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平成2009年5月31日
エフタの悲劇(ヘンデル3)


 旧約聖書士師記に登場する勇者エフタはギレアドの人。その生い立ちから、若い時はならず者の頭領になっていたこともあるが、ギレアド人とアンモン人の間に紛争が勃発した結果、部族の長老達から司令官の地位を託される。圧倒的な勢力差の中で、悲壮な覚悟で戦いに赴くエフタは、イスラエルの神に誓いをたてる。もし、この戦いに勝利をもたらしてくれれば、我が家から第一に走り出た者を生贄にささげます、と。戦いは、アンモン人の20もの町を打ち破り、ギレアド人の大勝利に終わる。しかし、凱旋するエフタを真っ先に戸口で鼓を打って出向かえたのは、彼のたったひとりの娘であった。

 この旧約にうたわれる悲劇を、ヘンデルがドラマッチック・オラトリオに仕立てている。登場人物は、エフタの兄弟で劇の狂言回しを務めるバスのゼブル、エフタの妻のアルトのストージ、エフタの娘はソプラノのアイフィス、その許婚者のカウンターテナーのホーマー、そして主役のエフタはテナーが受け持っている。

 曲は、やがて起こる悲劇を暗示する、暗く力のこもったシンフォニアで始まり、ゼブルのアリアの後、ギレアド人の合唱、舞曲、そしてエフタが登場する。脇役各人のアリアが続いた後、エフタの宣誓、戦いの勝利を思わせる勇ましい合唱とホルンが高々と響き渡るフーガ。ここまでは万事、順調なのだ。次にアイフィスとセミ・コーラスによって勝利を喜ぶ愛らしい合唱が歌われるが、これはアイフィスがエフタを真っ先に出迎えたことを意味している。それを聞いたエフタは、先の誓いに思いを致し、まさに立ち尽くして嘆き悲しむ。このレチタティーボとアリアは聞く者の胸を打たずにはおかない。

 やがて、各人の怒りや葛藤のアリアが歌われるが、特にアイフィスのフェアウェル-アリアは圧巻だと思う。例外的に前後2部で構成され、前半は現世に感謝しつつ去りゆく悲しみをローテンポで歌い、打って変わって後半はアップテンポでこれから行く神の国のすばらしさに憧れている。また、エフタの「天使よ、彼女をいと高き所へ連れ行け。」と祈るアリアも敬虔で見事だ。晩年のヘンデルの畢生の作と言えよう。原譜には「視力が落ちてここまでしか書けない。」という書き込みもあるそうで、この後、ヘンデルは完全に失明する。そういう状況の中で作曲されたことを思い致すと、落涙を禁じ得ない。

 原典の旧約では、神への誓いどおりエフタは娘を生贄に捧げる訳だが、オラトリオでは最後に天使が現れて、エフタとその娘は救済されてしまう。「じゃあ、いままでの盛り上がりは何だったんだよ。」という気持ちも若干起こるが、バロック時代には「ああ、良かった。」と迎えられたのだろう。エフタのイスラエルの神を称えるレチタティーボ、連続する合唱で大団円となる。最終部に加わる重唱はヘンデル自身の作ではなく弟子の手で付されたという説が有力だ。とにかく、数々の名作をのこしたヘンデル最後の作品と思って聞けば、また感慨も一入だろう。


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