2017年(上半期)の3行日誌

2017年6月30日(金) 週一の定期便で母のところに顔を出す。途中でホームセンターによって、頼まれていた掃除機のゴミ袋と、クローゼットの防虫剤を買う。考古博へは回らず、早々に帰って昨日の続きの実測をやる。約6時間で坏椀が10点。もう少しペースを上げたいなあ。

2017年6月29日(木)
久々に土器の実測をやる。学生の時とか就職して数年、発掘がない冬場はそれこそ実測とトレースで昼も夜もなかったけど、だんだん体制が整って組織が充実してきたら人を使うことばかりに忙殺されて、自分でコツコツとやるなんてことがなくなった。最後にやったのは昭和の終わりころか?実に30年ぶり!始めてみて、やはり眼が悪くなっていることには愕然とした。でも、若い頃に身体で覚えたことって忘れないもんだ。1日8時間みっちりやって、平安の坏椀を13点描けた。30年ぶりだで、まあまあってとこじゃないかな。

2017年6月28日(水)
前の職場に行って土器を借りてくる。いくつか追加の図面が必要になったんだけど、手一杯でとてもやってもらえそうにないので、いよいよ自分でやらねば。

2017年6月27日(火)
先月の下旬に届いた軽自動車の1ヶ月点検の連絡のハガキが来た。自動車屋に電話すると、1000キロが目安とのこと。まだ積算計は600キロ台。まあ700キロの後半くらいになったら行ってくるかね。
2017年6月28日(水)その2
ここ2年ばかりで20㎏ほど痩せて、昨年の秋にスーツを吊るしで新調した。それまで着ていたのはダブダブになってしまい、ハンガーにかけてほおっておいたので、きちんとクローゼットにしまおうとしたら、濃いダークの上着の方にいくつか小さい穴が開いている。しまった。油断していて虫に食われたんだ。太っている時には吊るしでは丁度良い大きさのが無くて、イージーオーダーだったけど一応作ってもらった物で、そこそこの金額もかかった。ちゃんと防虫剤を入れて保管し、もし直せるものなら直してもらおう。えーん。

2017年6月26日(月)
昨日の地震は木曽では道路の亀裂とか落石とか、田んぼの水が抜けちゃったとか被害が出ているみたいで、人死にはなかったけど、大変だ。小さな余震も続いているようで、しばらく気が抜けないね。

2017年6月25日(日)
朝、7時頃、パソコンに向かって仕事をしていたらグラグラっときた。うわっ、地震だ。携帯の地震速報のアラームも一斉になり出し、二階の部屋だったけど慌てて床に伏せた。揺れは10秒以上続いたか。収まったので階下へ降りると、台所仕事をしていた女房は気が付かなかったそうだ。おっかけでテレビで速報が入り、長野県南部で震度5強とのこと。長野県南部っていったって広い。どこだ何処だと見ていたら、王滝村や木曽町だった。大被害が出た長野県西部地震の再来か?ここら辺は震度2から3だった。午後にもちょっと揺れた。大きな被害がないことを祈る。

2017年6月24日(土)
午前中、三郎と二人で以前伐った庭の木を片付ける。いつも一人でやっていた作業だが、やっぱ二人でやるとはかいくね。なから、予定の量は終わった。ただ、自分のペースでできないので、ちょっと疲れた。

2017年6月23日(金)
午前中に母のところに顔を出して、その後、考古博に回る。いくつかやり残しの仕事の確認と打ち合わせをして、午後は早々に帰る。

2017年6月21日(水)
ずっとカラ梅雨が続いていたが、久しぶりにまとまった雨が降った。夜半から降り始めて、夕方近くまでしっかり降った。我が家の周辺の畑もこれで一息ついた感がある。今日は夏至。これから徐々に日が短くなって冬に向かうのかと思うと気が重くなるが、まあ、秋のキノコを楽しみに生きるとするか。

2017年6月20日(火)
女房に教わりながら夕食用にポテトサラダを作ってみた。ジャガイモの皮をむき、20分以上茹でて潰すという作業。皮むきが一番時間がかかって、不慣れで手付きは悪いしケガをしそうになるし、なかなかコストのかかる料理であることを実感した。学生時代、一人暮らしをしていた時もよくポテトサラダは作ったが、粉末のマッシュポテトをお湯で溶いて冷凍のミックスベジタブルを混ぜるという手抜き料理だったので、イモ本体から作ったのは実は初めて。また挑戦しよう。

6月7日に梅雨入りしたものの、ここまではまったくのカラ梅雨。夏以降の渇水が心配になる。休耕田は見事な麦秋。(6/19記)

2017年6月19日(月)
昨夕と今日の夕方、史談会の年会費集めに回る。私の受け持ちは自分も含めて10軒で農家の方が多いので、農作業が終わり野良から帰った頃合を見計らって回るのだが、昨日5軒、今日は1軒から集まった。前もって貰ってあった1軒と私の分を除いて2軒が居ない。この2軒は農家と言うより不定期な仕事をされているようで、毎回こんな感じ。まあ、なんとかなるでしょ。

2017年6月18日(日)
県の考古学会の総会が更埴の県歴であったので出席。現役の時は、土日でも休出したり、疲れてのびていたりして、こういうことに全然参加できなかったので、まあ、少しずつ顔を出していこうと思って、開会から議事、藤森賞の授賞式まで出て、記念撮影が終わって帰った。午後の講演も聞きたかったけど、それだと帰宅が5時近くになってしまい、また疲れて寝込むと嫌なので、早々に失礼した。5月に納車になった軽自動車で高速を走ってみたが、するぶる調子が良い。それに高速料金が安い。事故さえ起さなければ、軽もなかなかだね。

2017年6月17日(土)
三郎に手伝ってもらい、やり残した仕事で遺物の接合を整理作業所に出掛けて行う。午前9時から午後2時までみっちりやった。近年、接合作業などは人にやらせて、自分では滅多にしなかったので、久しぶりの作業は疲れた。

2017年6月16日(金)
週一の日課で母のところに顔を出す。このところ母は頻繁に、施設で嫌がらせを受けており、自分を追い出したがっているのだと私に訴える。詳しく話を聞いていると、どうしても母の一方的な思い込みに聞こえるのだが、まあ、とにかく話は聞く。友人の体験談や報道記事でも、まことしやかに意地悪をされたとか財布を隠されたとか言い始めて、それまでとてもしっかりした人だったので、最初は別居している家族はみんな真に受けてしまい、同居人や関係者を責めたんだけど、実は認知症の始まりだったという話は多い。いよいよこのパターンかな、とも思う。自分はもうここにはいられない、と身振り手振りも悲劇の主人公のように落胆を演じる。でも、施設を移ったってよくなる保障はない。きっと同じだろう。私も仕事に出ていた頃なら、心身ともにストレスで参っていたので、こんな母には付き合えなかったが、まあ、今は呑気な身の上なので、せいぜい週一で顔を出して、話だけでも聞いてやろう。帰り際に少し施設長さんと話をしたが、母の状況をかなり客観的に把握されていて、ここに居られるうちは居てもらいたいと考えていると言われ、よろしくお願いしますと挨拶した。その後、以前の職場に寄って、仕事の打ち合わせや指導などで、帰宅したら午後5時近かった。

2017年6月15日(木)
夜、ムラの史談会の幹事会に出席。常会の寄合と同じで7時半からだとばかり思い込んでいて、7時からの開会に10分以上も遅刻してしまった。情けない。主な議題は古道の草刈りと村内探訪。現役の時は疲れていて、枝葉の話に逸れてばっかのオジサンたちにイライラしたけど、ゆっくり付き合える心と時間のゆとりが出来たら、なかなか昔の思い出など、みんなおもしろい。議題とは別に若い会員がいなくて、今後が心配だという話が出て、私も知り合いを誘わなくては、などとも思った。9時半頃に終わって公民館の駐車場に来たら、向かいの役場の駐車場で消防団がラッパの練習の後、整列していて、太郎も並んでいた。お疲れ様。

2017年6月14日(水)
夕方の6時半から、FMまつもとの夕暮れ城下町という番組に出演した。毎月の第2水曜日で、今回で5回目となる。前回は道が混んで時間ぎりぎりに局に飛び込んで迷惑をかけたので、今日は中山で午後3時ごろから作業をして、そのまま筑摩に回った。冒頭で、先日、長野市内で見つかった和同開珎の話になった。こういう、筋書きにないタイムリーな話題こそがおもしろい。

2017年6月12日(月)
午後、3月まで県歴の課長だった先輩のHさんに、現在まとめている報告書の土器などについて御教示を頂いた。中山の考古博までお出でいただき恐縮至極。やっぱこの時期の専門家で、いくつかの疑問や悩みが解決した。色白のH先輩にしてはすっかり日焼けしていて、田んぼや畑をやっているそうだ。私なんかは管理すべき営農地もなくて、気楽なもんだという事を痛感した。もっと頑張らねば。
2017年6月12日(月)その2
朝、5時20分頃にウォーキングに出たら、既に日出後だったにもかかわらず吐く息がうっすらと白く、日陰では手がかじかんだ。このところ、ウチの地域ではそこそこ好天なのに風は北風で寒く、私はひったるんでハンテンを着ている。長野県内は7日に梅雨入りが宣言されたが、寒気団の南下が著しく、午前中は好天で北風、午後は曇って雷鳴がするという日々が続いている。先週、痛めた脚はほとんど回復して、今朝のウォーキングで痛みは出なかった。

2017年6月11日(日)
山菜シーズンの締め括りで、女房と太郎と3人で西山へワラビを採りに繰り出した。6月の中旬になったというのに山はうすら寒かった。狙いのポイントで予定通りの収穫があり、他の場所のワラビはみな大きく開いてしまっていた。帰途に山寺に寄ると、山門と本堂の改修工事が始まっており、足場が組まれて、立ち入り禁止区域が設定されていた。

2017年6月9日(金)
週に一回、母のところに顔を出して、考古博にも行く日であるが、早朝から腹が痛くて下痢。どこへも外出せずに家でおとなしくしている。
2017年6月9日(金)その2
今、流行の「ポピュリズム」について、歴史的な観点での知識が欲しくて、先日、岩波から出た本を購入してみた。紹介では、歴史的な経緯を踏まえて、というようなことも書いてあったので選んだんだけど、一読して、歴史的に遡っても1960年代あたりくらいしか論及していなくて、あてがはずれた。現代の「ポピュリズム」については、おそらく明快かつ妥当な解説と対処の書なのだろうけど、古代アテネの衆愚政とかローマのパンとサーカスとかフランス革命とか、はたまたファシズムやナチズムの台頭とか、民衆と権力、民意操作など、今に続く「確実な方法」と、それによって起こった喜劇と悲劇の短期的、長期的な考察を望んだんだけど、やっぱ本は本屋で立ち読みして買わないと駄目だと痛感。ところで、日本の学校では近代史、現代史を教えないと非難されて久しい。確かにそうなんだけど、近現代史と言うのは、当然のこととして長期的な評価がまだ定まっていないので、教科書的には教えにくいとも言えるのではないか。近代以前の事件ですら研究者によって解釈や評価が異なることが多いのに、近現代なんてそれぞれの立場では180度も違ってくる。場合によっては関係者だって存命だ。単に事実を羅列すればいいんだと言ったところで、では「事実」ってなんだ?ネットの情報、新聞の記事の一つひとつに文献史学のような史料批判の手法が必要なのかもね。

2017年6月8日(木)
このところ腹の調子が悪くて、下腹が断続的に痛む。下痢になるのかと思うと、そうでない時もあって、まあ、家に居るので、行きたい時にいつでもトイレに行けるからいいけど、とにかく不快な痛みで寝たり起きたりしている。それに、ここ一両日くらい、右ひざの直ぐ上の筋肉が膝に接する部分に微妙な腫れがあって、強い負荷がかかると痛みがある。仕事を辞めても、あいかわらず病気のデパート状態だ。

2017年6月7日(水)
昨日、山へ繰り出す途中で、四ツ谷の県道で歩道増設工事をしているのを見かけたので、もしかして大久保古墳群の新発見でもあるかと、早朝に見に行った。石室の石材みたいなものは見当たらずホッとしたが、1mくらいのでかい落ち込みが1カ所見えた。なんだろう?でも、それより足で歩くとまだまだ微地形が残っていて、いろいろと想定できることがあるのに改めて気付いた。

2017年6月6日(火)
女房と太郎は出勤で、私と三郎は早朝から西山へワラビを採りに繰り出した。けっこう採れて、天気も良いので展望台まで登ろうと奥社の入り口まで来たら、30mくらい先の笹の中で大きく動くものがある。最初、人かと思ったけどこちらの物音を聞いて、どんどん笹の中を選んで遠ざかって行くので、どうやら動物だ。すわ、熊か?と緊張して凝視したけどよく見えない。4月にはカモシカにも会ったのでそれかもしれない。もし熊だったら、これから登って行く方向にいるということなので、無理をせず、そこから引き返して下った。その後、下の林道に回ったけど、また私の腹の調子が悪くなって、早々に帰った。帰宅すると本格的に腹が下って、午後は唸って寝ていたら夕方に少し良くなった。夜、女房から教わってワラビのアク抜きを仕込んだ。

2017年6月5日(月)
女房が週に二日、郊外の大きな公園で屋外の仕事をしているが、このところ少し膝が痛いと言うので試しにクルマで送迎をしてみる。一般の通勤コースとは逆方向なので渋滞も混雑もなく、実質15分くらいで着いた。天気さえ良ければ自転車での通勤が快適なコースだ。
2017年6月5日(月)その2
先日、村役場から村県民税納付の通知がきて、30万円ちょっとの金額にびっくり!と言うのはウソで、住民税は前年の所得で課税額が決まるので、仕事を辞める前から支出に織り込み済みであった。とは言え、トイレが壊れたり、母の補聴器を替えたりと、まったく予定外の高額支出が続いたので「これはたまらん。」と思っていたところに届いた通知だったので、やはり痛かった。午前中に村役場に出向いて納めた。

2017年6月4日(日)
一昨日からの腹の不調が治らず、終日、家居。仕事を辞めてストレスから解放されたはずなんだけど、いったん調子を狂わすとやっぱダメだね。朝6時からムラの環境衛生で太郎と三郎に行ってもらった。例年のとおりの集会所内外の掃除と、今年は大きくなり過ぎた枝垂桜の剪定をやったそうだ。ご苦労さまです。

2017年6月3日(土)
午後1時半から平出博物館で土曜サロンがあり、女房と聴講する。今年のテーマは古墳で、今日は安曇野市の山下さんが穂高古墳群について話した。平地の集落遺跡との対比が見事で、発掘や試掘の成果が積みあがって、やっと地域のモデルが作れるようになったのだと実感。高校の同窓生で部長になっているN君が手伝いに来ていてコーヒーを配っていたのにはびっくり。久しぶりに話ができた。

2017年6月2日(金)
午前中に母のところに寄って、その足で考古博物館に顔を出す。私がお願いしてあった仕事のうち土器の実測は5月いっぱいで一区切りとなった。ご迷惑をおかけしました。午後、少し打ち合わせをして帰宅。昨夜、よく眠れなかったせいか腹が痛くて体調が悪い。

2017年6月1日(木)
夜半に変な雷が鳴った。ゴロゴロと長くなり続け、最初は低空で航空機が飛んでいるのではないかと思った。ひとしきり鳴って雨が降り、しばらく止んだがまた鳴り始めて、また雨が降った。無性に頭に響いて全然眠れなかった。

2017年5月31日(水)
昨日、今日と家に籠って報告書の土器の図版と一覧表作りに集中する。ただ、やり過ぎると眼が疲れて痛み出すので、一時間おきに20分以上の休みを取っていると、ちっともはかいかない(はかどらない)。午前中にトイレの交換工事代の振込に出掛け、ついでにスーツと冬物をクリーニングに出した。

2017年5月29日(月)
午前中に松本の街へ出る。まず源池の井戸の前の眼科に寄って、母から頼まれた目薬を貰い、次に市役所の職員課で退職者の会の会費を払い、博物館に寄って新旧の館長に挨拶をし、最後に中央公民館で、若いK君F君と少し話をした。その足で瀬黒の母のところに回って目薬を渡し、帰宅したら12時少し前だった。ふう。このところ天気が良くて、内陸部は軒並み30℃超え。我が家も二階は熱気が溜まって暑いが、庭中に雑然と植えた木々のおかげで一階はことのほか涼しい。

2017年5月28日(日)
早朝から女房と太郎と三郎と4人で西山へ繰り出す。試しに新しい軽自動車に4人で乗って行ってみたが、やっぱり狭い。旧電波塔跡のワラビがやっと出始めた。展望台より上でコシアブラが大漁。村境からは残雪の乗鞍が絶景で、そのまま三角点まで足を延ばしてみた。今ではやぐらが組んである場所に三角点の木板が置かれているが、実はこれは間違いで、本当の三角点はそこから100m以上奥にある。太郎が密生した笹をガンガン刈り払いながら進んで何とか到達した。国土地理院の白いプラ杭の脇に石柱が埋め込まれており、三角點と彫ってあった。

2017年5月27日(土)
高校同窓会のムラ支部の総会と飲み会が夕方6時半からあって参加。まだ、右目の調子は今一つなんだけど、毎年参加しているし、年に一度きりなのでと思い出席したけど、そーいうのが回復を遅らせているのかなあ?これまではけっこう上の先輩たちばかりだったが、今回は1~2級上の先輩や後輩が来ていて面白かった。それに、去年から隣村の校長になってムラに戻ってきた、風研の同期のY君が新会員で加わって出席したので、いろんな話ができた。年に一回、力いっぱい校歌と応援歌を歌う貴重な機会だ。

2017年5月26日(金)
午前中、母のところに顔を出す。先週は体調不良で行かれなかったので2週間ぶりだ。母は相変わらず。目薬が切れたので眼科に行って貰ってきてほしいと頼まれた。来週の月曜日に行くことにする。右目の調子が今一つなので考古博には寄らず帰宅して、大人しく寝ている。

2017年5月25日(木)
塩尻の平出博で縄文住居の特別展をやっているので、午前中に女房と見に行く。箕輪の小学生が団体で見学に来ていた。平出は縄文の発掘の蓄積がすごいので、いろんな切り口の企画展ができる。面白かった。館から出たら、県埋文のH君、N君らの一行に会った。朝日の現場、雨で休みなので見に来たそうだ。帰宅すると、右目、右の扁桃腺、右耳の奥の痛みが強くなって、何もせずに寝ていた。夜になっても痛みは引かず、晩酌もしないで寝た。いい気になって頻繁に山へ行き、クルマを買って舞い上がっていた報いか?

我が家のまわりでは、田植えはほとんど終り、休耕田の麦は穂が出揃った。千年続けても連作障害がない水田。天水だけで育つ麦。人類を支えた栽培植物を今も身近で見る。(5/24記)

2017年5月24日(水)
先週の金曜日、顔面神経痛が出そうで考古博に行かなかったので、午前中に顔を出してお願いしてあった仕事を見る。ちょうど来訪した会田さんに会って抜き刷り送付のお礼を言うことができた。先週の土曜日にC県のHさんが来たのは前記のとおりだが、その時に手燭形土器の教示を受けた内容について長さんはとても喜んでいたが、新発見の話は私も嬉しい。午後1時前には帰宅。
2017年5月24日(水)その2
3月に注文してあったジープタイプの軽自動車が届いて、午後2時に自動車屋まで太郎に乗せて行ってもらい、自分で運転して持ち帰った。久々のMT車。平成17年にオートマ車にして以来、急に太り出したので、いつかはMTに戻したいと思っていたし、小さい車が欲しかったから、ちょっと無理して購入してしまった。まあ、人生最後の大きな買い物だろうね。林道を走らなきゃ!

2017年5月23日(火)
太郎は現場、女房はムラの公民館の見学会で外出。三郎と二人で9時頃から西山へ繰り出す。顔面の右半分が不調なのでやめときゃいいのに、とも思うのだが、山菜はこのシーズンしかない!と、半ば強迫観念みたいなのに急かされて出かけてしまう。高いところまで登ってコシアブラ、やや低い林道でワラビを採った。急に暑くなってハエがすごい。汗にまとわりついて来て、すこしでも移動しないで立っているとワンワンしてくる。「五月蠅い」とはよく言ったものだ。昼前には帰宅したが、疲れた。12時半から2時半くらいまで爆睡してしまった。

2017年5月22日(月)
塩尻市にある運転免許センターに自動車の運転免許証の更新に行く。午前の受付が8時半から9時半ということなので、家を7時半過ぎに出た。通勤時間帯なので、逆方向とは言え、やはり休日に走るのとは少し違う、急いだ車が多かった。実際の受付は8時半の少し前に始まった。私は前回の更新後、2013年の2月に駐車違反を犯してしまい、20年以上ずっと無事故無違反でゴールド免許だったのが、今回は青色免許に格下げになってしまった。くやしい。視力検査と写真撮影、講習が1時間(前半30分で動画を見て、後半は講義だった。)で、すぐに交付になり、10時前にはセンターを出られた。費用は交付関連が3,300円、安協加入費が2,000円で、〆て5,300円。
2017年5月22日(月)その2
右目の調子がまだ少し良くない。というか、右の耳の奥とか喉の右側の扁桃腺のあたりとかに微妙な痛みがあって、これもいつもの症状なのだが、首から上の全体の右側であらゆる免疫機能が低下している感じ。普段なら何でもない、ちょっとした傷や感染が治りにくい。センターから帰ると、大人しく家居で二階の書斎兼寝室の片付けをした。やっぱ先週の金曜日に飲み会になど行ったのがいけなかったのかなあ。

2017年5月21日(日)
女房と次郎と3人で西山へ繰り出す。さすがに西山は東山と比べて標高が高いので、ワラビには早かった。コゴミはもう終わり。タラノメも終わりかけている。コシアブラは高いところではまだ小さかった。天気が良く、展望台からは奥穂や槍が見事。ケルンでは残雪の乗鞍がすごかった。初夏の充実した一日。午後は女房と、昨年、村内に開店した農業用品の大規模店に家庭菜園の苗を買いに行った。太郎は消防のラッパの講習会で朝から出かけ、終了後は慰労会の連続で、夜7時ごろ帰宅。そのまま寝てしまった。

2017年5月20日(土)
右目の調子がまだ良くないので、仕事もせずに家でおとなしくしていた。午後2時過ぎに大学の後輩のH君から電話があって、今、同期のS君と一緒に樋口先生のお墓の前に居るので、これから私の家へ行くとのこと。3時前にS君のクルマで我が家に着いた。二人とも年賀状のやり取りは欠かしていないが、実際に会うのは屋形先生の退官記念の飲み会以来、10数年ぶりではないかなあ?散らかしている我が家へは寄ってもらわず、落ち着いてゆっくり話ができるところとして朝日村の美術館へ行った。二人とも一浪組なので私と同い年のはずだが、H君はC県の埋文の要職にあって、しかも髪は黒々としていた。対してS君は頭頂部を中心にすっかり光沢が出て、北陸のH市の部長級として見事な貫禄だった。大学時代の日本史研究室の仲間の飲み会で松本に来たのだそうだ。とにかく懐かしい。皆、自分の信じた人生を送っていることも嬉しかった。

2017年5月19日(金)
3月まで勤めていた職場の親睦会の歓送迎会があって出席。普通は退職者は送別会をやってもらってあるので歓送迎会には出ないのだが、親睦会のはそうではないと言われて出ることにした。大名町の登録有形文化財のホテルの3Fが会場。初めて入った。相変わらず意地汚く飲んで、若い衆に醜いオヤジの説教を垂れて、最低の中年を演じてきた。もう呼んでくれないだろうし、私としてもこの手の飲み会は最後にしたい。
2017年5月19日(金)その2
今年の3月頃から自宅のトイレの便器の脇から少しずつ水漏れがするようになって、最初はバケツを宛がって水が溜まると捨てる程度でしのいでいたのだが、徐々に漏れる量が多くなってきた。そこで16日の火曜日に私は留守をしていたが、女房が修理の業者さんを呼んだ。水漏れは水洗の洋式便器の中のパーツが壊れたのが原因と分かったが、設置から12年が経過しており、既に交換の部品はないとのこと。便器ごと取り換える選択となった。今日の朝、業者さんから機器が届いたので工事はいつが良いか連絡があり、とにかく早くお願い、ということで、今日の昼に工事をしてもらった。12時10分くらいから13時半までの正味2時間以内で、古い便器の取り外しから新しい便器の設置、リモコンの設置や調整、それに扱い方の説明まで済ませて行った。手際の良さに脱帽。でも請求書は32万円也。トホホ。12年使ったっていうのは長いのか短いのか?出費は妥当で止むを得ないものだったのか?とにかく退職してからというもの、どんどんとお金が出て行く。
2017年5月19日(金)その3
夕べから右目が痛くて、太郎に眼帯を買ってきてもらい、午前中は安静にして寝ていた。母のところや考古博に顔を出す予定の日だったが、自動車の運転は危ないと思い、ぜんぶキャンセル。夕方の飲み会だけ行くことにした。
2017年5月19日(金)その4
飲み会に行くので電車に乗ったら、松本駅で高校の一級先輩のTさんに会った。仕事の会合が松本市内であるということだったけど、昔の発掘仲間のT先輩も今ではS市の総務部長。「部長専用の黒塗りで送り迎えじゃないの?」と言うと「とんでもない。一人で行って来いっていわれてさ。」と笑っていた。お疲れ様である。

2017年5月18日(木)
天気が良いので部屋の空気を入れ替えようと思って南北の窓を開けて、そうすると昼間から煌々と電気をつけているのも変かなと思い消灯して、パソコンに向かい土器の表を作っては実測図とにらめっこをしていた。すると夕方から右目の奥が怠くて痛みが出てきた。やばい!眼の使い過ぎ。顔面神経痛(正しくは三叉神経痛)発症の前兆だ。慌てて作業を止め、右目を使わないようにして寝た。仕事を辞めてリラックスしていたのに、やっぱりちょっと無理をするとあちこちにお馴染みの症状が出る。かなわん。

退職から1ヶ月と半。日々、新緑が濃くなっていくのを間近で眺められる楽しさ。それだけで、とんでもない贅沢だと、つくづく思う。(5/17記)

2017年5月17日(水)
村役場へ住民票謄本をもらいに行って、ついでに村教委に寄り、担当者から黒川用水と清水寺遺跡の中世の盛土の話を聞く。自家用車を太郎に貸しているので自転車で出掛けた。クルマだと家から5分くらいで着いてしまうが、自転車では片道で10分以上かかった。天気も気候もよくてとても爽やか。久々に乗る自転車も、このところ痩せたせいかまったく苦労せずに走行できて、むしろ気持ちが良かった。
2017年5月17日(水)その2
大相撲の夏場所が始まって四日目。今までと違い、家に居る時は早い時間からゆっくりテレビ観戦できる。なんという贅沢!郷土力士の御嶽海は今場所が大関取りの高安との対戦で、土俵際の首投げで負けてしまったけど、内容はむしろ圧倒していた。両者とも好調で今後も楽しみ。

2017年5月16日(火)
本当は昨日の予定だった県埋文に出掛ける。今日から3日間、自家用車は太郎に貸す約束をしていたので、バスで松本駅まで行って、篠ノ井までは電車。自宅を8時5分ころ出て、センターに着いたのが11時5分前くらい。公共交通機関での移動は時間がかかる。でも久々に篠ノ井線の車窓風景を楽しめた。センターでは出川南遺跡の土器を見せてもらい、あらためて東海系の台付甕の多さに驚く。接合や実測ができたら、また見せてもらいたい。報告書は今年度刊行というから楽しみだ。市で掘った分も整理を急がなければいけない。帰宅したら夕方の5時半近かった。充実した一日であった。

2017年5月15日(月)
旧友のご家族の葬儀が午後2時半からあって、家を午後1時半ころ自家用車で出る。会場は南松本なので道が混んでいて、着いたら2時10分くらいだった。参列してくる予定でいたのだが、午前中に庭木の伐採をお願いしてある会社から、急きょ午後4時過ぎに行くと連絡があり、私が在宅していないと話にならないので、お焼香だけで帰った。喪主である旧友のお兄さんにも久しぶりにご挨拶ができた。最後にお会いしたのは私が20歳前だったので実に40年ぶりか。とてもまじめで誠実な感じは昔のままだった。急なお葬式でご家族の皆さん、本当に大変だ。
2017年5月15日(月)その2
以前にお願いしてあった庭木の伐採の業者さんが午後4時過ぎに来てくれて、懸案だった電線や電話線に触れている枝を片っ端からおろしてもらった。高所作業車1台とワゴン、軽バンの3台の4人と、交通整理員2人の計6人で、高所作業車を巧みに操って、かなり細かいところの枝まで伐って、降ろした枝の半分くらいも細かく切断してもらった。所用時間は正味30分くらいだったか。道に落ちた木端や葉もブロアーで吹き集めてきれいにして、さすがプロの手際と感心した。近くの仕事のついでということで夕方の作業になったが、我が家としてはひたすら感謝。

2017年5月14日(日)
女房がいないので、太郎と三郎と三人で東山へ繰り出す。タラノメはかなり開いてしまったものも多かったが、そこそこ採れた。ワラビがちょうど出始めていて、大量に採れて二つのビクから溢れてしまった。こんなにワラビを採ったのは久しぶりだ。夕食は私がタラノメを天ぷらに揚げた。女房は夜8時前に帰宅。初日は雨だったが、地質講座の旅をしっかり楽しんできたようだ。
2017年5月14日(日)その2
朝、新聞のお悔み欄で旧友のご家族の葬儀を確認。日時、場所を今は茨城県に居る別の旧友にメールで連絡する。その彼とももう10年以上会ってない。昼近くにメール受領の返信が来た。

2017年5月13日(土)
女房が信大の地質の講座で一泊巡検だというので、朝7時半に松本駅の西口まで送っていく。天気は雨降りで山へも行かれなくて家に居たら、夕べ飲んだ旧友から電話があって、具合の悪かったご家族の様態が急変して、昨夜亡くなってしまったとのこと。びっくり。高齢になるとそういうこともあるのだと、あらためて思った。お葬儀は明後日の15日だけど、その日は篠ノ井の県センターに行く約束になっている。さてどうしよう。古い付き合いの友人だし、さんざ家に上り込んで迷惑をかけたからなあ。県センターの方を先に延ばしてもらうしかないか。夕飯は女房が居ないので、子供たちが作ってくれた。

2017年5月12日(金)
午前中に定期便で母のところに顔を出す。その後、考古博にまわって残務の仕事などの打ち合わせ。午後2時半に街の大病院のところで旧友と待ちあ合わせ。そのまま私の車に乗ってもらって母校の高校や中学を見て、私の家にも案内。田舎の風景や庭を見てもらった。30年近く会っていなかったけど、若い頃の雰囲気はそのままで、すぐにわかった。ちょっと貫禄がついた感じで、髪は黒々としていて、染めていないというからとても羨ましかった。少年・青年の頃のイタズラや学校の思い出話ができて、過去の(今もそうか?)自分の、もうひとつの面を久々に確認した。家の近所の蕎麦屋で一杯。彼は工学部系の地質・地盤の専門家になっていて、その話題もとても面白かった。緊急入院したご家族は思ったほど重篤ではないようで、私も安心した。

2017年5月11日(木)
女房と三郎と3人で西山へ繰り出す。世間の皆さんが働いている平日に遊んで歩けるなんて、もう罰が当たりそう。少し早い感じだったけど、タラノメがそこそことワラビが採れた。コゴミは遅くて大きくなってしまったものが多かった。
2017年5月11日(木)その2
中学・高校時代にさんざ遊んだ友人から連絡があって、家族が急に入院したので帰省するとのこと。明日の午後、会うことにした。最後に会ったのは30年くらい前か?ジジイになった私が判るかなあ?

2017年5月10日(水)
仕事を辞めて、とりあえず無職になったので、私と女房は国民年金に加入する手続きをしたのだが、連休中に納付書が送られてきて、午前中に村内の金融機関で納めた。4月分が16,490円、5月から3月までの前納分が178,460円。合計で194,950円!しかも二人分なので389,900円!!ウヒャー、堪らん。サラリーマンを辞めるってこういうことだったんだ。まあ、覚悟はできていたんだけどね。あと5月中に自動車税と家の固定資産税が待ってる。やっぱ母の補聴器代はちょっと予定外だったなあ。なんか財源を探さないといけない。金融機関の帰りにお医者さんに寄って痛風のクスリを貰う。
2017年5月10日(水)その2
夕方の6時30分からFMまつもとの番組に出演。これで4回連続。今回は市内の縄文時代と弥生時代の集落の話をする。来月もお願いされてしまった。
2017年5月10日(水)その3
日本のお隣の韓国で大統領選挙があってムン(文)氏が勝利した。反日だとか北朝鮮寄りだとか報道されているが、今後の日韓、米韓などの関係はどうなっていくのか。韓国の経済や政治の構造的な問題はどう変わっていくのか。そして今の日本政府はどんな表ワザ、裏ワザ、時には寝技、を駆使していくのか。「外交の安倍」のお手並みに注目。ブレないことは嫌いじゃないけど、本当の志、信念は口にしちゃあいけない。今はそんなこと言ったりしている時じゃあないと思うんだけどね。芯から自信があればイラつくことなんてない。

2017年5月9日(火)
朝のウォーキングのころから腹痛が始まって、終日、何もしないで寝ていた。勤めていた時と同じ感じで、激痛ではないが、下痢っぽくて、不快が午後まで続いた。仕事を辞めて呑気になったはずだが、庭の片付けとか、残務の本造りとか、山へ繰り出したりとか、いい気になってやり過ぎると、やっぱり腹に不調が出る。まあ、ほどほどの余生を生きろということか。
2017年5月9日(火)その2
4月に発送した退職の連絡のハガキへの返信がまだぼつぼつと届く。大抵はハガキだが、今日は大きな荷物が着いてビックリ。大好きなお酒とセンスの良い酒器が入っていて、お送りいただいた若いご夫婦にはただただ感謝。とある博物館の館長さんや大きな自治体の部長さんからも丁寧なハガキが届き、やっぱ出世する人は普段の心掛けからして私とは違うなあとひたすら感心した。
2017年5月9日(火)その3
フランスの大統領選挙があって、新大統領に中道のマクロン氏が当選したニュースが世界を駆け巡ったようだ。極右とされるルペン氏は及ばなかったが、このところ、イギリスのEU離脱とか、アメリカのトランプ新大統領とか、世界の趨勢がポピュリズムと言われる方向に傾斜していることと絡めて、大いに注目されていた。私が気になるのは、目先の選挙に勝つために、出来もしない政策であっても連呼し、とにかく何か変われば状況は良くなるという、雰囲気みたいな、ブームで話が進むという傾向がさらに強まっているということだ(確かに選挙には勝たねばならないんだが)。オバマ前大統領だって選挙の時のニュースは「チェンジ」と叫ぶ支持者の姿しか映されなかったし、日本でも民主党政権の鳩山氏も似たようなものだったし、今の安倍さんも共通するところは少なくないような気がする。政策だマニフェストだ、政策で勝負だとか言うけど、言うだけなら誰だってできる。理念だけじゃだめだ。具体策は何か?ロードマップはあるのか?そして落としどころはどこか。庶民と政治家の違いはそこなんじゃあないかなあ。昔、読んだ本にあった「上手くいけば自分の人気取りができるが、一歩間違えば自分が属する共同体すべてにとんでもない不幸を引き起こす」ような政策を、民衆が次々に支持して没落し隷属していった国の話をどうしても忘れられない。大人しく寝ていると、余計なことをいろいろと考えてしまう。

2017年5月8日(月)
三郎と二人で東山の山菜の偵察に行った。秋のキノコの時にタラノメが出そうだな、と目星をつけておいたところは、思った通りで大漁だった!ワラビも出始めていた。平日にのうのうと遊びに出掛けられることを初めて堪能した。自宅を8時45分頃出て、11時50分ころ帰った。やっぱ東山は遠い。女房はゴミ拾いのパート、太郎は現場。

2017年5月7日(日)
次郎が朝8時30分のバスで東京へ帰った。松本が始発の特急あずさはUターンラッシュでさぞかし混んでいると思ったら、意外に空いていて、お昼にはアパートについたと連絡があった。私は夕方、庭の木を伐っていて、右手首に軽いケガをしてしまった。ずくなしして脇の細い枝を落とさずにしていたのが原因で、僅かな油断、慣れが事故につながることを改めて痛感。自宅のまわりでは、やっと田植えが始まった。今年は遅い。
2017年5月7日(日)その2 このシーズンは毎年、恒例のように皮膚病が出て、両掌がガサガサになる。痒みも痛みもまったくなくて、ただ皮膚の表面が白く乾いて浮き上がり、端からぼろぼろと剥けていくという症状で、見苦しくて汚らしいこと、この上もない。ここ10年以上ずっとそうで、ひどい年は皮膚科のお医者さんにも行った。なぜか夏本番になると知らぬ間に引っ込んでしまうので、ついつい放置してしまい、また翌春に苦しむという繰り返し。水虫の一種なのかな。私以外のウチの家族はツラの皮が厚いらしく誰にも伝染らないが、世間の皆様に伝染したら大変と思い、しかもみっともないので、この時期は手袋をはめて過ごしている。

2017年5月6日(土)
次郎が帰省中で、子供が3人そろったので、私も含めてゴールデンウィーク中は雀卓を頻繁に囲んだ。学生時代は、それこそちょっとでも暇があればやっていたが、社会人になってからはよほどの機会がないと麻雀はやらなかった。子供たちがみな成人したら家族麻雀ができるようになって、それ以来、次郎が帰省する盆暮れと大型連休は三昧である。女房は全くやらない。ルールが理解できないとか、テクニックが解らないとかではなく、勝負事は負けがあるので嫌なのだろう。スポーツ競技でも賭け事でも勝ち負けがあるのだから「負けない」ための至高の決め技は「勝負をしない」ということだ。これは一つの見識だと思う。まあ、これまで、さんざん勝負してきたしね。

2017年5月5日(金)
午前中、母のところへ顔を出す。娑婆はゴールデンウィークの真っ最中であるが、ケアハウスはまったく関係なくて、母に頼まれていた朱肉スタンプを渡し、医療費の話をしてきた。補聴器を替えたので少しは聞こえるようになったが、こまごまと出費についてしつこく聞くので、ちょっと込み入った回答をすると、すぐに「全然、聞こえないから。」と口にする。だったら聞くなよ、任せてくれよ、と思うのは私のわがままか。都合の悪いことは聞こえない、というか、予測していない言葉、単語はうまく認識できないのだろう。普段、私たちも会話をしていて、相手が次にこんなことを言うだろう、と予測しているのだ。耳が遠くなったというのは、単に聴覚が衰えたというより、聴覚も含めた脳全体の認識能力が減衰している結果だと、このところの母や自分の状態をかんがみてつくづく思う。

2017年5月3日(水)
早起きして西山に繰り出す。珍しく次郎も参加して5人で行った。でも、今年は春が寒くて山菜が遅い。いつも行くところではタラノメもコゴミもまだ全然。横吹2号を終点まで歩いて、その後に大池線を歩いた。かなり下って砂防の堰堤があるあたりで、やっとコゴミを見つけた。
2017年5月3日(水)その2
今年は寒い春で、我が家の周囲の田んぼにやっと水が入り始めた。例年より一週間ほど遅いのではないか?おそらく、どこの農家もこの連休の後半に田植えを済ましてしまいたいのだろうなあ。南側の田んぼでは代掻きをしていた。

2017年5月2日(火)
西山の清水寺の例大祭が午前10時からあって参列。保存会の仕立てたマイクロバスにウチの常会の集会所の前で9時15分ころ拾ってもらい、山寺には9時40分前にはついた。法要は年に一回の観音様の御開帳で、村内の宝積寺、崇福寺、見性寺と古見の古川寺の御住持が導師。なんと京都清水寺の森管主も並んでいた。天気は良いんだけれど、1200mの高地でお堂に吹き込む春風は寒かった。直会にも出席して、12時半にマイクロバスで乗ったところまで送ってもらい帰宅。ムラの文化財保護委員になったので、こういうことには積極的に参加しなくちゃいけない。

2017年5月1日(月)
朝から雨が降ったりやんだりで、日中に一時はザンザンと降りつけた。変な天気だった。私は右ひざの上の筋というか筋肉に鈍痛が出て、庭も家の中の仕事もできずに寝ていた。昨日ころんだ時に傷めたのかなあ?年を取ったら転んじゃあだめだ。

2017年4月30日(日)
朝、庭の木の片付けをしていて、雑然と伸びたヤナギの枝を伐り、絡み付いていたツルを力いっぱい引っ張っていたら、勢い余って尻餅をついて転んでしまった。いてえ!夜、7時半から今年度初めての常会。今年の常会長はウチの班の中村さんで、別に大きな決め事もなかったので8時半前には終わった。私は転入してから26年目になるが、もう2回も常会長をやった。26戸の常会だから、まあ少し多くやったのかな。常会費は例年と同じで年20,000円。この額は多いのか少ないのか。これから村全体として常会の未加入問題が議論されていくことになるだろうから、いろいろと考えることもあった。

2017年4月29日(土)
今日からゴールデンウィークだけど、今年から私には関係ない。早朝、ウォーキングに出ようとしたら炬燵でだれか寝ているので、昨夜、飲み会に行った三郎かと思ったらなんと次郎で、深夜に帰省したそうだ。おかえり。午前中は女房と太郎と三人で西山へ繰り出す。次郎は起きられず、三郎は朝帰り。展望台まで登ったら残雪というかまだ雪がたっぷり残っている穂高連峰が拝めた。獲物はちょっと早くて、先週と同じフキノトウが採れた程度。我が家のまわりはサクラはすっかり散って、果樹の桃が満開。

2017年4月28日(金)
週一回の定期便で母のところに午前10時に顔を出す。文字盤の背景に絵柄がない時計を買って行って付け替えた。その足で考古博に行って、やり残しの仕事の指示や質問を聞く。遺構図の打ち合わせなどにけっこう時間がかかってしまい、帰宅したら午後4時30分だった。一日仕事だった。

2017年4月27日(木)
午後4時から村の文化財保護委員会。委員は6人で、教育長から辞令を交付される。私以外は再任。任期は向こう三年間。さっそく正副の委員長を決めるが、新参者は今日は黙って先輩方にお任せした。委員長は逢沢先生、副は上條さんと前任と同じメンバーになった。5時15分からは委員6名に教育委員会の教育長、次長、係長、担当の4名が加わってトレセンの隣りの水舎で懇親会。家では手酌で飲んでいるのに、やっぱ飲み会は注がれて飲みすぎてしまった。帰宅は送っていただいた。多謝。

2017年4月26日(水)
朝から雨っぽい風が吹いて、庭の片付けは見送った。隣の桜はあらかた散って、花びらが周辺の畑の畦沿いにしっかり積もって、まるで粉雪が降ったみたい。昨日あたりから退職のご挨拶のハガキの反響が出始めて、神村先生、宮澤恒之先生、桐原先生、後藤先生から相次いでご返信のハガキを頂いた。こういった大先生方からお便りを貰うなんて恐縮してしまうが、先生方はお手紙もまめで、やっぱ大先生たる所以はそこにもあると痛感した。私もあやからねば。また、先輩の原さん、窪田さんからは退職のご挨拶のハガキが届いた。田澤君からも転任のハガキが届いた。以前、一緒に仕事をした彼からは丁寧なメールが届き、中高の親友の向ちゃからもメールが来て久闊を叙した。

2017年4月25日(火)
このところ3日ばかり好天で風がないので、朝の2時間くらい伐採した庭木を片付ける。太い幹を優先して処分し、だいぶ減った。庭のコゴミがいよいよ頭をもたげ始めた。午後、大規模店に行って母に頼まれた大きくて無地の時計を購入する。御代田の小山さんに弥生後期の炉の件でメール。みんな勉強しているなあ。私も何か創造的なことをしなくては。

2017年4月24日(月)
午前中、松本市役所へ母の障がい者手帳の交付申請に行く。担当課のカウンター窓口は一杯で、でもすぐに若い女性の職員が出てきて、長椅子で対応してくれた。今の市町村の役場の対応は見事で隔世の感がある。書類は無事に受理され、交付までに1~2カ月かかるという説明を聞いて、その際の連絡先は私のところにお願いした。その足で庁舎の北側でやっている発掘現場に顔を出す。高規格プレハブなので掘削は1m。幕末から明治の面で調査は終わりとのこと。相変わらず竹内君は手際が良くて感心。マサムラでミニシュークリームを15個買って差し入れて帰る。太郎は今日の午後から横田の現場とのことで出掛ける。

2017年4月22日(土)
退職ご挨拶のハガキ、宛名をほとんど書き終えて、早朝ウォーキングの時に投函する。女房と太郎、三郎の三人で西山へ繰り出す。上の方はまだ芽吹きが来ていない。林道横吹2号の終点まで行ってみた。けものの足跡と地面を穿り返した跡がたくさんあってびっくり。先週見たカモシカかイノシシだろう。下って、横吹1号線を下から歩いて登ったけど、やっぱりわずかに芽吹きが始まったばかりで、タラもコゴミも全然なくて、先週と同じでフキノトウを採ってきた。雨氷の被害は道路はあらかた片付いたが、山の斜面はひどいね。きょうびの林業をめぐる情勢では、もう、そのままにしておくしかないのかもね。10時過ぎくらいに帰宅。昼前に中電の下請けの会社が高所作業車で来て、庭木に接してしまった電線に防護管を取り付けて行った。

2017年4月21日(金)
夜中に起き出して、退職ご挨拶のハガキの宛名をせっせと書く。午前中、母のところに顔を出した後、考古博物館に回って、企画展の出来を見る。まあ、なんとか形になったって感じかな。帰宅して女房と大型店へ買い物。母の障がい者手帳申請に必要な写真をプリントしてもらう。あて名書き用の万年筆用のインクも買う。夜は太郎のお祝いで乾杯。

2017年4月20日(木)
退職ご挨拶のハガキを郵便局で200枚買ってきて印刷。インクジェットプリンターの調子が今一つで、たった200枚の片面印刷に夕方までかかって、しかも7枚も印刷エラーが発生した。AIとプリンターのドライバーの相性が悪いのかなあ?今どき相性問題なんてあるのかなあ?女房は月に一回のムラの古文書愛好会で午後は外出。毎回、いそいそと出かけていくのは、オジイサマ方に囲まれて紅一点でけっこうモテるのかなあ。

2017年4月19日(水)
何も用事がない一日で、庭の樹木の手入れをやろうと思ったが、朝から雨が降ったりやんだりなのでやめて、やり残しの報告書の土器の表を作る。退職通知の送り先の名簿を整理する。やっぱ200枚くらいハガキが要るなあ。

2017年4月18日(火)
午前9時過ぎに考古博へ行く。14日に見た企画展のキャプションの手直しとかを再度頼まれていて、あれこれと意見を言ってきた。はあ~。まあ、館長も学芸員も新規で、しかも専門じゃないから仕方がないんだけどね。それに声がかかるうちが花だしね。帰宅して、女房と村内の金融機関や郵便局に行く。急激に暖かくなって、隣の桜はあっという間に満開、庭の白梅は半分以上が散ってしまった。短い春だ。

2017年4月17日(月)
午前中、松本の街へ出て、母の掛かり付けの眼科で診断書を受け取る。10,000円也。金融機関へ回って抵当権抹消登記の手数料を振り込む。12,600円。このところお金がかかることばかりだ。4月から新設されたお堀の整備担当の事務室に顔を出したが、3人とも現場に出ているということで会えずに残念。帰宅して、退職通知のハガキの文案を練る。
2017年4月17日(月)その2
私は呑気な日々を送っているが、国際情勢は緊迫。アメリカのトランプ大統領は空母部隊を北朝鮮近海に急派した。北朝鮮のミサイル、核開発はどうなるんだろう。Jアラートって鳴るのかな。ムラの防災無線も鳴るのかな。で、鳴ったとして、どうすることができるんだろう?地下室もない我が家では、観念して、居間の真ん中に座して待つしかない。

2017年4月16日(日)
女房と三郎と三人で西山へ繰り出す。太郎は消防のラッパの講習会で、朝7時20分に役場からバスが出て豊科だというので、今朝は別行動となった。先週の雪は、この一週間でほとんど融けていたが、まだ高いところの日陰には残っていた。いつも行かないような奥の方まで行ったら、カモシカに出会った!普段は前山に隠れている鉢盛山が良く見えるスポットもあって、また来よう。タラノメもコゴミも早くて全然なく、先週と同じにフキノトウを採って帰った。庭のウドが少し出てきたので、それも採って夕食に私が天ぷらを揚げた。

2017年4月15日(土)
自衛隊祭があって、女房と太郎、三郎は朝から出かけてしまう。私は留守番。あいにく10時ごろから雨が降ったりやんだり。太郎と三郎は昼に帰ってきて、女房はそのまま信大へ行って地質講座の座学。庭の紅梅は盛りが過ぎて、白梅はやっと満開。隣の正覚様の桜はまだ咲かない。去年より一週間遅いね。

2017年4月14日(金)
先日、中電から紹介してもらった樹木伐採の業者さんが朝9時に下見と打ち合わせに来てくれた。ざっと我が家の庭木の状況を見て、どの木はどこら辺で伐るとか話をした。伐った木は私が片付けることにした。思ったより経費が掛からないようでびっくり。杉山造林という会社だったが、すこしおもしろそうな業種で、若ければバイトしてみたい気がした。
2017年4月14日(金)その2
考古博に行く。午前10時前に着いたんだけど、お昼時間までみっちり、今度の企画展の内容の指導というか質問に答える。その後、辞める前にやり残した仕事の打ち合わせと指示で、家へ帰ったら午後4時近かった。企画展の件は来週の早いうちにもう一度見てやらないといけないなあ。はあ~。

2017年4月13日(木)
昨日、任意継続の共済の保険証が届いたので、痛風のクスリを貰いにかかりつけのお医者さんに行く。血圧は上が120台、下が80そこそこですこぶる調子が良い。降圧剤をやめてしばらく経つけど問題なしで、やっぱ痩せたのが高血圧には良かったのだろう。女房も高血圧の治療中で、今日は一緒に行った帰りに、ムラの図書館(って言ったって公民館に併設なんだけど)で昨年の文化祭で女房が飾った村内サクラの名所の展示を再利用した企画を見てこようと9時半ころに寄ったんだけど、開館は午前10時。あちゃー!何でも早めに行動したい私たちだったが、ちょっと抜かったね。また出直そう。
2017年4月13日(木)その2
お医者から帰って、午前中は庭の樹木の剪定をやる。でたらめに繁茂してしまった三九郎用の柳の太い枝を伐ったのだが、力が入って奥歯を噛みしめるごとに右下の奥歯の歯ぐきに違和感や痛みを感じる。数年前に同じことがあって無視していたら歯ぐきが腫れて、結局奥歯を1本失った。あわてて歯ぐき用のうがい薬を使って、大人しく寝る。このところ、仕事辞めてヒマになったと言って、かえっていろいろとやりすぎていたから、そのツケが出てきたのかなあ。

2017年4月12日(水)
母の補聴器を取り換える件で、補聴器屋さんと母のところで落ち合う。新しい補聴器にしてもらったら、幾分調子が良いみたいで、今までみたいにまるっきり聞こえないというふうではなくなった。でも93歳だから、そんなに劇的な改善は無理でしょうね。新しい補聴器代158,000円也。
2017年4月12日(水)その2
夕方6時半からFMまつもとの「夕暮れ城下町」という番組に出演。ちょうど桜祭りが始まったので弘法山古墳について話す。今回から担当のパーソナリティーが山本さんから小出さんに変わって、でも私はあいかわらずで、弘法山古墳が作られたのは西暦3世紀末で、西暦3世紀と言えば邪馬台国の卑弥呼と同じ時代だと説明した。邪馬台国についてはいろんな視点で論争があって、学術的にはあまり軽々しく触れられないんだけど、一般の皆さんに説明するイメージとしては最適かもしれない。古代史にあまり興味がなかったような人でも「邪馬台国」とか「卑弥呼」とか聞くと、なんか急に心がときめくんだね。それで私は論争になっている点を回避したり断言を避けるように気を付けて話をする訳なんだけど、ちょっとドキドキする瞬間でもあります。来月も出演することになって、さあ今度は何を話そうか。田植えの時期だから、古代の松本の稲作と水田開発あたりかなあ。

2017年4月11日(火)
夜明け前から雨が降り出して、うすら寒い朝となった。11時ごろから雨は雪に変わる。大粒の雪がドンドン降って、あっという間に田畑や屋根は真っ白。さすがに道路に積もるということはなかったが、でも今日って4月11日だぜ!なんか天気が変だよ。午後、先日注文してあった眼鏡を取りに行かなければならないのに、昨日、タイヤ履き替えちゃった。午後1時くらいから、また雨に戻ったので三郎とでかける。並柳あたりはウチの周辺より雪は少なかった。

2017年4月10日(月)
午前中、自宅の北側の敷地に置いたコンテナハウスの際に生えてきたケヤキを伐る。数年前に、おそらく隣家の大きなケヤキの実が飛んできて芽吹いたのだろうけど、最初はどうなるのだろうと思って抜かずに見守ってきた。一昨年くらいまでは細々としていてちっとも大きくならないので、そんなに苦にもならなかったのだけど、きっと根がしっかり張ったのだろう。去年あたりから急に太く大きくなり始めて、あっという間に太さが10センチ、高さは3メートルくらいになって、コンテナハウスの壁を擦ってしまうこととなった。朝8時40分くらいから枝を落としたりして伐り始め、建物を壊さないように三段階くらいに分けて伐ったので、終わったら10時過ぎていた。大汗をかいた。樹木は小さいうちに始末しておかなければ大変!ということを改めて実感した。
2017年4月10日(月)その2
やっと自家用車の冬用タイヤを履き替える。私は木を伐ってへとへとだったので、太郎と三郎に全面的に手伝ってもらった。昨年にフロアジャッキを導入したらとても手際が良くなって、1時間かからず、昼には終えることができた。
2017年4月10日(月)その3
庭の木が大きくなって自宅にひきこんだ電線に枝が触れているのを、朝、中電に電話して相談した。そしたら、早速昼に担当者が下見に来た。さすが、すぐに対応するところは見事。ただ枝に触れている電線に防護カバーを着けることはできるが木を切ることは中電ではできないとのこと。とりあえず、今月中に防護のカバーを着けてもらうことと、中電の仕事に関わっている伐採業者さんを紹介してもらうことになった。夕方には伐採の造林業者さんを紹介してくれる電話もあった。何もかも迅速で多謝。でも、とにかく樹をでかくしてしまうと、本当にいろいろと大変だ。

2017年4月9日(日)
一昨日あたりから、暖かいけど曇っていては雨が降る変な天気が続いている。午前中はクルマの定期点検で平田の自動車会社へ行く。購入した時に1回目の車検までの各種点検がセットになるパックを付けてもらってあったので、その都度、連絡があるのだが、3月中は多忙で行かれなくて4月になってしまった。9時前に着いたら、全社員で朝礼をやっていて、きちんと整列して大きな声で挨拶の練習というか、始業の気合を入れていた。私のように呑気な職業人生を歩んだ者には少しオーバーにも見えるけど、接客態度とか安全確認とか組織として仕事に臨むには大事な儀礼、段取りなんだろうなあ。そういう経験を持たない私は、理解や認識という点でやっぱ若干の不利があるのかもね。帰宅して、その足で大規模店に買い物。積年の溜まった書類片付けに、何冊かのファイルを購入する。
2017年4月9日(日)その2
朝6時ごろ、そぼ降る雨の中を黒川堰の組合員が我が家の南東隅の忠魂碑の前に集まっており、どうやら今日が堰掃除(センゲ浚い)の日のようだ。みんな合羽を着て、冬の間に溜まった落ち葉や泥をかき上げていた。お疲れ様。ああ、もうすぐ通水が始まる。また秋の終わりまで瀬音が楽しめる。黒川の歴史をきちんと調べておきたいと常々思っている。

2017年4月8日(土)
今シーズン初めて山へ繰り出す。女房と太郎、三郎の4人で西山へ行ってみたんだが、すこし山に入ったら、もう道の路肩には雪がガンガン残っていて、今季の積雪の多さにあらためてびっくりした。いつもクルマを停める一番上の水源地の前は除雪されてなくて侵入不可能。旧電波塔跡へ登っていく道は、入り口に除雪の雪が大量に寄せてあって、その先は雪原。三郎と二人で挑戦したが、積雪が膝近くまであって断念した。キャンプ場までは除雪がしてあったが、こんなところまでやるなんて村役場も大変だ。山寺に回ると、古木の桜はまだつぼみの膨らみもなくて、昨年度に傷んでいた上の方を伐ってあり、だいぶこじんまりした印象を受けた。日当たりのいいところで、そこそこフキノトウを採って帰り、夕食に味噌炒めにして食べた。太郎は午後は消防団の春季総合訓練。そのまま飲み会に回って、夜8時ごろ帰宅。

2017年4月7日(金)
昨日、県市町村職員共済から任意継続の振込用紙が送られてきたので、さっそく現金を用意して振り込みの手続きを済ませた。八十二銀行が指定で、それ以外だと手数料がかかるというので、寿台の八十二銀行に行った。一年分の前納で491,881円!こんなことやってたら、じきに貯金もなくなっちゃう!!その足で考古博に顔を出す。退職までに終えることができなかった仕事をやってもらっている内勤さん達の作業の出来を確認して、次の指示を出す。でも、もう部外者なのに、いいのかなあ?長く居座った事務室は、当然ながら新しいメンバーが揃っていて入りずらい。まあ、辞めるということは、そういうもんだろう。帰宅したら午後3時半だった。

2017年4月6日(木)
午前中、女房と県歴に速報展を見に行く。どちらかというと女房は笹本先生が出したサクラの本を買うのが目的だったようだけど。速報展と言っても、県内市町村教委が掘った既出品も展示してあって、中野市の東海系の古墳出現期の土器群とか、豊丘村の三足壺とか、とても興味深くて、見に行った甲斐があった。帰途に矢口さん宅によってお線香をあげる。3月の一周忌には忙しくて行けなくて、やっとできた。奥さまがワンちゃんと居られて、女房と二人で上り込んで少し話をして帰った。往復とも高速道路のトンネルが工事で一車線規制になっており、眼が悪いのでとても恐ろしかった。帰宅するとちょうど昼で、午後は背中が痛くなって、湿布を貼って寝ていた。

2017年4月5日(水)
午前9時10分ころ家を出て母のところに顔を出す。この時間帯って道がこんなに空いているんだ!母の補聴器の話を済まして帰宅したら11時ちょっと前だった。母のところに行く前後に庭の木の片づけ。先日伐った太い枝はあらかた細かく切ることができた。午後は二階の書斎の片付けを始める。もう箱二つ分の本が詰められた。2001年とか2003年に買ったパソコン雑誌がたくさん出てきて、その頃以来、全然片付けをしていなかったことが判明した。

2017年4月4日(火)
午前中、三郎と並柳のメガネ屋さんに行く。三郎は初めての眼鏡、私は跳ね上げ式を試してみたいので二人で出掛けた。女房は火曜日は臨空の会社に週一の出勤。午後、3時近くになって女房が帰宅したので、二人で村役場へ国民年金の加入手続きに行く。いつもガラガラの役場だが、さすがに4月の始めだけあって数人の先客がいた。ついでに役場の隣りのホールでやっていたムラの教育委員会の戦争中の学童疎開に関する特別展示を見てきた。貴重な行政文書が残っていたことにいたく感動。太郎は夜7時40分から役場の駐車場で消防団のラッパの練習。帰宅は9時過ぎで、私は寝ていた。

2017年4月3日(月)
官公庁や大方の会社は今日が実質的な新年度の開始で、入社式とかいろいろ忙しいのだろう。私も去年までは4月の始めは最も忙しい日だったが、今回からは無関係でいたって呑気。朝のうちに庭木の片付けの続きをやって、11時にスタンドにホイールの付け替えを頼んだタイヤを採りに行く。2本で3120円。その後、松本の市街地へ出てMウィングの市営駐車場に停めて、歩きで労金に行って抵当権抹消登記の手続き。その足で瑞祥寺の前の中村眼科に行って2時に母と落ち合う。いつものように岩瀬さんが乗せてきてくれた。身障者手帳を受けるために検査。全部終わったら3時半近くて、雨がザンザン降っていて、岩瀬さんから傘を借りて駐車場へ行く。女房は月曜日の午前中はスカイパークの清掃の仕事に3月下旬から行くようになって、今日も行ったが、雨に濡れず良かった。

2017年4月2日(日)
時間に追われていないので、朝のウォーキングも気持ちがいい。午前中は庭の木の片付け。先日、下ろした合歓やクヌギの大枝を細かく伐る。午後は職場から引き揚げてきた荷物の片付け。こっちはこれから部屋の片付けと共に少し時間がかかりそうだ。自家用車のパンクを直したタイヤと、バックドアの後ろについているフル規格のスペアタイヤのホイールを取り換えてもらうようにムラのスタンドに持っていく。パンクを直したタイヤをスチールホイールに替えてスペアタイヤとし、スペアだったのは新品なのでアルミにして使うことにした。もうすぐスタッドレスも履き替え。春だ。

2017年4月1日(土)
昨夜からの雪が融け残っていた。2月から3月とちょっと走り過ぎた。今日は家でグータラする。もう仕事に行かないので、髪型がどうこうもない、女房にバッサリと丸刈りにしてもらってスッキリ。庭のフキノトウをいくつか採って夕食にテンプラ。今シーズンの初物で目出度し。太郎は夜、消防団の総会でその後は飲み会。夜中の2時ごろ帰ってきたそうだ。

昨日を以て35年間勤めてきた職場を退職しました。この間、公私ともにご指導を頂いた皆様、苦楽を共にした皆様。ありがとうございました。(4/1記)

2017年3月31日(金)
午後三時から大会議室に集められて、いろいろと説明などの後、4時30分から辞令交付式。定年と早期の該当者が、社長から直々に辞令を頂いた。この立派で信念にブレのない社長から辞令を頂くことができたのは、最高の幸せ。5時30分からお見送り。本社の玄関前に大勢の社員が集まって退職者を送ってくれる中を歩いた。なじみの顔、思わぬ人など、それこそ大勢の皆さんから握手やお言葉を頂いた。人生の最大の華、そのひとつだったろうなあ。職場から本社への送り迎えもやってもらい多謝。職場へ戻ると、冷え込んで雨は雪に変わっていた。湯呑と上履きの靴を自家用車に積んで、職場を後にした。いつも誰よりも早く職場について、駐車スペースの一番奥に偉そうに停めた、その場所も4月から私には無用。途中3年間のブランクはあったが開館以来31年間、居座り続けた考古博物館から、最後の最後も帰途に着けたのは、これまた無上の幸せとつくづく思う。今は、嘗て去って行った先輩たちを思い出し、感謝の念に浸っていたい。

2017年3月30日(木)
昨日今日と事務引き継ぎの連続。もっと早くに引き継ぎを済ませておくべきは建前で、この年度末、誰しも、担当している事務事業の完了で手一杯なのに、さらに異動の引継ぎがあるのは、実際、酷な話。時間内で済ますようにお触れが出ているが、そんなの有名無実。やめちまえ!私の引継ぎは、庶務から事業、将来のことなどあまりに多岐にわたり過ぎて、とにかく項目を列挙して説明できた程度。遂行にあたっての勘所とかキモは、後任の皆さん、やりながら覚えてください。その都度聞いていただいてもけっこうですよ。

2017年3月29日(水)
今年度末で退職の考古博物館長を送るセレモニーを親睦会で行う。館長は本社を定年退職して、第二の仕事として館長職を嘱託で4年間勤めていただいた。現役の時は部長級だったので、役所のルールの裏表や力関係、見えないところの重要性など、他では絶対に知ることができない部分について、たくさん教えていただいた。私の役所人生の終盤に、このような経験ができたことは幸運だった。このセレモニーは私が親睦会長として仕切る最後の仕事となった。

2017年3月26日(日)
今日も出勤して引き継ぎ資料等を作りたかったのだが、朝から雪が降ってきて、さすがにこの時期だから道路に積もって交通に問題が出ることはなさそうだったが、寒いし、疲れと心がめげて出かけられず、終日寝ていた。この一日のロスがこのあと効いてくるんだろうなあ。

2017年3月25日(土)
休日だが、職場の荷物の片付けや引き継ぎの資料作りで出勤。異動になる庶務の担当者や補助金の実績報告の担当者も出勤してきた。いやはや、恒例の年度末の風景である。私は例年のことで、2月から全力疾走してしまったので、そろそろ息切れがしてきて、今日あたりから背中が痛み出した。

2017年3月24日(金) 足かけ5年、嘱託職員として史跡の現場を担当してくれた若い女性が、今日で勤務の最終日。職場の親睦会でささやかな送別のセレモニーを行う。S県の市に専門職として正式採用が決まったという、とても嬉しい退職で、昨年もG県に決まった女性を送り出したが、ウチでスキルや経験を積んだ人材がドンドンと活躍していくことは素晴らしい。新しい職場では、ぜひ頑張ってもらいたいし、松本との太い関係が築ければ、さらに素晴らしいと心から願う。

2017年3月23日(木)
新年度の人事異動の内示があった。ウチの職場は出る人はほぼ予想通りだったけど、入る人は半分以上が想定外で、特に一年しか在席していない課長が動いたことは、ただただポカンと口を開けているしかなかった。それに重要な事務のセクションのひとつは全員が居なくなってしまい、それなのに経験者の補充は皆無という、ほとんど業務崩壊みたいな状態になった。毎年、この日が来ると「すまじきものは宮仕え」という言葉をかみしめる。まあ、それも今回が最後だけどね。
2017年3月23日(木)その2 若い人材の住居探しを手伝う。条件は悪くても家賃が決め手というのは、やっぱ大学時代の奨学金の返還が重荷になっているんだろうなあ。自分の子供も学費では親子とも四苦八苦したから、その気持ちはよくわかる。私が学生の頃は、国立大学の学費は半年で48000円だったから、その時期にバイトで稼ぐだけで充分に払えた。棲家も最低のところだったので、仕送りらしい仕送りはまったくなくて卒業できた。変な言い方をすれば「試験さえ出来れば学生生活にカネはかからない」時代だった。どうやら今はそうではなくて、公立でも私立でも学費は大変らしい。学生の貧困問題。何処で何時、どう歯車が狂いだしたのだろう。

2017年3月22日(水)
今日も午後は休みをもらって、防災服の返却や共済貸し付けの返済とか、いろんな手続をやった。防災服は本当は昨日までに返却という指示だったが、忘れていて慌てて今日、危機管理のセクションにもっていった。そしたら、3月31日までの間に災害が発生したらどうするんだ?という指摘が上の方からあったので、返却日を月末に変更したから、申し訳ないが今日は持って帰ってくれと言われた。もっともな話ではあるが、そもそもそういう指摘を受けるであろうことは、話が当然であるがゆえに、当然予測できたはずで、そんなことも予見できない連中が危機管理をやっていると思ったとたん、腹が立つよりも不安と恐怖が先行して、大人しく荷物を持って帰った。

2017年3月21日(火)
午後は休みをもらって、保険証の返却とか財形の解約とか、いろんな手続をやった。やっぱ、辞めるとなるといろいろあるね。

2017年3月19日(日)
午後からムラの史談会の講演会と総会があって出席。講演会は松本市文書館の小松先生が「普選の父」中村太八郎について話す。話の中味も話術も素晴らしくて、小松先生の講演は何度聞いてもいろんな意味でためになる。総会の後、講師の御臨席もいただいて懇親会。会場はムラの公民館の食堂だったけど、久々に小松先生と飲んだ。帰宅は徒歩。

2017年3月18日(土)
四賀地区で報告会があって私は司会。まあ、最後のお勤めとなるのかな。花道を作ってくれた担当の皆さんに感謝。無難に終わったが、現場担当者の若い女性3人のリレーによる出土遺物報告がちょっとユニークで面白かった。

2017年3月14日(火)
自分が抱えていた報告書の原稿データ、印刷屋さんに一回目を渡す。これでなんとか形になって年度内に納められるだろう。いやはや。

2017年3月13日(月)
新年度の人事案件の書類を回し、一定の区切りがついたけど、採用辞退とかいろいろあるからなあ。あとは黙っておとなしくしているだけだ。

2017年3月10日(金)
臨時社員採用の最後の面接。応募者は大卒以上の専攻が対象だけど、いよいよ私の子供より若い人が混じるようになった。自分の子供とダブって親御さんの心配が身につまされる。

2017年3月8日(水)
先月末から断続的に新年度の臨時社員の面接をやっているが、募集から応募、選考など普段やり付けないことではあるし、新年度を潤滑に回す最大のポイントの一つではあるし、書類や面談の裏まで気を回さないといけないし、とてもプレッシャーだ。自分が雇われる側になった立場で考えなければいけないのだろうけど、そうは言っても今の組織を健全に維持していくという使命もあるし。とにかく嫌な仕事だ。
2017年3月8日(水)その2
夜6時30分から地元のFMラジオに出演する。先月に続いて2回目。女性アナウンサーの相手をして、主に古墳の発掘について話をした。帰宅したら女房から「どうやればあんな猫なで声が出るんだ?」とからかわれた。いや別に、猫なで声ってわけじゃなくて、ゆっくり丁寧に分り易くしゃべっただけなんだけどね。

2017年3月7日(火)
夜、課の送別会があって、今年度の退職者を送る。対象者は5名で、うち4名が出席。何故か私もその一人である。こんな経験は、言ってしまえば人生で初めて。でも、感慨とか感激とかではなくて、どうやればスムーズに辞められるか、降りられるか、引き継げるか。そんなことで頭は一杯。明日もあるので、もらった花束を持って一次会で帰宅。

2017年3月5日(日)
職場の同僚が担当している報告書がかなり煮詰まっているので、休出して編集作業を分担する。大部な本なので、関係者も数人いるので、その間の調整も大変で、まあここが正念場だね。

2017年3月4日(土)
ムラ教委の主催で歴史講演会があって、県埋文の平林部長のお話を女房と聞きに行った。長野道建設時の北村遺跡発掘成果からの話題が多かったが、北村が内陸部だけではなく、沿海部を含む国内全域でも屈指の縄文人骨遺体の発見数を記録したことについて、あらためて感動した。「全国一番」とか「最大」とか「最古」とか、そういう掛け声にマスコミも我々も惹かれがちなのは事実だが、北村のこの奇跡的な発見というか遺存は、何かもっと違った意味があるような気がしてならない。そしてその発見を丹念に記録し続けた、あの困難な状況での発掘調査自体も決して忘れてはならない。
2017年3月4日(土)その2 1月29日に切り倒した庭のシラカバ。丁度、コゴミがたくさん生えてくるあたりに太い幹がドーンと転がっているので、4月までには片付けたいと思って、太郎が買い込んだ新しい鋸を借りて切る。直径が30センチ近いので、枯れてはいるけどけっこう苦労した。長さ1メートルくらいに切り分けてどかしたけど、1本分は仕残してしまった。3月中には終わらせなければ。

2017年2月27日(月)
先日、実印が壊れちゃってあわてて購入した印鑑が届いたので、午後は休みをもらって役場で改印の手続きを行う。400円なり。今度の印はフルネームで前のよりちょっと大きい。今度はケースに入れてしっかり管理しよう。
2017年2月27日(月)その2
役場へ行った帰りにお医者さんに寄って、イボの処置後を診てもらう。首の右側にあったイボが、ここ2カ月くらいで急に大きくなって、根元は細いのだけれど、上の方が5ミリ以上になって邪魔でしょうがなかったので10日ほど前に相談したら、根元を細い糸で縛ってもらった。先生は民間療法だと言っていたが、昨夜、女房に絆創膏を取り換えてもらう時、かさぶたみたいになってぽろっと落ち、今日診てもらったらきれいにとれているとのこと。良性のイボだったんだね。でも身体のあちこちにイボができるなんて、やっぱ歳とったんだと実感。

2017年2月26日(日)
土日だけれど、昨日も今日も休出。お客さんにも会う。
2017年2月26日(日)その2 女房は南部公民館の善光寺街道のシンポを聴講に行って、名号碑の講演を聞いてご機嫌で帰宅。南部公民館って私たち夫婦が初めて所帯を構えたところの近くだけど、このところその一帯にはとんとご無沙汰になっている。3歳まで暮らした長男はベランダから眺めた電車を覚えているかなあ。

2017年2月25日(土)
昨日、女房に「庭のクロッカスが咲いてるよ」と言われて、あわてて花を見に行った。このところ忙しくて心のゆとりをなくしていたんだ。我が家の庭のクロッカスは、毎年、同じ場所に、同じころに可憐に咲く。この花を見ると「ああ、もうすぐ春だ。今年の冬も何とか生き延びられた」そんな風に思う。若い頃はそんなこと、微塵も思わなかったのに、ここ数年、気力も体力もすっかり衰えたんだろうね。来年は蕾の頃から楽しめたらいいな。

2017年2月23日(木)
久々に実印を押す用事があって、何気なく印面を見たら、アレッ!こんな白色透明な部分ってあったっけ?アレ!私の姓の漢字の一部が欠けてなくなってる!なんだ、これ。という具合で、実印の一部にかなり問題となりそうな欠損が生じているのを見つけてしまった。ぶつけたり落としたりは考えられないので、原因は虫害だと思うのだが確たる証拠も残っていない。印材は水牛角だったからきっとそうだ。大慌てで役場に電話して、実印の取り換えについて教えてもらった。実印ってめったに使わないからなあ。全然気にしてなかったよ。
2017年2月23日(木)その2 今日は皇太子殿下の誕生日で、新聞でもテレビでもそれぞれに報じていて、去年の8月の天皇陛下の「お気持ちの表明」についての話がキモだったみたいだが、一家で写された写真の愛子内親王の激やせがとにかく気になった。頭が良い繊細なお嬢さんなんだろうなあ。妃殿下の適応障害は回復傾向で公務もされているが、いいじゃんか。「具合が悪い時は休む。」皇室だって電通だって下々だって同じさ。国を挙げてそういうふうに、ゆとり、ハンドルの遊び、を大切にしていこうよ。

2017年2月18日(土)
我が職場の年間最大の行事、発掘報告会を開催した。前回、想定の倍以上のお客さんが来たので、今回は会場を中央公民館の大ホールに移して、報告件数も増やし、初めて午前中からやってみた。去年が特別で今年は例年に戻ってしまうのではないか、とか、午前と午後でお客さんの入りが激減するのではないか、などといろいろ心配したが、結果としては去年並の250人以上の皆さんがみえて大盛況、成功裏に終わった。私は最後となる概要説明を務めさせてもらった。

2017年2月17日(金)
県立歴史館で会議があって、職場の若い衆が現場やなにやらで忙しいのでロートルの私が参加。県内のお城や城下町を持つ市町村が集まったが、どこも緊急発掘ってそんなに多くないんだ!?なんでウチだけ、毎年こんなに忙しいのだろう。議題は建設的な方向でまとまって、終了後は懇親会だったけど、私は明日があるので欠席で失礼してしまった。

2017年2月10日(金)
午後から本社の大会議室で説明会があって出席。よく知っている顔が何人もいた一方、あの人も出席対象なんだ、と意外だった人もいた。いろいろな手続きや年金の話をみっちり聞いて、夕方までかかった。
2017年2月10日(金)その2
あすから発掘速報展が始まるので、事前に展示状況を見せていただいた。今年の担当学芸員はおっとりとしていて、ちょっとペースが心配だったけど、なんとか形になっていて安心した。

2017年2月8日(水)
地元のFM放送局の番組に出演して30分弱、女性のアナウンサーと対談をした。私は専門の難しいような話しかできなかったけど、けっこうおもしろがってもらえて良かった。さて、視聴者の反応はいかがであろうか。来月も出演することになった。帰宅すると、電波状況が悪くて今一つクリアーではなかったけど、女房と子供たちも聞いていて、やっぱ私の声は高くて印象的だったけど、いつものように早口ではなかったそうでちょっと安心。

2017年2月6日(月)
今後の個人の調査研究に使いたので、古い地図を国土地理院から買おうと思って注文書を作り、申し込んだ。代金は収入印紙で送れとのことだったので、郵便局で購入したけど、あんな額面の印紙にお目にかかったのは自宅の土地を買った時以来だ。

2017年1月31日(火)
このところ出張に行ったり、体調が良くて仕事や家のことを次々とやっていたら、やっぱり不調が来て昨日と今日、二日間腹痛で寝込んだ。心臓がバクバクして、腹痛が続いた。

2017年1月29日(日) このところ天気が良くて体調も良いので、去年の4月17日に大風で倒れそうになって、ロープで結んで倒れないように支えていた、枯れたシラカバの木を片付けようと、朝から太郎と三郎に手伝ってもらって伐る。直径30センチ近い大木になっていたので、根元から3mくらい上のところをノコでごしごし切って、最後はその少し上にロープを引っ掛けて揺らしながら引き、なんとか折るようにして倒した。我が家の方にもろに倒れたら、ちょっとまずいと思っていたけど、うまく隣のシャラの木に寄り掛かった。最後は地響きを立てて倒れ、やはり樹木の伐採と言うのは危険作業であることを再認識した。とにかく、事故もなく無事に出来て良かった。見事な倒木の後利用は、さてどうしようか。細かく伐って燃やしちゃうだけじゃあ、なんか芸がねえなあ。

2017年1月28日(土)
午前中、休出して仕事。どうしても平日は庶務や調整、指揮指導で自分の仕事に集中できない。もうそんなに先が長くないんだから、なんとかクリエイティブなことを仕上げたい。休みの日は電話もこなくてはかどった。

2017年1月26日(木)
このところ厳しい冬型の日が続いて、朝の冷え込みがすごい。夜明け前に外にでると、空には煌々と星と三日月が輝き、放射冷却現象でしんしんと冷えている。この地方の冬の典型。子供の頃は氷点下15度以下に冷え込む日がざらにあったが、近年は暖かい。諏訪湖の御神渡りを見なくなって久しいような気がする。

2017年1月25日(水)
大相撲の初場所で優勝した稀勢の里が横綱に昇進した。二場所連続優勝じゃあないんだけど、まあいいか。19年ぶりの日本人横綱とかいってマスコミは盛り上がっているけど、もうそんなことはどうでもいい。本人のこれまでの精進とこれからの横綱としての見識。それがすべて。先輩の三横綱だって、ずっと見事だったよ。なにせ「大相撲」は世界に誇るワールドリーグなんだから。

2017年1月22日(日)
今日が大相撲初場所の千秋楽。昨日、優勝が決まっていた稀勢の里は結びで白鵬に勝って有終の美を飾った。さて、横綱昇進はどうか。郷土力士の御嶽海も勝って、前頭筆頭でなんと11勝。技能賞を受賞した。日馬富士と鶴竜が休場して、琴奨菊が大関から陥落。その一方で御嶽海や高安なんかの活躍もあって、おもしろい、新旧交代を強く暗示させる場所であった。

2017年1月18日(水) 月曜から今日まで2泊3日で九州に出張。今日、夜の10時前にやっと帰宅した。うまく日時が合わなかったので空路ではなく電車で行ったんだけどやっぱ九州は遠い。でも、新幹線の「のぞみ」は早いね。名古屋から博多まですごいスピードで突っ走る。特に山陽道は神戸を出たら岡山、広島、山口しか停まらなくて、あっというまに博多に着いた。とは言っても、ああ疲れた。

2017年1月15日(日)
この土日は休出はせずに、切れた名刺を印刷したり、明日からの出張のお土産を買ったりして過ごした。女房から借りていくタブレットの使い方を教わったり、経路を調べたりで暮れた。

2017年1月10日(火)
大相撲の初場所が始まって、郷土力士の御嶽海は前頭筆頭という厳しい位置でスタートしたが、初日は大関の豪栄道、二日目はなんと横綱の日馬富士に勝ってしまった。さすがに今日の白鵬にはやられちゃったけど、悪くはなかった。こりゃあ今場所はいけるぞ。とにかく下から上へ押して押して前へ出る。まだ若いんだからね。

2017年1月9日(月)
ハッピーマンデーとやらで成人の日でお休み。昨日の雪は朝には上がったが、我が家のまわりでは25センチ近い積雪。朝から南側の村道へ出る通路を雪かき。午後には生協の配送車が来るので、それが入れるようにさらに道をひろげてかいて、最後に自家用車が出られるようにした。たかだか25センチくらいだが、一汗かいた。昼の天気は回復して日差しがあり、主要幹線はほぼ融けたのではないかな。

2017年1月8日(日) 夕方から三九郎。(この地方ではドンド焼きとは言わない。)常会の小学生たちが朝から松飾りを集めてヤグラを組み、午後5時から点火というので、家族で10分前くらいに例年の田んぼに出向いた。あいにくザンザン雪が降り出したが、それはそれで風情のある三九郎になった。小学生は8人いて、やっぱ子供は元気。ウチの常会もまだまだ先の見通しは明るいと思うと、こちらも元気になる。予定通りの時刻に点火され、雪の中、大きな炎が上がった。本年も平穏に過ぎせますように。

2017年1月7日(土)
今日から3連休だけど、どーしてもやっておきたい仕事があって午前中は休出。とても良い天気だったが、明日からは南岸低気圧が通って雪との予報。やだなあ。

2017年1月4日(水)
仕事始め。ところが男性職員2人が風邪でダウン。一人はインフルエンザでもう一人もその恐れが強い。感染経路は全然異なると思うけど、いやびっくり。こんな身近にもインフルエンザが迫っていたなんて。そもそもインフルエンザは風邪じゃあないしね。午後、課長が新しく配属されたメンバーを連れて挨拶に来訪。

2017年1月3日(火)
今日で年末年始休みは終わり。今シーズンは計6日と短くて、帰省の皆さんは大変だったろう。次郎も午後のバスで街の駅に出て東京に帰った。始発駅だったので座れて、夜の7時前にはアパートに着いたとのメールがあった。とにかく天気が穏やかな正月で良かった。

2017年1月1日(日)
7時過ぎに、毎年恒例の初日の出を見に、女房と太郎と三人で我が家の一本南側の農道に出る。毎年恒例で次郎と三郎は起きられない。今年はほとんど雲がなくて、東山の鞍部のちょっと北よりから見事な日輪を拝むことができた。なんと目出度い。午前10時から常会の新年会。杯は小さかったけど昼酒は効くね。おだやかな元日。今年一年もこうあってほしい。