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2015年12月31日(木) 大晦日である。御年越しの食材を買いに近くの大規模店に行ったが、朝8時に開店というので8時30分ごろ着いたら、もうワンワンしていてビックリ。みんな忙しいんだなあ。帰ったら私は昨日の木の切り残しを伐る。ほっといたら合歓の木はガンガン伸びてしまって、高枝切りノコでぎこぎこやったがちっともはかが行かなくて、最後は脚立をかけて伐った。太い枝がドサンと落ちて、木の太さというか重さを実感。これが直撃したら、確かに死んじゃうわ!と森山さんを思い出した。深夜の11時30分に起き出して、一家5人で産土様に二年参り。粉雪が吹き付ける厳しい天候だったけど、かえって身が引き締まった。
2015年12月30日(水) 朝のうちに、太郎と三郎を連れて母のところへ顔を出す。次郎は風邪をひいていて、老人ばかりの施設では厳禁なので自宅待機。母は明けると93歳になるが頭はしっかりしていて、元気だった。帰宅後、三郎は中学、高校の時の仲間で出掛けてしまい、太郎と次郎に注連縄を張ってもらう。私は庭の木の手入れで、隣地に張り出し過ぎた枝を掃う。普段、忙しいと言って家のことは怠けているので、ちょっと大変だった。
2015年12月29日(火) 今日から年末年始休み。このところ休出ばかりで家のことを全然やっていなかったので、玄関周りを徹底的にすす払い。かなりきれいになった。夜、次郎が帰省。今日の午前中まで仕事で、それから帰ってきたという。お疲れ様。何か悪い風邪を引いてきたようで、頑健な次郎には珍しいことだ。
2015年12月28日(月) 本年は今日で御用納め。午後は職場の大掃除を行う。4台の営業車は、普段、ガンガン使っていて、汚れもすごかった。ここに至っては、もうじたばたしたって年内の納品は無理。夕方は残業もそこそこに帰宅して、ゆっくりと風呂に浸かって仕事納めの晩酌をする。開き直ると、かえって気が楽になった。
2015年12月27日(日) 久々に休出しない休日。年賀状を仕上げて、午後は投函と年末年始の買い出し。
2015年12月26日(土) 午前中は休出。午後は帰ってひたすら年賀状を書く。
2015年12月25日(金) 午前中、年末の挨拶と職場回りで、局長を総務課長が連れて来訪。私は背中に湿布を4枚も貼っていて、総務課長から膏薬臭いとからかわれてしまった。
2015年12月24日(木) 朝、出勤して、駐車場でクルマから降りようとしたら、何か腰に違和感。どうも軽いギックリのようで、激痛がある訳ではないが終日、うまく動けなくて、夕方、早帰りして、湿布貼って寝ていた。世間はクリスマスイヴだがキリスト教徒でもない我が家には関係ない。昨日、子供たちが作ってくれたケーキを食べて、まあ、中年の私にはケーキはちょっともたれるんだが、おごっつおを食べる日だね。三郎はお医者へ行ったら、やっぱ膀胱炎で抗生物質を処方された。男性には珍しいと言われたそうだ。
2015年12月23日(水) 天皇誕生日で祝日。休出する予定だったんだけど、昨夜飲みすぎて、久々の二日酔い。終日、寝てました。まったく無駄に一日を潰した訳で、普段、何のために汲々と仕事してるかわかんないよ、これじゃあ!昨夜、三郎が帰省。体調が悪いと言って、やはり寝ている。なんか腎炎か膀胱炎みたいな症状で、とても心配。でも、クリスマスのケーキは作ってくれた。
2015年12月22日(火) 職場の親睦会の忘年会があって、バスで街へ出る。ところが国道と線路を越える主要幹線が大工事中で地獄のような渋滞。バスは1時間遅れで街に着いて、私は40分の遅刻。最低!慌てて駆け付けたから酒が回って、大変でした。このごろ、家の晩酌では日本酒を1合くらいしか飲めないのに、つい、外へ出るといい気になって飲んでしまう。いかんね。
2015年12月20日(日) 今やっている原稿を、何とか年内に印刷屋さんに入れてしまいたくて、今日も休出。でも、出来ているはずの図面を点検してみると、肝心なところのずれがあったり、記述がなかったりで、たぶん年内は無理だろうなあ。いっつもそうだ!前任はそういう性格だったとわかってはいるんだけど、やっぱ、ぎりぎりになるとかなわん!
2015年12月19日(土) 史跡整備がらみの調査で出た中世の遺物を、専門家を呼んで鑑定してもらった。この時代は在地生産より広域流通なので、消費地の出土品で年代観を組み立てるのはむずかしい。生産地の専門家は本当にすごい!私もこうありたいと思うことしきり。
2015年12月16日(火) 我が家ではこれまでも何台かプリンターを使ってきたが、今のはエプソンのA4複合機。スキャナーが付いて両面印刷もできるんだけれど、安いので造りはちゃちくて、職場の業務用なんかに比べると、用紙の吸い込みに今一つ確実性がない。印刷後の受けの引き出しテーブルも壊れて、じゃあ、と久々にA3機を買った。それが今日、届いたんだけど、やっぱでかいわ!
2015年12月14日(月) 赤穂浪士の討ち入りの日が来ると結婚記念日だったと思い出す。残業をせずに帰って、女房と太郎と3人でささやかな乾杯。もう次郎と三郎は他郷で暮らしているし、太郎もいつまで一緒にいるかわからない。寂しくなるね。そもそも夫婦もいつまで健康でいられるかな。来年は記念日も大台に乗る。
2015年12月13日(日) 隣村で立地が良く似た二つの縄文遺跡の特別展をやっているので、女房と見に行く。その内の一つの遺跡は昭和53年の第1次調査に私も参加したので懐かしさもひとしお。大学2年生だった。富山大学の三好君と二人で、トレンチ内に簡易トラバースを組んで住居址の実測をした。生意気な若造で、元気だったなあ。
2015年12月12日(土) 休日だけれど本社で来年度の予算査定の復活折衝。朝から出勤して準備し、午後の本番に臨む。予算担当の若い衆が財務の担当者と入念に下打ち合わせをしてくれてあったので、まったく問題なく終わった。持つべきものは優秀な部下だ。
2015年12月11日(金) 昨日は気温が高かったのに、私は妙に寒気がして、こりゃあ風邪ひいたな、と思ったら、案の定。で、今日は休んで終日、寝ていた。ここのところ、土日の休出や行事が続いて、ちょっと根を詰めすぎたかな。
2015年12月9日(水) ここ数年で自分の人相が大きく変わったような気がする。気が付くと鏡の中には、疲れ切った、目つきの悪い、怖い顔をした、見慣れぬ中年のオヤジが居る。毎日、髭剃りや洗顔で鏡は見ているのだが、部分しか見ないので気付かなかった。女房や子供は毎日見ていて、少しずつ変化したのでかえって気にならなかったのだろう。声の質は全然変わっていないので、自分では、若い頃のような顔つきをしていると思い込んでいた。でも、今の私しか知らない人たちは、確実にこの悪相を見ているのだ。心せねば。「男の顔は履歴書である」とはよく言ったものだ。これまでの人生の悪行がすべて顔に噴出している。
2015年12月8日(火) 11月27日に下見に来た在阪の放送局の撮影があって、結局、出演してしまった。史跡の紹介をするんだが、むしろスタッフが私に期待したのは「方言」。はあるかぶり、とか、ごしたい、とかずらの使用法とか、カメラの前でしゃべるはめになって、その方面では一家言を持つ方々も多いので、内心ではちょっとハラハラ。でも、市内数カ所を回ったのに、なんで方言の話は私がターゲットだったのだろう?私のしゃべり方が一番なまっていたせいなのかなあ。普段、標準語?を話しているつもりだけど、案外、通じていないのかも。やっぱ、むずかしいわ。
2015年12月6日(日) 県の学会の大会が岡谷市であって、ウチの若い衆が発表するので、久しぶりに出席する。会場のイルフプラザに入ったのは2回目だが、また立体駐車場から文化センターへの移動に迷ってしまった。私は午前中のみで帰ってしまったが、参加者は20人くらいか。会場も広かったので、ちょっともったいない気がした。今の事務局は県のセンターのメンバーが全面的に支えてくれているので、その負担を考えると、まあ、こんなもんかもね。若い衆の発表は、ちょっと口が滑ったところもあって、今後、一波乱があれば、それはそれで面白いかもしれない。
2015年12月5日(土) 街中の現場で説明会。私は毎度の役で司会進行を務めるが、後半はもっぱら場内案内と先生方との話に終始。天気も良く、街中なので通りがかった人も見学していって、180人の来場があった。
2015年12月5日(土)その2 女房はムラの教育委員会主催の村内石仏巡り。太郎は別の団体で真田の城巡り。私は現説に出勤する前に太郎を送って行って、現説後は職場で暗くなるまで仕事。その後、太郎を迎えに行った。
2015年11月30日(月) 先日のMRIの結果説明を聞きに行く。背中の痛みに関係しそうな膵臓に腫瘍などの異常はなかった。やっぱ筋肉痛か。老眼が悪化して、変な姿勢でパソコンの図などを作っているせいなんだろうなあ。
2015年11月29日(日) 終日、休出。とにかく報告書を作る。
2015年11月28日(土) 太郎に手伝ってもらって朝のうちに冬タイヤに履き替える。例年は12月中旬にやっていたが、クルマが替わったので、きわになって慌ててやるとロクなことはないと思い、少し早めに段取りをした。前のクルマよりジャッキを掛ける位置が奥にあって、購入したフロアジャッキがさっそく役に立った。タイヤも1インチ径が大きくなっていて持ち上げるだけでも大変だった。いろいろと発見があり、早めの交換は良かった。午後は休出。
2015年11月27日(金) 午後、史跡に在阪の放送局が番組の下見に来るというので対応。男性三人組だったが、大阪弁でずいぶんとなまな物言いの人達だった。大阪人のせいなのか、マスコミ関係者だからか、それとも個性だったのかはわからないけど、ちょっとやっかいだけど面白そう。彼らから見て私は、田舎のオッサンが要を得ないことをモソモソしゃべっている、って印象だったのかなあ?
2015年11月26日(木) 9月の人間ドックで背中の痛みの精密検査となったMRIの受診日。ドックと同じ病院で午後に受ける。検査時間は約30分ほどだった。MRIは顔面神経痛やめまいの時に脳神経外科で受けたことが2度ほどあるが、筒の中に入るとガンガン、ビービーととにかくうるさい。でも、じきに慣れて後半はウトウトとまどろんでいた。
2015年11月25日(水) 雨で現場が次々と休みになって担当者が上がってきたので、職場全員の会議を夕方に繰り上げて開催。その席で若い衆が結婚することを全員に報告。以前から今後の対応もあって知ってはいたのだが、公式に公然となって、みんなから拍手で歓迎され、まあよかった。結婚かあ。いいなあ。そーいえば、私にも昔、そういう時期があったなあ。
2015年11月23日(月) 今日は勤労感謝の日で祝日。土日も合わせた三連休の最終日だったが、結局3日とも休出。さすがに今日は午前中だけにして、遺物倉庫の件だけで済ませた。とにかく仕事が終わらない。何時か誰かがやらなければならなかった懸案がいくつも残っていて、その責任は結果としてはすべて私にあるのだが、いーかげん疲れた。
2015年11月23日(月)その2 夕方4時から常会の収穫祭があって出席。昼酒というか夕酒を飲んでしまう。このところ、晩酌の酒量も減らしていて、そもそも加齢で酒に弱くなっているので、いい気になって飲んでいたら、しこたま酔っぱらってしまった。これから忘年会シーズンでもあり心せねばと痛感。
2015年11月20日(金) 山辺の古墳で小学校6年生に話をする。10月7日にやったのが好評で、今度は附属小学校のひとクラス。相変わらず手織りの貫頭衣は人気があってびっくり!風邪が完全に抜けていなくてガラガラ声だったけど、つい夢中になって話をしてしまった。やっぱ附属だからか、とんでもなく頭の良さそうな目つきと物言いの子供が何人かいて、こんな人材が将来ここに帰ってきてくれたらありがたいなあ、などとも思う。
2015年11月18日(水) 結局、月曜日から今日まで3日間、寝込んだ。インフルエンザみたいな劇的な症状はなかったが、非常にたちの悪い風邪であった。
2015年11月15日(日) 風邪は症状が改善せず、むしろ悪化。咽喉が痛くて咳が出て、鼻水が出て微熱が続く。施設公開で出勤予定だったけど断念。係長に任せて、ひたすら寝ている。
2015年11月14日(土) 風邪で最悪の体調だったが、クルマの一カ月点検で午前中、2時間ほど出かける。こちらの日程に無理してあわせてもらった手前、これ以上のドタキャンもできなかった。あとはひたすら寝ている。咽喉が痛い。
2015年11月13日(金) 朝、出勤したけれど、7時30分頃から熱が出てきて、悪寒と頭痛がひどい。ここ2・3日下痢をしていて尻の穴が痛いところにもろに熱がかぶって、まるで痔になったような痛み。堪らず早退して寝ている。咽喉の痛みが始まって、女房がひいていた風邪とそっくりの症状が出てきた。だめだ。頑健な女が3日間苦しんだ風邪だ。私は一週間は寝込むかもしれない。
2015年11月12日(木) 午後、長野市へ出張。若い衆に乗せてもらって行ってきた。また、来年以降、仕事が増える。こんないたちごっこの人生は、いいかげん飽き飽きした。
2015年11月11日(水) 偏頭痛がひどくて終日寝ている。女房は一昨日からたちの悪い風邪をひきこんで、今日の午前中にやっと出かけられるようになった。私に伝染ったら、こりゃあかなわんぞ。
2015年11月9日(月) 新年度予算も一区切りがついたので、午後は現場を回る。街中の現場はなかなか成果が上がっていて、今後が楽しみだけれど大変そう。村井にいたら雨が降ってきて、若干濡れる。一雨ごとに寒くなる。嫌だなあ。雨が来るせいか、偏頭痛がひどい。
2015年11月7日(土) 終日、休出。積み残しの報告書をやる。帰りに平出に回る。
2015年11月5日(木) 午前中、来年度予算の財政担当者ヒアリング。私も同席したが、主な説明は若い衆に任せた。相手方も若い担当者で、もうジジイの出る幕ではないなあ。早く引退したい。午後は館に前会長の会田さんと県教委の櫻井、贄田の両氏が来て土器を見る。たしかにウチにも縄文土器のいいのはあって、ちゃんと復元をやり直せばそれなりになるんだろうけど、とにかくゆとりがない。右目の痛みはほとんど退いて一安心。
2015年11月3日(火) 昨日の午後から右目がだるい。今日になったら右目の縁にしびれを感じるようになった。これは顔の右半分に三叉神経痛が出る前触れの症状だ。いわゆる顔面神経痛ってやつで、過去にも何度か同様の経緯をたどってこじらかせた経験があるのでとにかく目が疲れることを一切遮断した。今回の発症の原因は、いい気になってちょっと予算編成の仕事をやり過ぎたせいだと思う。早引けをしてとにかく休んだ。
2015年11月1日(日) 午前中、隣村の遺跡を巡る。谷のかなり奥まで行くと、人通りも少なくて、冬以外は暮らし易そうなところだ。晴天で周囲の山々の紅葉が見事だった。
2015年10月31日(土) 早朝、女房を諏訪の合庁まで送った後、休出。10月の出勤の締めと新年度予算をやる。
2015年10月28日(水) 豊科のYさんに村井の現場の炭焼き窯みたいのを見ていただく。やっぱ炭焼き窯でいいようだ。久しぶりに会ったがお元気そうで何より。お仕事などで忙しそうだが、県内の窯跡研究では第一人者だ。今後の研究の御進展を期待してます。
2015年10月25日(日) 午前中は休出。新年度予算をやる。
2015年10月24日(土) 午前10時30分から村井の現場で現説。私は職場で一仕事終えてから駆け付け、冒頭の司会などをやる。地元向けに限定した開催だったが50人が集まった。午後は隣村に行って学芸員から村内の遺跡地図を頂き、博物館の収蔵庫や遺物の展示室を見せてもらう。展示室には縄文中期の土器の優品が一堂に飾ってあって、これはすごい!隠れた名所だ。
2015年10月23日(金) 村井の現場は佳境を迎えて面白い遺構も出ているので、県歴の原さんに午前中、現地でご指導を頂いた。やっぱ専門家は詳しい。10・11世紀に関しては、右に出る人はいないのではないか。午後は県歴主催の近世城郭・城下町研究会があって、現地は行かれなかったが、ウチの館での会合には顔を出す。城と城下を持つ県内各市からの担当者の参加があって、今後、より良い方向に進むことを切に願う。
2015年10月21日(水) 交付金の会計検査が入って、終日、本社で待機。いつ腹痛と下痢が再発するかとビクビクして、食べると下るので朝食も昼食も摂れなかった。
2015年10月20日(火) 日曜日に無理して山なんかへ行った罰が当たったか。昨日と今日はひっきりなしに腹痛と下痢に襲われ、それに気分も不思議な滅入り方をして、終日寝ていた。どうも大きなストレスに過剰に心身が反応したようだが思い当たらない。あっ!クルマを替えたことか…
2015年10月18日(日) シーズンも終わりに近いので、体調も良くないが無理して東山に繰り出した。成果はゼロ!良い良いと言われていた今シーズンだが、私に関しては後半はさほどでもなかった。早々に帰る。今日は腹は痛くならなかった。
2015年10月17日(土) 午前中、休出。午後は平出で桐原先生の講演を聞くつもりだったが、昨日と同じで11時頃から腹痛と下痢。昼で帰宅して寝ている。なんなんだろう。この症状は?
2015年10月16日(金) 11時ごろから腹痛と下痢。早退して寝ている。
2015年10月12日(月) 三連休の最終日。今の自家用車は平成17年の11月に新車で購入したから、満11年乗ったことになる。走行距離も約10万キロになったので、7月のマフラー損傷事件以来、新車購入の検討を進めていたが、金策もできたので思い切って発注し、1カ月待って今日、届いた。これまでのクルマは1300ccの4駆、なんちゃってジープ型だったが、次も同じメーカーの後継機にした。排気量が1500ccに拡大して、いろんな装備が加わったが基本は前と同じ。また10年乗るつもりだけれど。旧クルマは昨日の午後、販売店に乗って行ってお別れした。頻繁に車を変える習慣がない私にとって、クルマの履歴は家族の履歴でもある。なんか自分の過去を処分したような気がして、かなりウツだ。
2015年10月10日(土) 県歴の原さんの講演が午後1時30分から豊科郷土博であって、聴講する。明科で発見された平安の墓を中心にした話で、平安時代の政治経済の変質を地方の視点から捉える素晴らしい内容だった。400年もある平安時代が均質であった訳はないけれど、昔の教科書のように、律令制の崩壊、荘園、都の優雅な貴族、地方の荒廃と武士の発生、なんて単純なものではないことが身近な発掘実例でよく分った。
2015年10月10日(土)その2 女房は県教委主催のバス見学会で、またまた小谷へ。集合が大町の合庁なので朝7時に松本駅まで送っていく。
2015年10月7日(水) 山辺の古墳で小学6年生に説明。天気が良くて、子供たちは喜んで石拾いをしてくれて、貫頭衣の試着も好評だった。地域の子供たちを対象とした企画は、いつもとてもやりがいがあって楽しい。だけど、そのたびに思うのは、引率してくる担任や副担任の先生方の中に、明らかに余計なことやって、みたいな迷惑そうな顔をされている人がいることで、これは教員研修の時も同じで、学校という組織は目的意識をまとめていくのがいかに難しいか、管理職と部下の意識の乖離がいかにはなはだしいか、垣間見る気がして、被害者になってしまう子供がかわいそうになる。まあ、今の先生は忙しすぎるってことか。
2015年10月5日(月) 人間ドックでよく分らなかった背中の痛みについて、再度、検査を受ける事前診断に行ってきた。11月にMRIを受けることに決まった。
2015年10月4日(日) 昨日今日と連続して東西の山へ繰り出した。やっぱ遅手のキノコには少し早かったみたいだ。見事な好天で、新雪が来る寸前の北アルプスの眺めは見事だった。このところ朝が冷え込むようになって、やっと秋らしい天気が続くが、こんな程度の冷え込みもちょっと辛く感じるのは、老化のせいかな。
2015年10月3日(土) 豊科の郷土博物館で午後1時30分から報告会があって、一昨年の成果を中心に発表する。私を含めて2本の報告だったが、さほど広くない会場は満杯で大盛況だった。報告の後、展示室でギャラリートークみたいな感じで展示解説を行ったが、そちらも好評だった。
2015年9月30日(水) 今日で年度の上半期が終わる。明日から10月、さっそく決算委員会が始まる。その後は新年度予算の編成とか人事とか各事業の実績報告とかで年度末まで突っ走らなければならない。自分の抱えている本とか報告とか原稿とかの仕事は全然できなくなる期間で、だから上半期にどれだけできるかが勝負だったんだけど、今年は大分頑張ったつもりだったけど、やっぱ目標の6~7割かな。もっと土日も夜も働け!って若い頃は、遊びも仕事もガンガンできたんだけどね。もう無理だよね。
2015年9月27日(日) 隣のムラの図書館で午後1時30分から平出の前館長の小林康男さんの講演があって、女房と聞きに行く。初めて入る施設だったけど、ちょっと新しくて便利そう。お話は熊久保遺跡の発掘を中心とした西山麓の縄文遺跡についてで、初めて知る事実もあったりして、とてもよかった。だけど、聴講者は私たちを含めても10人いなくてビックリ。小林さんのような碩学の話を聴くことのできるチャンスなのにもったいない。担当した学芸員は農作業などの忙しい時期に重なってしまったと残念がっていたけれど、これではおそらく条件が良くても20~30人程度なんじゃあないかなあ。村民への周知、広報の方法にも課題があるのだろうけど、村全体での遺跡や歴史への関心の低さが現れているんだろう。実は我がムラ史談会の一人として隣村の敵情視察みたいなつもりも少しあったのだけど、いや、これは大変!何か協力できることがあれば、お手伝いなどもしなくてはいけないか。
2015年9月27日(日)その2 ムラの環境整備の日で、ウチの常会は朝6時から集会所の掃除。1時間ちょっとかけて、庭の草取り、生垣の刈り揃え、室内の掃除などを終える。サツキの植え込みの下にヌメリイグチが出ていた。やっぱ、今年はいけるわ!
2015年9月26日(土) 四賀の現場で現地説明会があって、開始前に顔を出す。その後は職場に戻って終日、休出。
2015年9月23日(水) 5連休の最終日。懲りずに山へ繰り出す。いよいよ遅いキノコも出始めた。この5連休、とうとう1日も休出しなかっちゃった。このツケは後々効いてくるんだろうなあ。
2015年9月21日(月) 連休の3日目。女房と太郎と3人で東山に繰り出す。狩猟だか害獣駆除だかで、近くで鉄砲を打つ音が頻繁にするので、おっかなくて早々に引き揚げた。収穫はそこそこ。
2015年9月20日(日) 豊科の公民館で明治大学の石川先生の講演があって聴講する。弥生時代がテーマで、後期までの日本海ルートと柳沢銅戈のことなど、やはり第一人者の話は素晴らしかった。講演のスタイルも石川先生の人柄が出ていて、とても参考になった。県歴主催の2015発掘展が豊科に巡回した関係で開催された講演会で、県歴からは大竹課長、中野さんと西山さん、地元からは桐原先生、森先生、会田さん、島ちゃんらの顔も見えた。終了後、郷土博物館に会場を移して、展示を見ながらの発掘担当者のトークとなったが、私は安曇野市の土屋さんから、昨年度?穂高で出土した中期前半の弥生土器を見せてもらった。ちょっと時期幅があるかな。
2015年9月19日(土) 昨日と今日の二日間、一泊の人間ドックに行ってきた。この時期のドックは恒例で、毎年、女房と二人で入っている。体重をはじめとして、各数値はすべて減となり、ここ一年で改善が進んだ。ただし、膵臓や胆嚢などがエコー検査では十分に把握できず、背中の痛みとの関連は、後日、MRIでの精密検査となった。今年は19日から始まる連休が5日連続となって(私が知らないうちに、世間ではシルバーウィークとか呼んでいるが、いったい何なんだ!)、病院も休みになるので、例年、二日目にやる胃カメラの検査が初日だったし、二日目はお客は私たちだけで、病院関係者には迷惑をかけてしまった。
2015年9月15日(火) 背中が痛いのが治らなくて、休みを取ってかかりつけのお医者さんに行く。レントゲン等の検査は週末の人間ドックの様子を見てからということになった。夕方には痛みはほとんど収まった。
2015年9月14日(月) 先週の背中の痛いのが完全に治っていなくて、仕事中でも時々痛い。残業もせずに定時で帰宅したんだけど、夜中に寝ていたら、またズンズン痛くなって、女房をたたき起こして湿布を貼ってもらう。どーしたって変だ。
2015年9月13日(日) 昨日、ヘロヘロに疲れ果てたのに、懲りずに早朝から山へ繰り出す。ところが、何か体育会系のイベントをやっていて、いつもよりずっと下に駐車せざるを得なかった。普段の倍、歩く羽目に…でも、やったね!コムソウをしっかり採った。やっぱ今シーズンはいける。
2015年9月12日(土) 午前中、街中の現場で現説。9時30分には現場に行って、本番は司会を務める。秋日和でイベントが重なっている日でもあったので、見学者は100人強というところか。午後は別の現場で小学生の発掘体験があって、応援に回る。とある企画に応募して集まった子供たちだけあって、興味関心も集中力もすごい!地域の将来は明るい、と思わず嬉しくなる。帰宅したら午後5時。疲れた。
2015年9月10日(木) 午前中に前学会長の会田さんと現学会長の正春さんが連れ立って寄って、土器の種子圧痕を見ていく。会田さんは4リッターのジープに乗ってきて、相変わらずライフスタイルにこだわりのある、かっこいい!先輩である。お二人とも若々しくて、ヨタヨタしている自分が情けない。午後は豊科の山下君と久々に会った。彼も相変わらず若々しい。
2015年9月9日(水) 昨日の午後から背中が痛くなって、今日は湿布を貼って終日寝ていた。先月も背中から腰が痛くなって休んでしまったが、やっぱどこか内臓が悪いのだろうか?
2015年9月5日(土) ムラの史談会で村内探訪ということで、近くの山城に登る。今回の村内探訪は珍しく平日ではなかったので、女房と二人で参加できた。途中の尾根筋に巨岩が露出した磐座があってビックリ!山頂の主郭は土塁に囲まれていて、その外周に横堀が取り巻く。ちょっと古いのかな?と言うより天正期の増改築を経ていないのか?などとの感想を持った。地域の文化財を知る良い機会になった。
2015年9月5日(土)その2 早朝から山へ繰り出した。先週、薙鎌を見に行っていたので2週間ぶり。夏キノコのチチタケはまだ最後のが残っていたが、なんと主な狙いのアミタケには遅かった。ざ、残念!先週来なかった罰が当たった。でも、ハナイグチが出始めていて、それなりに採れた。今シーズンは残暑がなければ、いけるぞ。
2015年9月4日(金) 南部のY地区公民館で歴史学習会があって、午後、講師として出向く。聴講者は30人で、平日の昼間としてはまずまずの入りかな?考古学から見た地区の歴史が課題だったので、古文書成果を一切省いて、層位学や型式論、分布論などで話を組み立てた。そこそこの出来だったと思うけどど~だろうか。
2015年9月1日(火) 出勤管理システムの稼働のおかげで、月末の残業などの締めの手間が半減した。でも、8月分の残業は、昨日、休んで小谷へ行っていたので、今日中に決裁しなければならない。これって月末、月初めは休めないってこと?
2015年8月31日(月) 小谷村戸土の薙鎌神事を拝観してきた。昨日は小谷温泉に行く途中の大宮諏訪神社で薙鎌を打つというので、逆方向の道から神社に回り込んでいこうとしたら、おおぜいの人垣に囲まれてしまい断念。そのまま糸魚川の根知に泊まって、今日の10時からの境の宮の神事を見た。山中のこととて、小雨が降って霧が巻き、荘厳な雰囲気。諏訪大社下社の氏子さん達や一般見学者など、あの狭い境内に2・300人はつめかけていたか。御柱と同じで、まるで人を見に行ったようだった。一帯には諏訪大明神の御神威が満ち満ちて、6年に一度の国境が定まった。
2015年8月22日(土) お盆明けから冷えて、そこそこ降ったので、これは、と思って山へ繰り出した。女房と、太郎と帰省中の三郎と私の4人。私はまだちょっと腰が張っていたけどね。あるある!夏キノコのチチタケがけっこう採れた。夏の山の方が様々なキノコが出ていて賑やかだ。チチタケは名前のとおり白い乳が出る。ぼそぼそした食感で、調理法によっては美味しいんだけど、包丁で石づきを落としたり半裁すると、それこそ滴るように乳が出る。この乳が難物で、指などに付着していったん乾くと、水では溶けない皮膜状になる。ある種の塗料とか木工用ボンドとか、漆などと似た性質を持っている。今回はそれを痛感。次からは流水中で作業してみよう。
2015年8月21日(金) 我が社でも、社員の出勤管理がやっと機械化された。民間会社出身の女房などからは、もう30年も前から手書きの出勤簿、年休簿、残業処理などを遅れていると馬鹿にされてきたが、ほんとに「やっと!」である。今月からそのシステムが稼働して、給料明細もシステムから自分で打ち出してプリントする。給料自体は10年以上前から振り込みになっているので、給料日に課ごとにまとめて現金が配られて、それを大きな机の上で庶務担当が個人ごとに分配して封筒に詰める、なんて30年前の給料日の光景からは隔世の感がする。
2015年8月19日(水) きのうとおとといの二日間、腰が痛くて寝ていて、今日から出勤したが、まだちょと動作がぎこちない。何か、毎月、腰が痛いとか下痢したとか、痛風とか、めまいとかで休んでいる。勤め先によっては、とっくにくびになっているなあ。どーしたって、若い頃、無理をし過ぎたのが出ているような気がするんだけど。でも、そんなこと、若い時にはわからないし…。
2015年8月19日(水)その2 お盆を過ぎたら急に、本当に急に涼しくなった。朝夕は寒いくらい。真夏の猛暑の時期は、正味7月10日頃からお盆までの1か月とちょっとだけだった訳だ。でも、その短い夏が厳しい。
2015年8月17日(月) さあ、お盆も終わって、仕事を頑張るぞ!と思っていたら朝から背中が痛い。去年の人間ドックで指摘された動脈瘤が原因なのでは、と青くなったがやがて腰が張り始めて、どうやらぎっくり腰が再発したようだ。休んで寝ている。
2015年8月15日(土) お盆であり、終戦(敗戦)の日であり、ムラでは成人式や夏祭りもある、盛りだくさんの日だ。特に今年は戦後70年ということで、テレビや新聞などには先の大戦の話題がこれでもかというくらいに林立し、正直なところちょっと食傷気味。本当に戦争の悲惨と悔悟を語りたいのか、「とにかく今はこれをやっとかなくちゃあ」という画一的な義務感とシナリオ、横並び感覚の所産なのか?若い世代には逆効果では、と不安になる。強固な安倍政権の下「集団的自衛権」の行使につながる安保関連法案群が国会審議中でもあり、私としてもいろいろと考えることの多い日ではあった。普段、私がばかにしている、経験してみないとわからない、歴史に学ばない人間、その一人に自分も入ってしまうことを痛感し、歴史歴史と騒ぐ割には憲法もポツダム宣言も熟知せず、そんな自らに対する無力感を痛感している日でもあった。追悼式典で見られた陛下のご心労具合は、はたで心配している以上のものを感じてしまった。
2015年8月14日(金) 昨日からお盆に入ったが、私は役目がら、カレンダー通りに出勤。現場はお盆休みなので、担当者はしっかり休んでもらった。
2015年8月12日(水) 福島原発の事故以来、次々と停止していた全国の原発の中で、初めての再稼働があった。それなりの準備期間はあったのだろうが、ニュースなどで聞いている限り、あっという間に再稼働して、あっという間に臨界に達し、あっという間に営業運転に入れるのらしい。停めるのにあんなに苦労しているのに比べて、ものすごく対照的な感じがしてならない。技術的にそもそもそういうものなのか、それともこれまでは稼働、操業の研究や技術ばかりが進歩して、停止、廃炉の研究が遅れたせいなのか?確かに、原発は推進するにせよ、全廃するにせよ、普段(不断)の研究は必要だと思った。ロスト・テクノロジーになっては、それこそ大変。こういう御時勢である。そのうち欧米あたりでは、原発の停止、廃止、廃炉に特化したビジネスが現れてくるのではないか。
2015年8月12日(水)その2 お盆休みということで次郎が帰省してきた。これで兄弟全員揃った訳で、しばらくの間は賑やかだぞ。
2015年8月10日(月) 朝の散歩をしていると、自宅の周囲の田んぼでは稲の出穂が始まっているのに気付く。早い田では8月のはじめ位に穂が出始めて、ここ数日で、ほぼ全部の田んぼが出揃った。出穂するとまもなく、白い粉というか粒のようなものが穂にまとわりつくが、これが開花。開花期間は短く、あっという間に受精し実りに向う。この光景を毎年見ているんだけど、この短い開花期間に突発的な大雨とか台風とかがあったら、その年の稲作は全滅じゃん、とか心配になる。向かいの田んぼには毎年防雀テープがきらめく。
2015年8月8日(土) 糸魚川の根知というところに女房と二人で行ってきた。根知の谷を登ったどんづまりに戸土という廃村があって、何故かその辺だけは長野県の小谷村に属していて、境の宮という山中のお宮で諏訪の御柱に合せて薙鎌の神事が行われる。神事は8月31日なのだが、下見ということで出かけた。いや、ほんと、もうすっかり新潟県分でお宮からは糸魚川の海が遠望できた。薙鎌とか内鎌とかの諏訪信仰に関わる行事は、昔から聞きかじってはいたが、県境、と言うより国堺(くにざかい)の現場を実見できたのは感動であった。
2015年8月5日(水) 今度は三郎が埼玉の大学から帰省。こちらは学生なので、少し長く滞在できるか。相変わらず友人関係が闊達な奴で、街の駅まで友達に迎えに来てもらってクルマで夜半に帰着。まあ、いいことか。いろいろと学生生活に悩みもあるようだが、いったん、社会に出てしまうと悩むという権利さえ失ってしまうことも多い。それも、まあ、いいことか。
2015年8月3日(月) 毎年恒例の考古研夏の会が昨日から一泊であって参加。今年はヒデが当番で、タケさん、ワラ君、ガミさんと私が集まった。野郎ばかり5人。最近は奥さんや子供さんの参加がめっきり減って、ちょっと寂しいが、子供たちは、もう自分の人生を歩いていて、オヤジの飲み会になんてついてこないの仕方ないね。会場は伊那の西山の大芝高原と言うところ。この3月で早期退職しちゃったメンバーもいて、みんな、人生の岐路に差し掛かっているなあ。
2015年8月2日(日) 伊那で夕方から泊まりで飲み会なので、その前に伊那文化会館に寄って県内発掘の速報展を見ようと思って、午前中、休出していた職場からお昼に出発したら、なんとオール下道で1時間かからず伊那県文に着いてしまった。太くて便利な道がいくつも開通していて羨ましい。肝心の展示は、更埴の県歴の時とほとんど変わっていなくて、期待していた地元の展示もなくてガッカリ。ちょうど中南信の高校の吹奏楽の大会をやっていて、なんかバーテンダーのようなスリムなベストやパンツ姿の高校生でわんわん。暑かった。
2015年8月2日(日)その2 私は留守だったが、次郎は夏休みを終えて神奈川に帰った。まあ、大きな企業だから、しっかり夏休みがあるのは幸せだろう。
2015年7月30日(木) 今週は神奈川県で就職している次郎が夏休みだといって帰省してきている。標高600mの松本盆地(我が家は700m)でも、さすがに昼間は猛暑が続いて大変だが、そのまま寝ていると、夜半を過ぎると急に気温が下がるので、次郎は寒いといって毛布を被っている。かつて私も長野で暮らしていた頃、夏休みに帰省すると、明け方の冷え込みで風邪をひいてしまった。日射は厳しいが、この高原のような気候はうれしい(そのぶん、冬は寒いと言うことだが…)。
2015年7月26日(日) 午前中は休出。午後は考古博物館主催の考古ゼミで同僚が講師をするので聞きに行ったら、館長の隣に座らされてしまった。帰途は桐原先生をご自宅までお送り。今日も暑い一日であった。
2015年7月26日(日)その2 女房は親戚の新築祝いに出かけ、たらふく飲んでご機嫌で夕方に帰還。ま~ず、しっかり昼酒を飲んできやがって、なんて羨ましいことだ。夕方、次郎が帰省して、さっそく母の酔態にきびしいつっこみ。
2015年7月25日(土) あ、暑い!何もせずに家でゴロゴロ。大相撲名古屋場所は14日目で、木曽出身の御嶽海は十両優勝を決めた。初十両で初優勝だから大したもんなんだけど、ここ三番ほど注文相撲で、どちらかというとみっともない勝ち方だったのが残念。まあ、常幸龍に張りまくられて、口の中を15針も縫ったと言うことなので、頭から当たるのは無理だったのは承知だけれど、怪我が治ったら正面から突き押しで進むスタイルをぜひ貫いて欲しい。
2015年7月24日(金) 今月の7日に登った山城に再登山。警告看板の付け直しと、その後の現地状況を見る。掲示以降の破壊はない模様だった。
2015年7月24日(金)その2 私の給料の扶養手当の関係で三郎の所得証明が必要になったが、住民票を移してあるので居住地の市役所で発行してもらわないといけない。で、それがやっと届いた。学生でバイトの収入もないのでどーせ0円なんだけど、やっぱ、こういう手続きは厳密にやらないといけないのね。
2015年7月23日(木) 修理に出していたクルマが直って帰ってきた。マフラー丸ごと交換で、やっぱりもう中古部品がなくて、でも新品の部品は最後の在庫があったとかで、修理代は63,000円あまり。かなり痛いが、クルマがなければ仕事にも行かれないので止む無し。この調子だと、これからも徐々にあちこち壊れて、その都度、部品があったりなかったりで不便な思いとハラハラを繰り返すのであろうから、年末あたりを目途にクルマの買い替えを本気で検討。
2015年7月22日(水) 南部地区にある金融機関の支店で、社員さん達に地区の原始・古代の話をしてほしいと頼まれ、夕方から出張公演。まったくジャンル違いのお仕事の皆さんではあったが、やっぱ優秀な人たちだ。私の話の肝がすぐにわかって、かなり的を射た質問が次々と出た。こう言う異業種の人達とか、児童や生徒が惹きつけられるような話ができないと駄目だ。もっと勉強しなくては。
2015年7月20日(月) 「海の日」で休み。昨日、修理に出したクルマの代車、最近、各メーカーがイチオシしている、ワンボックス型に近い車高なのだけど運転席などはセダンみたいに低い、軽の最新型を貸してもらった。ところが、頭上の空間が異常に広い!(あたりまえか?)で、普通は視野に入って来ない外光とか情報が全部目に飛び込んできて、しかもバイザーは位置が遠くて空間が広い割には小さい。こりゃあ、慣れるにはちょっと時間がかかるな。代車だし、最低限の使用に留めようと、外出は慎んだ。先日、職場の同僚が他メーカーの同じようなクルマを借りて、とても違和感があると漏らしていた意味が理解できた。
2015年7月19日(日) 昨日から三連休なのだが、昨日の夕方、女房と遠出をしたら、突然、自家用車の排気音がバリバリとまるで暴走族のようにとどろきだしてびっくり。慌てて安全なところにクルマを止めて確かめたが、水温計や計器類は異常を示していないしエンジンルームは何ともない。おそらくマフラーのどこかが外れたか壊れたのであろう。爆音をたてて、とても恥ずかしい思いをしながら何とか帰宅。で、修理の予約をしておいて、今朝、恥ずかしいので少し早い時間にクルマ屋さんに届けた。やはりマフラーが折れていて交換が必要。数日はかかるので代車で帰宅。修理費は65,000円くらいかかってしまうが、とにかくお願いした。平成17年11月に買ったクルマなので、もう11年目に入っていて、モデルチェンジ後10年が過ぎ、部品の生産、在庫はないので中古車からパーツを調達するとのこと。来年の車検を目途に買い替えようかと資金計画を考えていたが、このぶんだと年内を予定した方がいいのかな?
2015年7月17日(金) 昨日と今日、新潟の上越で史跡がらみの総会があって一泊で出張。昨日は会場のホテルにほぼカンヅメだったが、今日は上杉謙信の居城である春日山城や整備された史跡を見学。山城の見学道は急な部分はすべて丸太の階段で整備されていたが、私のようなジジイは降りはかえって膝が痛くて、自分のペースで思うように降りられない。新たな発見というか、自嘲を込めた驚きであった。もう一点、ここの自治体は、調査でも史跡整備でもこのところ目覚ましい成果を上げていて、やはりそういうところには、政策や財源に意欲的な目配りができるキーマンが居る!ということを痛感。
2015年7月15日(水) ウチの係のメンバーでご家族が亡くなって午後2時からお葬儀。参列してくる。現職でも退職後もいろいろな役を務められた方であったが、やはり80代の後半ということで、そんなに大きな葬儀ではなかった。梅雨末期とは言え、屋外はカンカン照りで、礼服は厳しいね。
2015年7月12日(日) 仕事が山場にさしかかっているので終日出勤。上司も部下もいないし電話もかかってこないので、死ぬほど集中してできた。でも、こんなこと続けていたら、ほんとに死んじゃうかもね。東大の設楽先生が院生4名を連れて調査に来たのでご挨拶。私が学生だった頃に院生だったので、少し私より年上だと思うのだが、相変わらずお若くて美男子。今後もご指導をお願いいたします。
2015年7月12日(日)その2 松本の市街地で大道芸のイベントがあって、女房は終日、出かけてしまった。本当にこういうお祭り騒ぎが好きな人だ。で、夜7時ごろ帰宅したが、今日は真夏日の暑さで、さすがに疲れたとのびていた。松本の大道芸は隔年で開催され、様々な芸人が集まって、路上や屋外でパフォーマンスをしている。女房に言わせると、その道のプロ、本物もいるけど、まだまだ未熟で「芸」とはおよそ呼べないものもあって、まあ、その当たりはずれや意外性、ハプニングが面白いのだそうだ。そういう点で最近は、スケジュールや進行がきっちり管理されて、アクシデントはあるがハプニングが少なくなって、少し面白くない、とも。今回は、江戸の人形使いが秀逸だったそうだ。
2015年7月11日(土) ワラビ目当てで山へ繰り出した。かなり高い所まで行ったけど、ちょっと遅かったような感じ。それに、夏ワラビが出るにはまだ早かった。残雪の穂高連峰の写真が撮れた。下山して太郎は高校の文化祭を見に街へ出掛けた。
2015年7月10日(金) これまで梅雨でぐずついた天気が続いていたが、急に晴れたら猛暑が襲ってきた。現場の皆さん、熱中症にはくれぐれも注意。夏の暑気(あつけ)に中ることを、私が子供の頃は「熱中症」とは言わず「日射病」と言った。いつごろから変わったのだろう?「屋内に居ても危険だ」という認識に基づく変更なのだろうけど。でも、やっぱり屋外で活動している高校生とかが倒れて搬送される例が多い。「屋外はもっと危険だ」と強調しよう。
2015年7月7日(火) 県史跡の山城が荒れて、登山道の九十九折などが崩れてしまっている。原因は一般の見学者ではなくて、史跡、山城とは知らないバイクや山スキーなどの愛好者によるものらしい。警告看板を付けるので手伝ってほしいと頼まれて、久々に登山。このところ体重が減っているので、昔よりは楽に登れた。プレスが4社も来ていてビックリ。1時間もあれば終わる作業がちょっと長引いた。山城の保護と重要性を広報してもらうのはとても有難いのですけれどね。
2015年7月4日(土) 女房と太郎と3人で久々に山へ繰り出したが、山へ着いたとたんに雨がザンザン降ってきた。車中で朝飯を食べて小止みを待ったがダメ。夏でも山は濡れて体温が低下したりすると危険なので、あきらめて引き返した。残念。
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