2018年(上半期)の3行日誌

2018年6月30日(土) 終日休出。土器の図を描く。午前中、少し抜けて、母のところに顔を出した。6月の初旬に顔を出しただけでご無沙汰していたので、どこか具合が悪かったのか?と心配されたが、おそらく、その腹の内は、もっとまめに来い!という苦情であろう。おまけに「お前に何かあったら、私はどうなってしまうのか心配で…」と言っては急に泣きはじめる。老齢で感情が不安定になっているのだろうけど、あっ、このシチュエーション、どこかで在ったな、と私が若い時の頃を思い出した。私が小さい時は、母は私をたたいて叱り、自分の言うとおりにさせたが、私が成長して実力行使ができなくなると、こんどは「こんな子供に育てた覚えはないのに…」と言っては、めそめそとよく泣いた。そんな、自分の感情の制御ができない母が、その「…」に後続して、「こんなことなら、いっそ」と思いつめるのではないかと、中学生の私は恐れ、押入れに隠れて寝たこともしばしばあった。ところが、翌日は案外けろっとしていて、また驚くんだけど。このとこから考えると、すぐたたくとか泣くという、元々感情の激発性が顕著な人なのだろう。だからボケたんではなくて、まあ、それが今も出ている、というところなのかな。でも、私は随分と薄情な息子だね。
2018年6月30日(土)その2 私が仕事に行っていた間に、女房は子供たちを使って、庭の梅の実を収穫した。今年は生り年で、白梅なんかは枝がしなるほど実が付いて、ちょっと大変。ついでに、伸びすぎた枝もかなり下ろした。私は仕事から帰って、史談会の会長さんのところに打ち合わせでお邪魔した。昨年新築したお宅に初めて上がり、本格コーヒーを御馳走になってしまった。


2018年6月29日(金)
なんと、6月のうちなのに梅雨が明けてしまった。早い、早すぎるよ!って、こういうことを言うんだ、きっと。天水を待っている畑には、まだ降り足りない感じ。今年は地獄のように暑い夏が、早々に来るのかと思うと、ちょっと恐ろしくなる。

2018年6月27日(水)
5月いっぱいで終わらせた久々の現場、出土した遺物を洗う作業に工程に入っているので、しばしば洗い場を覗いて中味を見ては、ふんふん、と悦に入っている。夕方、入れ子になっていた2軒の住居について、1軒のつもりで掘っていた段階での取り上げ遺物の、帰属や有効性の検討を、現場担当とみっちりやる。

2018年6月25日(月)
課で体調を崩している若い衆が居て、まじめな人物だけにとても心配。私は、公的には関与できる権限も責任もない立場だけど、私的には何か援助してあげたいと思うことしきりで、出過ぎないよう、またプレッシャーにならないように少し動いてみた。まずは周囲やご家族の理解からだもんね。

2018年6月24日(日)
今日も休出せず、午前中に伐った庭木の片付けをみっしりとやった。昼と夕方に史談会の会費集金に回ったら、なんと全員在宅で、すべて集め終えた。こんなに早く集められたのは初めて。

2018年6月23日(土)
やっぱ、まだ調子が悪い。休出もできず、終日、家でゴロゴロしていた。史談会の年会費の集金を8軒ほどしなければならないんだけど、夕方2軒回れただけで、しかもうち1軒は留守だった。
2018年6月23日(土)その2
今年もアメシロが発生し始めて、ウチの柿の木に巣を見つけたので、太郎に駆除してもらった。よく探したら、柿の木の他にも何カ所かあって、片っ端から切って、焼却処分にした。同じ柿でも、竹田柿には付かず、蜂屋柿にばかり付く。実だけじゃなくて葉っぱにも美味い不味いがあるんだろうか?それとも木のある場所のせいなのか?

2018年6月22日(金)
まだ本調子ではないけど、なんとか終日出勤できた。と言うか、近年の私に「本調子」なんてものがあるんだろうか?

2018年6月21日(木)
昨日の朝から、腹がジクジク痛くて、それでも何とか午後4時頃まで仕事して早引けした。でも、全然治らなくて、今日は終日、休んで寝ていた。ちょっと身体の節々も痛いので、風邪だと思うんだけど、まあ毎度の症状なので、女房は、カタダ弱いねん、の私にはすっかり慣れっこ。
2018年6月21日(木)その2
ロシアでサッカーのワールドカップが開催されていて、日本代表チームも出場している。私はサッカーにはそれほど興味がある訳ではなないので(野球や他のスポーツも同様)、日本が出場権を得たという時にも、まあ、よっかたですね…程度の感慨だったけど、一昨日の夜だかに、初戦のコロンビアにまさかの勝利をおさめた、それも、よくぞ、たいしたものだ。まあ、よかったね…程度だった。だけど、昨日のテレビニュースのアナウンサーの「日本中が大喜び」という発言には、ちょっとカチンときた。私としては、喜ばないわけではないけど、べつに「大喜び」なんてしてはいない。とすると、私は「日本中」には含まれないのか!せめて「日本中」ではなくて、「サッカーファンの多くが」とか「日本の各地で」とか言って欲しかった。細かい言葉尻に難癖付けるな、と非難糾弾されそうで、「日本中」という表現の中に、日本代表チームの勝利に酔わない奴は「●国民だ!」という70数年前の臭いを感じてしまった私は、かなり変なのかもしれない。でも、一言一言の地道な積み上げで、少しずつ、しかし着実に意識が変わり、あるいは麻痺していく。その結果として訪れたのが70数年前だったとしたら、やはり一言に過剰に反応する変人も居たっていいかな、と自己弁護してます。

2018年6月19日(火)
午後、仕事は休みを貰い、先日の日曜日に決まった史談会の行事等のお知らせ文書を、ムラの公民館で印刷して各幹事に届ける。仕事の合間にやるなんて器用なことは私には無理。やっぱ、事務局を引き受けるということは、「こういうことだ。」と実感。まあ、いいか。

2018年6月18日(月)
毎週月曜恒例のアイダさん達が来て、休憩時間に個人の蔵書の話になった。2006年に亡くなった樋口先生の蔵書群をどこが引き取るのかという話題から入って、今の学生は本を貰っても喜ばない、とか、亡くなった先生方も奥様が元気なうちはいいけどその後は大変だとか、もう図書館では引き取ってくれないとか、古本屋も買い取ってくれないとか、暗い話ばかり。チョウさんも、退職して、ここの考古博に寄贈といって持ってきたけど、半分以上はまだ引き取ってもらえなくて積みっぱなしだと、嘆く。私だって家が傾くくらい(実際に新築の家が傾いて、庭にコンテナハウスを置いて詰め込んだ。)本があるけど、子供たちが歴史や考古、郷土史をやらなければ、まったくの不要物、お荷物となる。学生の頃は、大量の蔵書を持つ先生や先輩が凄く見えて、羨ましくて、友人からお金を借りてまで報告書や雑誌を買いあさった。実際、必要な知識を手元の蔵書から得たことは多い。社会人になってしばらくすると、今度は買わなくても本が集まってくるようになった。それと共に、仕事も人生も多忙になって、ゆっくり調べ物をしていられなくなり、「手許にあればいつかは読める。」というスタンスに、迷いが生じてきたことも確かだ。市町村史とか発掘報告書とか雑誌とか、発行部数が少ない貴重なものばかりだと思うんだけど、でもいらない人にはいらんわなあ。この業界の人達の異常な蔵書群、世代を超えて受け継がれるべき資料として、なんとかしなくてはと、無い知恵を絞る。
2018年6月18日(月)その2
朝、大阪で大きめの地震があって、死者やけが人がでた。特に、各種インフラに大きな問題が出ていて大変!首都圏や関西圏のような人口が密集しているところは、地震の規模に比べてインフラ被害の規模が格段に違う。このところ、日本のあちこちで変な揺れ方をしているけど、何かでっかい地震の前兆でなければいいんだけどね。

2018年6月17日(日)
夜7時から史談会の幹事会。事務局を仰せつかっているので、昼から配布物をせっぺせっぺと印刷して持参。会は毎度のことでいろいろと脱線したが、今後の行事の日程をつめて、8時40分くらいには終わった。

2018年6月16日(土)
休出して終日土器を描く。

2018年6月14日(木)
休みをもらって、午前中、お医者さんに行って、その後、女房と二人で勝弦の岩石鉱物の博物館と、辰野の蛇石を見てきた。前者は一度は見ておきたい博物館であったが、期待にたがわず、展示内容に圧倒された。入館料600円はむしろ安かった。短時間では見きれず、もう一度行ってみたい。と言っても、私たちのような興味関心に同意してくれる人が、そう多いとも思えないけどね。後者も、やはり一度は見ておきたい天然記念物だったが、夏の観光シーズンが始まる前に、と思って足を延ばした。横川の谷はまるで隠れ里、桃源郷のようなたたずまいで、その最奥の渓谷は見事であった。一帯はキャンプ場にもなっていて、シーズン中は混むんだろうなあ。いろいろと堪能した充実の一日となった。

2018年6月13日(水)
毎月の第二水曜日恒例で、地元のラジオ局に出演した。今日はメインのパーソナリティーさんが、街でやっている歌舞伎関連の出店で不在。サブの男性と二人であったが、そこそこ面白い話ができた。私の若い頃の現場の記憶とか苦労などを、思い出しながら話したけど、ちょっと女房をネタに使ったところがあって、帰宅したら人のプライバシーを侵害した、と糾弾されてしまった。

2018年6月12日(火)
梅雨に入ってから、雨は本降りにはならず、寒いような暑いような日が続いている。近頃は、ちょっと寒いといっては体調を崩し、ちょっと暑いといってはばてていて、本当におんじょう(おんじょ)の多い人生を送っている。健康については、子供の頃から身体が弱くて、保育園とか小学校の前半期は、毎月3日前後は欠席していた。風邪をひいてもすぐ高熱が出て、お医者さんにも行かれず、頻繁に往診してもらった。熱にうなされて起きられず、そのまま嘔吐してゲロまみれになって身動きもできず寝ていたこともある。それが、小学校の6年生頃から第二次性徴が始まって身長が伸び始めたら、急に身体が丈夫になって、中学時代は年に1日休むだけなくらい元気になった。でもこれって、やっと普通、人並みになったと思うべきだったんだろうなあ。その元気のまま、高校、大学、社会人と突っ走って、大学の時なんかは、これならサハラの外人部隊も勤まるんじゃあないか(外人部隊がサハラというのも何か変な思い込みだったけど!)と本気で考えていた。でもやっぱり、健康のピークは一時的で、30代の半ばからは頻繁に心身の不調を繰り返し、今のような情けない人生になっている。女房とは元気のピークの時に知り合ったので、今の私の弱り方を見るたびに「だまされた!」となじられる。ごもっとも。今年も、ちょっと寒くても暑くても寝込んで、周囲に迷惑をかけながら、おんじょうの多い日々を送るんだろうね。

2018年6月10日(日)
仕事にも行かず、終日家居。この三行日記の一部を年別に分けて掲載する更新を午前中に行い、午後は庭で下した枝の片付け。

2018年6月9日(土)
今月で私は、なんと60歳になってしまうので、子供たちが集まって、村の保養施設で昨日今日と一泊でお祝いをしてくれた。多謝。赤いちゃんちゃんこ、ではなくて、Tシャツを頂いたのだが、正面中央にデカデカと「60」の数字、その上下には、私の名前と「SINCE 1958」の文字。私専用のオリジナルなんだけど、今はこんなサービスもあるんだね。着てみると、ああ恥ずかしい。早起きして周囲を歩いたら、山中だもんでサルの群れに遭った。

2018年6月7日(木)
梅雨に入ったのに、さっそく梅雨の中休みで、日差しの強い暑い日であった。職場の中堅・中核の主査が、一昨日、仕事中にぎっくり腰になってしまい、昨日は休んだ。今日は何とか復活できたけど、ぎっくりって、ホント、突然来るんだ。私も何度も経験したけど、朝、布団から起き上がろうとした時とか、顔を洗おうとして少し前かがみになった時とか、クルマから降りようとした時とか、とにかくかなわんね。

2018年6月6日(水)
関東甲信が梅雨入りした。これから一月半くらいは雨っぽい天候が続く訳だ。この時期は夏至があったりして、一番日が長くていろいろできるはずなんだけど、なんか梅雨明け待ちみたいなモードになっちゃって、でも夏本番が来ると、実は、もう昼は短くなる一方なんだ。もうすこしこの時季を楽しみたいなあ。

今年は麦秋が早い。私が若い頃は、麦秋とは夏場施工のほ場整備に先立つ発掘開始と同義だった。今も、色付く麦の穂を見るたびに、現場に明け暮れた当時を思い出す。(2018.6/5記)

2018年6月5日(火)
この頃、と言うかここ10年くらい、手や顔を洗った後の水滴の除去が上手くいかない。若い頃は、タオルでサッと拭えば一拭きで水滴がとれたのに、今は何度もごしごしと拭かないととれない。まるで、水ではなくて粘着性の汚染物質が付着しているかのようだ。皮膚の弾性や肌理の細かさが失われてきたことや、分泌される油脂の成分が微妙に変化して、汚れが付きやすくなったためと思うけど、こんな日常の単純な動作、所作の中に、確実に加齢、老化を感じる。

2018年6月4日(月)
東信の古い友人が職場に来訪。いろいろと打ち合わせや話をする。お互い、体調には気を付けたいと思う話題あり。
2018年6月4日(月)その2
仕事・通勤用の外履きがくたびれてきたので、同じ系列の靴を通販で頼んだのが昨日届いた。さっそく今朝から履いてでかけたが調子よい。私の足は少しひねくれているらしく、しばしばうまく収まらない靴があるので、履き慣れたシリーズを極力購入するようにしている。

2018年6月3日(日)
休出して終日仕事だけど、午前中、ちょっと抜けて母のところに顔を出した。そしたら、整形外科から痛み止めのクスリだけ貰ってきてほしいと言われた。診察もなしで、そんなこと可能なのかなあ?まあ、老親にとって子供は何でも屋なんだろうね。私が乳幼児の時に母がそうしてくれたように。朝6時からムラの環境衛生で集会所まわりの掃除だったけど、太郎と三郎に任せた。昨日、グータラしていて仕事に行かれなかったツケだ。県考古学会の総会もあったが、同様の理由で欠席。ほんとは午前中だけでも顔を出したかったんだけどね。

2018年6月2日(土)
夕べの飲み会では、そんなに量は飲んでいないはずだったけど、やっぱ遅くまで起きていて、平常のリズムを崩してしまったのだろうか。朝からとても眠くて、休出する予定は断念。午前中は寝ていて、午後、庭木の片付け。懸案の柳の樹、太い枝をもう一本降ろす。女房も、玄関側の草取りや土手を削る作業をやった。そしたら、埋もれていた境界杭が25年ぶりくらいに出現。我が家がなし崩し的に道をへつっていたことが判明し、知らず知らずのうちに反社会的な行為をしていた罪の意識に夫婦でおののく。

2018年6月1日(金)
今日も本業は休みをもらって、朝から村教委の試掘の指導。遺構がびっしりと出たトレンチを清掃してもらって全景写真。その後、平板で測量して、数地点で土層の略測とレベル入れをやったら、丁度お昼になった。平板測量なんて何年(何十年)ぶりだろう。私が学生の頃は、小さい現場はあちこちで平板測量をやっていて、けっこう先輩からしごかれた。昔取った杵柄って感じで、割とまともな図になっていて安心した。午後は村教委の事務所に行って、報告書の図面の作り方を担当者に指導してきた。なんか、昨日・今日と久しぶりというか、懐かしい作業をいくつもやった。まあ、これが私の専門だったからね。
2018年6月1日(金)その2
五月いっぱいで終わった発掘現場の打ち上げの飲み会に呼ばれたので、夕方に街へ出た。午後6時半からで、大橋通りのお蕎麦屋さんが貸切で会場。なんと私も応援している郷土力士の御嶽海が親戚だそうで、本物の懸賞の熨斗袋とか、いろいろと御嶽海グッズが飾ってあって、とっても面白かった。料理も木曽の山菜がメインで、これも素晴らしかった。現役の頃は、現場はたまに様子見に顔を出すだけだったので、ついぞ打ち上げには呼ばれたことが無かったが、今回は準備や撤収作業なんかも一緒にやったので、作業員さんからも現場の仲間として認めていただけて、それも嬉しかった。二次会は皆でカラオケに行って、酒は飲まずに歌ってきたが、やっぱ人前で大きな声で話す機会が減っていて、しっかりした発声ができていない。なんか、下手くそな歌をいい気になってがなっていた感じで、おもいだすと恥ずかしい。帰りは波田の作業員さんとタクシーで相乗り。帰宅したら12時だった。

2018年5月31日(木)
村教委に頼まれていた試掘の指導で、朝から現場。予報は雨っぽかったけど、午前中はしっかりできて、お昼から3時までの中断後も、夕方までやった。トレンチ2本を開けて、1本はスカ、もう1本は遺構がぎっしり。いつもは「寝てても掘れるローム」と、からかっていたけど、見易いなりに悩みはあるもんだね。軽口は慎もう。

2018年5月30日(水)
久々に朝から職場で屋内業務。午後は振替休みを貰い、クルマ屋さんに行ってシフトレバーを交換してもらった。1時間弱かかったが、さて具合はどうか?とうざ、異音はしないようで、しばらく様子を見よう。直ったならうれしいね。帰宅して、人間ドックについて、会社の人事課と、いつもドックに行っている病院に問い合わせ。昨年の10月から健康保険が変わった件についてだったが、予想していた通りの回答で、まあ納得。いかに現職の頃の健康保険が、高額だったけど手厚かったかを実感。

2018年5月29日(火)
朝から現場。撤収の手伝いと埋戻しの重機の監督、留守番。午後3時頃には職場に戻る。私の現場は今日で終わり。久々の現場はいろいろと堪能できた。

2018年5月28日(月)
朝から現場に出勤して、残った測量などをやる。掘り残しや図面の点検と並行して、午後2時くらいから重機による埋戻し開始。土嚢や天幕の解体とか機材の撤収作業では、私は作業員さんの0.7人前くらいしか役に立たない。公用車の軽トラ、軽バンを若い女性の担当者がガンガン運転して、かなり片付いた。夕方は職場に戻って、遺物の実測や打ち合わせ。クルマ屋さんからシフトレバーの部品が届いたので水曜日以降に来てほしい旨、連絡あり。

2018年5月27日(日)
早起きして、女房と太郎と三人で西山へ繰り出した。このところ忙しくてちっとも山へ行かれなかったので、今シーズン最後の山菜採りのつもりで三角点のさらに奥まで入った。展望台からは残雪の奥穂が、そして村境からは乗鞍がクリアに見えて最高。やっぱ山はいいね。収穫は、高い所でコシアブラ、旧電波塔でワラビが採れた。次に山に来るのはお盆明け、夏キノコのシーズンだ。それまでは、とにかく仕事に専念しよう。
2018年5月27日(日)その2
今日が大相撲夏場所の千秋楽。郷土力士の御嶽海は逸ノ城を押し出して9勝6敗で、来場所は関脇に復帰しそう。だけど、三役に定着した感はあるんだけど、なんか一皮むけてないというか、足踏みしている気がする。先場所、先々場所のように中盤での大連敗こそなかったけど、アレッ、と思う相手に負けちゃったりして、二桁勝利はまだ遠いのかなあ。優勝は鶴竜だったけど、栃ノ心が13勝をあげて大関昇進を決めた。今場所は四つに組んで胸が合えば、横綱でも勝てないくらい強くて安定していた。なんで13日目に正代に負けたんだろう?その一敗が、優勝を逃した唯一で最大のつまずきだったね。ウ~ン、いろいろと考えさせられるね。

2018年5月26日(土)
現場が間に合わないので、土曜日ではあるが仕事。私も終日、現場に詰めて、機材の片付けや遺構実測をやる。住居址の平面図をとるなんて、最後にやったのは今から20年前くらいか?ほとんど記憶がない。レベルを記入するたびに眼鏡をめくって見なければならず、ひたすらに衰えを実感する。

2018年5月24日(木)
私が関わっている現場は追い込みで進行している。現地は5月中に返すので、埋戻しや機材の撤収の期間も勘案すると、できれば今週中に完掘と全景写真までもっていきたい。担当と副担当は二人とも若い女性だが、特に担当は場数も多くこなしていて、そういう日程管理は安心してみていられる。

2018年5月23日(水)
軽自動車のクルマ屋さんから連絡が来て、メーカーが部品交換も可と言っているがシフトレバーを換えましょうか?と連絡が来たので、経費を確認してお願いした。それで異音が直れば有難いんだけどどうだろう。私の乗り方が荒っぽいせいかもね。

2018年5月22日(火)
午後、休みを取って、軽の自家用車の12カ月点検に行く。2時間弱で終わる。前回の6カ月点検の時もそうだったマニュアルのシフトレバー周りの異音、結局直らなかったので、今回も見てもらった。メカニックの人も、異音がしているのは確認したのだが、故障ではないがやはり改善は難しいようで、メーカーに問い合わせて、場合によってはシフトレバーの交換かも、ということになった。その他、エンジンオイルとオイルフィルターを交換して、車内も清掃してもらって12,500円。まあ、こんなとこか。
2018年5月22日(火)その2
夕方4時から、ムラの公民館で試掘の打ち合わせ。この4月で耕地、観光の方へ異動した前任の係長にも来てもらい、現任者と3人で詳細な点も確認した。現任者は文化財の担当としては、特に民具などに精通していて、ムラが抱える課題にとってはとてもふさわしいんだけど、やっぱ市町村で経常的に発生する文化財関連の事務というと埋文の93条系の処理で、その書類や関連の手続きが多岐にわたるのに驚いていた。専門の知識は必要とするが、専門家ではなくてもやらなくてはいけないのが役所の事務なので、その点で、過去に全国の特に小さい町村で、まず考古専攻者が主に採用されてきた理由を、彼女も周囲も実感として納得したことだろう。でも、私の居た職場でも93条関連の一切の事務や試掘立会の担当は、全員考古学専攻じゃあないよ、といって励ましたつもりだったけど、逆にプレッシャーになってしまったかな。で、肝心の試掘は明日、明後日の予定だったけど、雨で延期。

2018年5月21日(月)
午前中、仕事を抜けて、母を整形外科に連れて行く。4月5日頃から左側の肩と肘が痛くてちっとも治らないと訴えていたので、レントゲンも撮ってもらったが骨には異常なし。痛み止めの注射と飲み薬、湿布が出た。月曜日のためか、医院では順番待ちが長くて、母は大きな声で「どうしてこんなに待たせるのか」とか「いつ順番が来るのか」とか「自分の番はいつか聞け」とかうるさい。他の患者さんもみんな我慢して待っているのに、もうそれは眼に入らない、というか思いが至らないのだろう。そもそもお医者に行くということは、待つこと、と同義なのに、頻繁に医者に連れて行け、と言って、行ったら行ったで待つことに我慢できない。歳を取ると、若い頃に理性で押さえていた地の性格が出てくるのか?それとも老人と言うのはみんなこうなのか?確かに、目も耳も悪くなって、外界とのコンタクトは著しく低下している。無理もない、と理解するべきなんだろう。私も幸運(不幸)にして長生きしたら、やっぱこうなるんだ。ううっ、辛い。

2018年5月20日(日)
朝から北風が冷たい。休出するつもりだったけど、なんか出掛ける気力は湧かなくて終日家居で報告書の原稿をひたすら打つ。北風だったので、午前中は久々に庭木の片づけをやる。柳の大きな枝を1本降ろした。
2018年5月20日(日)その2
午後3時頃、村の一斉放送があって、「下竹田の○○で」と話し出したんだけど、その○○が、放送の冒頭付近だったのでよく聞き取れなかった。と言うか、よく聞いていなかった。ところが、続けて「熊が出没」ときたのでびっくり。あわてて放送に耳を澄ませた。屋外にいる人は家に入る、車内に避難する、などとおっかないような注意を促したんだけど、冒頭の聞き逃した「○○」はついぞ繰り返さなかった。で、エッどこ?ここらへん?もっと上の方?それとも、まさか下の方?と家族で混乱してしまった。最初から「熊が出没」と切り出してくれたら、もっとしっかり聞いていたのに!それか場所だけでも繰り返して言ってくれたら!と、不注意な自分を棚に上げて村の放送を非難することしきり。肝心の熊は、一時間後くらいにまた放送があって、捕獲されたとのこと。安心したけど、やだなあ、今年はクマの出没が多い年になるのかなあ。早朝、うかうかとウォーキングもしてられないや。

2018年5月19日(土)
今週は体調を崩して休んでばかりだったので、今日は休出して土器の実測と書類の整理。午前中、1時間ほど抜けて母のところにも顔を出す。昨夜の雨で、陽気がガラッと変わって、日差しがあるのに北風が冷たい。女房と太郎、三郎の三人は私抜きで西山へ繰り出して、コシアブラをしっかり採ってきた。夕食はコシアブラの天ぷらとお浸しで乾杯。

2018年5月18日(金)
現場が追い込みになっている。5月いっぱいで埋め戻して終わらせなくてはいけないんだけど、余計な?石列に時間がとられた上に、住居が深い。普段は違う業務を担当している職員も掘り下げ作業の手伝いに来てくれて、とにかくガンガン掘っている。でも、ここ数日、なぜか異常に暑い。熱中症が出なければよいんだけど。
2018年5月18日(金)その2
夕方、仕事から帰ったら、丁度そのタイミングで隣りのA市文化財係長の泰君から電話。廃寺跡の発掘を始めたら、狭い面積なのにもう瓦がテンバコ40個も出ているのでぜひ見に来ないかというお誘い。うわっ、すごい!何とか時間を作って見に行きたいなあ。
2018年5月18日(金)その3
同じく夕方、仕事から帰ったら、女房が我が家の庭の隅に生えてきた変な植物を教えてくれた。頭がアスパラにそっくりで、でも少し色黒で、ニョロっと蛇のように曲がっていて、茎の太さは1センチくらいある。おおっ!これがシオデって奴じゃあないか?「山のアスパラ」とも言われるシオデはついぞ採ったことが無く、以前からちゃんと覚えて一度は採りたいと思っていた山菜。それが、何と我が家の庭に自生していて、しかも太さが1センチもあるなんて、きっと数年前からそこに居たんだ。「灯台下暗し」とは、将にこのこと。さて、どうやって食べようか?それとも今年は見守ろうか?とても嬉しい悩み。

2018年5月17日(木)
午後3時30分から、重要出土品の文化財指定に関する件で課長、関係する課内の全係長、整理担当者、それに私が集まって第2回目の会議。担当者の学術的な力量は抜群なんだけど、それ故にかえって各論になってしまい、行政的で端的な資料、的(まと)を絞った総括が難しくなっている。ここは、その詳細な各論の資料を縦横に活用して、担当係長が行政的な資料にまとめるしかないと思うんだけど(私がその立場だったら、絶対にそうする。)、その担当係長も要点を抽出してまとめるということが昔から苦手だったしなあ。

2018年5月16日(水)
朝からジクジクと腹痛がして、仕事は休み。終日、寝ていたが、夕方近くなってやっと復調。

2018年5月15日(火)
深夜に寝汗をかいて目が覚めた。朝から体調が悪い。やっぱ夕べ風邪ひいたんだ。仕事は午後3時で早引けして、家で寝ていた。

2018年5月14日(月)
昨日の振替で仕事は休み。午前中は庭の柳の枝を伐る。太い枝1本を根元から切り、もう1本は2メートルほど残して切った。伐ると「ドスン」とものすごい音を立てて落ちる。こんなのに当たったら、確かに大怪我をするとつくづく思った。日射が強く、大汗をかいた。その後、かかりつけのお医者さんに行って、それから役場に回り、霊園管理料の二重請求について相談。当方のミスではないことを早々に確認してもらい、ダブった請求書はお返しして破棄を頼んだ。さらに、村教委に行って、5/2の懇親会の会費を払わずに帰ってしまった件を担当に言うと、今年は祝賀会なので不要とのこと。それより、この4月の異動で埋文担当者が不在になってしまい、急に入った試掘を指導してほしいとお願いされる。私にできる範囲でお手伝いします、と協力を約束した。昨年は隣接した地点の試掘で縄文前期と平安が出ている資料も見せてもらった。まあ、試掘だけならなんとかなるでしょ。夜、晩酌をして、うたた寝をしていたら、寒くて目が覚めた。いかん、風邪引いちゃったかな?

2018年5月13日(日)
休日だけど、発掘現場の公開をするので出勤。初めて直接現場へ出勤してみたけど、休みで道がすいていたので40分弱で着いた。天候は生憎で、雨がパラパラ来たり止んだりだったが、とにかく準備を進め、午前10時から公開を行った。お客さんは年輩の方が多く、小学生のお孫さんを連れた人もいた。昼近くになって急に本降りとなり、そのまま止まなかったので、予定では午後2時までだったけど、流れで公開も実質の終わりとなった。ざっと20人少しくらいの来場者。今回は現場日程が忙しいので、作業をとめて現地説明会をやっているゆとりがなく、現場公開という形で発掘作業そのものも見てもらうという企画。雨以外は、まあ上手くいったと思う。午後になってザンザン降りの中、見事な和装をまとったご年配の女性がみえて、現場は既にシートで覆ってあったので、コンテナの中で出土遺物を見てもらったのが、とても印象的だった。その後、職場に戻って夕方まで遺物の実測。

2018年5月11日(金)
午前中、現場に通学区の小学生が授業の一環で見学に来た。3年生とは聞いていたものの、実際に来てみたら、わぁ、小さい!2年生から進級したばかりだから、そりゃあそうだ。慌てて遺物展示の机を低いものに取り換える。2クラス70名ちょっと。まあ、賑やかだわ。
2018年5月11日(金)その2
夕方6時半から、街で、館の親睦会の歓送迎会。私は仕事を早引けして西部コミバスで平田まで出て、電車で街まで行くという順路。本当に田舎は不便。少し時間に余裕があったので大手の本課に寄って、課長や庶務担当係長と話ができた。忙しい人たちに呑気な話ばかりしてしまい迷惑だったかな?飲み会は相変わらずで、毎度のように飲みすぎて、若い衆をつかまえては自慢話やセクハラまがい、場違いなうんちくを連発。最低の中年オヤジを演じてきた。一次会で帰ったんだけど、家に着いたら11時を回っていた。次回は心を鬼にして欠席しよう。

2018年5月9日(水)
月の第二水曜日なので、夕方6時30分から地元のラジオ局で出演。今日はパーソナリティーのサブの男性がお休みで、代わりにいつも事務所で対応してくれる女性が担当。いつもとは違った雰囲気で、また面白かった。地元の古墳のことで話が盛り上がって、発掘関連の指定文化財に触れるのは次回送りになったけど、それも問題ない感じでとても良かった。

2018年5月8日(火)
懸案の事項がほぼ固まったので、当時、いろいろとお世話になった職場の先輩のところを訪ねて、最終的な相談をする。案件の相談ばかりではなく、昨今の私や職場の話なども聞いていただいて、いくつも適切なアドバイスをいただいた。いつお会いしても気さくな先輩で、心が落ち着く。

2018年5月7日(月)
連休明けの初出勤。先日痛めたふくらはぎの痛みはほとんど消えた。でも、これからは急なダッシュとか気を付けなければ。朝から怪しい天気だったが、昼から降雨。午後は土砂降りとなる。最近の天気は、降らなければ全然降らないし、いったん降りだせば、今度は降り過ぎと言う感じで、確かに極端化が進んでいる。

大型連休中、我が家のまわりでは一斉に田んぼの代掻きが始まった。黒川もドンドンと瀬音をたてて流れる。新緑も嬉しい。一番いい時季。(2018.5/6記)

2018年5月6日(日)
大型連休最後の日。次郎は午後のバス、電車で職場に帰った。次の帰省はお盆。私は女房と二人で、午後3時から音文でバッハのコンサートを聞く。音文は、若い頃は2カ月に1回は聞きに行っていたんだけど、この頃は2年に1回程度。でも、生はいいね。それから、時間に余裕があったので音文の公園内を歩いたら、築山や流水の池や古樹などがあるのを、初めて知って感動。現役の頃はコンサートを聞きに来ても、そんな心身のゆとりがなくて、時間間際に来て、終わるとすぐに帰ってしまうばかりだったからね。やっぱ心も身体も生活もゆとり(経済的なゆとりじゃないよ!)が必要なんだ。バッハは小林道夫が率いるアンサンブルの演奏でカンタータが3本だった。これは10年くらい前から、2年に1回、松本に来るので、逃(のが)さず聞きに行っていたが、今年が最後だそうで、とても残念。その割にお客さんの入りがパッとしなくて、ちょっとびっくりした。ウ~ン、楽都ってオザワだけじゃあないと思うんだけどねえ。とにかく連休の最後を至福の時間で締めくくれたのは、最高の幸せだった。
2018年5月6日(日)その2
音文に行く途中、征矢野にある文書館に寄る。別に、ついで、という訳でもなくて、この4月から館長に就いたサト課長にお会いして、打ち合わせやらお願いがあったからで、それに館長就任に祝意も表したかった。私にとっては彼も古い仲間のひとりで、また昔のように同じ志で歩んでいきたいもんだ。相変わらずの事務堪能ぶりを発揮して、システム改善なんかにも意欲を燃やしていた。とても安心。頑張ってほしい。

2018年5月5日(土)
女房と二人で、早朝から東山に繰り出した。タラノメは二番芽が少し、ワラビは道端でそこそこ。東山は今日が最後になるかな。昨日と同様に寒い朝で、下にチョッキを着込んで行って正解。
2018年5月5日(土)その2
夕方、風呂に入る前に、女房に髪の毛をバリカンで刈ってもらう。1/7に床屋に行ったきりで、だいぶやぶせったくなっていたので、思い切ってやってもらった。てっぺんは9ミリ、きわは3ミリ。さっぱりしたけど、頭髪が短くなると人相の悪いのが一層際立ってしまう。まあ、人前で話すのは7月の講座までなさそうなので、その頃には少し伸びて悪相も緩和されているだろう。

2018年5月4日(金)
連休中だけど休出して終日、実測と考古館長との打ち合わせ。日差しがあるのに寒い日だった。西山にうっすら雪が来た。

2018年5月3日(木)
大型連休の後半に突入。憲法記念日で、テレビも新聞も改憲など憲法の話題が満載。その中で、今の若者は憲法や改憲に興味がないと言われるが実態や内心はどうか、という小特集があった。東京?の大学生を対象とした調査で、実はかなり関心があるのだが、「変わった人」と思われたくないので、仲間内ではそういう「重い」話題は自然と避けられてしまう、というような内容だった。まあ、私たちの若かった頃(昭和50年代)から、その傾向はあったね。昭和40年代は学生運動が盛んで、逆に政治的なことに関心がない方が「変わった奴」だったんじゃあないかな?事実、私が駆け出しの頃には、その流れを引きずっている先輩の年代も少なからず居て、ちょっと酒が入ると、すぐに「緊急発掘は資本の手先だ!」とか「お前たちには理念がない」とか「お前は何のために歴史を勉強するんだ!」とか言い始める。それはそれで面白くて、意味のある話題だったんだけど、滔々とした大河のような現実に押し流されている自分たちを救ってくれる具体的な方策とか、あるいは方便とかにすらなり得ない、いわば観念的な議論に、私はかなり早い段階からウンザリしていた。私の同世代前後には、そんな手合いも多かったんじゃあないかと思う。苦い思いを多く残したままの学生運動世代(失礼だが、私にはそう見えてならない。)が去った後、若い世代が世を挙げて酔うことは絶えて無くなった。運動の総括がしっかりなされずに来たせいなのか、官民挙げての支配層が学生の非政治化を意図し続けたせいなのか、単に私がひったるんでいただけなのか?よくわからないんだけどね。そのひったるんだ私は、今日は終日、今の自由憲法を尊びながら子供たちと麻雀をやってました。

2018年5月2日(水)
村指定文化財の山寺の本堂と山門の屋根の改修工事が昨年度末に終わって、今日の八十八夜の例祭と共に竣工式を行った。僭越ではあるけど私も村の文化財保護委員を拝命しているので、仕事を休んで出席した。昨年の例祭と同じで、村のマイクロバスに常会の集会所前で拾ってもらい山寺へ。ところが天候がちょっと不順で、竣工式が始まる9時半頃になって雨がぱらついて来て、急きょ、本堂内で挙行となった。主な来賓や関係者、偉い人など主催者ご指名の人から入ったら、文化財関係者とか消防団委員とかは最後になってしまい、かなりぎゅうぎゅうだったので、私を含めて10数人は外の庇の下に腰かけて式の進行を聞いた。竣工式と例祭の読経のあと、隣の村施設で慰労会というか懇親会で一杯。それも12時を回ってお開きとなり、来たコースと逆の順でマイクロバスで送ってもらった。昼酒は美味しいけど効くね。

2018年5月1日(火)
大型連休の中間の出勤日。午前10時に平出の小松館長が私の職場に来られて、夏の企画の打ち合わせ。そのあと、時間年休をもらって母のところに顔を出す。先日、施設長さんから電話をもらって、左手が痛いので医者に行きたいとか言っていたんだが、今日は別にそんなことも言わなかった。要は、私が自分のことばかりにかまけて、なかなか顔を出さないので、あれこれと訴えるのだろう。気の毒で、申し訳ないとは思うんだけど、自分の楽しみや仕事などを犠牲にしてまで付き合うのは、今度は私の体調不良につながるので、何とか避けたい。まあ、介護でご苦労されているご家族などからは「甘ったれるな!」とお叱りを受けてしまうでしょうけど。母のところから帰って、午後は現場に行って、作業の進捗や遺構重複、謎の石列などの確認をする。

2018年4月30日(月)
早起きをして東山へ繰り出す。女房は仕事なので行かず、太郎と帰省中の次郎、それに三郎と私の4人。クルマは太郎に出してもらった。タラノメはちょうど適期で、見事なものがたくさん採れた。また、ワラビも早い所では出始めていて、けっこう採れた。ただ、私はまだ少し足が痛い。

2018年4月28日(土)
今日から大型連休で、さっそく早朝から西山へ繰り出す。太郎に運転させて、女房と私の3人。でも私は、まだふくらはぎに痛みが残っているので、林道を歩くは歩いたんだけど、斜面には入らず、道に突っ立って「あそこにワラビが出ている」とか「あのタラはもう採っても良さそうだ」とか、偉そうに指図していただけ。山菜採りの感覚は、まあ満喫できたけど、女房と太郎には申し訳なかった。収穫は、コゴミがごっそり、タラノメとワラビはやや早かったがそこそこというところか。午後、次郎が帰省してきた。飛び乗った特急が実は臨時列車でしかも全席指定。なのに座れなくて、しかも指定席料金は取られたという、とても不思議な体験をしたそうだ。
2018年4月28日(土)その2
時事ネタで申し訳ないんだけど、今朝の新聞のトップには、昨日の韓国と北朝鮮の首脳会談の記事が大見出しで踊っている。テレビ等もみな同じで、「歴史的」なのだそうだ。本当にそうなっていけばいいんだけどね。米朝韓の三か国、あるいは米朝韓中の四か国の枠組みで今後は進めていくような話もあって、日本は蚊帳の外か?という問いに、安倍首相は「そうは思わない」と強調していた。どーなんだろう。最大にアメリカに従属していて、しかし最もアメリカからは精神的な自立がしたくて、自身は最も「美しい日本」を愛している、信念の人(?)、安倍首相にとって、蚊帳の外だったり、はしごを外されたり、と揶揄されてしまう昨今の国際情勢は、なんとも気の毒というか(案外、本意なのかも!)、また、お腹が痛くなってしまわないかと、私は無責任ではあるが心配になる。

2018年4月27日(金)
終日、現場。1軒だと思って掘っていた大形の竪穴、床面が2段になりそうで嫌な予感がしていたが、壁の一部に明瞭な突出が確認されて、ほとんど重なるように2軒が存在したことが判明。う~ん、検出の時に北西のコーナーだけきれいな隅丸にならず、なんかふにゃふにゃとしているけど、そこらのみ地山が礫多混な為だろう、と勝手に思い込んでいたんだけど、やっぱそれが予兆だった。何故か同じ位置で切り合う連続するような時期の竪穴。30年前に、さんざん痛い思いをして、以後もたびたび出くわしていたんだけど、私の中でちっとも教訓になっておらず、また同じミスをしてしまった。ここらへんが、私の能力の限界ってとこだね。火曜日に傷めたふくらはぎは、深い作業用の長靴で足首が固定されていたら、かなり痛みが軽減し、なんとか1日、現場に居ることができた。

2018年4月26日(木)
一昨日痛めたふくらはぎの痛みはかなり退いてきたが、まだ正常な歩行ができない。山菜のシーズン真っ最中で連休も近いのに、なんともつまらないことをしたもんだ。現場は昨日は休んでしまったけど、明日は担当者が抜けるので朝から常駐しなければならず、午後2時半頃から明日の仕事の引継ぎも兼ねて顔を出す。

2018年4月24日(火)
古くからの友人が職場に来て、久しぶりに話をする。一昨年から遺物の実測を手伝ってもらっていたんだけど、やはり視力の低下、眼の機能の低下を嘆いていた。かれは昆虫の専門家で、視力低下を補うために双眼実体顕微鏡で微細な観察などをしていると聞いて、なるほどと感心する。そう遠からず、私もそうなるのかと、漠然と不安になる。
2018年4月24日(火)その2
夕方4時半頃、職場の本館と整理作業所の間にある県道を、クルマに轢かれないようにダッシュで渡ったら、右脚のふくらはぎにズキンときて、以後、痛くて正常に歩けない。どうやら軽い肉離れをやってしまったようだ。先日は右ひざを痛めて、治ったと思ったら今度はふくらはぎ。加齢を痛感するとともに、生活習慣、日常の動作を老人のそれに変えて行かなければならないことを悟る。

2018年4月23日(月)
担当者が午前中、所用で不在なので、私は朝から現場。謎の石列が平面図作成できれいに全景が見えるので、原さんに見ていただくように声をかけておいたら、原さんがお見えになる前に課長が靖補佐と一緒に見に来た。笹本先生の家が近所なので、近くで発掘をしているとお知らせの電話を課長がしたらご在宅で、これからすぐに見に行くと言われ、そこにちょうど原さんも来て、図らずも指導者、有識者、ベテランが何人も集まった状況になった。石列の今後の調査方針や、現地の過去の土地利用など、非常に有益なお話をたくさん聞くことができた。
2018年4月23日(月)その2
朝9時頃から、突然、のどの調子がおかしくなってだみ声になってしまい、水を飲んでもお茶を飲んでもうがいをしても治らず、終日、そのままだった。帰宅して、とにかく話をせずに黙っていたら、徐々に治まった。一体なんだったんだろう?

2018年4月22日(日)
休出して、土器の実測と、実測依頼で渡す土器の選別などをする。今季は、作業所の出入り口の庇の中にスズメが巣を作ったようで、さっそくフン害が心配な状況になった。午後4時前に帰宅。昨日の史談会の幹事会欠席者2名のお宅に、会議結果を加筆した配布資料を届ける。

2018年4月21日(土)
早起きして、三郎と二人で東山へ繰り出した。まだ早かったようで、ワラビは全然、タラノメはあと数日というところか。それより、いつもクルマを停める地点の少し手前で、「林道整備工事のため全面通行止め」の看板が出ていて、しかもその周辺はカラマツ林をきれいに伐採してあって、これまでにない眺望が楽しめた。鉢盛山と小嵩沢山の間に、僅かだが乗鞍が頭をのぞかせていた。収穫がほとんどなかったので、早々に引き揚げたら、家の近くで自衛隊祭りに出掛ける途中の女房、太郎とすれ違った。午後は、先日落とした庭の柳の枝を細かく切って、処分しやすくした。異常に暖かくて、汗をかいてしまった。
2018年4月21日(土)その2
夕方6時から史談会の4役会。引き続き7時からは幹事会。新年度初めての顔合わせで、年間予定や仕事の分担を決めた。思いの外、早く終わって、8時半には帰宅できた。夜7時から今年度初の常会もあったが、こちらは女房に行ってもらった。揉めることもなくて、無事に終わったそうだ。
2018年4月21日(土)その3
暖かくなって、各所で農作業が本格化し始めた。我が家の北側の畑には、午後、肥料を満載した特殊なトラックがやってきて、そのまま畑中に乗り入れ、肥料(正しくは堆肥か?)を均等に蒔きながら走る、通称「マニア散布」をしていた。 以前、女房や子供たちが見かけて、おもしろいよ、と言っていたが、たしかにおもしろい、と言うか、便利ですごい。

2018年4月19日(木)
昨日と今日、休みを取って、一泊二日で女房と歴博に行ってきた。日本の古墳と世界各地の文明の中での王墓との比較を中心とした特別展をやっていて、ちょっと面白そうなテーマだと思ったことと、前回行ってから20年以上経ってしまったので、時間にゆとりができたら、もう一度行ってみたかったからである。東京へは高速バスで往復。話題のバスタ新宿に初めて入った。歴博のまわりの城跡とかも歩いて見学できた。常設展示は、最初、丁寧に見過ぎて、近世とか近代はざっと見る程度になってしまったのは残念だった。それに、原始古代の常設展示はリニューアル中で、来年までお休み、というのもかなり残念だった。それでも、しっかりと歴博を堪能できた。佐倉の街ってアップダウンが多くてびっくり!

2018年4月16日(月)
行っている街の現場、県歴の前の課長の原さんに見に来てもらった。ご自宅からそんなに遠くないので歩いて来られた。2本の変な石列の調査方法などをご指導いただいた。

2018年4月15日(日)
休出して実測するつもりだったが、朝起きると背中が痛い。昨日、痛めた膝は、おとなしくしていたら痛みは消えたが不安が残る。で、仕事は断念して、終日家居。午前中、外は春の嵐で風雨がすごかった。
2018年4月15日(日)その2
我が家の庭のコゴミが出始めたので、さっそく夕食にいただいた。山で採れるのに比べるとかなり細いんだけど、今シーズンの初物。ここ2年ほど、地下茎が充実してきたのか、思わぬところからも出てきている。

2018年4月14日(土)
土曜日で仕事は休み。早起きして、太郎、三郎と3人で山へ繰り出す。雪はかなり消えていたが、日陰には少し残っていた。タラノメもコゴミもまだ早くて、フキノトウが採れただけだった。上の林道をどんづまりまで歩いて行ったら、水場の近くにカモシカが居て、じっとこちらを見ていたので、決定的な写真が撮れた。下の林道はまだ冬季閉鎖が解けていなくて、歩きでどんどん入って行ったら、途中で、不自然な動作は何もしていないのに、突然、右の膝がハマったように、ギクッと痛みが走って、足を踏み出そうとするたびに痛い。進むことも引くこともできなくなって、子供たちに先を見に行ってもらい、しばらくその場で腰を下ろして休んだ。しばらく休んで、まっすぐに右足を踏み出さなければ痛みがないことを発見し、がにまたで歩いて車まで戻り、ほうほうのていで帰宅した。久々の現場などでいい気になっていて、膝に無理がかかったのが山で噴出したのだろうか?女房は午前中、信大で講座。帰途に美術館に回り、弥生ちゃん人形を購入して、ご満悦で帰宅。夕食に獲物のフキノトウと、我が家の庭のウドを、私が天ぷらにした。ウドは例年より低い所で葉が広がってしまい、少し小さめ。異常に暖かかったせいかなあ?

2018年4月13日(金)
終日、現場。重機仕事も、検出作業もひととおり終ったが、東西に長い調査区の北半分は撹乱がすごい。月曜から、重点的に不明カ所を探って、まあ、週の後半には遺構掘り下げにかかれるかな。終業後は職場に回らず直帰してみたが、市街地を横断しなければならないコースなので1時間弱もかかってしまった。なんか、とても時間と燃料の無駄なんだけど、しょうがないね。

2018年4月12日(木)
朝から現場。昨日と同じで、早朝に作業所でひと仕事してから現場へ行く。重機掘削の相手と遺構検出。竪穴ばかりで楽勝と思っていたら、なんかきっちり南北を指して延びる幅1メートル弱の石列が、しかも2本平行に出てきて、土層などからは新しいものではなさそう。ちょっとやっかい、というか面白そう。3時から作業所で別の遺跡の遺物の扱いについての打ち合わせ会議があって、それに出席するため、後ろ髪をひかれながら現場を後にした。

2018年4月11日(水)
今日も朝から現場。と言っても、現場に出ている分、遺物の実測とかできないので、いつもより少し早めに作業所に出勤して、ちょっと実測をしてから、現場の開始に間に合うように街へ下った。重機で遺構面までおろし始めたら、すぐに大きな住居が出てきて、こりゃあ面白いや!地山はけっこう黄色味が強くて、切り合いとかなければ、検出はかなり楽そう。
2018年4月11日(水)その2
月の第2水曜なので、夕方6時30分から地域のFM局のラジオに出演。終日、現場をやった後だったのでちょっときつかった。やっぱ歳だね。ラジオ局も4月でいろいろと変更があったようで、パーソナリティーは3月までサブだった男性。それに今回からはサブも男性で、もちろん私は初めてだけど、どうやら歴史とか考古とかにはまったく無縁だったようで(まあ、当たり前だわね)、なんか、思いもよらない質問がたくさんあって、とても新鮮だった。

2018年4月10日(火)
職場の若い担当者のチームが現場に出るんだけど、古代の遺跡なので、私もサポートで久々に朝からフルに現場に出る。今日のところは、現場の設営や調査区上面の砕石の除去などで終わったが、ほんとうに久々に終日、現場に居た。現役の時は、庶務や雑務、連絡調整などで、現場に張り付いているなどおよそ不可能だったけど、今の立場はそれが可能だ。なんか、20代、30代に戻った気分。

2018年4月8日(日)
休出して土器の図を描く。私の通勤路は地元のサッカーチームのグランドの横を通るので、ホームゲームの日は周辺の賑わいがすごい。道路も混みあってしまうんだけど、とにかく大勢の人が集まるんだから、それはしょうがないね。で、なるべく、その混雑に巻き込まれないような時間帯を選んで、そこらへんを通過するようにしている。今日は2時から試合開始だというので、3時半頃、退勤して通った。道端の駐輪スペースには、毎回、びっくりするほど自転車やオートバイ、スクーターが止まっていて、ああそうか、自家用車で来ると、遠くの駐車場から歩いたりシャトルバス利用になるけど、二輪だったらすぐ近くに停められて便利なんだ。などと感心しながら通っている。

2018年4月7日(土)
晴れたので早朝ウォーキングに出たが、五分咲きくらいの家の周りのサクラは、昨日の暴風雨の影響をそれほど受けていなくて、近景、遠景にピンク色が点在。この時期しか見られない光景だね。庭の紅梅、白梅は完璧に強風で花びらをむしられて、ガクと蕊しか残っていなかった。明日の朝、若干雪が残るかも、という予報だったが、もう待てない、とばかりに午後、クルマのタイヤを履き替えた。太郎、三郎、私の3人でジープタイプの2台を1時半から2時半の1時間で終えることができた。時給1000円として3人で3000円。スタンドに頼めば1台2000円から2500円くらいなので、×2で4000~5000円。ちょっと安くあがったか?でも、そういう問題でもないだろう。身の回りのことは、出来る限り自分でしたい。まあ、無理のない範囲で、だけどね。我が家の駐車スペースは未舗装の上に、この冬の積雪、凍結、泥濘でデコボコ。安定してジャッキを掛けるのに太郎はいたく苦労した。タイヤ交換の後、私は少し庭の木を伐る。くだんの柳は相変わらず強盛で、枝の芽吹きだけではなく、枯れたような幹のあちこちからもひこばえみたいな芽が出て、始末に負えない。少しずつ枝を落としていって、今年中には何とかコントロールできる形にしたい。

2018年4月6日(金)
天気が崩れると予報が出ていたが、とにかく朝から強風。職場の出入り口の戸とかクルマのドアの開け閉めとか突風にあおられて壊れそうだった。ずっと乾燥が続いていたため、西の畑作地帯は砂塵が巻き上がり霞んで見えた。午後からは雨も伴って、風雨に翻弄される。私は午後、館長から頼まれて、考古博物館に着任した職員に展示の概要を説明した。つい余談や余分な話をしてしまい、2時間も喋ってしまった。

2018年4月4日(水)
仕事は休みをもらって、午前中はかかりつけのお医者へ行ったり買い物をする。午後は2時のバスで街へ出て、高速バスの予約や腕時計を直した。夕方6時30分からは課の歓送迎会。何の役もない気楽な立場なので、つい飲みすぎてしまった。深夜にタクシーで帰宅。女房にあきれられた。

3月末から急激に暖かくなって、我が家の隣にあるサクラの古木も開花を始めた。早い、というより、早すぎる。今日の陽気もまるで初夏。何か変!大丈夫かなあ。(2018.4/3記)

2018年4月3日(火)
午後、母を寿の整形外科に連れて行く。レントゲンを撮ってもらったけど、今のところ骨折はなさそう。本人も、今日の昼食からは一人で下の食堂に降りて行って、食事ができるようになったというから、大事はなかったのだろう。ほっとした。職場に戻っていたら、2年間、文化庁に派遣になっていた彼が、本課に異動してきた職員達と挨拶に来た。長期間、お疲れ様。彼が東京にいる間に何とか上野の博物館とかに出掛けて、彼に会ってこなければと思っていたが、とうとうできなかった。

2018年4月2日(月)
実質的な本年度開始の日。私も朝から出勤して、午前中に職場で課長から非常勤の辞令をもらう。ああ、今年も辞令で縛られるのか。まあ、どんな立場になろうとも、私のやるべきことをやるだけだけどね。職場に新採職員の配置があって、午後一番に担当の補佐が迎えに行って連れてきた。ウチの課はこのところ新採の配置が多い。去年と今年は連続だし、この5年間で5人というのも多いというべきだろう。最近の新採職員は、みな優秀だ。一昔前の、ただ試験ができるだけ、という手合いとは全然違って、やる気も調整力、協調性もすごい。問題は、周囲が上手に育てられるかだね。熊本に半年間、派遣になっていた彼も復帰して私の隣の机になった。お疲れ様。

2018年4月1日(日)
休出して土器の図を描いていたら、母の入っている施設から携帯に電話があって、母が夜中にトイレに行こうとして転んで尻餅をついた。それで動けなくなって、食事もベットで、トイレもポータブルでやっているという。昼で仕事を切り上げて、慌てて母のところに回ったら、ベットに寝たきりで起きられず、しかも持病の太もものこむら返りも起こって、しきりに痛がっては、もう長いことはない、などと気弱なことを言う。とはいえ、容態が急変するようなこともなさそうで、安静にしているしかないので、火曜日に私が整形外科に連れて行くことにして、ひとまず帰宅した。

2018年3月31日(土)
今シーズン初めて西山へ繰り出した。早起きし、一家4人、太郎の運転でいつもの電波塔まで登った。昨年は除雪で寄せた雪が山になっていたが、今年はそんなことはなくて、まだ雪はあったが駐車できた。道は日陰に10センチ以上の雪が残っていて、今朝の冷え込みで凍って固くなっており、雪渡りが楽しめた。雪の上を歩くなんて何年(何十年)ぶりだろう。山寺にも回ったが、まだ裏の池は静かだった。フキノトウが出始めていたので少し採ってきて、夕食に私が天ぷらにして皆で食べた。この苦さがたまんない。

2018年3月30日(金)
年度末の最後の勤務日。例年、館の親睦会で夕方に送別のセレモニーをやっているんだけど、今年は対象者が4名、うち2名はすでに退任しており、2名の異動者を送る会となった。去年は私が送ってもらう番だったし、その前年までは、ずっと親睦会長をやっていたので司会とか紹介とかの役をやっていて、何もない一般参加者役は初めて。少し新鮮。最後に恒例の記念写真で締めくくった。

2018年3月29日(木)
明日で今年度が終わるので、職場で借りているレンタルのブルーヒーターを返却するんだけど、灯油をカラにして返そうと思い焚き切ってしまおうとすると、残量計がゼロになっても半日近く燃えてるんだね。燃料ゼロのエラー表示って初めて見た。転出とか新年度の準備とかで職場は慌ただしい。
2018年3月29日(木)その2
我が家の鉢植えのアマリリス、今年も大きな蕾というか花芽が伸びてきた。もう10年以上育てているが、でっかいタマネギが鉢の中心にデーンと居て、このシーズン以外はまったく何もない。2~3枚の葉っぱを長くビローンと垂らしているだけで、毎日ただ陽の光を浴びて水を飲んでいるだけ。なのにでっかい花を咲かせる。しかもここ4~5年の間に、自身の両側に一つずつ子供もできて、それも同じように花芽を伸ばして、同じように咲く。もしかしたらイヌやネコより長生きで、なんか究極の生命体みたいな感じ。こいつら、年中じっとしていて、いったい何が面白いのだろう?いやいや、人間にはわからない、深い思索を巡らしているに違いない。

2018年3月28日(水)
このところ、夜明けがずいぶん早くなったので、今週の始めから平日でも出勤前にウォーキングできるようになった。家を出て東に向かうと、日の出前の東山の稜線がくっきりと浮かび上がる。背景の空はうっすら茜色で、その前に鉢伏、前鉢伏が黒々とそびえる。山国ならではの絶景。コースを2周する頃には、その前鉢伏の脇から朝日の光彩が漏れ始める。ここ数日、だいぶ暖かくなった。

2018年3月27日(火)
職場では作っていた報告書(私が担当していた訳ではありません)が次々と納品されて本の包みが積みあがる。見慣れた年度末の風景だ。この仕事の達成感、これがあるからやめられない。3月いっぱいで転任、異動する人も次々に挨拶に来る。これも年度末の見慣れた風景。新しい場所でのご活躍を祈る。天気が良くてなにより。

2018年3月26日(月)
月曜日恒例のアイダさんチームが来て種子圧痕の採取。中期の土器から採った豆のように大きな圧痕レプリカを見せてもらった。相変わらず、すごいね。午前中、4月から始まる現場の下見に同行。サポートのような立場だけど、久々に現場に関わることになるのだろう。その分、今の仕事がお留守になってしまうのは困るんだけど、現場って何か血が騒ぐね。重機と検出作業の時はフルに常駐して、しっかり見たいなあ。

2018年3月25日(日)
午前8時台に一家で村議選の投票に行き、その後、天気も良かったので、私は冬中さぼった庭木の片付けを集中してやった。午後は女房が4時から塩尻で講演会があるというので乗せて行って、私は講演の間は平出博物館の特別展や史跡公園を見てすごし、5時過ぎに女房を拾って帰宅した。夜、8時45分からケーブルテレビで村議選の開票を中継でやったので、うたた寝をしながら見て、結果が出たのを確認して就寝。なんか、いろいろやった一日であった。
2018年3月25日(日)その2
大相撲の春場所は千秋楽。郷土力士の御嶽海は豪栄道に何とか勝って7勝8敗とし、来場所は小結にとどまれる可能性を残した。とにかく、先場所もそうだったが、中盤でいったん崩れるとズルズル連敗してしまった。まあ、いろいろと原因、理由はあるのだろうけれど、上を目指すには何とかしないといけないね。

2018年3月24日(土)
午前9時に母のところに寄ってから休出して土器の図の整理をやる。母は相変わらずだけど、今日は何を思ったのか、私が生まれる以前のことを延々と話し、とにかく私は苦労ばかりしてきたんだと訴える。時系列的に整合性のないところもあったけど、ストーリーはほぼ理解できて、以前、いとこ衆から聞いていた話と概ね繋がった。私の知らないこともたくさんあって、ずっと今まで封印してきたのだと思うと、とても気の毒になった。ただ、なぜそんな不幸というか不運を二度繰り返したのかは、私の中ではやっぱり疑問が残り、実際は本人申告のとおり、ばかりではないのだろうなあ、と思った。まあ、今は事実を確認するよりも、とにかく母の話を聞くことが一番。

2018年3月23日(金)
村議会議員の選挙があって25日が投開票なので、選挙カーがにぎやか、というかうるさい。4年に一回の村議の改選だけど、前回は定数ぴったりで無投票で終わった。今回もまた無投票かと思っていたが、定員12名のところ13名が立って選挙となった。よく無投票はいけないとか言うけど、このムラに限って言えばどうなんだろう?村役場の職員は議員をちっとも恐れても尊重してもいないし、おそらく行政に対する議会の影響力って近隣の松本や塩尻、安曇野などの市に比べて著しく小さいんじゃあないかなあ?私がムラに来たばかりの頃は、地区推薦とかいって、なぜか私も常会単位で選挙応援に駆り出され、こりゃあなんじゃ。単なる常会長の統合版名誉職じゃあねえか?と思ったけど、今ではそういうのが無くなって、でも、そのなごりを引きずっているんだろうか?だからこそ無投票はいかん、と言うべきなんだろうけど、村役場の体質は、イコール生え抜きの村民の体質だとしたら、一朝には変わらないだろうね。まあ、難しいことは抜きにしても、選挙カーはうるさい。むしろテレフォンアポイントと同じで我が家では逆効果。選挙ってこうじゃなくちゃあ、って思う人も多いんだろうけどね。

2018年3月22日(木)
ムラの文化財審議委員会の視察研修で遠出する日だが、朝5時半ごろ、玄関から出てみてビックリ!おそらく夜中降っていたんだろう。30センチ近い降雪で、我が家のまわりの道も田畑もクルマもすべて雪に埋まっている。庭の木は重い雪が乗っかって、みんな大きくしない、今にも折れそう。あわててヤッケを着て樹の雪を落とすが、すこし揺らすと、ずっと上の方からもどんどん雪が落ちてきて、私が雪の下敷きになりそうだった。特に、大きく道にしだれかかっている樹の雪を落とした。それでも8時近くになると、薄日も射して、村教委の担当からは視察は予定どおり実施と連絡がある。私のクルマは雪で埋まってしまったので、申し訳ないんだけど和田君に家の前まで迎えに来てもらうというVIP待遇で出掛けた。視察は高速を南下して、東濃の岩村、明智というところの施設を見学した。岩村は山中に開けた桃源郷みたいなところで、伝建の街並みが見事。岩村城の麓にある資料館を1時間半ぐらいで駆け足で見たけど、資料館も山城も街並みも、なんか見どころ満載のところだと思った。もう一度、ゆっくり行って来よう。明智では「回想法」という手法で、民具や古い写真を用いて老人の認知症を軽減したり記憶の活性化を図っている施設を訪ねた。展示された民具、というより置かれている古い道具は私の記憶にもあるような懐かしい物ばかりで、同年代の委員の皆さんと、ああコレコレ!と言いながら盛り上がってしまい、まさしく「回想法」で脳を活性化させてきた。ウン、これはおもしろい。ムラへ戻ると、夕方から委員と教委担当・幹部の懇親会。ちょうど今日、村役場では人事異動の内示があって、担当の係長が異動してしまうという事態。新採の担当学芸員があせっていたが、まあ、お役所だからそういうこともあるもんせ。家飲みの倍以上飲んでしまい、なんと飲まなかった教育長に送ってもらって帰宅。いろいろあった一日でした。

2018年3月21日(水)
春分の日で休日。そんなこと関係なく休出して土器を描こうと思っていたんだけど、南岸低気圧が来て、終日降雪。こんな日は出歩かないに限る。諦めて家居。まあ、この時期だから道路の雪はどんどん融けて問題なさそう。ただ、湿って重そうな雪で、着雪して、咲き始めた庭の紅梅が心配。

2018年3月20日(火)
2月にやった報告会の私の発表を原稿にしてほしいと頼まれていた件、だいぶ進めてはあったが、このところの多忙で今日が締め切りというのを忘れていて、朝の2時ごろからゴソゴソ起き出して仕上げ、夜明け前に学会の担当者にメールに添付して送った。その担当者も県職で異動になって、さらに活躍できるセクションにいったのでは、と私は勝手に思い、よろこんだ。

2018年3月19日(月)
勤め先の会社の人事異動の内示があった。課では課長や係長に大きな変化はなく、無難な異動であったと思う。上ばかり見ているような社員が一喜一憂する定期異動ではあるが、いったん辞めて非常勤になった今の立場の私には、あんまり影響もないし、正直言って興味も湧かない。ところが、関係ないと思っていたら、非常勤職員の異動の内示というものもあるそうで、課長から直接、来年度もお願いと言われてしまった。以前から、来年度も、と言われ、一応、断る理由はありませんしね、などと言っていたのだが、正式に決まったということだ。まあ、どんな立場になろうとも、私のやらねばならないことは決まっている。それにまい進するだけだ。

2018年3月18日(日)
ムラの史談会の総会があって、その前段に午後1時30分から総会記念の講演会。講師は隣の市の博物館長さんで、お昼にはご来村いただいて、講演の前に、会長と私と3人で隣の食堂で会食をした。講演は、道祖神とお八日の各行事の関連をいろんな視点からお話いただき、とても参考になった。特にムラにある1本柱の御柱について質問が集中し、総会の後の懇親会でもその話題で盛り上がった。3時からは総会で、私は新年度は事務局という役を引き受けることになってしまった。尊敬する太田先生、青沼先生も務められた役だ!と言われ、畏れ多いけれど、断る訳にもいかず引き受けてしまった。まあ、私にできることを無理せずにやっていこう。
2018年3月18日(日)その2
昨日と今日の早朝のウォーキングで、我が家の庭にもフキノトウが出始めたのに気が付いた。おおっ、いよいよ山菜のシーズンが近づいたぞ!ワクワク。ウチのフキは山のフキなので、フキノトウの芽吹きも遅いし数もきわめて少ない。毎年、すこしずつ大事に食べている。

2018年3月17年(土)
職場の若い担当者が、発掘をした地元の公民館で発表をやったんだけど、担当の係長がインフルエンザになって同行できないので、私が代りに付いて行って、お手子をやる。若いと言っても、もう現場経験は充分なので、私が出る幕もなくて、安心して見ていられた。
2018年3月17日(土)その2
女房は茅野で著名な建築史家の講演があるというので朝から出かけて、帰宅は午後7時だった。女房もそうだけど、固定のファンが多いようで、かなりの聴講者だったそうだ。バスと電車での往復は、よくそんなズクがあると感心。

2018年3月16日(金)
昨日までかなり暖かくなって、春の気分になっていたが、今日は朝から雨が降って、午後はやんだが冷え込んできた。気温の上下が激しくて、体調を崩しそう。

2018年3月14日(水)
月の第二水曜日なので、地域のラジオ局の番組に出演。前回の出演(2月14日)の時、丁度その時節だったせいか、パーソナリティの女性からチョコを貰ってしまったので、そのお返しで、事務所の皆さんにも食べてもらえればいいかと思って、少し早めに出て、局の近くの洋菓子屋さんに寄った。ところが、中はワンワン混んでいて、レジに列になっている。出演時間に遅れてしまうので買い物は諦めたが、こんなことなら昨日のうちに手配しておけばよかったと後悔。でも、洋菓子屋さんってこんなに盛ってるんだ。私は普段、この手の店には縁がないので、初めて行ってみてびっくり!

2018年3月13日(火)
11日から大相撲の春場所が始まって、御嶽海は初日から二連勝とさい先が良かったが、今日は遠藤にはたきで負けてしまった。でも出足は良いので、今場所も大いに盛り上げてほしい。先場所は、逸ノ城や栃ノ心などの大きくて力技の力士にガッチリ捕まって、手も足も出ないような負け方をしてしまった。今場所はどのように克服するか。楽しみだけど、ちょっと心配。

2018年3月12日(月)
月曜恒例のアイダさんたちのチームが来て、種子圧痕の採取。今日から中期の土器に入ったら、さっそく豆が出たといって顕微鏡を覗かせてもらったが、なるほど!こりゃあ凄いや。奈良大の1年生?という学生が付いて来て作業を学んでいた。こういう若い人をみると、なんか希望が湧きあがる。三郎は昨夜飲み過ぎたといってのびていたが、なんか単なる飲み過ぎではなく、体調が悪いのではないかと心配になる。

2018年3月11日(日)
日曜日だけど休出して土器を測る。とにかく、この手の作業は効率とかいう問題ではなく、時間に比例する。土器が1000個あったら300時間とか、住居が100軒あったら500時間とかね。課長補佐と若い主事がやはり休出していた。年度末だなあ、お疲れ様。午後4時頃までに帰宅。女房は街の博物館で菅江真澄の講演があって自転車で出掛けて帰宅は午後5時すぎ。太郎は午後から消防の飲み会で、帰宅は夕方だった。三郎は急に夕方から外食の予定が入ってでかけ、帰宅は夜半。

2018年3月10日(土)
朝起きて新聞を取り込んだら、なんと雪が積もっている。3センチくらいだったけど、それが明け方に凍みついて、踏むとバリバリいう。え~、雪が積もるなんて聞いてないよ!とか怒ってもしょうがない。滑って転ぶといけないので、朝のウォーキングは中止。まあ、まだ3月の上旬だからね。
2018年3月10日(土)その2
午後1時30分からムラ教委主催の歴史講演会があって、女房と聞きに出掛ける。今回は例年と大きく趣向が違って、演題は「お嫁の実感」。講師は信州大学の土田先生という、いかにも若手で新進気鋭の研究者。民俗学のフィールドワークに基づく各地の「お嫁さん」の置かれた状況の今昔を、統計等のデータも使って話していただいた。郷土史家、地方史研究者とはまったく異なる視点や視野の広い調査は、専門家ならではと感心した。地域で歴史と文化に関わる私のような者は、むしろ絶えずこういう新しく広い視点や刺激を受け入れる努力を怠ってはいけないと痛感した。とても有意義であった。ただ、今日の午前中に村議会の立候補予定者を集めた討論会があり、村民の関心はそちらに集中していて、残念ながら、近年の歴史講演会の中では、聴衆の入りは最低だったみたい。ムラ生え抜きの人達にこそ聞いてもらいたい話だったのになあ。残念。

2018年3月9日(金)
職場でシェイクアウト訓練というのがあって、一斉放送を合図に地震を想定して事務机の下にもぐりこんだ。肝心の頭部がまだ外に出ていると言われ、さらに小さくなって入り込んだ。私もどちらかというと大男の部類なので、これはちょっと苦しかった。さらに昼近くになって、本社を爆破するという脅迫電話があったので注意という連絡。本社ではないけど、一応、施設の周りを巡回して点検した。なんか、いろんな意味で防災の一日だった。

2018年3月8日(木)
この半年、派遣で出ている職場の同僚にお子さんが生まれたという朗報。奥さんは実測要員として当てにしていたんだけど、ウレシい誤算。
2018年3月8日(木)その2
大相撲の3月の春場所、稀勢の里が初日から休場するという報道。そーだよなー。なんで先場所とか先々場所にそうしなかったのか?全然治りきっていないのに無理して出ては負けて途中休場を繰り返し、結果として力士生命を縮めてしまったようなもんだ。いくら本人の意思といっても、周囲で諭してあげる人はいなかったのか?まだまだ実力充分な力士なので、残念なことにならないように本人も回りも上手くやってほしい。

2018年3月6日(火)
午前中、少し仕事を抜けて、母のところに補聴器の電池を届ける。3日に行った時に、もう残りが1個しかないので、至急調達してほしいと言われていたものだ。一見すると、普通のボタン電池なんだが、ちょっと型番が違って、前回は文具店とかホームセンターにはなくて、補聴器も扱っている眼鏡屋で購入した。今回は我が家の近くのホームセンターにあることがわかったので良かった。平日の昼間だったので施設長さんが居られて、母の調子やその後のことについて短時間だったが相談できてよかった。

2018年3月5日(月)
午前中から夜半にかけてすごい吹きっ降り(ふきっぷり)。台風よりひどかった。まあ、雪でなくてよかったと言えばそうなんだけど。そんな中、アイダさんたちのチームは、月曜恒例の種子圧痕採取に来訪。女房は午前中、空港で清掃の仕事。ずぶ濡れになってしまったそうだ。

3月になったら急に寒さが緩んだ気がする。朝、明るくなるのも、ちょっと早くなった。もう少しで春だ。去年までとは違う立場で、この時季が堪能できる。なんか、とてもうれしい。(2018.3/4記)

2018年3月4日(日)
夕方近く、隣の常会で火事。ムラの緊急放送が入って、消防団員の太郎は大急ぎで出動した。一時は我が家からも煙が見え、集結する消防車のサイレンが轟きわたった。非常に強い南風が吹いており、類焼すればやだなと思ったが、火元は集落の北のはずれの畑中の倉庫で、なんとかそこだけで鎮火したそうだ。消防団は、明日の朝も6時に片付けで出動とのこと。ご苦労さま。

2018年3月3日(土)
ひな祭りだけど、娘のいない我が家には、はなっから縁がない。午前中9時ごろ母のところに顔を出して、その足で休出。午後3時過ぎまで実測をする。女房は今日から松本の美術館で草間弥生展が始まったので早速でかけ、やよいちゃん人形(正しくは「新・YAYOIちゃんプラッシュ」という。)を購入しようとしたら、もう売り切れで、展示は見ずに帰ってきたそうだ。こーいう客って美術館では困るだろうなあ。

2018年3月2日(金)
急に暖かくなった感じ。でも、職場ではインフルエンザがまた出て、二人休んでいる。今日は土器を15個描こうと思っていたが、午前中、歴文の文章点検を頼まれて2時間潰れ、目標まであと一歩だった。

2018年3月1日(木)
先日の報告会での休出の振替休みをもらって、ムラの役場へ申請書を出しに行く。ムラの霊園ができた時に1区画を買ったんだけど(正確には使用許可を取った)、以来、墓石を建立していない。最初は子供たちの進学などで資金がなく、その後もゆとりがなかった。一応、購入の5年後までに墓石を建てることになっていたが、1回、5年間の延長をしてもらっていて、それも3月の中旬に満期になる。今となっては慌てて造る理由もないし、母は95歳になるが元気で、こんなタイミングで墓石を造るのは却って縁起が悪いような気もする。相変わらずゆとりはない。で、再延長の申請をした。書類上は経済的な事とししか理由を書かなかった。そもそもお墓を持つということについても、近年、世間も私自身も、かなり揺れ動いている。
2018年3月1日(木)その2
役場に行ったついで?に教育委員会にも回って、3月18日の史談会の総会で借りるプロジェクターとスクリーンの申請をしてくる。こちらは、既に和田さんに押えてもらってあったので、書類上の手続きだけであった。

2018年2月28日(水)
チョウさんの後輩で早稲田のタカハシ先生が、お忍びで来訪。縄文後晩期の土器の指導をしていただく。そんなすごい先生が来たのに、みんな報告書の入稿日が迫っていたり年度末の繁忙で、誰も立ち会えないので、私がチョウさんの助手を務めて最初から最後まで立ち会った。私にとっては全然のジャンル違いで、飛び交う用語は、まるで暗号を聞いているようだった。先生は強行日程で、一人で自家用車を運転して日帰り。午前10時30分から午後3時まで、みっちり土器を見て、埼玉に帰られた。ありがとうございました。

2018年2月27日(火)
昨日痛めた背中が頻繁に痛い。日中に試掘現場を見てくれと頼まれたので出かけて、職場に戻りクルマをバックで入れようとして身体を捻ったら、ズキッときて、隣のクルマに危うくぶつけるところだった。どうも、その部分の筋というか筋肉が捻挫みたいな状態になっているんだろう。しばらくおとなしくしていなきゃいかんかねえ?
2018年2月27日(火)その2
午後一番に補佐から元町の試掘で遺構が出ているようなので見に行ってもらえないかと言われ、天気も良かったので?一人で出掛けてみた。奈良時代前半くらいの、おそらく竪穴住居が2カ所あたっていて、まあ試掘というくらいだから、今後に開発計画があるので、これからどう調整していくかが課題。私の今の立場はそこまでは踏み込めないので、学術的、技術的な支援やアドバイスに徹することになるのかな。

2018年2月26日(月)
職場で、積んである荷物の陰にある本棚から、不自然な体勢で手を伸ばして、吉田川西という重い本を取り出そうとしたら、右の背中の肩甲骨の内側あたりにズキッときて、それ以降、右手を大きく伸ばしたり、身体を捻ったりしようとすると、その部分にズキッと激痛が走る。そんなに不注意な動作だったとも思えないんだが、やっぱ歳とったんだね。

2018年2月25日(日)
日曜日だがウチの課が主催の報告会が街の中央公民館であって出勤。私の役は最後の講演だったので、10時40分台のバスで街に出て、直接会場に行った。出番は午後3時過ぎからだったが、とにかく与えられた1時間をきっちり守るように話した。やっぱスライドを作り過ぎていて、どの説明も中途半端になってしまった。準備をしている時は、あれもこれも話したい事がいっぱいあって、それでもかなり絞ったつもりだったが、まだまだ多かったということだ。終了後には面白かったという嬉しい感想も頂戴したが、自分では、まだ修行が足りない、もっと工夫をしなくては、と痛切に思った。

2018年2月24日(土)
昼食の時、舌を噛んでしまい、痛くていけない。若い頃のように欲張ってガンガン食べる癖が抜けないせいだけど、噛んだ部位が舌のかなり右奥だったので、どうすればこんなところを噛むのだろうと思うと、痛さにさらにイラつく。痛くて喉の奥まで痺れ、嚥下にも少し支障があって、明日の講演までに治るか心配。バカを地で行く。
2018年2月24日(土)その2
今年も庭のクロッカスが咲き始めた。先日のグレーチングの時には黄色のつぼみが4つほど出ていたが、それが咲いて、その脇には紫色のつぼみも出てきた。このクロッカスが咲き始めると、厳しい我が家の冬も終わりが近い。ああ、もうすぐ春だ。毎年、この花にどれほど励まされたことか。仕事を退いた今は、例年になく穏やかな気持ちで眺めていられる。とてもうれしい。

2018年2月22日(水)
昨日から2月議会が始まって、職場の補佐、係長連中は対応に忙しくなる。自分の昨年までのことを思いだすと、腰を据えてまとまった仕事なんてまるっきりできない時期のピークであったが、今は自分の課題に専念できてありがたい。溜まっている過去の課題に取り組む時間のなさと体力・気力のなさがジレンマとなり、さらなるストレスを呼び込んで、坂道を転げ落ちるようだった日々を、むしろ懐かしく思い出せるような気すらする今日この頃である。

2018年2月21日(火)
このところ報告会の資料作りで、事務所のデスクとノートパソコンを借りて仕事している。年度中途から非常勤で復帰した私は、事務室内にデスクが無くて作業所の方に常駐なんだけど、普段は電話とかお客とかが皆無で作業に集中できてありがたいが、やっぱり資料作りとなると職場の情報ネットワークに入らないと不便だ。職場にはここ数年で女性が倍増して、昔は男ばっかりだったこの業界も大きく変わり、事務所もなんとなく華やか。最近は自分の子供たちと同じ年齢の女子が何人も入ってきて、娘のいない私にとっては、異性を感じるというよりは保護者の父親になった気分になってしまう。やっぱ歳だね!?

2018年2月19日(月)
報告会のパワポデータの作成が煮詰まってきたので、休んで家で素材の編集作業をやる。2月は非常勤職員は調整月で、2~3日は調整休の取得が義務付けられている。今日の休みはそれを充てたけど、調整月だから仕事が減る訳ではないから(むしろ年度末をひかえて忙しいくらい)、まあ家で仕事するってことだ。でも、いいのかなあ?
2018年2月19日(月)その2
我が家の南側に黒川用水の支線が流れていて、幅50センチくらいあるU字溝になっている。道から庭に出入りするためグレーチングを架けたいんだが、特殊な規格らしくホームセンターなどにはぴったりするものがない。今までは、ちょっと固定に無理がある別規格のグレーチングを置いたり鉄板を渡したりしていたが、女房があれこれ調べて、丁度良さそうなものがあったので注文したものが今日届いた。さっそく設置してみたが、ぴったりはまってしごく調子がよさそう。ただ、「歩道用」との断り書きのとおり、クルマの出入りで常時負荷をかけるには少し厚みが足りない感じ。もう数枚購入して、既存の鉄板と上手に使い分けていくってところだね。

2018年2月18日(日)
昨日、休出できなかったので、今日の午前中に出て、データを作る。なんか事務室が暖房を入れても寒くて、集中できなかった。体調が落ちているのかな?夜は7時から常会。もう、夜の会合は遠慮したいんだけど、今日の議題は役員の切り替えなので、欠席裁判になっても嫌だし、無責任と思われるのも困るので、しっかり着込んで出席。まあ今回は、2年に一度の大きな改選の谷間の年だったので、そこそこ無難に決まって、7時50分くらいには帰宅できた。
2018年2月18日(日)その2
昨日、史談会の配り物が届いたので、早朝ウォーキングのコースを変更して、私の受け持ちの会員宅のポストに入れて歩いた。私の受け持ちは、私を含めて10人で、そのうち2人が我が家よりも上手、残りが下手にお宅がある。下手を一回りしてくるコースは距離的にも丁度良いんだけど、上手の1軒がかなり遠くて、いつもはズクをやんでクルマで行ってしまうんだけど、今日は歩いてみた。かなり寒いけど天気が良くて快適。帰り道は東山から昇った朝日が眩しくて、掌で庇を作りながら、とても気持ちの良いウォーキングができた。

2018年2月17日(土)
休出して、報告会の発表のパワポデータを作ろうと思っていたんだけど、何故か気力が出なくて、行かれなかった。いいのかなあ?
2018年2月17日(土)その2 夕方、史談会の会長さんと、3月の総会の打合せをした。我が家にわざわざお見えになったので、話は総会の打ち合わせだけじゃあないだろうなあ、と思っていたら、やはり次期役員の件で、私に四役の一人になってほしいとのこと。若造がしゃしゃり出るのはあんまり良くないし、私は研究者、編集者に専念したいんだけど、尊敬する太田義一先生や青沼先生が勤められた役だと言われ、断ることはできなかった。でも、仕事も非常勤で続けなければならないようだし、私の能力、体力で勤まるのだろうか?まあ、とにかく無理をしないでやってみるだけだ。

2018年2月16日(金)
明日から始まる展示会について、今日の午後3時からプレスに事前公開するので、各遺跡の担当者は立ち会ってほしいとの学芸員の意向を受けて、私も会場へ出向く。展示は問題なかったが、土偶がちょっと芸術的に飾ってあって、なかなか面白い。結局、プレスはラジオが1社来ただけで、それも無難に対応できた。でも、事前の取材に対して発掘の担当者まで全員揃えた学芸員ってのは、速報展始まって以来じゃあないかな?まあいいか。

2018年2月15日(木)
韓国で冬のオリンピックが始まって、このところ新聞もそうだが、特にテレビはオリンピック一色。公共放送を自負しているはずのNHKからして、番組編成はオリンピック中心。他にもっと重要なニュースがあるだろうが!それに、報道関係者の、アスリートや競技者OBのゲスト解説者などに対する配慮を欠く言動ばかりがとても気になる。「国威発揚」とか「国民の悲願」とかの、何か思った通りの型に嵌めないと気が済まないのか?ドラマを作らないと絵にならないのかね。頑張っているアスリートは、それはそれでいいし、競技、演技を楽しんで見ている人たちだってそれでいい。それを、「さあ、感動しろ!これでもか、これでもか!」って強調するばかりの報道って何だい!?もっと冷静に端的に伝えるというのも報道の役目じゃあないのかなあ。「オリンピックは何の種目が楽しみですか?」って聞かれ、「オリンピックで騒ぐことには、全然、興味ありません」って本音を答えて、変人と思われてしまうのも、私個人は構わないんだけど、業界の人みんながそうだと思われるのは、決して得策じゃあないと、愛想顔で「●●ですかね。」なんて言っている自分も、かなり情けない。

2018年2月14日(水)
小鼻の腫れはだいぶ良くなったが、大きなカサブタが残ってみっともないことこの上もない。第二水曜日なので、夕方6時30分から、地元のラジオ局で出演。スタジオに入る寸前に、オリンピックの男子ノルディック複合をテレビでライブ中継していて、日本の選手がトップを争っていたので、見ていてドキドキしてしまった。

2018年2月13日(火)
出勤したんだけど、右目がだるくて、右の小鼻の腫れが引かない。定時まで勤めて、とっとと帰っておとなしく寝た。夜7時から史談会の地区幹事会だったけど、欠席してしまった。

2018年2月12日(月)
振替休日で休みだけど、終日、発掘報告会の資料を作る。過去の調査地点をデジタルで地図上に落とす作業がおもしろくなって、でも、眼を使い過ぎるとまた顔面神経痛が出るので、きちんと休憩を取りながらやったんだけど、やっぱ夜になると調子が悪い。右の小鼻の治ったと思った腫れが再発してきた。

2018年2月11日(日)
お手伝い2人を連れて整理作業。懸案だった溝出土の土器で図化可能品のピックアップを終える。けっこうきつい作業となった。

2018年2月10日(土)
平出博物館で原明芳さんが自身の考古学履歴について講演。女房と聴講に行く。これまでに執筆した著作の一覧をまとめてあって、まるで桐原先生の『自著自註』みたいだと女房に言っていたら、退職の挨拶に桐原先生を訪ね、著作目録をぜひ作れと指示された成果とのお話であった。私は、原さんのように実のある著作はあんまりないけど、報告書の考察とか、史談会の会報とか、なにか雑文みたいなのはあちこちに書き散らしている。一度、きちんとまとめておかないと、いつ、何を書いたか忘れてしまいそう。自著を忘れて無責任なことを言ってしまいそうなので、これは一種の義務かもね。

2018年2月8日(木)
所用の手土産を買いに、夕方、帰宅途上で自宅近くの大規模店に寄る。店の中央のモールではチョコレートの特設売り場が賑わっており、ああ、そういう時季だったなあ、などと思う。最近は、本命は勿論、義理チョコも貰うことがなくなって、お返しとかに気を使う煩わしさから、すっかり解放されている。経済を回すという観点からは眉をしかめられるんだろうが、個人的にはとても気楽。

2018年2月6日(火)
今年度末までに報告書を刊行する遺跡の担当者に頼まれて、土器と遺構の時期を見る。若い担当者なので、いろいろと教えながら見ていたら、結局、一日がかりとなってしまい、自分の土器の実測が全然できなかった。はあ~。

2018年2月5日(月)
午前中、時間休みを取ってナミエ伯母にお線香をあげに行く。1月27日に亡くなって、同月の30日に親族だけで葬儀を済ませたというお悔み情報が、31日の新聞に載っていたので、遠からず行って来なければと思っていた件だ。伯母といっても、母が親戚付き合い上で妹になっていたという関係なので、わたしも子供の頃は何度か日ノ出町に泊まりに行ったが、中学生になって以来、とんとご無沙汰で、母が耄碌してからは連絡も取っていなかった。突然の訪問だったが、ケイコさんが居て、亡くなった時の話など聞くことができた。102歳。すごい。これで、親戚の伯父伯母世代はみんな亡くなり、母が残るだけとなった。

2018年2月4日(日)
午前中、母のところに顔を出す。外出着みたいな恰好をしていたので、どこかへ行くのか聞いたら、これからお誕生日会に出るところ、と言っていた。施設長さんがいて、母の眼医者、薬の話などの相談ができて良かった。いつも、いろいろとお世話になってありがたい。
2018年2月4日(日)その2
小鼻の腫れは何とか治ったが、でっかいカサブタが残って、みっともないことこの上もない。明日から、この顔で出勤しなくてはいけない。

今年の冬は寒い。1月下旬、我が家の辺りでは連日、氷点下15度以下を記録した。子供の頃はそんなのザラだったけど、ここ2~30年は徐々に寒さが緩んでいたので、かなりこたえる。それとも私がひったるんでいるだけか?(2018.2/4記)

2018年2月3日(土)
節分で、夕食の前に家に居る家族全員で豆まきをした。私が豆をまいて、太郎がスリコギを持ってごもっとも。女房と三郎が戸や窓の開け閉めをした。

2018年2月1日(木)
昨日に続き仕事は休み。まあ、2月は17日勤務で調整休を取らなければいけないので、それを充てよう。鼻の調子が少し良かったので、史談会総会の記念講演の講師プロフィールを作って、昼に会長のところに届ける。その後、買い物に回っていたら、どんどん雪が降ってきた。また雪かよ!夕方、風呂に入ったら、小鼻の腫れが少し悪化してしまい、少し痛い。

2018年1月31日(水)
顔面神経痛の前触れがあったので仕事は休み。だけど、ちょっと手遅れだったのか、右の小鼻の腫れはどんどんひどくなって、赤く膨らんでみっともない。とにかく休息して、顔面神経麻痺が治まり、自然治癒力が回復するのを待つしかない。

2018年1月30日(火)
右の小鼻の内外が少し腫れっぽい。冬は鼻水が恒常的に出て、何かの拍子に鼻の中を傷つけるとしっかりと治らず、じくじくと出血したりするのは毎度だが、今回はその傷が原因で腫れてきた。過去に何度かあった症例で、顔面神経痛(三叉神経痛)が出る時に、出た側の顔や歯ぐきの傷が必ず化膿したり腫れる。素人判断だけど、神経が麻痺することによって、その神経の支配下にある顔面、鼻腔、口腔などの免疫力、自然治癒力が極端に低下するんじゃないかと思う。顔面神経痛の原因は眼の使い過ぎ。仕事では朝から晩まで土器の実測をやっていて、家に帰ると、夜や土日も細かい全体図のデジタルトレースをやっている。いくら好きな仕事で面白いからといっても、やっぱ眼を酷使したんだろうなあ。これも発症の前触れがあって、だいたい痛む方の側の眼球の裏側にだるさが溜まって、やがて痛みに変わると半顔全体に痺れが広がる。そうなると一週間近く寝込むので、眼の裏にだるさを感じたらすぐに休むことにしている。今回はまるでその典型的な事例なので、明日から休みを取って、とにかく細かい仕事をしないことにした。

2018年1月29日(月)
午前中、博物館に行って館長や前館長と打ち合わせや今後の展望を相談する。その足で本課にも回って、課長と今後のことについて相談。本社の駐車場が有料になってから初めて使った。職場に戻ると11時30分過ぎだった。整理作業所では毎週恒例のアイダさんの一行が来て種子圧痕の調査。

2018年1月28日(日)
大相撲の初場所は千秋楽。贔屓の御嶽海は最終的に8勝7敗で終わった。7連勝のあと5連敗してしまったが、今場所の一人横綱の鶴竜に勝って、13日目に勝ち越しを決め、よし!って感じにもなったが、やっぱり、その後2日間の大関戦は勝てなかった。優勝は平幕の栃ノ心で14勝1敗。見事なものだ。女房と太郎が贔屓の稀勢の里は4敗して6日目から休場。このところ不完全だが出場しては負けが続いて途中休場する場所が続いている。2~3場所、しっかり休んで体調を治して再起をかける、という選択肢はないのかなあ?
2018年1月28日(日)その2
このところ冷え込みが厳しくて、昨日と今日はウチの地区では早朝の最低気温が氷点下17度台を連日で記録した。昨日の朝はあんまり寒いのでウォーキングに出る気力が湧かなかった。今朝は出るには出たが、手足の指先が霜焼けになりそうで、いつもの半分の距離で終わらせてしまった。田畑に先日の雪が融け残っているので、余計に寒い。

2018年1月27日(土)
午前中、母のところに顔を出す。頼まれていたサンダルとカレンダーを届けた。私の職場で先週からインフルエンザが発生していて、私もキャリアーになっているといけないので早々に帰る。施設長さんに会ったら、介護タクシーのことなど相談したかったけど、どうも土曜日は御不在が多いようだ。さてどうするかね?

2018年1月26日(金)
今週の月・火の大雪以降、こんどは低温が続いている。朝夕の凍み込みが半端じゃない。昼に日射があるので、積もった雪が融けているのはありがたいんだけど、我が家の辺りでは昨日、今日と氷点下15度に近く冷え込んだ。

2018年1月25日(木)
大相撲の初場所真っ最中で、郷土力士の御嶽海は初日から7連勝。これは行けるぞ!と喜んでいたら、八日目、九日目に、逸ノ城、栃ノ心という大型力士にがっちり捕まって、なすすべもなく敗れた。特に栃ノ心との対戦では、赤子のように「ヨイショ」とばかりに吊り出されてしまい、傍で見ている私たちから言っても、あまりにも気の毒な負け方で、本人にとっては凄い屈辱だったに違いない。そのせいか、すっかり調子、攻めのバランスを崩した感じで、ズルズルと5連敗してしまった。あと1勝で勝ち越しなんだけど、何とか踏ん張ってほしい。そして、来場所はこの屈辱を糧に、大型力士対策をしっかり考え抜いて来てほしい。

2018年1月24日(水)
今度の南岸低気圧による大雪は、ここら辺では心配したほどではなかったけど、東京では大騒ぎになった。都心で20㎝近く積もって、首都高などではスリップや事故が原因の大渋滞や不通が発生して大混乱になっている。テレビで映される雪景色の皇居や東京駅は絵になっているけど、やっぱ雪に弱い都市だね。すべてが順調という条件下で、ぎりぎりのところを動いて回しているから、ちょっとでも条件が悪化すると、どこか一カ所で崩れたバランスが、あっという間に全体を巻き込む。少し、ゆとりというか、ハンドルの遊びのような、一見、無駄に見えるけど、実は重要で不可欠な余裕が、個々人とかではなく社会のシステムとして必要だね。

2018年1月23日(火)
天気予報で脅かされたほどの大雪にはならなかったが、しっかり積もったので早朝から起き出して家の周りの雪をかく。気温が低いのでさらさらした軽い雪で、雪かきよりは腰の強い箒が活躍した。現役の頃は、雪で交通状況が悪くても、とにかく職場に辿り着かなければいけないという責任感や職場の雪かきの手配などの義務感で押し潰されて、自分の家のことは二の次だったが、今の立場だと、まず自宅のことに取り組める。そう思うと、大変な雪かきも何かウレシイ。

2018年1月22日(月)
1月に入ってから土日の休出が続いたので、今日は休みをもらって、ゆっくり。と言う訳にはいかず、家で持ち帰ったデジタルでの全体図作りを終日、行う。午後から降雪。天気予報では、南岸低気圧が通って、関東甲信越は今夜から明日にかけて大雪との予報。明日も休んで家で持ち帰ったデジタルの作業をすることにした。

2018年1月21日(日)
日曜日で休日なんだけど、お手伝いを二人連れて休出。土器の整理と時期決定をやる。なんとか今回で目途がついた。

2018年1月20日(土)
隣りの市の博物館で考古雑談という講演をやった。午後1時30分からで、自分の発掘現場担当史みたいなのを1時間20分弱、スライドをまじえて話した。スライドは資料ではなく、現場の風景写真ばかりだったので、どんどん流せばいいと思って70枚近く用意したんだけど、やっぱりそれぞれのシーンの解説につい力が入ってしまい、数が多すぎて、かえって中身が薄くなってしまうという典型的な例になってしまった。お客さんは満席に少し足りないくらいで、話しやすかった。

2018年1月19日(金)
このところ、夕方、日が暮れて暗くなるのがずいぶん遅くなってきた。夜明けの方はまだ微妙に早くなった程度だが、確実に春に向っていると思うと、なんだか嬉しい。
2018年1月19日(金)その2
ここ3日くらい職場の向かいの田んぼに重機が入って掘り返している。深い所からは滞水して青黒くなったような泥が掘り出されているから、排水関連の工事のようだ。ここら辺の一帯は、もともと掘ると水がしみ出して来る土地で、以前は湿地性の小さな水田で、伝統的な水路なんかで排水していたのを、30年くらい前にほ場整備で大きな区画の整然とした水田にした。当時の設計や工事では、地下の土質とか水脈とかはほとんど考慮に入れてなかったんだろうね。行き場を失った地下の水がこの田んぼの下に溜まって、青黒い泥が形成されたんだろう。今の工事の様子を眺めながら、30年前のことをぼんやりと思い出している。

2018年1月18日(木)
夕方、直属の上司の課長補佐がインフルエンザ陽性という連絡がある。2・3日前から熱があるなんて言っていたなあ。まずい。今日なんかみんなで額を寄せてしっかり打合せをしてしまったし、こりゃあ確実に伝染っているぞ。土曜日には人前で話をしなきゃならないし、発症して寝込んだらどうしようか。

2018年1月17日(水)
夕方6時30分から地域のラジオ局に行って出演。今回の話題の前半は縄文土器160点を一挙に県宝指定についてで、それについて事前に私が住むムラでも対象があるのか、担当者に聞こうとして職場に電話したら、なんとインフルエンザで寝込んでいるという。おお!いよいよ、そういうシーズンか、と実感。案件の方は、鬼のように、枕元まで電話して聞いてしまった。

2018年1月15日(月)
月曜恒例で、アイダさんが種子圧痕の調査で職場に来たが、今日は協力者の皆さんと5人で来られた。アイダさんは、こういう一般の市民を巻き込んだ団体というか集団づくり、仲間づくりが得意で、昔も岡谷で土師の会といって土器の復元などもやっていた。熱意と人徳のたまものなんだろうね。毎回、ただただ感心するばかり。

2018年1月14日(日)
1月20日に平出博物館で話をするので、その時のスライドを作る。それから今週の水曜日のラジオ出演の参考資料を整えた。午後に年賀状の当選番号が発表になったので、早速照らし合わせをしたら4枚末等が当たっていた。約200枚くらい来たので、まあ確率通りだね。大相撲は初場所の初日。暴行問題とか貴乃花親方とかいろいろと報道があったけど、そんなこと全然興味なくて、とにかく本場所が一番。郷土力士の御嶽海は無難に一勝。ところが女房と太郎が贔屓の稀勢の里は初日から黒星。大丈夫かや?もっとしっかり休んでケガを完治させないといけないんじゃあないのかなあ。

2018年1月13日(土)
お手伝いの二人を連れて休出。土器の整理をやる。あともう少し。

2018年1月12日(金)
このところ寒い。寒波が来ていて、北陸や新潟では記録的な大雪になっている。ウチのあたりは、こういう時は雪が降らなくて、とにかく冷え込む。稀に、西山に沿って雪雲が回り込んできて降ったりするが、決して大雪にはならない。朝夕、地獄のように冷えて、日中は日射はあるのだが刺すように冷たい風が吹き付ける。

2018年1月10日(水)
県歴の前課長の原さんに職場に来てもらって墨書を中心に指導を受ける。さすがに専門家は詳しくてとても参考になった。古代でも奈良平安時代以降になると文字が残っているので、文献史学の研究成果を理解していなければ物が言えないのだが、私には地域の発掘や踏査の成果を積み上げて類型として把握していく程度のことしかできそうにない。

2018年1月9日(火)
連休明けで出勤しなければいけないのだが、昨日の腹痛が治らず休んでしまう。3日とか6日の世間が休んでいる日に仕事に行って、出勤日に休むという本末転倒を演じてしまった。ちょっと暮れからこっち、仕事が面白くて飛ばし過ぎたかも。好きなことも苦手なことも、とにかくほどほどに。(でも、そんな人生、何が面白いんだ!)

2018年1月8日(月)
成人の日で世間は休み。私は休出して遺物の実測をしようと思っていたのだが、早朝から腹の調子が悪くて腹痛と下痢。諦めて家でできるデジタルの作業をする。とはいっても、終日、じわじわとした腹痛に苦しんだ。

2018年1月7日(日)
夕方から三九郎で、朝、子供たちが松を集めるというので、早朝のウォーキングから戻って門松と注連縄を外す。終日、家居で報告書の調査区の全体図を作る。1・2次調査と4次調査以降が20年以上ブランクがあるので、測図の精度や基準点が合わずになかなか繋がらず、苦労をする。夕方からは三九郎で、昼に女房が用意してくれたダンゴを柳の枝に刺したのを持って、いつもの田んぼに行く。今年は小学生は4人で皆男子。元気に飛び回っていて、ウチの子供たちが小学生だった頃を思い出した。5時すこし過ぎに点火して、大小二つのやぐらは勢い良く燃え上がった。風も雪もない穏やかな天気で、今年一年の息災を祈る。
2018年1月7日(日)その2
太郎は明日がムラの消防団の出初式で、今日は午後1時から練習があると言って出掛けたが、1時間ほどで帰宅した。昨日、今日とあちこちの市町村で消防団の出初式の記事が新聞やテレビに出る。皆、日頃からご苦労様である。

2018年1月6日(土)
今日から三連休。だけど休出して土器の墨書探しと時期鑑定。お手伝いの二人と午後までみっちりやって、あと1~2日で終わりそう。まあ、出土品の整理とか報告書の作成作業とかは、毎度こんなもんだ。今の専念できる立場はありがたいし嬉しい。

2018年1月4日(木)
正式な仕事始めの日。でも、今日明日出ると三連休なので、休みのところも多いようで、世間は至って静かだった。職場の朝会の冒頭の補佐の挨拶は、通常と同じ「おはようございます」で始まってしまい、続いて挨拶した主幹があらためて「明けましておめでとうございます」と仕切った。補佐は仕事やなにやらですっかり心のゆとりを失っていて、おめでとう、どころではないのだろう。本当に気の毒で、仕事を押し付けてしまった私にも責任の一端があると思うと胸が痛む。
2018年1月4日(木)その2
次郎と同級だった近所のお嬢さんが、東京でお笑い芸人をやっていると聞いてはいたが、購読新聞にただで入ってくるタウン情報という地方紙に、大きくページ全面扱いで、相方と二人でのインタビューや記事などの特集が掲載されていてびっくり。どの道でも究めるのは大変だろうが、頑張ってほしい。そのうち凱旋公演とかあったら面白いね。

2018年1月3日(水)
三が日の内なのに、土器整理の関係で整理作業所で仕事。とにかく早急に済ましておきたい作業が多くて、正月気分を味わってもいられない。お手伝いの二人には申し訳なかったが、やればやっただけの成果が残るので、やりがいがある。次郎は明日から仕事なので、午後、東京へ帰った。

新年を迎えた。近年にない穏やかな天候で、見事な初日の出を拝むことができた。心身の平穏に留意しつつも、人生の課題を着実にこなしていく日々をひたすら願った。(2018.1/1記)

2018年1月1日(月)
昨夜の11時40分頃、一家で起き出して地区の産土様へ二年参り。凍みついてはいるが雪も凍結路もない平穏な新年。帰宅して、いったん寝て、朝7時前に起き出して初日の出を見る。こちらは、子供たちは起きられなくて、私と女房の二人だった。晴れて風もなく、近年ではとりわけ見事な日の出を見ることができた。朝食の前に、一家揃って、神棚の前で本年一年の息災をお願いする。朝10時からは常会の新年会。常会の行事は、掃除なんかは、もう子供に行ってもらうんだけど、やっぱ年頭の挨拶は当主が行かなきゃと私が出席。たくさん飲むわけではないけど、昼酒は効く。11時に帰宅して一休みして起きたら年賀状が届いていて、こちらからまだ出していなかった3通を慌てて書いて、合わせて女房に出してもらった。