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2007年1月7・8日
三九郎

長野県の松本地方では、松飾や注連縄を焼く、「ドンド焼き」のことを「三九郎」という。

小学生が集まって、「モノガラ(使い終わった注連飾りや去年の御札、ダルマなど)」を集めてまわり、やぐらに組む。
夕方、町内に大声で点火が近いことを、

「サンクロヤーイ、サンクロヤイ、ジイサン、バアサン、マゴツレテ、ダンゴヲヤキニ、キテオクレ!」と大声でふれ回り、薄暗くなって点火する。

昔は子供達だけで仕切っていたらしいが、ヤグラを組んだりするので、今では小学生の父兄も力仕事に手伝いに出る。
私は、息子が3人いて、一番下が去年4月に中学生になったので、今年からやっと三九郎の力仕事から、解放された。足掛け11年間、三九郎をやったことになる。

三九郎の日も、以前は1月15日の成人の日(小正月)と決まっていたが、ハッピーマンディ法とやらで、成人の日が1月の第二月曜になってしまってからは、各地区、バラバラになってしまった。

ちなみに、ウチの常会は今日、1月7日にモノガラ集めも、三九郎も行った。


柳の枝を切ってきて、米の粉を捏ねて作った団子や繭玉を枝に刺して準備完了。
子供達の掛け声が聞こえてきたら、いそいそとその柳の枝を持って出かける。常会中から、老若男女が集まってくるのだ。

その中で、ヤグラに点火。一気に燃え上がる火の粉を浴びながら、今年も無事に過ごせるように願うのだ。
火がオキになったら、皆で柳の枝を差し出して火にかざし、団子を焼く。程よく焼けると、その場でほおばってしまう。なんともいえない、焼きたてのこんがりした感じがたまらない。


団子を焼いて食べてしまえば、一般の衆は帰っていくが、子供達と父兄は燃え残りの片付けなどで、居残ってなければいけない。

私は、先述のとおり、今年から役からはずれたので、とっとこ帰って来ることができた。
三男坊は去年まで仕切っていた未練があるのか、なかなか帰ってこなかった。


ウチの常会は、きのうの1月7日に三九郎をやったのだが、久々の降雪で30センチも積もって、ヤグラを組むにも、けっこう往生したらしい。

私は引退していてよかったと、つくづく思った次第である。雪が積もると、まず、ヤグラを組む場所や、その周りで団子を焼く足場を確保しなければいけないので、雪かきから始まる。昨日のように昼じゅう降っていると、何度も雪かきをしなければいけなくて、労働量は雪の無い歳の倍以上になる。

しかし、大人の苦労を尻目に、子供達は大喜びだ。田んぼのあぜで橇すべりをやったり、雪合戦をやったり。



平成10年は、まだ、1月15日に、三九郎をやっていたが、松本地方は100年に一度という1メートルの大雪に見舞われ、三九郎は死ぬ思いだった。

モノガラを燃やす場所だけでも、と、雪かきをするが、あとからあとから、ドンドン降ってきて、ちっとも進まない。そこらへんに置いた道具はすぐ雪に埋まって、所在不明になってしまう。

モノガラ集めに出た、軽トラは雪の吹き溜まりに突っ込んで、帰ってこれなくなる。

私も、油断して道に車を半日置いたら、もう、動かせなくなっていて、数日、道路に放置していた。

結局、ヤグラは組めずに、モノガラを積み上げて焼いた三九郎になった。年寄りに聞いても、こんなことは初めて、という大雪だった。



今年の小学生の父親の中に、平成10年の地獄の三九郎をいっしょにやった人がまだ居て、「あんときゃ、すごかったな。あれにくらべりゃ、今日なんてちょろいもんだ。」と言いあって笑ったが、それにしたって、30センチも雪があったから、本当にご苦労様であった。


夕方6時ころ、点火されたヤグラは、一気に燃え上がり、夜空を焦がした。幸い、昼間に降っていた雪もやみ、雪に囲まれた、趣のある三九郎になった。今年1年、息災でありますよう。

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