2016年(上半期)の3行日誌

2016年6月28日(火) 昨日、仕事中に頸から背中にかけて猛烈な張りが出て、不快感で堪らず、早引けして寝ていたが、今日も治らず、終日寝ていた。やっぱ日曜日にノコノコと学会などに行っていたことがいけなかったのか?

2016年6月26日(日)
県の考古学会が松本の博物館の講堂であって出席。県歴の原さんの発表は午後だったので、体調も良くないし、午後だけ参加のつもりでいたら、その原さんから午前中の総会の議長をやってほしいと頼まれてしまい、午前中から出席。まあ、藤森賞の講演も聞くことができたので良かったというところか。

2016年6月24日(金)
議会の委員会審議に出席。課長の後方の席で控えていたが、現課長は文化財のことは熟知している人なので、補佐の出番はなし。補正予算を出しているが無事に通った。

2016年6月17日(金)
平安時代の遺物実測の打ち合わせの関係で、東信の古い友人と会った。彼は医療にも造詣が深いので、今回の私の眼の奥の痛みについていたく心配してくれて、有益なアドバイスを頂いた。午後になって、背中や首筋が異常に凝って我慢できなくなり、早引けして家族に湿布をベタベタと貼ってもらい、寝ていた。女房は夜、街の芸術館で大野雄二のジャズがあって聞きに行ってしまい、子供たちに夕食を作ってもらう。

2016年6月15日(水)
駅西のホテルで税理士さんたちの会合があって、依頼を受けて1時間半ほど古代の国府と東山道などについてスライドをしながら話をした。専門家の皆さんなので、分野は違っても私の話を真剣かつ興味深く聞いていただけた。心配していた目の痛みも出ずに済んで助かった。

2016年6月13日(月)
やっと職場に復帰。一週間も休んでしまった。まだ左右の目の裏に不快感が残っているが、なんとかクルマの運転はできた。しかし、やっぱ仕事となると自宅で眼を使わないでぼんやりしているような訳にはいかない。すべてが公用のノートパソコンの画面と細かい文字の文書によって為されていることに改めて気付かされ愕然。午後、また痛みが出てきて、早引けして帰宅、寝ていた。仕事人生は終わった。

2016年6月11日(土)
昨日までの左目の奥の痛みはほとんど引いたが、僅かな痛みと言うか不快感が残った。それにも増して、また痛くなるのではないか、という恐怖感がずっと残った。普選に関わるムラの偉人についての講演会が午前中にあって、史談会の幹事としては絶対に聞いておくべきだったのだが、気力がなえて行かれず、女房に行ってもらった。残念無念。

2016年6月10日(金)
早朝起床すると左前頭部と今度は右目の裏にも不快感を覚えた。ただし大した痛みではない。この点から見ると痛みが治まるのは鎮痛剤の効能ではなく、安静にすることによってであろう。新聞にざっと目を通していると案の定、左前頭部に僅かな痛みが生じたので即刻目を休めた。しかし痛みは再度左目の奥に回り込んだ。ただし目を休めるのが早かった為か、7日や9日のような激痛には至らなかった。

2016年6月9日(木) とにかく目を使わないようにしていたところ、ほとんど症状が落ち着いたので、早朝試みに液晶画面の文字設定を最大にして30分ほどネットニュースを閲覧してみた。その後新聞を10分ほど読んだ。ところが新聞を読んでいる最中から左前頭部に痛みが生じた。慌てて読むのを止め、一切目に負担のかかることを控えた。しかし一昨日と同様頭痛は左目の裏にそのまま回り込み、目が抉り出されるような激痛が再発した。処方されていた痛み止めを慌てて服用したが、1時間以上経ってもまったく痛みに変化はなく午前中ずっと苦しんだ。昼にも痛み止めを服用したところ、午後3時頃から激痛は消えて左目奥の違和感のみが残った。鎮痛剤が効いたのか、朝から安静にして目を使わなかった結果なのか、判断はつかない。夜、試しに痛み止めの服用をやめてみた。

2016年6月8日(水) 午前中、再度かかりつけのお医者さんに行く。左目の痛みは和らいだが相変わらずで、自家用車の運転も恐ろしいので太郎に送り迎えをしてもらう。先生のところにはすでに脳神経外科から詳細なデータが届いており、脳に異常が無かったことについてはひとまず安心だ。昨日の激痛や止まない左目の痛みについては帯状疱疹の疑いがあるが、現状では発疹が認められずそこまでは言い切れない。もしかすると緑内障の急性症状を疑ってみる必要があるかもしれない。眼科へ行くことも考えてみるように言われる。とりあえず5日分の痛み止めが処方された。

2016年6月7日(火) 左目奥の痛みが消えないので休んで寝ていた。ところが午前10時頃から痛みは激痛に変わり、左目を外から強引に抉り出すようなものすごい痛みで吐き気も伴った。でも昨日のMRIでは脳に出血などの異常は認められていないので、急性の脳障害ではないのだろう。とにかく顔の上にタオルを被せて外光を遮り、唸りながら寝ていた。早朝にいつもと同様、新聞を熟読したりネットニュースを閲覧したりしたのがいけなかったのであろうか。とくにパソコンの液晶画面を見るのが良くないのであろうか?これじゃあ仕事にならんね。

2016年6月6日(月) 昨夜から左前頭部に疼痛。それが左目の奥にも回り込んで激痛に変わる。三叉神経痛の発作初期症状によく似ているが、これまで三叉神経痛は右顔面にのみ発症していたので今回は左側でありおかしい。大事をとって休む。午前中、かかりつけのお医者さんに行って診てもらうと、左顔面に若干の痺れがあるので大至急脳神経外科で精密検査をするよう指示されて、紹介状を持ってその足で一ノ瀬脳神経外科へまわる。すぐにMRIを撮ってもらい専門医の診断を受けるが、脳にはとりわけ異常は無かった。じゃあこの痛みはなんなんだ?帰って大人しく寝ている。

2016年6月4日(土) 終日家居。女房は平出博物館の土曜サロンに出掛けて午後4時に帰宅。サロンの講座は焼町土器であったが、講師の寺内さんが急病のためピンチヒッターとして前館長の小林さんが塩尻市の発掘の歴史について語ったそうだ。それならば私も行って聞けばよかった。

2016年6月3日(金) 夜、庄内公民館で出前講座。地区の有志の団体に東山道を中心とした松本の古代の話をする。参加者は15名ほどであったが、現地踏査などをしたことのあるメンバーもいて、スライドをまじえた1時間の話だが非常に濃い内容となった。帰宅すると午後9時。

2016年5月31日(火) 今日で5月が終わる。我が社の前年度の出納が閉まる。何とか、問題なく終えられたと思います。ふう。母から電話があった。2月20日に顔を出したきりで、ずいぶん親不孝をしている。母はいつも朝7時過ぎころ職場に電話をかけてくる。そんな時間帯に毎回職場に居る私も私ではあるが、ということは私がどれほど無理をして仕事をしているか、ということについては母には一向に思いが巡らないのだろう。母のところに行くと、家族や親せきや周囲の愚痴、悪口ばかり聞かされて、私が聴いてやらねばとは思うのだけれど、その一方で、なんで一番身近なはずの親族からストレスを被らなければいけないのだという、まあ、子供時代に戻ったようなワガママな思いもこみ上げて、ついつい足が遠のく。すると母は不満を募らせて、さらに愚痴がエスカレートする、という悪循環に陥っている。私の方で合わせていくしかないとは分っているのだけれど、今の精神的・肉体的状況ではずいぶんと厳しいものがある。山へでも行って気分転換しなければ。その山の楽しさを教えてくれたのも母ではあるのだけれど。

2016年5月29日(日)
天気が良かったので、この冬から春にかけて伐った庭木の片付けをした。

2016年5月28日(土)
昨夜の疲れがずっしりと残っていたが、今シーズン最後と思い、太郎に運転させて山へ繰り出す。ワラビをしっかり採った。これで8月のお盆過ぎまで山はお預け。5月は土日に山へ繰り出してばかりで、その分、ちっとも休出ができなかったので、ずいぶんと仕事が溜まってしまった。

2016年5月27日(金)
職場の館の親睦会の歓送迎会。これは毎年、年度初めの喧騒が落ち着いた頃にやっている。若い幹事さん達が設定、仕切ってくれて、万年会長の私は冒頭に偉そうなことを言って、後は飲んでいたきり。二次会でも若い女性陣に偉そうなことを言って、いーかげん飲んでタクシーでとっとと帰還。女性たちの帰途の配慮も全然できない、ダメな奴でした。

2016年5月22日(日)
昨日も休出で身体は休まっていないし、このところ体調もあまり良くないのだけれど、とにかく山へ繰り出した。絶好の山菜シーズンに山へ行かないなんて、死んでいるに等しいくらいだ。晩生のタラノメが少しと最盛期のワラビがたくさん採れた。かなり高いところまで登ってコシアブラも少々採ったが、コシアブラの木は目立つせいか、前に来た人たちが採った跡が随所にあって、樹勢のためにほとんどを控えた。夕方、先週に続いて、天ぷらを揚げるのに挑戦。

2016年5月21日(土)
街の現場で現説。私は毎度の役割で司会だったので、休出してずっと現場に居た。天気も良くて何より。現場自体は街中では珍しく広いので、16世紀の面まで下がり、新しい発見が相次いでいる。午前と午後の部を合わせて180人が訪れた。島ちゃんやヒデさん、ムラチなど古い知り合いも顔を出してくれてありがたかった。

2016年5月20日(金)
議会の委員会があって、新年度の初めだもんで、各部各課の長の紹介と事務事業の説明をする。私はいつものように後ろの席に詰めていた。

2016年5月18日(水)
季節が良いのでゴールデンウィークから続けて山へ行ったり飲み会に行ったり、家ではパソコンに向かって遺構図をデジタルで夢中になって組んでいたりと、ちょっと調子に乗り過ぎたか?16日の月曜日からお馴染みの腹痛と下痢が始まって、今日は何とか出勤したが、昼過ぎからまた悪くなって早帰りをして寝ていた。

2016年5月15日(日)
女房は泊りがけで出掛けていなかったが、太郎と三郎と三人で山へ繰り出す。タラノメとワラビをそこそこ採った。で、夕食は私が久々に天ぷらを揚げて食べていたら女房が帰還。下仁田のジオパークとか富岡の製糸場を見てきたそうだ。なんで地質の講座で製糸工場かなってツッコミは入れないでおこう。

2016年5月14日(土)
女房が信大の講座で群馬の下仁田へ泊りがけで出掛けるので、朝、松本駅の西口まで送って行って、私はそのまま休出。ゴールデンウィークは山へ行ったりして遊びほうけてばかりいたので、夜や休日にしかできないクリエイティブな仕事が山のように溜まっていて、ちょっと大変。
2016年5月14日(土)その2
夜6時半から高校同窓会のムラ支部の総会。会場が美野里の弁天荘だったので、地区の幹事の章さんに行きも帰りも乗せてもらって多謝。20名くらい集まったが、私は去年は欠席してしまったので、二年ぶりにお会いする先輩方も居て、でも、相変わらず私より若い人は二人しかいなかった。そこそこに飲んで、終わりにみんなで力いっぱい校歌や応援歌を歌った。これが良くて、懲りずに顔を出しているようなもんだ。

2016年5月11日(水)
去年とおんなじに母校の小学校に出掛けて、6年生に地域の発掘について歴史の授業をする。4クラスあって2クラスずつ二回に分けてやったのも去年と同じ。土器も持って行って子供たちに触ってもらった。やっぱ、小学生の反応ってのは正直でうれしいね。この3月に亡くなった矢口さんの長男が6年生の担任をしていて、見事な先生ぶりにただただ感心。私が学生時代、矢口さんの家に入り浸っていた頃は確か保育園だが小学校の低学年だったよなあ。思わぬところで矢口さんの学恩を感じた。

2016年5月8日(日)
ゴールデンウィークの最終日。この連休中は風が強くて、庭の片付けはほとんどできなかったが、やっと凪いだので降ろした枝の片付けや、枯れたシラカバとヤナギの枝落しをやった。我が家の周りの水田には水が入り、あとは田植えを待つばかり。大相撲の夏場所が始まって、郷土力士の御嶽海は先場所10勝したので前頭8枚目でスタート。さっそく初日が出た。

2016年5月6日(金)
ゴールデンウィーク後半の中日の出勤日。県立歴史館の原・中野両課長が来て、冬の特別展の打ち合わせ。というか、この年度始めの我が社の人事異動で城下町の専門家が異動してしまい、どう対応するかがもっぱらの検討内容だった。やっぱ2年で出てしまうというのは、あちこちで想定していなくて、まあ、大波乱というとこだ。帰り際に3月に亡くなった矢口さんの話になり、兄弟弟子の原さんと私はゴールデンウィークが終わったら、とにかく一度、お線香をあげにいかなくては、ということになった。

2016年5月5日(木)
こどもの日で祝日。次郎は明日は仕事なので午後の便で神奈川へ帰った。

2016年5月3日(火)
憲法記念日で祝日。山へ繰り出すが、次郎は起きられなくて4人で出かける。タラノメは少し小さいが採り頃で、間伐材がゴロゴロしている、まるでフィールドアスレチックのようなきつい斜面に入った。体重が落ちたので近年になく身体が軽かった。ただお目当ての斜面は間伐してからかなり年数が経って、下の藪も発達してきてタラは限界か。また別のシロを探さなくては。沢筋のコゴミが見事で、しっかり頂いた。

2016年5月2日(月)
ゴールデンウィーク中日の出勤日。遠くから来ている若い衆は有休を取って帰省するかと思っていたら、みんな出勤してきた。ご苦労様である。地元の小学校の遠足に同行して、史跡の古墳2カ所で子供たちに説明する。地域の文化財や歴史を子供たちに分ってもらうことは大事な事だろう。
2016年5月2日(月)その2
人事評価の課長面談があって、午後、課長が来訪。この4月に昇格した新課長は仕事のできる人だが、とても張り切っていて、従来の課長とは人事評価制度の位置付けも違っていたので、いろいろと前向きに考えることができた。昔、係長や課長補佐級のころが一番忙しくて、課長になってしまうとむしろヒマだ、という話を聞いたことがあるが、人事評価というのは自分で担当する事務事業を持たない課長を遊ばせないのが、実は最大の目的なのでは、とチラッと思った。

2016年4月30日(土)
一家5人で山に繰り出した。次郎が山に行くのは何年振りだろう?だけどタラノメはわずかに早かった。帰途を一人で歩いて下った女房があちこちでワラビやタラノメを少しずつ採ってきた。行基桜は満開に近かった。

2016年4月29日(金)
今日からゴールデンウィークの始まり。なので4月の仕事は実質昨日で終わり。3月の下旬からなんと長い1か月半だったことか。異動の内示、引き継ぎ、退職者の送別、新人の受け入れ、国の検査(こいつが余分だった!)、新年度の開始…。思い出してもウンザリ。神奈川に出ている次郎がさっそく帰省してきた。お疲れ様。

2016年4月23日(土)
2週間ぶりに山へ繰り出した。新緑には程遠く、フキノトウが採れたくらいだったが、山寺の行基桜は上の方から咲き始めたところ。1月の雨氷被害から免れた古木の風情を楽しんだ。帰途に雨氷被害がひどかった沢に立ち入ってみたが、植林して直径が30センチほどになったカラマツが、左右の斜面とも見事に揃って谷側に倒れていた。樹木全体に重量がかかって根の張りが弱い方に倒れたことが一目瞭然。自然の脅威と造形にただただ驚く。
2016年4月23日(土)その2 我が家の庭ではウドが遅霜にもめげず伸び始めた。コゴミもぼつぼつ首をもたげ始めた。山の収穫が少なかったので、こいつらも夕べの食卓に登場させてしまった。しばらく山菜が食べられるシーズンで、山国の春はいいねえ。

2016年4月22日(金)
首長選があったせいで我が社は骨格予算でスタート。さっそく6月議会に提出する予算の要求、折衝、内部レクなど例年にはない案件で今週は立て込んだ。

2016年4月19日(火)
本社で人事研修があって出席。ここ数年、我が社でも人事評価って言うのかな、そんなのが積極的になってきて、私みたいな中間管理職の下で自分の事務事業も持つけど部下も持つという立場でも、頻繁に研修がある。それはそれで有意義なことだけど、片手間で部下の育成、片手間で自分の事業をこなす器用な真似は私にはむずかしい。自分の事業を抱えてはいけないってことかなあ。

2016年4月18日(月)
熊本の地震のニュースは相変わらず困難な状況を伝えていて、トヨタ自動車などではラインの停止が起こるという全国的な問題に発展した。それに比べれば大したことはないかもしれないが、昨日の大風は結構あちこちに影響があったようで、土日に所用で島嶼部に出かけていた職場の若い衆は船便が欠航になって予定通り帰って来られなかった。風が吹くといろいろあるね。

2016年4月17日(日)
熊本の地震被害は時間が経つにつれ大きくなっていく。熊本から大分に南西から北東報告に走る断層線に沿ってあちこちで揺れが起きて、どれが本震、どれが余震と言えない状況が生じている。その断層線の東の延長線上には四国の伊方原発がある。恐ろしい。
2016年4月17日(日)その2 我が家の一帯では朝から雨交じりの南風が吹き始めて、午前10時頃には突風のような吹き方になる。家の南側の庭にあったシラカバは樹齢25年くらいで二階の屋根の1.5倍ほどに育っていたのだが、3年ほど前にカミキリムシにやられて立ち枯れてしまった。自然に枝が落ちて朽ちるのを待っていたが、これが突風に煽られて家の方向に傾き始めた。女房が発見して「アレ!なんか樹が家に近くなっていない?」とか言い合って「じゃあ雨が上がったら近所の庭師に伐採の相談でもするか。」なんて、私も最初は呑気なことを言っていたのだが、突風は止まず、傾きは見ている間にどうしたって増している感じ。「やばいよ。もうすぐにも倒れるよ。家の方に倒れてくるから大変だ!」と一家総出、雨中の作業で立ち枯れたシラカバの南側の元気なクヌギ2本の幹と高さ3mくらいのところでロープで繋いだ。その最中も突風が吹くたびにロープはピンと張りきって、確かに危機的な状況であった。作業が終わってヤレヤレと安堵し30分と経たない頃、とうとう強風に耐えられずシラカバは上から三分の一くらいのところでボッキリと幹が折れて落下。ロープが効いて根元からは倒れなかった。程良く枯れていたので折れやすかったんだね。幸運と適切な判断?で我が家は大木倒壊の被害を紙一重で免れた。「庭にでかくなる木なんて植えるもんじゃねえ。後の管理が大変だじ。」25年前、庭付きのマイホームを手に入れて舞い上がってガーデニングしている私と女房に近所の年寄りが言った忠告を実感した。
2016年4月17日(日)その3 シラカバの一件が終わって昼飯を食べて一息ついていたら電話。職場近くの、倉庫にしている古い建物が突風で被害。窓ガラスが割れて風雨が吹き込んでいるとのこと。お手子に子供たちを連れて出動し、2時間ばかりかけてコンパネを打ちつけて応急処置をする。シラカバもそうだけど、普段ほおっておいた老朽化に係る物件の問題っていうのは非常時や災害時に顕在化するもんだ。

2016年4月16日(土)
木曜日の夜の熊本の地震、死者が複数出るような大災害になってしまったのに、今日に日付が変わる深夜、さらに規模の大きい揺れが起こり、しかも震度5クラスの余震が頻発。倒壊する建物が続出して、周辺自治体の中には役場のビルが使えなくなったところも発生。山崩れ、道路の寸断、新幹線の脱線。大震災化しつつある。政府は全国的な救援態勢をとり、今日は松本駐屯地の自衛隊祭りだったんだけど、急きょ中止で出動となった。楽しみに出かけた女房と子供は入り口の中止の看板を見て、がっくりして帰ってきた。
2016年4月16日(土)その2 ラジカセが10年ほど前に壊れてから、音楽はもっぱらパソコンで聞いていたのだが、やっぱりパソコンの音楽は本格的なアンプが付いていないので、大きなスピーカーで低音までしっかりと音質を楽しむと言う訳にはいかない。若い頃はそこそこの能力のコンポを組んで、オープンリールのスリーヘッドのデッキを繋いで、でかいスピーカーでじゃんじゃん聞いていた。それで「まあ、音質は問わず、とにかく音楽が聴かれればそれでいいや。」という仕事中心的な忙しい(せわしい)生活からそろそろ脱皮したくて、CDレシーバーというアンプとチューナーとCDが一体になった機体を購入した。実力は30W+30Wのオモチャみたいなものだけど、スピーカーは女房が独身時代に持っていたインビーダンス6Ω、それでも高さ40センチはある奴を引っ張り出してきて繋いだら、やっぱいい音がするんだわ。うふ。

2016年4月14日(木)
腹痛と下痢が治まらなくて、結局今日まで4日間も休んで寝ていた。過敏性大腸炎とか腸炎とかいうストレス性の症状で、ちょっと無理をするとてきめんに出てしまう。朝のウォーキングも全然できなくて、そのせいか腰が痛い。
2016年4月14日(木)その2 夜、居間の炬燵でうたた寝をしていたら9時半頃、突然テレビの地震警報が鳴って、九州の熊本で震度7の大地震。ライトアップされていた熊本城に白い煙が巻き上がる映像が瞬間的に映って、おそらく石垣か建物の一部が倒壊した際の粉塵だろう。夜が明けて明らかになる人や家への被害が恐ろしい。大変だ。

2016年4月11日(月)
未明から腹痛と酷い下痢。トイレに2時間近く籠ってしまった。全然治まらなくて、仕事を休んで終日寝ていた。先月の後半から多事多忙で、ちょっといい気になってあちこちでかけたり仕事も飛ばし過ぎたツケが出たのかなあ。

2016年4月10日(日)
天気が良かったので、午後は庭の木の枝を切る。20年以上前に三九郎の柳の枝を庭に差しておいたら着いてしまったのがそこそこ大きな樹になってしまって、風情もないみっともなさなので、枯れた枝をかなり降ろした。仕事が忙しい忙しいと言って、ちっとも家のことをやらなかったが、やっぱ庭木は男手を入れないといけんね。

2016年4月9日(土)
遺物整理を手伝ってもらっている東信の調査員と打ち合わせ。午前中で終わったので、午後は龍岡城や松原の諏訪神社、北相木村の考古館などを見学して帰った。考古館は開館日なのに鍵が閉まっていて、インターホンで日直の職員を呼び出して開けてもらった。まあ、そうだろうね。人口が1000人に満たないこの山村の財政規模で、そんなに丁寧な管理運営ができる訳がない。展示はしっかりしていて、むしろ、よくやっているなあ、と感心したというのが本音。10倍以上の人口があるウチのムラならどこまでできるかなあ。思うことしきり。

2016年4月8日(金)
指定を受けることを目指している遺跡で、どうしても回避できない社内の工事が急きょ生じて、担当3課が来訪、打ち合わせをして今後の対応の大枠を決める。終了後、今度はその現場を担当するチームのリーダーに状況説明をして、早速、動きにかかる。こんな感じで、次々となし崩しみたいに緊急調査の現場って始まっていく。30年経っても、全然変わっていない。

2016年4月6日(水)
国の検査の3日目で、朝から会場に詰めている。私の担当する事業は2番目に当って、実務担当のメンバーと経理担当の私が二人で並んで検査を受ける。直営事業で項目が多いので、検査時間も必然的に延びて1時間15分かかった。まあ、ウチが長引けばその分、後のメンバーが助かるんだからいいんだけど、やっぱ、ちょっときつかったね。

2016年4月4日(月)
今年は4月1日が金曜日だったので、今日が実質的な新年度の始まりと言ってよい。なのに、我が社には年度初めから国の検査が入って、午後一番の検査開始に合わせて、会場に集合する。私の分担は、どうやら6日になりそうだったが、いやはや、新しく来たメンバーの面倒を見ることなど全然できなくて、何という年度の始まりなんだろうねえ。

2016年4月3日(日)
まだ早いとは思ったが、春らしくなったのでたまらず、山菜の下見に山へ繰り出した。毎年、フキノトウを採るあたりは、まだ雪があって長靴を履いてこなかった女房はちょっと往生していた。日当たりの良い所にフキノトウが顔を出していたので、情け容赦なく採ってきてしまった。1月30日の雨氷被害、本道はほとんど倒木は片付けられていて、それでも周囲の折れた木がすごかったが、脇の沢道は全然ダメで、植林したカラマツがまるで人が切り倒したように、すべて同じ方向を向いて倒れていた。全滅、という言葉が当てはまるのかなあ。ひどい、と言うかすさまじい。

2016年4月2日(土)
午前中は休出して人事関係や前年度のまとめなどを行う。ふう。午後は太郎と三郎が手伝ってくれてタイヤ交換。私はなぜか腰が痛くて、ほとんど子供たちにやってもらった。

2016年4月1日(金)
新年度開始の日。ウチの職場にも転入者や新人が来て、何かと落ち着かない。しかも来週は冒頭から国の検査が入るので、その対応で手一杯。とても新しい人たちをフォローするゆとりがない。こんな困難な年度初めは久しぶりだ。
2016年4月1日(金)その2
太郎がムラの消防団に入団。朝5時45分に集まって辞令をもらってきた。ラッパ隊に配属されたといってピストンやバルブのないラッパを持ち帰った。そうか!消防のラッパってナチュラルトランペットだったんだ!

2016年3月31日(木)
退社や他の部署に異動になるメンバーのお別れセレモニーを夕方から行う。例年のとおり、館の親睦会長の私が紹介をして、記念品などを渡し、皆で記念撮影をした。今回の異動は年度当初の運営に大きな禍根を残しそうで、穏やかな気分で見送ることなどとてもできなかった。

2016年3月27日(日)
省庁へ派遣になる若い衆と帰って来る者の間の事務引き継ぎがあり立会人として休出。ウ~ン、全然休めないや。行く彼は頑張ってほしい。帰って来る彼はご苦労様。二人ともこれからの活躍を祈る。

2016年3月26日(土)
四賀地区の発掘の報告会。講演の講師は中世考古学の大家、小野正敏先生。私は司会進行を務めたが、失礼がなかったかビクビク。

2016年3月25日(金)
午後3時から矢口さんの葬式。会場は篠ノ井の南長野法事センターで、昔の仲間や、懐かしい先輩方も勢ぞろいした。東北信の流儀で、一般会葬者は読経が始まるとともに祭壇でお焼香をして、そのまま脇の出口から退出となるのだけれど、再度、後ろから回り込んで空いた席に座った。弔辞は小林正春さんと会田さんが読んだ。小林さんは矢口さんの中央道時代の後輩、会田さんは高校時代からの仲間。正春さんの弔辞を聞きながら、不意に涙がボロボロ止まらなくなって、下を向いていた。会場の入り口には、3月20日の日曜日に子供たちと孫たちに古希のお祝いをしてもらっている矢口さんの写真があった。前日の土曜日に病院から戻って、21日の月曜日に長野の青木君がお宅に伺った時には、まだ少し元気だったというが、それから一週間もたたないうちに亡くなった。69歳。写真を見ながら、なんで矢口さんはこんなにも皆に愛されたのだろうかと思った。口数が少なくてぶっきらぼうで一方的な物言いで、なんで私は学生時代、矢口さんに付いて行ったのだろう?今日集まった弟子みたいな面々もみんなそう思っているに違いない。矢口さんにしてもらったように若い衆にもしてあげなきゃいけない。知らず知らずのうちに、そんな風に生きてきてしまった。あらためて気が付き、矢口さんを失ったことに、ただただ愕然としている。

2016年3月24日(木)
矢口さんが死んだ。朝、千曲市の平林君と長野市の青木君から連絡をもらった時は椅子から転げ落ちるくらい驚いた。エッ!なんで?具合が悪かっただ?一昨年度の日考協長野大会の時に会ったきりだったけど、その時は相変わらずの感じだったので、そんな、体調を崩していたなんて全然思い至らなかった。葬儀の日程も急で、今日の5時から通夜。明日の12時には火葬で、午後3時から本葬だという。どーしても一目会っておきたくて、午後の仕事を休んで通夜の会場に駆け付けた。桐原先生も通夜に出られるというのでお宅に回った。矢口さんは祭壇の前に寝かされていて、穏やかな顔をしていたが、こちらは穏やかでいられる訳はない。いろんな感慨が湧き起こって、しばらくたたずんだ。浴びるほど酒を飲んでタバコを吸って、浴びるほど現場をこなして、でも学術的な野心も物欲も名誉欲もカケラもなくて。学生の頃、メシが食えなくなると矢口さんのところに転がり込んで、一週間ぐらい泊まり込んでは現場に通っていた。全然恩返しもできていない。これを打ちながら涙が止まらない。

2016年3月23日(水)
我が社の新年度人事の内示があった。私はもちろん動きはないが、一点を除き概ね納得できる内容だった。問題の一点は、今後の我が社の最重要課題に関するエキスパートが全く関係のない部署に異動してしまったことで、これはおそらく何かの間違いであろう。ウチの課とか部とかではなく、社運に関わる問題が生じてしまいそうで、どうやってとりあえずの火を消して歩くか、頭が痛い。なんでこんな目に遭わなければならないんだろう。

2016年3月20日(日)
ムラの史談会の講演会が午後1時30分からあって聴講。講師は前平出館長の小林康男さんで、縄文時代のゴミ問題がテーマ。とても面白い話だった。うんと儲けた気分。やっぱ専門家はスゴイや。その後、史談会の総会と懇親会。しっかり飲んで、歩いて帰宅。ちょうど午後7時だった。

2016年3月19日(土)
昨日から東海大学の松本先生が来ていて、今日は半地下の終末期古墳を案内する。この地面を掘り下げて造られた手抜きみたいな横穴石室は、時期的な要因と地形上の制約の産物とばかり思っていたが、もっと広い視野でみると、案外、意外な状況が隠れているのかも知れない。

2016年3月16日(水)
休みを取って、三郎の用事で埼玉にとんぼ返り。心身ともに疲れた。中央道、圏央道経由よりも上信越道から関越道回りの方が近かった。

2016年3月14日(月)
3月も中旬だというのに、また雪が降って若干積もった。いーかげん勘弁してくれよ!予定を切り上げて下諏訪から早く帰る。

2016年3月13日(日)
今日から大相撲春場所が始まった。先場所、負け越した郷土力士の御嶽海は、調子よく攻めたけど土俵際で投げを食らって初日から黒星。今場所は何とか勝ち越してほしい。

2016年3月8日(火)
この時期は新年度の任用とか人事とかを一手にやらなくてはならないので、とても嫌な期間だ。小さな組織の私ですらそうなので、我が社の人事部などは想像を絶するだろうなあ。贅沢言っていると怒られそうだが、もっとクリエイティブな仕事がしたい。昼前からすごい耳鳴り。耳のすぐ外でセミが鳴いているよう。耳鳴りは10年来だけど、こんなのは初めて。あまりにひどくて、空き会議室で1時間ほど横になっていた。一方、右手の指の痺れは治まった。どうやら先月の21日にむきになって柳の枝伐りをした時に、使い慣れない工具で局部的に圧迫したせいだったか?

2016年3月6日(日)
隣の自治体で10何年かぶりの首長選挙が始まって、地方紙等は大騒ぎ。まあムラ住民の私には関係ないけどね。特に首長選挙はどーしても対立候補の否定を公言しなきゃならない場合が多いので、終わった後に遺恨を残す。今回はネガティブキャンペーンじみたことも目だって、なかなか複雑なんだろうなあ。さわらぬ神に祟りなしってとこか。

2016年3月5日(土)
在のムラ教委の依頼で、午後1時30分から1時間半ばかり話をする。身近な道具の今昔や地域の開発の歴史を話したが、50人ほど集まって盛況だった。予定した内容が盛りだくさんだったので、内容を少しはしょったけれど、そこそこの出来だったと思う。あいかわらず早口だったとは、聴いていた女房の批評。

2016年3月2日(水)
先日訪ねた東信の知り合いが今度は私の職場に来てくれた。中信地区は30年ぶりと言い、その変貌に驚いていた。職場にいた古い知人とも久闊を叙し、一緒に昼飯を食べて帰った。昔の仲間はいいもんだ。

2016年2月28日(日)
三叉神経痛が出ると嫌なので、忙しいんだけど終日休んで家居。でも、午前中は風がなくて、あんまり天気が良いもんだから、このところ伐った庭木の枝を少しは処理した。二日ほど前から庭のクロッカスが咲き始めた。毎年、庭の片隅で、ほんとうにささやかに、でも真っ先に咲く。やあ、今年もまた会えたね。私も、なんとか今季の冬も生き延びられた。
2016年2月28日(日)その2
近所の大規模店で、郷土力士の御嶽海の握手会があって、女房は野次馬根性で出かけた。思っていた以上に小さいお相撲さんだったとのこと。前でに御嶽海よりも大きいおじさんが立っていてよい写真が撮れなかったと悔やんでいた。

2016年2月27日(土)
終日休出して採用関連の諸連絡と、来週の土曜日の講演の資料を作る。昨夜あたりから、右手の親指と人差し指の先端に微妙な痺れと違和感が生じている。変だな、と思っていたら、今日の夕方くらいから、右目の裏側に強い痺れと痛みを感じ始めた。これは三叉神経痛が始まる前触れなので、すぐに休息を取る必要がある。右手の症状もこれに連動しているのかな?

2016年2月26日(金)
庄内地区の公民館で、夜7時から地域の発掘と古墳について1時間30分話をする。各町会の公民館長会が対象だったけど、地区内の一般の皆さんにも声がかかっていて、30人近く集まった。パワーポイントを映しながら話したが、そこそこまとまった話になって、時間内に終えることもできた。

2016年2月25日(木)
議会の委員会審査で、部長・課長の後ろの席にスーツ姿で詰めて、委員の質問に備える。結局、私の関連の文化財関係は何も質問は出なかったが、午前中が潰れた。今期の議会対応は、これで実質は終わり。後は年度末に向けて一直線。

2016年2月21日(日)
我が家の庭の柳の木が大きくなって、無秩序に伸びた枝がみっともないので、2時間ほど、あちこちを伐る。もともとこの柳は三九郎の時の枝を地面に刺しておいたら活着してしまったもので、10数年で直径が20センチ近くなってしまった。木を植えるのは良いが、後の管理が実は大変だということを痛感しているこの頃です。

2016年2月20日(土)
久しぶりに母のところへ行く。職場で扶養家族のマイナンバーも提出しなければならないんだけど、以前控えた母のマイナンバーを忘れてしまったので、再度調べに行くのが主な目的だったが、誕生日も近いのでそのお祝いも兼ねた。そのまま休出。

2016年2月18日(木)
一日空けて出勤したら、4月の頭に補助金の検査が入るという連絡が入っていてびっくり。今季はもしかしたら来ないのでは、と楽観していたが、やっぱダメだね。それも4月の第一週。年度初めのゴタゴタや新人、異動者の面倒、新年度事業の立ち上げなどで、そうでなくても死ぬほど忙しいのに、ウワァ~!勘弁してくれ。
2016年2月18日(木)その2 二日ほど前に三郎が帰省したが、学業に行き詰っているようだ。まあ、彼の人生だし、もう親が介入する歳でもないと思うのだが、どうしてウチの子供たちは、結果としては安楽な道を、なぜ辿れないのだろうかと、親の生活習慣とか根本的な思考パターンとかに何かその根源があるのだろうかと、思案することしきり。

2016年2月17日(水)
休みを貰って医者に行き、高血圧と痛風の治療を受ける。体重が減少したせいかすべての数値が改善されていて、良いことだと褒められた。役場にも行って、今、話題?のマイナンバーカードを受け取る。この制度については、私は現状では支持も批判もしてはいないけど、どちらかというと需要のない所に強引に需要を作った感じはしている。でも、話のタネに、おもじろいじゃん、と思って個人カードを申し込んであったのだが、ウチの村役場は、いかにも迷惑ってな感じで臨時の衝立で仕切ったブースが設けてあり、そこでタッチパネルを操作して認証手続きをした。専用のタッチパネルも1基しかなくて予約制だった。国や自治体の熱意の度合いが判ってしまうような、まさにそんな雰囲気だった。それにしては、あっちこっちの手続きでマイナンバーが必要!と、まるで脅されている?ような文言が羅列されていて、この違和感はなんなのだろう?踏絵、それとも選別?まあ、そんなところを体感してきた訳です。

2016年2月14日(日)
この土日、陽気は急に緩んで暖かくなり、季節外れの雨がザンザン降って、娑婆中に凍り付いていた雪がみんな融けてしまった。とてもありがたかったんだけど、まだ2月の中旬。「え~。変じゃん。いいだかやあ?」という気持ちもわだかまる。まさに地球温暖化なのか?どうせこの後、寒さはぶり返すのだろうが、とにかく大雪だけは降らないでくれれば、この冬は何とか乗り切れる。何か気力がわかなくて、土日に休出できなかった。このツケは今後、効いてくるかもしれないね。

2016年2月12日(金)
定例の議会が始まって、今日と月曜日は新年度予算の説明会。毎度のことだが、どんな質問が出ても良いように委員会室の隣室にスーツ姿で詰める。日曜日に買った吊るしのスーツがさっそく役に立った。職場に帰ると先月、入稿した報告書の全頁の初校が来ていた。やっぱデータ入稿は早い。とことが5カ所も誤植がある。完全データ入稿だからすべて私のミス。やっぱ、あわててやって、最後の点検を怠った。落ち込むことしきり。

2016年2月11日(木)
国民の祝日である「建国記念の日」で休み。かねてから女房のリクエストであった県歴の地図の特別展を女房と太郎と3人で見に行く。道中の高速道で、拡声器を大音量で鳴らした右翼の街宣車が、少し間隔を置いて2台、私たちを追い越して行った。それで「おおっ!今日は『建国記念の日』であったわ!」と改めて思った。長野か新潟方面で右翼か左翼の集会があったのかな。肝心の特別展は面白かった。地図の歴史というか古地図の持つ情報量やその中味に、今後、もっと関心を深めねば、とつくづく思った。特に、正保の国絵図に、既に新村堰と和田堰、神林川が描かれているのは初めて気付いた。最大の収穫かも知れない。

2016年2月8日(月)
東信に居る古い知り合いのところに打ち合わせに行く。久々にゆっくり話ができた。理系に強くて、いつも話は卓抜でおもしろい。ちょっとおでこが広くなっていたが、おもしろいところも、行動的なところも全然変わっていなくて、嬉しかった。むしろ、かなり衰えた自分を意識してしまった。せっかく来たのだからと、いくつか案内していただいたが、みんな見どころがあって有意義な一日となった

2016年2月6日(土)
ウチの職場の年間最大行事である去年の調査の報告会を開催。天気も良くて、予想を大幅に超える250人が来場。施設の事務用のイスまですべて駆り出して何とかしのいだ。200部刷った資料も足りなくなり、職員分も供出した。過去15回の最大入場者が140名だったので、今回は報道に大きく取り上げられたのでさらに増えると考え、椅子を165名分用意したが甘かった。この調子だと来年から会場を変える必要もあるね。肝心の報告会の中味だけれど、こちらは大成功といったところか。若い担当者の発表は端的で分り易くて、しかもきちんと時間内に終わった。二人の補佐は見事に緩急が付いて、聴衆が話に惹きこまれているのがよくわかった。私はしょっぱなに概要説明をしたのだが、余計なことを言わずに、もっと淡々とデータだけ紹介した方が良いのかな。夕方からは現場の皆さんとの新年会。もう、そんなにタンパク質系の料理は咽喉を通らなくて、ついつい杯を重ねてしまった。二次会は小人数でバーボンを飲んで、帰宅したら夜中の1時近くだった。

2016年2月4日(木)
週末の6日から始まる展示会の展示準備の手伝いにウチの衆も総出で出かけて、私は留守番組。若い補佐がきっちり仕切ってくれて、学芸員も手際が良くて、見ていても安心。大勢が来てくれると良いが。

2016年1月31日(日)
ここ1年半ぐらいで10㎏以上痩せて、今迄のスーツがダブダブになってしまった。太っていた時はなかなか体形に合わないのでオーダーしていたけど、ちょっと標準体形に近づいたかな、と思って吊るしを1着買ってみた。着てみて、おおっ、なかなかいけるぞ!でも、吊るしでもそこそこのお値段はするんだね。トホホ。日曜だけど、終日休出。ロケの対応で若い衆も何人か出勤していた。

2016年1月30日(土)
退職して家居の先輩を訪ねる。半年に一度ほどはお会いするのだけど、相変わらずお元気そう。私みたいに太ったりもせず、酒も飲まず、タバコもやらず、学会や地域の役をこなして、人生のお手本みたいな人だ。
2016年1月30日(土)その2 昨日、変な雪の降り方をした。たくさんは降らなかったのだけど、雨っぽいような変な雪で、何なのかなあとおもっていたら、近隣で山の木々に凍り付いて重みがかかり、倒木が相次ぐという大被害が出ている。雨氷(うひょう)という珍しい現象だそうで、海抜800~1200メートルくらいに被害が集中し、山中にある松本の扉温泉や山形村の保養施設では宿泊者が孤立状態になって全国ニュースでもガンガン放映された。暖かくなったら、私も現場を見てみたい。

2016年1月27日(水)
このところ冷え込みが厳しくて、先週降った雪がちっとも融けない。道路の路肩や歩道にガチガチに残って交通の妨げになっている。北安の池田町というところの町長が飲酒運転で警察に捕まって、辞職か!という事態になっている。私も酒は嫌いではないけど、、何て言うのかな、いつも最悪の事態を想定して行動するってことが、やっぱ大事なのでは、とつくづく思う。「焼酎を水割りで5・6杯飲んだが、水も飲んだし、酒は強い方なので大丈夫だと思った。」てな感じのコメントがマスコミで流されてたけど、その「大丈夫」ってのが、事故を起こさない自信なのか、警察に捕まらない幸運なのか、警察に捕まっても逃れられるという楽観なのか、そこら辺の線引きの基準が、実はとても重要なのではないですかね。

2016年1月24日(日) 昨日の土曜はおとといの疲れで、家でゴロゴロしていただけ。今日はなんか午後が雪だというので結局出歩かず家に居た。久々に休出なし。大相撲の初場所は千秋楽で、御嶽海は5勝8敗2休で終わった。初の負け越しであるが、まあ、ここまで順調すぎたからね。組まれた時の対応をしっかり稽古することだ。優勝は大関の琴奨菊。日本出身者では10年ぶりの優勝と言って、テレビも大いに盛り上がっていたけど、ワールドシリーズなんだもん、「ふうん」って感じかな。それより琴奨菊の出身地の柳川って土地にとても興味がわいた。それに本人の精進がすごく良い。美人で才女の奥さんを隣にして、ウン、絵になっていたね。

2016年1月22日(金)
夕方6時30分から課の新年会。月曜日の大雪で相変わらず交通状況が悪いので、午後早くに帰宅し、西部コミュバスで平田駅まで出て、そこから電車で松本まで行った。でもコミュバスも遅れて、電車は1本遅いのになったけど、時間のゆとりを見てあったので遅刻はしなかった。今回の新年会はこの3月で退職するウチの課長の、実質的な送別会。我が社で勤続34年。お疲れ様でした。二次会は幹事が設定したカラオケに行って、帰宅したら夜中の1時半。

2016年1月19日(火)
昨日の降雪で道路はいたるところすごい圧雪状態。その上、今朝からは冷え込んで凍結。まさに冬の地獄。クルマはノロノロ運転で、気合を入れて家を6時前に出たのだが、職場まで1時間15分かかった。特に我が家の周りは昨日1回除雪が来ただけなので、たっぷり雪が残って轍がすごい。普段は燃費の悪いジープタイプの4WDの私のクルマはこういう時に強いけど、でも、運転をミスると即、事故につながるのは同じだ。

2016年1月18日(月)
このシーズンは暖冬で有難いと思っていたら、夜半から降雪。午前中も降り続いて30センチ以上積もった。勘弁してくれ!職場では若い衆が総出で雪かき。昼近くまでやって、みんな汗まみれになる。帰途は凄い交通渋滞で、午後6時30分に職場を出て、家に着いたのがなんと9時すぎ。普通だったら30分のコースなのに。

2016年1月16日(土)
終日、休出。やっと印刷屋さんにデータ入稿できる形になった。ふう。あと、もう1冊だ。軽井沢の碓氷バイパスでスキーツアーの夜行バスが転落。10人以上が亡くなるという大惨事の報が飛び交う。しかも犠牲者はセンター試験の休みを利用した大学生ばかり。えれえことせ!大安寺橋の時の光景が脳裏をよぎる。

2016年1月15日(金)
このところ暖冬だとばかり言われてきたが、やっと冬らしい冷え込みの日が続いた。雪さえ降らなければ、ちょっとくらい寒くても構わないんだけどなあ。郷土力士の御嶽海は三連勝の後、三連敗。やっぱ幕内は厳しいわ。

2016年1月12日(火)
大相撲初場所で郷土力士の御嶽海は初日から三連勝。いいぞっ!と思うけど、突き押しだけでどこまで幕内で通用するか。組まれたらどう対応するかも大事だね。12月からクルマの教習所に行き始めた太郎が、仮免を貰ってきた。現場が終わってから入校したんだから、中旬か。で、もう仮免とは、最近の教習は早くなったのか?私は24歳の時にクルマの免許を取得したが、確か半年近くかかったぞ。

2016年1月11日(月)
三連休の最終日だったけど、曇り空で寒いとか難癖をつけて、何もせずに終日家居。『墓の考古学辞典』を読みながら大相撲をテレビ観戦。なんか老人の余生みたいな暮らし方だね。

2016年1月10日(日)
昨日からの三連休の中日。終日、寒い南風が吹いていて、風邪が治ったばかりなので、庭仕事は断念。夕方5時から常会で三九郎。午前中に庭の柳の枝を切って米粉で団子を作って刺しておく。場所は例年の田んぼで、今年は子供たちが大勢いて、小さいのも含めて5基が作ってあった。神明は例年の場所に作ってなかったが、今年は変えたのか?それともやめたのかな。まさかね。5時ちょっきりに点火。周囲はまだ明るかったが、燃えているうちに徐々に薄暗くなってきて、最高の雰囲気。風邪が強くて、火勢は見事。まあ、街中ではこうも行かないんだろうけど。女房と太郎と3人で団子を焼いて、一年の無病息災を祈る。30分ほどで帰宅。
2016年1月10日(日)その2 今日から大相撲初場所が始まった。ついつい幕下の取り組みからテレビで見てしまう。久々の天覧相撲で、八角新理事長の協会挨拶も無難であった。郷土力士の御嶽海は幸先よく白星。

2016年1月9日(土)
受け取った遺物実測の校正で休出。何とか仕上げる。昨日の検討会の続きで、今日も熱心に盛り上がっていた。

2016年1月8日(金)
集中的に整理を進めている遺跡で、土製品の検討会。招聘の講師二人の他、近県、近在から関係者に集まってもらう。夜はそのメンバーで懇親会。私はその時期の専門ではないのだけれど、立場上、出席する。この種の検討会はこの地域ではもう10年以上やっていなくて、飲み会も含めて、なかなか貴重な機会となった。担当のお二人。大ご苦労様です。三郎が午後の電車で大学に帰る。

2016年1月7日(木)
午前中、医者に行って、終日休み。正月にひきこんだ風邪はズルズルと長引いた。

2016年1月6日(水)
土器の実測委託。前半の校正受け取り。新年早々の情報公開請求。午後は休んで医者に行こうと思っていたが、とてもそんなわけにはいかなかった。

2016年1月5日(火)
新年早々、早速風邪で休み。終日寝ている。次郎の休み、今日まで。午後の電車で会社に帰る。

2016年1月4日(月)
仕事始め。職場の仲間も帰省しているメンバーを除いて、全員元気な顔を見せた。私は風邪が完治していなくて、午後3時過ぎから猛烈な不快感。何とか一日頑張って、帰宅してからは早々に寝る。

2016年1月3日(日)
昨日からの風邪がひどくて、午前中は寝ている。世間は暖冬のきわみで4月並みの暖かさだというが、私は寒気がして困った。

2016年1月2日(土)
初夢は自家用車でセンターラインのある道路を走っていたら右側を逆走してきた対向車と正面衝突をするという過激なもので、なんでこんな夢を見たのかと、当の本人もびっくり。相手は白のクラウンで、私のクルマは上半分が吹っ飛ぶ大破だったが、私は無傷で冷静だった。事故を予見する凶夢なのか、無傷で無事だった吉夢とみるか。あとは今年の私の行い次第とすべきであろう。10時30分に国に派遣となっているF君が奥さんを連れて挨拶に来たので小型の大珠を贈る。昨秋に入籍した若い二人へのお祝いになればと思ったものだが、特に奥さんは7年間、私の片腕となって頑張ってくれた。その感謝の意も込めた。でも、まだまだ足りない気がする。次郎の背負って来た風邪が伝染ったか、朝から咳と鼻水がひどい。

2016年1月1日(金)
未明に起き出して日課の家の周りの散歩。昨夜の粉雪が融けて凍って、路面はブラックアイスバーン状態。危うく滑り転ぶところであった。7時15分過ぎに女房と太郎と3人で例年の初日の出を見る位置に立って東の山際を拝む。今年は少し雲があって、東山の稜線ではなくその上の雲からの初日の出であったが、とにかくおテントウさまが見られたのは幸先良いことだったと思う。10時から常会の新年会で集会場に行って帰宅は11時過ぎ。年の初めに常会で集まるのは悪いことではないのだけれども、私にとって元旦の昼酒は年々きつくなっているのも事実。