束間の偏話77
平成2008年4月6日 音楽2(ヘンデル2)
春の長閑な昼下がりに音楽を聞く。曲は、久しぶりにヘンデルの「リナルド」だ。序曲が緩徐で始まり、続いてテンポ良く急速部に移る。そのあと、まるで間奏曲のような緩徐部分があって、いかにも「オペラが始まりますよ。ロビーに居る方はお早く席にお着きください。」という感じだ。そして、ゴッフリードがレチタティーボを歌い始める。エルサレム包囲陣が舞台だ。 第1回十字軍のエルサレム占領から題材を採ったヘンデルのイタリアオペラの傑作だ。だから、当然、司令官ゴッフリードは十字軍史上の実在の人物であるゴドフロワ・ブイヨン(エルサレムに一番乗りを果たし、後のエルサレム王国の初代国王となる)を擬した役柄だ。やがて勇者の騎士リナルドが登場する。ところが、バロック時代の産物だから、主役のリナルドもゴッフリードもカウンターテナーのかん高い歌声なのだ。往時はキャストラートが主演を張っていたのであろう。しかし、実際のゴドフロワは金髪の巨漢だったというから、イメージは大きく狂っている。騎士リナルドにしても同様。敵方のアラブ人のエルサレム王アルガンテが出てきて、バスで朗々と歌う姿にホッとする。リナルドの許婚のアルミレーナの勇ましいアリア、二人の親密なやりとりは微笑ましい。 リナルドを知らない人でも、アルミレーナが歌うアリア「涙のままに(私を泣かせてください)」は聞いたことがあるだろう。数年前にテレビやラジオのCMで頻繁に流されたからだ。ヘンデルにはアリアに優れたものがあり、オペラ「セルセ」の「懐かしい木陰(オン・ブラ・マイ・フ)」なども、やはりCMで有名だ。あまりに名曲ゆえ「涙のままに(私を泣かせてください)」は結婚式にも使われたというが、これはいささかお門違い。魔女アルミーダによって囚われの身となったアルミレーナが悲嘆に暮れて歌うアリアだからだ。 オペラ「リナルド」の成否は、リナルドやゴッフリードもさることながら、アルガンテの恋人の魔女アルミーダ(ソプラノ)に負うところが大きいと思う。登場の時には必ず雷鳴が轟くこの魔女は、やがてリナルドに一目ぼれし、誘惑しようとする。一方、アルガンテは囚われのアルミレーナに恋心を抱く。それがアルミーダに露見した時の、この魔女のアリアは物凄い迫力だ。チェンバロの細かく激しい音形が彼女の心の激情を伝えて余すところが無い。数年前にどこかの音楽祭で上演したのをテレビで見たことがあるが、このときの彼女は妖艶でドラマッチック、激情のシーンでは多頭の竜に乗って登場した。 最後はエルサレムが陥落し、アルガンテもアルミーダも捕らわれ、全員が揃って重唱で大団円を迎える。幸福感に包まれた重唱には、なんとアルガンテやアルミーダも加わる。まさにハッピーエンド的だ。実際の十字軍のエルサレム占領の時は、流血の惨事だったというから、現実と物語の差は大きい。他にも十字軍史を彩る重要な脇役達、いや主役と言っても過言ではないレーモン伯、ボヘモンド、アデマール卿、ボードワンらは物語からは削られてしまっている。これらも絡んだ壮大なオペラだと、もっと面白いのにと、一方的に思ったりもする。 ヘンデルはイギリス前期にはリナルドなどオペラを主体に作曲していたが、後期になるとオラトリオに主軸を移し、メサイアやテオドーラ、イェフタなどの傑作を生むのである。 春の日の昼下がり、そんな事々を考えながら、ゆっくり音楽を聴くことができた。これはこれで無上の贅沢なのであろう。 |
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