はあんまり得意じゃないんで、さて、どうしようか。まあ、地域の縄文遺跡やその時代の発掘の話ならいくらでもできるんだけど、何て言うか、縄文文化の真髄についての理解、含蓄、それに、なにより縄文に対する愛、そんなところが欠けている。困ったな。

2018年8月7日(火)
東信の古い友人が職場に来てくれて、しばらく歓談する。でも話題の中心は、やっぱり今夏の暑さ。彼は医療関係に従事しているので、身体への影響の分析は、なるほど、ということばかり。お互い、気を付けたいものだ。

2018年8月6日(月)
毎年恒例の大学時代の発掘仲間が集まる会があって、昨日と今日、一泊で木曽の開田高原に出かけた。このところの暑さで身体に変調を来しているので、周辺の観光などはあきらめて、無理がないように、ほとんど直行直帰状態で行ってきた。会場は開田高原の西野というところだったが、古い民家や柳又の有舌尖頭器を展示する考古館など、見どころ満載。それに御嶽山が正面にドカンと見えて絶景。こんな機会が無かったら来ることもなかったんで、幹事のタケさんに感謝。気候が良くなったら、もう一度、ゆっくり来てみたい。集まった仲間は私も含めて6人だったが、この3月で定年退職して再任用だったり、今年度末で定年を迎えるメンバーの話題、情報で盛り上がった。私は体調のせいか、普段ならニコニコと聞ける話がいちいち癇に障って、言わないでもよいことを放言しっぱなし。いよいよ焼きが回ったと自覚した。

2018年8月2日(木)
夜半にもちっとも涼しくならず、顔からはどんどんと汗が吹き出すので扇風機にあたると、今度は手先、足先が冷たくなって、すっかり体温調節の機能に変調を来してしまった。休みをもらって終日、寝ている。といっても、寝てても当然暑い。どうにもならないや!

2018年8月1日(水)
このところ、全国的に異常な暑さが続いていて、ウチの辺りでも例年みたいに夜になると涼しくなる、ということがない!昨夜は夜8時半頃には懇親会から帰宅して寝たんだけど、夜半に眼が覚めて、汗をかいてまったく寝付けない。そのまま朝になって出勤したので、絶不調。頭はガンガン痛いし、いつものように腹も痛い。平出の館長さんが来て打ち合わせを終えたら、早々に帰って寝た。

2018年7月31日(火)
午後2時から、村の文化財委員会でお寺の什物の調査。ウチの地区にある檀家の無いお寺の住職さん(正式にはお堂の管理人という位置付けだったそうだ)が高齢で亡くなって、お寺は無住になってしまい、委員長が世話人から調査を依頼されたもので、6人の委員全員と教育長、村教委の文化財担当者が参加、2人の世話人が立ち会った。残された仏像や軸物、額、仏具などに文化財的な価値があるかどうかの確認が主な目的で、特に村誌にも採録されている、江戸時代に増上寺から拝領したという「黒本尊」の掛け軸がどうなっているのかが大きな焦点だった。幸いにも、掛け軸3点と涅槃図1点はきちんと保管されており、その重要性に鑑みて、世話人会の同意を得て村教委で保管する方向が話し合われた。その他の軸物や扁額は皆、近代以降のもので、玉堂の偽物とか、有名なお寺のお坊さんの揮毫など仏教界ではありがたいけど地域の文化財としてはちょっと性格が異なるようなものばかり。仏像は皆、小さいもので、本尊や脇侍だったとみられる日光、月光に江戸期の墨書があったが、村教委や文化財委員が関わるほどのものはなく、今後の対応は世話人会が図っていくことで、皆、同意した。暑い日で、狭いお寺は電気も水道も切れていて、一同、汗まみれになっての作業。ご高齢の正副委員長だけでなく、私などにもかなり厳しかった。4時半からは公民館で文化財審議委員会をやって、終了後に懇親会。ああ、疲れた。

2018年7月30日(月)
連日、猛暑が続いていて、職場では午前中は何とかしのぐんだけど、午後は締め切ってエアコンを入れている。汗で実測用紙が手にくっついてしまい仕事にならないからだ。でも、エアコンを入れると、それまでかいていた体中の汗が急に冷たくなってまとわりつき、その不快感は猛暑の辛さとはまったく別種の不自然なもので、人間の身体に備わっている調節機能が、なんか麻痺というか崩壊していく感じ。普段、エアコンを使い慣れていないからだろうけど、良くないなあ。

2018年7月28日(土)
おかしなコースをとっている台風12号が接近していて予報は雨だったけど、ここらへんは午前中は降らず、朝のウォーキングができた。いよいよ周辺の田んぼのいくつかで、出穂が始まっている。やっぱ今年は早い。
2018年7月28日(土)その2
午前中に母のところに行く。入り口で施設長さんに会ったので、お仕事の途中のようだったので立ち話だったが、今後の母の身の振り方などについて聞く。眼が悪く、耳もほとんど聞こえず、かなり身体能力が弱っているので、老健に移るのが望ましいけど、空きがあるところは個室ではないし、グループホームは今は空きがない。特養に入るには介護度が低い。そこのところを母に話したが、現状ではそろそろ自立が難しくなって、今の施設には居られなくなること、次に移るところが今のような個室ではないこと、については母は理解しているようであった。ただし、以前は「この施設を早く出たい、どこかを探してくれ」と頻繁に訴えたが、いざ、それじゃあ次の施設だが、という話になったら「できればここに居ることができるうちは居たい、隣のグループホームが空くまで待ちたい」というのが今の心境のようだ。頭はほとんどボケていないので、主張はしっかり言うし、いろいろと思うところもあるようなんだけど、とにかく、耳が遠くて詳しい話は筆談しか通じないし、それだと微妙な部分は伝えられない。なので、私や周囲が良かれと思ってやったことが、実は本人の意に沿っていないことにもなりかねない。どうやってのり切って行けばいいんだろう。考え込むとこちらの方が参ってしまいそう。老親の介護で苦労している皆さんから見れば、私など恵まれている方なんだろうけどね。

2018年7月26日(木)
昨日、女性の担当者が四賀の廃校に荷物を運んだというので、「お化けでなかったかい?」と冗談を言ったら、真顔で「足音がするんです」と言う。詳しく聞くと、以前、私が体験した(2014年7月17日の日記参照)のと全く同じ状況で、私もその時のゾッとした感覚が甦った。私は一人で行ったので証人はいなかったのだが、今回は二人で行って二人とも足音を聞いたというので、どうやら、その現象は私の幻聴ではないようだ。時期も同じ7月で、なんか、この頃特有の風の吹き込みとか、動植物などの影響があるのだろうか?それとも…。

2018年7月25日(水)
午後、隣市の博物館で行事の打ち合わせがあって出席。8月のお盆明けに特別展に合わせてシンポをやるというもので、私もパネラーを頼まれている。県歴と3市の担当者が集まった。地域が対象ではあるし、特に興味がある時代のひとつなので、聞きに来てくれる皆さんに、この地域の特徴などを知ってもらう良い機会にできたら、と願っている。

2018年7月23日(月)
とにかく猛暑が止まない。内陸部や西日本を中心に40度近い高温を記録し、屋外活動は危険な状況にある。私のデスクのある作業所は新築の2年後にエアコンを配備できたので、このところは午後に稼働させて、暑さを乗りきっているが、本館の東半分は昨年からエアコンの親機が完全に壊れてしまい、事務室や小整理室、それに来館者が利用する体験学習室が蒸し風呂。これから夏休みが始まって小学生の親子連れなどが来たら、どーするんだ!エアコンの大規模改修は秋以降とか聞いているけど、何とか前倒しなり、応急措置なりしないと、それこそ大変なことになる。

2018年7月22日(日)
午後1時から、街の公民館で依頼されていた講演をする。猛暑の中、定員70名の講義室は満杯で、私のつたない話を多くの皆さんが聞きに来てくれて、ただただ感謝。話そのものは、いつもと同じで気が付くと早口でまくしたてていて、いかんね。途中、10分間の休憩を取った時に、用意されていた冷えた水をゴクッと飲んだら、急に上腹部が痛くなって、しまった!近年は出ていなかったが、持病の一つ十二指腸の痙攣が来た。しばらく顔をしかめていたが、何とか治まってよかった。原因は、暑くて汗をかき続けていたことや、講演の前2時間くらい水分などをまったく摂取していなかったところに急に冷水を飲んだこと、それに緊張感がプラスされたんだろうね。いやはや、わが身とは言えやっかいな身体だ。女房は、安曇野の博物館で民俗の講演があって、午前中は知り合いが喋るので、そちらを聞きに行ってきた。民俗の会と史学会の相乗りの講演会だったので、さぞかし大勢集まったのだろうと思ったら、なんと午前の聴衆は10数人で、しかも関係者や役員ばかり。一会員にすぎない自分が居ることに違和感すら覚えた、というので、私の方の集まり方と比べて、その違いはどこに起因するのだろうと、しばし考え込んでしまった。
2018年7月22日(日)その2
大相撲の名古屋場所は千秋楽。昨日、優勝を決めた御嶽海は若手の豊山に敗れてしまい、有終の美を飾るとはいかなかったが、13勝2敗での成績で賜杯を抱いた。来場所以降のさらなる精進、躍進を期待して、楽しみにしたい。

2018年7月21日(土)
午前中、考古館に講演のパワポデータを届け、その足で母のところに寄る。前回に比べて、今日は話がやや通じた。日によって耳の聞こえ具合が違うのだろうか?それとも補聴器の調整とかはまり具合なんだろうか?まあ、短時間でもよいから、毎週顔を出して様子を見るってことだね。
2018年7月21日(土)その2
なんと、郷土力士の御嶽海が千秋楽を待たずに初優勝してしまった!大相撲の優勝制度ができてから100年以上だというが、長野県出身では初の快挙。中日に勝ち越してよろこんだが、12日目に高安に負けるまで土つかずの11連勝。その負けだって土俵際で思わぬ不覚をとったもので、相撲内容は完全に勝っていた。とにかく今場所は前に出る力が強くて、しかも早く、引きとかはたきとかが全くない。その内容で勝ち星を重ねたんだから見事、というか本来、そうあるべきなんだろうね。3横綱休場で、期待の新大関の栃ノ心まで途中休場してしまい、「あちゃー!」という名古屋場所が俄然おもしろくなった。明日の千秋楽もしっかり締めてほしい。
2018年7月21日(土)その3 朝のウォーキングコースのまわりにある田んぼで、2枚だけ出穂が始まったのを見つけた。今年は暑くて、出穂も早いだろうなあとは思っていたけど、それにしても早すぎないか?周りの田んぼは、まだ全然そんな気配はないんで、早生種かなんかが植えてあるのかなあ。農家の隣人でも聞かないと分かんないや。

2018年7月20日(金)
連日、全国的な猛暑。熱中症で死亡や救急搬送のニュースが溢れている。夏は暑いものだが、たしかにちょっと異常だ。職場で実測をしていても、じわじわと出る汗で用紙が手や前腕にひっついて、作業効率が著しく落ち、しかも不快。エアコンが入ると、今度はかいた汗が不自然に冷え込んで寒く感じてしまう。そんな中、職場の若い女性職員ばかり6人が来て、私のデスクの隣のスペースで郵送物の梱包作業。もう、かしましくてうるさい!でも、昔は男ばかりだった埋文の職場で、よくまあ、こんなにも女子が増えたもんだと、つくづく思った。

2018年7月19日(木)
昨日、休んで作った講演の資料、夜中の1時ごろから起き出して、PDFに固めたりして何とか仕上げ、担当にデータを渡した。一応、約束を果たすことができた。パワポデータは土曜日の早いうちに渡さなければいけない。
2018年7月19日(木)その2
午後、課長も来て、指定文化財の件で会議。私は有識者というか専門家の一人として初回から出ていて、今日はその3回目。かなり文案はまとまってきたんだけど、そんな席で「てにをは」みたいなことの指摘をしなければいけないなんて、うんと悲しい。若い頃から本や新聞、雑誌、デジタルでもよい、とにかく文章を読むことによって、自分の中で文章力、言語感覚を自然に培っておくことを、若い皆さんにはとにかくお勧めしたい。こればかりは、一朝一夕で身に付くもんではない。

2018年7月18日(水)
週末の日曜日に頼まれている講演の資料、締め切りの約束が明日の午前中なので、仕事は休みをもらって、終日、家で作成作業。パソコンとにらめっこ。ああ、疲れた。

2018年7月17日(火)
今やっている遺跡の整理作業で緑釉陶器を広げている。一般の土器に比べたら微々たる数ではあるが、それでも作業机二つ分の全面に広がるくらいの量があり、おそらくこんな光景は、これ以後、私が生きている間には見られないであろう。今日は午前中、H先生にお越しいただいて、今後の整理方針などのご指導を頂いた。

2018年7月15日(日)
暑い!西日本を中心に猛暑日のところが続出。海抜700mを誇る?我が家の辺りも、昼過ぎには35度を超えた。エアコンなんて装備していないから、風が死ぬと、ひたすらじっと耐えているしかない。この3連休には、少し庭の片付けもできたらいいと思っていたけど、とんでもない。この猛暑の中、女房は一泊で別所の伝統行事の見学会にでかけ、夜8時頃帰宅。
2018年7月15日(日)その2
大相撲の夏場所、御嶽海は初日から負けなしで、今日も勝って8連勝。なんと中日(なかび)で勝ち越ししてしまった。これまでの中盤の連敗癖が出ずに、このまま突っ走れることを祈る。なにせ、今場所は新大関の栃ノ心までケガで途中休場してしまい、御嶽海の奮戦しか楽しみがない。

2018年7月14日(土)
休出をして、午前中に母のところにも寄る。母は、喋る言葉も内容もしっかりしている感じなんだけど、行く度に耳が遠くなっていて、ここ1月くらいは全く聞こえない、といってもよいほど。で、裏紙にマジックで大きく字を書いて伝えるんだけど、眼も良くなくて、近づけてしげしげと見ても分らず、虫眼鏡を取り出して見ている。それでも判らないものは判らない。おそらく、ぼやっとしか見えていないのだろう。そして、聞くことと同じで、自分が予測、予期、期待している文字、単語は理解できるけど、予想外のものは全然わからない。してみると、外界とのコンタクトというのは、つまるところ、自分の中のイマジネーションに拠るもんなんだね。母の事例を一般化してはいけないのかもしれないが、私の耳鳴りと近年の良く聞こえないという状況も良く似ている。

2018年7月13日(金)
一昨日に史談会で山寺古道の草刈りをやって、私も鎌を振り回すようなやりつけない作業したので、昨日の午後から、右の前腕の特に上側、外側の筋肉が痛い。夕食時には、右手で箸を持つのも嫌なくらいで、湿布を貼って寝た。今日はだいぶ痛みが引いたみたい。やっぱ、いかに身体を使っていないかを痛感。

2018年7月12日(木)
大相撲の名古屋場所真っ最中で、郷土力士の御嶽海は今日も勝って5連勝と絶好調。今場所は稀勢の里が最初から休んでいて、なんと白鵬も途中休場してしまって、上位が手薄。このまま行けば優勝を狙うのも夢ではないと思うんだけど、毎回、中盤で崩れて連敗して、ついぞ勝ち星が二桁に届かない。テレビやラジオの解説者たちも、そこのところに毎回ウンザリしているようで、その日の取り組みについては褒めるんだけど、その先については、皆一様に口を濁す。なんとか、もう一皮、むけられないかなあ。案外、ちょっとしたことなんだと思うんだけど。

2018年7月11日(水)
朝8時から、史談会で山寺の古道の草刈り整備作業。私は事務局幹事なので、仕事は休んで参加。12名ほどが集まったが、こういう山仕事では、普段の会合で、歴史好きで呑気なおじさん、おじいさん達が、熟練の仕事師に一変する。地下足袋の支度に年季の入った鉈や鎌を着装して、発動機の草刈り機でガンガン仕上げて行く。私などは装備でも経験でも、こういう時はまったく役に立たない。下から登る一隊と上から下ってくる二班に別れて作業し、予定の午前10時よりも大幅に早く終了した。頼もしいの一語。
2018年7月11日(水)その2
午後2時半からは、やはり史談会の行事で、村内史跡探訪。今回は小坂地区巡りで、お寺の駐車場をお借りして集合。まずは、お寺の由来をお聞きし、貴重な1582年の古文書の原本を見せていただいて、次いで道祖神や石仏を回り、区で管理するお堂でも、上がりこんでご本尊の大日如来像を拝観して地元の会員から由来などを聞いた。その都度、質問とか、オレはこんなことも聞いたことがある、などの話が次々と出て、時間はどんどん押してしまい、予定したコースを回りきれなかった。空模様は曇りで、暑かったが照りつけもせず、探訪日和。20数名が集まって、史談会の行事としては、まあ上手くいったというもんで、ホッとした。終了後に慰労会も設定されていたけど、私は次の予定があったので、出られなくて残念。
2018年7月11日(水)その3
毎月第二水曜日に恒例となった、地元ラジオ局の出演。普段は終業後に職場から行くので、午後6時少し前に出発すれば良いんだけど、今日は仕事を休んで、午前と午後、目いっぱい史談会の行事に出ていたので、自宅からの出立となった。以前、同じようなパターンの時、夕方のラッシュに巻き込まれて遅刻しそうになり、関係者の皆さんを慌てさせてしまったので、大事を取って5時少し前には家を出たら、今度は早く着きすぎて、40分間くらい、ラジオ局の控室で御厄介になってしまった。

2018年7月10日(火)
以前、とてもお世話になった先生から頼まれていたので、地元にある古墳や古墳群について話をした。古代史を学ぶグループの例会だったので、公務とはちょっと違う感じかな、と思い、午後に休みを取って、私的な肩書ででかけた。集まったのは20名くらいで、いつもと同じような講演になったけど、皆さん、とても熱心に聞いてくれて、ついつい2時間近くも話してしまった。その後、次々と質問も出て、終わったら午後5時近かった。歴史に興味があって勉強したいという人は、いろんなところに、いろいろと居るんだなあ、とあらためて感心するとともに、私も自分でできる範囲のことは、しっかりと勉強していかねば、と痛感した。

2018年7月8日(日)
午後、街の公民館で専修大学の古墳の先生の講演があって聴講。その時期では第一人者のお話はとても面白くて、しかも示唆的。うんと得した気分。聴衆の中には、桐原先生や太田先生、N市のK君とかの顔も見えた。

2018年7月7日(土)
母のところに顔を出す約束になっていたので、午前中に行く。本当は休出して、遺物の実測などもやりたかったんだけど、まだ体調が良くなくて、おとなしく帰った。
2018年7月7日(土)その2
一昨日あたりから西日本を中心に大雨が降って、各地で大変なことになっている。長野県でも、とくに南信ではかなり降っているようで、ここらへんも空模様は完璧な雨。断続的に激しく降ったりした。塩尻・松本間で電車が一部止まってしまい、しかもいつ、どのくらい止まっているかの情報が全然つかめなくて、出かけようと思っていた女房はプンプン。明日は東京から講師の先生に来ていただくんだけど、雨の影響は大丈夫かなあ?

2018年7月6日(金)
昨日の夕方くらいから寒気がして袢纏を引っ張り出して着た。今日も不調で、仕事を休んで終日寝ていた。
2018年7月6日(金)その2
家で寝ていたので、昼間からテレビのニュースを聞くことができて、オウム真理教の死刑囚が7人、まとめて死刑執行された(こういう言い方も、ちょっと違和感がある。)ことが、センセーショナルに報道された。彼らの犯罪の中で、松本サリン事件の時には、その時間帯、私は現場近くの事務所で一人で残業をしていた。もし風向きが逆だったら、私も被害者になって、朝になって発見されたなんてこともあったかもしれない。今でも恐ろしい。それ以外にも、この件では思うことはいろいろあるけど、まあ、いつかは記そう。

2018年7月5日(木)
休みをもらって、10日の資料作りをやり、半年ぶりに床屋に行ってきた。朝からザンザンの雨で、床屋は9時半頃に行ったのだが、農家は雨で仕事にならないらしく、その手の男性が次々と来店して賑やかだった。

異常に早い梅雨明けのあと、さっそく猛暑と台風。今年の夏はどうなるだい?そんな夏の次に来る秋は?今から秋のキノコが心配になる。(2018.7/5記)

2018年7月4日(水)
梅雨が明けたと思ったらさっそく台風が来て、強風注意報。私の職場の周囲は日頃から南風の強いところなんだが、今日の大風はちょっときびしかった。特に、博物館の建物に沿って回り込む「ビル風」みたいなのが顕著で、通用口から出た途端に、ウワッ!と後ろに吹き飛ばされそうになった。とにかく、風の強い日はいろいろと注意が必要で、クルマも駐車した向きによっては、不用意にドアを開けたりすると強風にあおられて、バキッと音を立てて蝶番の部分が傷む。まあ、普段は暑い日も風があると、建物内では何とかしのげるんでありがたいんだけど、それも強くなり過ぎると、今度は少しでも窓を開けると、吹き込んだ強風で書類やら文具やらが舞い散って大変になり、仕方なく窓を閉めて茹だっている。この地方では、四季折々の強風といかに付き合うか、ここらへんが上手く暮らしていく課題と楽しみ、だね。

2018年7月3日(火)
今は退職されている昔の上司が、文化財のパトロールの途中で職場に寄っくれたので、懸案をいくつか相談することができた。相談した結果がどうこう、と言うより、相談すると、私の中で何というか安心感が湧きあがる。そういう上司(元上司)、先輩とかは何人かいて、みんな聞き上手。中には決して寡黙ではない人も含まれているが、私の言いたいことを上手に掬い上げてまとめてくれる。こんなを先輩たちを持てたことは、私の人生では最大の幸運のひとつ、と言って良いだろうなあ。

2018年7月2日(月)
梅雨が明けたらさっそく真夏日。全国では猛暑日もあったとかで、職場の作業所のエアコンも、午後からシーズン初稼働をしてみた。効果はてきめんだけど、家でも職場でも空調は自然任せに慣れているので、私個人としては何か違和感があることも確か。とは言え、遺物の実測をしていて、実測用紙がじっとりと汗ばんだ腕にひっつく、夏の作業のあの不快感、非効率を味わうことはないので、まあいいことなんでしょうね。

2018年7月1日(日)
今年もいよいよ下半期に入ってしまった。西山で、そろそろササユリが咲きだしたという情報があり、心待ちにしていた女房と二人で、午前中、山へ出かけた。展望台まで登ったら、ほんの少し早かったけど、道中ではきれいに開花している写真も撮れた。暑い日となって、けっこうばてた。

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