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2016年12月31日(土) 大晦日。午前中に太郎、次郎、三郎を連れて母のところに顔を出す。母は誰が来ても愚痴ばかり言って、毎度のことだけどウンザリ。私も高齢になると相手の事情には思いも及ばず愚痴ばかり言うようになってしまうのだろうか。夕方、神棚に点灯して、皆で神様にお礼の柏手を打つ。夜中の11時30分過ぎに起き出して全員で地区の産土様に二年参り。比較的穏やかな年の暮れだった。
2016年12月30日(金) 午前中に松飾りの松やゴボウ締めを買いに行って、ついでに御年越しの食材も仕入れる。スーパーは年末の買い物客でごったがえしている。いつもは来ない男衆が買い出しのお手伝いで奥様方について歩いていて面白い光景。昼までに松を飾り神棚をきれいに出来た。
2016年12月29日(木) 今日から年末年始休み。昨日、次郎が帰省して全員が揃う。私たち夫婦の結婚30周年を祝って子供たちが全部準備してくれて、夜、皆で一杯。
2016年12月28日(水) 今年の仕事納めの日。午前中、部長が各施設を回ってきて、ウチの館でも10時40分頃、年末の挨拶。午後には課長が年末で退職する非常勤の職員を連れて挨拶。アア、今年の仕事も終わったな、という感慨。いろいろあったね。
2016年12月26日(月) 職場の大掃除のはずが、急に2月補正予算の資料を作らなくてはいけなくなって、掃除は若い衆に任せてエクセル表とにらめっこ。もういいかげんウンザリ。この手の仕事は嫌いでも苦手でもなかったんだが、ここ2~3年位、数字を見つめていると何かいらいらしてきて、ちっとも考えがまとまらない。いよいよ終りだね。
2016年12月23日(金) 昨日、新潟県の糸魚川で大火事があって、4万㎡が焼失という近年まれな大火災となった。異常に暖かい南風に煽られて海際でやっと延焼は止まった。糸魚川の街は何度か訪れたことがある。たしかに、駅の北側などは通りが狭くて建物が密集しているなあという感覚はあった。富山から新潟へ向かう北陸路の海際の断崖が、ちょうどここで一休みするような、地勢的にも歴史的にも重要な中継地で、おそらく密集していた家々にも土地にもそれなりの由緒があったんだろう。心から復興を祈る。私に何が協力できるだろうか?
2016年12月23日(金)その2 太郎も三郎もそれぞれの飲み会が街であって、二人とも深夜にご帰宅。ごくろうさまである。ただ、太郎は行きも帰りも、片道3キロはある最寄りの駅と自宅の間を自力で歩き、三郎は行きも帰りも友達の自家用車で送迎。なんというか、それぞれの人間関係と言うよりは今後の人生を象徴しているようだ。
2016年12月22日(木) 職場の館の親睦会で忘年会。久々に街へ飲みに出た。肉や揚げ物の料理はほとんど手が付けられなくて、ちょっとしたつまみで飲むばかり。でも若い衆の元気は見ていて楽しいね。一次会で早々に帰ったが、終バスは8時半頃なので当然間に合わなくてタクシー。もう、こんな繰り返しはウンザリ。
2016年12月17日(土) 今年の3月に亡くなった矢口さんのお宅にお線香をあげに一人で伺った。奥様がお一人で居られて、小一時間話をしてきた。奥様は狭心症のけがあると言っておられたが、お元気そうでなにより。今日から県歴で特別展が始まるので回ろうかと思っていたが、高速道路の運転に疲れたので、県歴は次の機会にして早々に帰った。
2016年12月16日(金) 朝、出勤で家を出ようとしたら、エッ!雪が積もっている!天気予報じゃ、そんなこと全然言っていなかったのでびっくり。しかも、夜中、凍みていて、明け方から降り出したので、そんなに多い雪ではないのにかかわらず圧雪でつるつる。最悪の路面状況!通勤途上の工業団地の中の市道で、私の車も危うく一回転するところだった。全然、予報がなかったので、行政の融雪剤散布が間に合わなくて遅れ、あちこちで事故が起きて、とくに職場のまわりは下り坂が多いので、渋滞もひどかった。ウチの職場では今年度は若い衆などが交通事故を起こしており、とにかく事故のないことを祈った。
2016年12月15日(木) 昨日は結婚記念日で今回は30周年だったので、女房と二人で諏訪の温泉旅館に一泊でゆっくりしてきた。せっかく諏訪に来たので、昨日は諏訪大社下社の御柱の木落し坂や注連掛けを歩いて回り、今日は上社前宮の周辺を巡った。木落し坂は上から見ると、これは凄い。こんな恐ろしい斜面を巨木と共に落ちるなんて、たとえ若かったとしても私にはできない。諏訪に住んでいなくてよかった。上社前宮のまわりは、なかなか見どころが多くてびっくり!茅野市は国宝の縄文土偶で大々的に売り出しているけど、こっちの顕彰の方が地域文化に寄与する貢献はより大きいじゃないかなあ、などと余計な心配をしてしまった。
2016年12月10日(土) 土曜日だけど来年度予算の財政課長折衝。私は昨日までの不調が尾を引いて欠席。課長と担当がうまく終わらせてくれた。多謝。しかし、予算などという重要な案件に関する職責さえ全うできなくなった。いよいよ年貢の納め時を悟った。
2016年12月9日(金) 火曜日から今日まで4日間、体調を崩して寝込む。四六時中、下腹が痛んでひたすら寝ていたけど不快この上もなし。それに連日、夜中に動悸がして目が覚めた。昔の感覚で言うところの自律神経が変調を来しているのかなあ。11月の下旬は補正予算とか調査報告書の作成とかあって、家でも仕事に没頭して、ちょっと調子に乗りすぎたのが原因かもね。とにかくほどほどに生きていくしかない。
2016年12月4日(日) 年賀欠礼のハガキが今年も次々と届いて15枚になった。ほとんどが同級生や昔の仲間、学会の関係者で、ご両親のどちらかが亡くなったというものだったが、矢口さんの奥様からのを見て、ああ、と矢口さんがいなくなったんだということを再び実感した。年内に一度、ぜひお線香をあげに伺わねば。
2016年12月2日(金) 古絵図に描かれた遺構が出現した現場を県教委の指導主事が急きょ視察、指導。関係部署の課長たちと一緒に立ち会う。担当の指導主事は、ここ何代かはセンターの中堅どころが起用されているが、知識も見識もしっかりした人材が多く、調整能力も優れていて、いつもとても頼りになるのがうれしい。当面の調査の進め方から上級官庁への対応、今後の展望など、要点をしっかり把握した話が進んだ。私は昨夜の残業のせいか、フラフラしていてまったく役に立たなかった。
2016年12月1日(木) 若い衆が街中(まちなか)でやっている現場で古絵図に描かれた遺構が現れて、急きょ関連部署が協議。明日の庁議の折に二役に報告するため、担当者が大急ぎで報告書を作るのに付き合って遅くまで残業したら、すこぶる体調が悪い。偉そうに「遅くまで」と言ってもたかだか8時30分なのだから情けない。若い頃は連日1時2時でも平気だったんだけどね。
2016年11月27日(日) 大相撲の九州場所が終わった。郷土力士の御嶽海は後半盛り返したが届かず、六勝九敗で終わった。初の小結だったから、まあまあというところだろう。初場所に前頭の上位で残れたら、また横綱、関脇に挑戦だね。楽しみ。地元のサッカーチームはずっと2位につけていて、もう少しでJ1自動昇格だったが最終戦で3位が決定。今日がプレーオフのトーナメント初戦で、なんとまさかの敗北。来年のJ1昇格は雲散霧消した。ウ~ン、厳しい。選手や関係者、ファンはもとより、皮算用をしていた経済界、商工会もがっかりだろうね。でも、実績も資金もあまりない田舎の弱小チームが、ここまで頑張れるのは決して悪い話じゃあないと思います。
2016年11月26日(土) 休出せずに、持ち帰った編集の仕事で終日パソコン画面とにらめっこ。眼が痛い。午後に1時間ばかり庭木の片付けをして身体を動かす。
2016年11月25日(金) 昨日の雪から一転して、朝は厳しい冷え込み。ヲイヲイ、まだ11月だぜ!昨日の雪をクルマの上からきちんと片付けておかなかったら、ドアが凍りついていて、バキッと音を立てて開いた。こういう時に今はやりのスライドドアはお手上げなんだ。給油口のハッチも開かず、こじ開けたら塗装に傷が付いちゃった。トホホ。その厳寒の中、早朝4時半頃に地区内で火災。消防団の緊急出動で太郎は飛び出していった。6時半頃、鎮火の村内放送があったというが、消防団は片付けやなにやらで、太郎の帰宅は10時半頃だった。お疲れ様である。農家の長芋加工場が燃えて、冬掘りの長芋が大量に焼け、何とも無残な光景だったそうだ。凍みるという予報が出ていたので薪ストーブで夜中暖房していたあたりが火元らしい。なんともお気の毒なことだ。
2016年11月24日(木) 天気予報で1月並みの寒気が入って大雪になるとしきりに脅かしていたが、果たして未明の4時頃から細かい雪がザンザンと降り始めて、5時半頃には5センチ近く積もった。道路が渋滞すると嫌なので、いつもより早く家を出たが、職場に着くまでに45分くらいかかった。雪は小降りにはなったが昼近くまで続いて、10センチ近い降雪となった。ヲイヲイ、まだ11月だぜ!なんか、このところお天気が変だね。午後から政策予算のヒアリングがあって街に下ったが、道路の雪ははほとんど融けていて助かった。これから来年の3月まで、こんな思いを頻繁にしなければならない。ゾッとする。
2016年11月23日(水) 勤労感謝の日で祝日。休出をせねばと思っていたけど、何か気分がすぐれず、結局、終日家居。少し体を動かした方が良いかと思い、昼に1時間ばかり庭の樹木の片付けをする。夕方4時から常会の収穫祭であったが、こんな体調の時に昼酒を飲むと大変なことになりそうなので欠席してしまった。
2016年11月20日(日) 大相撲の九州場所が今日で中日。初の三役入りした小結の御嶽海は、連日の横綱大関戦で1勝7敗となった。まあ当然と言えば当然か。飛び抜けた素質がある訳でもないから、少しずつ取り口を覚えて、三歩前進二歩後退を繰り返し、地力をつけていくしかない。後半戦は頑張れ。
2016年11月20日(日)その2 地元のサッカーチームが好調で、このところJ2でずっと2位を確保。すわJ1に自動昇格か、とファンや地元は意気込んできたんだけど、今日の最終戦で勝ちはしたが、得失点差で3位が確定。やっぱ実力の世界は厳しいね。この後のプレーオフ戦で勝ち抜けば昇格できるので、サッカーファンではない私でも、どうなるかとても気になる。それにしても、こんな田舎の弱小チームをここまでにした反町さんっていう監督は大したもんだ。
2016年11月20日(日)その3 昨日と今日の土日、市町村対抗の長野県縦断駅伝というのが行われると新聞には大々的に報道されていたんだけど、二日間ともテレビ中継は無くて、ラジオで断続的に流したくらいかな?まあ、何でもテレビ、テレビって言うのも変だし、各種のスポーツやイベントが目白押しの時期だからね、リアルタイムの映像で見るのは無理かもしれないけど、それぞれの御当地ではとても盛り上がっていて、地域限定選手も多いだろうし、男女混合だし、ベテランから中学生までいて、それなりにおもしろいんじゃあないかなあ。昨日の午前中はザンザン降りで、雨中を走る選手の新聞写真はなかなか迫力がありました。
2016年11月19日(土) ここ数年、調査に取り組んできた遺跡が昨日午後の国の文審で史跡指定の答申を頂いた。地域の皆さん、関係者の皆さん、ありがとうございました。それに何より担当者の皆さん、本当にお疲れ様でした。これからは用地の話や保存活用計画など、まだまだ難関が続くけど、とにかく良かった。
2016年11月19日(土)その2 朝からザンザン降りだったけど、午後になって止んだので、熊谷さんのところにパトロール結果を届けるついでに、女房と元洗馬の釜井庵に寄って紅葉と展示を見てきた。菅江真澄の事跡は何度見ても面白い。ちょうど館長さんが居て、詳しく説明していただいた。多方面をよく調査研究されていて脱帽。なにより知的な興味関心がほとばしっておられる感じで、私はそっちの専門ではないのだけれど世の中にはすごい人材がいるもんだとひたすら感心した。
2016年11月16日(水) 風邪が腹に来て、昨日と今日の二日間寝込む。終日、腹が断続的にじくじく痛んで参った。先週も寝込んで休んだし、給料泥棒もいいところだ。単なる風邪じゃあないんだろうなあ。どっか、根本的におかしいんだろうね。
2016年11月13日(日) 午前中、休出して運搬作業。膨大な量の遺物を遠距離の廃校を借りて仮収蔵しているんだけど、整理作業が終わったものを運び込んで、次の作業予定品を運び出した。遠いもんで、それだけで半日かかった。平日は庶務が多くて、そんな時間が取れないから、しかたなく休日の作業。
2016年11月12日(土) 朝9時ころ、一家で出掛けようとしたら、なんと自家用車の左後輪がパンクしている。びっくり。昨夜帰宅した時には何ともなかったのに。ジープタイプの車なのでリアにフル規格のスペアタイヤが付いてはいるけど、この時季なのでいっそスタッドレスに履き替えてしまおうということになって、外出は取りやめて、家族全員に手伝ってもらい四輪を履き替えた。パンクしたタイヤには釘が刺さっていて、しかもその頭がかなりすり減っていたから、刺さってしばらくしてタイヤを貫通し空気が抜けたのだろう。どこで拾ったのかなあ?スタンドで1000円払って直してもらった。
2016年11月10日(木) 新年度予算の財政ヒアリング。今年はオブザーバーみたいなつもりでいたけど、始まるとやっぱそういう訳にはいかなかった。
2016年11月9日(水) 体調を崩して昨日の午後から1日半寝込む。寒くなって風邪気味だったのが原因か。腹が下って外出できない。
2016年11月5日(土) 女房がムラの文化祭で個人で展示をするというので、朝から運搬と展示を手伝う。いろんな団体や個人が展示をしていて、公民館の体育館はとても賑やかだった。女房は何を血迷ったか、春に撮影して歩いた村内の桜の古木・名木の写真を地図付きで飾った。ムラ生え抜きの人も、案外知らない名所があって、ちょっと面白かった。開会式も10時半には終わったので、そのあと埋文パトロールに付き合ってもらって、昼までに帰宅。
2016年11月5日(土)その2 ここに引っ越してきて数年経った頃に植えた蜂屋柿が今年は生り年で、枝がたわむほどに実って、万一、下を通る人にでも落ちたら冗談じゃなくて怪我をしそうなので、午後、太郎と三郎に収穫してもらった。そうじゃなくても蜂矢はでかいのに、今年は特にでかくて、数も多い。渋柿だし、さて、どうやって食べるかな。
2016年11月3日(木) 文化の日で祝日休みだけど休出。報告書の遺物を見る。とても全点は掲載できそうにないので、とにかく目だけは通しておいて各遺構の時期の特定をしておかないとね。いつになったら庶務雑務から解放されて、平日にこういう仕事ができるようになるのだろう。まあ、贅沢な悩みか。
2016年10月30日(日) 午前中、埋文パトロールでウチの村と隣村を巡る。隣村の役場移転予定地も見てきたけど、優良農地のど真ん中に出来るんだね。お隣の村の事ではあるけど、ちょっと複雑な心境。
2016年10月29日(土) 久々に母のところに顔を出す。太郎と三郎を連れて行く。その後は休出。今年度刊行予定の報告書をやる。
2016年10月25日(火) 実測委託に出してあった土器が返ってきたんだけれど、お願いしていない墨書に鉛筆で縁取りが描いてあったのにはびっくり。何かの間違いだろうけど、関東ではこうやって文字を際立たせる手法があるのかなあ?重要な文字だったので、万一、消えたり汚れたりしたら大問題だと思うんだけど。
2016年10月22日(土) 今年最後の里山行き。締めくくりはシモフリとクリタケ。まあ、そこそこに楽しめたシーズンでした。村境のケルンまで登って鐘を撞いてきました。
2016年10月21日(金) 課長がこちらの職場まで出向いて課長補佐・係長級の面接。主な内容は人事評価制度の中間評価に関してのはずなのだけど、それ以外の話もいっぱいあって、まあ大変だわ。
2016年10月20日(木) 県歴の原さんと中野さんが来て冬季の特別展の打ち合わせ。こちらの担当の女性の学芸員がしっかりやってくれていて助かる。
2016年10月14日(金) 朝が涼しくなって、ちょっと風邪を引いたくらいに思っていたが、水曜日からすっかり体調を崩してしまい、断続的な頭痛と下痢に悩まされて、今日まで3日間寝込む。9月は4回の土日のうち3日も行事で休出して、しかもその間に山へ行ったりして、その疲れがまとまって出たのかなあ。この三連休まで論文で夜中や早朝からパソコンに向かっていたプレッシャーや、寒い寒いと言いながらいい気になって西山、東山と出歩いた報いもあるのか?でもせっかくの秋だしなあ。
2016年10月11日(火) 朝が寒い。本当に暑いか寒いかで、ちょうど良いという感覚がない。職場で、10時頃から悪寒がして、早退してお医者に行き、帰宅して寝ている。
2016年10月10日(月) 三連休の最終日。朝が寒い。久々に東山に繰り出す。でも全然ダメ。ここ2年ばかり東山は全然ダメだ。どうも狙いのキノコと気候、それに伴う植生が徐々に変化している構造的な問題なのか。早々に諦めて帰る。女房が編集しているムラの史談会の会報の編集後記を仕上げる。
2016年10月9日(日) 三連休の二日目。10月なのに暑い暑いと怒っていたら、今朝から急に冷え込んで、今度は寒くてハンテンを引っ張り出して来て着た。どうも丁度良い、という感覚がなくなっている。いかんねえ。矢口さんの追悼論文をやっと仕上げて事務局の鶴田さんにメールで送る。
2016年10月8日(土) 朝から西山へ繰り出す。いよいよシモフリが出始めて、そこそこの収穫があった。キシメジは終わりがけ、イグチは終盤、コムソウの第二弾はやっぱり無くて、今シーズンはタマゴタケは皆無。もとよりマツタケには縁がなかった。三郎は昨夜飲みに出て、フラフラしていたがついてきて、シモフリを採った。午後はひたすら論文。
2016年10月7日(金) 岐阜県のある町の町長さんと議員さん一行が国の史跡になっている遺跡を視察に来たので案内をする。課長と大手の補佐も来て、私と3人で対応。無難に終わった。人口5000人くらいの町だけど、周辺に合併していないのは何か特別な財源でもあるのかなあ?などと、つい、失礼なことを思ってしまった。
2016年10月6日(木) 台風18号が日本海側を通って、昨夕から夜半にかけてウチのあたりもすごい風が吹いた。早朝のウォーキングはできたけど、9月の雨で遅れた稲刈りのはぜ掛けがあちこちで倒れていて、まだ稲刈りが終わっていない田んぼは軒並み稲が倒れていた。果樹園のリンゴもたくさん落下していて、ああ、もう少しで出荷だったのに!と、農家の皆さんに同情してしまった。女房の可愛がっている鉢植えも、いくつか棚から落下転倒していた。現在進行中の4現場は問題なしで、被害に遭った皆さんには申し訳ないけどほっとした。昼間は台風が連れてきた暖気のせいか、なんと真夏日。もう10月だぜ!どーかしてるんじゃないの?
2016年10月6日(木)その2 昨日今日と課長が来て嘱託と正規の皆さんに個別面談。ああ、もうそんな時期だね。個々の職員にはみなそれなりの思いや事情があるだろうから、それを丁寧に聞いて次の人事などにうまく反映しながら組織の効率も高めて事業を進める。当然と言えば当然なんだけど、管理職っていうのは大変だね。私にはできない、向いてない仕事だ。というか、もう自分は何が得意で何が苦手で、何をやりたくて…という感覚を失って久しい。常にまず「何をやらなければならないか」ばっかりを思っていて、ふと気が付くとがんじがらめになっている。
2016年10月3日(月) 議会の決算特別委員会があって出席。課長の後ろに控える。昨年度決算のウチの部の歳出に関わるものだけだったので、昼には終わった。ウチの課への質疑はなかった。楽だと言われればそうだけど、文化財ってのはその程度の位置付けということなんだろうね。10月に入って涼しくなると思い上着を着て行ったが、やっぱ暑くて脱いでた。変な気候。
2016年9月29日(木) 午後、職場がある地区の連絡協議会というのがあって出席。年3回くらい、地区の小中学校の校長先生とか保育園長先生とか公的施設の代表者の皆さんとかが集まる。でもウチの課の仕事は地域に特化している訳でもないので、私から積極的な発言もできなくて、何か同席するのも申し訳ない気分。
2016年9月25日(日) 夕べの飲み過ぎてダウン。朝6時から地区の環境衛生だったけど三郎に行ってもらった。普段、晩酌は飲んでも1.5合だけなので、やっぱ酒に弱くなっている。悪いことではないと思うけど。終日、フラフラしていて、3月に亡くなった矢口さんの追悼論文、締め切りが月末だけれど全然進まないや。どーしよう。
2016年9月24日(土) 朝から西山へ繰り出す。採れたのはリコボウばっか。高い所でクリタケが出始めて、やっとシーズンらしくなった。夕方からムラの史談会の会合兼懇親会があって、毎度のことだけど飲みすぎてしまった。一杯入って、歴史がらみの面白そうな話など出ると、若造のくせにいい気になって、図に乗ってしまう。悪癖は死ぬまで治らないね。
2016年9月22日(木) 秋分の日でお休み。日曜日からずっと続いて雨ばかり降っている変な天気。無理をして西山へ繰り出したが、1500mくらいの地点でザンザン降り出してしまい、早々に引き揚げた。コムソウが何本も出て、立ち腐っていた。チックショー!やっぱ17日の土曜日にシンポのお手伝いで山へ行かれなかったのが致命的だった。
2016年9月17日(土) 一般文化財関連のシンポジウムがあって、お手伝いのスタッフで終日参加。貴重な秋の一日が潰れてしまったけれど、中味はなかなか面白くて、とても参考になった。地域の代表の話がとてもよかった。ウチのムラの史談会のメンバーにもお誘いをすればよかったと後から後悔。
2016年9月15日(木) 9月議会の委員会審議があって出席。課長の後ろに控えていたが、出番はなし。無難に終わったということです。ウチの課でも補正予算を出していたので、まあこれで年度の後半は何とかなる見込みがついた。
2016年9月11日(日) 西山は自転車のレースがあって混むので、今日は東山へ繰り出した。いつもクルマを停めるところにスズメバチがひっきりなしに来て、非常に不快だった。丁度、ハチの通り道になってしまったのだろうか?帰り間際には2匹来て、クルマにまつわりついて、やっとのこと乗り込んで帰った。今年はスズメバチが多い。白くてピカピカ光るものに集まるのだろうか?肝心のキノコはさっぱり。
2016年9月10日(土) 四賀の山城で現地説明会があってスタッフで参加。地元限定の現説だったので、小人数でまとまったものになった。山中の不思議な石積みは調査が進めば進むほど面白くなってくる。終了後、豊科の郷土博物館へ回って、北村人骨の講演とトークを聞く。自然科学がらみの話はいつ聞いても興味が尽きない。もう北村発掘から29年が経つという平林さんの話はちょっとしんみり。我が家ではまだ長男が生まれる前で、女房が田沢事業所に自転車で通っていた頃、国道で後ろから軽トラに乗った彼らが「オーイ、オーイ」と声をかけて追い越して行くのがとても恥ずかしかったと語ったのも良い思い出。最前列に陣取ったのだけど、スライドを注視しようとすると片目をつぶらないとダブって見えて困る。
2016年9月9日(金) 県歴主催の城下町城郭研究会があって出席。午後の発掘講習会の会場が松本市内だもんで、それに合わせる形で午前中に中央公民館が会場となった。昨年度まで中心になって進めてきた専門家の担当が思いもよらない異動で、こちらも大混乱。形の上では何とか対応しているが、今回も彼の派遣を依頼して何とか実質を伴う内容にできた。すべてが今でも狂って誰も何も得るものがなかったこの春の椿事は、まさに「すまじきものは宮仕え」という感じで、すっかり嫌気がさした気分。
2016年9月7日(水) 朝から寒気がして終日休み。ハンテンを引っ張り出して着ていた。外は残暑がえらいのに、家族からもあきれられる。なんか、身体のどっかが変だ。
2016年9月4日(日) 市民を対象に東山部の山城に登る催しがあり、裏方として参加。あらかじめ裏道から自動車で資材を揚げたり簡易トイレを設置する手伝いなどをした。簡易トイレは扱うのが初めてで、良い経験になった。山城登山に簡易トイレという発想はこの催しの責任者が女性だった故だ。今まで何度となくあちこちの山城登山の企画に加わったが、すべて男性側からの視点で、簡易トイレなんて思いもしなかった。男女同権、男女参画、口で言うのは簡単だが、眼からうろこというか、まだまだ私は未開なことが判った。素晴らしい体験であった。
2016年8月30日(火) 台風10号が東北地方に上陸して、東北と北海道は大変な被害が出ている。この台風は9号、11号と三つ子のように発生して、いったんは日本の南海上を南西方向に下り、南大東島周辺にしばらく留まるという、迷走することが多い夏台風のなかでもとりわけ異常な進路をとった。そこで勢力を強めた後、こんどは北東に進んで、関東の東の海上で今度は北西に向きを急変して一気に上陸に及ぶ、まったく非常識な奴であった。東北地方では太平洋側からの台風の上陸は観測史上初めてだそうで、通常とは違う天象による被害も加わったのではないかと被災に心が痛む。天気予報では寒冷渦とか聞きなれない術語が頻出し、観測精度が上がった故なのか、それとも、温暖化で気象全体が例年を逸脱し始めているのか、素人の私にはよくわからないけれど、やっぱ温暖化の影響はあるんだろうね。
2016年8月28日(日) 昨日は人間ドックで行かれなかったので、早起きして太郎と三郎と3人で西山に繰り出す。女房は昼過ぎに街で藤森照信の講演を聞きに行くと言って舞い上がっているので不参加。チチタケにはちょっと遅く、アミタケにはちょっと早かったみたいで、戦果はほとんどなし。まあ週一回の山歩きは悪い習慣じゃあないだろうからビクの中味は問題なしってとこかな。先週のスズメバチ事件があったので、その付近には近づかなかった。女房は夕方、ご機嫌で帰宅。
2016年8月27日(土) 昨日と今日、一泊で人間ドックに女房と入る。以前は11月頃に行っていたが、だんだん早くなってとうとう8月にしてしまった。秋が深くなると新年度予算の編成期にあたったり、9月は議会があったりして、そこらを避ける選択だったけど、来年からはもう心配しなくていいや?体重、内臓脂肪、血圧、γGTPなど、ほとんどの値が改善。ただし、お盆明けに薬が切れてしまったためか尿酸値は上昇。それに今まで変化のなかった肝臓のある数値が危険域の倍近くあって、最近、新しい薬か変わったサプリとかを飲んだか聞かれた。原因は不明で、ダニに大量に刺されたことと夏キノコのチチタケをたべたことくらいしか思いつかない。昼過ぎには帰宅。夕方、自家用車の12カ月点検。もう1年経った。はあ。
2016年8月22日(月) お盆を挟んでここ半月くらい、ブラジルのリオデジャネイロではオリンピックが開催されていて、今日が閉会式。私はまったく興味がなかった訳ではないけど、普段の生活ペースを乱してまでテレビにかじりつくということもなかった。NHKのFMで朝の「古楽の時間」にオリンピックのライブ中継をやられたのにはちょっと参った。この時間帯を楽しみにしているファン層って、スポーツの祭典に釘付けになるのとは別種の人間群だと思うんですけどね。
2016年8月21日(日) 女房と太郎と3人で西山へ繰り出す。夏キノコがそこそこ。アミタケが出始めた。高所まで登ったらイグチも出始めていた。これからちゃんと降れば今シーズンは良いぞ!といい気になっていたら、下りで災難。その1はスズメバチに追い駆けまわされた。おそらく巣に中距離で近づいたのだろう。1匹ではあったが厳しく威嚇してきたので、100m以上振り向きもせず猛スピードで逃げた。しゃがんで凝固したけど、ちょっと間を空けて追ってきて威嚇。それを3回繰り返してやっと振り切った。攻撃だったら刺されていただろう。大きく動いた私を追ったので、女房や太郎の方にはいかなくて良かったが、山中を全力疾走で500m近く走ったなんて何十年ぶりだろう。もう一カ所、威嚇してきた地点があったが、そちらは遠距離だったらしく冷静に通り過ぎたらそれだけだった。災難のその2は、ハチから逃れてヤレヤレと思っていたら左耳にピンポイントで虫が飛び込んだ。一気に耳道の奥の方まで入ってしまって出られなくなり、バタバタともがくので、こちらもどうしょうもない。山中ではピンセットも持ち合わせていなくて、太郎がライトを照射して誘い出そうとしたが、ひとっきり暴れた後に、何とか出て行った。小さな蛾だったようだ。よく、耳に虫が入ったという話は聞いたが、こんな体験は生まれて初めて。今日はどうやら厄日だ。帰宅後は身を慎んでいた。
2016年8月20日(土) 市街地の現場で現説。毎度のことで開会の司会を務める。年度またぎの現場で3回目の現説だったが60人近くの皆さんがおみえになった。連日の暑さで、すっかり汗まみれになった。桐原先生が来られたのにはびっくり。
2016年8月19日(金) 職場の全館冷暖房のエアコンが致命的に故障してしまい、このところの残暑と相まって、とても暑い。現場に出ている若い衆に比べればマシとも思うのだが、コンクリートの建物の淀んだ空気の暑さはまた別物みたいな感じもする。各部屋に扇風機を調達してしのいでいるが、室内熱中症が出ないことを祈る。
2016年8月19日(金)その2 職場で貴重な遺物の倉庫みたいになっている部屋で1時間弱作業をした後、昼休みに昼寝をしていたら、右腕の肘の内側を中心に30カ所くらいダニに刺された。倉庫の部屋は数年間も掃除していなかったみたいで、コンテナーの陰から虫の死骸とかいっぱい出てきてダニの棲息にはうってつけだったのだろうか。おそらく作業の時にダニが私の服に付着して、腕まくりしていた右腕にとり付いたのだろう。20cmくらいの範囲じゅうに赤い発疹がボツボツと出て、痒くてたまらない。油断したなあ。
2016年8月18日(木) 今年のお盆はずっと出勤したので、今日は休みをもらって午前中に西山に繰り出した。キノコにはちょっと早いかとも思ったが、夏キノコのチチタケがそこそこ採れた。アミタケはまだ。1600m付近まで登ったが、折からの残暑で、山はすっぽりと雲の中に入って高温多湿。まるで蒸し風呂。全然涼しくなかった。
2016年8月17日(水) このところ定期的に仕事を手伝っていただいている東信の古い友人と会う。先日、彼の奥さんとも会ったのだが、彼女はとても痩せた私のやつれを心配していたそうで、仕事も大事だったけど、もう自分の人生を生きてもいいのではと言っていただいた。実際のところ、そうだと思う。
2016年8月16日(火) 昨日、今日はお盆の真っ最中だったが、ウチの職場は現場がみんな休みで、担当者の若い衆もそれに合わせて休養するので、普段内勤でのうのうとしている私は二日とも出勤。でも、電話もほとんど来ないし、人がいないから指示や指導、相談もなくて、自分の仕事に専念できた。
2016年8月16日(火)その2 午後、母の入所している施設から今月分の利用費の引き落としができないと電話。しまったぁ!私の銀行口座から引き落としていてもらったのだが、ここ2カ月ぐらいあたふたしていて残額を確認していなかった。あわてて振り込みに行く。母の年金を下して私の口座に入れ、そこから引き落としをしている。その入金と支出の差は2ヶ月で5万円ほどのマイナスで、これまでは私の預金の残高の中から充当される形になっていたが、いよいよそれが底をついてきたということでもある。さて、別途に財源を求めなばならないが、どうしましょうかねえ。
2016年8月13日(土) お盆の入り。午前中に義父母が眠る女房の実家のお墓へ二人でお参り。一年に一度、お墓の周りを片付けて、カンバを焚いてお線香をあげる。義母が亡くなって、もう11年になる。なんか、ついこのあいだだったような気もするけど。女房が19歳の時に亡くなった義父のと二つ並ぶ自然石の墓標に、たっぷり水をかけてきた。お酒じゃなくてゴメン、お茶じゃなくてゴメン、ってとこです。我が家のお墓はムラの霊園ができた時に上の方の区画を買ってあるんだけど、まだ誰も入っていないし、子供の進学でゆとりもなかったので、そのままになっている。そろそろ何とかしなくちゃとも思うけど、誰かが入る段になってからでも良いか?
2016年8月11日(木) 新しい国民の祝日の「山の日」というのが今年からできて、その当日。制定記念のセレモニーが上高地や松本であって、皇太子殿下の御一家がお見えになった。ウチの職場でも若い衆が昨日と今日、記念行事関連の動員で出ている。ハッピーマンデーじゃあなくて8月11日に固定というのは良いかも。企業のお盆休みのあり方が変わるのかなあ?
2016年8月10日(水) ここ数年、重要遺跡の整理作業を進めているのだが、今日は国の調査官を招聘して今後の整理方向のご指導を頂いた。あと一年半でどこまでできるか?その後の指定までの作業も、内容、作業ともに取捨選択を間違えないようにしないといけない。
2016年8月10日(水)その2 次郎が帰省。今年のお盆休みは勤務地の変更などで14日まで。15日からは出勤だそうで、山の日の影響でか、案外15、16日が勤務日になっている会社って多いのかな?
2016年8月9日(火) 一番最後に合併した地区の公民館の改修に絡んで、指定文化財や出土遺物の展示についての意見交換会があって、一応、埋蔵文化財担当の立場で出席。地域の文化財委員の皆さんの思い入れや意欲が良くわかって貴重な機会だった。ただ、いろんな場所でそこの雰囲気に合わせて発言するということは、やっぱ難しいね。
2016年8月8日(月) 今上陛下のビデオ録画がすべてのテレビチャンネルで放映されて「お気持ちの表明」があった。とにかく政治に関与してはいけないので、発言という形にはできないし、国民としての人権も認められていないので、権利や義務ということも不可能。傍から見ていて、いつも大変な立場だなあと思っていた。とにかくまじめで誠実、真摯。しかし、これしか道はないんだろうね。女王亡き後の英王室を想像すると、今の陛下の選択が正しかったと思うしかない気がします。
2016年8月8日(月)その2 昨日、今日と一泊で飯田。大学の時の考古仲間の恒例夏の会。私はこのところ体調があまり良くないので、今回は欠席かとも考えたが、何とか復調したので、ちょっと無理して出かけた。飯田の大休というところの妙琴公園(みょうきん・こうえん)の奥にあるのんび荘が会場。築数十年という古い建物で、エアコンもないし、廊下は少しかしがっている感じで、とても面白い宿だった。幹事はガミさんで、タケさん、ワラさん、ヒデ、私の5人が集まった。ワラさんの奥さんが数年前にガンの手術をしていたことを初めて知って愕然。来年の当番は私だ。
2016年8月5日(金) 今回の不調はけっこうひどくて、昨日は前月末の決裁が溜まっているので、なんとか朝だけ出勤したけど、早々に帰ってトイレに籠る。本日も終日休み。家に居ると、腹が下ってもすぐトイレに行けるのだが、仕事だとそうもいかない。専用トイレを持って歩くか。世間はリオのオリンピックで盛り上がっているけど、こちとら、それどころじゃあないや。
2016年8月5日(金)その2 このところ女房はせっせと庭の池の掃除をしている。数年前に厚手のビニールを貼って簡易的な池を作ったのだが、何かの不具合があったのだろうか、一昨年くらいに金魚が全部死んでしまって、しばらく放置していた。溜まった泥水と落ち葉をせいせい片付けて、新しい水を入れたのだけど、さて今回はどうかな。落ち葉をすくっていたらドンビキのちっちゃいのが2匹出ていたそうだ。珍しい。最近ドンビキ見ないもんね。
2016年8月5日(金)その3 神奈川に居る次郎が会社は変わらないけど勤務先が変わるので東京に引っ越ししていて、女房にリアルタイムで状況を連絡してきた。田舎で見てると、神奈川も東京も同じようなもんだと思うんだけど、やっぱ違うんだね。暑い折、まあ無理しないようにね。
2016年8月3日(水) やっぱり体調を乱してしまい、昨日は午前中から下腹が断続的に痛んで早帰りして寝ていた。今日も治らず休み。トイレに1時間半も籠る。夜は史談会の会議と作業だったがそれも欠席。
2016年7月31日(日) 昨日から今日と、長野市の篠ノ井で一泊。3月に亡くなった矢口さんの新盆で、学生時代に矢口さんにお世話になった面々が集まり、昨夕、お宅にまとまってお邪魔してお線香をあげ、奥さんを囲んで故人を偲んだ。その足で中尾山温泉の松仙閣という旅館に行って懇親会をやった。百瀬新治さんが音頭をとってくれて、参加者は百瀬さんをはじめ、小柳義男、赤羽郁夫、一条好隆、多田井幸視、臼田武正、小平和夫、鳥羽英継、原明芳、石上周蔵、小林秀行の各氏と私で、多田井さんと臼田さんは泊まらずに帰った。奥さんから、昨年の2月に軽い脳梗塞で倒れたこと、3月から咳が止まらなくなって肺ガンが見つかり抗がん剤治療を受けていたこと、余命を告げられていたことなどをあらためて伺った。余命宣告を受けてもしょうがねえなと淡々と受け入れて、周囲に負担をかけることだけを死の寸前までとても嫌がったという話は、最後まで矢口さんらしかったとつくづく思う。酒とタバコと発掘以外には、本当に物欲も名誉欲も何もなくて、自分の命への執着さえなかったんだ。ここまで確固としていると、もうそれはひとつの美学と言ってもいいのかなあ。だからみんなついて行ったんだ。このところ私は体調が良いとは言えない状況だったが、こんな集まりは一生に一度だと思い喜んで参加した。で、先輩方と飲んで話していると、ついついいい気になってしまうが、やっぱ日夜のペースを崩してしまい、腹の調子が悪い。
2016年7月27日(水) 出土遺物の引き取りに、篠ノ井の県センターへ収蔵担当とでかける。最近、眼の調子も良くなくて、運転中に景色が二重に見えるので、担当は女性だったが往復とも運転してもらった。帰ると職場にスイカが届いていて、あまり好きではないんだけど、喉が渇いていたのでついパクパク食べてしまった。そしたらさっそく腹痛が始まって下痢。往生した。だめだね。
2016年7月26日(火) 西部地区にある郊外の公立高校に考古遺物がたくさんあるので見てほしいと言われていて、午後に普及公開の担当者と伺う。昔の学生やその父兄が集めて寄付したと思われる土器や石器がたくさんあってびっくり。高校の敷地自体も有名な縄文遺跡だし、さもありなんと思った。特に目に留まったのは、縄文早期の楕円押型文や条痕文、それに珍しい神ノ木・有尾あたりがそこそこあったことで、「ガマタ」の墨書があった。さらに校内出土という5世紀の甕の完形品があって「えっ、なんで!」という感じだった。時間をかけて、きちんと整理、報告したいなあ。高校時代の先輩も教諭で勤務されていて、久しぶりにお会いできた。
2016年7月25日(月) 昨日、ちょっといい気になって家で原稿などやっていたら、今日は背中が凝って、湿布を貼って寝た。
2016年7月24日(日) 松本のあがたの森で考古ゼミがあって、女房は午前中から出かけてしまう。私は昨夜の会議のせいで夜昼のペースをすっかり崩して欠席。家で史談会報の原稿作り。3月にやった講演の文字起しを原稿化したんだけど、そうじゃなくても早口で思い付きばかり話しているんで、文字化は結構大変。やっと文章として人様にお見せできるものになった。文字起しはすっかり三郎の世話になった。多謝。
2016年7月24日(日)その2 大相撲の名古屋場所は千秋楽。郷土力士の御嶽海は5勝10敗で終えた。初めての前頭筆頭で上位戦の連続だったからね。まあ、こんなもんでしょ。
2016年7月23日(土) ムラの史談会の役員会が午後7時からあって出席。平日だと仕事の関係で休んでばかりなので、土曜の夜であるし、他の用事もなかったので出たのだが、10時近くまで会議が続いて、もう眠くて朦朧としていた。いつも家では夕飯に軽く晩酌して8時には寝てしまうので、かなりこたえた。役員の皆さん、みんな元気で意見百出はいいんだけど、国会じゃあないんだから、やっぱ会議はせいぜい1時間半ってもんでしょう。
2016年7月16日(土) 史談会の行事で、ウチの地区の上手の唐沢一帯を歩いた。案内役の幹事さんが良く下調べをしてあり、とても面白かった。参加者もけっこうあって20名近くなった。水車をやっていた遺構は石組や仕掛けを初めて実見。玄関先の石棒も見事。弁天池の釣り人には騒いで申し訳ありませんでした。オジサンたちは一緒に行った女房にばかりニコニコと挨拶して、もうしょうがないなあ。すっかり日に焼けちゃった。夜の飲み会は体調が今一つなので欠席。残念。
2016年7月11日(月) 昨日の参議院選の結果は、県選挙区では野党が勝ったが、全国的にみると最終的には与党の勝利なのだろう。まあ、何を以て勝ちというかは、その後の展開も含めてむずかしいんだろうけどね。今回から投票年齢が18歳に引き下げられて、こっち関連の報道も面白かった。「悔いのない投票をしたい」とか「自分の一票が無駄にならない政治を」とか、私自身が選挙権を得た時の感慨が甦るが、大多数の有権者の、普段はとうに忘れている基層の心理みたいなものが表出した気がして、とても面白くて、しかも国民国家というものの選挙制度について、もう一度考えることもできた。
2016年7月10日(日) 参議院選挙の投票日。選挙期間中、私は体調が悪くて、全然関心が向かなかったけれど、けっこう激しい選挙戦をやっていて、長野県には与野党の大物が続々と応援に訪れた。定数が一人に減ったせいもあったのだろう。我が家は午前中に投票は済ませた。私にとって投票は国民の権利でも義務でもなく、いわんや強制的に徴収される税金などでもなく、まあ毎日の食事と同じ感じで、現在の世の中で生きていくうえで行うべき基本的なことの一つなので、選挙権を得てから既に30年以上経つが、投票に行かなかったのは1回しかない。その1回というのも、選挙と言うよりは地方・地域・自治体のまさに踏絵だったので、このときばかりは投票率の低さこそが専制に対する意思表示ではないかと決断したんだが、なにぶん若かったので、ずっと適切な判断だったか今も悩み続けている。話題がそれたけど、毎回毎回、投票日の夜の開票速報はどちらが勝っても楽しみ。
2016年7月9日(土) 午後1時30分から平出博物館の土曜サロンの講師。昨年度のうちから小林前館長に頼まれていたのだが、今回は4月と6月に大きく体調を崩して全然準備ができなかったので、正直言ってダメかと思った。まあなんとかやっつけで資料を作ってスライドは単なる写真の羅列でごまかした。でも70名近くの方が聴講に来られて、気が付くといつもの調子でべらべらと喋っている自分が居た。コーディネーターの小林さんには大分失礼な若造、という風に馴染みの聴講者には見えたかもしれない。
2016年7月1日(金) 結局、今週は二日しか出勤できず、すっかり心身のバランスを崩してしまった。月末の締めや若い衆の残業の決裁などやるべきこともできず、まったく話にならない。これでクビにならないなんて、何と恵まれていることか。境遇に甘え続けることは許されない。というか許せない。
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