|
2017年12月31日(日) 午前中に女房と次郎と3人で御年越しの食材の買い出し。ウチの辺りは年越し魚はブリを食べるんだけど、年末になると突然、鮮魚類が高値になる。まあ、今年もそこそこであげた。夕方、我が家の神棚に火を灯して、歳神様に一年間の平安を家族全員で感謝。私にとっていろいろあった年だったが、無事に平穏に暮れた、と言って良いでしょう。
2017年12月30日(土) 午前中、年末の挨拶と思い、母のところに顔を出す。丁度、ヘルパーさんにお風呂に入れてもらいに行くところで、甘いパンを買ってきて、それから部屋で待っていてほしいと言われ、そのようにした。耳が遠くてよく聞こえないのか、案外聞こえているのか、よくわからない。素っ頓狂なことを言ったり、そうかと思えば、先ほど私が言ったことを、しばらくしてから反復して言い、それについての意見や要望をきちんと言う。2月には95歳になるが、そこそこ元気だ。家に帰ると、子供たちが門松と注連縄を玄関に飾ってくれてあった。
2017年12月29日(金) 今日から年末年始休み。朝は今シーズン一番の凍みで、我が家の辺りは氷点下10.5度を記録した。私は玄関周りの大掃除。電灯の周囲や軒の裏など蜘蛛の巣やほこりがひどかったが、すす払いの箒で徹底的に落とした。子供たちには松と注連縄、ゴボウ締めなどを買ってきてもらった。
2017年12月29日(金)その2 このところ、左足の中指の先に時折、痛みを感じる。どうやら霜焼けになったようで、でもそんなに寒い思いはしていないんだが、どうやら身体の末端の血液の循環が悪くなっている感じだ。確かに、左足だけではなく、両手の指先も冷えるとなかなか温まらない。年齢のせいなのか、栄養バランスのせいなのか、運動などの不足か、それともライフスタイルの無自覚な歪みか?
2017年12月28日(木) 官公庁と同じで、職場も御用納め。午前中は課長が来て挨拶。午後は教育長先生が来られてご挨拶を頂いた。熊本へ派遣になっていた彼も一時帰省して、夕方、顔を出した。元気そうで何より。昼頃、次郎が帰省。
2017年12月27日(水) 昨日あたりから右手の手首から肘にかけての筋(すじ)、筋肉がだるくて痛い。昔、大学時代に教職でピアノを猛練習をした時と同じ症状みたいな気がして、腱鞘炎ではないかと思い、女房に湿布を貼ってもらった。腱鞘炎になるような事、なんかしたっけか?と思ってみたら、このところ、土器の実測をやっていて、坏や椀類だもんで1日に15個ぐらいのペースでどんどん描けて、調子づいていた。ちょっと飛ばし過ぎたか?でも、実測やって腱鞘炎なんて、聞いたことないなあ。湿布が効いたのか、午後くらいには痛みが治まったので、恐る恐る実測を再開してみた。全然痛くなくて、やっぱ原因は別だろうなあ…。日曜日の年賀状書きの影響が今頃になってでたのかなあ?あの住所のハンコ押しかなあ?
2017年12月25日(月) いま整理中の遺跡の墨書が、予想していたよりもとんでもなく良くて、整理期間にも限りがあるし、土器は全体の2~3割程度を載せられれば良いか、などと諦めていたけど、どーもそういう訳にはいかないようで、ここ連日、せっぺせっぺと自分で実測している。土器の実測は若い頃、さんざやったので、調子が出てくると面白くて没頭してしまう。今はそれができる境遇になったことが嬉しい。でも、無邪気に嬉しがっていて良いのかなあ?太郎は消防の年末警戒で夜出掛けて、日付が変わる頃帰宅。
2017年12月24日(日) 家に籠って、終日、年賀状の宛名書き。170枚ほど書いて、住所のハンコもペタペタと押した。年に一回だけどけっこうな仕事量で、自動化してしまえば楽になるんだろうけど、まあ、こだわりって奴ですね。
2017年12月23日(土) 休日だけど、土器を広げて時期の鑑定や墨書、実測対象の抜き出しなどの作業を、午後までみっちりやる。お手伝い2名。手際よくできたけど、量が多くて、もう2日ほどかかりそうだ。家では太郎が恒例のケーキを手作りしてくれて、夜は、一日早いけど皆で乾杯。ウ~ン、ケーキは腹に溜まってもたれるね。
2017年12月22日(金) 職場の整理棟の大掃除。普段やらない、窓とかブラインドや蛍光灯(失礼、LEDでした!)、土器収蔵の棚の上とかを拭き掃除した。自宅の掃除も丁度にやらない無精の私も、慣れない窓拭きなどをやった。ちょっと暖かくて年末の掃除日和、うっすらと汗をかいた。
2017年12月21日(木) このところ、朝の冷え込みが厳しい。露天に停めている自家用車のフロントの霜を融かすのに、しっかり暖気が必要になった。ウ~ン、軽だとはいっても燃料代がばかにならんね。でも、夜明け前の冷え込んだ空は素晴らしい。僅かに浮かび上がる東山の稜線と、消えゆく星々。この季節をもっと堪能しなくては。担当している遺跡の報告は、予想していた以上に墨書の量と内容が豊富で、急きょ、追加実測。
2017年12月20日(水) 非常勤の私にも、一応、いわゆる賞与、期末勤勉手当が出た。中途採用なので当然満額ではなく、3割程度の支給だったけど、まあ、もらえるだけで有難い。職場で、体調を崩して先月から療休に入っていた人が来週から復帰するという話もあった。これに関しては、私にはもう権限もないし責任もとれない立場なので何も言うまい。ただ本人の回復を祈るばかり。
2017年12月19日(火) 10月から非常勤で勤めている職場の館の親睦会で忘年会。夕方6時から、職場の2階の広間で夕食会形式、アルコール抜きで、ゲームなど挟みながら楽しくやった。幹事の女性職員たちが上手に仕切ってくれて、大いに盛り上がり、私はトナカイの帽子をもらってご機嫌で帰宅した。みんな遠方から自動車通勤しているので、いったん帰って、街へ出直して飲むという従前からのやりかたは時間も手間も喰ってしまうし、女性職員が半数を超えた今では、酒はあんまり嬉しくないのかもしれない。とても良い企画だったと感心した。
2017年12月17日(日) 来月、自分の考古学履歴などを人前で話すの頼まれている。私の場合はただひたすらに発掘ばかりやっていたので、発掘履歴を話そうと思い、20代から30代の発掘全盛期の記録をひっくり返して調べた。午後4時間みっちりやって、まだ昭和が終わらない。
2017年12月16日(土) 午後3時から、入山辺の公民館で信大の地質の先生の講演があって、女房と聴講してきた。以前から女房はその先生のファンで、毎年、巡検に参加していたりで、今回も会場が入山辺と遠いので送迎だけのつもりだったんだけど、講演の内容が地形と山城の関係だったので、面白そうだと思って私も参加した。講演は、予想したよりもさらに面白くて、特に、いつも気になっていた地域のいくつかの地形の生成について、とても参考になる話を聞くことができた。何かの機会に、個人的に直接お話を聞きたいなあ。会場では、何人かの懐かしい顔、ご無沙汰しているメンバーなどに会うことができて、それも嬉しかった。ただ、帰途はすっかり暗くなってしまい、運転し慣れない道だったので怖かった。
2017年12月15日(金) 昨日と今日、女房と一泊で浅間温泉の温泉旅館に行ってきた。先日、女房が古い建物巡りに参加して気に入った旅館に宿を取って、周辺の建物とか史跡も見てきた。我が家からそう遠くない温泉地ではあるが、今まであまり行ったことが無くて、あらためて歴史の古さや地形や立地などの特徴を実感した。宿は、若干の改修はあるが古い建物で、温泉は源泉掛け流し。部屋や廊下の配置、建具など、面白いものばかり。その代り、快適装備は皆無で、廊下も部屋も寒くて炬燵から出られなかったし(コタツが活躍!「♪寒けりゃコタツがあるだんね。」)、平日だったので貸切状態で、仲居さんとかも居なくて、宿のご主人が一人ですべてやってくれた。10月に行った小谷温泉といい、このスタイル、スタンスがすっかり気に入ってしまった。次はどこに行こうかとワクワクする。この気楽さ、能天気さは、やっぱ正職を退いたからだろうね。
2017年12月13日(水) 夕方6時30分から地域のFMラジオに出演。毎月、第一水曜日の恒例で、今回からは遺跡関連の指定文化財についての話を始めた。その中で、国指定重文の考古資料は松本にはなくて、偶然出土した磬という仏具が1点だけ工芸品・金工品として指定されているという話をしたが、あとで、戦前に発見されてほどなく東京の国立博物館に収まってしまった蝶形磬と鰐口も重文だったことを思い出した。まあ、ずっと地元になくて、なかなか見ることもできないし、地域の人は知らないものではあるんだけど、次回に触れなきゃいけないね。放送局も年末進行で普段より人が多くて忙しそうだった。帰宅すると、我が家の周辺だけ雪があって、所々がアイスバーンになっていた。
2017年12月12日(火) 昨夜、舞う程度に降った雪だったが、ムラ中の道は融けて凍った黒光りがするアイスバーン。通勤途上で、広い県道に出たのでちょっとアクセルを踏み込んだとたん、後輪が空転して尻を振った。おおっ、そうだ!今度のクルマはFRだった!懐かしい、この滑り方。そんなことを思いながら4WDに切り替えて、少しゆっくり運転した。神林まで行くと、路面はまったく問題なし。寿や中山は、水溜りができるほど塩カルが撒いてあった。冬が来たんだという実感。
2017年12月11日(月) 毎週月曜日恒例で、アイダさんが職場に来て土器の種子圧痕の調査。今日はお二人で来られ、巻貝の跡とか「ミズキ」の種子の圧痕を双眼実態顕微鏡で見せていただいた。自然にはいたって無知な私は「ミズキ」なんて樹があるんですね、と聞いてしまったら、ヤマボウシみたいな樹だそうだ。ヤマボウシなら我が家の庭にも植えてある。ムラに転入して間もないころ、青沼先生から苗木を頂いたものだ。今では我が家のヤマボウシは径20センチ近くまで成長した。この業界に居るには、やっぱもっと自然を知らないとだめだ。なんか、いろいろと考えることもあった。
2017年12月10日(日) 暖かい南風が吹いて、昨日の雪はあらかたが融けた。でも、家の北側などでは融け残って根雪になるかもね。あ~あ、庭のおろした枝、片付け残しちゃった。細々とやっていた年賀状の印刷、やっと170枚できたが、喪中ハガキを整理して予定リストを作ると、やっぱ200枚くらいは必要だ。
2017年12月9日(土) 昨夜の雪はたいして積もらなかったけど、今朝はギンギンに凍みて、雪はそのまま凍りついた。家の前の道路を走るクルマはその雪を踏んで、バリバリ、ジリジリと異音を発していた。悪条件の中で早朝ウォーキングに出たり外出して、転んでもいけないので、終日家居。持ち帰った仕事をする。
2017年12月8日(金) 腹の具合も何とか治まったので出勤したが、やっぱ風邪で咳が出て、家に居るようにすぐトイレにも行けないので、半日で帰って、家で仕事をした。午後は雪が降ったりやんだりの天気。太郎は午後、ムラの健康スクリーニング。
2017年12月7日(木) 結局、腹に来る風邪で、昨日と今日休んで家で安静にしていた。この腹に来る奴は始末が悪くて、腸の動きが止まって便秘気味になり、そうかと思うと急に過敏になって下り気味になる。その都度、きりきりと痛いので、仕事なんかは集中できないし、ひっきりなしにガスが出るので周囲には迷惑をかける。家で一人で寝ているしかない。
2017年12月5日(火) 職場で風邪をひいた人が出始めて、忙しいのに気の毒だなあ、などと思っていたら、夕方の4時頃から腹がシクシクと痛み出して少し熱っぽい。まずい。私も風邪か。定時で帰って寝た。
2017年12月4日(月) 朝、5時40分くらいに日課のウォーキングに出たら、西の空に傾きかけた満月が煌々と照ってとても明るい。足元がしっかり見えるくらい異常に明るくて、同じ満月でもなんか違うなあ、と思いながら歩いた。後で新聞などで見たら、スーパームーンといって、一年で月が最も地球に接近した時の満月だそうだ。どうりで、というか、やっぱ異常に明るかったのはとても変な感じで、この時間帯に普段は真っ暗な田舎道をうろついている者だけが見ることができた、まあ、一種の絶景だったんでしょうね。
2017年12月3日(日) 午前中から昼過ぎくらいまで、昨日の続きで伐った庭木の片づけ。その後、持ち帰った仕事を家でやりながら、年賀状の印刷。とにかく1枚ずつの印刷なので手間がかかる。例年200枚弱が必要になるので、まあ、最初は150枚くらい刷って様子を見るだな。
2017年12月2日(土) 午前中、母のところに顔を出す。施設長さんが居られたら相談したいこともあったんだけど、御不在のようだったので、また次回にしよう。午後は先日伐った庭木の片付け。それに、新年の年賀状の図案ができたので印刷にかかったのだけど、このところ、我が家のプリンター、厚紙を刷ると数枚に1枚は吸い込み不良を起こして無駄にしてしまう。連続印刷の2枚目以降で問題が生じるので、一時は買い替えも考えたけど、諦めて1枚ずつ刷ることにした。で、庭木の片づけの合間に、1枚刷り終わった頃合を見ては縁側から上がって、二階のパソコンで印刷指示を出す、ということを繰り返した。いやあ、いい運動になりましたわ。
10月から勤めに出るようになったら、家のことがちっともできない。おろした枝の片づけとか、倉庫の整理とか。勤めに出るってことは、まあ、そういうことだ。(12/2記)
2017年12月1日(金) 11月に入って年賀欠礼のハガキが続々と来始め、「ああ、そういう時期だなあ。」と思っていたら月末までで13枚になった。ほとんどが昔からの友人や学界の仲間、関係者で、私もあらためて親の老いを実感した。中に一通、恩師からのハガキはご子息の喪中だった。52歳、なんと痛々しい。子を持つ親として、これほど辛いことはない。あの、陽気で気さくで元気な先生のお顔を思い出すと、ただただ言葉を失う。女房はムラ教委の事業で上田のお寺見学に朝から出かけてしまった。
2017年11月29日(水) 午前中、休みをもらって、かかりつけのお医者さんに行く。具合が悪いのではなく、月一の痛風のクスリを処方してもらうためである。一時期、運動不足と仕事のストレスでどんどん太り、高血圧、高脂血症、それに痛風を併発して、薬漬け。しかも頻繁に下痢をしたり、物が二重に見えたり、腰痛や顔面神経痛にも苦しんだ。「痩せればほとんどは解決するんですがね。」と言われて、食習慣を改めたり、朝のウォーキングをしたり、最後は仕事も辞めたりして、薬は痛風のだけになった。もう少し痩せて、それともおさらばしたいのだが、こちらはそう簡単にはいかないのかもね。
2017年11月27日(月) このところ、毎週月曜日には職場にアイダさんの来訪がある。残念ながら私たちに用があるのではなく、土器の種子圧痕の調査、縄文土器に用があるのだ。技術の進歩とはすごいもので、ここ数年、縄文土器や弥生土器に当時のコメやマメやエゴマなどの種子圧痕が残っていて、それをクリアーに再現、調査できるようになった。以来、原始時代の食糧採取、食糧生産に対して様々なアプローチがなされている。接合も復元も図化もできず、捨てることもできない土器の破片も日の目を見た。きちんと文化財として、その必要性、重要性が再認識された。私のような立場でも、それがうれしい。
2017年11月26日(日) 午前中、女房と自宅の庭木の手入れ。女房は南側の生垣になっているミネゾの枝おろしを行い、見事にさっぱりした。私は隣地の畑の上空まで伸びてきた合歓や百日紅を高枝伐りで手入れし、庭の中の柳も北半分の太い枝をバッサリやった。高枝伐りの大型の奴は、それだけでも重いのに、それを上半身で支えるもんだから、普段使わない筋肉を使って、とても疲れた。午後4時に洗馬の熊谷さん宅を尋ね、埋文パトロールの打ち出しとデータを渡す。上り込んでお茶を御馳走になってしまった。金曜日から友人と東京に出掛けていた三郎は、日付が変わる頃、帰宅した。
2017年11月25日(土) 中山地区の史跡ウォーキングの現地講師を頼まれて、中山古墳群、鍬形原砦跡、弘法山古墳のそれぞれ現地で説明。朝8時30分に公民館に集合。霊園の古墳と砦で10時少し前くらいまで、時に歩きながら話し、一行はそのまま北尾根を通って弘法山へ向かったが、私はいったん引き揚げて、弘法山へ直接行って11時から11時30分くらいまで墳頂で説明をした。刺すような寒風が吹いていたが天気は良く、まあウォーキング日和だったと言ってよいのだろう。登り道を大きな声で説明しながら歩くというのは、けっこうしんどい。昼すぎには帰宅して、午後は家で仕事と埋文パトロールの書類を仕上げる。
2017年11月25日(土)その2 昨日あたりから、我が家の隣の正覚様の奥にある苗木畑で重機が動いて、伐採や抜根をしている。くだんの苗木畑は私が転入した平成3年には既にあり、その後、だんだんと樹も大きくなってしまい、近頃は苗木を出荷している様子もなかった。そこそこの面積もあるので、農地に戻して有効利用するのかな?それとも、宅地や小規模ソーラーになってしまうのだろうか。宅地だとしたら、公道に接道してないし、私道の進入路も狭くて大変だと思うんだけどね。
2017年11月24日(金) 職場に居たら、午前中の一時、東山の高いところの雪雲が里まで降りてきて、すごい吹雪。みんなでびっくりしたが数分で晴れた。晴れたけど風が刺すように寒い。冬はもう隣まで迫っている感じ。いやだなあ。
2017年11月23日(木) 勤労感謝の日で仕事は休み。午前中、女房と二人で、屋根の改修がほぼ終わったという山寺を見に行って、その足で西洗馬に回って埋文パトロールついでに薬師堂に寄る。県宝の建物だけど、年々劣化が進んでいるようで気になる。午後は家に持ち帰った仕事をする。常会の収穫祭は申し込んでいなかったので、必然的に欠席。でも、まずかったかなあ?
2017年11月22日(水) 午前から午後にかけて、村井でやった発掘の住居址出土の土器をじっくり見て、時期や発掘所見との整合性を担当者にみっちり指導。いくら大学で考古学を専攻してきたと言っても、地域の土器編年の細かいところまでなんて一朝一夕では覚えきれないし、こんな分野ではまだまだ私の出番もある。とはいっても、いつまでも私が元気でいられるはずはないし、早くこの分野の後継者が育ってほしい。でも、どうやれば育つんだろう?当分、引退できないのかなあ。太郎は、夜、消防の飲み会で0時を回ってから帰宅。あいかわらずムラの消防団は飲むね!
2017年11月19日(日) 高校同窓会のムラ支部の設立25周年記念行事があり、夕方6時20分からの講演会と演奏会に参加。講演会は同期生の合木さんという女性が映画評論の専門家で、その話を聞く。私は映画には詳しくなくて、映画館に行くのもあまり好きではないので、申し訳なかったけど、今一つピンとこなかった。後半の演奏会は、私より20年くらい下のやはり同窓生の女性で、東京芸大で三味線や長唄を専攻したバリバリのプロ。これは凄かった。普段、邦楽には全然縁がなかったけど、本物の生演奏は素晴らしい。しかも、むずかしい顔ばかりした芸術家とかいうものではなく、三味線や端唄、長唄などの邦楽が持つエンターテイメント性を存分に堪能させてもらった。違う世界を見て聞いてしまった感じ。しばらく「♪
ハァ、正一稲荷のキツネがコンコン」という囃し言葉が鼻歌で口を突いて出てしまいそう。
2017年11月18日(土) まだふくらはぎに痛みが残っており、午前中は家でおとなしくしていた。昼頃になるとだいぶ良くなったので、史談会の道祖神の本の配り物をして、それから太郎と女房と3人でクルマのタイヤを履き替えた。今シーズンから我が家のクルマが2台になったので、それなりに時間がかかったが、毎年やりつけていることではあり、1時半頃から初めて3時半前に終わった。ただ、一昨年購入したフロアジャッキの油が減っていて補充するという騒ぎがあって、その分が若干の遅れになった。補充専用の油がちゃんと売っているところをみると、フロアジャッキの油圧って少しずつ漏れるのがデフォルトなんだ。
2017年11月17日(金) 朝起きると、昨夜のこむら返りの痛みが治っていなくて、上手く歩けない。自分で運転するのは無理だと思い、乗せてもらって出勤した。仕事はなるべく歩かないようにして、デスクワークに終始。終日大事にしていたら、夜には少し良くなった。以前はこんなことなかったのに、やっぱ歳だ。
2017年11月16日(木) 夜、晩酌を終えて炬燵で横になっていたら、急に右足のふくらはぎがつって激痛。こむら返りだ。つま先を握って手前に引き、筋肉を伸ばそうとするけど痛くて思うようにならない。5分ほど苦しんで、何とか治まった。治まったけど、右のふくらはぎに痛みが残った。こむら返りは数年前まで、夜中などによく起って苦しんだけど、痩せて血圧などの数値が改善してからは全然起こらなかったので、急に再発した原因は何だろう?
2017年11月15日(水) 夕方6時30分から、地域のFMラジオ局の番組に出演。毎月、第二水曜日なんだけど、今月は局の都合で第三水曜日の今日になった。このところずっと、縄文時代から古代中世まで市内の発掘成果を話していて、今日はそのまとめみたいなことを喋った。次回からは、遺跡に関わる史跡や重要文化財について話していく方向。帰宅すると午後7時40分。太郎が消防のラッパの練習に出掛けるところだった。
2017年11月14日(火) 史談会で道祖神の標柱というか説明板を建てているんだけど、今日の午後は私も作業の当番なので、仕事は午後休みにして参加。人手が足りないので家に居た三郎にも手伝ってもらい、会長と私と3人で2カ所、3本の説明板を建てた。あいにく、雨が降ったりやんだりの中での作業となり、少し濡れたが、まあまあ納得できる出来になった。
2017年11月13日(月) 朝4時30分頃目が覚めると、心臓がバクバクいっている感じの動悸がひどい。ちょっと先週はいい気になっていろいろやり過ぎたか?ウォーキングもせずに、終日休んで、大人しく寝ていた。
2017年11月12日(日) ムラの商工会が主催の、新ソバの時期の恒例イベントがあって、11時30分から13時10分まで道祖神巡りのバスに添乗、史談会の会員として、現地で道祖神の説明をする。参加者は20人くらいで、6カ所を回り、会長と私が3カ所ずつ話をした。県外からの参加者もあり、ムラの石造文化財を知ってもらう良い機会になった。天気も良くてなによりだった。道祖神巡りが終わった後、スタッフの一人として新ソバを食べたけど、その時間になってもお客さんの行列が途切れず、20分並んだ。普段、どれほど美味しいと言われているものでも、並んでまで食べたくはないと思っていたので非常に苦痛だった。ソバの味は、あまり食べつけていないので、特に美味しかったのかはよくわからない。とにかく地元特産の新ソバを食べたのは記念すべきことであり、それよりも恒例のイベントに多くの知り合いやムラの人が裏方で頑張っている姿を見ることができたのが最大の収穫だった。
2017年11月11日(土) 土曜日だけど午前中休出。昨日、課長から頼まれた文書を作っていてロスした分の作業を行う。ところが、課長補佐も休出してきて、いろいろな事務事業についての相談に対応していたら、また予定していた作業が終わらなかった。確かに現役の時は、そういう様々な調整とか相談、指示、折衝、報告とその資料作成などが主要な職務で、それに勤務時間のほとんどが費やされて、専門的でクリエイティブな仕事が全然できなかった。まあ、それが当然であって、だからこそ引退して専念するようにしたのだが、また現役の時のような仕事を引き受けたんじゃあ何のために現役を退いたかわからないじゃん!
2017年11月9日(木) ムラの史談会が5月に県の文化財保護協会から表彰されて、協会の研修会で活動報告をするのが今日あって、三役(会長、副会長、会計)と私で伊那市へ出かける。中南信の自治体や関係者が大勢集まるので、私としては当然広い駐車場がある「伊那文化会館」が会場とばかり思い込んでいたのだが、着くと人っ子一人いない。確認すると「伊那創造館」が正しい会場で、慌ててそちらに向かうという大ミスを犯してしまった。三役の皆さんごめんなさい。思った通り、正しい会場は伊那市の街の中で駐車場は狭く、停めるのに一苦労。何とか開会に間に合った。活動発表は、会長さんが話をして、私がプロジェクターのパソコンを操作したが、まあそこそこの出来だったと思います。ただ、スライドの順番通りの話にはならず、スライドをあっちこっちと前後させることがあって、でもパソコンなので簡単に対応できて、それほど困らなかった。次の茅野市の回り舞台の発表を聞いてから撤退。ムラには12時30分に帰着した。
2017年11月9日(木)その2 午後3時前に波田の自動車屋へ軽の自家用車を点検に持っていく。1時間弱で済んだ。このところ気になっていた異音についても診てもらった。確かに異音がしている事実は整備士さんたちも確認したが、原因は分からず、メーカーにも問い合わせたところ、他にもそういう事例があって、故障ではないそうだ。ギヤのグリスだかオイルを硬いものに変えてみたので、それで乗ってもらって、異変があるようならまた連絡がしてくれとのこと。まあ、故障じゃないなら良いか。
2017年11月8日(水) ここ一週間くらい、軽の自家用車のギア周りあたりから異音がする。2500回転を超えるあたりから「ジジジ」と言う感じの小さな音というか振動が生じて、少し違和感がある。クラッチを切って回転が下がると聞こえなくなるし、ギアのシフトレバーを手前に押えると軽減するので、エンジンと言うよりはやはりギア周りだろう。丁度、新車の半年点検の案内も来ていたので、自動車屋へ電話して、明日の午後、行くことにした。故障だったら嫌だなあ?私の乗り方が荒っぽくて、もう壊れたのかなあ?
2017年11月6日(月) 仕事に行ったが、やはり足裏の傷に違和感があっていつものようには歩けない。家に居ると、歩く範囲はたかがしれているけど、仕事では室内作業とはいっても移動する空間の規模が違う。不便だ。天気が良いのに、昼は冷たくない南風が吹いた。
2017年11月5日(日) 左足の裏の傷に痛みと違和感が残っていて、今シーズン最後の山行きも断念。終日家居。おとなしくしている。せめて埋文パトロールでもと、村内の写真を撮りに出たけど、思うように歩けなくて5カ所回っただけ、30分そこそこで帰ってきた。身体を使う仕事が何もできないので、すこぶる不愉快。
2017年11月4日(土) 昨夜、夕飯時に炬燵掛けと座布団の間に落ちていた細い爪楊枝を誤って踏んで、左足の裏に刺さってしまうという、絵にかいたようなドジをやった。子供の頃、廃材置き場で釘を踏んだ感覚と同じ激痛。あわてて消毒してもらった(子供の時は煮え立った油を流し込まれた!)。今朝起きて、腫れていることもなかったので細菌感染症は免れたと安心したけど、親指と人差し指の付け根の間の手前1センチくらいのところに傷があるので、しっかり歩いたり踏ん張ったりすると、その場所が接地して痛みと違和感がひどい。今日と明日、ムラの文化祭で史談会も展示しているので、午前中はそこに顔を出して、担当の皆さんに挨拶して次の会報の取材。午後2時からは私の住んでいる地区の道祖神の標柱建ての動員。午前中は左足の裏をなるべく着かないようにヒョコタン、ヒョコタンと歩いて文化祭を見てきたけど、午後はこんな状態では土木作業ができる自信はないので、太郎を連れて行って、私の代わりに働いてもらった(多謝)。3カ所の標柱を立てたけど、けっこう歩くことがあって、左足をかばいながら不自然な姿勢で歩き続けたので、夕方からは右足と右側の腰が痛くなる始末。もう、馬鹿を地で行っている、とはこのこと。案外、老人になると、こんな不注意な不慮の怪我などが原因で、一挙に衰えて行くんだろうなあ、とつくづく思った。
2017年11月3日(金) 今日から三連休。休出しようかとも思ったけど、史談会の道祖神の標柱建てがあるかもしれないし、家でできる仕事もあるので、終日家居で報告書の原稿を打つ。
雨ばかり降っていた10月が終わり、11月に入ったら霜が降りるようになった。非常勤の勤めに出て1カ月。無理せずにやってます(11/3記)
2017年11月2日(木) この春から眼鏡をレンズだけめくれる型に変えたら、今のライフスタイルに合ってとても調子が良い。ただ、従来の眼鏡より可動部がひとつ増えたことになるので、そこのネジの緩みなどはいつも気にしていた。今日は特にめくったり戻したりが多い作業をしていたら、ふと気が付くとデスクの上に微細なネジが落ちている。みるみるめくる機構が弛緩して、めくらない通常の位置がきちんとキープできなくなった。これじゃあクルマの運転もできない。あわてて同僚からマイクロドライバーを借りて(そんなツールを持ち歩いている同僚もスゴイ!)、自分で直したんだけど、何しろネジもネジ穴も小さいので10分以上悪戦苦闘してしまった。参った!とにかく、ちょくちょくネジの緩みをチェックするしかないね。
2017年11月1日(水) 仕事に行くようになって2カ月目に入った。とにかく無理をしないようにしていたので、今のところ体調は悪くない。夕方は定時に帰って、軽く晩酌をして、早く寝てしまう。どうもこれが現状維持の秘訣みたいだ。仕事ばかりではなく、飲み会や会議などの夜のお付き合いも、出来る限り断っている。日常のペースを変更しない事が重要なんだろうね。でも、それで生きていける人生って、ちょっと甘え過ぎな気もするし、いったい何が面白いんだ!という気もする。
2017年10月31日(火) 雨ばかり降っていた10月の最終日。今朝は晴れて冷え込んだ。朝のウォーキングの時、放射冷却で雲一つない夜明けの空の東山の上に明けの明星が輝いていた。中天のやや西寄りにも遅くまで輝く一点があったけど、あれは何の星なのだろう?東山の輪郭がくっきり見え、空が茜色に染まった。霜が降り、クルマのフロントウィンドはガチガチ。氷はまだ張らなかったが、10月としてはちょっと特段の冷え方のような気がした。
2017年10月30日(月) 10月から仕事に出て、協会健保の社会保険に(強制)加入となったので、それまで入っていた共済保険の任意継続から脱退しなければいけない。その説明は9月に聞いていて、提出する書類も送っていただいていたんだけど、それには「新しく加入した保険証」のコピーが扶養家族の分を含めて必要で、その保険証がなかなか届かない。職場の担当者に聞くと、中途だと以前はひと月かかったこともあったというので、諦めてじっと待っていた。私のが先週届き、扶養家族の分がやっとこの土日に届いた。いずれも資格取得日は10月1日付けになっていたので手続き上の問題はないのだが、けっこう時間がかかるもんだと改めて思った。で、今日、旧の保険証原本と脱退願い、保険料を一年分前払いしてあったのでその返還請求などの書式を郵送した。やっと一区切りついた感じ。さらに4月1日から女房と私は国保に加入しなければいけなかったので、そちらも一年分前払いをしていて、それについては「社保に入ると、加入者が手続きをしなくとも自動的に還付請求の用紙が送られてくる。」と役場から説明を受けていたが、その通知も今日届いた。社保の加入は時間がかかったのに、こちらは早いなと思ったけど、そこらへんは以前の年金問題の際にいろいろとお役所の体質が指摘されていたので、いろいろな連携、年金の一元化とか事務の効率化とかが進んでいるんだろうなあ。とにかく、34年勤続で、この手の手続きを全くしなかったので、退職とか再就職とかでは保険、年金はいろいろと面倒なことがよくわかった。一つの組織にずっぽりと浸かって生きて行くことの、別の意味での安定とか「気楽さ」がよくわかった。
2017年10月29日(日) 史談会の打ち合わせがあって、台風でザンザン雨が降って大雨警報が出ているのに、午後5時半頃、トレセンへ出かける。さすがに利用団体は史談会だけで、いつも賑わっているトレセンがひっそりしていた。6時から文化財保護協会の発表の打ち合わせで、正副会長、会計さんと私でPPのスライドを見て、7時からは道祖神のチームが集まって案内看板設置の日程の検討。でも、私は8時を過ぎたら眠くて生あくびがパクパク出て、明日の仕事に差し支えると嫌なので、打合せは続いていたけど、8時半にお先きに御暇(おいとま)した。外へ出ると、すっかり雨は上がっていた。
2017年10月29日(日)その2 10月31日付で発行する史談会の会報の編集がやっと終わった。全20ページ。夕方、印刷担当に渡すことができた。ずっと女房に手伝ってもらっていたのを、仕事を辞めたので前号から私が一手にやる事にしてその2号目だけど、今回は予定外の再就職で、やっぱ毎日出勤しながらはちょっとキツイね。
2017年10月28日(土) 遊んでばかりいて仕事がちっとも進まないので、今日は休出。まあ、現役の時みたいに議会とか予算とか余分な資料作りとかそんな庶務雑務に費やす休出じゃないから張り合いはあるけどね。外はまた台風22号が近づいて来て雨。本当に今年の秋はよく雨が降る。自宅の近所の田んぼでは脱穀ができないで稲を掛けたままのハゼがあちこちに残っている。どうするんだろう?どうなるんだろう?
2017年10月26日(木) 昨日と今日、一泊で小谷温泉に行ってきた。以前、女房が県歴の行事で訪れた時の話を聞いて、一度行ってみたかったところだ。ところが、昨日は天気が悪くて、山は雲がかかっていて見えないし、姫川を始めとする渓谷の流れはみんな濁流となってゴウゴウいっている。まあ、それはそれで面白い景色だったけどね。午前中に小谷村の歴史民俗資料館を見て、午後の早いうちに温泉に着いて、さっそく一風呂浴びた。ほんとに源泉掛け流しの湯治宿で、観光旅館の温泉とは全然違う。カランだって水しか出ない蛇口が3つあるだけで、お湯はすべて源泉から落ちる小滝から汲んで使う。混んでいたらちょっと大変そうだけど、平日で貸切状態。しっかり満喫できた。江戸期の建築という本館に泊まったけど、廊下も部屋の中も歩くだけでギシギシいって、障子一枚だけの仕切りは音も明かりもガンガン漏れて、プライバシーとか言うものなんてまるっきり無し。もう最高!天井も低くて、真ん中に一つだけ吊るした蛍光灯におでこをぶつけてしまった。今日の天気は打って変わって快晴。早朝に起き出して一風呂浴びた後、外を歩いたら、初冠雪した後立山連峰の峰々に朝日がパアッと当たった瞬間を拝むことができた。手前の中土の峡谷は雲海に覆われていて、見事な好対照。シャッターチャンスを狙ってきたプロやアマのカメラマンに何組か出会った。8時半前には宿を出て、鎌池周辺まで登り、それから下って大宮諏訪神社の境内を見る。社叢の杉がすごい。やはり、歴史と由緒のある土地であったことを実感。千国の番所跡と牛方宿に寄って帰途に着いた。こういう旅は有意義だ。
2017年10月24日(火) 今度の衆院選は最終的に与党の大勝利。安倍首相の次期の続投もほぼ確実になった。ということは、次の大きな争点は、申し訳ないけど、経済でも雇用でも社会保障でも、いわんや少子化対策でも財政赤字でもなくて、改憲だろう。私の住む長野2区はここ2期連続で議席を確保してきた与党議員が落ちて、元民進党の元職が返り咲いた。落ちた与党議員は比例で復活当選。結果として二人の国会議員を出すということになった。今後のお二人の国政と地方でのご活躍は如何、というところでしょうかね。
2017年10月23日(月) 深夜に起き出して選挙速報を見て、また寝た。そしたら朝はひどい下痢で尻の穴が痛い。思わず仕事を休んでしまい、午前中は安静に寝ていたら、なんとか治った。
2017年10月22日(日) 朝からザンザンの雨降り。午前中に選挙の投票に行ったきりで、あとは終日籠って史談会の会報の編集。夜までやって、もうちょっと残ってしまった。疲れた。夜は衆院選の開票に釘づけになろうと思っていたけど、疲れで9時頃に寝てしまった。県内は午後8時をまわったら、あっという間に第4・5区で当確が出て、ここの2区が出口調査では一番競っていたので、決着は夜中だな、と思ったこともある。太郎は選挙の投票事務に動員されて、朝5時25分に家を出、私が寝た午後9時になってもまだ帰ってこない。選挙改革で投票時間が延びたのはいいけど、担当者は長時間勤務、拘束時間が過酷に長くなった。まあ、世の中、そういうもんかな。
2017年10月21日(土) 終日家に居て、史談会の次号の会報を編集する。午前中は雨は止んでいたけど、午後からまた降り出して夜まで続いた。12日間に亘った衆議院の選挙戦も今日が最終日。雨中で打ち上げとなった。
2017年10月20日(金) 初めて給料をもらった!というか、辞めて半年間ブラブラしていたので、なんか初任給をもらった時みたいな気になった。34年前は現金が封筒に入っていた。今は自分でミシン目に沿って開封する明細表か来るだけだ。そういえば、現役の頃の晩年は、自分で職場のネットワークからダウンロードして印刷するシステムに変わっていたなあ。給料のもらい方一つをとっても、年代によって変化があり、時期差がある。これで一本、論文が書けそうだ。
2017年10月20日(金)その2 今では職場の同僚となったチョウさんが家庭菜園でハヤトウリを初めて作ったらドンドン生って食べきれないと言っては職場で配ってくれて、もう最高!今週も4個ばかりもらって、女房にいろんな調理をしてもらって食べているけど、どう食べても文句ない。ハヤトウリは我が家でも一度作ったことがあるし、近所では作るのを頻繁に目にしているんだけど、とにかく夏の間はツルがガンガン広がるだけでちっとも実を付けない。その広がり方も尋常じゃなくて、屋根の上や敷地の外まで伸びてしまう。で、秋で涼しくなり始めたころから実を付けだすんだけど、こんどはそのなり方が尋常じゃなくて、毎日、数個ずつ成熟して、これがひと月くらい続くからたまらない。洋ナシのちょっとでかいみたいな実がガンガン生ってぶらさがる。収穫だってたいへんだ。味はあっさりしていて何にでも合うんだけど、一度作るとこのガンガンさに懲りて、たいていは次の年は控えてしまう。ウチもそうだったような記憶がある。ツル物で「ウリ」って言っているけど、カボチャやキュウリやユウガオじゃなくて、アレチウリとかカラスウリとかの強盛な奴の仲間なのかなあ?
2017年10月19日(木) きのう、やっとお日様が出たと思ったら、昨夜からまた雨天が続く。なんか気が滅入るなあ。昨夜、県文化財保護協会の担当さんからメールが来ていて、11月の発表のパワーポイントの打ち出しを紙ベースで送ってほしい。配布資料にするとのこと。パワーポイントの画面をただ打ち出しただけのものは、すごいデータとかグラフとかがある発表では非常に有益なんだけど、たいていの研修とか講演とかのは、こんな資料の紙数を増やすだけのもん、気の利いた要約1・2枚で十分。ということが、私にとっては多くて、今回のもそんな気がするんだけど、まあ、向こうの意向であるし、案外、そんな風に無駄だと思っているのは私だけかもしれないので、素直に打ち出して郵送した。
2017年10月18日(水) 久々に朝から陽があたって暖かい日になった。このところ連日の雨と曇りだったので、なんかとてもうれしい。昨夜、史談会の会長さんから資料の内容OKの連絡があったので、早朝に保護協会の担当さんにメールを入れて資料を添付し、パワーポイント使用の件を連絡する。我が家の庭に伐って転がしてあるシラカバの枯れ木からキノコが生えた。形状や生え方、色合いがクリタケに良く似てるんだけど、小さなトゲトゲがあってちょっと違うような気がする。もうちょっと観察してみよう。
2017年10月17日(火) このところ連日雨の日が続いている。先週の金曜日からずっと雨で、少し止んで曇りにはなっても、お日様が顔を出さない。それに寒い。女房に袢纏を出してもらって着る。
2017年10月16日(月) 史談会の11月の発表資料とPPのデータを作って打ち出し、夕方、会長さんに届けた。OKがでれば今月の20日までに保護協会の担当に送る。それが終われば、残る10月中の仕事は会報の編集だけとなった。なんだか毎日忙しいね。
2017年10月15日(日) 朝から、太郎と女房と3人で西山へ繰り出す。しかし、山に着いて登り始めたころ雨が当たり出して、そのうちけっこう強い降りになる。展望台まで登るのは諦めて、途中で引き返す。それでもクリタケとシモフリが少し採れた。もう1回は来たいなあ。午後は、ひたすら史談会の事例発表のパワーポイント作り。
2017年10月14日(土) 午後1時30分から平出土曜サロン。飯田市の澁谷さんが来て飯田古墳群の話をする。やっぱ、その時代の専門家だけに、話は興味深いし、体格の割には大きな声でテンポよいしゃべりに感心。帰りに小松係長から1月と2月の講座の相談を受ける。帰宅して原さんと電話で打ち合わせ。私は1月の方を受け持つことになる。
2017年10月13日(金) 朝からザンザンの雨降り。仕事はお休みをもらって、溜まっていた家の片付けや史談会の仕事をやる。家に居てもちっともゆっくりできない。でも、せっかく家に居るので、女房の仕事の送迎をした。外仕事は天気が悪いと大変だ。
2017年10月12日(木) このところ、すっかり夜明けが遅くなって、朝のウォーキングで5時30分ころ家を出ると、天候によっては薄暗い日がある。早起きの自動車にぶつけられてはいけないので、反射材のたすきをかけて歩いているが、それでも後ろから自動車が近づいてくるのを感じると、なるべく道の端に寄るようにしている。たいていの運転者は、こんな時間帯の田んぼ道にまさか人がいるとは思わないだろうから、歩行者の方で注意していないと、自分の身は守れない。交通ルールとか運転者の安全義務とかではなくて、事故が起これば痛くて苦しむのは弱い方だから。運転者は牢屋に入り、歩行者は棺桶に入る。さあ、どちらが損かよーく考えてみよう。
2017年10月11日(水) 夕方、6時30分から地域のラジオ局の番組に出演する。もう、毎月第二水曜日の定番になってしまった感じで、来月も出演をお願いされた。私のような専門バカの話でも、面白がって聞いてくれる皆さんがおられるようで、それなら少しでも期待に応えねば、とも思う。帰宅したら7時半。
2017年10月10日(火) 少し前から我が家にネズミが入って、しばらく食糧を断つ作戦をしてたら静かになったので出て行ったと思い油断していた。それが先週あたりから、また動き始めて、食材に被害が出た。荒らされた食材の傾向から、どうも炭水化物が好きな奴のようなので、太郎がネズミ取りの釣り餌に工夫をしたら、今朝、見事に捕まえることができた。思ったよりも小さい奴で、捕まえてはみたものの、どうやって処分しようかと家族でひと揉めして、最終的に太郎に一汗かいてもらった。私や女房が子供の頃は、もっと頻繁にネズミ取りにかかって、その都度、水攻めやネコにくれてやったりしていた。ネズミも賢くなったのかなあ?
2017年10月10日(火)その2 衆議院選挙が公示された。「出ない、出ない」と言っていた希望の党の小池百合子代表が電撃出馬するのか、興味津々だったけど、やっぱ出なかった。なんか、深い作戦があるんだろうなあ。野党第一党だった民進党は、最終的に半分以上が希望の党に吸収されて、残りは立憲民主党という新党の衣をまとっての挑戦となった。まあ、民進党の前身の民主党(だったっけ?なんか、遠い昔みたいな気がして忘れてしまった。)ができた時にも、旧社会党の右派とか、旧民社党とか、もともと自民党に居たリベラルやお山の大将にだけなりたいような連中とかが集まっていて、基本的な立場も政策もまちまちな○○グループが最初から跋扈。こりゃあ、自民党の派閥よりもずっとたちが悪いぞ、と思っていたので、よくここまでもった、とむしろ感心してしまう。解体・分裂は政策軸が明確になった点では良かったかもしれないね。で、私は長野2区という小選挙区に属しているので、投票の時ばかりは高みの見物とはいかない。どーするかね。
2017年10月8日(日) 早起きして、女房、太郎、三郎と4人で西山へ繰り出す。今年はイグチが本当にダメだ。でもシモフリがそこそこ採れて、クリタケも出始めた。このまま冷えてくれればいいんだが。かなり高い所で、大きな動物がガサガサと笹の中を移動していて、皆でぎょっとして立ちすくむ。登山道は両側が熊笹で覆われた尾根道で、その動物は私たちの進行方向左側の笹薮を登ってきて、50メートルほど先の登山道を横切って右手の笹薮に消えた。道が曲がりくねっているのではっきりと見えなかったが、黒っぽい大きな奴だった。おそらくクマかカモシカだ。少し引き返して大きな音を立て、しばらく待ってから登りを再開した。その後は何ともなかったけど、かなりドキドキ。展望台まで登ったけど、槍や穂高は厚い雲の中で見えなかった。
2017年10月8日(日)その2 午後、史談会の会長さんに来ていただいて、道祖神の本の二校を渡す。初校の時、各ページに添えてある道祖神の所在を示す地図は字面ばかり見ていて古いものだったのに気が付かず、よく見ると今はなくなったり移動してしまった目標物がたくさんあって、見学者が迷っては大変なので、細かく直した。まさに素人仕事の典型で、印刷屋さんには申し訳ないかぎり。
2017年10月7日(土) 今日から三連休だけど、進めておきたい作業があって出勤。途中で母のところに寄って10月から仕事に出たことを伝える。仕事を辞めてみて思ったのは、思いのほか人生は短そうだということ。短命ということではなく、やりたいこと、やらねばならないことをひとつひとつ詰めてやっていくと、どうしても時間が足りなそうだ。キノコと山菜は採りに行きたいし、睡眠も食事もとらなければいけないし、家の管理や地域の仕事もある。無理をするとすぐに体調を壊して寝込んでもしまう。とにかく時間を無駄にしたくない。その「無駄」というのも人それぞれで大きく異なるのだろうけど。
2017年10月6日(金) 仕事の帰りに人を街まで送るので回り道をする。街の東側に新しい超大規模店が先月の下旬にオープンして、そのせいか以前より混雑が増しているような気がした。しかも、もう暗くなった時間帯で、おまけに雨がザンザン降っていて、半年ぶりの道なので、かなり疲れた。帰宅したら6時50分近かった。史談会でやっている道祖神の本の2校が届いていたけど、晩酌をして寝てしまった。
2017年10月4日(水) 今朝はかなり気温が下がって、朝のウォーキングは手が冷たかった。でも、まだ息が白くなることはなく、クルマのフロントもただの朝露。暖かいのに慣れた身体だけが寒いと感じているのだろう。出勤3日目。自宅を適切な時刻に出ると、職場に着くのに40分以上かかる。かなり非常識な早い時間に出ると20分で着く。この30分近いロスがどーしても看過できない自分に、相変わらずあきれる。午後から急に冷たい風が吹いて来て、慌てて上着を着る。
2017年10月3日(火) 昼休みに職場の周辺を15分くらい歩いた。初めて気が付いた石造物や山の微地形にびっくり。この3月まで30年近くここに居たのに、ついぞ気が付かなかった。いつも仕事に追われ、懸案事項の解決ばかりに視線が向いていたせいだろう。仕事を辞めて、責任や義務をすべて放り出したとたんに見えてきたものがあるなんて、まるで本で読んだ話のようだ。非常勤だけどいろいろな手続きがあって、その提出物についての連絡があり、今日明日であちこち手配しなくては。
仕事を辞めて半年間、呑気な生活をしてたけど、何とかお願い、と頼まれて、今日から非常勤で出ることになった。まあ、当面は無理せずにやってみよう(10/2記)
2017年10月2日(月) 昔の職場に出勤して、朝一番に課長から非常勤の辞令をもらう。半年前までは同じ事務室の中で威張っていたんだけど、今はとても居心地が悪い。まあ、当然の話で、いったん辞めた人間がかつての部下達との上下関係に甘んじてふんぞり返っているのは良くないことだし、そもそもみっともない。醜い。私の仕事のデスクは、事務室が満杯ということで整理作業所に置いてもらったが、却って専門的な作業に専念できてありがたい。おそらく若い課長補佐達の配慮だと思い、大いに感謝してます。終日勤務して、定時に帰宅。やっぱ久しぶりなので疲れたわ。
2017年10月1日(日) 朝から好天で、ウォーキングの時に見た稜線には、東西南北、雲一つなかった。午前中、タイヤ屋に行って冬タイヤを受け取る。101,000円なり。ジープタイプの車はタイヤが高い。まあ、積雪への安心保険と思えばいいか。隣の市で大規模なマラソン大会が開催されて、お祭り好きの女房はさっそく見に行ってしまった。道が混みそうなので、私は近づかなかったが、タイヤ屋の帰途に、普段はあまり見ない北信が本拠地のバス会社の大型バスで輸送用と札が出たのに何台もすれ違った。村内の大型店にも様々な会社の大型バスが10台近く停まっているのが見えた。午後はその大型店でキノコ展をやっているというので女房と見に行ったら、どこにもなくて、テナントの店員さんに聞いたら昨日だけの催しだったそうだ。残念、というか間抜けな私。昼に昨日のシモフリをうどんにして食べた。ダシが最高。夕方、明日着て行くスーツを引っ張り出す。4月に着たのが最後だったので不安だったけど大丈夫そうだった。
2017年9月30日(土) 早起きして、太郎と三郎と私の3人で西山へ繰り出す。いよいよシモフリシメジやクリタケが出始めた。例年、調子が良いイグチは相変わらず少ししかない。珍しくヌメリササタケを1本採った。昔からのシロだが、ここ数年、音沙汰なしだったので、すっかりとぼってしまったと思っていたが、ちょっと嬉しい。高所まで登ったら、天気が良くて、穂高連峰や槍、常念が見事。女房は近代建築を見る会とかで街へ出かけて、ご帰還は夕方だった。
2017年9月29日(金) とにかく実測に一区切りを付けようと、ハケ甕を描く。
2017年9月28日(木) 午後に小学校のふるさと学習のお手伝いに行く予定だったのだが、一昨日の不調が心配で、申し訳ないけど他の会員に任せてしまった。なさけない。とは言っても、来月から仕事に出るので、その用意は進めねばならず、作業服を購入して、タイヤ屋へ行って冬タイヤの手配をする。空いた時間は調子を見ながらハケ甕を描いたが、午後4時頃から頭痛がひどくなって寝る。
2017年9月28日(木)その2 時事ネタだけど、正午に衆議院が解散された。官房長官が袱紗につつまれた詔書を奉戴して別室で控えて開会。すぐに後ろの扉から入って、議長脇の事務総長に渡し、開いて折り目を付けて議長に渡されると、大島議長が「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する。」と読み上げた。一瞬の間をおいて恒例の「万歳」の声が上がる。これまでは夜のニュースなどで録画を見ていたが、今回はライブの中継を見ることができた。首相の思惑とは少し違った動きも出始めて、10月10日の告示まで、4年間分の暗闘、駆け引きが展開されるわけだ。さて、どうなることやら。
2017年9月27日(水) 午前9時にトレセンに集合して史談会の会長、会計さんと私で大久保原の印刷屋さんに校正を届けて打ち合わせ。順調に済んで、帰宅したのは10時10分ころ。昨日の動悸はほぼ治まったがこれまでの症例で再発するといけないと思い、打合せ以外は終日、何もせずに呑気に過ごした。
2017年9月26日(火) 今年は本当に天気が曇りの朝が多かったが、今朝は久々に好天。ウォーキングの時は西山にも東山にも雲一つなかった。塩嶺の辺りに部分的に霧が出ていたが、前鉢伏の脇あたりからお日様が出る予兆の輝きがあった。波田の谷の奥に見える霞沢岳に朝日が当たってきて、他の前山はまだ黒々としている。やっぱ秋の好天は嬉しい。どこかへ出かけたくなってしまう。
2017年9月26日(火)その2 ハケ甕の実測を始めたら、昔の感覚が甦って、ついつい面白くなって、午前中は夢中でみっちりやってしまう。で、午後1時ごろ、一区切りつけた途端に急に顔色が悪くなって吐き気がしてきて、慌てて寝る。午後3時ころに吐き気は止んだけど心臓がドキドキして、動悸が止まらない。久しぶりの心身症の発作が来た。つい、いい気になって熱中し過ぎた。夜まで大人しくしていて、素直に寝た。しばらくいけないかも。
2017年9月26日(火)その3 10月から非常勤で仕事に来てもらうということが正式に決まったと連絡があった。のんびりできたのは半年間だけだった。まあ、今度は非常勤だから、権限も権利もない代わりに義務も責任も軽い。でも、もしかしたら午後からの不調は、やっぱ緊張したせいかな。まともに勤まるのだろうか。
2017年9月25日(月) 朝のウォーキングコースにある果樹園のリンゴが、いよいよ色付いてきた。同じ果樹でも、ウメは6月、モモは7月から8月にはせいせい収穫が終わってしまうのに、リンゴは品種によってはこれからが盛期だ。春の開花はひと月前後しか違わないのに、実が成熟する期間にこれだけの差があるのは何なのだろう。この長期間の管理だって農家には大きな負担だと思うのだが。品種改良とかの生物学的なこともだが、何か哲学的な意味を感じてしまう。あとは終日、土器の実測。
2017年9月25日(月)その2 最近、時事ネタばかりで申し訳ないんだが、今日、安倍首相が28日に衆議院を解散することを正式に表明した。怒涛の秋に突入だね。10月22日って秋たけなわでいろんなイベントがあるだろうから、会場とかは頭の痛い人も多いんじゃないかな。
2017年9月24日(日) 村の秋の環境衛生の日で、ウチの常会は集会所の掃除。朝6時からで、女房と三郎に行ってもらう。二人とも7時少し前には上がってきた。私は、終日、原稿打ちと実測。我が家の周辺の田んぼはこの土日で稲刈りが進む。相変わらず、コンバインではなくてバインダーで刈ってはぜ掛けをしているところも多い。面白いのは、大きな田んぼの半分はコンバインで刈って脱穀までしてしまい、残りの半分ははぜ掛けをしているので、話を聞くと、そういうところは、大抵、出すコメはコンバインで刈って、自分の家で食べる分ははぜ掛けと言う。やっぱはぜ掛けの方が圧倒的に美味しいんだろう。
2017年9月24日(日)その2 大相撲の秋場所が終わった。御嶽海は、場所前は優勝候補のひとりでもあったが、結果は8勝7敗。千秋楽にかろうじて勝ち越し、何とか関脇の地位を守った。今場所の御嶽海は、とにかく足が出ていない、得意の体(たい)を寄せるのがうまくいっていなかった。まだまだ修行が足りない。優勝は日馬富士だったけど、ずっと豪栄道がリードしていて、千秋楽の本割と優勝決定戦で立て続けに豪栄道を破った。豪栄道は中盤までとても調子が良くて、これは行くな!とみんな思ったんだけど、12日、13日目に平幕相手に「なんで?」と思う引きが出て連敗し、取れるはずの賜杯を逃した。引きやはたきは相手に強力な圧力をかけているからこそ上手くいくんだけど、まれに負けそうな時に一発逆転みたいなところもある。とにかく勝つ、という点では、麻薬のような魅力と習慣性もあるのかなあ?それに、咄嗟に引くとかはたくとかの動作は、瞬時の理性的な判断を超えた反射的な反応でもあるのだろう。体のどこかでこの反射的な動作を覚えてしまうと、意図せずに出るのかもしれない。普段、親方やうるさい解説者が「引きはいけない、よくない」と、くどくど言うのに対して「だって、勝てばいいじゃん。相撲は勝って何ぼでしょ。」とか思っていたけど、今場所の豪栄道を見てると、いったん沁みついてしまった引きの反射動作は直らない、気持ちでは制御できないことが良くわかった。恐ろしい。私たちの日常生活にも同じようなことがあるかもしれない。何事にも用心。
2017年9月23日(土) 午後1時30分から松本の内田にある重文建築で、古い知り合いが講演というかトークをやるので女房とでかける。少し早めについて重文建築をあちこち眺めて堪能する。知り合いは、ずっと写真を撮ってもらっらり、地域のことをいろいろ教えていただいた人で、いつも話が面白いので、とても期待して行ったら、それ以上に面白かった。奪衣婆や十王から地獄の話になったりお寺の話になったり、水野家の墓所から「松本大変」の話になったり、もう融通無碍。すっかり惹きこまれた1時間30分だった。同じことを言ったりやったりしても、話し方ややりかた一つで、結果はまったく逆になることはよく経験したが、こういう巧者の話はもっとどんどんと聞かなくてはいけないと痛感。帰宅したら4時半近かった。秋のお彼岸の休日なので日が良く、あちこちでいろんな催しが重なって、身体は一つなので一つにしか行かれなくて、もったいなくて悔しい。太郎は街でお城の発掘の現地説明会があって、そちらに行った。
2017年9月22日(金) 夜7時から史談会の道祖神チームの打合せ。初校が出て急きょ開催が決まったので、出席者は2名欠の5人。道祖神の本の校正の確認と、案内看板の進捗状況や今後の進め方などが内容だったが、終わったのは10時近くて、それから帰宅して夕飯。はっきり言って、9時くらいから私はもう朦朧としてきて、ほとんど話の内容が入って来ない。議題が多すぎた、という感じでもなくて、とにかくすぐに話がわき道にそれる。これが仕事で、部下とのやり取りなら「で、話の本筋なんだい?」と、先に進めることを急かすんだけど、なにせ私が一番の若造で、みんな語りたい人ばっかりで、脇に逸れた話も、それはそれで面白いし、ためにもなるので、黙って聞いている。まあ、史談会だけではなくて常会なんかでもその傾向があって、嫌だいやだと否定するのではなく、なるべく面白がって前向きに付き合おうとは思うのだが、とにかく夜遅くなるのは勘弁。やっぱ会議は1時間せ。
2017年9月21日(木) 午前中、太郎と三郎と3人で庭の伐った木を片付ける。去年、倒れそうになって伐ったシラカバの太い幹を1メートルくらいに切り分けて、日当たりの悪い隅の方に積んで腐るのを待っていたんだけど、ひっくり返してみたら大変!接地していたところに大量のシロアリが湧いて、ウジャウジャしている。慌てて、焼却処分できるものは始末して、太くてすぐには出せない奴は日当たりのよい場所に立て並べて乾燥させるようにした。樹や木材を集めて油断して湿けさせると、すぐにシロアリが入ってくる。気を付けないとご近所にまで迷惑をかけてしまう。木から落ちたシロアリをクロアリが集まってきてどんどん捕獲していった。
2017年9月20日(水) 痛風のクスリが終わったので、午前中、かかりつけのお医者さんに行く。先日の人間ドックの結果も持参して指導を仰ぎ、冠動脈の石灰化と視野の異常はドックを受けた病院で受診することになった。診察待ちでフロアに居たら、会計をしていた母娘の中学生くらいの女の子が突然卒倒して、みんなびっくり。看護婦さんたちが病室のベットに運んで寝かせるという騒ぎに遭遇したが、一過性で大事なく帰ったようだ。帰宅して、相変わらず原稿書きと虚空蔵の土器実測。夕方、4時過ぎに史談会の会長さんが来て、道祖神の本や11月の県文化財保護協会での発表の件など打ち合わせ。
2017年9月20日(水)その2 郷土力士の御嶽海が今場所は調子が今一つでヤキモキする。初日から二日連続ではたかれて前へ落ちてしまったし、昨日もあのでっかい碧山にやっぱりはたかれて簡単に落ちてしまった。私みたいな素人から見ても、足が出ていない。今日は豪栄道に組まれて、良いところなく寄り切られた。勝ち越しは難しいかも。まあ、このところ順調すぎたから、少し山あり谷ありを経験しとくのも必要なんだろうね。
2017年9月20日(水)その3 おととい、奈良井川の今村橋あたりに熊が出たというニュースがあり、昨日はさらに下流に下って、二子橋あたりで何度も目撃されたそうだ。おそらく洗馬の山から河川敷を下ってきたのだろう。今年は、山の木の実は割と豊作だと言われているが、それでも里にクマが出没する時期になった。ウチの界隈でも気を付けなければ。
2017年9月19日(火) 太郎が仕事が休みだったので、三郎と私の3人で西山へ繰り出す。女房は空港の仕事。このところ、けっこう気温が下がったし台風で雨も降ったので、そろそろイグチが多量に採れ始めると見込んだんだけど、全然出ていなくてびっくり。まだ早いのか、それとも今年はイグチは駄目なのか?でも、いつでもどこでも丸出し、って感じのイグチが出ない年なんてあるだかい?戦果はキシメジがちょこっと採れただけ。
2017年9月19日(火)その2 時事ネタで申し訳ないんだけど、政局は急に衆議院解散が浮上してきて、なんと今月の28日に臨時国会が開会してその冒頭で解散、来月10日に告示、22日が投開票との報道がしきり。安倍首相はまだ明言はしていないんだけど、恐らくその筋書きだろう。おおっ!今後の経済政策とか、国際情勢や外交とか、増税とか、そして改憲とか、陛下の退位とかどうなっていくのか。衆院解散と組閣は首相の専権事項。いやー、野次馬としては面白くなりますねえ。でも、一国民としての私はどうしたらよいのでしょうね?
2017年9月18日(月) 台風が接近して、夜半から明け方にかけてすごい風。ウチの辺りは春先に風が強いことで有名だけど、風の強さというか吹き方が違う。止んだかと思うと急にゴォーと突風がきて窓や屋根がガタガタいう。早朝には落ち着いたのでゴミ出しに行ったんだけど、近所の大きなケヤキの枝が道路にたくさん落ちていて、けっこう太いのもあったので、まだ落ちてくるようなら危ないな!と思って頭を隠しながら通り過ぎた。
2017年9月17日(日) 三連休の中日だけど台風が接近して天候は不穏。どこにも出かけないで終日、土器の原稿を打って頁を組む。ちょっと働きすぎたかな。
2017年9月16日(土) このところ連日、パソコンで土器の原稿と図版のレイアウトをやっていたので、午前中は何もせずにぼおっとしてみた。午後は部屋の片付け。退職して時間はいくらでもあるからゆっくりやろうと思っていたんだけど、10月から仕事に出るとなると、ちょっと焦る。大型で強い台風18号が九州に迫り、その余波でここいらへんも不穏な天候だ。今夜は地区の神社の宵祭なのに、これじゃあ盛らないや。
2017年9月15日(金) 天気が良かったので、先日10日(日)の続きで、庭木の片付けをやる。太郎は仕事だったので、午前中は私が片付けをやり、午後は三郎が太い枝を細かく伐った。明日から3連休だけど、台風18号が列島直撃の様子。我が家の南側の田んぼ2枚も稲刈りを終わらせた。
2017年9月14日(木) 早起きをして、女房、太郎、三郎と東山へ繰り出した。ところが、毎年入る斜面は重機が入って材木を伐り出していて、始業時間になって作業員が来ると邪魔になりそう。しかも昨年と同じでスズメバチが頻繁に来て危険極まりない。キノコはすっぱり諦めて、一気に鉢伏山まで車で登った。天気も良くなり、北アルプスの槍ヶ岳や穂高連峰、その南に乗鞍、さらに御嶽も雲の上に見えた。鉢伏山の頂上からは諏訪湖、中央アルプス、南アルプスが見えて、雲の上に富士山まで見えた。キノコは採れなかったけど、素晴らしい眺望を堪能できた。2000メートル近い高原は秋の気配が漂って、日差しは決して弱くなかったが汗もかかず爽やかだった。鉢伏に来たのは20年ぶりくらいか?頂上まで登ったのは初めてで、松本分と諏訪分でそれぞれ石祠が祀られており、分水嶺の山を実感した。諏訪分には御柱が立って結界を巡らし、さすが!と感動。平日の早朝だったので、他の登山者は中年女性の二人組、マウンテンバイクを押して山頂を目指していた青年に会っただけ。駐車場まで下ったら着いたばかりの二組に出会ったが、みな中高年であった。駐車場代500円を備え付けの箱に投入してきた。
2017年9月14日(木)その2 10月からの仕事が、どうやらDTPがメインになりそうなので、ハイスペックなノートをBTPで注文したのが、今日の午後届いた。さっそく動作確認と、ワープロ・表計算、DTPソフトのインストールをやる。ノートはCore
i7 7700のCPU、240GのSSDと500GのHDD、16Gのメモリ、15.6インチ液晶でWin10Home、ワード・エクセル・パワポの最新正規版を入れて147,000円なり。ちょっと高かったかな?でも、これにCS6の正規版の初期投資が約160,000円だったから、けっこう経費は掛かっている。取り戻すくらい稼げるのか?
2017年9月13日(水) 午後1時に朝日村で県のセンターがやっている山鳥場の発掘を見に行く。担当の廣田さんが丁寧に説明してくださり、お忙しいのに恐縮。縄文中期後半の竪穴住居がいくつも出ていて、大型の石囲い炉がいかにもその時期らしい。何故か埋甕が少ないとのことで、なんかそこの集落の特性なのかな?調査地の南側は現耕土の下に旧地表や包含層がしっかり残っていて、遺構はその下から見つかっているという、ちょっと珍しい、貴重な状況で、興味津々。面白い報告書を作ってもらいたい。
2017年9月13日(水)その2 夕方の6時30分から地元のFMラジオ局に出演。先月の続きの平安時代の発掘で窯跡について話した。タイムリーな話題としては、ちょうど午後に見に行った山鳥場の話になった。朝日村美術館の2階の展示を「隠れた穴場」と紹介してしまった。
2017年9月12日(火) 時事ネタで申し訳ないのだが、北朝鮮に対するかなり厳しい制裁案が国連の安保理で可決された。ここ数年、北朝鮮はミサイルの実験や核実験を繰り返し、いよいよ煮詰まってきたのであるが、米・中・ロという大国の思惑がいろいろあったようで、禁油と資産凍結までには及ばなかった。実効性はいかが?と言う議論もあるが、禁輸と資産凍結って、過去の日本を巡る太平洋戦争開戦前夜の国際情勢じゃん。エネルギーと経済を押さえたものが勝つ。やっぱ、そういうことだね。
2017年9月10日(日) 午前中、太郎と三郎に手伝ってもらって、伐って積んであった庭木の枝を片付ける。10月から仕事に出ることになりそうなので、ゆっくりやっている訳にはいかなくなったためだ。一人でやるよりは上手く手順が回って、かなりはかいった。しっかり汗をかいてしまった。女房は午後まで空港のお祭りだとか言って出掛け、ご機嫌で帰宅。
2017年9月10日(日)その2 今日から大相撲の秋場所が始まった。白鵬、鶴竜、稀勢の里の3横綱が欠場という、なんともしまらない場所だけど、却って下位の力士はチャンスだ。そう思って観てたんだけど、御嶽海は若手の阿武咲にはたき込みで負けてしまった。立ち合いであたり負けて、そのあと出ようとしたところをはたかれて足が出ずに落ちてしまった。寄せが早いと褒められる御嶽海らしからぬ取り口だった。残念。
2017年9月9日(土) 早朝から西山へ繰り出す。久々に家族4人で出掛けた。そろそろイグチが盛りかと期待したが、思っていた程ではなかった。コモソウのシロを覗いたら、ワァ!出てる出てる!ずっしりと採れてホクホク顔。だけど、立ち枯れたのもあって、前回に来るべきだったと、ちょっぴりほぞをかむ。登山道の真ん中にタマゴタケが開いていてビックリ。帰途にキノコではない純粋の登山者らしいオジサン二人に会って道を聞かれた。ウ~ン、それより奥は笹がエラくてむずかしいと答える。帰宅してキノコを作ったが、コモソウの大きく開いたのは虫がたくさん入っていて歩留まりが非常に悪かった。チクショウ!前回に絶対覗くべきだったと大いに悔やむ。
2017年9月8日(金) 午前中、現役の頃に属していた組織の本課へ顔を出して、現在の課長さんと打ち合わせ。やっぱ現職でいると、会社というのはいろいろあるようで大変なんだね。その後、昨年度の課長さんの異動先に顔を出して雑談。最後は中央公民館の若い知り合い二人の顔を見て帰宅。できれば横田の現場もまわりたかったけど、昼になってしまったので諦めた。
2017年9月7日(木) 史談会の道祖神の本を刊行する打ち合わせで、午後2時半に会長と二人で印刷業者さんのところへ行く。これまで窓口になっていただいていた部長さんと、実際に編集をされているデザイナーの女性が応対してくれて、細部や今後の予定などを詰めた。実績のある業者さんなので、話の内容も慣れていて、無事にできると思い安心した。
2017年9月6日(水) 夜、7時から史談会の幹事会があって参加。現状の報告や文化祭、村外探訪の件を決める。同じ史談会の道祖神チームの打ち合わせはその前の6時からだったので、家を5時45分頃には出て、帰宅したら9時半過ぎだった。普段は軽く晩酌をやって8時ごろには寝てしまうので、会議で9時を回るともうヘロヘロ。私が一番若いんだけど、お爺さん達はみんな元気だ。
2017年9月4日(月) 秋の恒例の事態?なんだけど、また自宅内にネズミが侵入したようだ。我が家の周囲は畑や田んぼに隣接しているので、例年は稲刈りが終わって田んぼの見通しが良くなった頃に侵入される。壁をよじ登って二階の屋根裏とか、網戸の隙間とかから入られてしまうのだが、今回はちょっと時季が早くて、どうも台所の勝手口を開け放しにした僅かな時間に入り込んだようだ。倒れるはずがない容器が倒れていたり、物が棚の上から落ちていたりして、夜中に活動しているようだが実体がわからなかった。今日の深夜に女房が、何故かビー玉を転がして運んでいる子ネズミを目撃して、侵入が確かめられた。対策はとにかく兵糧攻めである。食糧品にアクセスできないようにして、お腹が空いて逃げ出すか、ダウンしてしまうまで待つ。根競べだ。近頃のネズミは頭が良くて、カゴタイプや吸着式のネズミ取りにはほとんど引っかからない。
2017年9月3日(日) 午前9時から村の防災訓練。大きな地震があったという全村放送で、まず常会の集会所に集合した。そこで点呼をとって、区の公会堂へ移動したのだが、私はその時点で帰宅した。今年は我が家からは私一人の参加だったが、太郎は消防団で、もっと早くに家を出て、終日、訓練などに従事した。
2017年9月3日(日)その2 午後1時近くであろうか、ニュース速報が入り、北朝鮮北部で地震があり、震源地は地表に近いとのこと。即座に、核爆弾の実験をやったな!と思ったが引き続く報道はそのとおりであった。周辺国やアメリカ、国連などがいろいろ言うが、そんなことには一切関係なく、着々と軍備を進めているんだ。どうしたものかね?
2017年9月3日(日)その3 皇族の秋篠宮眞子さまの婚約発表があってテレビ等で報道された。これで無事に結婚されると、臣籍降嫁して皇籍を離れる。目出度いことではあるが、皇族の減少問題、天皇後継問題、ひいては女系天皇問題。どうなっていくのだろう?議論は加速していくのだろうね。政局に煩わされなければいいんだけど。
2017年9月2日(土) 女房、太郎、三郎に手伝ってもらい、作業所で接合のパワープレーをやる。甕類が多かったので、午後3時半までかかる。文化財課のM補佐から、年度後半に非常勤で出てもらいたいと正式にお願いされる。永年お世話になったところなので、むげに断る訳にもいかないだろうなあ。
9月に入ったが、朝夕が涼しすぎて、長袖の上着を引っ張り出して着た。秋の気配は嬉しいんだけど、例年、こんなに涼しかったっけ?(9/2記)
2017年9月1日(金) 午前中、母のところへ顔を出す。補聴器の電池が切れてしまって困っているからすぐ買ってきてほしいと言われ、施設の近いところの大型店群に行くが、どうも補聴器用のボタン電池は特殊なようで、2店回ってもない。補聴器を扱っている眼鏡屋に行ったら有って12個まとめて買ってきた。で、母の補聴器にセットしたんだけど、ウンともスンとも言わない。補聴器の故障かもしれないので、補聴器屋に電話して、来週来てもらうことにした。帰宅したら昼近かった。
2017年8月31日(木) 昨日、文化財保護委員会の後、夕方から懇親会があって自家用車をトレセンにおいて帰宅したので、早朝ウォーキングを兼ねて取りに行ってきた。今日で8月も終わり。このところ朝は涼しい。長袖の上着を着て行った。
2017年8月30日(水) 午後3時から村教委の文化財保護委員会。トレセンに集合して、改修工事中の山寺を視察。本堂と山門の覆い屋の2階に登って、屋根の補修と葺き替え工事の状況を手で触れながら説明を聞いた。普段だったら絶対見られない屋根の軒の高さからの展望も楽しめた。おそらく人生で最初で最後の機会だと思う。工事の進捗は順調、という感じを受けた。
2017年8月30日(水)その2 午前中、お城の二の丸でやっている発掘を見学に行った。土塁の裾を把握するのが主眼で始められた調査だが、場所によっては深さが2メートル近く造成や版築があって、思いもよらない遺構がひそんでいる可能性もありそう。担当者も作業に従事する皆さんも、くれぐれも事故の無いように、成果が上がることを祈る。
2017年8月29日(火) 早起きして、三郎と二人で西山へ繰り出した。夏キノコのチチタケがそこそこ採れた。早生のアミタケが1本。でも、もうイグチが出始めて4本採った。それに、なんとタマゴタケが採れた。西山でタマゴタケに出会うのは3年ぶり。タマゴタケは夜、女房に御吸い物にしてもらったが、その美味しいこと!
2017年8月29日(火)その2 左眼の奥の痛みが遠のいたので、2時間ほど少し細かい作業をしてみた。大丈夫なようだ。眼に来るのは本当に困る。眼が頼りの仕事だからね。
2017年8月29日(火)その3 朝6時すぎ、山で食べようと思ってコンビニでおにぎり等を買って店を出た途端、三郎のスマホがけたたましく鳴り始めた。近くに駐車した出勤前のオジサンのスマホも鳴った。咄嗟に「Jアラートだ!」と思った。ムラの防災無線も大音量で放送を始めた。飛翔体が発射された。しかし、私と三郎は予定の行動を中止することなくクルマに乗り込んで山に向かった。コンビニの駐車場に居合わせた人たちも、道路に出てすぐに出会った散歩の人も犬を連れた人も、行動を中断するそぶりや避難する様子もなく、近所のコンクリート建物の陰に寄ることもなく、私たちと同様に予定の動作、行動を続けていた。車中ではいつもの音楽を聞かず、ニュースを聞き続けた。NHKのFMは通常の番組を止めて、Jアラートの文言を流し続けた。北海道から長野県の範囲のどこか上空をミサイルが通過するということも理解できた。「長野県○○市郊外の山林に落下。たまたま居合わせたキノコ採りの男性2名が巻き添えになり死亡。」などと不謹慎な冗談が脳裏をよぎる。いや、冗談では済まないのかもしれない。帰宅後、女房からJアラートが出たことを知っていたか問われ、知っていたと答えたら、それでも平気で山へ出かけた呑気さを咎められ、家族が心配ではなかったのか、とからかい半分に言われた。この一連の行動、思惟、やりとりが、初めてJアラートが発令された「記念すべき日?」の私の顛末である。後世の歴史の評価者たちのために、あえて記しました。
2017年8月28日(月) 午前10時に、一昨年買った普通車を定期点検に持っていく。12カ月点検だったのでクルマ屋さんで約1時間待っていて出来て、そのまま乗って帰る。購入の時にまとめて払ったので点検費用は発生しなかった。
2017年8月28日(月)その2 まだ左眼の奥がわずかに痛い。無理をしないように、実測や仕事での読書、パソコンでの細かい図版組みなどは控えた。8月後半はお盆、人間ドック、顔面神経痛と、ほとんど仕事をせずに終わりそうだ。いかんなあ。
2017年8月27日(日) まだ左眼の奥に痛みが残るので、終日、何もせずにおとなしくしていた。女房は松本の博物館で旧地方裁判所についての講演があって、自転車で聴きに行った。昨日伐ったアメシロの枝、退治しきれなかった幼虫がワンサカと出てきたので、残酷ではあるが草焼きバーナーで処分した。
2017年8月26日(土) 夜中から左上の奥歯の歯ぐきに痛みというか違和感を感じた。歯周病があって、ちょっと無理をしたりすると腫れることがあったので、人間ドックで生活ペースが乱れた(ドック中の食事が普段食べているよりかなり多かったこともある)せいかなと思っていたら、朝になると左目の奥が痛み出して、その下の左の頬の表面が痺れだした。おおっ!これはお馴染みの顔面神経痛(三叉神経痛)の症状ではないか。だけどいつもは顔面右側なのに、今度は左側だ?まあ、過去に左側に出たこともあるし、とにかくこの症状が出たら眼を使わないようにして休めることだ。特に出始めの初期が大事。終日、本や書類、パソコンの細かい画面などを見つめないようにして過ごした。もちろん遺物の実測もデジタル編集もできない。この日誌を打つのも無理をしないようにやった。
2017年8月26日(土)その2 またアメシロが発生して、庭木の何本かに巣が掛かっているのを女房が見つけたので、太郎に高枝切りで枝ごと落としてもらった。私は左眼が痛くて、手伝わなかった。今年はアメシロの発生が多い。隣りの正覚様の桜も上の方がえらいことになってる。天候とアメシロの発生の因果関係とかあるのだろうか?
2017年8月25日(金) 早起きして、三郎と二人で西山に繰り出した。今年は梅雨にけっこう暑かったし雨も降って、お盆以降はかなり涼しい日もあったので、「お山は豊作」かなっと、少し期待していたんだけど、夏キノコのチチタケがそこそこ採れた。まあシーズン初日としては良い方でしょう。今年はいけるんじゃあないかな。この時期の山はスズメバチが怖いので、とにかく耳を澄まして羽音を聞き分けた。展望台の直下まで行ったら2匹出てきてしつこく絡まれたので、威嚇かもしれないと思ってそこで引き返した。
2017年8月25日(金)その2 人間ドックに入っている間に三郎に道祖神の原稿の用語解説を作っておいてもらったので、すこし手直しして出版社に送信した。お公家さんの装束ってのは伝統的なものがいろいろあるんだね。こういう機会がないと知ることもなかった。
2017年8月24日(木) 昨日と今日の一泊二日で人間ドックに行ってきた。結果は、やはり仕事を辞めて気楽になったせいか太ってしまい、体重が80キロだった。それに連動して内臓脂肪も増えて、昨年初めて二ケタだったのが、また三桁に戻ってしまった。尿酸値はやや改善。左の耳が高音域で聞こえにくいのは昨年と同じ。他もほぼ昨年と同じだった。病院は最適の空調が保たれていてとても快適。二日間、籠っていて外に出たら、暑いやらムシムシするやら、かえって調子が狂うような気がする。女房は鼻から入れる胃カメラにチャレンジしたんだけど、鼻の穴が狭くてダメで、結局、口から入れたそうだ。私は胃カメラは至って平気で、毎年自分の胃の中の映像を楽しみにしている。
2017年8月21日(月) 毎朝、5時30分から6時くらいの間に家の周りをウォーキングしているのだが、8月に入ってからというもの、空が晴れて山際がくっきり見えたことが一日もない。特にお盆が終わるくらいまでは、必ず西山の中腹からふもと近くまで霧のような雲が垂れ込めていた。昔、仕事で発掘現場に直行していた頃、東山の上に昇った太陽がカンカンと照り付けて、うひゃあ!今日も暑くなりそうだ。と連日文句を言いながら家を出たのが幻だったかと思うくらい。これでは日照時間が足りなくて、農作物に影響が出る。困ったことだ。
2017年8月20日(日) 一昨日、女房が勤務先の同僚からスイカをもらったので、ここ一両日、せっせとスイカを食べている。1玉だけだが、ちょっと大玉で、一家四人ではなかなか食べきれない。現役の頃、職場でも夏はスイカをもらって食べたが、とにかく食べきらないといけないので、食べたいだけ食べたら残りは後にとっとくということができなくて、正直なところ、もらってもあまり嬉しくない差し入れだったことを覚えている。今回は半玉に切って冷蔵庫で冷やし、少しずつ食べているけど、最近のスイカって甘いね。昔はもっと水っぽかったような気がする。波田の下原からウチの村あたりにかけてはスイカの名産地なんだけど、こんなに美味しいスイカが採れるんだ。あらためて実感。
2017年8月19日(土) 塩尻の平出博物館で土偶などの顔をテーマにした特別展をやっているというので、午前中に女房と見に行った。貴重な土偶などはレプリカの借用展示だったが、それでも見事で、子供たちの夏休み中の企画としては秀逸だと感心した。展示の最後に木曽の小学校に保管されていたという、土師器の坩に墨で顔が描いてあるものがあり、土器はどう見ても6世紀くらいまでしか下らないので、「エッ!本物?」と思い、お忙しいところ誠に申し訳なかったのだが、小松係長に聞いてしまった。かつて小平さんが学会誌で紹介されたものだそうで、そういえばそういうことがあったな、などと思い出したが現物を見せていただくのは初めて。手にするとずっしり重くて、あながち伝世品ではないとも言えない。由来が判らないのが何とも残念な逸品でした。これが見られただけで、今日は儲けた。
2017年8月18日(金) 午前中、母のところに顔を出してお金を届ける。母は相変わらず施設を挙げた嫌がらせにあっていると訴えるが、どう聞いても被害妄想の気がする。とにかく40分くらい話を聞いて帰る。午後3時からは史談会の会長と会計と私の3人で大久保原の印刷業者さんのところに出掛けて打ち合わせをする。企画部の部長さんにお相手をしていただき、会長の方から本の構成や企画を説明して、資料などを渡してくる。印刷については私も前の職場でさんざん本を作ったので、ある程度知っているつもりではあるが、下手に口を挟んで会長たちのメンツをつぶしたり、出鼻をくじいてもいけないので、必要最低限のことしか言わないようにしていた。相手の部長さんは実績のあるその道のプロだし、まあ、上手くいかないことが起きたらフォローするつもりでいればいいか。
2017年8月17日(木) 明日、史談会の道祖神調査班の代表が印刷業者さんと打ち合わせをする、その前段の内部の打ち合わせを、今日の午後3時からやるという話もあったので、その時間に公民館へ行ってみたけど、結局、会長が忙しくて今日の会合は無し。女房から頼まれた古文書同好会の資料を渡して、図書館で少し調べ物をして帰宅。
2017年8月16日(水) 次郎は昼のバスと電車で職場へ帰った。夕方には無事にアパートに着いたと女房に連絡があった。次の帰省は年末年始か。
2017年8月16日(水)その2 深夜に眼が覚めると、家の周囲で秋の虫が鳴いているのが聞こえた。毎年そうなんだが、なんかいっせいに鳴きだすような気がする。コオロギとかカンタンとか、そんなのがこれから夜中鳴くわけだ。ああ、秋だ。冬も遠くない。
2017年8月16日(水)その3 午前中から右肩の調子がおかしくて、上げたり下げたり屈伸をしたりしていたんだけど、やがて肩を上げて腕を展ばしたりすると、ズキッと痛みが走るようになった。ずっと痛みが続いているわけではなくて、右腕を大きく使う、右肩が大きく動く動作を急にやると「ズキン」とくる。なんだ、これは?無理したり使いすぎた訳ではないと思うんだけど、困ったなあ。
2017年8月15日(火) お盆の最中で、しかも終戦記念日であるが、女房は午前中仕事で出勤。家に居た私と子供3人で正午の黙とうをする。このところ、ぐずついた変な天気で、いつも山際まで低く霧みたいな雲が立ち込めていて、降ったりやんだりしている。気温も夏らしくない。東京では降雨があった日の連続が50年ぶりくらいという珍しい状況だそうで、これは冷夏というやつか?忘れもしない平成5年の夏。米までが不作で、翌年にドッとタイ米が入ってきて、我が家では大喜びで食べたけど、世間は何かしけてた。また、そんなことになるのだろうか?
2017年8月14日(月) お盆の最中であるが、考古博に打ち合わせに行く。お盆だけど平日なので、竹・三の両課長補佐ほか二人の正規職が出勤していた。また全館清掃でY館長も出勤していた。皆さんお疲れ様です。私も現役だったら当然居たでしょうけどね。市営霊園に近いのでさぞかし周辺の道路は混雑しているかと思ったが、そんな気配は全然なかった。
2017年8月13日(日) 迎え盆の日。午前10時ころ、女房と二人で水月院のお墓に行く。女房の父母が眠るお墓は、毎年お盆に女房が行って掃除とお詣りをしているが、ここ2年ほど私も同行して、それぞれに手を合わせてくる。義父は女房が二十歳前に亡くなったので私が知る由もないが、義母が亡くなったのは2015年(平成17年)11月なのでよく覚えている。私としてもお世話になったし、とにかく小柄で話好きなおばさんであった。思い出すたび懐かしい。
2017年8月12日(土) 昨夜、遅くまで子供たちと麻雀をやっていて、今朝はすこぶる体調が悪い。普段は夕食時に軽く晩酌をして、夜の9時前には寝ちゃうので、寝不足と言う訳ではないけどそのペースを崩すとてきめんに具合が悪くなる。午前10時過ぎまで爆睡して復調できた。
2017年8月11日(金) 去年からできた国民の祝日「山の日」で休み。といっても私には関係ないけど。女房はなぜか午前中は出勤。この時期、家族のお祝い事がいくつかあるので、夜、盛大に焼肉をやって乾杯する。久々にホットプレートを持ち出して、ジンギスカンなど力いっぱい食べた。腹が苦しい。
2017年8月10日(木) 午前中、北アルプスの焼岳で小規模な噴火があって、松本市内に居た太郎と女房の同僚の携帯は自動的に警戒の音声を発したそうであるが、ムラに居た私と次郎、三郎には何の音沙汰もなかった。午前中、三郎と自宅のゴミ処理施設のメンテをする。
2017年8月9日(水) 夕方、6時30分から地元のFMラジオ局に出演。毎月第2水曜日が恒例となってしまい、今回もパーソナリティーの女性アナウンサーとアシスタントの男性と3人で、生放送の会話をした。タイムリーな話題として、松本城の外堀の発掘や大阪の百舌鳥・古市古墳群の世界遺産があがった。前回から、若い男性のスタッフが、とても興味を持っていろいろと話しかけてくれて、非常に嬉しい。
2017年8月9日(水) 昼ごろ、次郎が帰省してきた。16日まで居るということで、まあ、ゆっくりしていってくれ。昨日まで、夜が暑くて湿気が多く寝苦しかったが、今夜から湿気がなくなって、何というか涼しくなった。
2017年8月8日(火) 夜半に台風5号が長野県の近くを通過。昨夜からすごい雨となる。夏台風なので、散々迷走した挙句に、ゆっくりと日本列島を縦断した。松本市では避難勧告が中山と内田地区で出た。でも朝の始業の頃には降ったりやんだりになって、ウチのあたりではそれほど被害はなかったようだ。
2017年8月8日(火)その2 夕方6時から史談会の道祖神チームの会合があって出席。前回、読み合わせをして手直しをした原稿のチェックや今後の方針について話し合った。私は道祖神の概論、一般論を書いて持って行ってみんなに見てもらったが、ちょっと原稿の量が多い。縮めなくては。用語解説の図が欲しいという話になり、作成を引き受けた。今回は午後8時前には帰宅できたので、晩酌をして寝た。
2017年8月7日(月) 昨日から今日にかけて、大学時代の考古研の仲間と一泊で飲み会。毎年恒例の行事だ。タケさん、イシさん、ジャラさん、ヒデさんと私の5人が集まって、会場は旧梓川村の梓水苑。初めて行ったけど、風呂も部屋もそこそこ良かった。タケさん、ジャラさんは孫娘の話も出て、とてもうらやましい。イシさんと私はそんなに飲めずに早々に寝てしまい、タケさんとジャラさんはガンガン飲んで翌朝は爆睡していた。みんな元気だ。来年の当番はタケさんで、木曽でやりたいと言っていた。今から楽しみ。
2017年8月6日(日) 朝8時からネットの中継で広島の原爆の式典を見て、黙とうをする。式典には安倍首相も当然参列していたけど、やっぱ要人の警護というのはすごいね。祭壇で挨拶をする時も、スーツ姿のSPが前後左右を数メートルの間合いでがっちり固めていた。たしかに左からも右からも標的にされちゃう恐れだってないわけじゃあない。本人もだけどSPの皆さんとか、地元の県警とか大変だ。
周辺の水田では稲の穂が出揃った。早いとこは穂首が垂れ始めている。海抜700mの我が家だけどやっぱり暑い。今年は湿度が高い。参った。(8/6記
2017年8月5日(土) 暑い日であった。暑いのは例年のことなのだが、このところ湿度が高い。これには参った。午前中、1時間ばかり整理作業所に行って、ひとりで接合の前準備の分類作業をやる。接合の作業量はそれほどなさそう。掲載対象の最後の住居だ。あともうちょっと。午後は、来週の地元ラジオ局出演の打ち合わせメール作成や、史談会の道祖神の原稿案検討で終わった。
2017年8月4日(金) 母の介護認定の立会があり、ちょうど小井川の里枝さんが母に会いたいというので、8時半に小井川に行って里枝さんを乗せて、母のところに行く。母は里枝さんが誰かはすぐわかったようだが、名前が思い出せなかったみたい。介護認定は9時30分に市役所の担当者と施設長が来て、私と里枝さんが立ち会うような形で30分弱で終わった。母は毎度のように施設ぐるみで意地悪をされていると訴えるが、里枝さんにもどうしたって被害妄想にしか聞こえなかった。10時半まで母のところに居て、里枝さんを小井川に送って帰宅。家では相変わらず土器を描く。
2017年8月3日(木) 7月4日に台所の勝手口の網戸を付け替えて、その時に発生した古い網戸のアルミ材。今日、三郎に解体してもらってリサイクルボックスに出した。こちらの都合で出したい時に出せるのは、本当に便利。隣り家のでは、今年も大規模にネギをやっていて、今週初めから出荷のラインを動かし始めた。終日、お手伝いの人が数人来て、シュンシュンと機械で皮をむく音が響く。秋の終わりまでの、この界隈の風物詩だ。
2017年8月3日(木)その2 我が家とは関係ないことであるが(本当にそうか?)、「第3次安倍第3次改造内閣」が発足した。実績のある堅実な顔ぶれだそうだが、市場の反応はどうか?周辺諸国や欧米はどうか?内閣支持率は回復するのか?
2017年8月2日(水) 東京都議選の敗北とか内閣支持率の低下を挽回するためか、明日3日に内閣改造をやると首相は以前から公言していて、昨日あたりから誰それが入閣確実との報道が出始め、今日はニュース速報まで入る始末。人事の直前と言うのは奈良時代、平安時代の昔からみんな、あれこれと言ったりやったり、まあ人の世の常、組織というものの宿命で、自分の現役時代だって、上の人達とか周囲はけっこうヒソヒソと賑やかだった。
2017年8月1日(火) 今日から8月。暑いとか湿気が多いとか不満を言っているうちに、でも着々と日の出は遅くなって一日が短くなり、辛い冬に向っている。日曜日にしっかり眼を休めたので、昨日と今日は土器の実測に集中できて、25個描けた。40代以降、実測は人にやらせて、指導・点検するばかりだったけど、やっぱ自分でやってみると気付くことが多い。原点に立ち返った気分。
2017年8月1日(火)その2 我が家の庭の道路に面する樹のかなり低い所に、アシナガバチが巣を掛けて、だんだんでかくなってきた。道端だし、近くの保育園児のお散歩コースでもある。事故が起こってからでは遅いので、早朝にハチ専用殺虫スプレーで処理をした。ハチは巣に停まったままで全部死に、火ばさみで巣をむしり取って始末した。なんか、とても寝覚めが悪い。
2017年7月30日(日) 未明から起き出して、デジタルで土器の図版組みをやっていたら、右目の奥が痛み出した。朝食後、髭を剃っていると、右頬や顎の右側もヒリヒリする。これは来たな、と思い、眼帯をしたり右目を使わないようにして、午後まで寝ていた。ここで無理をすると、顔の右側全体が痺れて一週間くらい寝込むので、ちょっと気配があるとすぐ休むことにしている。いい気になって会報の編集とか土器の仕事かやり過ぎたかな?
2017年7月29日(土) 私のやり残しの仕事の一環で、家族にも手伝ってもらい、午前から午後にかけて作業所で遺物の整理。みんなに迷惑をかけているが、もう目的達成のためには手段を選んでいられる状況ではない。あともうちょっとなんだ。太郎は夕方から街で現場の暑気払いだそうなので、街を回って降ろしてから帰宅。
2017年7月28日(金) 昼までかかって、やっと史談会の会報の編集と印刷用の原板作成が終わって、午後、印刷担当の会員の自宅にお届けした。やっと終わった。毎週、金曜日は母のところに顔を出し、前の職場に回ってやり残しの仕事を少しずつ片付けていたんだけど、今日はとても無理で、午後は爆睡してしまった。3時過ぎに目を覚まして、中断していた土器の実測をやった。夕方、厚美先生に会報の原稿資料をお返しする。
2017年7月28日(金)その2 女房が先日始末したアメシロが、また庭のウドに出ているのを見つけた。今年はアメシロは精強なのかなあ?このところ雨ばかり降っていて、植物の抵抗力が落ちているせいなのかなあ?早々に退治しなくては。
2017年7月27日(木) ここ二日ばかり、史談会の会報の編集に没頭している。もともとは太田義一先生がガリ版印刷で出されていたのだが、体調を崩されてから、会員のなかで何とかワープロ打ちで出していた。その後、青沼先生がワープロ打ちで上手に作っていたんだけど、青沼先生も入院して亡くなってしまい、数年前に私が引き継いだ。まあ、私が、といっても、前号までは女房に編集してもらい、私は編集後記を書くくらいだった。仕事を辞めて家に居るようになったので、テキストの文字打ちだけ女房や子供にやってもらい、一から編集をしてみた。女房はワードでやっていたけど、将来の復刻出版を見据えて、インデザインやイラストレーターなどのアドビ系で手を付けてみた。今回は原稿が5人から集まって、実に28頁という大作になってしまった。面白い作業なんだけど、やっぱ時間はかかって、その分、土器の実測がストップしてしまった。
2017年7月26日(水) 早朝のウォーキングで、向かいの水田のウチの側の稲が出穂しているのに気が付いた。他の田んぼはまだ全然だし、同じ田んぼの向こう側ではまだだったんだけど、でも、ちょっと早いような気がする。やっぱ気候が温かくなっているのかなあ?
2017年7月25日(火) プラスチックごみを出す日なので、先日、大量に発生した発泡スチロールを、昨日、三郎に専用袋に詰め替えて車に積んでおいてもらったので、早朝に常会のゴミステーションに出してきた。月に2回、2週間に一度なので、このタイミングを失すると大変。近場の大規模店の前にできた資源ごみ回収ステーションにはプラごみだけが何故かなくて、溜まった時、出したい時に出せないのは少し苦痛。でも、これって贅沢な苦痛か?終日、史談会の会報の編集。土器の実測が全然できなかった。
2017年7月24日(月) 案の定、朝から腹の調子が悪い。ちょっと生活のペースが乱れると、すぐこれだ!我ながらかなわん。朝は8時前から土器の実測を始めて、午後1時になんとか1軒分、終わらせた。ふう。眼が痛い。
2017年7月24日(月)その2 女房が少し前に右ひざを痛めて通院してたんだけど、先日、大病院でMRIを撮ってもらい、その結果が今日出た。診断は膝の半月板の損傷ということで、とにかく、しばらくは大事にしているしかないようだ。健康と丈夫が取り柄の人だったので、かなり気の毒である。加齢が直接の原因ではないけれど、やっぱ歳を取ってくるといろいろと出てくるね。
2017年7月23日(日) 夜7時から史談会の道祖神チームの会合があって出席。冊子用の個々の道祖神の原稿をメンバーで検討した。みっちりやって、公民館の閉館の10時近くまでかかった。いつも夜は、遅くても9時頃までには晩酌やって寝ちゃうのに、こんなに遅くなって、また体調が悪くなると嫌だなあ。
2017年7月23日(日)その2 大相撲の名古屋場所が終わった。白鵬が14勝1敗で先場所に続き優勝。御嶽海は2横綱を倒し殊勲賞、千秋楽も勝って9勝6敗だった。秋場所は9月だから、それまでちょっと寂しいね。それに9月ってことは、もう半年度が終わるということ。なんか、相撲に一喜一憂しているうちに歳を取って人生が終わってしまうような感覚に陥る。まあ、それでもいいんだけどね。
2017年7月23日(日)その3 ウチのあたりでも久々に本格的な雨があった。畑をやっている農家の皆さんもホッとしたところだと思う。でも、今度は東北の秋田で大雨被害が出ているようだ。最近の天候は、どーも極端でいけない。
2017年7月23日(日)その4 早朝のウォーキングをしていたら、隣組のさつきにお巡りさんと犬を連れたお巡りさんが居た。何があったんだろう?そういえば、先日、回覧板を回しに行ったら外側からつっかえ棒がしてあって、宿直らしい奥さんが、夜、出て行っちゃう人がいるもんで、と言いながら開けてくれたけど、それか!?
2017年7月22日(土) 午前中、実測が終わった土器を考古博に返しに行く。整理棟に長さんが来ていて、土偶の図を組んでいた。お疲れ様です。子供たちを連れて行ってパワープレーで少し作業しようと思ったが、太郎は昨夜、消防の巡回の後、飲んで深夜の帰宅だったし、三郎は体調が悪いとかで、叶わなかった。でも、いい歳をした家族をあてにするというのも、なんか問題あるのかもね。
2017年7月21日(金) 母の障がい者手帳を受け取りに市役所に行く。一旦、母のところに回って保険証を借りて行った。市役所の担当は親切丁寧で、私が市外在住だと、所得証明が必要であることが判って、郵送で良いかと尋ねると、郵送料は市が負担する封筒をくれた。近頃は、大きな自治体は本当に市民サービスが行き届いていて、びっくりする。ウチの村役場もけっして悪くはないけど、さらに見習ってもらいたいものだ。
2017年7月20日(木) 梅雨明け後の日中の日差しは刺すように強い。敷地内に設置したコンテナハウスの書庫に大量に溜まっていた段ボールを資源ごみとして出す。ムラ境の郊外店の向かいに資源ごみのコンテナが常設されるようになって、そこへ自家用車の荷室に積み込んで、三郎と出してきた。行政の収集のように日や時間を限っていない常設なので、こちらの都合で作業ができるのはとても便利。でも、なんか落とし穴があるのかなあ?溜まっていた段ボールは三分の一ほど片付いた。
2017年7月19日(水) 気象庁から関東甲信越は「梅雨明けしたとみられる」という発表があった。近頃は「梅雨明け宣言」なんて言わないんだね。例年より2日早いというけど、結局、ウチの辺りはあんまり降らずに終わった。こんなんじゃあ、秋のキノコは大丈夫かいな。北部九州や北陸では大被害が出るくらい降ったのに、この違いはなんなんだろう?
2017年7月19日(水)その2 大相撲の名古屋場所。横綱の白鵬が、最多勝の魁皇の1047勝という記録に並ぶかという今日の千秋楽。相手はなんと御嶽海で、今まで4回、全然歯が立たなかったので、今回もまだ無理だろうなと思って観ていたら、なんと寄り切りで勝ってしまった。場内騒然、座布団乱舞。御嶽海はこれで勝ち越し。
関東甲信越は梅雨明け。例年より2日早いそうだ。ひどい水害もあったけど、我が家のあたりはあんまり降らなかった。秋のキノコが心配。(7/19記)
2017年7月18日(火) 朝9時に地域の小学校に出向いて、3年生の一クラス33人と一緒に山寺へ行く。地域を知る学習の一環で、史談会も講師を頼まれていたので、3クラスが山寺の見学に行くのに史談会員が2名ずつ同行する、その1日目が私の当番。もう一人は会長さんで、会長さんは学校との連絡調整もするし、3日間とも同行するので大変だ。その熱意に頭が下がる。山寺では説明は専ら会長さんがして、私は脇で子供たちの誘導とかしていた。史談会の仕事は初めてのことが多いので、最初からでしゃばってはいけないし、初心で聞くことによって「ああ、なるほど。ここではこう言うんだ。」とか「これは自分だったらこんな風にしゃべってみよう。」などと、若い頃に初めて現場に出た時と同じ気分になれた。山寺は本堂と山門が修復工事中で近づけないし、展望の舞台も老朽化して縁まで寄って眺められないなど、あまり良い状況ではなかったけど、子供たちは百体観音などとても興味を持って走り回った。小学校3年生か。ウチの小僧たちにもこんな頃があったんだなあ。と、しみじみ思い、さらに学生の時、教育実習で2年生を6週間教えた記憶も断片的によみがえった。
2017年7月17日(月) 海の日で娑婆は三連休。でも毎日が日曜日の私には関係ない(本当か?)。我が家の敷地の一角に設けてあるささやかな家庭菜園が雑草だらけになってしまったので、午後の炎天下に草取りをする。雑草と一口に言ってしまっても、コスモスやアサガオもどんどん出ていて、みんな可憐な花が咲くのでいっしょくたに撤去してしまうのは忍びないところではあるが、野菜を守るために強勢な草花を片っ端から刈った。それから、明日は2カ月に一度のガラス瓶の日なので三郎と袋詰めにして、出す用意をした。家に居れば自分の時間が取れるって?家の管理はそんな生易しいもんじゃあないってことを実感しつつある。勤めに出た方が楽なんじゃないかね。
2017年7月16日(日) 家においている土器が増えて置き場が少なくなったので、実測が終わった土器を中山の整理作業所に運ぶ。日曜なのに長さんは出てきて図面を書いていた。お疲れ様です。女房は松本の市街で大道芸があるといって、膝が痛いのにバスで出かけて夕方帰宅。本当にお祭りの賑わいが好きな人だ。
2017年7月16日(日)その2 先週の日曜日から大相撲の名古屋場所が始まって、今日が中日(なかび)。郷土力士の御嶽海は新関脇、5勝3敗で折り返した。4横綱は鶴竜と稀勢の里が休場してしまい、ちょっと寂しい。でも白鵬の最多勝の大記録がかかっている場所だ。今週も楽しみ。
2017年7月15日(土) 今朝も朝食後くらいから不調。起床してウォーキングする頃には何でもなかったのに。寒気がして気が滅入り、毛布をかぶって寝る。11時ごろに復調。土器の実測をする。
2017年7月15日(土)その2 夜7時から史談会の道祖神チームの会合。前回の役員会の時、チーム長でもある会長さんから、県の元気つくり支援金は道祖神の冊子作りと看板建ての二つで申請し認められたと聞いて、私は冊子だけだと思っていたので、ちょっとびっくりするとともに、看板の方は土地や管理者との協議が必要で、それがこの事業では最も大変な仕事になるんじゃないですかね、と話をしたんだけど、案の定、今日集まった道祖神チームの皆さんも、道祖神の管理は地区や場所によって常会や講、○○仲間などいろんな形で行われていて、それを把握するだけでも大変、とか、さらに道祖神がある土地は土地で所有者が別だったりする、などと屋外の石造文化財の背後にある問題を列挙して、今後の多難さを述べられた。看板に記す情報も地域の関係者や管理者の同意を得なければならないし、そもそも道祖神は地域のお祭りの対象であって、必ずしも史談会の会員のようにムラの歴史と文化を代表するものとの認識がない人も多い、という指摘もあった。県の支援金の申請前だったら冊子はともかく、看板は断念した方が無難だったような気がするけど、そんな事情は百も承知の会長さんが信念でやる気を出しているので、私としてはできる限り協力しなくては。
2017年7月14日(金) きのうとおととい、史談会の行事やその他で出歩いたりしてフルに活動していたら、今日は朝から不調で、気温が高いはずなのに寒くてモーフをかぶって午前中は寝ていた。そのせいで、母のところにも以前の職場にも顔を出せなかった。昼には何とか復活したけど、とにかくほどほどにしないとすぐ調子を崩すのは退職前と変わっていない。
2017年7月13日(木) 午後2時すぎから地域の小学校のクラブで歴史散歩というのがあって、講師を頼まれた史談会の一員として、4年から6年生までの児童15人と村南部の道祖神巡りをしてきた。講師と言ったって私は初めての参加で、石造文化財についての勉強は大学を卒業して以来、すっかり怠っていたので、会の先輩たちにひっついて行って、子供と一緒に説明を聞いたというのが正直なところ。役場のマイクロバスが出て、ほとんどの行程を歩くことはなかったが、暑い日で、子供が一人、少し不調になって、みんなで青くなった。双体道祖神や石造物は、私が中学校の時に歴史を志した原点でもある。ずっと型式学的な観点から勉強したいと思い続けて今になってしまった。やらねば!いや、やりたい!
2017年7月12日(水) 朝8時から史談会で古道の草刈り作業。私みたいな非農家の素人が行っても全然役に立たないんだけど、今まで勤めていて協力できなかったし、役員でもあるので参加して、慣れない草刈り鎌を振るってきた。15人が参加。主力隊は一旦、車に分乗して登り、上の方から刈りながら降りてきた。10時30分くらいに終了。この山寺に続く古道は、もう一度ゆっくり歩いてみたいな。
2017年7月12日(水)その2 午後1時半から、やはり史談会の村内探訪があって、ムラの上の方の地区公民館に集合。こちらは20名以上集まった。炎天下ではあったが、石仏の道祖神とか辻の御柱とか、中村太八郎の生家とかを回って見学した。同じ村内(ムラウチ)でも上の方の地区と下の方の地区では地形や環境、民家の配置や石造物など、全然違う。こういう機会がないとじっくり歩くこともなかったので、とても良い機会であった。元禄の笠塔婆型の庚申塔など面白い。古墳らしい塚もあるという話も聞いて、こちらももう一度ゆっくり歩いてみよう。
2017年7月12日(水)その3 忙しい今日の締め括りは、夕方6時半から地域のFMラジオ局への出演。こちらは毎月の第2水曜日と決まっているのであらかじめ予定していたことではあるが、昼間に二つもイベントがあったので、ちょっと疲れた。終了後にスタッフの若い男性が古代の地域の歴史の話を非常に興味を持って質問されてきたので、私も嬉しくなって、つい30分近く長居をしてしまった。最後の最後まで、本日は収穫の多い良い日だった。
2017年7月11日(火) 昨日、今日と家に籠ってひたすら土器を実測する。作業場と化している1階の板の間の照明が暗いので、朝のうちに女房が職場で使っていたアームライトを受け取ってきて据え付けたら、これが調子いいんだわ。
2017年7月11日(火)その2 北部九州の豪雨被害。死者、行方不明者が50人にも達するような大被害、とんでもないことになっていて、全国から応援、支援が集まりつつある。被害があった地域はどこも、山があって川の流れがあって緑があって、田んぼや畑に囲まれた、災害が無ければ不便だけど良い所なんだろうなあ。
2017年7月9日(日) 午前中からやり残しの仕事をやりに考古博に行く。接合作業があったので慣れた人と新人をお手子に連れて行ったので、作業がはかどって良かった。梅雨は明けていないが、気温が上がって暑い。風があったのがせめてもの救い。
2017年7月8日(土) 午後1時半から平出の土曜サロンで長野市の大室古墳群の話を地教委の風間さんから聞く。国の史跡に指定されている著名な遺跡だが、きちんと勉強する機会が無くて、あらためて担当者の講演を聞くことができてよかった。大室古墳群は、学生の頃2~3年間、矢口さん達と山菜の頃に標識を立てに行ってはタラノメを採ってきて矢口さんの奥さんに天ぷらに揚げていただいて、そのまま大宴会をしていた事を思い出す。
2017年7月8日(土)その2 庭のクヌギにクワガタが来た。コクワかスジクワガタだと思うがオスで、女房と私が観ているのも気にしていないごとく、どんどん樹を降りて根元に潜って行った。クワガタが来たのは2年ぶりくらいか。古い友達に会えたような気がした。
2017年7月7日(金) 午前10時に母のところに顔を出して、その足で考古博に回り打ち合わせとやり残した仕事をやる。今の古巣は仕事が多岐にわたっていて、頭数は居るけど、なかなかやり繰りが大変なようだ。とっとと早期退職で敵前逃亡をしてしまった責任も感じるけど、トップが変わったらやり方だって変えて行って良い、というか変えて行くべきで、そういう新陳代謝が実は重要で必要なんだとぶれずに思い続けたい。家ではとにかく土器の実測。
2017年7月6日(木) 今年は害虫が精強で、我が家の庭木にもあちこちにアメシロが付いてしまった。巣が掛かっている枝を、太郎と三郎に片っ端から伐ってもらい、全部燃して始末した。卵からむけたばかりのごく小さい奴から、巣を出る寸前くらいのかなりでかくなった奴までいろんな段階のアメシロの幼虫が居て、残酷ではあったがすべて焼却した。
2017年7月6日(木)その2 九州北部では大雨の被害が凄まじい。線状降水帯というのが停滞して、延々と豪雨が降り続いている。今は雲の動きとか降雨の状況もすべてリアルタイムに近く捉えられるようになって、前線上を積乱雲が次々と通過しながら狭い範囲に多量の降水をもたらす天象が解明されてきた。線状降水帯の雨って昔、ゲリラ豪雨とか梅雨末期の大雨とか行っていたやつだね。技術の進歩ってすごい。でも降水帯を把握できたところで、豪雨を防げる訳ではない。あくまでも早目の対策と適切な避難、それしかない。圧倒的な自然に人智は抗しえない点は変わらない。
2017年7月5日(水) 午前中、軽自動車の新車点検に行って、オイル交換代2,500円。その後、松本の街へ出て土居尻の現場を見学する。先日、担当の補佐から古代の土器が出ていると教えていただいたので、現地で見せてもらった。緑釉の香炉(合子)の破片と、土師器の小形の甕で、後者はもしかすると4~5世紀くらいな気もする。さて、どこに由来するのだろう。街中は戦国末から市街化が進み、古い微地形とか水利はまったくわからず、原始・古代の遺跡の把握は非常に困難だ。こういう小さい発見を積み重ねて解明していくしかない。
大手の事務所にも顔を出す。
2017年7月4日(火) 自宅の台所にある勝手口に取り付けたドア用網戸。もう20年以上も使っていて、あちこち破れ、先日はハエが侵入してひどい目に遭ったので、午前中に太郎とホームセンターへ新品を買いに行き、三郎と女房も加わって取り付け、設置した。20年に一度の作業なので私の不手際が目立ったが、何とか終了。調子がよさそう。購入費は17,000円弱、工賃はタダ。外は終日の雨降り。新潟、北陸、山陰ではすごい降りになってる。西からは台風3号が迫る。
2017年7月3日(月) 昨夜半から久々の不調。朝起きられず、午前10時過ぎまで寝ている。仕事を辞めてから初めてか?このところ、昔取った杵柄、とばかりにいい気になって土器の実測とかガンガンやってたせいかなあ?
2017年7月3日(月)その2 この土日で我が家のまわりの休耕田の麦もあらかたが刈り終えた。若い頃は、麦刈りが終わると「さあ、夏場施工のほ場整備の発掘が始まる。」と、シーズンの到来を気合で迎えたもんだが、今となっては懐かしい。
2017年7月2日(日) 終日、家に籠って土器の実測。だいぶ調子が出てきたけど、昔から高台の部分が苦手だったことを思い出した。灰釉陶器は高台の僅かな反りとか尖り方が勝負なので、気合が入れば入るほど線が死んでいく。
2017年7月2日(日)その2 ここら辺には全然関係ないんだけど、東京都議選の投開票日。このところ自民党は不祥事続きで逆風だったからどんな結末になるのかとは少々気になった。NHKで夜7時55分から開票速報を始めて「大河ドラマは8時15分からお送りします。」と言ったので、最初の15分で大半の当確を出してしまうつもりかな、なんて思ったりもしたんだけど、本当にそんな風の展開になってびっくり。知事与党の圧勝、自民大敗で、都政もだけど、今後の国政や政局がどうなっていくのかな。
2017年7月2日(日)その3 中信地区の消防団の大会があって、太郎はうちのムラの代表としてラッパ隊で参加。このところ毎晩、厳しい練習を積んでいたので、無事に役目を務め終えられるよう祈る。夕方、いったん帰宅して、結果は6位だったそうで、まあ、そんなところだろう。大きな自治体などの団では吹奏楽の体験者を中心に専属のラッパ隊を組織して臨んでいるようで、団員になってから初めてラッパを手にし、夜間の巡回や出動、消火栓の点検管理などの本務の間を縫って練習しているメンバーとでは、それは歴然とした差が出てもしょうがないよ。良く頑張った。お疲れ様。
2017年7月1日(土) 今日から7月。もう1年の半分が終わってしまった。女房は公営博物館の行事に申し込んで上田の近代建築を見学。天気が悪かったので集合場所まで送迎。せっかく遠出したのに昼を中心にザンザン降りで気の毒。私は家に籠ってしこしこと土器の実測。
ここにきて本格的な梅雨空になった。全国各地で大雨。むしろ梅雨末期の典型的な降りかただ。渇水も心配だけど水害も困る。(7/1記)
|
|