2015年(上半期)の3行日誌

2015年6月28日(日) 地区の公民館の行事でバスハイクに参加。群馬県の富岡製糸場を見学。世界遺産に指定されて以来、観光客がすごいようで、今日も建物内外には多くの団体や個人客がいた。製糸場自体は見事だ。よく、こんな建物を保存して、後世に残してくれたと、ちょっと感動。でも、その他の感慨も多いバスハイクでした。

2015年6月27日(土)
女房は、午前中は村教委の石仏巡り講座、午後は建築探偵藤森照信と古民家再生の降幡廣宣の講演会に行ってしまった。やれ、忙しい人だなあ。私は今月の中旬に体調を崩して以来、久々に午後、休出。

2015年6月22日(月)
今日は夏至。なんか、22日が夏至なのは珍しいんだそうだが、今の私には、古代人のように夏至や冬至がさほど重要なわけではない。でも、これから徐々に日が短くなると思うと、ちょっと気が滅入る。

2015年6月14日(日)
やっと体調不良が治ったら、今度は右側の咽喉とその裏側の後頭部が痛い。後頭部の痛みはずきずきと連続的に痛いのではなくて、間欠的にズキン!と激痛が走る。加えて右半分の頭頂部全体の皮膚がひりひりする。あれっ?こんな症状、過去にもあったな。と、日記を読み返してみると、去年の12月26日の内容とそっくり!!その時の薬が残っていたので飲んだら、ウソのように治まった。

2015年6月12日(金)
今回の体調不良はひどくて、結局、、今日まで5日間寝込んだ。4・5月にたくさん休日出勤をした振替休みが消化できたんだけど、職場の皆さんには迷惑をかけてしまった。頻繁に頭痛と不快なめまいが押し寄せ、一方、腹は連続して痛くて、下痢と軽い便秘を繰り返した。いい気になって4・5月に仕事で無理をしたり、遊んで歩いたツケか?それともどこか根本的に悪いのかなあ?

2015年6月8日(月)
朝、出勤して、さあ今週も頑張って仕事を仕上げなきゃ、と思っていたら、9時頃から急に猛烈な不快感に襲われて、頭痛と下腹の痛み。堪らず早退して終日寝ている。腸が異常に顫動して、ひっきりなしに腹痛が続いた。

2015年6月6日(土)
千曲市の県歴で一昨年度に私も関わった土器が展示されているので、見に行く。みすず細工の製品も見たいと言う女房と太郎も連れて行った。昼には帰宅。でも高速を走るのは疲れる。

2015年6月4日(木)
国の調査官が視察に来られて、夕方の懇親会に私も参加。関係者も集まって、けっこう良い話を聴くことができた。ほどほどに飲んだけど、やっぱ疲れた。もう、仕事や付き合い以外は街に飲みに行くのはやめたいなあ。

2015年5月29日(金)
職場の館の親睦会の歓送迎会。久々に街にバスで出た。会場は鶏肉がメインの店で、若い衆には良かった。私は万年親睦会長なので、最初に短い挨拶をしただけで、あとは飲んでいた。鶏肉がメインの鍋とかでっかい焼き鳥とか、全然食べられなくて、ただ杯を重ねた。最近、食欲とか空腹とかの感覚を失って久しいような気がする。豪華な料理は、目は喜んで食べたがるのだが、口や胃からは欲する信号が出ない。食べずに飲んでる最悪の酒飲みに堕している。で、しこたま酔ってタクシーで帰宅。

2015年5月24日(日)
昨日と今日、女房は信大理学部の講座で、一泊で白馬や糸魚川に出かけてしまい、私と太郎は留守番。私は昨日はゆっくり休めたが、今日は半日休出。女房は、夜、ご機嫌で帰宅したが、去年11月の地震でできた断層、被害はひどかったが、新鮮な断層が明らかになっていること自体は地質学上では国指定の重要文化財級の貴重さなのだそうだ。しかし、地質学者さんたちの望んだとおりの保存とかは無理なようで、まあ民有地だからね。でもそれって遺跡と同じじゃん。そんな話で夕食時は盛り上がった。

2015年5月22日(金)
昨日の夕方、かかりつけのお医者さんに行って、採血をしてもらったら、その痕が内出血して、右手の肘の内側が大きくうす緑になっている。私は平均的な男子より血管が細いようで、人間ドックで採血を繰り返す際など必ず看護師さん達を困惑させてしまう。入院などして、点滴を継続するようになったらどうするんだろう?

2015年5月21日(木)
ムラの小型家電の回収はこれまで期間限定でやっていたのだけれど、今年度から場所を決めて常時やるようになった。ついでがあったので、壊れたCDラジカセとパソコンのキーボード、マウス、ケーブル類を出した。
2015年5月21日(木)その2 片付けをしていたら、結婚記念に貰った10枚組のクラシックのCDが出てきたのでリッピングしてみた。30年近く前のものなので、もう再生ができないかと心配したが、まったく問題がなかった。職場で仕事のデータを保存してあったCD-RやCD-RWは10年くらいで読み取れないものが出始めているのだが、やはり製品としてのCDは違うなあ。

2015年5月19日(火)
午後、地域文化財連絡協議会という組織の総会があって、後半で、最近の遺跡発掘について講演をさせてもらった。昨日、予定外の休みを取ってしまったので少し慌てたが、午前中になんとか準備を終わらせることができた。講演はプロジェクターを使って、それなりにできたと思い、ちょっと安心。出席者は地域の文化財保護で活動されている皆さんなので、発掘成果からわかる郷土の歴史を一緒に考えていただくことは、とても大事なことだ。

2015年5月18日(月)
朝5時半ころ、いつものように家の周りのウォーキングに出たら、目が回って転びそうになってしまい、大慌てで帰って、終日寝ていた。以前、頭位性のめまいになったことがあったし、昨年は目のピントが合わずに脳神経外科でMRIも受けた。どうしたって、脳神経のどこかがおかしくなっているのではないかと、半分、あきらめの境地。なんとか定年退職までは身体が保ってもらいたい。

2015年5月17日(日)
先週、山は時期を逸していたので、少し高いところを狙って、懲りずに繰り出した。1600m位まで登ったら、今度は少し早すぎて、ワラビなど全然出ていなかった。それでもコシアブラがそこそこ採れた。最高地点から三角点まで足を延ばしたので、帰ったら11時半近くて、ちょっと無理をしてしまったかな。明日、疲れが出なければいいんだが。まあ、春だし、しかたないか。

2015年5月12日(火)
県立歴史館の速報展に土器を貸すので、西山さんと中野さんが職場に来て、遺物を梱包していった。3カ所を回る秋までの長丁場だ。

2015年5月11日(月)
母校の小学校で、6年生を対象に地域の遺跡や発掘の話をする。4クラス134人、2回に分けて計90分。チョットきつかったが、子供たちに、郷土の歴史や地域の誇りを持ってもらうことは、何にもまして大切なことだ。全然歴史のない地区だと思っていた子供たちは、意外な話にびっくりして、喜んでくれて、私もとてもうれしかった。

2015年5月10日(日)
そろそろ適時と思い、女房と太郎と3人で山へ繰り出したが、何と言うこと!タラノメもコゴミもみんな開いてしまって、すっかり採り頃を逸してしまった。平年より10日早いという噂どおり。ああ、ゴールデンウィークに無理しても繰り出せばよかった。

2015年5月7日(木)
昨日でゴールデンウィークも終わり。次郎は昨日、三郎は今日、職場と大学へ帰った。私は29日、3日、6日と三日も休出。それでも仕事は終えられなかった。せっかくの良い季節なのに、こんな生活、ホトホト嫌になる。

2015年5月1日(金)
職場の近くの小学校の遠足で、史跡の古墳を2箇所周るので、お昼を挟んで、午前午後とそれぞれ現地へ出向いて説明をした。3年生から6年生までの30人ほどの縦割り集団だったが、かえって小人数で詳しい話ができた。特に後半の霊園内の古墳群では、今まで知らなかったところに、こっそり横穴の開口部があって、子供たちは大喜びだった。子供の喜ぶ姿を見るのは、私もとてもうれしい。

2015年4月30日(木)
昨日からゴールデンウィークの連休が始まったが、今日明日は出。この4月に就職したばかりの次郎はさっそく帰省してきた。ちょっと心配していたのだが、元気そうで何より。

2015年4月26日(日)
天気が良いので、仕事にもいかず、女房と出掛けてしまった。松代の皆神山のてっぺんの神社を見てきた。神社とは思えないお寺のような建築で、仁王門もあったが、仁王はなくて神像だった。明治以前は修験の神仏習合だったんだね。皆神山はてっぺんが平らで、登りつめると別世界が広がる。神社の周辺にあった木々も古木が多く歴史の古さを物語っていた。けっこう早い時間だったが、少年を含むおおぜいの信徒さん達?が境内の掃除や除草にいそしんでいた。皆神山は学生時代に矢口さんに乗っけて行ってもらった以来で、35年ぶりくらいか。12時30分には帰宅。でも、いいのかな?この土日、全然仕事をしなかった。あとでツケがでるかも。

2015年4月25日(土)
まだ早いとは思ったが、早朝から西山へ繰り出す。やはり上の方は新芽の気配もなく、山菜はやっとフキノトウが顔を出したばかりであった。天気は良く、春まだ浅き山の空気を吸ってきたというところ。9時30分には帰宅。

2015年4月22日(水)
やっと寒気も去り、春らしい陽気になって、昨日は少しウキウキするような気分で出勤していたら、突然、ひどい下痢に襲われて往生した。たまらず、昼で帰宅して家で寝ていたが治らず、今日もじくじくと腹痛がして終日寝ていて、やっとよくなった。何だったのだろう。

2015年4月20日(月)
このところ皮膚病がひどい。例年、冬が終わって暖かくなってくると出てくるのだが、今期はとりわけひどくて、両手の手のひらや指の内側がぼろぼろに皮がむけている。全然痒みも痛みもはなくて、ただ皮膚が白く浮き上がって表面が剥け、それが周囲に拡がっていく症状。我が家の面々はみんなツラの皮が厚いので伝染ったためしはないが、職場では伝染すといけないので薄い手袋をしている。市販薬を塗ってみたけどあんまり効かない。こんなに酷いのは数年ぶりで、遠因はストレスだろう。皮膚科に行かなければ駄目かなあ。ちょっと気分転換をしなきゃ。

2015年4月19日(日)
いよいよ庭のコゴミが出始めて、早速、初物をいただいた。去年、よろこんで採り過ぎたかと心配していたが、大丈夫そうで安心。

2015年4月18日(土)
女房と太郎は自衛隊祭りに出かけて、さらに女房は午後は信大の理学部で講座。一方、私は休出。ひい。子供の頃、近所に住んでいたせいもあって自衛隊祭りにはよく出かけた。数年前まではかなりマイナー、というか大きな宣伝もせずに比較的地味にやっていて、訪れる客層も自衛官の家族、OB、関係者がほとんどという感じだったが、近年は各地の災害派遣で活躍しているせいか、新聞にも大きな広告を載せるようになった。女房も太郎も保守とかの思想的な裏付けは全然なくて、いわゆるミリオタ、兵器オタ。最近の自衛隊祭りは関係者ばかりではなく、かなり遠方からもミリオタ系が見に来ているようで、太郎の後ろで見ていた人は、富士の総火演の話をしていたそうだ。兵器は、ITや原発と同様、最新の科学と技術の結晶で、開発する人も使う人も防ぐ人も、あるいは破棄、除去する人も、そのテクノロジーに精通しておくべきか?などと思いまどうことしきり。とにかく、今日は天気が良くてよかった。

2015年4月17日(金)
勤め先の課の歓送迎会が夕方6時30分から街であって参加。4月でもあり、街に入る跨線橋のある県道で大きな工事をしている影響もあってか、バスが大幅に遅れ、遅刻寸前だった。私の役は転出入者の紹介だったので、酔っぱらう前に終わって良かった。本課の補佐が設定した二次会に行き、久しぶりにカラオケをやった。カラオケは好きではない、と言うより中年オヤジのはあんまり美しくないような気がして、ここ数年は一歩引いていたが、まあ、若い衆をつかまえて、偉そうにお説教をしながら「くだ」をまくよりは、ずっと「まし」だったかもしれない。帰宅したら2時。

2015年4月16日(木)
職場と同じ地区にある小学校で、5月1日の遠足のための事前学習会があり、子供たちの前で目的地の古墳について10分ほど話をする。昨日、急に決まった話でちょっと慌てたが、郷土の歴史や史跡、文化財について子供たちに話すことはとても大事だと思うし、むしろ今後はその方向の活動を増やすべきと考えている。だから、貴重な機会として喜んでお受けした。100年近い伝統のある小学校だが、やはり児童が減っている。文科省の指導とか行政の都合、コストの論理などで安易に統廃合を進めてよいものか?あるいはその進め方、手続き、地域と歴史への敬意や責任のとりかたなど、どうあるべきか?簡単にダメとかよしとか言えない立場にあって、もっと考えを巡らさなければいけないと痛感。

2015年4月9日(木)
国の平成27年度予算が参議院を通ってやっと成立した。これで交付決定があれば国の補助金事業などが執行可能となる。毎年と言う訳ではないが、けっこう頻繁に年度当初から補助金が執行できないことがよくあり、どうなんだろう、私のような文化財の仕事とは違って福祉とか医療とか人命に直結するような分野でも、かなり迷惑しているのではないか?そもそも今回は政局で年度内自然成立の期間を見込めないような予算案の提出だったし、他の問題がありそうな法律と違って、与党と野党も可決を速やかに行うような気がなかったみたいに見えた。確かに予算は国の政治、行政の基本だし、ここが崩れれば後はなし崩し、という野党の対応も分らないではないが、こればっかりは何とかならないか。むしろ「『決められない政治』の弊害は将にこれですよ!」という宣伝にこそ一役買ってしまっているのではないか。

2015年4月8日(水)
採用の面接があるので何とか出勤する。咳は治まらないが、かなり浅いところから出るようになった気がする。症状が改善したと言うことか?次男が無事?就職できたので、被扶養者の保険証などの返納の手続きを進める。

2015年4月6日(月)
土日を家でおとなしくしていて大分良くなったような気がしたので仕事に行ったのだが全然ダメ。半日で帰って寝ていた。

2015年4月3日(金)
一晩寝て起きたが全然症状が改善していない。欠勤して終日寝ていた。年度初めの忙しい時だと言うのに、なんということだ!ダメ社員を絵に描いたよう。

2015年4月2日(木)
咳がひどくなって、堪らずに2時間早引けをして医者へ行くと、マイコプラズマ肺炎ではないかと言われて、抗生物質とその他の薬をたくさん貰ってきた。すっかり深い所に入ってしまい、ゲホンゲホンとすごい音がして、身体を横にしていると気管支に絡んだ呼吸音がゼーハーゼーハーと響いて、まるでスターウォーズのダースベイダーみたい。そういえば大学3年生の時、これと同じ症状だったのをこじらせて1か月半、帰省して療養し、単位をみんな落として留年の原因になったのを思い出した。

2015年4月1日(水)
新年度始めの日。昇任の辞令交付の集合が本社に8時40分というので同僚二人と8時前に職場を出る。役付きの昇格昇任は200人近く居て、辞令交付が終わったのは9時40分。立ちっぱなしは小学校の時の全校朝会みたいで、鈍りきった身体には辛かった。11時30分には異動者を先まで送って行って、午後には新卒が着任。さらに課長が来て嘱託に辞令交付。例年のこととは言え、本当に忙しい一日だった。
2015年4月1日(水)その2
日曜日の午前頃から、風邪が気管支の方まで入ってしまったのか、なんか深い所からゲホンゲホンという咳が出る。咽喉や頭は痛くないし、熱とか悪寒とか鼻水とかはほとんどないので、市販の風邪薬を飲んで出勤しているが、2・3月は休出が続いて、疲れが溜まっているのかなあ?

2015年3月31日(火)
明日の辞令交付の用意とか、借りていた作業所の大家さんへの挨拶、明け渡しの立会など、せわしく年度末の一日は終わった。ウチの係からは2人が異動、1人が転職で去った。夕方、館で親睦会のセレモニーと恒例の記念撮影。皆に幸あれと願う。

2015年3月29日(日)
この土日は久々に休出をせずに家でゆっくりした。と言って、仕事が片付いた訳ではない。休出してやっておいた方が、確実に後で楽なのだが、なにかもう疲れてしまって、出かける気力もなかった。
2015年3月29日(日)その2
ムラと区から最後の配りものが来て、それを配って後任のノボルさんに伍長を引き継ぐ。一年間伍長を務めて、新年会や収穫祭、スポーツ大会の慰労会など、女房と二人でいくつも賄いに出た。新年度、我が家は久々に何も役がない。

2015年3月28日(土)
2月のワークステーション不調騒ぎでパソコンのパーツをあれこれ買い込んだのが余ってしまったので、いっそと思い新しい奴を一台組んでしまった。最新のCPUにメモリ16ギガでギンギンだじ!アドビのCSでも入れて新しい作業所で使うか?

2015年3月27日(金)
年度当初から担当していた建設事業がやっと竣工して、午後に引き渡しを受けた。公共事業で数千万円といえば小さい部類なのだろうけど、私の仕事人生の中では、おそらく最初で最後の仕事。途中、いろいろあった。来週から引っ越しをして、整理作業所として稼働する。

2015年3月26日(木)
ある官庁から受けていた仕事の竣工検査。と言っても、こちらは受けたくて受けているのではない。私たちしか受け手がいないからなのだが、そこのところの事情は相手方も分ってはいるけれど、形式としては仕事を受注した業者さんと同じ扱いになる。昔は役所間の信頼関係ということで、竣工検査なんてなかったのに、ここ10年くらい、ちょっと厳しい。まあ、官公庁が公金を支出するので当然と言えば当然だし、書類をそろえると言う点ではかえって整理がつく。しかし、どうしても釈然としない。委託料、委託契約ではなくて、負担金とか分担金とかにしたらどうなんだろう?

2015年3月22日(日)
午後1時30分からムラの史談会の講演会と総会があって出席。講演会は、豊科郷土博物館の百瀬館長に来ていただいたが、明科の北村と牧の離山を関連付けて話され、とても参考になった。百瀬さんへの依頼は個人的なツテで、私がしたもんだから、今度は安曇野市で何かしゃべれってお願いされたら断れないなあ。総会の後の飲み会は、このところ連日仕事が続いたので、珍しく我慢して帰宅した。

2015年3月21日(土)
四賀地区の遺跡の報告兼講演会があって、終日仕事。今年で5回目だもんで、けっこう認知度が高くて、100名以上の皆さんが来場された。講演会講師の水澤さんは現役で史跡整備に頑張っておられる方で、活用実践はとても面白い話だった。
2015年3月21日(土)その2
次郎が夜、帰ってきた。卒業を控え、就職も決まり、昨日と今日で引っ越し。その足で帰省した。明後日は大学の卒業式にここから出かけると言う。春はあわただしいね。就職先は首都圏で、私にとっては少し寂しさも感じてしまう。地元に帰るのは嫌だったのかな?私の中学、高校時代の友人も何人かは首都圏に進学して、そのまま帰ってこなかった。自分の人生とも織りなして、今はただ感慨が残る。

2015年3月20日(金)
我が社の新年度の人事異動の内示があって、昇格をしてしまった。今よりさらに雑務の時間が増えると思うと、もう残りの仕事人生、長くないので、嬉しさも中くらいなり、ってところが本音かな。それにウチの係はけっこう動きがあって、早急に対応策を検討しなければならない。本当に「春は別れと出会い」のシーズンだね、トホホ。

2015年3月18日(水)
組織の人事評価が新年度から拡大されるので、その研修があって午後いっぱいかかる。各個人の仕事をきちんと把握するということでは、それなりの意味があることなんだろうけど。最近、とみにPDCAサイクルとか社内で言われるようになったが、何かお題目としてはもっともなことで、仕事だけじゃない、日々の営みでもそうあるべきだとは思う。ただ、ちょっと気になるのは、サイクルの各ポイントでの書類作りや評価などの、いわゆる本務ではない、むしろ雑務とも言えるような業務が伴うことだ。たとえば今まで、「D」に10割の時間を使ってきたとして、サイクルをしっかりやると「P」「C」「A」の報告にもそれぞれ1割の時間が必要になる。ということは「D」を7割に減らさなければならないのだが、実際には本務が減る訳はないのだから、結局、以前より3割は業務時間が増える。じゃあ、その3割増をカバーするために3人に1人の割で人員増があるかといえばそんなことは絶対ない。私はPDCAサイクルがいけないと言っている訳ではなくて、その運用の仕方、あるいは審査や評価の仕方が、業種や職種によって柔軟にやらないと、かえって非効率、労働時間の増加を招くだけになるのでは、と心配しているのだ。じゃあ、どうやって柔軟にやれるかプランを作れって?そんなことしている時間に本務をやらなきゃあ!

2015年3月16日(月)
ずっと引きずっていた原稿をやっと入稿できた。ふう。あと、もう1本だ。

2015年3月15日(日) 塩尻の平出博物館で古代と幕末の窯の特別展をやっているので女房と太郎と3人で観覧。偶然にも豊川市の前田君が来ていてお会いすることができた。彼は信大考古研の後輩で、私と入れ替わりだったが、塩尻市の発掘に出入りしていて顔見知りである。会ったのは30年ぶりくらいか?館長の小林さんがこの3月いっぱいで退任なので奥様と二人で会いに来たと言うことだ。懐かしい。それなりの歳のはずだが、昔と同じように若々しくてはつらつとしていたが、後で小林さんから聞いた話だと3年ほど前に大病をしたそうである。お互いに気を付けねば。それにしてもご同伴の奥様がとても若く見えたのは、ウチの女房が婆くさいせいかなあ?

2015年3月14日(土)
土曜だけれど午前中は休出。要は平日は庶務や雑務、若い衆への指示や相談などで明け暮れて、自分の担当の報告書の原稿や図版が作れない。残業してやっつければいいのだけど、若い頃みたいに夜に無理をするとすぐ体調が悪くなる。で結局、休出となるのだが、昨今は振替休みと言って休出手当ではなくて、替わりの休みがもらえる。お金より休みの方がありがたい。と言っても、その振替休みがなかなか取れなくて困っている。まあ、中小企業に勤めている人から見れば贅沢!の一語で切り捨てられてしまうんだろうけど、だから恵まれている、と感謝すれば、では頑張らねば、と思ってしまう。この精神的な泥沼状態からいつになったら抜け出せるのかな?
2015年3月14日(土)その2
仕事の帰りに母のところに寄る。暮れに行ったきりだったので2か月半ぶりか。なんという親不孝なムスコなのだろう。早朝、尻餅をついてしまい、心配だと言う連絡が施設からあって、慌てて寄ったのだが、思っていたよりひどくなさそうで、元気だったので安心はした。そうは言っても、この2月で92歳になったのだから、安心ばかりはしていられない。「孝行したい時に親はなし。」とよく言うが、じゃあ今の私に何が出来るのだろうか?
2015年3月14日(土)その3 地元のサッカーチームが国内トップリーグに昇格して初めてのホーム試合があった。ナイターだったので、その時間帯は道路が混雑するだろうと思い、スタジアム周辺には近寄らなかった。試合の結果は1対2で、まあ惜敗というところ。

2015年3月12日(木)
篠ノ井で会議。県内のいろんなメンバーと会えるのはとても刺激になるのだけれど、ああ、半日がもったいない。

2015年3月10日(火)
昨日の夕方から偏頭痛がひどい。今朝になっても治らないので、思わず仕事を休んでしまって終日寝ていた。疲れかなあ?まあ、振替休みも溜まっているし、いいか。

2015年3月8日(日) 史談会の会報の編集後記とその他の作業。それに締め切りを過ぎちゃっている原稿校正。家に居ても職場でも何か追い回されるようにあたふた。

2015年3月7日(土)
今日も休出。ちょっとした運搬作業もあったのだけど、石油ストーブをバンで運んでいたら、転倒させたわけではないのに灯油が漏れた。3台すべてで漏れていたので、普通の家庭用の石油ストーブって、燃料がたくさん入っている時は振動させて運んじゃあいけないんだ!車内にこぼれた灯油の始末で一日が終わってしまった。なんという時間のロス。

2015年3月5日(木)
2月定例会の委員会があって出席。去年の同会は大荒れだったけど、今年は無難に終了した。

2015年3月3日(火)
一般質問でウチの業務に関わるものがあったので、議会の脇の控室に詰めて、スピーカーから流れる議場でのやりとりを聞いていた。少し早く着いたら、まだ先の質問をやっていて、それに関連する部局のメンバーがやはり控えていた。課長やいかにも出世しそうな補佐、係長ばかりで、私だけがまったく場違いな雰囲気。

2015年3月1日(日)
朝、歩きの帰りに、庭でクロッカスのつぼみを見つけた。周囲の草木に押されてとぼっちゃったかなと心配していたから、良かった。やあ、今年もまた会えたね!長い山国の冬も、もうじきに終わりだ。

2015年2月28日(土)
午前中、休出。今週は議会対応で忙殺されて、報告書の図版1枚どころか原稿の1行も書けなかったから、やっとできたクリエイティブな時間。午後は飛んで帰って1時30分からムラ教委が主催の講演会で小松芳郎先生の話を聴く。近代のムラの産業、特に養蚕を巡っての内容だったが、やっぱ上手だ。話の勘所、盛り上げる箇所をちゃんと押さえているし、とにかく興味をそそられる。面白い。特にすごいと思ったのは、時間通りにピタッと終わったことで、話の省略や駆け足なしでここまでできるのは、さすが。
2015年2月28日(土)その2
女房は松本の美術館で建築探偵の藤森照信氏の講演を聞きに行った。一度は定員満杯でキャンセル待ちに回されてしょげていたが、どうやら希望者が多くて会場を増席したらしくて、お声がかかったので、嬉々としてマチへ出かけてしまった。話の内容は定番だったということだが、茅野市の時と同じで、やはりこいいファンが遠方からも来てるようだ。こういう隠れた?ビッグネームが来てくれることはスゴイね。

2015年2月26日(木)
今日は答弁要旨の委員長説明。ご指摘はなかなか鋭く、とてもありがたいのではあるが、要するにまた手直し。昨日の修正と矛盾するような点も所々にあって、まあきちんと説明できないこちらが悪いのではあるが、何か今一つ非効率なシステムというかプロセスと思ってしまう。午前中いっぱいかかって終わった。

2015年2月25日(水)
議会質問の答弁について部長、教育長に説明。指摘を受けては手直しをするので、午後いっぱいかかり、本課の補佐と夜9時までかかって仕上げる。

2015年2月23日(月)
2月定例会で質問が出ると言うので内容の聞き取りに行く。質問の趣旨も内容も、ウチの業務の広報にもつながるとてもいいものなんだけど、なんでこの時期なんだよ!と思わず天を仰ぐ。

2015年2月21日(土)
休日だけれど休出。2月中に原稿を入れなければいけない件を必死でやる。だめだ。とにかく平日は雑務が溜まって自分の仕事ができない。若い頃のように深夜までの残業も体力が続かない。
2015年2月21日(土)その2
夜7時から常会があって議題は役員の切り替え。毎年、ああ、年度末も近いな、と思う行事である。次期の常会長、会計は順番で決まっているし、農家組合班長とか水稲委員とかは農家しか関係ないし、共有山も関係ないし、お寺とか蚕玉様とかお薬師とかは檀家や講じゃないからやっぱり関係ないし、で、私のできる役は公民館分館の社会部、体育部、それに安協と育成会ぐらい。しかも、結局どれにもならなかった。新年度は常会は無役となったが、転入して23年。思い返すと、常会長2回、安協2回、祭典委員も2回、夫婦で社会部と体育部、しかも5年に1回伍長が来るから、役をやっていなかった年の方が少ない。この間に、小中高のPTAでも支部長、本部の部長、会長をやった。まあ、役は嫌いじゃない、というより、それぞれがそれなりに発見や驚きがあっておもしろかったけどね。

2015年2月20日(金)
昨日、今日と新年度予算の議会説明があって、スーツで出勤。後ろの席に詰めていた。役職上、不可欠の職務なのだけど、本社への行き返りも含めての拘束時間、ああもったいない、挿図が何枚作れたかな?とつい思ってしまう。

2015年2月15日(日)
次郎の就職が決まり、新居で洗濯機が必要というので、自宅で余っていたのを届けて、ついでに次郎も乗っけてくる。朝から太郎と高速を走った。帰途、豊科の郷土博に回り、百瀬館長に史談会の講演を依頼。帰宅して慌ててその資料を整えて、夕方、史談会の三役会に顔を出す。なんか、あわただしくていけないねえ。2月の初旬が締め切りの原稿校正も1件あるのだけど、いつ仕上げられるのだろう。

2015年2月14日(土)
今日も休出。この時期は報告書の原稿の入稿時期なのに、各種の委託の竣工、受託発掘の経費の帳尻合わせ、新年度の人事などあって、おまけに定期的に雪が降って、もう手も足も出ない。おまけに2月定例会への対応まで必要になってしまい、青息吐息とはこのことか。

2015年2月11日(水)
祝日だが終日、休出。なんでこんなに仕事が溜まるのでしょうかね?
2015年2月11日(水)その2
夕方、帰宅すると頼んだパーツが届いていて、さっそく太郎と三郎が組み込んだけれど、やっぱり新たな不具合発生で、三郎は疲労困憊になってコタツでグウグウ寝ていた。太郎が2Fにあった私のメイン機まで横付けして、さらに追究。とうとう原因を特定した。10年以上前に購入した筐体の電源スイッチ周りが劣化、勝手に落ちたりリセットする状況が連続的に起こっていた。よーするにケースが壊れていたということ。その1:患部を分解して修理。その2:外付のスイッチユニットを導入して対応。その3:筐体自体の更新。以上、三つの解決のための選択肢を検討して、結局その3とした。2.5インチドライブやSSDの受け皿もこの際、欲しいという思惑での決断だった。壊れた筐体、今は亡き星野のアルミのミドルタワーだったんだけどね。トホホ。でも、ゆくゆくなんとか手を入れて、サブ機で復活させたいなあ。
2015年2月11日(水)その3
松本市の美術館で2/28に建築探偵の藤森照信の講演会があって、昨日から聴講の受け付け開始。大ファンの女房は今日電話したら、もう満員で締切、キャンセル待ちとのこと。とても悔しがっている。田舎の松本あたりで、定員100名なので大丈夫だろうと油断したのがいけなかったのか。昨日の今日だから「油断」と言ってしまうものかわいそうな気がする。でも、すごい人気だね。固定ファンも多いのだろうね。

2015年2月9日(月)
朝から本社へ行って建設費の変更について土木の技師と財務担当と打ち合わせ。ウ~ン、こんな仕事、おそらく人生の中で最初で最後かもしれない。なんというか、交渉の勘所(かんどころ)とか、タイミングとかがやる事なす事すべて初体験で、ちっともわからない。まあ、そんな感想も贅沢のうちでしょうね。お世話になった技師と財務担当は若手、中堅の優秀なメンバーで、こういう仕事ぶりを見ると我が社の将来は大丈夫と安心。くたびれたジジイはただただ感謝するだけです。

2015年2月8日(日)
先月の下旬から我が家のワークステーション機が不調で、あれこれ試みて、原因と思われるマザボとCPUを交換するためのパーツが昨日届いた。私は留守だったが、太郎と三郎がさっそく組み込んでみたのにうまく動作しない。今日、二人と一緒に私も診たが、私が診たところで症状が変わる訳でもなく、不具合の原因をさんざん皆で考えた。いくつか要因を絞り込んで、解決策としてさらにパーツをひとつ手配した。さて、これでうまくいけばいいんだが。最近、老眼が進んで、大好きな自作が難儀になってきた。非常に面白くない!

2015年2月7日(土)
職場の年間最大イベントの報告会を開催。街の会場に午前10時30分集合なのだが適当なバスがなくて、自宅を8時に出る。本番は午後1時からで、私は冒頭の概要説明を担当。10分間でスライド9枚はちょっとキツかった。入りは大好評で133人が参加。同時開催の速報展も今日からオープン。夕方、そのまま新年会になだれ込んで、二次会まで回ってダウン。このところ1月から4週連続で週末に飲み会があって、もう家飲みではたくさん飲めないのに、宴会になると、つい、いい気になって飲みすぎてしまう。しばらく飲み会はパスだ。

2015年2月3日(火)
今日は節分。三郎は一昨日から友達と遊びに行っちゃって結局夕方までには帰らず、太郎と二人で豆をまく。折から寒気の極で、猛烈に冷え込んでいて、でも、あちこちの部屋の窓を開け放って豆をまいた。数年前、女房が古物屋で見つけてきた、当地ではわりと珍しい私の苗字の焼印が押されたスリコギの年一回の登場の日でもある。

2015年1月30日(金)
夕方6時からムラの史談会の役員会があって出席。7時まで議事をやって、そのまま隣の飲食店で新年会に突入。私以外はみんな70歳前後のオジサンなのだけど、、しっかり飲んで、店員さんのクルマで家まで送ってもらった。こういうところはムラならではってところだね。私はトレセンの駐車場に自車を置いてきたので、明日、拾いに行かなくては。

2015年1月29日(木)
県歴で文化財の研修会があって参加。他県のお二人の普及公開実践を聞く。いや、素晴らしいの一語。危機感と使命感、多角的な発想と実行力、上部や周囲への説得力、そしてなにより地域の歴史と文化を愛すというぶれない信念。私はお元気でご活躍だったころの太田先生とダブって見えた。これから地域で私に何が出来るのだろう。

2015年1月25日(日)
明日の講座の資料作りで、今週も休出。そんなの平日の勤務中にやっとけよ!と言われそうであるが、平日は平日で庶務や調整、指示報告などクリエイティブではない雑務が山積みで、自分の仕事なんて夜間か早朝か休みじゃないとできない。ペース配分や割り切りができない自分の能力に限界を感じてはいるが、さてね。
2015年1月25日(日)その2 今日が初場所の千秋楽で、すでに13日目に優勝を決めていた白鵬が全勝優勝を果たした。優勝回数が33となり大鵬の32回を超える偉業である。もう、ここまでくると日本人横綱がどうのこうのと言うのも無意味なほどで、ただただあっぱれと言うしかない。メリハリのついた所作、安定した取り口、絶妙なタイミングの投げ。いつも私のテレビ観戦を楽しませてくれる。いいじゃないかい、大相撲。ワールドシリーズだ。

2015年1月23日(金)
課の新年会で飲み会。二週続きでバスで街へ飲みに出る。本社と出先の中堅が幹事で仕切ってくれて良い飲み会だった。会場はパルコの隣のビルの地下で、天井や壁はコンクリ打ちっぱなし、カーレースに関するフィギアやフラッグ、ミニカーなどがいっぱい置いてある、若向け?の雰囲気の店だった。二次会に行って、さんざん若い衆につまらない昔の話を押し付けて聞かせ、ご機嫌で帰還した。まさにオヤジの典型。やっぱ外で飲むのはほどほどにしないとね。

2015年1月19日(月)
昨年の12月22日の続きでY地区の公民館で話をする。4回連続の2回目で、地区の枠を超えた地域の遺跡と発掘で、今日は縄文、弥生、古墳の3時代を扱ったが、聴衆は前回よりさらに減って10人。まあ平日の公民館講座なのでしかたがないと感じたのは前回と同様だが、費用対効果という点でいかがなものか?などとも思ってしまうのは、イカン!イカン!日頃、大嫌いな成果主義がすっかり身に沁みついてしまっている・・・!

2015年1月18日(日)
明日の講座の資料作りに休出。ほんとうは昨日やりたかった仕事だけど、おとといの飲みすぎで久々の二日酔いになって今日にずれ込んだ。

2015年1月16日(金)
職場の館の親睦会の新年会。駅からちょっと遠かったが、幹事が面白い店を見つけてきて、なかなか良かった。調子に乗って二次会、三次会とまわってタクシーで帰宅。普段、晩酌で一合前後しか飲めないのに、久しぶりに飲みすぎた。我慢して付き合ってくれた若い衆に深謝。

2015年1月15日(木)
南岸低気圧の影響で昼前から降雪。じゃんじゃん降って、午後3時ごろには街も職場の周りも道路は圧雪状態ででこぼこ。ひどい渋滞や交通障害が各所で起こる。職場を午後7時30分過ぎに出たが、家に着いたのは8時30分。いつもの倍かかった。たぶん明日の朝は凍結する。地獄だね。

2015年1月12日(月) 同じ地区内に縄文土器をたくさん収集している人がいて、午前中に見学させてもらった。逸品揃いで圧倒されてしまう。全部、近隣の同一遺跡出土品という点が素晴らしい。入手方法はいろいろあったようだが、これだけの質、量がそろえば、十分に当該遺跡の時期的、地域的な特徴を物語る。なんとか図化などの資料化で学界や郷土史に普及させることができないか、アレコレ思案する。

2015年1月11日(日)
昨日、今日と一泊で女房と昼神温泉に出かける。昼神温泉は10年ぶりくらいか?行きに阿智村にできた満蒙開拓平和祈念館を見学。昨年に開館したばかりで、いろいろな面で話題の展示施設。こぢんまりした館だが、いろいろと考えさせられるところが多かった。清内路のミズナラを観ようと思ったが雪が多くて断念。同じ飯田でもえらい違いだ。帰途に飯田の美術博物館に寄って、登録文化財の追手町小学校校舎の周りを一巡。飯田城の立地に改めて感服。
2015年1月11日(日)その2 子供たちの三九郎の日。夕方5時30分から点火と言うので、太郎と二人で出かける。常連の女房は珍しく具合が悪くて不参加。風がなくて三九郎日和だね、などと言っていたら突然、雪を伴った東からの突風。その後、風は巻くように方角を変えて雪を吹き付けた。まるで前線が通過したようだった。三九郎は小学生が集まって賑やかに出来た。父兄の皆さん、それに消防の皆さん、大(おお)ご苦労さまである。燃え上がる炎に今年の息災を祈る。

2015年1月5日(月)
仕事始め。職場のみんなも元気に顔を出した。年末年始、風邪気味なのが二人。

2015年1月4日(日)
明日から学校があると言って、次郎も三郎も早々に発った。Uターンラッシュの只中だったが、二人とも夜までにはアパートに着いたとの報あり。

2015年1月1日(木)
年が替わる寸前に起き出して一家で産土様に二年参り。いつもは寂しい神社だけれど、この時ばかりは賑わっている。神前で柏手(かしわで)の二拍手目を合掌のように長く合わせてお祈りするってどうよ?夜半に降り出した雪で、頭が白くなる。初日の出は、雪はやんだものの、雲が多くて駄目だった。女房と太郎と3人でいつもの場所でその方角を拝む。午前10時から常会の新年会で伍長なので少し早く集会所に行くが、準備は正副やほかの伍長さんたちが終えていた。片付けを終えて11時ごろ帰宅。